仏像案内
寺院案内 佛教宗派
経典 戒律 佛教年表 宗教人口
宗教は人類の進化の過程に於いて極めて早期から発生したと言われている、そして現代に於いても強烈な影響力を示している、宗教は文化文明と共にエジプト流域・メソポタミア・インダス・黄河流域など大河流域を中心に発生した、これ等は世界の四大文明と言われる地域である、特に文明社会で生まれた宗教即ち先進国のエトス( ēthos 習俗 行動様式)
”宗教とは”と言う命題に対して、あまりの多様さに、宗教学者の数だけ居ると言う人も居る、因みに宗教学の講座を持ったのはオランダのライデン大学(Universiteit Leiden)で教授はテイーレ(Cornelis Petrus Tiele 1830年12月16日~ 1902年1月11日)であった様である(世界の宗教 ひろさちや 春秋社)。
人間は一部の例外を除き概ね死生観は宗教により決められている、キーワード(keyword)
宗教の持つプレステージ(prestige・威厳)及び権力(国家権力)は言うまでもなく、全ての権力機構は爛熟期を迎えた後に制度疲労や腐敗・堕落及び形骸化を繰り返えしてきた。
宗教の定義として、フランスの総合社会学者、エミール・デュルケム(Émile Durkheim 1858年4月15日~1917年11月15日)の言葉を記述する、「神聖すなわち分離され禁止された事物と関連する信念と行事との連帯的な体系、教会と呼ばれる同じ道徳的共同社会に、これに帰依するすべての者を結合させる信念と行事である」*「宗教生活の原初形態」エミール・デュルケム(岩波文庫・Émile
Durkheim、1858年4月~ 1917年11月15日)
如何なる教団も初期に於いては教理の探究を素直に求める、但し組織を発展拡張させるには俗人を導く為に真の論理を逸脱した方便や行動を求める様になる、結果として一様に堕落の道に進む、これは民族の枠を超えて広がった世界宗教に著しいが、枠内に留まる民族宗教も例外ではない、小室直樹氏は「権力は腐敗する」「絶対権力は絶対に腐敗する」これは洋の東西を問わず政治学の大定理と言う、しかし政治学と言うよりも「機構組織学」に変換できる。
キリスト教の興りはイエスが律法は律法の為では無く人の為にあると言い、神との新しい契約すなわち新約聖書の思想を携えてして頭角をあらわしたのもユダヤ教団内部に於ける律法学者やパリサイ派(Pharisees)
カトリックも魔女狩りや異端審問等非道の限りを行使する、さらにアレキサンドル六世(注10)やパウルス三世の様に己の妾すなわち
また仏教でも出家者だけに偏る仏教即ち小乗を劣る乗り物すなわちヒーナヤーナ(hinayāna・劣乗)等と侮蔑される組織になる、煩瑣な教理に固執し難儀な修行や高邁な哲学に拘る上座部仏教(部派仏教・theravāda)や同系のサルバースチーバーデイン(sarvāstivādin)漢訳で説一切有部等から、法ではなく仏にスタンスを置き、民衆を導く大乗仏教が生まれるが後には教理、学問仏教に変質する、日本でも南都仏教僧の高級官僚化や腐敗などから、天台宗の最澄や真言宗を興した空海が頭角を表わし、それが次第に政治に関与し圧力・武力集団化する様になると、形骸化した天台教学を学んだ人々の中から・浄土宗・真宗、浄土真宗・禅宗系・日蓮宗などが出現したのも同様のことが言える。
これは宗教に限られた現象ではない、政治・官僚制度も同様である、中国の科挙・朝鮮の両斑(注6)、更には日本に於ける過去現在の軍閥・官僚のキャリア制度も腐敗堕落によって形態を歪め国家を滅ぼす危機を招くことになる。
また宗教教団は初期の発展段階に於いて教理に純粋であるが故にカルト的性格を持ち信徒以外の民衆に多大な危害を与える、そして教団は年月をかけてソフト化するが強大な権力を維持せんが為の組織を持つ様になる、権力とはこの上ない恐怖を民衆に与えるパワーである。
また宗教とは飼い慣らしであると司馬遼太郎氏は言う、宗教は主な存在に陶酔し人の判断能力を停止させる効果を持ち妥協なき殺戮を繰り返えしてきた、宗教に飼い慣らされた集団が歴史上に起した事件などは、古くはカナンの地に於いて惨殺を行ったヨシュア(ギリシャ語ではイエスと発音される)から最近のイスラーム国・Islamic State(略称、is,アイシル)・中東紛争・日本に於いてはオウム真理教まで例を挙げれば際限が無い、小室直樹氏はドグマ(dogma)を絶対とし従わせる狂信性があり、ヨシュア記に宗教の恐ろしさ、秘密が隠されているという、現代は宗教から受ける影響が少ない「世俗の時代」と言われるが人間の文化は生まれ育った環境の持つ宗教的遺伝子を失っていない。
宗教=飼い慣らしに付いて上祐史浩・ひかりの輪代表は17年目の告白に於いて「世界観、価値観が変わると善悪が正反対になる‐----」即ち
カルト宗教(cult)の範疇であるが、上祐史浩が出たので麻原 彰晃こと松本 智津夫が率いたオーム真理教を挙げねばならない、バラモン哲学にチベット佛教の好い所取りした教義で殺人事件や人道に
好い所取り、のタームが出てきたが、一神教の場合教義は同一とも言える、「イスラームから見た世界史」(タミム・アンサーリー timim ansary)に依れば”イスラームはキリスト教に敵対するものでも、ユダヤ教に敵対するものでもない、厳密に宗教的信条の体系としてみるなら、イスラームはキリスト教徒と対立するより一致する部分の方が多く、ユダヤ教ではこの傾向が一層強い”----試しに正統派ユダヤ教が定めている食事や衛生、や性行為にまつわる所所のおきてを見れば正統派ユダヤ教と粗等しいと書いている、私見を述べれば一信教は旧約聖書を基本ソフトにしている事にある。
現在まで長く存続している宗教はイスラーム教を除いて事実上消えては新たに発生を繰り返していると言える、ワシントンD.Cを拠点としている民間調査機関であるピュー リサーチ・センター(Pew Research Cente)に依ればイスラム教徒の人口は21世紀後半にはキリスト教徒の人口を上回り世界最大の宗教団体となると言う。
宗教と言う言語は明治時代に英語の”religion”(レリジョン)と訳語として作られた熟語である、1872年(明治五年)頃までは「宗旨」「信教」「宗門」等々にも和訳された、しかしレジジョンの本来の意味は聖書からのもので「繰り返し読む」と言う意味を持つ、これはユダヤ教に於ける教典のト-ラー・ミシュナ・タルムードの流れの中にある「ミシュナ」と同じ意味である、文化的に遺伝子化されたエトスの宗教環境に育ち、生まれながらに決められた教団の信徒である人々には日本人の持つ「宗教」と言う熟語の受容は存在しないのではないか、閑話休題、信仰とは梵語(saṃskṛta)でシュラッダー(śraddhā)と言い漢訳したものと言える。
宗教と歴史を考察するサイドから見れば旧約聖書を基本ソフトに持つセム的一神教に於いては、伝承か一度発生したかの検証が困難な事例を奇跡として取り上げ歴史
宗教は哲学・芸術・文化・道義に大きく貢献した歴史を持つが、信仰は人間を猛進させる紛争の歴史でもある、過去に起った戦争の多くは信仰を凶器化した宗教戦争である、そして宗教戦争は妥協を知らず採算を無視した抗争は凄惨な結末を招く、イマヌエル・カント(Immanuel Kant、1724年~1804年2月12日)は宗教を除外した道徳律の自立を目指したが不首尾の終わった様であると梅原猛氏は言う、また宗教と政治も裏に回りズブズブな所が多い
以上を理解したうえに於いて考察に入る、宗教には神の産物・所有物として崇拝する「使命預言型」(ユダヤ教・キリスト教・イスラーム教)の一神教と、仏教などの仏の境地への到達を目指す「模範預言型」等の分類法があるが、イスラーム教による分類方法によれば宗教には啓典宗教(revealed religion・リビールド・レリジョン)と非啓典宗教とがある、最高経典が明確な合意の基に出来ている宗教と古来より自然発生的に出来上がった宗教とを峻別することが出来る。
セム的一神教すなわち啓典宗教(啓示宗教)にはユダヤ教・キリスト教・イスラーム教の三教を言い、ユダヤ教を母胎とするが聖書の創世記によれば全て(天地・人間・動物他)は神により創作されたものであり三教とも呼び名は違うが同一の神でありイスラーム世界に於いては「啓典の民」(注5)と呼ばれている、従って一神教には儒教、道教、佛教の聖人が集う「三聖吸酸図」の様な表現はあり得ない、因みに一神教の神は「ヘブライズムの神(Hebraism)」とも言い古来パレスチナに住んだヘブライ
これら三教は旧約聖書と言う基本ソフトが共通な宗教であり、ユダヤ教の場合ミシュナ・タルムードに、キリスト教は新約聖書に、イスラームの場合コーランにバージョンアップされて成立したといえる、啓典の定義に付いて小室直樹氏は*イスラムはコーラン、
*キリスト教は新約聖書のマタイ伝、マルコ伝、ルカ伝、ヨハネ伝等の福音書、 *ユダヤ教は旧約聖書のトーラー五書すなわち創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記を言い、啓典は上記以外は無いと言う(日本人のための宗教原論、徳間書店)。
また神との契約であるが、神に隷属する契約は一方的である、一神教は佛教等と比較してnumen(ヌーメン)即ち神威に対する畏敬が強烈であり畏怖と魅惑を強く意識している、ドイツの宗教哲学者、ルドルフ・オットー(Rudolf Otto・1869年~1937年)は神の奴隷的な宗教的感情、畏怖と魅惑と言う異質な両面をNuminose(ヌミノーゼ)と名付けている。(不動明王・下泉全暁・春秋社他)
セム的一神教の共通点を挙げれば1、唯一の神、 2、預言者を経緯した啓示、経典、 3、神が人間に戒律を課す、 4、ただ一度の創造、終末と終末後の来世となる。(イスラーム教「異端」と「正統」の思想史・菊池達也・講談社)
一神教すなわち啓典が固定している宗派は分派は発生するが国境を越えても、エトスの相違が存在しても変質する事は微細であるが、多神教すなわち仏教などでは地域・エトスの相違により変化が著しい、但し宗祖実在の可否を証明する事は難儀である、イエスを例にとれば百年以上にわたり「史的イエスの探求」が行われたが、一世紀にイエスと言う男がパレスチナに居たか実証不可能、教育水準は中の上程度で、活動を6~7年行った酒好きで三十三歳で刑死した男が存在したらしい、またイエスは存在しなかった云々も実証できないと言う、(ゼロからわかるキリスト教 佐藤優著
新潮社)。
一神教すなわち啓典が固定している宗派は分派は発生するが国境を越えても、エトス(ethos 行動様式 習俗)の相違が存在しても変質する事は微細であるが、多神教すなわち仏教などでは地域・エトスの相違により変化が著しい、但し宗祖実在の可否を証明する事は難儀である、イエスを例にとれば百年以上にわたり「史的イエスの探求」が行われたが、一世紀にイエスと言う男がパレスチナに居たか実証不可能、教育水準は中の上程度で、活動を6~7年行った酒好きで三十三歳で刑死した男が存在したらしい、またイエスは存在しなかった云々も実証できないと言う、(ゼロからわかるキリスト教 佐藤優著 新潮社)
閑話休題、経典宗教はオントロジー(ontology)即ち「神の存在が最重要」である、佛教等は神(仏)の存在を否定しても成立するが、一神教では成立不可能である。
ここで聖書に於ける疑問点を1点挙げておく、創世記1章・26節に「我々のかたちに似せて、人を造ろう、そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう」の記述がある、一神教の主に複数形を使用している、これに付いて「ヘブライ語に於ける畏敬の複数形」との釈明があるが、日本に於ける総理の炉心状態が不祥な福島第一原発事故の収束宣言の如く黒を白と言い切る詭弁と同根と言える。
1章・26節はヘブライ人の祖先達に依り語り継がれた古代バビロンのカルデア神話のコピーかも知れない、もう一つ聖書と進化論の関係の説明が難解であろう、進化論に於いて現在と変わらない人類は約40万年経過している、聖書で神が人間を創造されてから約六千年との計算がある。
また少数ながら日本神道の基本ソフトを旧約聖書に求めて研究する人々も存在している。
一方仏教やヒンズー教の場合基本ソフトは同一と言えるが記述に残る教義は輪廻転生・梵我一如以外はなくインド哲学の中に埋没している。
立川武蔵氏は「インドの精神史は六期に分類できるという、詳細を記述すると。(ネパール密教 春秋社)
第一期はBC2500年頃~BC1500年頃 インダス文明の時代。
第二期はBC1500年頃~BC500年頃 ヴェーダ聖典すなわちバラモンの時代。
第三期はBC500年頃~AD650年頃 仏教 ジャイナ教 非アーリア系の時代。
第四期はAD650年頃~AD1200年頃 ヒンズー教の時代。
第五期はAD1200年頃~AD1850年頃 イスラーム政治支配の時代。
第六期はAD1850年頃~現代まではヒンズー教復興の時代。
インドの場合は多神教と言われるが、ギリシャ神話や日本に於ける八百万の神とは意味合いが異なり、ドイツのマックスミューラー(1823~1900年)に依ればインドの土着信仰を「交替神教」(katheno-theisrm)と呼ぶように司祭毎に呼称が違うが同一神との解釈が為されている、因みに内容的にヒンズー教の割合が高い中期密教では大日如来の化身として如来、菩薩、明王、天等が活躍している。
また最高教典が明確な宗教で全能の神の存在を認め全て神との契約(神からの命令と理解した方が正確)により成立しおり、基本的には偶像崇拝を否定する。
ユダヤ教の場合にはトーラー五書、即ち旧約聖書に於ける 1、創世記 2、出エヂプト記 3、レビ記 4、民数記 5、申命記に ミシュナ・タルムード を経典とし断固として偶像崇拝を否定する、閑話休題、旧約聖書とは罪と罰の記録と言われるが、全編に祝福と同程度の呪いが籠められていると菊池章太氏は言う、因みにトーラー五書はモーセが書いたと言う伝承からモーセ五書とも言われている、但しモーセには実在の証拠は皆無と言える。
キリスト教の場合は旧約聖書の部分・福音書、新約聖書のマタイ伝 マルコ伝 ルカ伝 ヨハネ伝などを経典とする、因みにイエスの生涯に付いて前記の四伝に記述されているが内容に相違が見られる。
カトリックの場合建前は偶像崇拝を否定するが事実上は三位一体やマリア崇拝などがあり偶像崇拝は事実上守られていない、但し近年イスラームでもシーアはに於いてモスク(mosque 集会所)に隣接したホメイニ師(聖人)の廟が作られ参拝されており宗派により相違が観られる、イスラームに於いては小さな相違、シーア派に聖人を祀る寛容さがスンニ派には許せない事に為る、両派間にデタント(Détente)は考えられない、閑話休題モーセの十誡は聖書の出エジプト記20章1-17節にありセム的一神教に於いてプライオリテイーの高い条項である、第二誡に於いて偶像崇拝の否定、即ち造像、参拝、仕える事を否定している、因みにモスクは英語であり正しくはアラビア語のマスジド(masjid)と発音すべきである。
キリスト教が事実上イエスを十字架に引き込んだユダヤ教の聖典である旧約聖書を経典に採用しているのは、イエスの存在をオーソライズする為であると山形孝夫氏(宮城学院女子大学名誉教授)は言う、即ちイザヤ書53章でメシヤ登場を予言しており、これを使徒パウロがイエスに相当させた様に言われている。
イスラーム教の場合、コーランが旧約聖書の最終解釈の書でもありムハンマドに神性は無く奇跡は起さない、奇跡を起せるのはアッルラー(神)のみである。
またイスラームではイエスの神性を否定するが預言者として認定している、説明が難解な・イエスの原罪論・三位一体(注8)・マリア崇拝、を含め偶像崇拝(idolatry)は断固否定する、因みにムハンマドはアラビア語でありイスラームの正統言語であるが、ペルシャ語読みではマホメットである、因みにマリア崇拝の根幹はキリスト教発祥以前からギリシャ・ローマ神話に在る様に地中海から中東にかけての女神信仰の文化が存在した為との説もある、また偶像崇拝の引用は無知な衆生を信仰に誘う方便として効果的な手段であった、衆生は霊的な信仰を好み可視可能な姿に目を向ける習性を内包している。
セム的一神教の他の宗教として太陽神信仰(シャーマニズム)から発展したもの等がある。
1.ヒンドウー教 2・仏教 3.神道 4.ゾロアスター教(拝火教) 5、道教、 6、その他・集団救済すなわち共同体に於ける春秋時代の孔子を祖として倫理道徳(四書五経)すなわち帝王の政治、倫理的評価する論語、易経等々に依る儒教 ・シク教(注4) ・ジャイナ教(注3)、佛教、キリスト教等々を融合したマニ教などがある、他に太陽神ミトラスを崇めるミトラ教(Mithraism)と言うesoteris(秘儀)宗教が存在した、キリスト教とローマ帝国に於ける国教のポストを競いながら、影響を交錯したとの説がある、因みにミトラ教とはミトラス教、ミスラス等とも発音し、定かな確証はないが、古代ローマ発祥でミトラスを太陽神として栄えた密儀宗教で阿弥陀信仰や弥勒(Maitreya
日本独自の宗教で神道の他に修験道(注9)がある、因みに儒教の四書五経の四書には・論語・大学・中庸・孟子があり、五経とは・易経・書経・詩経・礼記・春秋を言う、儒教のキーワードは小室直樹氏に依れば科挙すなわち「高級官僚になる為」の宗教と言う、また小室氏は*キリスト教の「キーワードは予定説」、*「佛教は空」、*「イスラームはコーラン」と言う。
仏教はモーセやイエスが興した様な奇跡を否定する、但し「五神通」を認めている、しかし五神通の使用を厳しく戒めていた、五神通とは修験や禅定で得た神通能力を言う、①天眼、②天耳、③他心智、④補作智(自由に移動や姿を変えられる)、⑤宿命通(神通力)を言う、しかし雨乞い会や護摩会もこの範疇に入る。
これらの宗教は教相判釈の相違によつって分裂するものや民族の行動様式が独自の宗教に発展して来た、因みに五神通は通常能力の延長線上にあるもので呪や奇跡とは異なる。
教相判釈(通常は教判と略される)によるのは仏教に於いて行われたもので、ヒンズー教などは行動様式及び、太陽神信仰から由来している。
根本的な相違は啓典宗教の場合には神が天地・人・など全てを創造したものに対して仏教の場合は宇宙真理・教理を釈迦が発見者であって創造者ではない、因みに神道では安蘇谷正彦氏(前国学院大学学長・一瓶塚稲荷神社宮司)の説は天地と共に八百万の神も人間も同時に現れた、との解釈である。
これに付いて小室直樹氏の喩が大変面白い、万有引力の法則はニュートンが発見者であって創造者ではない、釈迦とニュートンの同根性で説明している。
キリスト教はユダヤ教の厳しい律法主義から事実上現世救済の奇跡を行って病を治すとか、ただ神を信ずることのみで良いとする入信しやすい宗教にして多数の民衆(大衆救済)の支持を広め普遍化に成功して世界宗教の根幹となった、但しキリスト教はイエスは人(マリア)の子であり三位一体や、更にカトリックではマリア崇拝があり一神教とは言えない、しかし教義をオーソライズする為にイザヤ書53章12節を拡大解釈してイエスをキリスト即ち救世主に祀り上げている、がユダヤ教やイスラム経を一神教で無くなる為に断固否定している。
仏教にも同様のことが言える、厳しい上座部仏教から大乗仏教が生まれたのもインドに於いて増殖するヒンズー教対策だけではない事が理解できよう。
興隆した宗教組織は概ね例外なく最先端のハイテク技術を駆使して民衆から受け入れられた、キリスト教ネストリウス派とも言える景教も例外ではない、ネストリウス派は植物薬学、鉱物薬学に秀でておりエデッサ修道院は世界最先端の医薬研究所であり、中国名の景教徒は輝かしい唐の文明の一翼を担ったとの記述がある。(中国景教の故地を歩く 彩流社
桑野淳一)
また同一の神を信ずる、ユダヤ教、キリスト教、イスラームの三教は聖書を翻訳された言語の相違からの分裂と言う一面を持つ、聖書は当初ヘブライ語であったが現在は存在しない、当時はギリシャ哲学が特に優れており、ローマ帝国の公用語はギリシャ語であり、聖書もギリシャ語に訳される、しかし民衆の日用語はラテン語であった為に交錯する事になる、従ってユダヤ教も、キリスト教もギリシャ哲学の影響を色濃く受けている、この弊害を熟知したのがイスラーム教のコーランである、コーランは内容を理解し記憶する事は重要であるが最重要な事は、神の言葉とされるアラビア語で唱えられる、即ちアラビア語以外の訳語はコーランと認知されない、脱線するがイエスは日常会話をアラム語で話していたとされるが、アラム語の経典は存在しない、因みにアラム語とはBC600年頃にシリア、メソポタミアで使用されていた言語で現在でもレバノンで使われていると言うセム語系の言語である。
所謂へブル語(ヘブライ)の原典から訳語の相違が生まれ宗派毎の相違が出る。
1、ユダヤ教 へブル語の原典からミシュナ、タルムードが生まれている。
2、カトリック 原典からラテン語訳が用いられ、これをウルガタ訳(一般の)と言う。
3、プロテスタント ウルガタ訳を否定してヘブル語に返れとの運動でもあった。
4、東ローマ帝国 ロシア正教・ギリシャ正教などがあり、古代ギリシャ語訳に新約聖書が付いた。
世界の宗教人口比率を見ると約63億人の内、キリスト教32.9% ・イスラーム教19,9% ・ヒンズー教13,2% ・中国土着信仰(儒教・道教等)6,3% ・仏教5,9% ・ユダヤ教0,2%となる、即ち地球全人口の過半をセム的一神教で占められている、中国に於ける土着信仰の中に儒教・道教があるが、日本仏教に大きな影響を残している、一例を挙げれば日本仏教に於いて真宗連合(浄土真宗など)
世界三大宗教に・キリスト教・イスラーム教・佛教が挙げられている、人口的には佛教はヒンズー教や中国土着信仰よりも人口規模が少ない、しかし地域的観て、また人間にとって普遍的真理を持つ佛教は時代と地域を超えた世界宗教である、因みに世界三大宗教と言う定義は中国と日本に限られている様でWikipediaによると英語などではこれに相当するタームは無い様だ。
現在中国や台湾には
日本は世界で最も外来宗教に対して寛容な国である、1995年日本国籍を取得した作家のクライヴ・ウイリアムズ・ニコル(Clive William Nicol)に依れば、日本は世界で唯一と言える程「宗教からの自由」な国であると言う、即ち非拘束な社会である、この自由は所謂日本教であるが小室直樹氏に依れば、規範、基準、行動に対するマニュアル(manual)が無いと言う事になる、マニュアルが無いと言う主張であるが、日本では僧が妻帯している為に、世界の仏教国が認知する仏教僧は極めて少ないが、優れた「仏教技術者」は多く存在すると言えよう。
平等が必須である日本の国立大学に神学部は無い、しかし世界的には神学部を持たないユニバーステー(university総合大学)は存在しない、また神学部を持たない大学は総合大学と認知され無かった、我らの貴婦人(マリアの事)即ちノートルダム(Notre Dame)を持つ、フランスはフランス革命以後、神学部を禁止したが,ライン川対岸のドイツと帰属が怪しかったストラスプール(strasbourg)には存在する様だ。 (ゼロからわかるキリスト教 佐藤優 新潮社 参照)
総理大臣がクリスチャンであろうと仏教徒であろうと国民全体が関心を示さない、金曜日や日曜日の礼拝に不参加でも後ろめたさは無い、因みに日本にクリスチャンの総理(大平正芳)が誕生しても、外国では報道されるが日本ではマスコミも報道しない。
日本人はアンケートに無宗教と答える人が多い事に対して、養老孟司氏は「無」は諸行無常の無であると言う、無宗教者は世界的には反宗教、無政府主義者と解釈されるが日本人に多く読まれる般若心経には「無」「空」が一割使われていると主張している。
日本人には宗教を選択する自由が与えられている、江戸時代に寺檀制度(Danapati ダーナパテイー)
世界宗教の共通点の一つに数珠がある、数珠はインドを起源としてバラモンでも使用されていた、中村始著・般若経典に依ればバラモンを介して佛教に採用されたと言う、ジャバ‐マーラー(japa-māiā)と言い、japaは念誦を意味しmāiāは輪を意味すると言われる、古代ローマ人などがjapaをジャッパー(バラ)の輪と聴いたと言う、これがロザリオ(ポルトガル語rosario)・ロザリウム(ラテン語rosarium)・ローザリー(英語rosary)・ローゼンクランツ(ドイツ語rosenkranz)などカトリックやイスラーム圏に広がったとの記述がある、但しプロテスタント等は使用していない。
仏教では「
一般社会に於いて組織の長を隠語的に親玉と呼ぶ事があるが、語源は数珠の中心となる最も大きな玉を「親玉」と呼ばれている事からである。
ここで乱暴を承知で、ドイツのプロテスタント組織神学者、パウル・ティリッヒ(Paul Johannes Tillich、1886年8月20日~1965年10月22日)には、罵倒されるかもしれないが、各宗教の相違を表にしてみた。
ユダヤ教:キリスト教:イスラーム教の主な相違点
律法及び神との契約の遵守 ,政教一如 信者としての行動が必要、 ミトラ教と無関係 |
神に対する信仰心が大切で契約にあまり拘らない (隠れキリシタンが可能になる) ミトラ教と洗礼や聖餐の儀礼に共通点 |
信仰は行動で示す、 政教一如、 礼拝・断食
等コーランの厳守、 ミトラ教と融合部分 |
唯一絶対の神・ヤハアウエを信ずる、 |
父なる神、神の子イエス 精霊、三位一体(Trinity)でバランスをとる 予定調和説―― |
唯一アッラーを信ずる(三位一体の断固否定) 原罪論は無い 、モーセもイエス、更にムハンマドも尊敬すべき預言者であるが人間である。 共同体。 |
偶像崇拝の断固否定(神は不可視) |
十字架のイエス像、マリア像など崇拝の対象(特にカトリック) 宗派により神の可視化 |
偶像崇拝の断固否定(神は不可視) シーア派ではホメイニ師の写真を許す等、やや緩い |
旧約聖書・特にトーラー五書(創世記・出エジプト記・民数記・申命記)ミシュナ、タルムードを依典・新約聖書は認めない、肉体から離れた 魂と言う考えは無い |
新約聖書、旧約聖書特に福音書(マタイ・マルコ・ルカ・ヨハ ネ伝)・最後の 審判のあと現世に於ける ( 神の国)での永遠の生命) |
最高位にコーラン、新約聖書の部分、旧約聖書、 (コーランが旧約聖書の最終解釈 の書)モーセ・イエスを預言者としては認めるが神の子とは認めてない。 死後に於ける緑園世界への保証 |
規範の尊重 ミシュナ タルムード |
規範は存在しない |
五行六信の遵守・規範の尊重 |
* ミトラ教とは1~4世紀までキリスト教と競い合った団体で太陽神ミトラ(ミスラ)を信仰する密儀宗教で古代ローマ時代にインド、イランで興隆した、密儀宗教とは宗教儀礼を極秘(秘儀)とした集団でカトリックの秘儀、真言密教の加持祈祷、呪術と同根説も言われる。
*ミシュナとはユダヤ教のラビの口伝集で反復を意味する、タルムードとは口伝律法であるが研究を意味する。
上記三教の共通点を挙げると下記の3点となる。
1、唯一の神(三教同一の神)を崇める。 神は唯一である。
2、神から預言者に下賜される啓示、経典、戒律がある。 預言者の経由する経典第一思想。 神が人に戒律を架す。
3、最後の審判を受けた後に永遠の生命か死を峻別される。 一度限りの創造と終末。
三教をセム的一神教と呼ばれている、セムとはセム語を話す世界を言いアラビア語・ヘブライ語・アラム語などが相当する、ユダヤ教とイスラームの食物規定に共通点は多い、コシャー、コーシェル、カーシェールKasher、等と言い、豚、猪、ウサギ、ラクダ、ヒレとウロコの無い魚は食せ無い。
イスラームのドクター・ムサ・オマール・サイート氏は、キリスト教とイスラーム教の共通点は70%共通と言う、ユダヤ教とイスラームの共通点は更に多くの共通点があると思惟される、宗教は微細な相違で血で血をあらう抗争となる。
仏教
とキリスト教の相違
仏教徒(在家)として最低限の厳守義務に五戒がある、出エジプト記20章・申命記五章に記述されているシナイ契約すなわち「モーセの十戒」の第一戒~第四戒までの神に対する義務と不飲酒戒以外は五戒と酷似している、但しカトリックの公教要理・202 (カテキズム、catechism)に於いて第2戒の「あなたは、いかなる像も造ってはならない」(偶像崇拝の否定)を削除している、是はシナイ契約の破棄とは言えないだろうか。 *シナイ契約(モーセの十戒)の関連は拙サイトキリスト教(注6)を参照願います。
五戒とは 1、不殺生戒 2、不偸盗戒 3、不邪淫戒 4、不飲酒戒 5、不妄語戒 日本に限られる事であるが以上の五戒すら守れない葬儀と法事の際の読経だけを生業とする僧侶は多数存在する。
|
仏 教 |
キリスト教 |
主 (神) |
存在論に拘らない、 仏の存在を否定しても佛教徒と言える |
存在論(ontology・オントロジー)の証明が最重要 全知全能(omnipotent オムニポテント)の主 The Creator・クリエーター |
真 理 |
釈迦が真理を発見 法前仏後 |
神が全て(天、地、人、動物等)を創造 神前法後 |
教祖の死 |
釈迦の自然死・諦め |
キリストの受難・恨 |
行動様式 |
人と自然の調和・共存 |
人間中心の支配・自然をも支配 |
経典 |
最高経典が不明確・無 |
最高経典が明確 |
内容 |
慈悲 |
愛 |
発生環境 |
米作、養蚕農業・農耕民族が多い |
麦作、牧畜農業・狩猟民族が多い |
主と人間の関係 |
釈迦のレベル、即ち覚りへの到達を目指す 理論上成仏は可能 |
神の被造物(creature クリーチャー)で天使と言えども主の水準に到達する事は絶対に無い |
到達点 |
輪廻からの離脱・永遠の死を授かる |
最後の審判後に永遠の生命を受ける |
実在論 |
実在論を否定、永遠の物はなく総てが仮の姿 |
実在論の肯定、神の存在も肯定 |
布教組織 |
組織化された布教活動は一部分を除けば無い |
組織化された強力な布教活動 |
形 態 |
模範預言型 因果説 |
使命預言型 予定説 |
不変と多様性 |
尺間法 使用する用途により変わる |
メートル法 変化する事は無い |
偶像崇拝 |
釈迦の時代すなわち原始仏教では否定 |
否定ただしカトリックは建前のみ否定 |
時間軸 |
宝蔵菩薩が阿弥陀如来に成るのに五劫とされた、 釈尊の |
最後の審判までイエスが、ガリラヤ湖を一周する間使途パウロは急いだ、因みに旧約聖書の天地創造からまだ六千年経過していない、 |
信徒数分布 ()内はキリスト教の合計
地 域 |
カトリック . |
プロテスタント |
英国国教会 |
東方正教会 |
イスラーム . |
ヒンズー教 . |
佛 教 . |
ユダヤ教 . |
その他 . |
ヨーロッパ |
39.2% |
10.6% |
3.7% |
21.8% |
4.4% |
|
|
|
20.3% |
ラテンアメリカ |
88.3% |
9.4 % |
|
|
|
|
|
|
2.3% |
北アメリカ |
29.1% |
51.2% |
|
|
|
|
|
2.0% |
16.6% |
アジア |
(8.5)% |
|
|
|
22.7% |
21.8% |
9.5% |
|
37.5% |
アフリカ |
15.4% |
11.3% |
5.4% |
4.5% |
40.2% |
|
|
|
21.2% |
総 合 |
(32.9)% |
|
|
|
19.8% |
13.3% |
5.9% |
0.2% |
28.1% |
キリスト教徒イスラーム教の歴史・大月書店・浜林正夫より抜粋
次に宗教の救済方法について個人救済と集団救済について表にしてみたい。
個人救済 |
仏教・キリスト教・イスラーム教・道教・ヒンズー教・等 |
集団救済(国家) |
儒教・ユダヤ教 (詳細は小室直樹氏日本人の為の宗教原論参照) |
伝統宗教 |
シャーマニズム |
神道・ヒンズー教等 |
有史宗教 |
民族の族の枠を超えて |
仏教・キリスト教・イスラーム教 等 |
*仏教は仏像や祖師などの肖像を重要視する、三位一体で十字架のイエス像やマリア崇拝を言うカトリックのような例外はあるが、基本的には仏教圏が主に礼拝の対象とする芸術性の高い美術品が発達した、本来の仏教は神が存在し神の僕(しもべ)となる事は念頭にない、人間が覚者(如来・成仏)となる事を最終目的とする、その覚者を敬うことから仏教は美術的な尊像を作るのが信仰の証明となる、青木文化庁長官の意見を借りれば『苦諦の除去(悟り)後にあるものは「無」であり、そこに見出せるものは美』である。
初期の仏教は「仏陀を仏陀たらしめるのは仏陀の肉体ではなく、覚った法にあると考えた」(両界曼荼羅の誕生・田中公明・春秋社)大乗仏教が起こり最初の大乗経典とされる「金剛般若経」に於いては仏陀の姿形(肉体)と一体化すなわち法身を解く様になった。
*仏教は仏像や祖師などの肖像を重要視する、三位一体で十字架のイエス像やマリア崇拝を言うカトリックのような例外はあるが、基本的には仏教圏が主に礼拝の対象とする芸術性の高い美術品が発達した、本来の仏教は神が存在し神の僕宗教には新旧・完成度を含め優劣を付ける必然は無く、個別宗派を称賛や批判するものでも無い、しかし創造神を拝するセム的一神教から見れば佛教は「神不在・魂を所持しない宗教」と映る様である。
*仏教は仏像や祖師などの肖像を重要視する、三位一体で十字架のイエス像やマリア崇拝を言うカトリックのような例外はあるが、基本的には仏教圏が主に礼拝の対象とする芸術性の高い美術品が発達した、本来の仏教は神が存在し神の僕仏教すなわち釈尊の教えは一神教と異なり、信仰勢力の拡大に軍事力を行使しない唯一の世界宗教である、基本的に信仰面に於ける義務を強制される事は無い。
*仏教は仏像や祖師などの肖像を重要視する、三位一体で十字架のイエス像やマリア崇拝を言うカトリックのような例外はあるが、基本的には仏教圏が主に礼拝の対象とする芸術性の高い美術品が発達した、本来の仏教は神が存在し神の僕メートルの単位は不変であり変更は不可能であるが尺間法は多様である、一般に使用された「尺寸法」は「かね尺」であり和裁の場合は「くじら尺」である、昔は尺も「奈良尺」「高麗尺」(こまじゃく)などが存在していた、坪の単位も通常は3,3㎡であるが皮革の1坪は0,3cm×0,3cm=0,09㎡である、またタタミ一帖毎の和室のサイズも京間・江戸間と多様な規格が使用される。
一例を挙げると 京間955mm×1910mm(6尺3寸×3尺1寸5分) 関東間850mm×1760mm(5尺8寸×2尺9寸) 中京間910mm x 1,820
mm(3尺
x 6尺)。
注3、 ジャイナ教 *ジャイナ教、佛教、バラモンとライバル関係にあったアージーヴィカ教(Ājīvika)がある、運命・宿命をトップ プライオリテーとする哲学で、バラモン、佛教、ジャイナ教等と時を同じくし同じ土壌で競い合った古い宗派である、欧米ではジャイナ教は仏教の範疇と観られた時期がある程共通点が多い、宗祖のマッカリ・ゴーサーラ(Makkhali Gosala)は佛教から六師外道の一人にカウントされていた、エローラのローマス・リシ窟はアージーヴィカ教徒の遺跡とされている。
注4、 シク教 シーク教とも言いヒンズーとイスラームの混血的宗教、1469年イスラームに対抗する手段としてヒンヅュー教徒から発生した教派で姓はシンを名乗り生涯髪や髭を剃らずターバンを被る、当時北インド現在はパキスタン・ラホールで興り初代教祖(グル)はナーナクと言い(十六世紀)インド人口の2%弱であるが信徒に富裕層が多い、インド特有の輪廻転生は容認するが、佛教と同じくカーストは否定している、五悪すなわち*傲慢、 *欲望、 *貪欲、 *憤怒、 *執着を戒める、ターバンが著名であるがカールサー派が髪の毛と髭を剃らないで着用している。
注5、啓典の民 イスラーム世界で主に使われる用語で「啓典を与えられている民」を意味し、ユダヤ・キリスト・イスラーム教徒を言う、
一神教の異教徒に敬意をはらった用語で多神教徒と差別している、アラビア語のアフル・アル・キターヴと言い、アフルは民・アルはTheに相当しキターヴは啓典を言う、しかし特にユダヤ教はムハンマドは経典(聖書)を授かっていないとして預言者と認知していない、特にユダヤ、イスラームでは啓典を依経とした律法は生活上の厳然たる掟である。
マニ教、 経典宗教の範疇に入ると思惟される宗派にマニ教がある、ユダヤ教・ゾロアスター教(注2)・キリスト教ネストリウス派(景教)・グノーシスに佛教的な要素をも持っている。
注6、両班 「やんぱん」と言い中国の科挙を参考にした高麗・李王朝に於ける高級官僚並びに支配機構制度を言い文班と武班に分かれる、文班が上位にあり難易度の高い試験が行われたが武班は世襲や選抜制も行われた,時代の経過と共に硬直化して官僚の貴族化が進行した、両班は最高位とされたが試験に合格しなければ数代で資格を失う決まりであったが、実際は温存された。
形態としては、良民には両班、中人、常人が存在し、賤民として奴婢、白丁と分類された。
注7、 預言者と予言者 預言者とは神からの預託を受けた事柄を伝える人を言い、予言者とは呪術者を言う、通常預言者はノア・アブラハム・モーセ・イエス・ムハンマドを言いイスラームにおいてはムハンマドを最後の預言者としている。
注8、三位一体(persona ペルソナ) キリスト教で言われる教えである、父(神)・子(イエス)・聖霊を三位と言い、元来は一体であり、一体の神が三の姿となって現れたものであると言う教理、因みに聖霊とは人間に宿り啓示を与え聖化へと導く立場と国語辞書に記述されている、三位にマリア崇拝を加えると四神教に成る為ユダヤ教徒やムスリムは否定する。
聖書に三位一体に関する記述は無くバチカンの発案と思惟される、三位一体は佛教で言う方便に相当する、三位一体論が無ければキリスト教は成立しない、またムハンマドは三位一体を父なる神・イエス・マリヤの三者と誤解していたと言う書き込みを観る事がある。
注9、修験道。
注10、アレクサンデル6世(Alexander VI, 1431~1503年、教皇在位1492~1503)、教皇は独身でなければ為らないが、複数の庶子が居り、愛人ヴァノッツア・カタネイとの間に生まれたチェーザレ・ボルジアを教皇にしようと画策した。
注11、 徳川幕府はプロテスタントの顧問を持ち、キリシタンの世界戦略を承知していた、顧問には英国人のウィリアム・アダムス(William Adams, 1564年9月24日 ~1620年5月16日)日本名三浦按針とオランダ人・ヤン・ヨーステン・ファン・ローデンステイン(Jan Joosten van Lodensteyn
(Lodensteijn) ,1556年~1623年)は日本人を妻に持ち耶楊子と名乗る、 家康の信任は厚く江戸の八重洲に屋敷を授かる、因みに八重洲はヤン・ヨーステンの日本読みである、余談であるが八重洲通り平和の鐘モニュメント前にヤン ヨーステンの記念碑がある、八重洲とはヤヨースが訛ったと言われている、島原の乱の時幕府の依頼を受けたオランダは軍艦を派遣し島原軍(カトリック)に艦砲射撃を行う、これ等により長崎貿易を一国だけ許可された。
最終加筆日2004年8月14日 2005年1月4日 9月8日 2006年10月2日宗教と歴史 2007年3月12日ゾロアスター教一部 11月5日比較表一部 2008年7月9日 偶像崇拝 2013撚月30日六師外道 2014年8月16日
2,3、9月10日宗教のキーワード 10月3日地域性 2015年2月11日一神教の共通点 11月25日十戒 2016年6月26日死生観 12月3日 2017年4月16日 7月8日 7月10日 10月24日注11 2018年1月10日 1月18日
6月6日 7月29日 2019年5月3日 1月16日 2021年3月2 日 6月2日 12月5日 2022年8月1日 2023年4月25日加筆