獅子窟寺

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山号を普見山と言い、伝承に拠れば役小角の開基で聖武天皇の勅願により行基(注1が堂宇を建立したとされる。金剛般若窟とも呼ばれ空海も滞在したと言う。
最盛期には12院に及ぶ堂宇を持ち隆盛を誇示したが1615年戦火で壊滅的打撃を受け、現在は瑠璃殿(金堂)・宝林殿(経蔵)・庫裏を残す。
当寺の本尊は国宝・薬師如来で行基の作と伝えられる。

 

注1、行基(ぎょうき) 668749奈良時代法相僧で 唯識論の権威、父の高志氏は百済系渡来人。長安に於いて玄奘三蔵に学んだ飛鳥寺の道昭に師事する。(異説もある、新羅僧慧基に学ぶ等)
法興寺・薬師寺を経て山岳修行を行い、聖武天皇から菩薩号を授けられたと言う伝承が有る、彼の元に私度僧が多く集まり民間佛教の伝道と社会事業に尽力する、特に土木技術に精通していたとされる。また行基により創建されたと言う寺は多くあり、彼の指導による仏像・橋梁・堤防・港など多く作られたと言いその名声から多くの伝承を残した。

745年 大僧正 また歌の名手で有ったらしく行基の詠んだとされる歌が残っている。    玉葉集  「山どりのほろほろと鳴く声きけば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ」  

2、行基が創建したと伝えられる寺院は多く存在するが、奈良県・霊山寺 長弓寺   京都府・宝積寺    大阪府・金剛寺  孝恩寺  家原寺 喜光寺 獅子窟寺   滋賀県・金剛輪寺 などと言はれる。 

高野山真言宗     所在地  交野市私市2387       

    

主な文化財

薬師如来坐像  木造素地 92,9cm 平安時代 飜波式衣文   (がや)一木造


最終加筆日2004811   

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