永澤寺

        説明: C:\Users\Owner\katada202\kyoto\button1.gif               仏像案内   寺院案内     臨済宗  黄檗宗    曹洞宗    禅宗系



曹洞宗を興隆させたと言える傑僧、通幻寂霊(つうげんじゃくれい)1322年~139167日)を開祖とする曹洞宗の古刹である、青原山永澤寺(せいげんさんようたくじ)1370年頃に後円融天皇の勅命により七堂伽藍を建立された。

諸嶽山(しょがくざん)総持寺神奈川県鶴見区2-1-1)が能登に存在した頃からの曹洞宗大本山の直末(じきまつ)の寺である、多くの弟子を育て曹洞宗の礎を築いた通幻が関連した寺院は八千九百ヶ寺を数え通幻派を総和会といい、曹洞宗がわが国で最大級の宗団になる基になったのである、因みに永平寺系の寺を有道会と言う。

本尊は釈迦如来 大日如来 阿弥陀如来の釈迦三尊が安置されている

伽藍は1778年に再建された本堂、開祖堂、庫裡、接賓、書院の他に、昭和40年の台風で崩壊した後に再建された勅使門、玉兎門、金鶏門、山門(仁王門)、妙高閣で構成されている、また境内地は五万㎡に及び寺有林は40町歩以上を有している。

永澤寺には勢山社の大仏師、渡邊勢山氏の手に成る近年新しい仏像が多く造像され総高 9.2mに及ぶ巨大な観音菩薩像などが安置されている、また金剛力士は山門の左右を固めるのであるが、永澤寺の場合は境内の中外で四尊の金剛力士が置かれる、外部からは通常の憤怒相・仁王尊であるが、境内側からは仁王の本心か?優しい尊格の対比が面白い、因みに金剛力士の呼称であるが、阿形=那羅延堅固(ならえんけんご)、吽形=密迹(みつしゃく)金剛と呼ばれている。

勢山社により造像された仏像群  聖観音菩薩立像 9.2m  地蔵菩薩立像 3.8m  僧形文殊像  2.4m  浮彫 毘沙門天像(渡邊載方作)  浮彫 鳥枢沙摩明王像(渡邊載方作) 

賓頭盧(びんずる)尊者Piṇḍola Bhāradvāja ピンドーラ・バーラドヴァージャ 十六羅漢の第一
その他に永澤寺には制作年代は不祥であるが、ガンダーラ仏像が十数点安置されている。

 



曹洞宗  所在地 兵庫県三田市永沢寺210
     住職 渡邊秀仙 

 
①  ②  ③  ④   

 通幻禅師    観音菩薩     内からの女性金剛力士  外からの男性金剛力士     ガンダーラ仏像  


*常済大師・瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)師の(蛾山韶(がざんじょう)(せき)の五哲)孫弟子で曹洞宗の礎を築いた永澤寺の開祖通幻禅師
總持寺五世、後円融天皇の勅命により洞上の僧録を受ける、曹洞宗大躍進の原動力となった僧侶で、紹瑾の直弟子蛾山韶硯の五哲であるが通幻十哲と言われる多くの優れた弟子を輩出
する、通幻十哲の活躍により他宗寺院を寺ごと改宗させる等、曹洞宗末寺一万数千ヶ寺の内、寺格に付いては・大本山・別格地・法地・平僧地とされたが、現在は「大本山」「格地」「法」「准法地」と呼ばれている、そのうち九千ヶ寺が通幻派といわれた、また格地のグレードは高く別格地の略と言われている

總持寺二世である峨山(がざん)韶碩(じょうせき)峨山二十五哲と言われる優れた弟子がいた、中でも五哲が著名で太源宗真・通幻寂霊・無端祖環・大徹宗令・実峰良秀の五哲を主体に総和会即ち總持寺の興隆に努め大勢力を為した。



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