永保寺

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志野・黄瀬戸・織部・瀬戸黒・焼の茶陶を生み出した美濃焼き地、現在の岐阜県多治見市に永保寺はある、山号は虎渓山と言う、 虎渓の呼び名は当地が現在世界遺産の指定を受けている中国廬山(ろざん)の虎渓に似ていることから夢窓疎石(むそうそせき)によって銘々された、因みに廬山とは禅宗の古刹が集合している奇絶雄大で秀麗な山岳地。
禅門
の名刹永保寺は1313年この地方の豪族・土岐氏の招きをうけた夢窓疎石が三年ほど庵居し、ここに禅寺を創建して観音堂を建てたことを嚆矢とする。
1317
年夢窓は同門の仏徳禅師
((げんの)()本元(ほんげん)に寺を譲り京に帰る、従って開山は仏徳とされている、1335年夢窓が臨川寺(京都)創建と共に永保寺に寺名となる、また1339年光明天皇から勅願寺を拝命する。
南禅寺の正的庵の末寺で五山派寺院として発展し江戸時代には末寺28寺を持つ程になる。
その後五山派は衰えるが妙心寺派すなわち応燈関派の白隠慧鶴(はくいん えかく)の流れを持つ春応禅悦(しゅんおうぜんえつ)(霊機神応禅師)が僧堂など復興している。
現存する開山堂と観音堂(本堂・水月場)は室町建築象徴的存在で国宝に指定され、開山堂には元翁本元(げんのうほんげん)と夢窓疎石の像が於かれている。
夢窓や元翁の墨跡などの文化財を所蔵している、庭園造りを好む夢窓疎石の池泉回遊式庭園(注2)の代表作で、臨済宗が貴族化された時代の建造である、観音堂前と臥竜池(がりょうち)と呼ばれ池に反り橋の無際橋(むさいきょう)が懸かる名庭であり国の名勝に指定されている、「山水には得失なし、得失は人の心にあり」夢窓疎石の言葉であるが覚りに入る為の環境設定としての作庭であろう。
庭園の内で素晴らしい情景は岩山の上に建ち池に投影される六角堂梵音巌(ぼんのんがん)(霊擁殿)が見事で千体地蔵が祀られている。
現在は雲水が修行する南禅寺派の専門道場である、目立たないが
庭園には、賓頭盧(びんずる)尊者Piṇḍola Bhāradvāja ピンドーラ・バーラドヴァージャ 注1像がある。 


注1、 賓頭盧(びんずる)尊者(そんじゃ)  ビンドラ・バラダージャ頭盧跋羅堕闍(びんずるばらだじゃ)、梵語のPiṇḍola Bhāradvāja 中国の音訳では賓頭盧頗羅堕ともなる)、博識で慈悲深いが十善を尊重した、説法が異論反論に対して許さず、吠えるライオンに形用され獅子吼(ししく)第一と称される、十六羅漢の筆頭尊者で部派仏教では最上席の羅漢である、大乗佛教では文殊菩薩に従う尊格とされている、日本では病平癒の信仰から「おびんずる様」(お賓頭盧)として親しまれている、体の欠陥箇所を撫でると病が快癒するとして信仰されて寺の前に安置されている。



 臨済宗 南禅寺派     所在地  多治見市虎渓山町1-40                

主な文化財

○観音堂(水月場) 桁行梁間5間 入母屋造 桧皮葺  室町時代    1314年夢窓国師建立 年建立      

○開山堂(僊壺堂) 桁行梁間3間   附 宝篋印塔(ほうきょういんとう)  入母屋造 桧皮葺 室町時代  1352年建立 純正唐様 

●千手観音像画  絹本著色 掛幅装 190,9105,8cm  室町時代(南宋) 東博寄託

1、宝篋印塔 「宝篋印塔陀羅尼」と言う経典を収納する為の塔で方形をしており各面に梵字が刻んである、江戸時代には墓標として使用された。

注2、 夢窓疎石の設計による庭園は永保寺の他に*瑞泉寺(神奈川) *覚林寺(山梨) *西芳寺(京都) *天龍寺曹源池(京都)などがある。 
    日本に於ける主な庭園様式に*池を中心にした「池泉回遊庭園」、*極楽浄土を観想した「浄土式庭園」、*白砂に波紋をつけ水を表現した「枯山水」などがある。 

注3、十六羅漢とは
(1)賓度羅跋囉惰闍(びんどらばらだじゃ)、(2)迦諾迦伐蹉(かなかばっさ)、(3)迦諾迦跋釐堕闍(かなかばりだじゃ)、(4)蘇頻陀(そびんた)、(5)諾距羅(なくら)、(6)跋陀羅(ばっだら)、(7)迦理迦(かりか)、(8)伐闍羅弗多羅(ばざらほったら)、(9)戍博迦(じゅばか)、(10)半託迦(はんだか)、(11)囉怙羅(らこら)、(12)那伽犀那(ながさいな)、(13)因掲陀(いんがだ)、(14)伐那婆斯(ばなばし)、(15)阿氏多(あした)、(16)注荼半託迦(ちゅうだはんたか)をいう。

  

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