日蓮宗

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このサイトでの日蓮宗の呼称は日蓮を祖として、その思想を継承する教団全体(注10を総称して使用する、宗祖日蓮の死後に六老僧は其々の門流に分散するが個々には日蓮の正統を継ぐ嫡弟(ちゃくてい)を意識している、・久遠実成(くおんじつじょう)釈迦法華経・日蓮で三位一体を形成する宗派である。 
日本人の個人名を教団名にする唯一の教団である、日本の仏教は中国人を含めて祖師信仰を重要視する、各宗派の中で祖師信仰が際立つのが四国の祖師霊場がある様に空海を慕う真言宗と、更に際立つカルト的宗派cultは祖師を教団名にする日蓮宗ではないだろうか、但し正確には法縁とか門流組織が分立しており、現在に於いて下述の如く多くの宗派があるが、日蓮宗の呼称は身延山久遠寺を総本山にとする一派である、真言系に於いては空海を祀る大師堂があり大師像が安置されるが日蓮宗に於いても大寺院には祖師堂があり共通点が観られる、但し日蓮宗の呼称が用いられたのは明治以降であり、それ以前は法華宗とか日蓮法華宗等々と呼ばれていた。
日蓮宗の根幹を為す教義は「法華経に帰れ」にある、天台智顗が教相判釈で示した「妙法蓮華経玄義」に於いての「名体宗用経(みょうたいしゅうようきょう)五重玄具足(ごじゅうげんぐそく)の妙法蓮華経」に於いての宗用すなわち唱題効力を強調している、最高経典はむろん法華経であるが特に「第十六‐如来寿量品」を最重要視している、法華経を最高経典とする宗派は多いが、日蓮宗が法華経を記憶し、読み聞かせ、広めようとする「受持読誦(じゅじどくじゅ)解説書写(げせつしょしゃ)」に一番熱心と言えよう。
また日蓮宗は国に対する諌めすなわち諫暁(かんぎょう)、だけでなく比叡山内における円仁円珍等による密教化に加え源信法然親鸞による浄土教化を憂いての旗揚げである。
釈尊が教えた最も深遠な妙法と言う妙法蓮華経のみを経典として例外を認めない、しかし法華経を依経(えきょう)としているが日蓮自身が執権・北条時頼に出した建白書「立正安国論」を書くに及んで後述するが「仁王般若経」[金光明経」「大集経」を参考文献に使用している,特に日蓮の「善神捨国(ぜんじんしゃこく)」の主張は金光明最勝王経 の四天王護国品を典拠としている、また日蓮が構想し宗定(しゅうてい)とされる十界曼荼羅には密教尊で法華経に記述されていない不動明王愛染明王の梵字が描かれている、もう一つ法華三部経と言われる妙法蓮華経八巻、開経に詠まれる無量義経一巻、結経として観普賢菩薩行法経があり、合わせて法華経十巻とも言われる、因みに善神捨国とは為政者が正しい法を行えば国は守護されるが、非法を行えば国が 滅亡する事を言う、信仰は教義を学ぶ事から始まるものではない。
日蓮宗をオーソライズする為の系譜は「外相承(げそうじょう)」と「内相承(ないそうじょう)」に分類される、外相承の場合は釈尊--大迦葉
十大弟子--阿難(十大弟子)--竜樹などが挙げられる、内相承は日蓮が自称する釈尊――上行菩薩――日蓮を言う、天台宗とは同じ法華宗を標榜しながら内相承即ち上行菩薩、日蓮に於いて決定的な相違がある。
日蓮宗を一言で表現すれば修行の原点とされる唱題行すなわち「南無妙法蓮華経」の題目を唱える事にある、信心(しんじん)唱題(しょうだい)により現世に於いて即身成仏(注6して救われると言う呪術的宗教である、但し日蓮の側から観れば簡潔な題目であるが、天台を精緻に研鑽した事から思想的裏付けが内包されている様である、唱題行は法然の念仏を参考にしたと梅原猛氏は言う、但し浄土宗系の来世の救済に対して日蓮宗は即身すなわち現世の成仏である、しかしインド哲学の権威・宇井伯寿氏に依れば「即身成仏の実例は挙げられない」と言う。
日蓮は四箇格言
(注2)で浄土宗を先頭で非難しているが、法然を意識して参考にしている、信仰の主題は法然の念仏をお題目に変換した事にあり、相違は法然の浄土往生と日蓮の言う即身成仏と言える。
南無妙法蓮華経と唱える事を”唱題行”略して「題目」「唱題」と云うが、経典名を唱える事を意味し日蓮宗系の特徴と言える、法華経第二十常不軽菩薩品の心、ひたすら但行礼拝(たんぎょうらいはい)であろう、但行礼拝とは「私はあなたを尊敬します、あなたの仏性に合掌します」と言うところか、因みに「称名」「念仏」は信仰する尊名を唱えるもので、南無阿弥陀仏、南無十一面観世音菩薩、南無大師遍照金剛等々を言う。
本尊は特異であり、「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」通称「観心本尊抄」にある、山梨県の身延にある久遠寺の「曼荼羅本尊」・「一塔両尊四士」
(注8に代表される中央塔にひげ文字で南妙法蓮華経の墨書があり両脇を久遠実状の釈迦如来と法華経・宝塔品にある多宝如来(注7を置き上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立菩薩を配置する、他に二仏並坐(にぶつへいざ)と言いひげ文字を両尊が囲む、これを日蓮宗に於いては法華経の世界を具現した「法本尊」と言う、因みに五五百歳(ごごひゃくさい)とは二千五百年後の末法を言う、因みに多宝塔は法華宗独自の塔で、法華経クライマックスの一章「第十一見宝品」に説かれている。
日蓮の法華経に対する帰依の方法に①本門の本尊、観心本尊抄(大曼荼羅)への帰依。②本門の題目、「南無妙法蓮華経」への帰依、③本門の戒壇、久遠の釈尊を具現する為の道場、がある、日蓮は経典の品にプライオリテー化
priorityしていた、・第二方便品・第十六如来寿量品の二品を筆頭に・第十五従地涌出品第二十一如来神力品さらに・第十一法師品・第十三勘持品・第二十常不軽菩薩品を重要視した。

日蓮宗は天台の教義を土台にしており、天台法華宗との相違を二点挙げると天台は一巻の経典だけでなく法華経を宗骨として大智度論、涅槃経、梵網経等々をも依としている、日蓮を法華経・宝塔品記述される多宝如来に次いで湧出した地湧(じゆ)の菩薩すなわち菩薩最上位の上行菩薩(曼荼羅本尊に於いて多宝如来の横に墨書されている)の再来と認めるか否かとの違いと、久遠実状(注4の釈迦すなわち本地垂迹説の相違である。 
迹門が終わり本門に入る品で娑婆以外の国土からガンジス河八本分の砂の数ほどの「地湧(じゆ)の菩薩」のメインすなわち上行菩薩とは一塔両尊四士にも登場するように重要な菩薩である、法華経の従地涌出品に於ける比喩の中で説法中、釈迦の念力で地中の割れ目からガンジス河八本分の砂の数ほどの菩薩達が湧きあがる、その菩薩の最上席が上行菩薩であり仏滅後に法華経の中心になるという、この従地涌出品から日蓮は自身を上行菩薩の再来と称した、因み上行菩薩達四菩薩を「地湧の菩薩」と言い仏滅の後に法華経を広める菩薩と言う、上行菩薩(ヴィシシタ、チャーリトラ、Visista-caritra 優れた修行実践者、無辺行菩薩(アナンタ、チャーリトラ、Ananta-caritra ∞修行の実践者、浄行菩薩(ヴィシュッダ、チャーリトラ、Visuddha-caritra 清浄な修行実践者安立(あんりゅう)行菩薩(スプラティシュティタ、チャーリトラ、Supratisthita-caritra 確立された修行実践者、を言う。 

如来神力品第二十一には従地涌出品第十五に登場し、釈尊から法華経を広める為の「結要付嘱(けっちょうふぞく)」を受けた上行菩薩を代表に四菩薩を中心とした地湧の菩薩が再度登場してくる、上行菩薩は菩薩行を完了した如来とも言える尊格であるが、日蓮宗に於いては日蓮が上行菩薩の再来と位置付している、法華経を広める為の「如来の神力の顕現」である、但し法華経を依経とする宗派でも日蓮宗以外は上行菩薩と認知していない。
日蓮が学んだ比叡山は天台法華宗であり法華経を最高経典としている、天台智顗による解釈書である法華玄義・法華文句・摩訶止観・の三典を根本教義として成立した教派である、隋の天台宗は教相判釈に五時教判を言い釈迦がレベルに合わせて五段階に分類して説教し到達点が法華経とした、日蓮宗の原点が此処に見られる。 
日蓮宗は応仁の乱から戦国時代にかけて京都に於いて町衆を中心に著しく根ずいた、十四世紀頃には日蓮の孫弟子である日像
1269年~1343年)を先頭に、町衆は豊富な財力を有する為に京都に勢力を拡大した、「京中おおかた題目(だいもく)(ちまた)とまで言われ過激な行動も観られた、因みに信長が急襲された本能寺は日隆門流であり、信長の後嗣・信忠の寄宿寺である妙覚寺は四条門流で何れも法華宗の寺である、蛇足であるが題目とは「南無妙法蓮華経」唱える事である。
法華一揆などや山科本願寺を焼き討ちした、京都は比叡山の門徒等からの「天文法華の乱((1536年(天文5年) )」等の迫害に遭いながら現在に於いても日蓮宗徒は多い、鎌倉時代に興起した宗派の祖で日蓮は唯一関東の出身で京都進出は遅れたが、戦国時代
1532年頃)には「京都二十一箇本山」(注9が勃興した、1520年に起きた「天文法華の乱」即ち「法華一揆」(天文法難)で焼き払われるが、後に十五ヶ寺が復旧され現存する寺も多い、因みに天文法華の乱とは1520年~1530年、管領職をめぐり細川家の”細川高国”と”細川晴元”の内紛を言う

芸術部門に於いても勃興は著しく能登から上洛した長谷川等伯は無論の事、狩野元信、永徳、本阿弥光悦、尾形光琳等も日蓮宗徒であった、当時の京都に於ける日蓮宗の勢いが感じられる。 
宗論に関して日蓮宗に関する部分に1579
(天正7)の安土宗論の敗北があるが、内容は法華経と観無量寿経との優劣論争にあると言える、因みに「本朝四箇度宗論」と言われる論争に、大原談義・文亀宗論・安土宗論・慶長宗論が挙げられる、安土宗論の敗北について最初から信長に仕組まれた敗北と言う法華宗の田村芳朗氏は言うが、宗論よりも法華一揆に代表される横暴鎮圧に宗論が仕組まれたと言えよう。 

但し日本佛教は一向一揆や法華一揆など当初は純粋に信仰がTop priorityであったが、権力闘争による派遣争いに中に引き込まれて、統制下に飼い慣らされてきた。

日蓮は鎌倉仏教の他の祖師と比較して唯一坂東の出身僧であり、活動の拠点は鎌倉を中心とした関東地方であるが、「題目の巷」と揶揄される様になった京都に於いて、町家の裕福な檀徒達に恵まれた様で大変興隆していた、イエズス会宣教師が記述したと言う「耶蘇会士日本通信」等の要約に依れば「日蓮宗僧侶達の収入は大であるが、檀家の寄進により贅沢に衣食している、家の建築、修復は総て檀家の負担である」、米価を基にしたパリテイー指数parity indexに依れば数億円に上る個人檀徒から寄進の記録も見られる。
また我が国の仏教教団の内で扶植(ふしょく)に熱心で最も多くの派に分かれている、講の集団の発展関係もあるが日蓮宗である、山折哲男氏が司馬遼太郎氏との対談の中で「日蓮宗はいつも新興宗教である、発生しては消える」と言っておられる。
日蓮宗が多くの分派に分かれた教義上の理由は法華経中、本門・迹門に分け本門重視派と全体を肯定する本迹一致論派とに分かれる。本迹一致論派は日蓮宗を名乗り一方本門重視派は夫々の名称を名乗る。
 現在活動している創価学会・霊友会・立正佼成会・妙智会等はこの系列に入る。
また教団発足当初は時の権力に迎合しないで、「立正安国論」を幕府に提出、無視されるや北条得宗
(徳崇家)家を非難、釈迦の教えは方便であり成道ではないと言う「爾前無得道論(にぜんむとくどうろん)」を主張し他宗を攻撃した「四箇格言」(注2など歯に衣を着せずに総ての他宗派を誹謗正法(ひぼうしょうぼう)して、幕府や真言律系・浄土系信徒から多くの迫害にあった、因みに誹謗正法を略して謗法(ほうぼう)と言う。  
四箇格言即ち爾前無得道論を述べて非難されると日蓮宗では法華経から引用して法難とする、大和古寺風物誌の著者亀井勝一郎氏の考えに賛成できない部分は多いが、氏の言う「信仰の敵はいつでも信仰そのものの裡にある,外からの迫害は決して恐るべきものではない、法難とは信仰の拙劣な自己弁護にすぎない」この言葉は同じ文化的遺伝子
(エトス)を持つ日本人の宗教観から見れば正鵠を得ている、日本の佛教各宗派と日蓮宗とのパーセプションギャップperceptiongapは著しい。 
そして日蓮宗徒には多くの野心家を輩出している、戦国武将、斎藤道三 ・2.26事件を煽り現世に幻の化城の実現を目指した北一輝 ・法華経による世界制覇の実現を目指して八紘一宇を唱え、国柱会を興した田中智学に心酔し満州事変を企画した関東軍の石原莞爾 ・血盟団の井上日召や現在では国柱会の流れを組む霊友会に所属する石原慎太郎、成長の家の稲田朋美創価学会の公明党、等々法華経をベースにした野心家が多い、その他 立正佼成会 、北島三郎等芸能人等を抱する 佛所護念会教団(ぶっしょごねんかいきょうだん)、冨士大石寺 顕正会、等々が法華経系教団があり最多数教団グループを浄土真宗系と甲乙が不明である。   
これは日蓮の国家主義的思想から来ているとも言えなくも無い、しかし江戸末期の良寛や法華経心酔者で国柱会に籍を置いた人には宮沢賢治の様な人もいる、閑話休題、宮沢賢治は盧溝橋事件を計画した石原莞爾と同郷で同じ国柱会に所属していた。
 

「農民芸術概論綱要」に於いて賢治曰く「そこには芸術も宗教もあった、いまわれらにはただ労働が 生存があるばかりである、宗教は疲れて近代科学に置換され然も科学は冷く暗い、芸術はいまわれらを離れ然もわびしく堕落した。」

法華経と宮沢健二との関連は、著名な「雨にも負けず風にも負けず‐‐‐‐‐‐そういう者に私はなりたい」のモデルは(じょう)不軽(ふきょう)菩薩(ぼさつ)である、常不軽菩薩とは第二十‐常不軽菩薩品に説かれる菩薩で、釈尊の前世の姿とされている。
常不軽菩薩の漢訳は複数がある、威音王仏(いおんのうぶつ)に教えを受けたとされるサダーパブータsadāparibhūta、すなわち常不軽菩薩(第二十品)に関して鳩摩羅什は常不軽菩薩と漢訳しているが、竺法護(じく ほうご)は「常被軽慢(じょうひきょうまん)菩薩」と漢訳している。
日蓮宗は法華経を唯一の経典にして釈迦の教えとしている、釈尊は説教の中で法華経は最高の教えであり、初期の上座部の教えは方便であると言われているが経典の最後まで深遠な真理は説いていない。
重複するが日蓮は法華経以外は無視したかと言えば、回答は否である、立正安国論に於いては「金光明経、四天王護国品、十二」では生死の河に堕落すとある、また偽経説の強い護国三部経の一典「仁王般若経」や「大集経」「薬師経」等も引用している、因みに立正安国論は四六駢儷体(しろくべんれいたい)で著した「天変地異」「大飢饉」「疫病」への対処法が記述されている。
立正安国論を提出した日蓮の自信が上行菩薩の心境すなわち「四無畏(しむい)」であったかもしれない、四無畏とは如来・菩薩が説法主に法華経を説く際に抱く、おそれる事なく持つ四種の揺るぎない自信を言う、
法蓮華経如来寿量品第十六に依れば久遠実成の釈尊の強調して祀り上げている、上行菩薩を総ての行を完成した菩薩の筆頭に挙げている、これは釈尊と同格に挙げられていると解釈できる

如来の場合は、一切智無畏・漏永尽無畏(ろえいじんむい)説障道無畏(せっしょうほうむい)説尽苦道無畏(せつしゅつどうむい)

菩薩の場合は、能持(のうじ)無畏・知根無畏・決疑無畏・答報無畏 を言う。


法華経は観無量寿経と共に世界最古に属する小説と思える部分は多い、特に譬喩品(ひゆぼん)第三などは荒唐無稽に思える、ここは譬喩であり例え話であるが法華経を読んで最高の経典と定義付けることは最澄・日蓮などの天才や田中智学等秀才には理解できても、真理の道を閉ざされた「智慧から遠い」管理人には困惑させられる経典である。
異教徒や異宗派を敵に回す日蓮であるが、
クリスチャンでもある内村鑑三(注11は「代表的日本人」の中で*西郷隆盛*上杉鷹山*二宮尊徳*江戸時代の陽明学者、中江藤樹(なかえとうじゅ)に次いで *日蓮を挙げて賞賛している。 
日蓮宗に於ける祈祷の奥義秘法を修得された教師、すなわち修法師になる為の荒行は壮絶である、これは天台宗比叡山で行われる千日回峰行と相壁を為している、この二つの行とインドに於けるヨーガを含めて世界三大荒行と言う記述がある。
故小室直樹氏に依れば法然、親鸞、日蓮の教義には天台本覚論がベースにあると言う、天台本覚論とは比叡山に於ける秘中の秘で日本天台宗の根幹を為す奥義である、平安後期に起こる日本天台宗の衆生は誰でも仏になれると言う現実や欲望を肯定して解釈する理論を言う、本来の本覚に関する教義を拡大解釈した論議である、現実の世界や人間の行動様式が真理であり、本覚の姿と説き煩悩と菩提を同一視した教義で修行、戒律を軽視する傾向に解釈された。天台本覚論を論拠として日本仏教は世界に類例のない佛教の必須である戒律無視の「所謂佛教」になったと言う論者は少なくはない、中国の天台にも本覚論は存在するが比叡山ほど急進的ではない、因みに本覚とは“本来の覚性”即ち総ての衆生に覚りの智慧を内包している、要するに誰でも成仏出来るという意味合い。
日蓮宗の特徴として日蓮のスタンスとしての行動がある、それは法華経の提婆達多品
第十二をベースにした「女人成仏抄」を著し女性救済に尽力したのかも知れない、因みに女人成仏抄とは薬師如来の浄瑠璃浄土等の様に変成男子(へんじょうなんし)で成仏するので無く、心身とも女性として成仏出来ると説いている。



依経 法華三部経「無量義経」「妙法蓮華経」「仏説観普賢菩薩行法経」 

冒頭で記述した様に本篇では日蓮を祖とする教団全体の総称(注10参照)したが、宗教法人としては身延山久遠寺を総本山とする派を日蓮宗と言う。

寺院数 6,905ヶ寺   信徒数1800万人 


本尊 ・釈迦如来 ・十界曼荼羅
(日蓮奠定、宗祖奠定) ・佐渡始顕曼荼羅 ・子安曼荼羅 ・一塔両尊(始顕) ・二尊四士 ・一尊四士・臨滅度時本尊(臨終時)と別れる、また・法仏一如 ・法本尊 ・仏本尊と解釈が分かれている(在家仏教、川口慧海、慧文社)、本尊に使われる曼荼羅はサイズや構成に確定した様式は無い、但し中央の題目(南無妙法蓮華経)と左端の愛染明王の種字と右側の不動明王の種字、下部の日蓮の華押は原則の様である。 

因みに二尊四士とは多宝如来、釈迦如来に上行菩薩、無辺行菩薩、浄行菩薩、安立行菩薩を言う、日蓮宗には二仏(にぶつ)並座像の形式がある、法華経見宝塔品・従地湧出品15章に登場する多宝如来 prabhūta-ratnaと言い、東方宝浄国の教主とされる、多宝如来と南無妙法蓮華経を挟んでの並座が一般的である、法華経見宝塔品十一を依経とした二仏並坐像(にぶつびょうざぞう)と言う形はこのペアーに限られる
観心・本尊の法門  
(如来(にょらい)滅後(めつご)五五百歳(ごごひゃくさい)()(かん)(じん)本尊抄(ほんぞんしょう))南無妙法蓮華経の南無とは梵語のナマスnamasorナモーnamo)の音訳で帰依します、敬礼、お任せします、等と訳せる。
日蓮が著した
十界曼荼羅は百二十幅程が存在する様であるが、内容は一様でなく変化が見られる、「宗定(しゅうてい)本尊」中でも日蓮が臨終の時に枕元に置かれた「臨滅度時の本尊(りんめつどじのほんぞん)」とされる妙本寺蔵(鎌倉市大町1-15-1・長興山)が著名である。  




注1、 立正安国論(りつしょうあんこくろん)(1260年)

日蓮が北条時頼に提出したプロトコール(protocol)即ち建白書である、略称を安国論と言い、四六駢儷体で著した日蓮の代表的著作である。
関東地方に飢饉、疫病、台風被害、地震などの災害が続出した事に対しての対策書の一面もある。
旅行客(時頼)と主人の対話形式をとり、災害の原因に邪教信仰すなわち法然の浄土教を挙げ糾弾する。

日蓮は浄土教を捨てて法華信仰に回帰するなら、世界は悉く仏国土となる為に災害は絶滅すると言う、即ち正法の樹立を優先させそれが国土の安穏をもたらすと言う。
佛教書ではあるが、飢餓・疫病・等の災害除去の手法として10項目で構成されており1~8までが法華経以外の経文や他宗の批判、9で他国の侵略等、10法華経の正当性など内乱・外圧がテーマの書である、法華経のみを信仰し他の宗派を禁止しないと社会不安・内乱・外敵侵略が起こると時の執権北条時頼に提出したもの。
立正安国論に曰く「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ、然れば即ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰えんや、十方は悉く寶土なり、寶土何ぞ壊れんや、国に衰微無く土に破壊無くんば、身は是れ禅定ならん、此の詞信ずべく崇むべし」要するに偏執の法師とされる人達に述べた。
しかし立正安国論を作成の参考文献は法華経のみではなく金光明経 ・大集経 ・薬師経 ・一切経蔵 ・仁王般若経などが利用されている、外敵侵略すなわち弘安の役(1281年)を的中させたとの説があるが、立正安国論日蓮の予測は的中したか?、事件から14年経過している、予報とか予言は時間と規模度外視すれば概ね当る。  
これが日本以外の国で起これば提出者の命は完全に断たれている。   


2、 四箇(しか)格言(かくげん) 日蓮は言う「念仏無間・天魔・真言亡国・国賊」禅宗徒は天魔であり、念仏信者は無間地獄に落ちると言う、この為、臨済門徒の北条一門や浄土宗徒から迫害を受けることに成る。(無間とは地獄の中で最下層の場所で阿鼻地獄とも言い、五逆罪や大乗の非難者が堕ちる場所で極苦の地で、銅が沸き人間を炊き続ける、堕ちるまでの時間は2000年を要する、詳しくは浄土の地獄参照) 、因みに爾前無得道論の爾とは二人称に於いて相手を卑しめる意味を持つ。
仏教教義には地獄は実在しない、衆生を導くための譬え話すなわち仮設である、仏教の蘊奥とされる実在論の否定以前の問題と言える。
四箇格言は「諌暁八幡抄(かんぎょうはちまんしょう)」「御義口伝(おんぎくでん)上」等に書かれている。 


3、本地垂迹説   法華経を論拠としており、本来の姿(本地)を具体的(迹)な姿すなわち釈迦如来として現れる。
久遠実成の釈迦  Mgadāva(鹿野苑ムリガダーバ)で初説法した実在の釈迦ではなく法華経を論拠とし方便を駆使し神格化された釈迦で、宇宙の真理を実在した事のある釈迦如来に投影(変換)された。 

注4、久遠実成の釈迦  法華経の如来寿量品第十六に於いて釈尊は久遠(無限の)過去からの覚者であると言う。

5、日蓮の代表的著作に 立正安国論 開目抄 観心本尊抄 があり三大部とされている。

6、即身成仏 密教に於ける専売教義で無限大の修行・精進を重ねるのではなく、現世に於いて現在の身体を持って仏になれるという、即身成仏には理具成仏・加持成仏・顕得成仏のランクがある。
・理具成仏とは理念を言い真言密教の修行をして大日如来と同一の境地に到達する事を言う、・加持成仏とは実践を言い修行により仏と境地を同じくする事、・顕得成仏とは結果を言い修行が完成した状態を言う、但しインド哲学の権威・宇井伯寿氏は「即身成仏の実例は挙げられない」と言う。

宇井伯寿  本名茂七と言い曹洞宗・東漸寺(とうぜんじ)第34住職 愛知県宝飯郡小坂井町大字伊奈  
1930
年 東京帝国大学教授  1941年 駒沢大学学長  1953年 文化勲章を受章  
196381歳で逝去。

7、多宝如来  法華経見宝塔品・従地湧出品15章に登場する法華経を肯定する如来で、東方の無量千万億阿僧祇(あそうぎ)劫(無限大の劫)の宝城国にある如来で智積菩薩等が従う。
因みに智積菩薩とは提婆達多品12章に多く登場する。  
日蓮宗の本尊「三宝尊」に於いて題目(南無妙法蓮華経)の左右に釈迦如来(二仏並座)と共に登場する。(下部に日蓮像が置かれる)
二仏並座の例として鑑真による日本最初の受戒道場である東大寺戒壇院に安置されていたと言う(12世紀、大江親通著・他からの引用説はあるが七大寺巡礼私記)、金銅塔の中の
銅像で 釈迦如来25,0cm、多宝如来24,2cm が現在は奈良国立博物館に寄託されている、日蓮宗の寺院にも散見でき日立市の宝塔寺にも江戸時代の作とされる像がある。

8、日蓮関連の曼荼羅としょうする物に①一遍首題(題目だけの記述) ②一塔両尊(題目の左右に釈迦如来、多宝如来) ③二尊四士(②に地湧の菩薩) ④大曼荼羅(多数の尊格、四天王や梵字、華押)がある。  


9京都二十一箇本山とは・妙顕寺・妙覚寺・本覚寺・本能寺(本寺) ・立本寺・妙蓮寺・本隆寺・大妙寺・弘経寺・本圀寺・宝国寺・本禅寺・本満寺・上行院・住本寺・妙満寺・妙泉寺・本法寺・頂妙寺・学養寺・妙伝寺である、復興した寺は・妙顕寺・妙覚寺・本能寺・立本寺・妙蓮寺・本隆寺・本圀寺・本禅寺・本満寺・要法寺・妙満寺・本法寺・頂妙寺・妙伝寺である。

10、 
日蓮宗系の宗派を挙げると *日蓮宗、 *顕本法華宗、 *日蓮正宗、 *日蓮本宗、 *真門法華宗、*陣門法華宗、 *本門佛立宗、 *不受布施派、等々があり、他に宗系の団体に*霊友会、*立正佼成会、*佛所護念会、*創価学会、*顕正会、*国柱会、等多彩である、一部分であろうが、大衆迎合主義すなわちポピュリズムpopulism)な組織も存在する様である

 

11、 内村鑑三とは札幌農学校(現北海道大学)時代にウィリアム・スミス・クラーク博士の影響を受けたクリスチャン(メソジストMethodist・プロセスタント系)である内村は日本人の宗教観に付いて仏教史の中で、日本史上最大の宗教改革者として日蓮の宗教的業績を評価している。


注12、日蓮宗に於ける七堂伽藍を備えた寺は石川県羽咋市の妙成寺が著名である(*本堂、*祖師堂、*二王門、*五重塔など)。


13、 信仰に誘う方法に二通りのタームがある、折伏しゃくぶくとは折破せっぱさいぶくの略で厳しく相手の思想を糾弾して己の思想に誘うことを言いう、また相手の意見を聞きながら優しく洗脳することを、摂受しょうじゅと言い、正確にはしょういんようじゅという。

 


日蓮宗の主な宗派                                
        (妙覚寺祖)
日蓮 ─┬──日昭 (妙法華寺祖)     ┌─ 日実 本化日蓮宗(石塔寺)日蓮宗不受不施派(妙覚寺) 
      ├── 日朗 ─┬─ 日像     │   日蓮講門宗(本覚寺) 法華宗(本隆寺)真門流
      │          │ (妙顕寺祖)  ├─ 日慶 本門法華宗(妙蓮寺)
      │          │          └─  日隆 法華宗(本能寺)本門流  本門佛立宗
      │          ├─ 日輪          本門宗(本門寺)
      │          └─ 日印          法華宗(本成寺)陣門流
      ├── 日興 ─┬─ 日目
(にじつ)       日蓮正宗(大石寺)          創価学会
      │         └─ 日尊           日蓮本宗      
      ├── 日向 ────────────  日蓮宗(久遠寺)   日蓮宗(法華経寺)
      │    (身延山主)               日蓮本宗(要法寺)  本門真宗(総本院)
      │                           法華日蓮宗(宝竜寺)
      ├── 日頂(弘法寺祖)
      ├─────────────────  霊友会  立正佼成会
      └─  日持                     国柱会   その他

                           
                            
創価学会 


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系列大学
立正大学     東京都品川区大崎 江戸時代に於ける飯高(いいだか)寺(千葉県匝瑳市(そうさし))の飯高壇林を嚆矢とする。
日本福祉大学  愛知県美浜町 
文教大学     東京都品川区旗の台3-2-17  
身延山大学   山梨県南巨摩郡身延町身延3567
 



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