日蓮

            12221282(貞応1‐弘安5)

  説明: C:\Users\Owner\katada202\kyoto\button1.gif             仏像案内     寺院案内    佛教宗派    経典     戒律    佛教宗派    釈迦の教え

       

平安時代、四百年の垢が累積した末期には、政治の腐敗、既存仏教の堕落等から、為政者、宗教者は飢饉等々に対しても無力な時代であった、即ち末法の時代に登場したのが、法然親鸞、栄西、道元達であり最後に登場したのが日蓮である。
末法であるが仏教には天地創造や終末論が無く、如来の寿命も∞に長い事もあり、本義的仏教思想ではない、仏教ではカルト的思想からのものであると、小室直樹氏は言う。

法華宗
(日蓮宗)の開祖である、日本独自の宗派を構築した鎌倉新仏教の、第一段階の臨済宗の栄西と浄土宗法然とすると、第二段階として曹洞宗道元浄土真宗の親鸞、更に第三段階に時宗の一遍と、日蓮宗日蓮となるが、法華経を依教とした最も急進主義、即ちラディカルRadicalな宗派を構築した。 
日蓮は現在の千葉県長狭郡に生まれ、幼名を薬王丸と言う、地元天台宗の清澄寺で道善房の元で出家し1253
(建長5)法華信仰の弘通すなわち伝道を創める、浄土教を批判した為に浄土教徒に圧迫され同寺を出て鎌倉に入る、日蓮はこの時期に・地震・疫病・飢饉等の災害が続出した理由を法華信仰を捨て浄土教の興隆を挙げた。  
浄土教への信仰停止と法華信仰への回帰を求めた日蓮の言う正法への建白書「立正安国論」
(注1を著し、幕府の最高権力者である得宗家の北条時頼に提示した、内容は他国侵逼(たこくしんびつ)の難・自界叛逆(じかいほんぎゃく)の難」即ち法華経に叛くと他国の侵略、種々の災難が起る、と言う内容である、但し立正安国論を作成の参考文献は法華経のみではなく・金光明最勝王経の四天王護国品・大集経 ・薬師経 ・一切経蔵 ・仁王般若経などが利用されており、日蓮の主張ほど法華経オールマイテーalmightyではない、閑話休題、正しい教え即ち”正法”は宗派によって異なる、浄土系の正法は念仏であり、禅宗の正法は座禅である日蓮の立正安国論 正木晃 春秋社
怒り心頭に達した浄土教徒に襲撃され、1261(弘長1)には鎌倉幕府により伊豆伊東に流謫(りゅうたく)すなわち島流しに遭う、1263年に赦免されて安房に帰ったが、地元の浄土教徒に襲撃され鎌倉に逆避難した。
日蓮の主張はこれまでの釈迦の教えは方便であり成道ではないと言う「爾前無得道論(にぜんむとくどうろん)」を言う、日蓮は他の仏教宗派を誹謗(ひぼう)正法(しょうぼう)と批判し、1280年(弘安3年)諌暁八幡抄(かんぎょうはちまんしょう)御義口伝(おんぎくでん)等に四箇格言を言う、四箇格言とは
「念仏無間」「禅天魔」「真言亡国」「律国賊」、因みに無間とは地獄の最下段の世界の事、また誹謗正法流刑や襲撃により日蓮は「法華経の行者」としての主張を強固な意志を示した、これにより信者も増加し・現世安穏(あんのん)後生善処(ごしょうぜんしょ)を祈願し法華信仰の弘通すなわち折伏(しゃぶく)(注4)に努めた、日蓮のもう一つの特徴として法華経の提婆達多品をベースにした「女人成仏抄(にょにん じょうぶつしょう)」を著し、変成男子(へんじょうなんし)ではなく女性そのままの姿で成仏出来ると言い女性救済に尽力したのかもしれない。
これは諸宗批判でなく非難である、他宗派の行だけでなく、法華経だけを肯定選択し法華経以外の経典を否定非難するの言動であり、念仏宗系から訴えられる、幕府による弾圧が行われた、日蓮は斬首の危難に遭うが、結局は佐渡へ流謫された、出身と宗派の初期での発祥が関東である為に比叡山の大衆(だいしゅ)達からの允許(いんきょ)を必要としないで拡張出来たのは京都に比べて弾圧が緩かったとも言えよう。
権力機構に対して「三度の諫暁(かんぎょう)」を行うも斬首を免れたのは、幕府の中に
シンパサイザーsympathizer即ち同調者が存在した可能性もある、日蓮は佐渡に於ける流人生活中で「開目抄」「観心本尊抄」などの代表作は著述された。
叡尊、忍性も説いていたが、日蓮の人気は真実の女人成仏にあろう、日蓮は法華経の提婆達多品を発展させた「女人成仏抄」を著した、これは性転換した変成男子(へんじょうなんし)の成仏でなく、女性そのままの姿で成仏出来ると説いた。   
蒙古襲来の諫暁の適中を言われるが、社会情勢の読むことで可能である、また
1282年療養の為に身延をくだり常陸の温泉に向かうが病状が果たせず、信奉者池上宗仲の館に置いて1013日に満60年の生涯終えた。

同じ法華経を最高経典とする天台宗と日蓮宗の最大の相違は日蓮宗では日蓮を上行菩薩の再来に観ているが、天台宗は認めていない、大変な相違である、法蓮華経如来寿量品第十六に依れば久遠実成の釈尊の強調の他に、上行菩薩を総ての行を完成した菩薩の筆頭すなわち如来と同格視である(注3)
法華経の根幹と日蓮の菩薩思想は一致しており第十五‐従地涌出品・地湧の菩薩と第二十‐常不軽菩薩品・常不軽菩薩である、人気はあるが後から付加された六品の重要度は低い、六品とは 第二十三‐薬王菩薩本事品  妙音菩薩品  ‐観世音菩薩普門品  陀羅尼品  普賢菩薩観発品(~流通分)を言う



注1、 立正安国論(りつしょうあんこくろん)(1260年)   日蓮が北条時頼に提出したプロトコール(protocol)即ち建白書である、略称を安国論と言い、四六駢儷体で著した日蓮の代表的著作である。
意味合いとしては、正法すなわち仏教の正しい教え法華経)を以って国を安泰に導く論書を言う、また関東地方に飢饉、疫病、台風被害、地震などの災害が続出した事に対しての対策書の一面もある。
旅行客(時頼)と主人(日蓮)の対話形式をとり、災害の原因に邪教信仰の代表に法然の浄土教を挙げ糾弾する。

日蓮は浄土教を捨てて法華信仰に回帰するなら、世界は悉く仏国土となる為に災害は絶滅すると言う、即ち正法の樹立を優先させそれが国土の安穏をもたらすと言う。
佛教書ではあるが、飢餓・疫病・等の災害除去の手法として10項目で構成されており1~8までが法華経以外の経文や他宗の批判、9で他国の侵略等、10法華経の正当性など内乱・外圧がテーマの書である、法華経のみを信仰し他の宗派を禁止しないと社会不安・内乱・外敵侵略が起こると時の執権北条時頼に提出したもの。
立正安国論に曰く「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ、然れば即ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰えんや、十方は悉く寶土なり、寶土何ぞ壊れんや、国に衰微無く土に破壊無くんば、身は是れ禅定ならん、此の詞信ずべく崇むべし」要するに偏執の法師とされる人達に述べた。
しかし立正安国論を作成の参考文献は法華経のみではなく・金光明経・大集経 ・薬師経 ・一切経蔵 ・仁王般若経などが利用されている、外敵侵略すなわち弘安の役(1281年)を的中させたとの説があるが、立正安国論日蓮の予測は的中したか?、事件は建白書から14年経過している、予報とか予言は時間と規模度外視すれば概ね当る。  
これが日本以外の国で起これば提出者の命は完全に断たれている。   


2、 四箇(しか)格言(かくげん) 日蓮は言う念仏無間・天魔・真言亡国・国賊」禅宗徒は天魔であり、念仏信者は無間地獄に落ちると言う、この為、臨済門徒の北条一門や浄土宗徒から迫害を受けることに成る。(無間とは地獄の中で最下層の場所で阿鼻地獄とも言い、五逆罪や大乗の非難者が堕ちる場所で極苦の地で、銅が沸き人間を炊き続ける、堕ちるまでの時間は2000年を要する、詳しくは浄土の地獄参照) 、因みに爾前無得道論の爾とは二人称に於いて相手を卑しめる意味を持つ、四箇格言は日本に於いてはルビコン川を渡るような発言と言えよう、因みに仏教に於いて地獄は衆生を導く為の仮説であり存在しない。 

3、 同じ法華経を最高経典とする天台宗と日蓮宗の最大の相違は上行菩薩の再来を日蓮とする日蓮宗と全く認めない天台宗との相違である。

法華経の迹門が終わり本門に入る従地湧出品に於いて娑婆以外の国土からガンジス河八本分の砂の数ほどの「地湧の菩薩」の代表として *上行菩薩(優れた修行実践者) *無遍行菩薩(∞修行の実践者) *浄行菩薩(清浄修行実践者) *安立行菩薩(確立された修行実践者)が挙げられる。()内は法華経、春就社、正木晃から実践者)  
因みに多宝如来の菩薩時代の請願は宇宙の内における仏国土に於いて法華経が説かれる時に塔と共に上記の菩薩等々を引き連れて訪れて賛美する事である


4、 折伏(しゃくぶく)とは折破(せっぱ)(さい)(ぶく)の略で厳しく相手の思想を糾弾して強引に己の思想に誘うことを言いう、また相手の意見を聞き出すと共に優しく説得し洗脳することを、摂受(しょうじゅ)と言う、正確には(しょう)(いん)(よう)(じゅ)という。



説明: C:\Users\Owner\katada202\kyoto\button1.gif             仏像案内     寺院案内    佛教宗派    経典     佛教宗派   



014年11月5日 2017年6月15日 2018年12月11日更新
 


inserted by FC2 system