壺阪寺(南法華寺)

                            仏像案内   寺院案内

 

山号は壺阪山で正式名称は平等王院南法華寺と呼ばれる、847年には定額寺となり今日まで西国三十三所第六番の札所としての賑わいを見せる。 

別名に南法華寺・壷坂観音とも呼ばれている、古くはの文字を使用されていたと言う。 

元興寺の僧で703年に水晶の壺の中で観音菩薩を感得したと言う、弁基(べんき)の創建と「南法花寺古老伝」に記述がある、創建以後二度に亘る火災により寺勢は衰えるが、鎌倉初期の通称・壺阪僧正すなわち興福寺別当覚憲(かくけん)により寺観を整えられ興福寺・一乗院の末寺となる、室町時代に寺勢は再度衰えるが江戸幕府や本多家の援助で復興した。
堂宇は礼堂・三重塔、が他に一字金輪曼荼羅・鳳凰文塼が重要文化財指定を受けている。 

また壺阪寺は世間には寺よりも「壺坂霊験記」で知られている、モデルはお里が盲目の夫である沢一の為に観音詣でをして霊験を授かる物語で夫婦の像も作られており、本尊の千手観音は眼の観音さまとして、眼病に霊験があると言う。 

1983年インド産の大理石造の観音立像は救ハンセン事業への返礼として贈られた天竺から渡来の観音像であり、高さ約20m、総重量1200トンと言われる1999年には八米にも及ぶ釈迦涅槃像が完成し新観光名所と言えるかもしれない。 

● 鳳凰(ほうおう)(せん)                             奈良時代
● 礼堂
● 三重塔                             室町時代
● 一字金輪曼荼羅図  絹本著色             鎌倉時代

本尊    千手観音菩薩  樫一木造り         室町時代 

真言宗
豊山派
      所在地  奈良県高市郡高取町壷阪3番地      0744-52-2016  

 






inserted by FC2 system