山号は
京都の禅宗は延暦寺や南都仏教に配慮して密教
創建当初の文化財は戦火や1923年の大震災、第二次世界大戦の空襲で失われたが、国宝の梵鐘
中国の径山万寿寺の禅宗様式の伽藍を持ち三門は江戸時代の再建であるが三門・仏殿・法堂・方丈を直線上に配置し左右に庫・僧坊を持つ。
当寺には無学祖元(円覚寺開山)・一山一寧・清拙正澄等に人材を輩出、また五山文学のメッカでもあり中巌円月・絶海中津・義堂周信・玉隠英若 等の俊英が住持を勤めた。
永享の乱や1414年・1426年の火災で衰退するが江戸時代に入り白隠(妙心寺)派の禅を採用し参禅に徹して復興した。
建長寺の本尊は多くの禅宗寺院すなわち釈迦如来と異なり地蔵菩薩である、これは当地に以前から存在していた小袋坂(こぶくろざか)の刑場跡の心平寺・地蔵堂の寺域を受け継いだ、心平寺の本尊が地蔵菩薩であった事からとされる、仏像に重文指定作品はないが鎌倉、室町時代の宝冠釈迦如来・千手観音菩薩・地蔵菩薩・僧形文殊菩薩・道教の神である御宝伽藍善神、等々の尊像が残る。
夏目漱石の句に「鐘付けば 銀杏ちるなり 建長寺」があり、正岡子規の「柿くえば 鐘がなるなり 法隆寺」よりも漱石の方が先に読まれた様である。(お寺の日本地図 鵜飼秀徳 文芸春秋)
もう一つ建長寺の名物に元祖とも言われる「けんちん汁」(建長寺汁)が言われている。
建長寺の文化財
○
梵鐘 高さ207,3cm 経124,0cm2,7屯 鎌倉時代 1255 物部重光作 蘭渓道隆銘文
○ 蘭渓道隆像図 絹本著色 104,8cm×46,4cm 鎌倉時代
● 喜江禅師像図 紙本著色 85,0cm×35,4cm 室町時代
● 三十三観音図 絹本著色 32幅 128,5cm 室町時代
● 十六羅漢図
● 開山卵塔 絹本著色 8幅 143,9cm×83,0cm 室町時代
● 西来庵昭堂
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仏殿
● 唐門
● 須弥檀 木造 鎌倉時代
● 石 塔 113,0cm 鎌倉時代 大覚禅師(蘭渓道隆)塔
● 菩薩像 木造 坐像 鎌倉時代 伽藍を守護する土地神
臨済宗建長寺派 大本山 所在地 鎌倉市山ノ内
注1、蘭渓道隆 1213~1278年
中国四川省の生まれ成都・大慈寺に於いて臨済宗・松源派を学ぶ。南宋で留学中の泉涌寺(京都)の月翁智鏡(げっとうちきょう)と知己を得て30歳で来日し京都から鎌倉に移り時頼の信頼を得る。 1279年歿後に大覚禅師の勅旨を受ける。
注2、三門 (山門)
禅宗伽藍の門を言い、空・無相・無作の三解脱門の略称とされる。
禅宗寺院の正門を意味し他宗寺院の中門にあたり南大門にあたる門は総門と呼ばれる。
東福寺・大徳寺等禅宗寺院の三門が著名であるが、様式を踏襲した知恩院(浄土宗)などの例外もある。
注3、五山文学
奈良時代からの貴族に始まり禅僧・江戸時代には林羅山等儒学者に愛用された文学で、当時は日本に於ける漢文学の中核をなしていた。
七言詩・五言詩・律詩が好んで用いられた。
主な文学者に一山一寧・雪村友梅・虎関師錬・竜山徳見・石室善玖・竺仙梵卵・義堂周信などである。
注4、 鎌倉・京都五山
寺 挌 |
五山の上 |
① |
② |
③ |
④ |
⑤ |
京都五山
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天竜寺 |
相国寺 |
満寿寺 |
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鎌倉五山 |
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建長寺 |
円覚寺 |
寿福寺 |
浄智寺 |
浄妙寺 |
最終加筆日2004年9月6日 2015年11月3日 2017年10月12日 2021年8月27日