泉涌寺
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創建時は法輪寺を呼称したが、後に仙遊寺となり鎌倉時代
当寺中核の仏殿には過去、現在、未来すなわち阿弥陀如来、釈迦如来、弥勒如来で構成する三尊の如来が安置されている、文化財は国宝、「泉涌寺
俊芿自筆とされる「泉涌寺勧縁疏」は伽藍造営を目的とし、資金を皇室や北條一門など諸方面に求めた
更に観音堂の楊貴妃観音は、俊芿の後継で第二世・湛海が宋から将来した尊像で請来仏の内でも特に耽美さを魅せる美しい観音菩薩である。
境内には帝達が帰依された雲竜院(重文の本堂に薬師三尊像)、西国三十三所(15番)今熊野観音寺、運慶 と湛慶の共作と言われる542,4cmの釈迦如来像(重文)を持つ戒光寺、新善光寺、逆手来迎印や宝冠をかぶる阿弥陀如来の悲田院、二十五菩薩(重文)を従える阿弥陀如来の即成院、空海ゆかりの独鈷水のある来迎院等多くの塔頭寺院がある、また京都十三仏霊場(があり六番札所となっている、2014年7月に新たに塔頭の戒光寺が霊場に加わった。
江戸時代には天皇家の菩提寺として幕府の保護も篤く寺領は1300石余であった、1668年(寛文8)には徳川家綱によって伽藍がリニューアルされ安定した状態を保つことが出来た、しかし明治維新の神仏分離令によって天皇陵は泉涌寺から切りはなされたが、現在に於いても皇室の私的参詣は継続されている。
しかし現在に於いても霊明殿や海会堂には歴代天皇の位牌等が奉られており宗派を超越したプレステージ(prestige)が揺らぐ事はない。
泉涌寺の文化財
国宝
○泉涌寺勧縁疏-俊芿筆。俊芿が、荒廃した寺院を「泉涌寺」と改名して再興を目指し、人々の喜捨を求める趣意書で、泉涌寺建立の起源にかかわる歴史上重要な文書である、また黄山谷流の書風で書籍としての評価がも高い。
重要文化財
●大門 四脚門 切妻造 本瓦葺き 桃山時代
●開山堂 開山塔 宝形造 桧皮葺 江戸時代
●仏殿 桁行五間 梁間六間 袴腰 入母屋造 本瓦葺 江戸時代
●石造無縫塔 二基
●道宣律師 元照律師像 絹本著色
●俊芿律師像 絹本著色
●後陽成院像 絹本著色 狩野孝信筆
●観音菩薩坐像(楊貴妃観音)木造 韋駄天立像、伝月蓋長者立像
●中御門天皇宸翰大円覚心照国師号勅書
●太刀銘大和則長
●法華経 10巻
雲竜院 薬師三尊 悲田院 逆手来迎印の阿弥陀如来 楊貴妃観音堂 楊貴妃観音(聖観音)
* 写真は泉涌寺公式サイトから転写