山号を龍応山と言い、池寺とも呼ばれ百済寺・金剛輪寺と共に湖東三山の一寺であり参道ブリッジの下を名神高速道路が貫けている、琵琶湖周辺すなわち湖東から湖南に到り現在に於いても善水寺から櫟野寺周辺まで天台宗の牙城とも言える処である。
後白河法皇撰の「梁塵秘抄 」253、には「近江の湖は海ならず、天台薬師の池ぞかし、何ぞの海、常楽我浄の風吹けば、七宝蓮華の波ぞ立つ」が挙げられている。
寺名の由来は寺伝では三修と言う僧が琵琶湖西岸を散策中に湖から紫雲が光り薬師如来が出現したと言う、因みに空海も滞在し日本人留学生が集まり玄奘も関連したとされる長安の西明寺とは特に関連はない。
西明寺は勅願寺であり、834年仁明天皇の勅命を受けての創建と伝えられる、最盛期には僧侶修行及び国家鎮護及び庶民安穏祈願の道場として栄え17の堂宇と300の僧坊が存在したとされる、織田信長の兵火にあい本堂・三重塔・二天門を除く諸堂を失うが徳川家より寺領を寄進され再興する。
本尊は薬師如来(秘仏)でそれを安置する国宝の本堂は瑠璃殿と呼ばれ鎌倉時代の建築とされ諸仏が拝観しやすく配置されている、これを五木寛之氏は「篤い信仰が生んだ仏像ミュージアム」と言う、。
また国宝・三重塔内は顕密が渾然と一体化した世界が存在する、金剛界の大日如来一尊と、鎌倉時代の作品で巨勢派の作とされる壁画があり、法華経二十八品をテーマにした法華曼荼羅図(法華経変相図)や金剛界の三十二菩薩など諸尊が画かれて美しい、この絵画は塔とは別に重文指定を受けている。
本堂であるが広島大学大学院教授の安嶋紀昭氏に依れば須弥壇前の柱二本に描かれている菩薩像(法隆寺 玉虫厨子と同時代)が赤外線撮影等の調査で七世紀の作と結論付け注目が集まっている。
当寺は日時を選べば観光ではなく巡礼の雰囲気を持つ寺として貴重な名刹と言える。
西国薬師を巡礼する霊場に薬師如来を本尊とする四十九寺が参加しており、西明寺は三十二番札所となっている。
当寺の釈迦如来像は奝然が請来した瑞像で清凉寺に安置され、百尊以上存在する模刻の一尊であるが、西大寺・唐招提寺の像と共に佳作である。
名勝庭園の指定を受けている蓬莱庭と呼ばれる庭園や宝塔、燈篭の美しい。
天台宗 所在地
滋賀県犬上郡甲良町字池寺26 ℡ 0749-38-4008
西明寺の主な文化財
○本堂 桁行7間 梁間7間 向拝3間 入母屋造 桧皮葺 鎌倉時代
○三重塔 3間 銅板竪板葺 H23,7m 鎌倉時代頃の傑作
●薬師如来立像 161,2cm 鎌倉時代 本尊
●釈迦如来立像 木造彩色(清凉寺式)134,8cm 鎌倉時代
●不動明王三尊 木造 不動85,7 矜羯羅88,0 制吒迦 84,6cm 藤原時代
●伝・多門天立像 木造 117,6cm 藤原時代
●伝・広目天立像 木造 118,8cm 藤原時代
●二天門(八脚門)桁行3間 梁間2間 入母屋造 桧皮葺 室町時代
●十二天像 12幅 絹本著色 掛幅装 各87,6:39,4cm 鎌倉時代
その他・日光・月光菩薩 ・十二神将 ・阿弥陀三尊 ・元三大師 ・親鸞 等の尊像が安置してある。
注1、法華経変相図とは法華経八巻・二八品を図表に表わした画。
注2、清凉寺模刻釈迦如来像の主な重要文化財指定作品
清凉寺釈迦如来は唐請来佛で、頭部は螺髪ではなく縄状の渦巻きで像内に五臓六腑が内臓されており唐の医学水準の高さが覗える、戒律を重要視する奈良佛教の復興活動中で模刻像では最も多く造像され、広範囲に分布しており全国で100余尊が存在している。
奈良県・ ●西大寺 167,0cm ●唐招提寺 166,6cm ●大善寺 168,1cm 室町時代
神奈川県・ ●極楽寺 158,5cm ●真福寺 161,8cm ●称名寺 160,6cm
京都府・ ●西明寺 51,5cm
●平等寺 76,7cm ●常楽院 97,0cm ●三室戸寺 154,0cm
滋賀県・ ●延暦寺 79,3cm ●西明寺 134,8cm寺 ●荘厳寺 132,0cm
愛媛県・ ●宝蔵寺 163,6cm
大阪府・ ●延命寺 156,5cm
東京都 ●大円寺 163,9cm 鎌倉時代の作品等々がある。