多羅(たら)菩薩 devī デーヴィー) (tārā・ターラー)

 

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多羅仏母・多羅、救度仏母救度母(くども)(tārā)とも言われる、観音菩薩の涙から生まれた伝承があり、衆生に対して慈愛の眼を持つ慈悲と利他行(りたぎょう)を行い「輪廻の苦重を救済する女神」である、tārāは瞳とか水上を渡ると言う意味を持つ、彼岸への引導の案内を務める菩薩でインドやチベットでは緑色(観音菩薩の左眼の涙から)や白色(観音菩薩の右眼の涙から)の像があり菩薩の中で男性の貴族・勇者のイメージを持ち有縁の本尊である観音菩薩と並び最も信仰を集めた、中国や日本には金剛界曼荼羅を除き、さほど取り入れられ無かったがインド、スリランカ、チベット等では多羅菩薩信仰は篤い、多羅像は釈迦、観音菩薩に次いで多く造像されている、但し7~8世紀に起こった密教、特に金剛界曼荼羅にはインドの土着信仰の妻たちが多く取り入れられた、因みに女性的性格の尊格は総てヒンズー教からの移入と観て過言ではない。
インドでは民衆の土着思想を取り込み「明妃」即ち女性菩薩が取り入れられた、ターラーは大乗仏教時代から存在している、女尊では嚆矢の菩薩である、
金剛薩埵大日如来、観音菩薩の妃徒としての記述も観られる、また救度仏母の救度はチベット名の漢訳である、因みに菩薩の梵語名は bodhi sattvaであるが男性名詞である為に、ここではtārāの次にsattvaは書き込まない、多羅はヒンズー教では菩薩ではなく女神devī デーヴィーであり、偉大なる母と言われている、中国や日本ではターラー信仰は存在しなかったが、本来男性である観音菩薩を女性化して救度仏母の役割を担当させたと解釈出来る様だ、因みにターラーのチベット名はドルマ(救済者 grol ma)と言う。
ターラーはエローラ石窟群(Ellora caves)だけでも20尊程存在し、インドやチベット等で絶大な人気を持つ女尊であったが経典類は少ない、依経となる漢訳経典を挙げれば「不空羂索神変真言経(ふくうけんじゃくじんぺんしんごんきょう)」「大方広曼殊室利経(だいほうこうまんじゅしりきょう)」「摂無礙経(しょうむげきょう)」に記述が観られる程度である、これは聖書に記述は無いが絶大な人気を持つマリアとの共通点かもしれない、中国や日本の場合は多羅菩薩に人気は無いが、本来男性である観音菩薩を女性に変成(へんじょう)して母性化している。
重ねて言えば
Tārāは中国~朝鮮~日本での人気、作例は稀少であるが、チベット密教では重要な尊格と人気を有しカダム派では、・釈迦如来観音菩薩不動明王と共に四本尊に数えられている、通常の姿形として右手で予願印を示し、左手は青蓮華を所持する例が観られるビハール出土、ニューデリー国立博物館
観音菩薩の眼から派生したとされる女性の菩薩であるが、
観音の右目の涙からは白多羅が、左目の涙からは緑多羅が生まれたと言う伝承がある様だ、但し伝承は伝承であり割り引いて聞かなければならない。
作例としては六世紀頃と古くはないが多くの種類のtārāが造像されインドのエローラ石窟
Ellora cavesには25尊の作例があると言われる、代表例を挙げればビハール出土でニューデリー国立博物館所蔵の、ターラーは豊満な肢体を示し、右手は予願印を結び左手には経函(きょうかん)を載せた蓮華を持つ代表的なポーズである、密教では仏の智慧を象徴する女神(じょじん)として設法する。
典拠となる経典は「大方広曼殊室利経」(不空訳・大20・ 1101) 、「不空羂索神変真言経」などである、多羅の件は玄奘の「大唐西域記」にも記述がる、中世インドにはアーリア人の信仰するバラモンの男女差別とカースト制度に対するアンチテーゼの為か、七世紀頃からヒンズー教に於いて女性尊の信仰が拡大する、女人救済を目指して「変成男子(転女成男)」すなわち男性に性転換して成仏させる、と言う些か無理な救済をしていた大乗仏教から密教時代になり多羅菩薩を嚆矢として女尊の採用を始めた、釈尊は女性差別を行わなかったが、上座部に於いてバラモン等インド古来の女性蔑視の思想を踏襲した、因みに薬師如来の瑠璃光浄土には以上の理由もあり女性は存在しない。
ヒンズー教の著名な女性尊が多く、尊い女性を明妃と呼ばれていた、インド、チベット等々の仏教ではインド古来の女神信仰と言うエトスがナーランダ(Nâlandâ)やマガタ国(Magadha)、パータリプトラ梵語 Pātaliputra、i語 Pātaliputta)に存在したと言われ、ターラー
(多羅菩薩)が最も崇拝されたが中国や日本に於いて胎蔵曼荼羅の蓮華部院(観音院)に描かれる以外は造像される事も信仰を得る事も無かった、因みに密教名すなわち密号は悲生金剛・行願金剛などとされる、多羅菩薩は観音菩薩の輝く瞳tārāターラー)からとか、慈悲の涙からとか生まれたとされる、同じく観音の眉の皺から生まれた毘倶胝(ブリクテー  Bhṛkuṭī)と共に観音の脇侍を務める女性尊である、密教では特にこれ等の女尊を総称して明妃(みょうひ)と呼ぶ。 
インドで登場した時代は密教の中期以降で中国では唐時代末か宋の時代であり、空海の帰国後に当たる。
ビハール州クルキハールで出土したターラーはインド仏教美術史の最後期に位置するパーラ朝(9世紀頃の作と10世紀頃)の2尊が知られている。
日本に於いて信仰された女性尊は孔雀明王
(マハーマユリー・
ahāmayūrividyārājñi准胝観音(チュンデイ・cundiの二尊が信仰された代表尊と言える、もう一尊「八千(じゅ)般若経」では諸仏の母すなわち仏母としてプラジュニャー パーラミータすなわち般若心経と同じ梵語スペルの智慧の女神、プラジュニャーパーラミター(般若波羅蜜多仏母Prajñā-pāramitā-hを挙げる 
多羅菩薩は梵語名 Tārā(ターラー)の音訳を言い意訳に於いては眼精・星輝を意味する、観音菩薩の眼から発せられる光明から生まれ、観音化身とされ三尊形式では釈迦如来の脇侍を務める事がある、願望・気運などなど成就のご利益を有すると言う、脇侍の姿形は緑色で左手に華弁の先端が鋭い青蓮華を持ち右手で華を開きふくよかな胸を示す、観音菩薩の目から生まれただけにチベット等に多い白多羅菩薩は魅惑的な肢体白い肌をしていて両目のほかに、第三の目と両手のひら・両足の裏にも目を持ち七眼で慈悲を発する、「大方広曼殊室利経」の観自在多羅菩薩儀軌法に依れば、観音菩薩が普光明多羅三昧と言う三昧に入ると”右の瞳から大光明が放たれ光明と共に妙女が形を現すと言う、またターラーは世間母と呼ばれ、大乗の尊格総ては多羅の子であるとの記述がある(仏教の女神たち 森雅秀 春秋社) 
通常は「二十一尊多羅礼賛経」があり多様な表情や色の相違を見せてサルベージする衆生の前に現れると言う。
特にチベット仏教に於いては別名「救度仏母(くどぶつも)」と言われ信仰の篤さは絶大の大菩薩女であり sgrol ma(ドゥル マ)即ち救う母の意味を持つと言う、インド後期密教の総本山ヴィクラマシーラ寺の座主
(アテイーシャ)がチベットに赴き、多羅菩薩を重要視した為に多大な信仰を集めておりデプン僧院ゴマン学堂壁画などが著名である
多羅は大乗仏教の興りと時を同じくして生まれた女性尊で大唐西域記に於いて観音菩薩文殊菩薩弥勒菩薩と共に顕わされている。  
女性尊崇拝に付いては釈尊が覚者と成る直前に誘惑したのは女性であった事から当初は否定されていたが、インドに於ける国民性に依るものか男女の抱擁、性行為などは秘事ではなくなり後期密教に継承される、多羅とは渡すと言う意味もあり彼岸への救度を行う信仰もある、その他多羅と並ぶ女尊では宇宙の根本をなす女性原理を指すと言われる「般若波羅蜜(プラジュニャー パーラミター  prajñā paññā」、孔雀仏母とも言われる「大孔雀明妃(マハー マユリー Mahāmāyūrī)」等”八千頌般若経(はっせんじゅはんにゃきょう)”に記述がある。
* 嵯峨大覚寺門前の青蓮庵真言宗 単立の本尊は多羅菩薩である。
 



1、中外日報社のネット上では「般若心経」のチベット語版の書名には、「女尊即ちバガヴァティたる般若波羅密多の心髄」に記述を見る、「バガヴァティ Bhagavathi」とは「母」「仏母」という意味を言う様である。 



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200732日 2008101日 更新  2009113日 21尊多羅礼賛経 2012年4月7日七眼他 2013年7月8日白多羅他 2015年9月4日tārā他 2016年4月8日 8月13日 2017年3月29日 11月16日 12月30日 2018年9月9日 2019年4月16日 12月25日 2020年4月13日 6月3日 8月31日 2022年4月15日 23年7月31日加筆      

  

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