日光菩薩 月光菩薩

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”薬師瑠璃光如来本願功徳経”、略して「薬師本願経」には日光(左側)、月光(右側)の両菩薩は浄瑠璃浄土に住む菩薩中、最上位の菩薩と説かれている。
梵語名を日輪(にちりん)即ち太陽を意味する日光菩薩
(sūrya‐prabha, スーリヤ‐プラバ)、月の異称即ち月輪を手にする事もある月光菩薩(candra‐prabha、チャンドラ‐プラバ)正しくは日光返照(へんじょう)菩薩、月光返照菩薩の記述がある、例外もあるが脇持(きょうじ)の性格上総て立像である、sūrya は太陽即ち千の光明を遍く照らしている、prabha は* *の様に輝かしい、candraは月の象徴を意味する。 
薬師如来の十二の誓願を説く「薬師経」正確には「薬師瑠璃光如来本願功徳経」(玄奘訳、梵語経典は存在しない)、不空の「薬師如来念誦儀軌」などの儀軌には浄瑠璃浄土に於いて最上位の菩薩として君臨している、正式名称は日光遍照菩薩・月光遍照菩薩と呼ばれるが、別の呼称として日耀(にっき)菩薩(日光)月浄(げつじょう)菩薩(月光)とも呼ばれる, また「薬師本願経」では瀕死の病人に対して薬師如来を拝み四十九遍経を読経し四十九の灯火と五色四十九尺の旗を建てる事により快癒すると言う。
薬師如来
の脇侍を勤める菩薩であり瑠璃光浄土に於ける代表菩薩である、 日光、月光両菩薩の傘下で十二神将が従い、それぞれ7千人合計で84千人の部下を率いて薬師経典の信仰者を守護するとされている。
姿形としても一様では無く両尊の区別方法は宝冠及び左手に金色の日輪、右手に曼殊沙華の日光と、左手に銀色の月輪、右手に紅色の蓮華を持つ月光と判別できる程度である、また右手上が月光菩薩・左手上が日光菩薩の場合が多いのと薬師寺の様に薬師如来
(中尊)に対して腰に重心を中央側に置く場合は判別出来る,脇侍の性格上記述はあるが詳細はなく一面二臂で持物の共通項として蓮華上に円形の日輪・三日月型の月輪(がちりん)を持つ以外は様々である、両菩薩は三尊系でのみ造像された。
日本に於いて両尊が登場するのは薬師寺が最古とされ、例外的な例として東大寺の法華堂については不空羂索観音の脇侍であるが当初からではなく本来の配置では無いとされている、また道成寺の場合千手観音の脇侍であるが千手観音は橡の一木造で彫られ、日光菩薩 ・月光菩薩は檜造であり素材の相違は当初からの三尊形式かは定かでない。
密教
尊とは考え難いが原図胎蔵曼荼羅の内、障害除去の働きを示す除蓋障院(じよがいしょういん)二五菩薩の内九尊目に
不思議慧菩薩の尊名で日光菩薩が描かれ、文殊院には文殊菩薩を中尊に二五菩薩が配置され八番目に月光菩薩が置かれる、地蔵院には日光菩薩は除蓋障菩薩として画かれている金剛界曼荼羅の中で成身会の内賢劫十六尊の南方に月光菩薩が存在する。  

密号 日光菩薩、月光菩薩 共 威徳金剛      
また浄瑠璃は薬師如来の霊験伝承から興ったという説もある。
奈良の薬師寺には本堂の薬師三尊
(国宝)の他に講堂の三尊が薬師三尊で重要文化財指定を受けているが、2003年に中尊を弥勒仏に呼称変更された為に、寺の案内は弥勒三尊として脇侍を(ほう)(おん)(りん)菩薩(ぼさつ)(参拝者から右側)大妙相菩薩(だいみょうそうぼさつ)とされている。

日光菩薩真言 オン ロボジュタ ハバヤ ソワカ   月光菩薩真言  オン センダラ ハラバヤ ソワカ  


主な日光・月光菩薩       印国宝  印重文 

○ 東大寺  立像 塑像彩色 日光菩薩 206,3cm 月光菩薩 206,8cm  天平時代 
道成寺  立像 木造漆箔 日光菩薩 241,5cm 月光菩薩 242,4cm  藤原時代 (伝日光・月光菩薩) 
薬師寺  薬師三尊の脇持として国宝指定                     白鳳時代
法隆寺  薬師三尊の脇持として国宝指定                 藤原時代 (講堂)
勝定寺  薬師三尊の脇持として国宝指定                  天平時代
醍醐寺  薬師三尊の脇持として国宝指定                 平安時代
興福寺(国宝舘)立像 木造 漆箔 鎌倉時代 
薬師寺  三尊像 法苑林(ほうおんりん)菩薩  大妙相(だいみょうそう)菩薩 (文化財指定は日光・月光菩薩) 銅像鍍金  中尊267,5 cm 左脇侍288,7 cm 右脇侍301,4 cm  天平時代    旧名・薬師三尊 西院弥勒堂の本尊とされる尊像で法相宗の初祖を弥勒菩薩とする説がある事から、薬師寺では2003年(平成15年)以降弥勒三尊と呼称している、従って脇侍は法 苑林(ほうおうりん)菩薩(参拝者から右側)と大妙相菩薩(だいみょうそうぼさつ)となる。 
この弥勒三尊像には出自及び制作年代に諸説があり
唐招提寺からの移座説や植槻寺の本尊説などがある、因みに西暦23世紀頃に弥勒菩薩によるとされる「瑜伽師地論」が法相宗成立に於ける原点の1典とされている。 
広隆寺(霊宝舘)立像 木造彩色 漆箔 日光菩薩 175,0cm 月光菩薩 174,0cm 藤原時代          
神護寺(京都)木造 日光菩薩 151,0cm 月光菩薩 150,0cm 平安時代
法隆寺(奈良)木造 日光菩薩 80,3cm 月光菩薩 77,9cmcm 飛鳥時代
蓮徳寺(三重)木造 日光菩薩 103,5cmcm 月光菩薩 103,5cmcm 平安時代
禅定寺(京都)木造 日光菩薩 203,0cm 月光菩薩 207,cm 平安時代
神童寺(京都)木造 日光菩薩 162,4cm 月光菩薩 171,5cm 平安時代
宝城坊(神奈川)木造 日光菩薩 123,0cmcm 月光菩薩 123,0cm 鎌倉時代  
観道寺(滋賀)木造 日光菩薩 179,0cm 月光菩薩 179,3cm 平安時代 
勝尾寺(かちおじ・大阪府箕面市)木造 各53,2cm  平安時代   
●福岡市美術館 立像 木造漆箔 玉眼  63.75㎝ 鎌倉時代 日光菩薩  福岡市中央区大濠公園1-6
最御崎(ほつみさき)寺  月光菩薩立像   木造漆箔 101.6㎝  藤原時代  高知県室戸市室戸岬町 四国24番霊場

他 斑鳩寺(兵庫) ・聖衆来迎寺(滋賀) ・最御崎寺(高知)等  

                                                                           鶏足寺 
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最終加筆日 2004628 2005年12月23日曼荼羅中の配置と東大寺不空羂索観音の関連 2017年6月1日 2018年3月11日 2020年5月19日 2021年11月18日 2022年7月15日 記述

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