聖観音菩薩

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観音菩薩は大乗仏教の初期(2~3世紀)に登場した菩薩で、・大乗仏教・密教等に於いて最重要かつ普遍性の高い菩薩である、日本に於ける経典のベストセラーと言える般若心経法華経観世音菩薩普門品等に般若波羅蜜多(はんにゃはらみった)Pāramitāすなわち深遠な智慧を持つ主要な尊格として登場する、観音菩薩のパワーは観世音菩薩普門品二十五を、薬師寺館主の村上太胤師2017年現在)の咀嚼に「衆生ありて、諸の苦悩を受けんに、観世音菩薩を聞きて一心に御名を称うれば、観世音菩薩は即時にその音声を観じて、皆解脱する事を得しめん」とある。
また浄土系に於いて無量寿経に登場する、華厳経二十七章では補陀洛山(ふだらくさん)(注19に於いて説法の教主である、観音経すなわち観世音菩薩普門品には「()し無量百千萬(のく)の衆生ありて、諸々の苦悩を受けんに、この観世音菩薩を聞きて一心に名を称えれば、観世音菩薩は即時(ただち)にその音声を観じて皆、解脱(まぬが)るることを得せしめん」と説かれている、観音菩薩は生活密着型すなわち現世利益を詠う経典である、すなわち十三例に示される「念彼観音力(ねんぴかんのんりき)注21)を持てば難解な教義、哲学を必要としない。
梵語名は明確とは言えないが「アバローキテーシュバラ
avalokiteśvara bodhisattva」と言われている、個別の意味ではAryaアーリア聖) Avaアバ=広範囲にlokiteśvaraローキテー-(観る)īśvara=自在の者シュバラ(音)sanskrit原語と思われる、観音経に関連としてあらゆる方向に顔を向けた、すなわち「普門」と漢訳されたサマンタ・ムカsamanta mukha)がある。
大正七年に発表以来超ロングセラーとなり日本最初ともいえる古寺巡礼者に対する啓蒙の書である和辻哲郎氏の古寺巡礼
(岩波書店)に於いて「世界に比類の無い偉大な観音菩薩」と絶賛されているのが・薬師寺聖観音・法隆寺百済観音・聖林寺十一面観音などである、亀井勝一郎氏は筆をとればつい「百済観音の讃歌」と言う。 
聖観音菩薩は大乗仏教mahāsāghika マハーサンギカ )の興りと共に現れた尊格と言える、因みに聖観音菩薩の「観る」であるが、薬師寺の村上太胤師は都合よく説く、即ち「・見る・看る・診・観」があり眼ではなく「心」でみるのが観であると言う、即ち大慈大悲(だいじだいひ)をもって衆生をサルベージ(済度)することを願いとする菩薩である。
   
観音菩薩は仏教と基盤を同じくするヒンドHinduの最高神の一尊である
ヴィシュヌViṣṇuシヴァ神Śiva(注18の影響が色濃く反映されている、青頸(しょうきょう)観音Nīlakaṇṭha ニーラカンタ)や下述するがイーシュバラīśvaraシヴァ神Śivaの別名と言われている。
インドの古銭に刻まれている梵語のイーシャ
īśa)像で主を意味する、これがイーシュバラīśvaraとも呼ばれ漢字で自在と訳された、これにavalokikāと言う修飾語を付けてアバローキテーシュバラAvalokiteśvaraとされた、西遊記のモデルで正統な梵語を熟知していた玄奘三蔵が般若心経の翻訳に使用した「観自在」がabalakita(観)śvara(自在)とに分類している事等で支持されているが自著の「大唐西域記」には「阿縛盧柷低濕伐羅」と音訳している、一方法華経を漢訳した鳩摩羅什(注13は観世音・観音と訳している為に結論を出すのは難しい、ほかに聖観自在菩薩を正式名称と言う説もある、光り輝くruc・響く・音svaraを見るなどの解釈もあり光世音竺法護(じくほうご)・Dharmaraksaと訳した経典もあるが旧訳に属する、因みにヒンドウー教のシヴ神の影響に付いてはイーシュバラīśvaraシヴァ神Śivaの別名である事から来ている、観音・観世音(鳩摩羅什)・観自在(玄奘)と時代及び訳者により記述は違うが全て同尊である、閑話休題、日本に於いては般若心経は玄奘の訳が読まれている、また鳩摩羅什は般若心経を「大明呪経」と訳している、観音菩薩に観が選ばれた理由としてカンには観、勧、見、視等々あるが「己の心と他人の心を同一に診る姿勢」からとされる
頼富元宏氏は観音菩薩を三分割にする。
1 独尊で諸難義からのサルベージ。
2 阿弥陀如来の脇侍
(勢至菩薩と共に随侍としてとしての存在。
3 密教尊即ち十一面観音、千手千眼観音、如意輪観音等々に有ると言う。   
観音像の造像は23世紀頃にガンダーラに於いて一面二臂で登場したが冠飾はターバンの様で化仏を付け、蓮華か花網を所持していた、但し観音信仰に対する依経は紀元二世紀後半の「法華経第二十五、
観世音菩醍普門品」が嚆矢とする説が多数である、依経としては後に成立した「大無量寿経」では勢至菩薩と共に阿弥陀如来の脇侍として扱われる、更に「華厳経入法界品」(第27章)では補陀落山の教主として説法していると記述されている。 
普段使用されていないが音訳も為されている、「阿縛廬枳低湿伐羅」「阿縛廬吉低舎婆羅」「阿縛廬枳帝湿馬嚩囉」
(あばろきていしゅばら)などがある。
元来は正法妙如来という覚者であったが、衆生救済の目的で自土すなわち娑婆
saskta サハーの音訳 大地の意味も)に菩薩として努めているとされる、これを大悲闡提(だいひせんだい)の思想と言う。
呼称に「観音菩薩」とか「聖観音」「
微妙円通大士」等と称されるが聖観音菩薩は独尊像として祀られる場合にほぼ限られている、但し正式名称は「観音菩薩」である。
観音菩薩の分類には別の見解がある、佐久間瑠理子氏説の概観(観音菩薩・春秋社)
1、観音経、大乗仏教により菩薩が神格化された。
2、密教仏すなわち変化観音など。
3、源流がインドにはない中国で生まれた楊柳観音、龍頭観音、白衣観音、魚籃観音などを挙げている、これらを概観すれば女尊の観音菩薩は中国流を経た日本流と言えよう、これはカトリックに於ける統括する主
(Adonai yhwh)から優しく包み込む母性、すなわちマリア崇拝との共通性が考えられる。
現世に於いての慈悲を標榜している菩薩である、大乗仏教の尊格の中で最も信仰
(支持)を集めた菩薩で日本では法華経・普門品観音経に説かれる独尊、または観無量寿経などの浄土教系経典の言う阿弥陀如来の脇侍として勢至菩薩と共に来迎してくれる菩薩や八大菩薩などの集合尊として信仰される、因みに観音菩薩の功徳は「仏説大乗荘厳宝王経」には災害や病だけでなく、阿鼻(あび)地獄Avīci-narakaや火焔の中まで救済に来てくれると言う。
多面多臂の変化観音であるが、佐久間瑠理子氏に依ればヒンドの興隆から密教尊に取り入れられた、閑話休題ヒンドウ―教は婆羅門を基盤としながら土着信仰を取り入れた哲学で、
ヴェーダ聖典Vedaの権威を尊重しながら婆羅門が禁忌する血の儀礼を取り入れていると言う。
空華(くうげ)の萬行(注16を修すると言う観音の行は「坐水月道場 修空華萬行(くうげまんぎょうをしゅうす)(水月の道場に坐し)」即ち観音の無限の慈悲を行い、跡を留めない水月・空華にあるとされる、因みに空華とは煩悩に囚われた状態で実在しない事の存在を信ずる事を言う。

観音菩薩は後には密教の仏として多様に変化して六観音や曼荼羅等々にも現れる、従って観音信仰は密教の隆盛と共に大きく発展する、所持品も綱、剣、数珠等々多彩になる。
観音菩薩は独尊の場合は衆生の難儀を救済するが三十三の姿に応現身(注3即ち変化もする、因みに金剛界曼荼羅に金剛法菩薩が登場するが観音菩薩が勧請を受けた密教名である、密教と言えば真言宗系の寺に観音、勢至の両菩薩が逆配置の寺がある、「阿唎多羅陀羅尼阿嚕力(ありたらだらにあろりき)(きょう)」「観自在最勝心明経第九品」「陀羅尼集経」などの密教系経典を依経としており、多く右観自在・左大勢至の記述が観られる為に仁和寺浄土寺などで採用している様である。 

聖観音正観音から変化した変化観音菩薩(注1はインドにはあまり見られないが中国で七世紀頃から広く信仰された様である、信仰される仏像は国により相違はあるが、観音菩薩は中国では仏教三大聖地(・峨眉山・五台山・普陀山)の一山・普陀山の本尊が観音菩薩であり、道教寺院にまでも祀られ朝鮮や日本等に於いて篤い信仰をうけている、因みに「聖」・「正」ともに「しょうかんのん」と発音され記述は分かれるが同尊である、通常は阿弥陀如来に従う三尊の場合は観音菩薩と呼称され独尊の場合は聖観音菩薩と呼称されている事が多い、これは平安時代以降に現れた変化観音との区分上使用されている、密教の請来を受けて日本では平安時代より視覚的インパクトの強い十一面観音千手観音如意輪観音等の変化観音、即ち六観音(注2が信仰を生み出す。  
佐和隆研・仏像図典に依れば旧訳に観世音菩薩・光世音菩薩と訳され、玄奘以降の新訳は観自在菩薩と訳されていると言う、しかし他に伝播のルートにもよるとの主張もある。 
また
Aryaは正しいと言う意味もあり正観音とも言う、また普門品は梵語でsamanta mukha (サマンタ・ムッカ))の別名をも持ち総ての方向に顔向けると言う意味があり六観音(注2)や三十三観音(注3、等の変化観音が誕生する、密教の普及と共に著された変化観音は初めに仏像ありきではなく、ご利益を求めて呪術や陀羅尼が出来た末に、そのパワーをイメージして尊像化された、印相は複数あるが、聖観音を念ずるには慈悲と救いを象徴する *八葉印、 覚りへ導く *蓮華部心印等がある。
法華経・観世音菩薩普門品(ふもんぼん)」通称「観音(ぎょう)」が嚆矢と考えられる、造像は世紀頃ガンダーラ周辺で発生したと言う、当初は一面二臂であるが、ヒンドウー教の影響を摂取して多数の姿形が説かれて変化観音の始まりとなる多面多臂が顕わされる、普門品二十五には観音の銘々理由が記述される、即ち「衆生の苦難が聞こえるとき救済に向かう」と言う、ちなみに「普門品」の普門とは総ての方向に開かれた門を意味する。
観音菩薩の源流はシヴア神
Śivaとの説が強くクシャーナ朝時代12世紀)のコインにシバ神像が描かれている、インドの土着信仰のなかで最も信仰を集めた菩薩は観音菩薩である、しかし起源は定かではなく後述するが、バラモンのシヴア神やゾロアスター教に於ける水の女神、anahita(アナヒター・高く、強く、静浄やビシュヌ神vaiclava)との説もある、ご利益は苦難に遭遇したら一心に観音菩薩の名を唱えれば瞬時に願いを観じて救済してくれると言う、因みに「観世音菩薩授記経」では阿弥陀如来が涅槃に入ると観音菩薩は「普光功徳山如来」になると言う、また勢至菩薩は「善住功徳宝王如来」となる。

顕教・密教双方に於ける経典の多くに現れている観音菩薩は、阿弥陀如来の来世に於ける救済ではなく現世利益である、世界的に見て如何なる宗教も実利を信仰者に提供する現世利益を表さない教団はない、覚者を目指す上座部仏教に於いても方便的にサルベージを求めている。
中でも実利的現世利益を称え、信仰面でも仏像観賞の面でも最高の支持を集めているのが薬師如来と共に観音菩薩ではなかろうか。
平安時代には浄土信仰の興隆から臨終時に来迎を受けられると言われたが、先頭に現れるのが観音菩薩である、因みに来迎とは臨終者を彼岸(ひがん)(あの世)から仏が此岸(しがん)(現世)へ迎えに来てくれる事を言う。

五木寛之著・百寺巡礼(講談社)に拠れば「観音信仰」は「浄土」ではなく現世の利益を祈願する事に結びついていると言う。
観音信仰の興隆は祈願すれば望みが叶う様に奇瑞(きずい)すなわち像が動き邂逅(かいこう)いわゆる結縁(けちえん)が生まれると信じられた事も一因である。
観音菩薩の性別に付いて中村元氏に依ればインドでは梵語での
Avalokiteśvaraすなわち観音から発信されるイメージは男性名詞である、貴族・勇者を意味すると言う、華厳経には「勇猛なる男子(丈夫)、観世音菩薩」の記述がある、さらに正木晃氏は法華経(春就社)に中で菩薩の梵語名は bodhi sattvaであるが紛れもなく男性名詞であると言う、観音菩薩は中国に渡り女性化する事により母性本能をくすぐる観音信仰は興隆したのではないか、これはカトリック等のノートルダムNotre-Dame―我らの貴婦人―マリア)即ちマリア崇拝と共通化は否定でいない、セム的一神教に於いてマリア崇拝を非難する思想がある、しかし一神教の神は制圧的であるのに対してマリアの持つ「優しく包み込む」母性感覚、と中国に於ける道教的な規制から逃避できる女性的観音菩薩の発生と同根と言えよう。 
中村説に対して観音菩薩研究者、後藤大用(だいよう)(観世音菩薩の研究、山喜房(さんきぼう)仏書林(ぶつしょりん)や岩本(ゆたか)氏も肯定的である、因みに観音像の嚆矢と診られるガンダーラ像すなわち松岡美術館所蔵に半跏思惟像やサリーバロール出土(ペシャワール博物館)・ロリヤンダンガイ出土(インド博物館)等は頑強な体躯で王侯風な男性像である、また菩薩は性を超越していると言う松原泰道等の解釈があり「通性」「超性」とも言う、因みに後藤説は言語学面の解釈と教理学とを区別している、また変成男子から女性神格の可能性もあろう。
性別に変化を見せ始めたのは
大乗仏教の中国に於いてオリエントの母神信仰を受容した為に六世紀後半頃から髭が無くなり、ふくよかな女性を連想させる菩薩像に変化を見せると言う説がある、また一説には鳩摩羅什の漢訳が女尊形の観音を生む触媒の役割を持った様にも言われる、即ち法華経普門品には比丘尼、()()()、長者婦女などの姿で救済に赴く、また華厳経入法界品二十七章も関係があろう。

女尊インド説ではマーラテイー(mālatīはヒンドウー教左派では女性神格であり中国や日本に対する影響が思惟される、これ等の尊挌が准胝観音・多羅観音菩薩・馬郎婦観音菩薩などの誕生に繋がる、余談になるがイーシュバラīśvaraは男性の最高神であるのに対して、ビシュヌ神(vaiolava)は女性の最高神とされる、観音菩薩が女尊扱いとなる原因は則天武后623~705年)が関係しているかも知れない、彼女は弥勒菩薩の生まれ変わりを自称し女性の菩薩を造像させた可能性は否定出来ない、特異な説かも知れないが、前述した古代ペルシャで信じられ輝きを放つ女神「アナヒーター、anahita」の影響を言う説もある、鈴木大拙は観音菩薩やマリアに付いて裁く神ではなく、総てを包み込む母性神を持つ哲学が「本物の宗教」的な主張をしている。
インドの観音菩薩は中国や日本に於いて女性的に感じられる観音像とは大きく異なる,但し観音菩薩は通性(両性)すなわち超性を言う解説書も存在する、但しインドに於いてもヒンドウー教左道派に於いては女尊であると言われる、具体例として象頭人身で抱擁し合う歓喜天(聖天)の女尊は観音菩薩の変化神である
中国に於いて女尊の観音菩薩生まれたもう一つの要素として法華経第二十五品の変化観音に女性に変化する様な記述からかも知れない、理智的な親鸞からは本来考えられないが、聖徳太子が六角堂に籠った折に観音菩薩が女性に変化云々のアネクドートも浄土真宗などで言われている。 
女性神格的解釈に鈴木大拙氏の「日本的霊性」「東洋的見方」等々を自己流に見れば、世界最高の信者を擁するキリスト教・カトリックには聖書に記述はないがマリア崇拝がある、観音菩薩は男性であるが女尊的霊性があると言うべきか仏教では観音菩薩を女性に変換して母性信仰を作り出している、裁きを与える男性神に対して、総てを受け入れてくれる女性神である観音信仰やマリア崇拝は宗教には不可欠かもしれない。

中国に於いて観音菩薩信仰はオリエントの母神信仰の影響を受けた様で興隆し偽経である「高王観世音経」が作られる程である、観音菩薩だけでなく菩薩信仰が篤く、文殊菩薩の聖地である五山を始め、仏教聖地として四大名山があり総てが菩薩の聖地とされた、因みに四大名山とは山西省の五台山文殊菩薩 四川省の峨眉山普賢菩薩 浙江省の普陀山(観音菩薩) 安徽省の九華山地蔵菩薩が言われている。
また観音菩薩の貴に対して弥勒菩薩が行者と捉えられて釈迦如来に遵っている。
一般的に呼称としては観世音菩薩と呼ばれる事が多く、補陀落山に於いて多くの菩薩達を従えているとされる、因みに華厳経に於いて観音菩薩の浄土として補陀落山が説かれている、「不空羅索神変真言経」に観世音菩薩の大宮殿が補陀洛山(ふだらくせん)にあると記述されている。
補陀落山とは梵語名を
Potalaka(ポータラカ)と言い経典により相違はあるが観音菩薩の浄土すなわち霊場で「須弥山」によく似た九山を有し付近は大海がある、中央の山の広大な広場には樹木が宝で出来ており楼閣が並び眷属に傅かれた観音菩薩が座していると言う、観音菩薩を扱った経典は多くある・法華経・観無量寿経・無量寿経・首楞巌(しゅりょうごん)経・華厳経・陀羅尼集経・不空羂索神変真言経等に描かれており玄奘三蔵の大唐西域記にも記述されている、特に華厳経の入法界品にはPotalakaすなわち補陀落山の所在が説かれている為、「本尊巡礼」いわゆる観音霊場発生の要因になっている、ちなみに日本に於いては那智山が補陀落浄土の東門と考えられ、嚆矢となったのが西国新十三ヶ所霊場である、因みに須弥山とはスメールsumeruの音訳で、インドに於いては世界の中心に位置する架空の山を言い、佛教に於ける宇宙論の中核の場所を言う、七つの山脈と 八大海に囲まれ高さは八億㍍とも言う漢訳は須弥山の他に「須弥留」「須弥」意訳で「妙光山」「妙高山」等々言われる、須弥山思想はヒンズュー教、ジャイナ教も共通している。
補陀落浄土に対する信仰はチベットでも顕著である、最大宗派のゲルグ派の転生活仏であるダライラマ五世創建のポタラ宮は世界最大級の建造物として知られている、ポタラとはポータラカ即ち補陀落山を意味する。
観音信仰は顕教に於いては法華経普門品で密教では六観音信仰(注2を中心として広がりを見せた、儀軌としては華厳経(入法界品)大無量寿経観無量寿経・観世音菩薩授記経・「法華経観世音菩醍普門品、第二十五」(3)等の中に観音力が述べられている、また普門品には変化の姿が説かれており如来・菩薩・独覚・声門に姿を変えサルベージに務めるが密教経典の「摂無礙経(しょうむげきょう)」等と混在して三十三身に置かれる様になる。
観音は大乗佛教の中心的存在でありその要諦とも言える般若心経に於いても観音の般若、即ち大きな智慧、波羅蜜多を行う時五蘊(ごうん)(注8全て空であると説いている、また観音経で著名な言葉に「遊於娑婆世界(ゆうをしゃばせかい)」が言われ浄土から娑婆に遊びに来て三十(三十三応身)の姿に変化するという。

三十三と言う数字の源はインドの土着信仰(リグヴェーダ聖典gvedaに於ける三十三天trāyastriśad deva-sthāne即ち須弥山の最上階に住む神々の数から引き継がれている様である、因みに漢訳本では三十五身に増えているが、チベット等に伝わる梵語では十六身だけが記述されていると中村元氏は言う、因みにネパールに於いては108種類もの観音が存在する。
観音信仰は複数の起源を持つ、観音菩薩のサルベージは釈迦如来の教義とはコンフリクトconflict即ち二律背反の関係にあり本来は仏教的とは言えない、観音の起源の一つは楊柳観音系で阿弥陀如来の脇侍としての系統とゾロアスター教・バラモンの流れにある白衣観音からの変化観音の系統がある、佐和隆研氏に依れば観音の変化の源流はシヴァ神の妃ウマーの変化とも言われている、ウマーは千の姿に変化して衆生の危機を救済すると言われ、利益が観音菩薩と類似している。
繰り返すが特に顕教に於いては法華経の観世音菩
普門品の教義からが嚆矢とされる、この信仰は一・二世紀頃には始まっておりヒンドウー教のシバ神が起源とされている、観音菩薩とは阿弥陀如来の脇持として西方浄土で活躍する一面一臂の聖観音(しょう)を除けばヒンドウー教の影響を受けた多面多臂の像が多い、観音の種類は変化観音を含めると十一面観音・千手千眼観音など多義にわたり胎蔵界曼荼羅の蓮華部院の中だけでも聖観音を中心に如意輪観音・馬頭観音など二十一尊にも及ぶ、因みに密号を正法金剛と言い大日経疏には蓮華部の主尊として大精進観自在菩薩の名で記述がある。またチベットやネパール佛教では百八観音(108観音)・日本でも六観音・三十三観音など呼ばれる。
観音信仰には難しい教義は無く極めて現世利益的であり、法華経観世音菩薩普門品に拠れば観音菩薩の名を唱えれば三十三の姿{応現身
(化身)・注3}に変えてあらゆる災難を取り除いてくれるとあり大衆に広く浸透していった、また帰依を受ける階層が広大で禁裏から貧しい庶民まで篤い信仰を集めた、絵画として国宝・粉河寺縁起に見られる様に千手観音に多様な階層の人々が合掌している。
煩悩の根本と言える
貪瞋癡(とんじんち)の三毒も消してもらえると言う、因みに三毒trivia・トリヴィシヤ)とは仏教で言う、根幹を為す煩悩の三項目を言う、 (とん)(rāga貪欲(とんよく) (じん)(dvea瞋恚(しんに) moha愚癡(ぐち)を言う。
観音菩薩の行とは「坐水月道場 修空華萬行(水月の道場に宴坐(えんざ)し、空華(くうげ)萬行(まんぎょう)を修す)」即ち観音の無限の慈悲を行い跡を留めない水月・空華にあるとされる、「所以(ゆえん)修習空花萬行(しゅうしゅうくうげまんぎょう)宴坐(えんざ)水月道場」因みに空華とは煩悩から起る妄想、萬行とは細行で数は84千と言う、水月道場とは現世に於ける真である。
法華経普門品の言う観音菩薩の持つ現世利益的な信仰はヒンドウー教を色濃く取り入れており、成仏を目的とする上座部佛教とは二律背反と言っても過言ではない、さらに無量寿経に於いて阿弥陀如来の脇侍として大乗の菩薩の典型とも言える宝冠など装いを凝らしして顕れることは方便そのものと言えよう。
観音菩薩の造像の広がりはインド古来の独尊以降は中国仏教の爛熟期すなわち唐時代の前期に起こった浄土信仰と連動して阿弥陀如来の脇侍としての構成になるが、後半期には密教の流入があり再度独尊で造像され、変化観音の発生を促した。
観音菩薩は大乗仏教圏に於いて普遍的に篤い信仰を受けているが、チベットに於いての観音信仰は強烈である、すなわち有縁の本尊であり自国が観音浄土との信仰が厚い、ちなみにダライラマ達は観音菩薩の化身である、またチベットでは一面四臂の観音菩薩と千手観音像が多い。
日本には多くの観音霊場が有り・西国三十三ヶ所  ・
坂東三十三所 秩父三十四所など日本各地に広がりを見せている、当初の霊場は修験者の調伏息災を祈願する為であったが浄土信仰の衆生への高まりと共に往生を願う霊場に変化を見せた、閑話休題、日本に於ける庶民の三大信仰に・観音・地蔵・不動信仰が言われるが、西国の西国三十三所を初めとする観音信仰は公家文化を源流とし、東国の武家文化には不動信仰が根付いたとの指摘もある、三十三と言う数字に関してはリグ⁻ヴエーダ聖典g-vedaに於いて神々の数を言う事から佛教が踏襲している様である。
また中国の六観音信仰を変化させた日本の六観音がこれらの霊場に分布している。
浄土信仰の興隆と共に勢至菩薩と共に阿弥陀如来の脇持となって多くの優れた三尊像が現存している、三尊形式の場合勢至菩薩の智慧に対して慈悲を表す菩薩と説明している案内書が多い。
阿弥陀三尊に付いて山折哲雄著”法然と親鸞”(中央公論社)から引用する、法然の幼名勢至丸と華頂山の勢至堂の関連から勢至菩薩の生まれ変わりと観る、弟子の親鸞には恵信尼の夢を観音菩薩として「観音、勢至の二菩薩が揃踏みをして、阿弥陀如来の両脇をかためる、------法然像と親鸞像を軸とする阿弥陀三尊信仰の誕生---」との記述がある。
形姿として観音経すなわち法華経・普門品には記述はなく観無量寿経に言われている、一例を言えば第十巻「天冠の中に一の化仏が立つ」、他に特徴として阿弥陀如来の脇侍としての姿や頭部の肉髷・紫金色・白毫相・足に千幅輪相・宝冠に小さな化佛
(阿弥陀如来)つけている、化佛の無い場合は一般的に菩薩像とされている、持物は水瓶もしくは蓮華・楊枝とされる、従って飛鳥時代の観音像に宝冠に化佛の装備した尊像は無く観音菩薩と確定する事は難しい、因みに泉涌寺の塔頭寺院である即成院の様に来迎の為の蓮台(れんだい)を持つ尊像もある、こんにちインドに現存する観音菩薩は812世紀の作品が多い様で、己の頭髪で結んだ冠(ジャタームクタ Jatamukutaすなわち(はっ)(けい)(かん)に右手に与願印を結び左手には蓮華を持つ像が多い。 

以上のように阿弥陀信仰とともに発達した観音とは別に「陀羅尼集経」による観音があり白衣に高い髷を結い護摩を焚くヒンドウー教的かつ密教的な観音がありこの観音が前述の普門品(総ての方向に顔を向ける)と共に変化観音発生の源の一つと言える、因みに変化観音は初期密教から中期密教に移らんとする頃に登場したとも言える。  
観音菩薩は密教に於いても重要視されており密教の八大菩薩の一尊である、ちなみに密教修法の「白衣法」による白衣観音は八大菩薩とは・観音菩薩・文殊菩薩弥勒菩薩・金剛手菩薩・普賢菩薩地蔵菩薩虚空蔵菩薩・除蓋障菩薩を言う、八大明王と言う群像もあり、その一尊に観音菩薩の化身として馬頭明王がある
(八大明王は明王参照)
その他の観音菩薩に六字観音と言う観音菩薩がある、六時とはインドに於いて一日を・農朝・日中・日没・初夜・中夜・後夜の六時に分類した習慣がある、常時衆生を守護してくれる意味があり、梵篋(ぼんきょう)を持つことから梵篋観音とも言われる、チベットやネパール等の後期密教圏に於いてはサーダナマーラ(sādhanamālā・観想法の花環・Sādhana成就、mālā集)に記述されるヒンヅー教のシヴアの化身から取られた獅子吼観音や六字観音、青頸観音、生起観音等々が存在している。
(佐久間瑠理子・観音菩薩・春秋社)、その他シヴァ神からの変化及び同尊と言われる菩薩に青頸(しょうきょう)観音があり、ヴァースキと言う龍王が宇宙を破壊しようとして充満させたハーラーハラと言う猛毒を飲み干して破壊を免れたと言う、青頸観音は猛毒の為に頸が青く変色したと言う、因みにハーラーハラとはヒンドウー教の天地創造で行われるとされる乳海攪拌(にゅうかいかくはん)に関連する

京都では京都七観音と言われる七ヶ寺があった、*行願寺 *清和(せが)()院 *吉田寺 *清水寺 *六波羅蜜寺 *六角堂 *妙法院(三十三間堂)である、因みに七観音とは真言宗と天台宗の六観音菩薩の集計であるが五観音は共通であり異尊は准胝観音菩薩(真言)不空羂索観音(天台)の二尊を加えた七尊である。
また初期の観音像には請観世音授記経(しょうかんぜおんじゅき)にある楊枝浄水(ようじじょうすい)即ち七宝の池からの八功徳水と言う無尽蔵に水を供給できる水瓶を手にした楊柳(ようりゅう)観音などが多かったがインドと違い日本では白山信仰や稲作とは矛盾するが、元来水源は豊富にあり功徳水は救いの対象にはならなかった、そこで日本では瓶に挿した蓮華や直接未開敷(つぼみ)の蓮華を持つ像が増えた、因みに功徳水とは梵語のアルガargha閼伽(あか)とも言う。
また主に七月十日の観音菩薩との結縁日には「千日参り」(詣で)と呼ばれ清水寺など観音霊場では一度の参詣で千日分のご利益があると言う、また浅草寺などは四万六千日分の結縁を謳い「観音縁日七月十日向四万六千日」に記述も見られる、因みにとは「相当する」を意味する(仏像歳時記・關信子)。 
観音菩薩の造像された年代を見ると1997年現在国宝重文指定189尊のうち飛鳥時代35尊・平安時代110尊・鎌倉時代13尊と平安時代を境に変化観音の造像に変わってゆく、県別に見ると滋賀県36尊・奈良県27尊・東京都は国立博物館所蔵(法隆寺献納佛21尊)を中心に27尊・京都府10尊となる。


 真言 オン アロリキャ ソワカ     浄土 補陀落 Potalaka   


  
                    御寺泉涌寺公式サイト 


   桃巌寺 (聖観音菩薩)                     泉湧寺(楊貴妃観音)          写真は泉涌寺様サイトから転写


1、 観音霊場  通常「本尊巡礼」と言い、・西国三十三所  ・坂東三十三所  ・秩父三十四所 美濃西国三十三所の案内リストは霊場編に記述、江戸時代の歌川広重による「観音霊験記」には西国・坂東・秩父を合わせ百箇所が扱われている。 
観音霊場の他に「祖師巡礼」があり四国八十八ヶ所
(真言系)  ・法然上人二五霊場  ・洛内二十一本山(日蓮系)などがある。
またご利益が観音菩薩と共通点が多い薬師如来を巡礼する西国薬師霊場も作られている。
観音霊場の本尊の多くは六観音で占められている、観音菩薩には担当の救済業務があり、六観音には救済に赴く六道に夫々の場所がある、重複するが
三十三と言う数字の源はインドのリグヴェーダ聖典に於ける三十三天trāyastriśad  deva-sthāne即ち須弥山の最上階に住む神々の数から引き継がれている様である。
・地獄道――聖観音菩薩 
・餓鬼道――千手観音菩薩 
・畜生道――馬頭観音菩薩 
・修羅道――十一面観音菩薩 
・人間界――准胝観音菩薩 
・天上界――如意輪観音菩薩とされている。
観音菩薩でもインド、ネパール、チベット等では信仰されているが、日本には馴染のうすい観音を挙げると*獅子吼観音、*青頸観音、*ハリハリヴァーハナ生起(しょうき)観音、*六字観音、*獅子吼(ししく)観音、などがある(佐久間瑠理子・観音菩薩・春秋社
   

 

2、 六観音とは中国で生まれたもので天台智顗が講義した「摩訶止観」から引用したり、竺難提訳の(じくなんだい)請観音経(請観世音菩薩消伏毒陀羅尼経)に記述される六字章句陀羅尼から著した六道すなわち六観音システムである、中国では初期密教から中期密教への移行期に・大悲観音(千手観音)・大慈観音・獅子無畏(むい)観音・大光普照観音(だいこうふしょう)天人丈夫(てんじんじょうぶ)観音・大梵深遠(だいぼんじんのん)観音に説かれるが日本では馴染みのある注1の観音菩薩に置きかえられた制度である。 

中国の制度を真言宗小野流の祖で随心院を開いた・仁海(にんがい)(951年~1046年)が日本流に変化させて取り入れた制度である、これを密教宗派が観音信仰に変化させて取り入れたシステムで以下の様になる。
真言系では
・聖観音 ・十一面観音菩薩 ・千手観音菩薩 ・如意輪観音菩薩 ・馬頭観音菩薩 ・准胝観音菩薩を言い、天台系や真言宗・広沢派に於いて准胝観音を仏(仏母)に分類して代わりに不空羂索観音が入る、頼富本宏氏はこれ等の観音菩薩は呪句すなわち陀羅尼を説く経典と共に伝来したと言われる(石山寺の信仰と歴史・思文閣)。  

日本に現存する六観音像としては大報恩寺に肥後の別当・定慶作の六観音像が揃う。

音・大梵深遠(だいぼんじんのん)観音に説かれるが日本では馴染みのある注1の観音菩薩に置きかえられた制度である。 


3、 主な三十三応現身(おうげんしん)とは 示現(じげん)すなわち観音菩薩一切の衆生を救済する手段として状況に応じて出世(変化)する、主な出世を挙げると以下の様に成る、因みに出世とは仏が衆生救済の為に仮の姿に変えて現れる事であり、現在使用されている高い地位が上がる出世とは意味が違う、因みに三十三と言う数字は法華経観世音菩薩普門品に記述がある。
三聖身  ・佛身(如来の姿) ・声聞身(若者の比丘) ・辟支(びゃくし)佛身(独覚身)(壮年の比丘)  
六天身  ・帝釈天 ・梵天 ・自在天 ・毘沙門天 ・優婆塞身(うばししん) ・在家信者 ・優婆夷身(うばいしん)(在家信者女性)    
五人身  ・小王身・長者身・居士身・宰官身・婆羅門(ばらもん)身     
四部衆身 ・比丘身・比丘尼身・優婆塞身(upāsaka)・優婆夷身(upāsikā)
四婦女身 ・長者の妻・居士の妻・宰官の妻・バラモンの妻   
二童身   ・童男・童女
八部身   ・天身・龍身・夜叉身・乾闥婆(けんだつば)身・摩睺羅迦(まごらか)身・執金剛身・阿修羅身 ・迦楼羅(かるら)身 ・緊那羅(きんなら)身 などに姿を変え救済すると言う、33と言う数は無限の数を意味する。
日本に於いては三十三応現身であるが梵語原本では十二身であり、漢訳では民間信仰を取り入れて三十五身である、但し三十三の神々とはリグヴェーダ聖典の数を仏教が引き継いだとも言われる、リグヴェーダ聖典とは紀元前千年以上以前のバラモン教に於ける神々を讃える賛歌を主体とする経典
4種の内の一典である、聖典(ヴェーダ)でありリグとは(賛歌)を意味する、但し佐久間瑠理子著、観音菩薩には、観音の普門示現(ふもんじげん)すなわち化身数が法華経原典の十六観音よりも、鳩摩羅什訳は多く普門示現は三十三観音に及んでいる、さらに原典に記述がない優婆夷や長者婦女等の女性を登場させているとの記述がある。

  


4、 主な三十三観音とは 法華経普門品、所謂「観音経」に於いて観音菩薩が33の姿に変えて衆生を救うとされる、注3、の様に化身せず観音菩薩の姿で変化する、   楊柳(ようりゅう)観音菩薩  ・白衣(びゃくえ)観音菩薩  ・水月観音菩薩  ・滝見観音菩薩  ・円光観音菩薩  ・魚籃(ぎょらん)観音菩薩  ・延命観音菩薩  ・岩戸観音菩薩  ・蛤蜊(こうり)観音菩薩  ・合掌観音菩薩  ・一如(いちにょ)観音菩薩  ・持経(じきょう)観音菩薩    ・龍頭(りゅうず)観音菩薩      ・遊戯(ゆげ)観音菩薩    蓮臥(れんが)観音菩薩  ・施薬観音菩薩    ・徳王観音菩薩  ・水月観音菩薩  ・一葉観音菩薩  ・青頸(しょうきょう)観音菩薩 ・威徳(いとく)観音菩薩  ・延命観音菩薩  ・(しゅう)(ほう)観音菩薩    ・(のう)(じょう)観音菩薩  ・阿耨(あのく)観音菩薩  ・阿摩堤(あまだい)観音菩薩  ・(よう)()観音菩薩  ・瑠璃観音菩薩  ・多羅尊観音菩薩    ・六時観音菩薩  ・普悲(ふひ)観音 ・馬郎婦(ばろうふ)観音菩薩   ・合掌観音菩薩    ・不二(ふに)観音菩薩   ・()(れん)観音菩薩    ・(しゃ)(すい)観音菩薩 があり中国の土着信仰と融合して成立した尊像が多い、16にも関連するが松岡山・東慶寺の水月観音菩薩は木造(玉眼、金泥・鎌倉時代)34cmの小像で国の指定は無いが著名である。     梵語三十三天(trāyastriśad.deva-sthāne) 

*
変化観音であるが、佐久間瑠理子氏に依れば二グループに分類できると言う、第一グループ(前期変化観音グループ)は六観音を中心とした、十一面観音、千手観音、不空羂索観音などで、第二グループ(後期変化観音グループ)には六字観音(シャダクシャリー)、獅子吼観音(シンハナーダ)、青頸(しょうきょう)観音(ニーラカンダ)、蓮華舞自在観音(パドマナルッテーシュバラ)、極楽観音(スカヴァーテー)、蓮華網観音等が挙げられている。 (本文と重複)

5、  聖観音菩薩 最も標準的(人間に近い)プロポーションで正観音とも呼ばれている、形姿は頭部を除けば十一面観音との共通項は多い、観音経(法華経・観世音菩薩普門品第二五)によると南無観世音菩薩を唱えると七難を排除してくれると言う、
1)大火の難・
2)大水の難・
3)羅刹の難(空中で人を食う鬼の国、非常な恐怖の意)                                            
(4
)刀杖の難・
5)悪鬼の難・
6怨賊(おんぞく)の難・
7忸械枷鎖(ちゅうかいかさ)(罪の有無に関らず手枷足枷をされる)の難である。  


6、聖観音(指定文化財の内)の内水瓶を持つのは飛鳥時代から平安時代初期に懸けての19尊。

7、 国宝指定の絵画に竜光院の(和歌山)伝船中涌現観音像 絹本著色 掛幅装 平安時代がある。   

8, 五蘊(ごうん)とはpañcaskandha(パンチャ・スカンダ)佛教に於ける宇宙観を分析する時に使われ釈尊の思想哲学の根幹といえる、菩薩が深遠な智慧の完成させる為の五つの構成要因で蘊とは集まりを言う。(Pañca5を意味し、khandhaは集合を言う)     
1
、 色 (身体を構成する5の感覚器官・5根)ルーパ       
rûpakkhandha       感覚的物質的  視覚に移る形造られたもの 

2、 受 (苦・楽・不苦不楽を受ける作用)   ベーダナー    vedanâkkhandh       感受        感覚と感情を含めた作用  

3、 想 (知覚作用)                サンジュニャー  saññâkkhandha      表象        心の内に像を構成する 

4、 行 (意思・真理作用)             サンスカーラ   sankhârakkhandh     意志        潜在的形成力 

5、 識 (眼・耳・鼻・舌・身・意の認識)     ビジュニャーナ  viññânakkhandha    感覚・知覚・思考作用を含み対象を区別しての認識作用    
   因みに「蘊」とは集合体を意味する。  認識作用に五根があり眼識・耳識・鼻識・舌識・身識がある。
   巷間で言われている「薀蓄がある」「うん
(沢山)とある」等に使われる。
五蘊Pañca=5、 khandha=集合の意味である、六根とは人の所持する六つの器官すなわち*色(rûpakkhandha)、*受(vedanâkkhandh)、*想(saññâkkhandha)、*行(sankhârakkhandha)、*識(viññânakkhandha)を言う、また六内入処とも言う、六識とは眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識、 十二処(十二入) とは六根と六境を+したもの、十八界とは 十二処+六識を言われる。

「摩訶般若波羅蜜経」略して大品(だいぼん)般若経(はんにゃきょう)では陰界入があるが五陰、十八界、十二入の略称 
   
9、チベット仏教に於いては観音菩薩は解脱する事なく何度の娑婆に生まれ変る「転生活仏(てんしょうかつぶつ)(トウルク」信仰がある、ダライラマは観音菩薩の生まれ変わりと信じられている、ダライラマの宮殿をポタラ宮と言いポータラカ(普陀落に由来する、ちなみに補陀落山(ふだらくせん)とは観音菩薩の住む浄土(仏国土)である。補陀落山 観音菩薩の浄土であり補陀洛山と記述される事もある。
梵語名の potalaka
(ポータラカ)の音訳で観音菩薩の霊場を指す事もある、観音菩薩霊場でもある為にインド以外にも広がり浙江省の補陀落山・チベットのポタラ宮等がある、華厳経に記述があり善財童子が訪れたとされている。 

10、観音菩薩の性について、本来は如来と同じく性を超越しており男性(勇者)の固有名詞であるが、ご利益がインドの女性神と性格の共通点が多い事からヒンドウー教の影響を受け7世紀中盤頃から女性とも考えられる観音が現れ始める。

11、梵語 
Arya、アーリア 「聖」は「正」の意味も併せ持つ、従って正観音菩薩の呼称も正しい聖・正ともに「しょうかんのん」と発音され記述は分かれるが同尊であり、後に現れた変化観音との区分上使用されている。

12、 本尊巡礼 巡礼には二種類あり観音菩薩を本尊とする寺院を行脚する西国三十三ヵ所・板東三十三箇所などの巡礼を「本尊巡礼」と言い、空海の四国八十八カ所・法然上人二十五霊場の巡礼を「祖師巡礼」と言う。

13鳩摩羅什(クマーラジーバ
Kumārajīva 344413

大乗仏教の理論を広めた第一人者である。シルクロード天山南路の要衝亀慈(きじ)国の王子の一人、7歳で出家しキジルの石窟寺院で佛教を学ぶ、当初は上座部仏教を学が大乗仏教に移り中間派を学ぶ、少年時代中国の侵略を受け17年間の捕虜生活の後、401年長安に呼ばれ経典の翻訳を皇帝から命じられる、父がインドの僧侶(母は国王の妹)の為に梵語に精通しており、竜樹哲学(中間派)を中心に翻訳した経典は294(35部)に及ぶ、梵語に精通していた鳩摩羅什は竜樹哲学を中心に翻訳した経典は294(35部)に及ぶ、・大智度論・中論・坐禅三昧経大品般若経般若心経(般若経典)・法華経阿弥陀経維摩経など現在読まれている著作、経典は多義にわたる。

特に法華経は竺法(じくほう)()239316など鳩摩羅什以前にも漢訳は数点存在したが鳩摩羅什訳が出されて法華経は隆盛を見る。
漢訳経典の分類に付いては仏書解説大辞典(宇井伯壽監修)には古訳、旧訳、新訳に分類が為され、古訳に竺法護、旧訳に鳩摩羅什、新訳に玄奘達が挙げられている。


14、主な阿弥陀三尊像 *法隆寺伝橘夫人念持仏) 阿弥陀坐像・観音勢至立像 飛鳥時代 *三千院(往生極楽院阿弥陀堂) 阿弥陀坐像・観音勢至跪坐 平安時代 *仁和寺(金堂) 阿弥陀坐像・観音勢至立像 平安時代 *清凉寺(霊宝館) 三尊坐像 平安時代 *中尊寺(金色堂)阿弥陀坐像・観音勢至立像  平安時代 *浄土寺(浄土堂) 三尊立像  鎌倉時代  この内浄土寺と仁和寺は脇侍の配置が観無量寿経と左右逆の配置である。

15Avalokiteśvaraアバローキテーシュバラの漢訳(音写)は複数ある、「阿縛盧枳低湿伐羅」「阿婆盧吉低舎婆羅」「阿嚩路枳帝湿嚩囉」等々がある。 


16空華(くうげ)の萬行を修すと言う観音の行は「坐水月道場 修空華萬行(くうげまんぎょうをしゅうす)(水月の道場に坐し)」即ち観音の無限の慈悲を行い、跡を留めない水月・空華にあるとされる。  空華とは煩悩からの妄想をいう、即ち濁り眼で空を見ると華のように見える。  萬行とは84000の細行。  水月道場とは現世が仏法の道場である。

17、 
聖観自在菩薩心真言瑜伽観行儀軌に依れば、「聖観自在菩薩。結跏趺坐身如金色。円光熾盛。身披軽繒綵衣著赤色裙。左手当臍執未敷蓮華。右手当胸作開華葉勢。具頭冠瓔珞。首載無量寿仏住於定相」とある、また聖観自在菩薩心真言瑜伽観行儀軌では聖観音は左手に蓮華、右手でその花を開く手つきをし、頭に冠をかぶるとある。

18、シヴァŚiva)とはヒンドゥー教に於ける、ヒンド―教の三最高神の一尊である、三最高神とは・ブラフマン(創造・Brahmā) ・ヴィシュヌ(維持・Viṣṇu) ・シヴァ(破壊・Śiva)を言う、但し三尊は同尊と言う解釈から、これを三神一体(Trimurti・トリムールティ)と呼ばれる

注19、
補陀落山(ポータラカ・Potalaka) 観音菩薩の住む処であるが、玄奘は大唐西域記巻10「秣羅矩吒国(マライコッタ)に於いて実在したらしい記述しているが定かとは言えない、インドの南方の海上にあり、八角の形状をした山との伝承があり興福寺南円堂は模したと言う。

注20、
観無量寿経には観音菩薩の具体的特徴が記述してあり、八十万憶百万()(じゅん)yojanaヨージャナ)あり、全身から放たれる光に修羅を除く六道の世界が表されている、因みに一由旬とは凡そ11.3km14.5km前後を言う、また様々なものを生みだす宝珠即ちシャクラアビラグナ摩尼宝珠の天冠があると言う、摩尼宝珠(チンターマニCintāmai)とは如意宝珠とも言い思いのままに願いをかなえる宝珠を言う。

21、念彼観音力とは
1、燃えさかる火の穴に落とされても観音菩薩の力を念じれば火の穴はたちまち池に変わる。

2、大海を漂流して龍や鬼に襲われても観音菩薩の力を念じれば波に溺れることはない。

3、悪人に山の頂から落とされても観音菩薩の力を念じれば太陽のように空中にとどまる。

4、悪人に追われて山から落ちても観音菩薩の力を念じれば傷一つ負わない。

5、強盗たちに殺されそうになっても観音菩薩の力を念じれば彼らの心は優しくなる。

6、刑場で処刑されそうになっても観音菩薩おを念じれば刀はばらばらに折れてしまう。

7、鎖につながれても観音菩薩の力を念じればたちまち鎖は解けて自由になる。

8、呪いのため命が危険にあっても観音菩薩の力を念じれば、その人に呪いが戻っていく。

9悪鬼毒(あっきどく)(りゅう)の怪物に出会っても観音菩薩の力を念じれば、怪物は毒を与えないようになる。

10、猛獣に囲まれて殺されそうになっても観音菩薩の力を念じれば猛獣は去ってしまう。

11、マムシやサソリが毒を吐いても観音菩薩の力を念じればたちまちいなくなってしまう。

12、稲妻が光り大雨が降っても観音菩薩の力を念じればそれらはたちまち消散してしまう。

13、戦場で死の危険にさらされても観音菩薩の力を念じれば敵たちは逃げ去ってしまう。

 

  主な聖観音像 表内は国宝   ●印国指定重文     仏師  

寺       名

仕             様

 時   代

薬師寺   (東院堂)

 銅像立像 聖観音      188,5cm

 白鳳時代

法隆寺   救世観音

 木造立像          178,8cm 

 飛鳥時代

法隆寺   夢違観音

 銅像立像           87,0cm

 白鳳時代

法隆寺   九面観音

 立像 木造(白檀)      37,6cm

 唐 時代

法隆寺   百済観音

 木造立像          209,4cm 

 飛鳥時代

 中尊寺   金色院 

 木造立像          74.3cm 

 平安時代  

参考

      

    

     金剛法菩薩

木造漆箔 95,8cm 密教では金剛法と同尊とされる

 平安時代  

高野山龍光院 観音菩薩 

絹本著色 伝船中湧現観音像   

 平安時代 

  *法隆寺百済観音菩薩は1997年シラク大統領の要請でルーブル美術館に於いて特別展示され「東洋のヴィーナス」と言われた。
  *法隆寺救世観音は聖徳太子がモデルとされるが、上宮王院建立の経緯から長屋王の可能性が指摘されている。

  
法隆寺 大宝蔵殿 銅像・鍍金・立像
三千院 半跏 木造漆箔 玉眼 藤原時代   

法輪寺 木造・彩色・立像 藤原時代 

興福寺(国宝舘)立像 木造 粉溜彩色 87,0cm 鎌倉時代

勝常寺(福島県河沼郡)木造立像(欅) 167,1cm 平安時代

観世音寺(福岡県筑紫郡大宰府町) 座像  木造漆箔   321,3cm  藤原時代 

南禅寺 立像 木造漆箔 148,5cm  藤原時代  

大安寺 立像 木造彩色 天平時代 
不退寺 立像 木造彩色 191,0cm 藤原時代   花文装飾

清水寺(勢至菩薩と一対)坐像木造漆箔 玉眼 鎌倉時代

鞍馬寺 立像 木造金泥彩色玉眼 176,7cm,cm 鎌倉時代 定慶作
広隆寺(霊宝舘)立像 木造彩色 147,9cm 平安時代  

延暦寺 立像 木造 170,cm 平安時代   
醍醐寺 立像 木造 51,5,cm 平安時代       *1909年観音菩薩として重文指定、20153月文化財審議会より虚空蔵菩薩として国宝答申

南禅寺 立像 木造漆箔 148,5cm 平安時代

円鏡寺(岐阜) 立像 木造漆箔 166,7cm 平安時代   

櫟野寺 立像7躯 木造彩色漆箔 97,0180,0cm 藤原時代 楊柳観音 立像 木造彩色 天平時代 

観心寺 立像 木造彩色 170,2cm 平安時代 

石山寺 立像 銅像 天平時代 六観音

大報恩寺 木造 玉眼 室町時代

醍醐寺 立像 木造 平安時代 
観世音寺 坐像 木造漆箔 321,3cm 平安時代七 寺(ななつでら)(観音菩薩と一対、中尊は1945年空襲で消失) 木造漆箔  玉眼 観音137,8cm 勢至137,8cm 平安時代      名
●鶴林寺 立像 銅像 82,4cm  白鳳時代  兵庫県加古川町北在家424  鶴林寺は播磨の法隆寺と呼ばれている。
●滝山寺 立像 木造彩色 174,4cm 鎌倉時代 三尊の中央 運慶湛慶共作
愛知県岡崎市滝町山籠107)
●国分寺(岐阜、高山) 立像 木造 204,0cm 平安時代
●円興寺(岐阜) 立像 木造漆箔 140,7cm 平安時代  大垣市青墓町880 
●永泉寺(岐阜) 立像 木造彩色 63.3cm  室町時代  多治見市池田町7-3
  
弥勒寺(三重) 立像 木造170.5cm   平安時代   名張市西田原2888

●融念寺(斑鳩町)木造 彩色 藤原時代

泉湧寺     楊柳観音  木像  130,5cm 南宋(鎌倉時代)  楊貴妃観音
三千院     救世観音  木像漆箔  38.8cm  鎌倉時代   飛鳥様式の模刻  
●東慶寺(鎌倉市山ノ内1367) 木像 彩色 切金文様 玉眼   134.5cm  鎌倉時代 
●東慶寺      木像 彩色   坐像            41.7cm     南北朝時代    
●満願寺  木造  224.7㎝  鎌倉時代  運慶 (横須賀市岩戸) 

●東慶寺(鎌倉市山ノ内1367) 木像 彩色 切金文様 玉眼   134.5cm  鎌倉時代 
●東慶寺      木像 彩色   坐像            41.7cm     南北朝時代    
●満願寺  木造  224.7㎝  鎌倉時代  運慶 (横須賀市岩戸) 

●万福寺(大寺(おおでら)薬師 出雲市東材木町416)  二尊 木造彩色 檜一木造  148.0㎝ 161.5㎝ 平安時代 
●勝久寺 立像 木造古色 90.5cm  鎌倉時代   天台真盛宗   津市一身田町 

七 寺(ななつでら) (勢至菩薩と一対、中尊は1945年空襲で消失) 木造漆箔  玉眼 観音137,8cm 勢至137,8cm 平安時代      名古屋市中区大須2285 


 

観音菩薩を中尊とした三尊佛が少数存在する。
西インド地方の石窟寺院では三尊形式の中尊を務める場合もあり女性尊(ターラー・プリクテー)を従えている。

教王護国寺  帝釈天立像    21,7cm 観音菩薩立像 24,9cm 梵天立像   21,7cm  木造 鎌倉時代

●正覚院(香川) 毘沙門天立像 106,4cm 観音菩薩坐像 99,3cm 不動明王立像 98,7cm 木造 鎌倉時代

●瀧山寺(愛知) 帝釈天立像   104,9cm 観音菩薩立像 174,4cm 梵天立像 106,5cm 木造彩色 鎌倉時代  運慶、湛慶 (愛知県岡崎市滝町山籠107)


主な変化観音

●救世観音      三千院 木造漆箔 玉眼   38,8cm 鎌倉時代

●白衣観音(高知)  竹林寺 木造         100,8cm 室町時代

●揚柳観音      大安寺 木造彩色      168,8cm 天平時代




 
説明: C:\Users\Owner\katada202\kyoto\button1.gif         仏像案内   寺院案内  菩薩


最終加筆日 20041128日  200561日 2007年2月25日密教の八大菩薩 変化観音の起こり 426日 712日起源 変化の起こり  200817日注13 520日  2009年11月3日チベット関連 2010216日 2011624日 一部 2012522日三尊逆配置 92īśa他 9月24日空華の萬行他12月23日Av ī ci-naraka 2013年12月14日観音の依経2013年12月26日大乗との時期関連 12月31日注13後尾 2014年3月18日天冠の中、4月14日注18 6月19日マリア崇拝 7月8日 9月9日 12月6日 2015年1月7日村上太胤の観 3月15日上宮王院と長屋王関連 2016年4月8日 5月3日 7月15日 10月13日 2017年2月10日 3月14日 4月11日 6月8日 7月13日加筆

 

 

  

 

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