慈尊院

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高野山の登山口として存在していた七箇所の内、金堂に至る表参道の出発点であり、高野全山のエントランスentrance、玄関)として知られている、また室生寺金剛寺(大阪河内長野)と共に女人高野として知られる寺である。
九度山は高野山が多湿で典籍類の保存に適さないために創建時からの補給基地、すなわち高野山の事務を司る政所(まんどころ)としての役割を持ち、天皇や貴族の宿坊等があり、かなりの規模の伽藍を有していたが、892空海の母堂の菩提を弔ったとされる廟を始め1171年罹災し全伽藍を失うが本尊の弥勒仏は救出される。
伝承では空海の母堂が住み逝去時に母堂の信仰する弥勒菩薩を安置した事に始まる、母堂の生存時空海も訪ねており一ヶ月の間に回訪れた事から九度山と呼称されたと云う、寺名は弥勒菩薩の別名とされる「慈尊」から銘々される。
当寺は罹災から免れた本尊が国宝・弥勒菩薩立像 木造彩色
(秘仏)で知られる寺でもある、開扉は21年毎に行われ次回の開扉は2015年が予定されている。
慈尊院は女性結縁(けちえん)の聖地であり、ご利益は安産・育児等で乳房(布製)が奉納されている、
観弥勒菩薩上生兜率天経略して”弥勒上生経”では兜率天には無数の天女が住んでいると言う記述があり、女性と慈氏すなわち弥勒菩薩との関連を指摘する著作(仏像のかたちと心・金子啓明・岩波書店)もある、また近くに過日は高野明神社と呼ばれた丹生官省符神社(にうかんしょうぶじんじゃ)がある。

 所在地 和歌山県伊都郡九度山町慈尊院832      高野山真言宗 別格本山    п@0736542214 
 

慈尊院の文化財
〇弥勒如来 坐像 木造 91cm 施無畏印(右手) 与願印(左手) 平安時代(892年)
●弥勒堂    桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、檜皮葺  鎌倉時代

●弥勒菩薩像 絹本著色 1幅  鎌倉時代 


最終加筆日200489日 201083日      

  
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