新薬師寺

                               仏像案内     寺院案内     新薬師寺公式サイト


和辻徹郎氏は古寺巡礼に於いて「廃都の道―新薬師寺」・亀井勝一郎氏は「古都のたしなみ」と言われた哀愁に満ちた情景の多くは失われ隣接地に出来た入江泰吉氏を記念する写真美術館の陰に現在の新薬師寺はある、朽ち行く大和路の挽歌に魅了され撮影し続けた入江氏が見たら如何なる観想を述べるだろうか。
香薬師寺・香山(こうぜん)薬師寺とも呼ばれ聖武天皇創建説など諸説が交錯するが、「東大寺要録」に依れば、あすかべ姫すなわち光明皇后が東大寺の毘盧遮那仏造像に力を架した聖武天皇の眼病平癒を祈願して行基に命じて七仏薬師堂を建立されたとされ東大寺の別院とされたと言う、従って本尊は七仏薬師(6)であったらしい。
「延暦僧録」には光明皇后は新薬師寺と香山寺の創建が記述され両寺の併合も考えられると言う。

薬師信仰は8世紀後半から興隆するが怨霊鎮魂にも利用されたようで当寺は藤原廣嗣・神護寺は弓削道鏡の鎮魂祈願に利用された形跡が感じられる。
但し通常呼ばれた香薬師寺の所以(ゆえん)である香薬師像は1943年盗難に逢い所在は不明のままである、但し右手は盗難の際には新規の手が付けられており造像当時(白鳳期)の右手は中田定観住職と貴田正子氏達の努力で2016年に鎌倉に於いて発見された。(香薬師像の右手、貴田正子著、講談社)
西ノ京の薬師寺に対して平城京の東に新設と言う意味で新薬師寺と命名したと言われているが寺の説明によれば新とは「あらたか」の意味と言う。
新薬師寺の創建は745年ころとされるがこの時代から薬師信仰が興隆する、771年、官大寺の寺印が下り東大寺建立の余材を利用して建立されたとも言われる。
創建時の本堂
(七仏薬師堂)は現在の東大寺大仏殿を凌駕する間口九間すなわち約68m(創建時の東大寺の間口は約86mで現在の間口は約57mを持ち全国の薬師如来を統括するに値する官大寺に相応しい東西両塔を有した七堂伽藍が創建された、また堂宇の規模から四天王十二神将も安置されていたと推定されている。
絢爛たる伽藍も780年には早くも西塔を落雷で焼失、962年には台風で七仏薬師堂が倒壊した。
鎌倉時代には興福寺の支配下に入る事によって寺を維持してきたが室町時代には反って戦場と化し衰退を早めた。
その後東大寺の系列に入り寺の維持に努め江戸時代には徳川家康から100石朱印を受ける、また護持院隆光の口添えにより五代将軍綱吉の生母・桂昌院からの援助があり寺の一部分であるが修復が出来た、20世紀中盤には檀家を持たず葬儀収入の無い悲哀から寺の至宝とも言う仏像が一時売却される等の物議をかもした。
近年薬師如来の胎内から法華経八巻が発見され国宝指定を受ける。
新薬師寺の仏像群であるが国宝・十二神将は円形の土檀上に造像され塑像でありながら精緻な彫刻がなされており湿度の高い日本に於いての耐久性を考慮した技法が駆使され、宝相華唐草紋などを繧戚彩色で著した形態を残す、天平時代の像で十二支が請来以前の尊像であり我が国随一の十二神将像である、この十二神将は創建時の新薬師寺ではなく近くの石渕寺(いわぶちでら)の尊像とも言われている。
十二神将に守護されている国宝・薬師如来像はアカンサスAcanthus葉薊(はあざみ)の木を形取る後背に六尊の薬師如来を配して本尊と共に七仏薬師を形成している。 
また当寺は萩の寺としても知られる、また48日に行われる修二会は東大寺の修二月会より古い歴史を持つとされる。
西国薬師
を巡礼する霊場に薬師如来を本尊とする49寺が参加しており、新薬師寺は6番札所となっている。           
                 


華厳宗
・別格本山      所在地  奈良市高畑福井町1352     ℡ 0742223736


新薬師寺の文化財   ○印国宝 ●印重要文化財  古文書・書籍・典籍を除く

本   堂   7間/5間 入母屋造(創建当初は本堂ではなく用途不明)     天平時代
薬師如来  坐像 榧材 木造一部彩色 190,3cm 飜波式衣文         天平時代
十二神将  立像 塑像繧戚彩色 152,6166,3cm(波夷羅大将を除く11尊)  天平時代  
法華経   八巻 全長86m 万葉の送りかな(オコト点)              天平時代
●薬師如来立像 銅像 73,0cm 白鳳時代(香薬師・現在所在不明) 
十一面観音  立像 木造彩色 197,0cm 藤原時代

千手観音立像 木造彩色 111,5cm 藤原時代(奈良博寄託)   

不動明王・二童子立像 木造彩色 不動156,1cm 矜羯羅84,2cm 童子84,2cm 藤原時代(奈良博寄託) 

●地蔵堂 一間 入母屋造 本瓦葺 鎌倉時代   

●鐘 楼  桁行三間 梁間二間 入母屋造 本瓦葺 鎌倉時代   

●東 門  一間 切妻造蟇股 本瓦葺 鎌倉時代   

●南 門  四脚門 切妻造 本瓦葺 鎌倉時代   

●梵 鐘  173,0cm  104,0cm  天平時代   

●佛涅槃図 絹本著色 掛幅装 186,4165,2cm平安時代 


注(1)繧戚彩色(うんげんさいしき) モザイクや綴織に使われる技法でエジプト、ペルシャで始まりシルクロードを経て伝わり、日本の伝統技術となった装飾文様、彩色の技法で同系統の色に濃淡の変化を数段に付けて着色する技法で日本画や織物の伝統工芸品に使われる。
その他、繧戚彩色の代表例として正倉院の香印座・当寺の十二神将・東大寺の執金剛神・金剛峯寺の佛涅槃図等があげられる。

注(2)十二神将  像名は諸説ある、波夷羅大将は昭和の補作で名工・細谷而楽の作。
1
宮底羅(くびら)大将
Kumbhīra   宝杵  164.0
2
伐折羅(ばさら)大将
Vajra     宝剣  156,0㎝ 
3
迷企羅(めきら)大将
Mihira    宝棒  162,1㎝  
4
安底羅(あんてら)大将
Aṇḍira    宝槌  163,3㎝ 
5
頞儞羅(あにら)大将
Anjira     宝又  152,6㎝ 
6
珊底羅(さんてら)大将 śa
ṇḍira    宝剣  166,3㎝ 
7
因達羅(いんだら)大将
Indra    宝棍  161,5㎝ 
8
波夷羅(はいら)大将
Pajra      宝槌  156.0㎝ 
9
摩虎羅(まこら)大将
Mahoraga    宝斧  166,3㎝ 
10
真達羅(しんだら)大将
sindūra    宝索   163,0㎝  
11
招杜羅(しやとら)大将
Catura   宝槌   163,8㎝ 
12
毘羯羅(びから)大将
Vikarāla   輪宝   159,5㎝    以上を言うが文化財指定の名称と異なる像がある。

注(3)宝相華唐草紋(ほうそうげからくさもん)唐の時代花を思わせるような豊麗な形、即ち想像上の花で絶対に枯れることのない花を描いたもの。

注(4)入江泰吉(19051992) 写真家で亀井勝一郎著、大和古寺風物詩に於ける廃都の道に触発されて、大和路に滅びの美を見出し、大和路と美術品ではない信仰対象としての仏像を撮影し続けた。 代表作に大和路(創元社)古色大和路・万葉大和路・花大和路(保育社)仏像の表情(人物往来社)などがある。

注(5) 行基 (ぎょうき・668749年) 唯識論の権威であり奈良時代の僧(法相宗)、父の高志氏は百済系渡来人。長安に於いて玄奘三蔵に学んだ道昭に師事する。(異説もある)
法興寺・薬師寺を経て山岳修行を行い、聖武天皇から菩薩号を授けられたと言う伝承が有り、彼の元に私度僧が多く集まり民間佛教の伝道と社会事業に尽力する、特に土木技術に精通していたとされる。また行基により創建されたと言う寺は多くあり、彼の指導による仏像・橋梁・堤防・港など多く作られたと言う。745年 大僧正 また歌の名手で有ったらしく行基の詠んだとされる歌が残っている。   玉葉集  「山どりのほろほろと鳴く声きけば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ」 

注(6)  七仏薬師 比叡山の密教修法の一つとされ薬師七佛本願功徳経から来ており薬師七体を祈るものであるが薬師如来の分身か別尊かの確証はない、七仏薬師信仰は89世紀にかけて顕著になり、新薬師寺も創建当初は七仏薬師が本尊であった。
また唐招提寺の薬師如来の光背にも七仏薬師が存在したとされる、さらに神護寺・法隆寺西円堂・醍醐寺・黒石寺(岩手県)等にも、そのこん跡が見られる、現存する七佛薬師像に松虫寺と鶏足寺は七尊が揃い重要文化財指定を受けている。     
善名称吉祥王如来(東方光勝世界)
宝月智厳光音自在王如来(東方浄瑠璃世界)
金色宝光妙行成就如来(東方円満香積世界)
無憂最勝吉祥如来(東方無憂世界)
法海雷音如来(東方法幢世界)
法海慧遊戯神通如来(東方善住宝海世界)
薬師瑠璃光如来(東方光勝世界)の呼び名がある。

注(7) 
桂昌院 16271705   徳川五代将軍綱吉の生母で三代将軍家光の側室で名前は宗子。京都堀川の生まれで八百屋仁右衛門の次女。
父は信仰心が強くその遺伝子を受け継いでいる、仁右衛門は二条家の使用人と交流があり六条有純の女お梅の方のとりなしで江戸城へ入りやがて家光の寵愛を受け綱吉を生む。1680年綱吉が就任すると三の丸に住み三丸殿と呼ばれる、1702年従一位に昇任する、悪名高い「生類憐みの令」は戦国時代から間もない殺伐とした江戸の世相を配慮したもので施行面に行き過ぎ生じた面もあるが大きな影響を与えた物ではないとされている、また綱吉の時代には経済は活性化していた。
桂昌院は佛教に対して信仰心は篤く、真義真言宗の僧侶・隆光等と各地の寺院に援助の手を差し伸べており、日本の仏教文化財の興隆・復興にはたした功績は大きなものがある。

注(8)  正倉院展~321日 開扉。


注(9)、死者に対する法要に関する信仰に「十三仏信仰」があり当寺も大和十三仏霊場に参加している。

注(10)、奈良・京都は十三仏信仰が篤く死者に対する法要に関する十三仏霊場がある、*西大寺 *文殊院 *長岳寺  *当麻寺 *新薬師寺 *円成寺 *大安寺 等の著名寺院が参加している。


                  新薬師寺公式サイト    寺院リスト  仏像案内
最終加筆日20041027 2005/1/7  2008年11月21日創建時の本堂間口 2009年12月20日東大寺要録・延暦僧録 2016年11月27日 2021年6月29日加筆他  

inserted by FC2 system