正式名称を「
異説もあり定かではないが寺伝に拠れば空海の父である佐伯善通の名を採り806年空海の創建とされる最古の寺である、一説には境内に佐伯氏の祖廟があり善通寺と呼ばれる以前の寺の別当職の家柄とも言われ、白鳳時代の建立が発掘調査により言われている、同じ善通寺町内に仲村廃寺跡があり空海以前から佛教が興隆していた地域と推定できる。
鎌倉時代全盛を誇った伽藍は1340年総て焼失するが、宥範の活躍もあり足利尊氏を始めとする室町幕府の庇護のもとに全山復旧するが、戦国時代に殆どの堂宇を失う、因みに金堂は1685年・御影堂は1831年・五重塔は1884年の再建である。
江戸時代に入り高松藩・丸亀藩の庇護を受け復旧した堂宇が多く残る。
善通寺は・金堂・五重塔・釈迦堂・定行堂を中心とした東院と空海像を本尊とする御影堂のある西院で構成されている、境内は本坊境内と伽藍境内で構成されており、西院すなわち本坊には御影堂の他に護摩堂・宝物館がある。
真言宗発祥の聖地であり空海以来讃岐五大師(注2)と言われる程、多くの大師号を与えられた高僧を生み出している、善通寺の所蔵する国宝に「一字一仏法華経」がある、経文と仏画が交互に書かれた稀有な逸品である、妙法蓮華経 序品一巻 同じく国宝の空海が恵果より与えられたとされる「金銅錫杖頭」がある。
日本最古の祖師巡礼の遍路である四国八十八所第75番の札所として四国霊場の最重要寺院の一院である、四国遍路も当初は善通寺が一番札所であったが畿内からの交通の便から霊山寺が一番札所とされたと言う。
京都市山科区小野御霊町に善通寺派大本山・随心院がある。
注1、弘法大師空海の三大霊跡に 高野山(金剛峯寺) 教王護国寺 善通寺が挙げられる。
注2、讃岐五大師とは 空海(弘法大師)・実慧(道興大師)・真雅(法光大師)・円珍(智証大師)・聖宝(理源大師)を言う、因みに平安以来日本に於いて大師号を授与されたのは22名である。
真言宗 善通寺派総本山 本尊 薬師如来 所在地 香川県善通寺市善通寺寺町
○一字一仏 妙法蓮華経 序品一 紙本著色 巻子装 29.4cm×2124.2cm
○金銅錫杖頭 27.0cm×13.6cm 唐時代 空海請来の錫杖で阿弥陀三尊及び四天王らしい像
●地蔵菩薩立像 木造 115.5p 藤原時代
●吉祥天立像 木造 135.0p 藤原時代
●善通寺伽藍並びに寺領絵図 等など