長岳寺

                           仏像案内    寺院案内    長岳寺公式サイト   奈良ネット   

長岳寺は山号を「釜口山」と言う、寺伝に拠れば平安時代初期824年淳和天皇の勅願を受け空海の創建とされている、釜口のお大師さんとも呼ばれ大和(おおやまと)神社の神宮寺として栄えた、最盛期には48院の塔頭寺院があったとされ付近にはこん跡が見られる、鎌倉時代に衰えを見せ興福寺の支配下に入る、後に室生寺の末寺として真言宗へ移籍と時を同じくして法相宗の興福寺から離れる。

応仁の乱で堂宇を焼失するが楼門・庫裏と数百メートル離れた位置にある五智堂は倒壊から免れる、桃山時代に寺領が大幅削減されるが、江戸時代に一部復旧する、しかし明治時代に廃仏毀釈で現在の寺姿となる。
長岳寺の阿弥陀三尊は日本で最初に玉眼が採用された像で量感のデフォルメやダイナミズムを有し仏像彫刻の頂点と言える鎌倉時代の先駆的な像として注目される。
またこの三尊は創建当初の東大寺に於ける大仏
(東大寺創建当時は三尊形式)をモデルにして造像された説もあり、脇侍の半跏像などは東大寺と同型とされ注目に値する。
楼門は鐘楼門とも言い上層が鐘楼になっておりこの形式としては最古の門である。
長岳寺に安置されている重文の多聞天
(毘沙門天)と増長天(四天王)の二尊は廃仏毀釈の折に大神神社の神宮寺である大御輪寺(おおみわでら)から移された尊像である、因みに大御輪寺の尊像の内で国宝の十一面観音聖林寺に、地蔵菩薩は国宝として法隆寺に移されている。
境内の中に弥勒仏の石盤
h2.4m、w1.8mがある等散策コースとして好適な場所にあり山野辺の道沿い崇仁天皇陵の北に位置し、石仏拝観に適したコースや黒塚古墳・陵などが点在している、また離れた位置の五智堂には五智如来が奉られ、堂宇の構成は中央の心柱に全過重を受ける構造で屋根の頂上に宝珠形の露盤を付けている、内部は四方に額を上げ心柱の大日如来を囲む形で金剛界四佛を表す梵字(種子)が刻まれている。
五智如来とは金剛頂経・金剛界曼荼羅の五仏を言い・大日如 ・閦如来 ・宝生如来 ・阿弥陀如来 
不空成就如来 の種子額が掛けられている。
狩野山楽
による大地獄絵があり10月末から11月にかけて公開される。

 

高野山 真言宗         所在地  奈良県天理市柳本508    ℡ 0743-66-1051            

主な文化財 

阿弥陀如来三尊(脇侍半跏) 木造漆箔 玉眼 中尊143,0cm 左尊(観音菩薩16,5 右尊(勢至菩薩107,8cm  鎌倉時代 

増長天立像 木造彩色 玉眼 185,0cm 鎌倉時代 

多門天立像  木造彩色 玉眼 187,0cm 鎌倉時代 

●楼 門(鐘楼門) 桁行梁間1間 入母屋造 柿葺(こけらぶき) 鎌倉時代 

●五智堂(真面堂) 方1間 宝形造 本瓦葺 鎌倉時代  

●旧地蔵院・本堂 桁行3間梁間2間 切妻造 桧皮葺 

●旧地蔵院・庫裏 桁行3間・梁間2間 一重 唐破風 杉皮葺 江戸時代


1、繍仏阿弥陀如来来迎図 非公開 

2、死者に対する法要に関する信仰に「十三仏信仰」があり当寺も大和十三仏霊場に参加している、*西大寺 *文殊院 *長岳寺  *当麻寺 *新薬師寺 *円成寺 *大安寺 等の著名寺院が参加している、また関西花の寺二十五所の19番札所でもある。


  

inserted by FC2 system