上座部仏教 (小乗仏教)
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上座部佛教theravād 部派佛教・アビダルマ佛教 abhidharma、Theravādaを分解するとthera=上座、長老を意味し、vād=論、派を意味すると中村始氏は言う
南伝佛教と言われ紀元前三世紀にはアショーカ王の親族マヒンダによりスリランカに伝播される、紀元前3世紀~1世紀には部派仏教特有のパーリ語i経典が伝わる、アショーウカ王(紀元前268232頃)の子マヒンダからセイロン(スリランカ)に伝えられ、11世紀にはビルマ(ミャンマー)、タイにタイからカンボジア、ベトナム、東南アジアに広がる、上座部と言われる様に声聞(しょうもん)すなわち釈尊の教えを直接に聞いた直弟子群を主体とした僧達を言う、但し声聞乗と言うタームは大乗佛教Mahāyāna buddhismを言うが覚者の弟子たち声聞の乗る上座部仏教の究極の境地は灰身滅(けしんめっ)()にある、灰身滅智とは身を灰にして智を滅して、煩悩を断ち、身も心も無にして執着を捨てる事を言う、立川武蔵氏に依ればこれらの国々はtheravāda信仰ではなかったがヒンズー教や大乗佛教が信じられていたが十三世紀頃にイスラムに侵攻された後に興隆したと言われている、通常仏教の変遷として* 初期仏教~*上座部仏教~* 大乗仏教の流れと思惟されるが、上座部仏教興隆の地と言われるミャンマー(ビルマ)の場合は当初ヒンズー教と大乗仏教が混淆した信仰であったが、11世紀にビルマ族のパガン王朝により上座部仏教が定着した。 
大乗部からの貶称(へんしょう)、すなわち蔑称用語は小乗佛教、即ちヒーナ・劣る、ヤーナ・乗り物と訳される、ヒーナヤーナ(hinayāna)と言うが、インドに於いては一寺院に於いて各派が同居して上座部が主流派であった事が判明し学術面でもtheravādである、大乗教団が成立したのは四世紀頃で、上座部の僧達が作った大乗経典が出来た後であると米国ブラウン大学
Brown Universityのグレゴリー ショペンGregory Schopenは言う、小乗と言うタームは使用すべきでない、このサイトでは「上座部佛教」と呼ぶことにする、大乗仏教側から劣る乗り物、即ちヒーナヤーナと侮蔑されたのは法華経化城喩品第七にあるのかもしれない、喩すなわち例え話としてであるが「幻の都城」幻のオアシスを小乗と呼んだと言える、上座部は一乗を唱える法華経迹門からは声聞乗及び縁覚乗と看做(みな)されている、因みに法華経が説かれる前の佛法は三乗すなわち、釈尊の教えをそのまま行う *声聞乗、 一人で学ぶ独覚の *縁覚乗、 自利利他を目標とする *菩薩乗(大乗)の三乗を言う、因みに声聞乗Śrāvakayāna・シュラーヴァカヤーナ)等は密教の側からは小乗仏教の範疇に分類されている。
閑話休題、
立川武蔵著「ネパール密教」では小乗と漢訳されたが梵語の意訳は「劣乗」が正意と言われる

釈尊が覚った「自受法楽(じじゅほうらく)」の無言語仏教を高崎直道氏は法中心の佛教と言う、正木晃氏に依れば現在は欧米の研究者の間では初期佛教が正統派main streemと言う評価を受けていると言う、釈尊は自受法楽状態であったが、梵天勧請を受けて説法、布教を創めた。

上座部仏教と小乗仏教Hīnayāna、劣る乗り物の呼称について、「大乗こそ真の仏教で、小乗はその前史」と言い小乗仏教の呼称は侮蔑用語ではないと言う著名な宗教評論家がいるが認識に疑問がある、曰く小乗~大乗へ進化するものであり、誰もが小学校の段階を踏まねばならないと言う、教義に優劣をつけても仏教の場合は戦争にはならないが、一神教では殺戮が起こる、宗教に優劣は存在しない、氏の論理を一神教に変換するとユダヤ教、カトリック、プロテスタント、イスラムは前に行くほど、前史(幼稚)となり大変な事態になる、宗教をレベル付して小学校=ユダヤ教、中学校=カトリック、高等学校=プロテスタント、大学=イスラム教と決め付ける様である、凄惨な宗教戦争が起こりそうな論理である、一神教には多くの「宗教戦士」Religious militant、リリジャスミリタント)達が居る、必ず衝突collisionを起こすであろう。
一神教の神は人格神で「ヘブライズムの神Hebraism」とも言い古来パレスチナ住んだヘブライ人に信仰されたと正木晃氏は言う、佛陀は人格神を否定した、これは一神教の神は無論の事 *阿弥陀 *薬師 *毘盧遮那 *久遠実成の佛等の如来も人格神であり、大乗仏教とは二律背反(独、Antinomie・アンチノミー)になる(あなたの知らない仏教入門  春秋社)
要するに大乗仏教の教理は、原始仏教の伝承等を批判しながら、実は原始仏教の縁起・般若・空・慈悲等々を淵源として成立している。

正木晃氏に依ればインドに於いては密教が興るまでは大乗仏教はマイナーで上座部仏教が主流であったという(あなたの知らない仏教入門・春秋社)

大乗vs小乗と酷似している侮蔑語に「小説」があり反語に「大説」がある、大説とは為政者、君子が国家や政治に対する志を著した書籍を言う、通常は四書五経が言われる、因みに「物語り」即ち水滸伝や大唐西域記を参考にした西遊記、三国志演義などは小説と言い些か蔑まれている、小説は如何に高い格調や耽美さを著しても小説である。

佛教に限らず総ての宗教は歴史を経ており新古の区分は在るが、基本的に優劣、正否は存在しないし区分をしても差別する事は慎まなければならない。
上座部佛教・梵語ではスタビラ・バーダ
Sthaviravādaーリ語i語)Theravāda(テーラーバーダ)と呼ぶべきである、分裂の原因には諸説あるが十事の非法五事問題佛教注19と言い阿羅漢即ちアルハットarhat)の評価の相違も一因とされる、閑話休題、日本語の寺(tera)の語源はi語のTheraから採られているとの説がある。    
閑話休題パーリ語と梵語であるがsasktaは格式を誇る公用語であり「完成された」を意味し梵天が創り上げた言語との伝承から梵語と漢訳された、ーリ語はマガタ地方の方言であるが釈尊が日常使用していた言語とされる。
タイ、スリランカを中心になど東南アジアなどに伝わった教えである。BC300年頃)また南伝佛教とも言われる、出家中心主義的な厳しい戒律厳守がある、バーリ語訳(中期インドのアーリア*ブラークリッツトの代表言語で小乗経典の為の言葉ともされている)の経典を用いている。
出家至上主義を貫き僧侶は托鉢で糊口を凌ぎ在家信者は喜捨する事により功徳を得ると言い古典佛教の様式を踏襲される、しかし釈尊は覚りを開いた後55年の間に雨安居を除き王朝貴族から下層民に到るまで無差別に教えを説いて行脚した事実は大きな乗り物すなわちMahāyānaではなかったか
重ねて言えば小乗佛教と言う呼称は小さな乗り物と言う大乗側の侮蔑的な呼称で好ましくない、もう一つ上座部には侮蔑される「名字比丘」
(注1は存在しない。 
因みに上座部と大乗の分類に付いては倶舎宗・成実宗・律宗は上座部
(小乗)で・法相宗・三論宗は初期で、少し時代を経た・華厳宗は大乗の範疇に入る
上座部に於いては帰依の対象と成る「佛」は釈迦如来一尊であり、従うのは十大弟子を含む阿羅漢である、上座部のスターである阿羅漢であるが大乗仏教の興りと共に”強烈な欲望否定”や糞掃衣(ふんぞうえ)が忌避された事と、自己中心的な悟りと解釈され”利他行”に乏しいとされた、阿羅漢はその座を菩薩信仰に変更された、しかし中国に於いて会昌の
法難(廃仏)等で寺院や仏像を公に開示出来ない時代に、道教と習合して秘密裏的に生まれた禅宗では、道教思想の無為自然・虚無思想と習合して阿羅漢信仰が復活した、但し衣装はインドの糞掃衣ではなく、フリーダム(Freedom)である。
上座部の基本理念は三法印的な哲学にある、三法印とは・「諸行無常」・「諸法無我」・「涅槃寂静」を言う、また「一切皆苦印」
(一切諸行皆悉是苦)を加えて四法印とも言う、但し三法印は大乗仏教に於いてバラモン・ヒンドー・ジャイナ教の様な外道と一線を隔す為に言われた基本理念で小乗、部派に於いて思想として著されるが三法印と言うタームは使われない。

因みにアビダルマ部派佛教 abhidharma 法の研究)であるが梵語abhidharma、パーリ語iでアビダンマabhidhammaと言う、論の研究と言う意味合いを持つ、すなわち三蔵の内に入る法・律・論はそれぞれ経蔵・律蔵・論蔵にまとめられる、著名な論に舎宗の根幹となる阿毘達磨舎論がある、論蔵は七論があり・分別論 ・人施設論 ・法聚論 ・界事論 ・双論 ・発趣論 ・論事が言われる。 abhiはテーマに対して dharmaは理法教え) 

アビダルマと言えば、説一切有部sasktaSarvāstivāda  i Sabbatthivāda, Sabbatthavādaであるが、カニシカ王を筆頭に貿易商などの資産家達から特別な援助や寄進を受けた、豪華な石窟寺院に住み、教理研究・瞑想・座禅に没頭し、権勢すなわちプレステージを謳歌した部派である、部派仏教時代に上座部から分かれた代表的な部派である、同じ上座部に属していた「分別説部」と並んで、多数の阿毘(あび)達磨(だつま)(アビダルマ abhidharmaを残している、代表的なものに「阿毘達磨大毘婆沙論(だいびばしゃろん)」200巻がある。

上座部には四向四果(しこうしか)と言い行のランクが設定されている、預流果から阿羅漢果までがある。

預流果(よるか)(こう)―――預流果―――、一来果(いちらいか)―――不還(ふげん)(こう)―――不還果―――阿羅漢向―――阿羅漢果
覚りの4段階+1を挙げると:「預流向」
第一段階:「預流果」と「一来向」のワンセット
第二段階:「一来果」と「不還向」のワンセット
第三段階:「不還果」と「阿羅漢向」
(応供向)  最終段階:「阿羅漢果」となる。  (「(こう)」とは修行の目標を言い、()」は到達点に達した境地を言う、「衆」とは声聞乗に未到達を言い「乗」は到達者を言う)

以上に分類もされている、要するに大乗から観れば二乗は再び仏と出会うことは無い、乗とはpāli語でyāna即ち乗り物である
因みに部派佛教は上座部には大乗側から批判された「説一切有部」を初めとして「法上部」「賢冑部」「化地部」「飲光部」「正量部」や南伝仏教の源流でもある「分別説部」があるが「多聞部」の様な大乗系があり断定はできないとされる。
説一切有部
とは梵語の
sarvāstivādin, sarvāstivāda(サルバーステイバーデン)と言い、略称を「有部」と言う、「異部宗輪論」(注29に依ればBC2世紀頃に部派から分派した集団であるが大乗の触媒的な要素を含んでいる、即ち70に及ぶ法を想定し、過去、現在、未来の三世は同一であるが経験出来るのは現在(瞬時)のみとして諸行無常に結び付ける三世実有説である、因みに108の煩悩は説一切有部から考え出された、阿毘(あび)達磨大毘婆沙論(だつまだいびばしゃろん)Abhidharma mahavibhasa sastraと密接に関連している、説一切有部教義の代表に「六足論」「発智論」「大毘婆沙論」「顕宗論」等がある
上座部に於ける出家者は寺に常住の僧と遊行僧があり前者を「久住比丘」後者を「客比丘」と区別されていた
Pāli語とは源語では「保護」あるいは「防護」を意味するが、「聖典語」と言う意味を持ち上座部で帰敬偈(ききょうげ)や三帰依文に称えられるParittā(パリッター)と語源を同じくする様である。 
theravā
da
(上座部)では釈尊は最後に覚りを開いた聖者であるが生身の人間である、Mahāyāna(大乗佛教) の言う様な神格や久遠実成ではない、要するに仏像では阿弥陀如来や観音菩薩、諸々の明王等々、及び経典では法華経、般若経典、浄土三部経等々、即ち大乗仏教関連は認められていない。

金剛頂経の著者津田真一(春秋社)に依ればcriticality(危機的 クリテカリティー)状況を3項目挙げている。
大日経と金剛頂経とはcriticalである。 
大乗仏教と密教はcriticalである。 
利他行(大乗)と瑜伽仏教(上座部)criticalであると言う。因みにcriticalを二者択一と訳されている、以上を以って三層関係を形成すると言う。

脱線するが1947年頃にドイツ文学者の竹山道雄による小説「ビルマの竪琴」がヒットし映画にもなった、当時中学生であった私は感動して読んだ、但し内容は佛教に対する認識が欠如している、日本の大乗の大乗佛教と違いビルマは上座部佛教の国であり出家者による歌舞音曲は無論のこと鼻歌も戒律で 禁止されている、水島上等兵の様に竪琴を奏でる僧侶は絶対に存在しない、また映画でも法衣をビルマ僧(ミャンマー)の赤色系でなく、タイ佛教僧の黄色を着ている、出家僧は喜捨を受けても在家信徒に対して合掌する事はない。         kasaya、カーシャ

釈尊以前の覚者と言えば毘婆尸仏から毘舎浮仏までを、過去の住劫(じゅうごう)すなわち荘厳劫の覚者であり、拘留孫仏以後の釈迦牟尼仏までは、現在の住劫、即ち賢劫(けんごう)の覚者とされる、因みにパールハットには西暦1世紀頃の七仏の浮彫が有ると言う。

過去七仏とは                             (劫に付いては仏像の注13を参照願います)
毘婆尸仏(びばしぶつ)―――vipśyin―――ヴイオアシュイン―――荘厳劫の仏(過去の劫)――― 寿命(āyu-pramāa) 84千歳(阿含経) 
尸棄仏(しきぶつ)――― śikhin――― シキン―――荘厳劫の仏(過去の劫)―――寿命(āyu-pramāa) 7万歳
毘舎浮仏(びしゃふぶつ)―――viśvabhū――― ブイシュアブー―――荘厳劫の仏(過去の劫)―――寿命  6万歳
倶留孫仏(くるそんぶつ)―――krakucchanda―――クラクッチャンダ―――賢劫の仏(現在の劫)―――寿命 4万歳           
倶那含牟尼仏(くなごんむにぶつ)――― kanakamuni――― カナカニム―――賢劫の仏 (現在の劫)―――寿命 3 万歳
迦葉仏(かしょうぶつ)―――kāśyapa ―――カーシュヤパ―――賢劫の仏 (現在の劫)寿命  2万歳 に至る六仏になる更に  
・釈迦牟尼仏、śākyamuni
(シャーキャムニ)を加えた 過去七仏に対して 
・弥勒菩薩の様な未来仏も考え出された。

次ぎに大乗佛教に入るが佛教は二系列に分類出来るほど単純では無いが、因みに仏弟子の乗り物である声聞乗śrāvakayānaとか縁覚乗pratyekayānaも含まれる。

 

1、 「名字比丘」とは戒律(四分律)を守る事なく、外形のみ僧侶の姿をした外形だけの厚顔無比の僧侶の事、これを「在家沙弥」とも呼ばれた、因みに比丘とは梵語Sanskrit サンスクリット)Bhiku(ビクシュ)orパーリ語 i )のBhikkhu(ビック)の音訳で、正式な男性出家者を言う。


2、 
上記過去七仏に於ける共通の教義を纏めた偈に「七仏通誡偈」があり法句経などに記述がある、禅宗系上座部佛教に於いて重要視されている、内容は以下の四項目である。

*諸悪莫作(しょあくまくさ) 、(Sabba pāpassa akaranam・サッバ パーパッサ アカラナン)もろもろの悪を作すこと莫く。  *(しゅう)(ぜん)奉行(ぶぎょう) 、 (kusalassa upasampadā・クサラッサ ウパサンパダー)諸々の善を行い。  *自浄(じじょう)()() 、(Sacitta pariyodapanam・サチッタ パリヨーダパナン)自ら其の意を浄くす。  *()(しょ)仏教、(etam buddhāna sāsanam・エータン ブッダーナ サーサナン)是が諸々仏陀の教えなり。    (「衆善奉行」は天台宗では「諸善奉行」天台では漢訳が使われる)
一休宗純による「諸悪莫作 衆善奉行」と墨書した軸が出光美術館にあり著名である。 



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20141220日 佛教より独立  2017年1月18日 5月18日 2018年1月12日 1月31日加筆  





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