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山号を
「しゃくどうじ」であるが地元では「いしみち」と呼ばれている、ご詠歌には”こけふかき いしのみてでら たずねきぬ よよにくちせぬ のりのしるしを”と詠われる。
平安時代初期、衰退していた古刹を最澄が十一面観音・持国天・多聞天を安置し延暦寺の別院として再興したと伝えられる、最盛期には湖北の比叡山とも言われて己高山五山に一寺に数えられた。
天台宗の名刹もその後衰えを見せるが1354年に護国寺(京都)の「源照」が再興し医王寺等と共に湖北地方に於いて真言宗の寺として豊山派の橋頭堡となる。
石道寺は天台密教のメッカとして栄えた己高山七大寺の一寺であったが19世紀後半火災や土石流で堂宇を失う、大正時代に己高山から「いしみち」に移設された寺であるが、観音信仰の郷である高月町、木ノ本町周辺には二五尊を超える観音菩薩が郷人により度重なる戦火を超えて守られてきており、石道寺を始め向源寺、西野薬師堂(充萬寺)、赤後寺(日吉神社境内)、雨森芳州庵、己高閣、医王寺等鄙びた庵に於いて狭い地域の内で観音巡礼をすることが出来る。
湖北地方の寺は井上靖氏が随筆や小説(星と祭り)・白州正子氏等も取り上げている。
当地を訪れ石道寺の十一面観音とよく似た表情の村人と挨拶を交わすと必ず「いしみちへようこそ」と言われ心が和む。
所在地 伊香郡木ノ本町石道 真言宗豊山派
注1、己高山五山と言われた寺は 石道寺・法華寺・観音寺・高尾寺・安楽寺を言う。
主な文化財
石道寺
●十一面観音立像 木造(欅一木造)彩色 173,2cm 藤原時代
●持国天立像・多門天立像 木造彩色 玉眼 各182,7cm 藤原時代
●種子刺繍幡 14流
高尾寺十一面観音 木造彩色 101.6cm 藤原時代
付近の文化財
充満寺
●伝薬師如来立像 木造漆箔(欅) 159,4cm 藤原時代
●十一面観音立像 木造漆箔 166,7cm 藤原時代
赤後寺
●千手観音立像 木造漆箔 173,6cm 平安時代
●菩薩立像 木造漆箔 182,8cm 藤原時代
医王寺
●十一面観音立像 木造漆箔 145,4cm 藤原時代
医王寺
●十一面観音 木造漆箔 145,4cm 藤原時代
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最終加筆日2004年10月22日 2017年4月4日