唯識(ゆいしき)   
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唯識Vijñapti-mātratā ヴィジュナプティ・マートラターとはバラモン思想を源流とするインド哲学の一端である、詳しくは「唯識所変(しょへん)」等とも言い、小室直樹流に読み下すと「ただ識によって変じだされた所のもの」、すなわち仏教の論理を突き詰めた仏教哲学、即ち深層心理学(岡野守也氏の表現)の極致である、要するに龍樹の中観派思想Mādhyamika マーデイヤミカ)、空(śūnya シューニャ)と双璧を為す大乗仏教の根本思想の一つと言える、因みに所変とは神仏が「生きとし生ける者」を救済する為に姿を変えて化現(けげん)することを言う、中村始氏は唯識とは空の論理的難点を説明する為に生まれたと言う、”依他起性(えたきしょう)”、要するに宇宙に存在する実体的な物で不変な物は何一つ存在しないと言う哲学と言える。 
構成要因を挙げれば、下表に詳細を示すが五種類の感覚即ち表層識(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、 意識)+深層識すなわち二層(末那識 阿頼耶識)の無意識を言う、視覚~触覚まで経て阿頼耶識(あらやしき)に到達する、閑話休題 ヒマラヤであるが、ヒマとは雪を意味しており、アーラヤとは蔵を意味する、因みにヒマとアーラヤの合成語でありヒマラヤ(himaiaya)すなわち”雪の住まい”となる様だ(唯識の勧め 岡野守也 )
法相宗の根幹となる教義で「識」、即ち「心」以外は何物も存在しない
(一切の存在は本体を持たない)、世の中全ての事柄はただ(唯)識の変化したもので永遠(絶対)な事例は無いと説く、また自己の構造を探求する非常に難解な哲学philosophy フィロソフィー)である、唯識では自然現象・社会現象・下界に実在している様に見える現象総ての実在を否定する、物が存在する、但しその物は人間の作り出した幻影、妄想である、実在するのは認識すなわち識のみである、これを”人空(にんくう)”と言う、井沢元彦流に言えば「識とは個性の根源ではない」事になる、個性すなわち霊は無いと言える、輪廻転生の否定にも成る、元来輪廻転生は仏教の思想ではない、ヒンズー教を含むインドに於ける土着信仰のエトスである。
唯識は日本仏教に於ける総てとも言える宗派に影響を与えていると横山紘一氏立教大学名誉教授)は言う。  
梵語
vijñaptimātravāda(ビジュニャプティ・マートラ・バーダという、唯識を咀嚼すれば唯(唯一)(こころ)「総てが己の心」であり、眼に映る事例すなわち肉体・物質・自然環境に不滅な事例は存在しない、ただ「心」のみにあり総てが無に帰する、言い換えれば見える世界は総てが仮設であり心が著わしたものである、更に表現を変えれば「万物流転」すなわち総ての物は流転する」、魂の存在や 輪廻転生を否定する、通常の佛教の言う佛教論理は衆生を導く為の方便と言う。
中村始氏に依れば佛教の蘊奥とされるキーワードは「空」「無」である、総てが空であるのに私達は存在しているし‐‐‐‐‐‐それを説明する手段として、唯識が現れたと言う。
空論の理解解釈は難解極まりない、正木晃氏曰く「空論」を *インド即ち龍樹の説く空、*密教から解釈の空、*チベット流の理解解釈、*中国流の理解解釈、*日本流の解釈では180度近い相違があるが、何処の解釈が正確化は判定不能的に言われる。(空論 春秋社 正木晃)
唯識は多くの四字熟語が言われる、「唯識無境」「人々唯識」「唯識所変 」「唯識無境」等と言う、己のを究明する哲学である、唯識を現代語に置き換えれば「深層心理学(唯識のすすめ・NHK出版)と仏教心理学者、セラピストtherapistの岡野守也氏は言う、瑜伽(ゆが)(ぎょう)とも言いインドに於いて世紀後半頃に興った大乗思想で仏教の蘊奥と言える哲学である。
弥勒
maitreya・マイトレーヤー)を祖とし無着asagaアサンガ)世親vasubandhuヴァスバンドウ)兄弟で唯識理論は完成した、「万物流転」即ち総ての物が移り変わると言える、梵語でVijñāna,(ヴィジュニャーナ)、i 語ではviññāaと言う、従って系譜としては・弥勒・無着・世親・無性・護法・戒賢・親光・玄奘と継続した、この内玄奘の師とされる戒賢(silabhadra・529~ 645年)は玄奘がナーランダ寺Nālandā 蓮のある場所が元意で学んだ頃、寺最高責任者で唯識の碩学であった
閑話休題、梵語Sanskrit サンスクリット)とパーリ語Pāḷi )の関係であるが、梵語はインド古典の公用語でBC12世紀に於けるヴェーダ聖典も梵語で記述されている、但し日常会話には使われていない、日常は釈尊も使用したとも言われるタミル語やヒンディー語等々が使用されていた、パーリ語は上座部仏教の古典語でBC3世紀頃の北インドの言葉が聖典用語として定着されたもので梵語と同じ系譜である。
唯識の構造を明示した書に玄奘の弟子で事実上唯識思想(中国法相宗)の祖である窺基(きき)632―682年)による「大乗法(だいじょうほう)(おん)()(りん)(じょう)(7)Da-cheng fa-yuan yi-lin-zhang) が著名で唯識研究者に於けるバイヴル的存在の書である、他に窺基の著作は「唯識述記」(20) 、「(じょう)唯識論(ゆいしきろん)枢要(すうよう) (4)、「瑜伽論(ゆがろん)略纂(りゃくさん) (16) などがある。
総ての存在は識すなわちに顕れに過ぎない仮設の存在と説く、唯識を唱えたのは瑜伽行派すなわち瑜伽行 (yogaacaara ヨーガーチャーラ)唯識とも言われ、龍樹を祖とする中観(ちゅうがん)と共に中期大乗仏教の中核をなす哲学で大乗仏教に於ける大乗の二大学派の一派と言われている、但し龍樹の中観派は一切が空という、対して唯識は一切は空にあらずと対立する、すなわち中観派の矛盾を補填する為の哲学と言える。唯識哲学は前後期に分類出来る、即ち初期に「唯識三十(じゅ)」を中心とする弥勒、無着、世親等が挙げられ、インドから中国への渡来僧・真締(しんだい))Paramrtha499=569年)(注4)を経て、「成唯識論(じょうゆいしきろん)」の護法、玄奘、慈恩達から法相宗への後期がある、七世紀インドに学んだ玄奘は唯識三十頌の注釈及び解釈を著したのが成唯識論Vijñapti-mātratā-siddhi ヴィジュナプティ・マートラター・シッディや「仏地経(ぶつじききょう)」である、閑話休題玄奘は興隆を始めていた唐に於いて瑜伽師地論(ゆがしちろん)Yogācārabhūmi-śāstra ヴィジュニャーナヴァー ヨーガーチャーラ・ブーミ・シャーストラ「瑜伽唯識論」Vijñānavāda ヴィジュニャーナヴァー)は無論の事、「順正(じゅんしょう)理論」「顕揚(けんよう)論」「阿眦達磨(あびだつま)」「因明(いんみょう)」「声明」「集量(じゅりょう)」「中論」「百論」「倶舎論」「六足(ろくそく)阿毘曇(あびどん)」「仏地」(仏陀心境を言う 仏地経)等々を修学したが、密教を「異道」と呼び正当化していなかった、但し「外道」すなわち異教徒との評価ではなかった様子が覗える。
総てが空」と言いながら現実に生物も自然物の存在している中観派の矛盾を「識・心」で論理的に補完した哲学でもある、瑜伽行派(唯識派)は日本に伝わった宗派では三論宗に次ぐが三論は朝鮮半島を経由したのに対して唯識すなわち法相は唐への留学僧達が直接請来した哲学である。
空すなわち何も存在しないと言うが、現実に人間等々は存在している、これを説明する為に唯識が著されたと、中村始氏は言う、閑話休題、唯識学派の別名を瑜伽行派
(Yogācāra ヨーガーチャーラとも言う。 
玄奘三蔵がインドに於いて戒賢に学び、帰国後に「解深密経(げじんみつきょう)(注2を漢訳し、世親による唯識三十頌の注釈と批判書と言える「成唯識論(じょうゆいしきろん)」を著したのが嚆矢で、その弟子たちに依り法相宗が成立した、日本に於いては玄奘とその一番弟子である窺基(きき)に直接学んだとされる道昭や、後に留学し当時の唯識の碩学智周に従った玄昉などにより請来された、後に唯識に重用された経典に楞伽経(注3がある。 

唯識は従来の仏教(六識)+深層の二識を加えて成立する、すなわち識は下図の様に八識で構成され表層深層がある、さらに表層識には「意識」に「眼識(げんしき)(視覚)」「耳識(にしき)(聴覚)」「鼻識(びしき)(嗅覚)」「舌識(ぜっしき)(味覚)」「身識(しんしき)(触覚)」の六識がある、これらを了別境識(りょうべつきょうしき)とも言う、了別vijñaptiとは事例を認識する行動の総称、即ち八識すべてに通じる働きとされる。
唯識に於いては真理の世界を清浄法界と言う、清浄法界(理)+四智(智)=五法=悟りの智慧であり、四智とは、1.大円鏡智、2.平等性智、3.妙観察智、4.成所作智を言う、五法で理及び智をクリアーしている。
これ等の人間の精神を中心とした現象世界を倶舎論では五位百法(75法)で分類される、1、心王、1、心所、3、色法、4、不相応法、5、無為法、となりこれらを分類される、下述もするが八識心王のうち前五識(ぜんごしき)、即ち *眼識 *耳識 鼻識 *舌識 *身識に*六識すなわち意識を加えたものを”了別境識(りょうべつきょうしき)”と言う。

深層識には我執の本体である「末那識(まなしき)Manas-vijnaana(自我意識)」と、生命の中核を占める「阿頼耶識(あらやしき)ālaya-vijñāna(潜在意識)蔵識(ぞうしき)がある、末那識とは人間の意識の範疇にある心、すなわち自我・煩悩・拘りの源を言い、煩悩すなわち・(とん)(まん)無明(むみょう)不正見(ふしょうけん)が心中に働いている。
阿頼耶識 は∞の蔵に貯蔵され人間の深層にあるが現れない心すなわち人間の根幹を言う、
梵語で
ālaya-vijñāna(アーラヤヴィジュナ)と言い、表現を変えれば心底に巨大な蔵を持ち行為が蓄積され行動を生む種子がある、人間は経験事例や智を学んだ経験智が蓄積される、その甚深な状態を阿頼耶識と呼ばれる、世親は言う「唯識の理趣は無辺にして結択の品類差別は度り難く甚深なり。仏に非ずんば、誰が能く具に広く結択せん。」、要約すれば唯識の道理は無限であって、決定すべき種類は測り難く非常に深遠である。ブッダでなければ誰が細かく広く決定する事ができようか。(唯識ということ・兵頭一夫・春秋社 から)玄奘は採用していないが第九識の深層識に阿陀那識(あだなしき)もしくは阿摩羅識(あまらしき)(無垢識)を言う場合が有る。 
粋な黒塀 見越しの松に“あだな姿”の洗い髪~――――春日八郎の歌があるが、
阿頼耶識と同意のタームに阿陀那識がある、梵語でアーダーナadana-vijnana摂取を意味する。


難解な唯識論理は「唯識三年倶舎八年」と巷間に於いて言われている、倶舎(くしゃ)(注1を八年修めた後に唯識を三年修めなければ理解不能と言われる、法相宗(唯識)大本山薬師寺の元管主・故高田好胤師の成唯識論は「頭の中が倶舎(くしゃ)倶舎(くしゃ)になる」とダジャレたと言う逸話がある、唯識論の解釈の難解さ、立場に依り解釈の異なる「一水四見(いっすいしけん)」の喩えを読んだ道歌もある、ところが道歌にまで多様な読みが存在する、・興福寺では「手を打てば 鯉は餌と聞き 鳥はにげ 女中は茶と聞く 猿沢の池」、・薬師寺では「手を打てば はいと答える 鳥逃げる 鯉は集まる 猿沢の池」、・他には
「手を打てば鳥は飛び立つ鯉は寄る 女中茶を持つ猿沢の池」等賑しい、因みに一水四見とは唯識論にあるタームで、認識の主体が変化すると認識の対象も変化するとされる。
即ち唯識は受け取る側の数だけの解釈が有る為で、猿沢の池を人間は多くの水の存在する憩いの場と解釈するが鯉にすれば棲家であり、鳥は水藻や小魚の餌場であろう、これを学ぶには反復即ちリカレント(recurrent)しか、方法が無かろう。
唯識は伝来ルートが異なる事から興福寺伝の唯識を「北寺伝」、元興寺伝を「南寺伝」とに別れていたが平安末期には興福寺伝に統一された。
また典拠として「解深密経(げじんみつきよう)」 「大乗阿毘達経(だいじようあびだつまきよう)」などが挙げられる。

Sadhi-nirmocana Sūtra, サンディ・ニルモーチャナ・スートラ)とは、瑜伽地論と共に唯識哲学の根幹ともいえる経典で「摂大乗論」「成唯識論」に繫がる、解脱に連携する経を意味し「サンディ」(sadhi) が結合、連結を意味し、「ニルモーチャナ」(nirmocana)が解脱(解放)、スートラ(sūtra) が経を意味する。
難解な唯識をテーマにした小説がある、阿頼耶識を主題にした小説で三島由紀夫の遺作「豊饒の海」が著名である、彼は最終原稿を出版社に渡した翌日に自衛隊市谷駐屯地に於いて決起を説いた直後に自決した。
 
日本で唯識と対極にあり著名な哲学に華厳がある、華厳は己の究明は浅いが宇宙すなわち他との心を究明している、唯識は自己の構造を探求するが他者との関連追及は弱い
法相宗は唯識宗とも言われている、法相宗の総本山には南都
(奈良)興福寺薬師寺があり、清水寺は北法相宗の総本山として京都にある、また法隆寺は法相宗であったが第二次世界大戦後に、聖徳宗として独立以後「宗法則」に聖徳太子に関連する三教義疏、すなわち維摩経義疏・勝鬘経義疏・法華経義疏を基軸教典とした宗派となる。

唯識哲学は法相宗だけでなく如来蔵思想とリンクした楞伽経に継承され、楞伽経を依経の一典と考える禅宗系に多大な影響を与えている。

 大乗仏教の中核をなす「瑜伽行唯識学派」に依れば個人の総てに存在は唯識には表層識と深層識があり、下表に様に八識に分類される、因みに七識までを染汚意(ぜんまい)と言い煩悩に汚された状態を言い、超越したのが蔵識しなわち阿頼耶識である、またそれを五位百法と言い百種類の現象世界に分類される。 

(てん)(じき)(とく)()修行到達は「智」

 

表 層 識(ひょうそうしき) (了別境識(りょうべつきょうしき)

 意識(いしき)(第六識) 

 眼識(げんしき)(前五識) 

 ()(しき)(前五識) 

 鼻識(びしき)(前五識)  

舌識(ぜつしき)(前五識)  

 身識(しんしき)(触覚)(前五識)  

 深 層 識(しんそうしき)

末那(まな)(しき) (manas-vijnaana(第七識) 

 阿頼耶(あらや)(しき)(ālaya-vijñāna(第八識) 

 

 

 

 阿摩羅識(あまらしき)amala-vijñāna

*九識即ち阿摩羅識(菴摩羅識とも記述)をけがれが無い無垢識・清浄識、真如と位置付ける天台や華厳、日蓮宗の様な宗派もある、法相宗では阿摩羅識は阿頼耶識に包含されている。
*
阿頼耶識であるが、古代梵語のアラーは雪hima・ヒマであり、アーラヤーālayaは蔵を意味するという、これを合成するとヒマラヤ即ち雪の蔵となる、阿頼耶識は最深部の識(心)、即ち人間の心の根底にある意識と言える。  阿頼耶識であるが、古代梵語のアラーは雪であり、アーラヤーは蔵を意味するという、これを合成するとヒマラヤ即ち雪の蔵となる、阿頼耶識すなわち「積集の義」は最深部の識(心)と言える。
阿頼耶識を転じて得られる智慧を「大円鏡智(だいえんきょうち)」すなわち総てを正確に観る智慧を言う。 
*唯識を扱った小説に三島由紀夫の「豊饒の海」がある、難解な作品であるが耽美な格調を感じる作品である。
*阿頼耶識に貯蔵されるのは刹那刹那の残像の様なもので種子として蔵される、映写機やフィルムに例える説もある。(仏教400語、宮元啓一著、春秋社)  

*一切智=全知者即ち仏の智慧 sarvajñata
*(てん)(じき)(とく)()」とは修行を重ね覚りを感得すると、八の「識」は「智」に転ずることを言う、前五識は(じょう)所作(しょさ)()に 意識は(みょう)観察(かんざつ)()に 末那識は平等性(びょうどうしょう)()に 阿頼耶識は大円(だいえん)(きょう)()に転ずるとされている、転識得智の思想は密教即ち天台宗や真言宗にも受け継がれている。
*第六識と第七識の理解関連を遍計所執性(へんげしょしゅうしょう)
と言う、これに依他起性 (えたきしょう)円成実性(えんじょうじっしょう)を加え三性(さんしょう)と言う、三性とは融通して本末・真妄・性相を言う、また三自性、三性相などとも言える。  
   
唯識には人間の素質、能力すなわち機根に合わせた”五姓(性)格別説”が著名で天台宗等の「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつつぶっしょう)」説と長期間対立した歴史がある、五姓とは覚れる順位で以下のようになる。 
1 菩薩定姓(自利利他の菩薩行を行じる最も勝れた人達) 
2 独覚定姓(独りで覚りを開く素質を有するが、自利行のみで利他が出来ない人達)辟支(びゃくし)・独覚とも訳され独自に悟る哲学者  
3 声聞定姓(じょうしょう)(仏の教えを聞き修行する真摯なだけの人達)   
4 不定種姓(素質が固定しない不安定人達) 
5 無性有情姓(佛法を学ぶ素質も気概もない人達)が言われる、因みに無性有情姓とは覚る能力が皆無の状態を言う。
また同様の解釈に三性説があり、存在の状態を認識する、遍計所執性――実在視
(迷いで観た世界)  依他起性――縁起から発生する相(仮の眼で観た世界)  円成実性――真実の様子(覚りの世界) に分類され、これを否定する三無性説がある。 

 遍計所執(へんげしょうしつしょう)

 依他起(えたきしょう) 

 (えんじょう)実性(じつしょう) 

 実在視(迷いで観た世界)

 縁起から発生する相(仮の眼で観た世界)

 円成実性――真実の様子(覚りの世界)

 
仏土には四種あり唯識では・法性(ほっしょう)土 ・自受用土 ・他受用土 ・変化土に分類される、因みに天台に於いては・凡聖同居(ぼんしようどうご)土 ・方便有余(ほうべんうよ)土 ・実報無障礙(じつぽうむしようげ)土 ・常寂光土が言われている、そのうち凡聖同居土には、浄土と穢土の分類があり穢土をの方を裟婆と言われる。
現在欧米等に於いて唯識の関連するマインドフルネス
mindfulness瞑想が行われており、佛教に対する理解が浸透しつつある、マインドフルネスとはpāḷi語のサテイ(sati)の英訳であり和訳では”念”に相当する佛教の重要要素である。
唯識をテーマにした小説に三島由紀夫の遺作”豊饒の海”が著名である、輪廻転生に大きく関連する豊饒の海の最終原稿を書き上げた、翌日すなわち1970年(昭和45年)11月25日に楯の会を率いて、自衛隊市谷駐屯地に入り憲法改正を目指し自衛隊に決起を呼びかけたが応えられず切腹自殺した。
  


唯識即ち法相宗の大本山は*興福寺 *薬師寺1965年北法相宗 *清水寺、 1950年まで*法隆寺




1倶舍論 法相宗の祖の一人とも言える世親による「阿毘達磨舎論」(Abhidharma kośabhāya アヴィダルマコーシャ) を基に起こされた哲学である、倶舍とは仏法に於ける基本教学で、唯識論の基礎学である、日本に於いては興福寺元興寺などで研究された南都六宗の一宗であるが後に法相宗に吸収される。 

因みに倶舍と唯識の関連に付いては世親は「阿毘達磨舎論」をベースに唯識二十論」「唯識三十頌」を著している。

世親(せしん)とは四~五世紀頃のガンダーラ出身の兄弟僧で兄の無著(むじゃく)は梵語名をAsaga(アサンガ)と言い、大乗仏教の根幹とも言える唯識の碩学、部派仏教の空を感得したが、弥勒から瑜伽師地論・唯識を学び、弥勒菩薩に次いで法相の第二祖となる。   

弟の世親は梵語名をVasubandhu(ヴァスバンドウ)と言い、無著と同様に部派仏教を修めるが、無著の誘いで大乗の転ずる、倶舎論に通じており他の大乗経典の華厳法華・般若維摩経勝鬘経 などの解説書がある。   

世親の唯識三十頌は著名で護法が注釈書を著し玄奘が漢訳した書が「成唯識論」である。
唯識三年倶舎八年と言われている、難解な倶舎論に付いて薬師寺の元管主・故高田好胤師はジョークを交えて頭の中がクシャクシャ(倶舍倶舍)になると言われたとか。


2解深密経(げじんみつきょう)  梵語名をsamdhi-nirmocana-setra(サンデイニルモーチャナ、スートラ)と言う、 法相宗の根本経典で唯識を説いた嚆矢と言える経典ある、大乗仏教経典の一典梵語経典は失われている、漢訳に「解深密経(玄奘訳)」と「深密解脱経(菩提流支訳)」があり玄奘訳が本流を占めており通常「深密経」と呼ばれている、中期大乗経典の範疇に在りAD300年頃に成立したとされる

問答形式を用い甚深(じんじん)な教えの解析とされる経典で・序品、・勝義諦相品、・心意識相品、・一切法相品、・無自性品、・分別瑜伽品、・地波羅蜜多品、・如来成所作事品の八品で構成されている。

唯識論の基本ソフト的経典で「(しょう)大乗論」「成唯識論」や無著による「瑜伽師地論」等に影響を与えている、即ち「阿頼耶識」「五姓格別」「三無性説」等を説いている。


3楞伽経 四世紀~七世紀頃に成立した経典で原題は梵語のLakāvatāra Sūtra(ランカーバターラ・スートラ)  釈尊がランカー城に入って説いたとされる経典で、楞伽経(りょうがきょう)と言い、禅宗系宗派が依経としている、後に法相宗真言宗も採用している、「四種の禅」等々難解な経典で南伝佛教圏では九法宝典の一典に加えられている、但し依経としている禅宗系でも勤行に於いて読経される事は無い、ランカーアヴァターラの内ランカーはスリランカの音訳が楞伽となる、スリは慶賀を意味する、ヴァターラは化身を意味し釈尊が訪れて法話を説いたとされる。

現存する経典は求那跋陀羅訳「楞伽阿跋多羅宝経」(四巻本)、菩提流支訳「入楞伽経」(十巻本)、実又難陀訳「大乗入楞伽経」(七巻本)であるがバラモンの哲学を取り入れた如来蔵思想と唯識の阿頼耶識とを融合されたと言われるが難解である。
釈迦が魔王ラーバナの要請を受けて、魔王の住むランカー城に入って説いたとされる大乗経典の一つで如来蔵哲学+唯識+バラモン哲学と多様性を帯び、非常に難解であるが禅宗に於いて依経とされており、大きな影響を与えた経典である、但し現在は読誦されてはいない。

五法すなわち名、相、分別、正智、如如に三性すなわち偏、依、円、に唯識の阿頼耶識を融合させ大乗起信論先駆としている。

4、唯識に関係の深い理論に大乗仏教を包括した「摂大乗論Mahāyāna-sagraha, マハーヤーナ・サングラハ」等を翻訳した真諦(499569)の役割を無視できない、真諦は中国に於ける三大翻訳家すなわち鳩摩羅什、玄奘、不空に次ぐ翻訳者とされている、(しょう)大乗論(だいじょうろん)とは「大乗阿毘達磨経」「解深密経」「十地経」「般若経」を論拠にしており、中国では摂論宗と言う宗派も存在した 「マハーヤーナ」(mahāyāna)は「大乗」「サングラハ」(sagraha)は「総合・綜合・統合」を意味し大乗の教えを総合したものを意味する.

5  五性(五姓)格別

1、菩薩定姓  自利利他の菩薩行を行じる最も勝れた人達。
2、独覚定姓  
辟支仏(びゃくしぶつ)独りで覚りを開く素質を有するが、自利行のみで利他が出来ない(縁覚)。辟支仏は梵語pratyekabuddha、パーリ語paccekabuddhaの音訳 小乗仏教

3、声聞定姓  仏の教えを聞き修行する真摯なだけの人、小乗仏教。
4、三乗不定定姓 素質が固定しない不安定。

5、無性有情  佛法を学ぶ素質も気概もない人  五姓格別の対極に総てが成仏可能と言う”一切衆生悉有仏性”がある。   

 

2010116日 201235日 2013225日注1 2014526日表調整 22014722日 9月23日輪廻転否定生等 2015年8月11日 2016年12月23日 2017年1月2日大円鏡智  4月22日マインドフルネス 6月19日 10月28日 12月25日2018年2月22日 6月6日 2019年4月9日 8月20日 9月17日 2020年2月4日 ㋅25日 2021年4月22日 5月24日 6月8日 8月13日加筆。  




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