仏像案内 寺院案内
山号を松峰山と言う、寺伝によれば聖武天皇の勅願により741年行基の開創と伝えられるが定かでは無い。
その後衰退したが延暦寺の円仁が密教の道場として再興し、宇多源氏の流れを汲み近江守護職の佐々木道誉一族が修復に関与する,最盛期には百棟を超える堂宇を擁したが宗徒に武装集団を擁した事から信長に焼き払われたが天平大悲閣と呼ばれる本堂や三重塔・二天門が延焼から免れた。徳川幕府の援助で復興し12院僧侶50名の所帯を有したが明治の廃仏毀釈で明寿院一坊のみを残して僧侶も還俗した。
金剛輪寺の本尊の伝承は聖武天皇の勅願になる行基作とされる聖観音菩薩(秘仏)で「血染めの観音」とか「生身の観音」言われ荒彫りの菩薩である、また室町時代には天台宗の西山流の道場として栄えた。
国宝の本堂は大悲閣とも呼ばれ天台系和様建築の代表的堂宇である、外陣の扁額「金剛輪寺」は聖武天皇の宸筆との伝承があるが定かではない、境内は湖東三山の一つに数えられ本坊明壽院の池泉回遊式庭園は名勝指定を受けている。
注1、 金剛輪寺及び西明寺と共に湖東三山に数えられるのが、愛知郡愛東町の
注2、
法興寺・薬師寺を経て山岳修行を行い、聖武天皇から造東大寺大勧進の宣旨を授かり尽力し菩薩号を授けられたと言う伝承が有る、彼の元に私度僧が多く集まり民間佛教の伝道と社会事業に尽力する、特に土木技術に精通していたとされる。また行基により創建されたと言う寺は多くあり、彼の指導による仏像・橋梁・堤防・港など多く作られたと言いその名声から多くの伝承を残した。745年 大僧正 また歌の名手で有ったらしく行基の詠んだとされる歌が残っている。 玉葉集 「山どりのほろほろと鳴く声きけば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ」
注3、行基が創建したと伝えられる寺院は多く存在するが、奈良県・霊山寺 長弓寺 京都府・宝積寺 大阪府・金剛寺 孝恩寺 家原寺 喜光寺 滋賀県・金剛輪寺 などと言はれる。
注2 湖国十一面観音霊場 滋賀県に於いては十一面観音の故郷とも言える程多くの寺院が有り、湖南東方面・大津・守山市を中心に11寺で構成されている。
1、 園城寺 2、 盛安寺 3、 聖衆来迎寺 4、 福林寺 5、 東門院 6、 正福寺 7、 伊勢廻寺 8、 櫟野寺 9、 石馬寺 10、百済寺 11、金剛輪寺
その他湖北地方には向源寺・石道寺・鶏足寺・医王寺・充満寺・知善院(長浜市)・善隆寺(西浅井)等に優れた十一面観音が安置されている。
天台宗 所在地 愛知郡秦荘町字松尾寺874 п@0749−37−3211
主な文化財
○本堂(厨子一基) 桁行7間 梁間7間 入母屋造 桧皮葺 室町時代
●阿弥陀如来坐像 木造漆箔 141,2cm 藤原時代
●十一面観音立像 172,2cm 藤原時代
●四天王立像 木造彩色 持国天155,5 増長天147,0 広目天148,3 多門天155,5cm 藤原時代
●不動明王立像 木造彩色 162,3cm 鎌倉時代
●毘沙門天立像 木造彩色 171,2cm 鎌倉時代
●慈恵大師坐像(二尊)木造彩色 玉眼 83,3 82,7cm 鎌倉時代
●二天門 桁行3間梁間1間 入母屋造 桧皮葺 室町時代
●三重塔
3間 桧皮葺 室町時代
●大行社本殿
●銅磐
●大黒天 半跏像
最終加筆日2004年8月23日 2006年10月19日