専修寺
専修寺は真宗高田派の寺で親鸞を祖とする宗派で直弟子の真仏を介して宗祖と強固な結縁を持ち、蓮如の登場までは佛光寺派と共に浄土真宗を凌いで、最も栄えた寺である、因みに浄土真宗の様な血縁はない。
本山を三重県津市一身田町に置かれる。
本寺を栃木県真岡市高田に置かれている、住職は高田派法主が兼務する、因みに本寺即ち下野の国の専修寺は親鸞著作の「漢語聖教 和語聖教」の原本や写本など”親鸞図書館”と言われる程豊富な資料を有していた。
本山は伊勢地方をはじめ三河、越前など全国に六百五十ヶ寺の末寺を持ち、真宗寺院特有の伽藍で塔は存在しない、仏像も「証拠の如来(阿弥陀如来)」以外に鑑賞する仏像はないが、壮大な伽藍群は見事で一度は訪れる価値があろう。
室町時代中期に高田派第十世真慧が伊勢を中心に興し北陸、東海地方に布教活動の地盤を築いた、当初は無量寿院を呼称した、しかし教団の本丸であった高田の専修寺が1645年(正保二年)戦火で焼失するなどがあり、1548年(天文17年)には事実上の本山業務を移設し寺名も専修寺と改称した、凡そ十万u(二万八千坪 東京ドームの約二倍)の広大な境内に巨大な御影堂と如来堂、太子堂などが並ぶ、因みに専修寺のに於ける寺名の由来は浄土真宗のキーワードとも言える”専修念仏”に由来する。
本山は親鸞真蹟を数多く所蔵しており、国宝の親鸞筆「三帖和讃」3冊と同「西方指南抄」六冊、重要文化財の親鸞自筆消息十巻「善信上人絵詞伝」五巻などがある、また如来堂と御影堂が国宝指定を受けた。
本寺は栃木県の高田にあり、山号は高田山と言い、高田派教団発祥の地である、寺伝に依れば親鸞が関東地方を教化中に感得した一光三尊仏を本尊としている、1226年
(嘉禄二年)に創立し、境内は親鸞の宗教遺跡として国指定史跡を受けている。
専修寺は真宗教団連合すなわち真宗連合に所属しておりメンバーは
注1、 主な寺院 (真宗十派) 真宗教団連合
*浄土真宗・本願寺派 本願寺 京都市下京区堀川通り 如信・覚如(血脈) (西本願寺--通名)浄土真宗・本願寺派も第二次世界大戦以前は真宗を呼称していた。
*真宗・大谷派 真宗本廟 京都市下京区烏丸七条上ル 如信・覚如(血脈) (東本願寺--通名)真宗本廟の呼び名は親鸞の孫娘である覚信尼が大谷廟堂を興した事に関連がある。
*真宗・高田派 専修寺 本山 三重県津市一身田町 真仏 (法脈) 本寺 栃木県真岡市高田1482
*真宗・佛光寺派 佛光寺 京都市下京区堀川七条上ガル 真仏
*真宗・興正寺派 興正寺 京都市下京区堀川七条上ガル花岡町 真仏‐‐蓮教、蓮秀
*真宗・木辺派 錦織寺 滋賀県野洲市木部826 如信・覚如・存覚
*真宗・山元派 証誠寺 福井県鯖江市横越町 親鸞に義絶された善鸞系
*真宗・出雲路派 毫摂寺 福井県武生市清水頭町 親鸞に義絶された善鸞系
*真宗・山門徒派 専照寺 福井市みのり2丁目3−7 如導
*真宗・誠照寺派 誠照寺 福井市本町3丁目2−38 道性
真宗高田派と仏光寺派は親鸞の弟子「真仏」が興した処で、法脈を継いでいたが蓮如が登場するまで本願寺を遥かに凌ぐ勢いであった、この内高田派の専修寺は「本山」と「本寺」の二寺がある、本山は三重県津市一身田町の専修寺、本寺は栃木県真岡市高田1482にある、真仏に付いては親鸞の「直弟二十四輩」と言う二十四人の直弟子がいたが2に相当する。
本寺は親鸞が流罪中に活躍した拠点であったらしい、本山は神宮(伊勢)の念仏信徒との関連が強い様である、専修寺は本山と本寺の二寺があるが曹洞宗の場合は寺格が同じ大本山が二寺ある、福井県吉田郡の吉祥山・永平寺と神奈川県鶴見区の諸獄山・総持寺がある。
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1、 山門 間口20m、奥行9m、高さ15.5m 2、 如来堂(阿弥陀如来安置”証拠の如来”)国宝 3、 御影堂(1704年 親鸞像安置 国宝)