釈尊から十大弟子の一人・大迦葉を経て二十八伝目とされ禅を標榜する菩提
著名な例を挙げれば、一休宗純が 師の
禅の祖地中国の一例を挙げれば、師である
馬祖「瓦を磨いても鏡にはなりません」
南嶽「座禅で仏になど成れようか」 *
わが国では
当時の建仁寺は比叡山延暦寺
その為密教(台密)を含む天台教学に禅を加えた程度であり、密教の加持祈祷(注5)も行っており天台密教の本覚思想家としての活動部分の方が多かった、(
「赤肉団上に一無位の真人あり。常に汝等諸人の面前より出入りす。未だ証拠せざる者は、看よ看よ」即ち「一無位の真人」の自覚である。
本来の臨済宗の禅は十三世紀鎌倉幕府によって保護された渡来僧であり北条時頼に呼ばれ建長寺の開祖・
また栄西が中国で伝法印を受けたのは
従って禅宗が重要視する祖師の頂相として栄西が奉られている寺は鎌倉では寿福寺、京都では建仁寺の系列寺院に限られている。
日本臨済宗はその後インドの五精舎や中国の五山・
しかし五山の間での政争や為政者との癒着から人事権を簒奪されるなど寺格争いが激しくなり、五山の変更なども繰り返された。
千三百八十六年、足利義満によって寺格が決められ制度として確立された、一例を挙げれば義満以前の大徳寺は五山一の挌にあったが、十刹の九まで下げられ離脱した、また自身が建立した相国寺の寺格を五山に加える為に南禅寺を五山の上に格上げした。
釈尊に帰れと言う宗派に拘わらず各寺院に祭られている仏像も様々であるのは、これも当初建仁寺が兼学道場であった為かも知れない。
しかし室町幕府の時代までは五山は
その後次第に権力機構とは無縁の林下派と呼ばれるグループが台頭、禅宗本来の初心に返った修行・参禅により力をつけ応燈派(大燈派)と呼ばれる勢力を形成、栄西の孫弟子・
現在まで宗教的活動を行っている臨済宗各派の人材は全て応燈関の一派(三名から一字ずつ取った)とも呼ばれるこのグループの後継者で占められている。
特に江戸時代中期に妙心寺から臨済宗中興の祖、すなわち五百年に一人の逸材と言われた
昭和十六年国家の統制により臨済宗の大本山は一番盛んな妙心寺に統一されたが敗戦後に各々の宗派に独立した、現在でも妙心寺派が寺院数で全臨済宗の六割を占めて宗派らしい活動をしている。
相国寺派は末寺に金閣寺(
大徳寺は侘び茶の創設者村田
臨済宗には本山を「ずら」呼びする風習があり・大徳寺を「茶ずら」・妙心寺を「算盤ずら」・東福寺を「伽藍ずら」・建仁寺を「学問ずら」・相国寺を「声明ずら」などと呼ばれていた。
禅宗系に付いて日本では24派が宗派を形成しているとされるが、臨済系21派(大本山21寺)、曹洞宗3派とされる。
臨済宗では葬儀などに「観音経」「大悲心陀羅尼」を読誦する、特に大悲心陀羅尼は意訳すれば呪文であり千手観音の功徳を讃えているが、意味合いは重要視されていない様である、因みに正式名称は「千手千眼観自在菩薩円満無礙大悲心陀羅尼」と長い。
臨済宗から著名な高僧が輩出しているが、一部分を挙げてみよう。
臨済宗の祖*
信徒数約一〇二万人 ・寺院数5,726ヶ寺 本尊 釈迦如来、但し特定されていない。
経典 特定経典はないが *般若心経 *金剛般若経 *楞伽経 等 。
臨済宗各宗派の寺院数 (臨済宗の常識 朱鷺書房 井上暉堂)平成14年文化庁「宗教年鑑」より
宗派 | 寺院数 | 信者数 |
妙心寺派 | 3,406 | 327,487 |
建長寺派 | 406 | 263,300 |
円覚寺派 | 212 | 93,709 |
南禅寺派 | 427 | 36,048 |
方広寺派 | 171 | 18,795 |
永源寺派 | 129 | 15,171 |
佛通寺派 | 50 | 37,900 |
東福寺派 | 365 | 40,000 |
相国寺派 | 93 | 7,445 |
建仁寺派 | 69 | 26,150 |
天竜寺派 | 105 | 89.700 |
向嶽寺派 | 61 | 89,700 |
大徳寺派 | 201 | 51,050 |
国泰寺派 | 35 | 1,680 |
合計 | 5,730 | ≒ 994,435 |
注1、 五山・十刹・諸山・林下、臨済宗寺院のランク付である、当初はインドの五精舎・十塔所の制度を模倣したもので、中国に引き継がれて南宋時代に於ける禅宗寺院に規制と保護を目的として官僚機構を絡めたもので、政治権力者が任命件を行使し、日本では北条家が鎌倉に五大官寺を開山したのを嚆矢とし後に寺挌を現すものとなった。
日本に於いては室町時代初期に採用され曲折はあったが1615年に徳川幕府が五山十刹に対して法度を出し順位は固定された。
公案とは禅宗系、特に臨済、黄檗宗に於いて修行者に覚りに至る道標として、出題された問答(禅)を言う、元来は中国の官庁で出された文書である、著名な公案に「隻手の声」、「狗子仏性」等々がある。
五精舎とはインドの・祇園精舎・竹林精舎・
注2、 公案禅 佛・祖師・の説法、問答を言い、仏法の公理・禅の覚りを目指す。
公案とは禅宗系、特に臨済、黄檗宗に於いて修行者に覚りに至る道標として、出題された問答(禅)を言う、元来は中国の官庁で出された文書である、著名な公案に白隠による「隻手の音声」、「
大徳寺真珠庵・先代住職・山田宗俊師は言う、「禅は思想や哲学ではなく、人間としての
注3、
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注4、 中国禅宗第六祖・大鑑禅師慧能の偈 「菩提本無樹 明鏡亦非台 本来無一物 何処惹塵埃」 菩提本無樹(菩提本樹無し) 明鏡亦非台(明鏡も亦台に非ず) 本来無一物(本来無一物) 何処惹塵埃(何れの処にか塵埃を惹かん) 。
注5、加持祈祷の加持とは加=仏の働きかけを言う、持=行者が「加」を受ける事である。
注6、各宗派内部の序列格式としての寺格制度が定着する。
臨済宗寺院を五山、十刹、諸山、林下に分類した、曹洞宗では「別格寺院」を常恒会、片法幢会、随意会に、「法地(普通寺院)」を1~4にし、その下部に「平僧地」を置いた、浄土真宗では院家、内陣、余間、飛檐、平僧に区分した、さらに複雑な寺格が定められて上納金によって昇進することが出来た、1871年(明治4年)に寺格は廃止されたが現在も教団には残されている。
注7、 金閣寺 銀閣寺の総本山は足利義満が創建した相国寺であるが、相国とは中国に於いては宰相 太政大臣 左大臣の別称であり足利義満とダブらせている、また相国寺には義満の位牌があり「鹿苑院太上天皇尊」と書かれている。
主な寺院と五山 五山叢林(五山を表にし各派の大本山を記す)○印大本山 ●印末寺
、五山の内訳
*五山制度はインドの「天竺五精舎」を模した制度である、因みに精舎を梵語でvihāra(ビハーラ)と言う、因みに「天竺五精舎(天竺五山)」とは、竹林精舎、祇樹給孤独園精舎(祇園精舎)、菴羅樹園精舎、大林精舎、霊鷲精舎が言われている。
寺 挌 |
五山の上 |
① |
② |
③ |
④ |
⑤ |
京都五山 |
天竜寺 |
相国寺 |
満寿寺 |
|||
鎌倉五山 |
|
円覚寺 |
寿福寺 |
浄智寺 |
浄妙寺 |
○大徳寺 京都市北区柴野大徳寺町五十三
○妙心寺 京都市右京区花園妙心寺町六十四
○南禅寺 京都市左京区南禅寺福池町
○天竜寺 京都市右京区嵯峨天竜寺芒ノ馬場
○相国寺 京都市上京区今出川通り烏丸東入る
○建仁寺 京都市東山区大和大路通四条下る
○東福寺 京都市東山区本町十五丁目
○建長寺 鎌倉市山ノ内八
○円覚寺 鎌倉市山ノ内四百九
○方広寺 静岡県引佐郡引佐町奥山
○向嶽寺 山梨県塩山市上於曾
○国泰寺 富山県高岡市太田
○永源寺 滋賀県神崎郡永源寺町高野
○佛通寺 広島県三原市高坂町
●金閣寺(相国寺派別挌本山)北区金閣寺町・
●銀閣寺 左京区銀閣寺町(以上相国寺派)
●竜安寺 石庭(妙心寺派) 京都市右京区竜安寺町
●西芳寺 苔寺(天竜寺派)右京区松尾神が谷町
●妙喜庵 待庵(東福寺派)乙訓郡大山崎村
仏像案内 寺院案内
系列大学 (妙心寺派)
花園大学 京都市中京区西ノ京