蔵王権現

                    仏像案内    寺院案内    如来   菩薩   明王  

正式には金剛蔵王権現と言い古い歴史を持ち山岳信仰の象徴的な尊格である、蔵王菩薩と混同される事があるが蔵王権現は役行者が感得したとされる日本独自の宗派である修験道の本尊である、仏像の選定で菩薩と権現とは異質であり姿形的にも共通点は見られない、代表例として蔵王権現の大地を跳舞(ちょうぶ)する蹶起(けっき)像がある。
胎蔵界曼荼羅の虚空蔵院に描かれる密教尊の金剛蔵王菩薩は22
16面)108臂であるのに対して日本独自の修験道尊である蔵王権現は12臂であり峻別すべきと考える、また平安時代には蔵王権現(確立は鎌倉時代)が確立されておらず金剛蔵王菩薩と呼ばれていたと言う説もある、蔵王権現は権すなわち仮の姿であり様々な仏と垂迹する、土着信仰と仏教とのシンクレティズムsyncretism)=習合思想神仏習合に最高に合致したのが蔵王権現と言える、蔵王大権現には変化身があり”脳天大神”と言い金峯山寺の塔頭・龍王院に安置され”吉野の脳天さん”と親しまれている。
小角が金峰山に於いて衆生救済の為に感得したと伝える魔障(ましょう)降伏(ごうぶく)の菩醍とされている、ただし金剛蔵王権現と 役の小角とは時代に隔たりがある、鎌倉時代以降自然発生的に日本独自に修験道と密教が融合した像と考えられる、従って教典に蔵王権現関連の記述は無いが蔵王権現は修験道に於ける本尊である事に変わりは無い、因みに感得とは祈り・呪の力を持って霊を呼ぶ事を言う。 
姿形は1顔3目2臂・青黒色で忿怒形をとり左手は剣印を示し右手に三鈷杵を持ち明王をモデルにした姿形をしている。  
伝承では役行者が吉野山に、こもった時に現れたとされるが山岳信仰の中に於いて自然発生的な権現で垂迹尊の代表的な存在を示している、修験道に於ける象徴的存在で弥勒菩薩の化身ともされているが蔵王権現は本地垂迹の典型的な尊格である、金峯山寺・三尊の本地佛は過去仏として釈迦如来・現世仏に千手観音・未来仏を弥勒菩薩垂迹(すいじゃく)し蔵王権現として表象(ひょうしょう)
Representationしている、ご利益利生(りしょう)としては願事成就・怨敵(おんてき)排除等とされる。
但し胎蔵界曼荼羅に於ける虚空蔵院の金剛蔵王菩薩とは別尊であり、胎蔵界曼荼羅の像は金剛薩埵(こんごうさった)と同尊または変化尊と言われる、因みに金剛薩は密教の付法八祖で大日如来に次いで第二祖に置かれる重要尊である。 
権現の「(ごん)」は垂迹すなわち仮の姿である、「権」の使用例としては徳川家康の東照現や著名な「三一権実論争」即ち徳一と最澄の論争があり、唐の天台宗法相宗の間において繰り返し行はれた論議を日本に持ち込まれたもので、どちらが「真実か権(仮の姿・方便)」であるかを論議するもので、一乗とは一つの乗り物を指す、三乗は声門乗・縁覚乗・菩薩乗を言う、徳一仏性抄(ぶつしようしよう)を唱えて最澄を批判、最澄照権実鏡(しようごんじつきよう)をもって反論、この大論争は最澄が延暦寺へ帰山後も長期間続いた。 
注意すべき事項として金剛蔵王菩薩との相違である、二十二面、百八臂で胎蔵界曼荼羅虚空蔵院に位置し金剛薩埵の変化尊である蔵王菩薩と蔵王権現は容姿を含めて別尊である。
蔵王権現と御嶽山の関連であるが宮家準(みやけひとし)(修験道・法蔵館)氏に依れば御嶽とは岩石が累々とした高山を言い、嶽に美称の御を付けた事を言う、「金の御嶽」即ち吉野の金峯山寺を初めとして武州御嶽・木曽御嶽などに蔵王権現と共に勧請された。 

1(えん)小角(のおずぬ) (634年~不詳) 


2修験道 


3、 修験道に於いては三密一仏三体一仏と言い、三尊を釈尊の現れである、釈尊を過去仏・観音菩薩を現在仏・弥勒菩薩を未来仏としている、三尊が溶け合い一尊となり蔵王権現として著わされるが総てが釈迦如来であるとされる。

注4、宗印 像高十八mに及ぶ方広寺大仏殿の本尊を制作した南都大仏師で金峯寺蔵王権現の他に文殊院の最勝老人を造像している。  

 

 

  主な蔵王権現
総持寺(東京都・西新井大師) 鋳銅彫像(銅鏡)三葉形 毛彫鏡像) 藤原時代  毛彫で三十二尊の眷属を配置、長保3年の銘(1001)
         
東京都足立区西新井1-15-1        03-3890-2345
金峯山寺 三尊(本尊)  木造彩色 728,0㎝ 615,5㎝ 592,5㎝ 桃山時代  宗印作(注4)
如意輪寺          木造彩色 玉眼 切金文様 84,8㎝  鎌倉時代 後醍醐天皇の念持仏
●金峯山寺           銅像 40,5㎝ 56,6㎝ など山頂出土品    
●奈良国立博物館     銅像 30,3㎝ 
広隆寺   立像   木造彩色 96,4㎝ 藤原時代
三佛寺  七尊    木造彩色 84,0㎝~140,7㎝ 藤原時代


仏像案内
  
この編は本地垂迹佛と重複させてあります。
最終加筆日200485日  201053日 権現と菩薩の姿形 2013年10月23日 2016年10月17日 2017年5月8日 2022年10月18日    


inserted by FC2 system