百済寺(ひやくさいじ)

 

                 仏像案内    寺院案内     最澄    天台宗

山号を釈迦山と言い寺伝に拠れば606(推古14年)の創建とされる、湖東三山では一番古い歴史を持ち近江地歩でも最古級の古刹である。
百済の僧・慧聡(えそう)道欣(どうごん)観勒(かんろく)の為に聖徳太子により創建されたと言う、因みに太子創建伝承を持つ寺は日本では四十八寺〜数百寺に及ぶと言われる。

本堂に安置されている本尊十一面観音(秘仏)は聖徳太子の作という伝承があるが江戸時代の大修繕を勘案しても飛鳥時代の作風とは程遠く奈良時代を上回ることはないと感じられる、渡来人系の多い地域柄でもあるのか堂宇は百済の龍雲寺をモデルに創建され「くだらでら」とも呼ばれた、当寺は木曽義仲の挙兵に協力した事で寺領を増やした、最盛期には「湖東の小叡山」とも言われ七堂伽藍を擁し、楼門・回廊に囲まれた本堂・五重塔・阿弥陀堂・太子堂・愛染堂・鐘楼・経蔵等、千を数える堂宇を持ち千三百の僧侶が居たとされる、比叡山に次ぐ堂宇と多くの人材を持つ寺を、宣教師ルイス フロイスをして「地上の天国」とまで言わしめた楽園は「近江を制するものは天下を制す」と言われ、軍事、経済、文化面での重要拠点である。 
百済寺は以前から織田信長と敵対する六角義賢と通じていた様で比叡山と共に織田信長と敵対し攻撃を受け灰燼に帰した。
 

しかし本尊は避難して所滅は免れるが破損が著しかったと言う、江戸時代に幕府や井伊家の庇護を受け山門・本堂などが復旧し、本尊も宮大工の手により修復されたと言う。 

安時代最澄が頭角を顕した頃当寺も天台宗に所属し西明寺金剛輪寺と共に湖東三山の内最も南に位置している、三山中の最古刹で湖東の小叡山とまで呼ばれた。 

 

  天台宗      所在地  滋賀県東近江市百済寺町323    0479461036       本尊 十一面観音菩薩      住職  濱中亮明


●金銅唐草文磬(からくさもんけい)          一面
●日吉山王神像  絹本著色  一幅 

●妙法蓮華経入  紺紙金泥 黒漆蒔絵函
●毘沙門天立像  木造  92.0cm 室町時代 造立願文
●懸仏      木造銅板仕上げ 37.0cm  室町時代 他
 

1、 湖国十一面観音霊場 滋賀県に於いては十一面観音の故郷とも言える程多くの寺院が有り、湖南東方面・大津・守山市を中心に11寺で構成されている。   

1、 園城寺       2、 盛安寺       3、 聖衆来迎寺    4、 福林寺       5、 東門院       6、 正福寺  7、 伊勢廻寺      8、 櫟野寺       9、 石馬寺       10、百済寺       11金剛輪寺  



                     

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