葛井寺

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寺号は三宝院・金剛林寺と言い寺伝によれば、725年聖武天皇の勅願により行基の創建とされ最盛期には二基の塔をもつ薬師寺式の七堂伽藍を備え古子山葛井寺(紫雲山・金剛琳寺)等と呼ばれた。
当地は古代より百済からの渡来人が多く定住しており、百済の王族の子孫で在原行平・業平を輩出した葛井連
(むらじ)の子孫、または後漢の霊帝の一族とも言はれる。       
葛井寺の本尊・千手千眼観音(国宝)は渡来系の春日親子の作品で十一面に千手の光背
1042臂)を持つイメージを持つ、千手観音の臂は多くは四十二臂である、実際に千臂を持つ「真数千手観音」は当寺と唐招提寺・千手観音、更に・京田辺市の壽寶寺・福井県小浜市の妙楽寺(重文)・紀三井寺の本尊、秘仏像くらいである、この観音菩薩の造像には称徳・孝謙女帝とのスキャンダルを流されて失脚した道鏡と共に日本密教(雑密)の黎明期を構築した僧侶である玄ムの関与が言われている。  
また葛井寺は古くから藤井寺とも呼ばれ西国三十三箇所の五番札所としての賑わいを見せる。


1、行基が創建したと伝えられる寺院は多く存在するが、奈良県・霊山寺 長弓寺   京都府・宝積寺    大阪府・金剛寺  孝恩寺  家原寺 喜光寺 獅子窟寺   滋賀県・金剛輪寺 などと言はれる。

2、 大阪府和泉市栃尾山町にある西国三十三所の第四番札所・施福寺の千手観音は文化財指定はないが、36臂で後部分の左右半円の光背板に実数は定かではないが数百臂が彫られている、木造 漆箔 43,4cm 鎌倉時代。  
 

3行基(ぎょうき) 668749)奈良時代の法相僧で 唯識論の権威、父の高志氏は百済系渡来人。長安に於いて玄奘三蔵に学んだ飛鳥寺の道昭に師事する。(異説もある、新羅僧慧基に学ぶ等)
法興寺・薬師寺を経て山岳修行を行い、聖武天皇から菩薩号を授けられたと言う伝承が有る、彼の元に私度僧が多く集まり民間佛教の伝道と社会事業に尽力する、特に土木技術に精通していたとされる。また行基により創建されたと言う寺は多くあり、彼の指導による仏像・橋梁・堤防・港など多く作られたと言いその名声から多くの伝承を残した。745年 大僧正  また歌の名手で有ったらしく行基の詠んだとされる歌が残っている。    玉葉集  「山どりのほろほろと鳴く声きけば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ」    


真言宗 御室派 紫雲山       所在地  藤井寺市藤井寺1−16−21     п@072−938-0005         

千手観音坐像 脱活乾漆 漆箔 131,3p 天平時代  唐招提寺の千手観音(953臂)と葛井寺の像のみ千(1043臂)の臂を持つ。 毎月18日開扉

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最終加筆日2004816日 2014年5月15日調整 

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