十一面観音

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梵語名の Ekādaśamukha(エカーダシャ・ムッカ)の意訳である(エカーダシャは数の11を言いムッカは顔)、密号として・変異金剛・慈愍(じみん)金剛・大光普照観音とも呼ばれる事がある。
多面多臂の変化観音では最初に成立した尊格である、十一面観音の起源はバラモン教Brahmanismに於いて天候や雨水を支配し一度怒れば生き物や草木をも滅ぼす「十一荒神」とも言い、同じく十一の顔を持つヒンドー教の最高神・シヴ
Śiva神及びリグ ベーダ聖典gvedaに出てくる暴風雨神・ルドラ神群Rudra)、別名をマルト神群Marutasとの伝承も言われる,一説(観音菩薩・佐久間瑠理子・春秋社)には23世紀の大乗佛教が成立した頃には現れず、陀羅尼集経(だらにじっきょう)の漢訳と同じ頃、初期密教即ち67世紀の時代に十一面と言う”心呪”と言うまじないが成立した時期と重なると言われる、サンスクリットsanskrit経典の”十一面心呪経”には聖観音菩薩と言う名称で称えられていた様で十一面観音菩薩と言うタームは使われていない、また十一と言う数字はヒンズー神話の暴風雨神であるルドラ神群(rudra)が源と言う説もある、正木晃氏に依れば十一面観音の出自は観音経即ち法華経の第二十五‐観世音菩薩普門品にもとめられると言う、故西村公朝師は煩悩を含む大小の争い即ち戦争、喧嘩からの救済を言われているが
インドに於いて変化観音は多くあるが十一面観音としては数尊程度である、その内ではカンヘーリー石窟
( 注8Kanheri41窟像の三尊像の右脇侍が最も古く、その後も造像された様であるが現在十一面観音像の存在は一尊のみである,インド西北部のギルギットあたりが嚆矢の様で、中国に於いては六世紀後半から信仰され始めた、正木晃氏に依れば法華経(観音経)の言うあらゆる方向に顔を向ける即ち「普門示現(ふもんじげん)」に最も合致した菩薩であるが十一面観音は六世紀頃の密教尊であり、二世紀頃に登場したとされる法華経とはタイムラグtime lagが大きすぎる。
その他本面と両脇面、中面と両脇面が二段あり単面が二層即ち3:3:3:1:1の五層構成の十一面で著名な、カシミールで出土し現在はクリーヴランド美術館にある・十一面六臂観音、チベット佛教の
リンチェン サンポRin chen bzang po様式のマンギュ寺院には・十一面二十二臂観音などがある、六臂観音菩薩は稀有であるが三重県伊賀市の観菩提寺に秘仏(33年に一度開扉)として存在している
十一面観音像は唐の時代には木造・石像・鋳像等が刻まれたが木像で一搩手半(いっちゃくしゅはん)12寸~3寸、約36cmの檀像が特徴であった、また日本に於いての土着信仰である白山信仰の本地仏であり重文指定で最高の尊数を持つ千手観音はインドには存在しない、因みに檀像とは・白檀(栴檀)紫檀(したん)で造像された仏像を言う、白檀等は大木には育たず小像しか出来ない、また日本では自生しない為に(かや)などで代用された像を檀像様と呼ばれている、栴檀(せんだん)と言う樹木があるが檀像彫刻の世界では白檀を言う。 

法華経
に後から加えられた第二十五品「観世音菩薩普門品」略して普門品に総ての方角に門を開き、顔を向けると言う解釈がなされて十一面観音を初めとする変化観音が興ったと言える,ちなみに「普門」とは総ての方角に開かれた門を意味する。
但し釈尊の基に集まる、恒河沙(こうがしゃ)即ちガンジス川の砂の数程の菩薩が集まるとされる法華経には観音霊場の多くの寺院で本尊を努める千手観音が経典に登場することは無い、十一面観音の場合は十一面と言う数字に付いて不空訳の「十一面観自在菩薩心密言念誦儀軌経」やチベット語訳に釈尊がシュラーヴァステ竹林(舎衛城・Śrāvastīsnl)(Sāvatthī・サーヴァッティー・
iに住まわれている時に、十一億の諸仏に説明したとある、観音は十一面~十一億の諸仏と呼称した説明の記述があると言われる。 (東西南北、四羅、上下の十方であるが、総てを意味する)   

聖観音菩薩
から変化した十一面観音や千手観音など多く存在するが起点は「観音経」「延命十句観音経」による聖観音の発展形型であり本来は同尊であると考えられる。
十一面観音は十一の苦を佛果に変え絶大な功徳を表現した多面多臂で表される、中国に於いて造像の源とも言われる「仏説十一面観音神呪経」
耶舎崛多(やしゃくった)訳)に拠れば ・用材は白檀 ・身長13寸 ・11の頭 ・正面慈悲三面 ・左三面は瞋面(しんめん) ・右3面菩薩面、狗牙上出(くげじょうしゅつ)面 ・後1面大笑面 ・頂上仏面 ・各面に花冠・等などと説かれている、バラモン・ヒンズー教の影響を色濃く受けており観音像の中では変化観音として最初に現れた仏である、また聖観音をパワーアップさせた菩薩であり日本では飛鳥時代に伝えられるが、奈良時代に信仰が始まり平安時代には大きな信仰の輪を広げ日本の風土に最も融和した仏と言える。
変化観音であるが、佐久間瑠理子氏に依れば二グループに分類できると言う、第一グループ(
前期変化観音グループ)は六観音を中心とした、十一面観音、千手観音、不空羂索観音などで、第二グループ(後期変化観音グループ)には六字観音(シャダクシャリー)、獅子吼観音(シンハナーダ)青頸(しょうきょう)観音(ニーラカンダ)、蓮華舞自在観音(パドマナルッテーシュバラ)、極楽観音(スカヴァーテー)等が挙げられている。
関連経典は「仏説十一面観神呪経」
耶舎崛多(やしゃくった)訳)の他には「十一面神呪心経」玄奘訳)、「十一面観自在菩薩心蜜言念誦儀軌経」三巻(不空訳)、「仏説十一面観世音神呪経」(耶舎崛多訳)がある、チベット語訳の陀羅尼もあり「聖十一面観自在明呪心蔵と言う陀羅尼」「聖十一面観自在と言う陀羅尼」が存在する様である。 
儀疏、注釈書も十一面観音の興隆に貢献していた様で慧沼の「十一面神呪経義疏」、知仁の「十一面経疏」、慧浄の「十一面経疏」等々が関連している。
法華経
・薬草品・第五に依れば経典を信仰すれば「現世安穏(げんせあんのん)後生善処(ごしょうぜんしょ)」と呼ばれる功徳が授かり、現世利益(げんぜりやく)は無病・財福など多様なサルベージを「十種勝利」と言われている、また死後の功徳に苦界に落ちる事無く浄土に誕生出来る等の「四種果報」が言われる。
像様的には前述の「仏説十一面観音神呪経」が使われている、しかし聖観音の頭部に十一面を付けるが儀軌による解釈は判然とせず、本面(正面の顔)を含んでの十一面や含まない十一面があり、インド形式の本面の両サイドに同サイズの面を置き頭上に八面が置かれる場合ラクシュミー流、中国・日本に多い本面の頭上に小さく十面を配置する様式がある、また異形として九面法隆寺や瓔珞を大きくリング状(庇)にして頭上に置き十面を配置(与楽寺)するなど様々である、ちなみに玄奘訳の十一面観音神呪経が著名で右手は与願印に数珠を下げ左手は紅蓮華を入れた花瓶を持つとされる。
十一面観音は通常二臂であるが四臂を説く経典もある、日本では少ない不空の訳経で四臂像が新長谷寺
(秘仏)壇特山(だんとくさん)小松寺(坐像 60.4cm、真言宗智山派)銅像、和歌山県有田市の広利寺に観られる。
因みに十一面で六臂の観音菩薩がカシュミールで出土し現在はクリーヴランド美術館が所蔵している、ラダック地方のマンギュ寺院には
リンチェンサンポ様式と呼ばれる十一面二十二臂の観音菩薩が観られる。
観音菩薩の像高であるが観無量寿経に記述があり、80万億由旬(ヨージャナ yojana)あるとの記述がある、因みに1ヨージャナは凡そ7.5㎞と言われている。

頼富本宏氏は尊像の発生当初は二臂であるが救済のパワーを倍増する為に臂数が増えると言われる、十一面観音も新しい訳で八世紀中盤に漢訳された不空訳の「十一面観自在菩薩心密言念誦儀軌経」では四臂を説いている、因みに経典には無いが中国等では六臂像が数点存在すると言う。 
又顔の配列も頭上立て一列
(垂直形)に付けたものや横一列(水平形)またピラミッド型Pyramidもある、閑話休題十一面観音は神呪経の影響を受けているのか秘仏が大変多い、真言を唱えての印章は”金剛合掌印 ”別名”十一面根本印”を結ぶ。
中国、日本様式の代表に室生寺法華寺聖林寺観音寺などがありインド様式と言える像には向源寺がある、向源寺の場合は例外的であるが、頂上仏は如来像ではなく五佛宝冠を冠する菩薩像である。 
躯体に於いては二臂像と四臂像
(インドでは多い)とあるが、日本では胎蔵界曼荼羅に於ける蘇悉地院(そしつちいん)の最北像と法金剛院以外は二臂像である、因みに胎蔵界曼荼羅の観音院21尊)には十一面観音は無く蘇悉地院に描かれている。
十一面相の内訳は「十一面神呪経
(ギルギット写本には無い、Gilgit Manuscripts」等に記述がある (如来相は功徳を表し菩薩面は果報を表す)
1,
頂上部   佛面(如来相・観音菩薩が悟りを得た後の姿)            
2,
正面三面  菩薩面
(寂静相)    
3,
右面三面  瞋怒面(しんぬめん)(威怒相)
4,
左面三面  狗牙上出面(くげじょうしゅつめん)(利牙出現相)  
5,
後部一面  暴悪笑面
(笑怒相)が通常である。
普門示現すなわち総ての場所に現れ救済に努める。

南無当前三面慈悲相、南無左辺三面瞋怒相、南無右辺三面白牙相、南無当後一面暴笑相、南無頂上一面如来相、‐‐‐‐‐‐南無左紅蓮華鍕持手、南無右桂数珠施無畏手‐‐‐‐‐‐。
(仏教発見・講談社現代新書・西山厚著)
これら面相の由来は救済と破壊の二面性を持つシヴ神の影響を大きく受けているがインドに於ける造像例は少ない、玄奘三蔵が翻訳した「十一面神呪心経」などが広く普及して中国、朝鮮では信仰を集めた仏像である、世界最古の十一面観音はインド、カーネリー石窟の四臂像が挙げられている。
観音像は飛鳥時代に伝来したと考えられる、正純密教の将来以前から観られ奈良時代になると観音像は多く像造され平安時代中期に千手観音が現れるまで十一面観音が席巻した、これら変化観音、即ち千手観音・十一面観音・不空羂索観音馬頭観音などが盛んに現れてくる。
日本では法隆寺金堂の壁画が最初の作例と思はれる。非常に多くの秀作を残しており、奈良時代に於ける聖林寺・観音寺の木心乾漆像が平安時代には・法華寺・室生寺道明寺向源寺六波羅蜜寺(秘仏)に傑作が存在する、秀作は地方にも存在し岐阜・美江寺(秘仏)福島・勝常寺、福岡・観世音寺等が挙げられる、また異形として唐招来による法隆寺の九面観音菩薩は白檀(檀像)で彫られた尊像で瓔珞・天衣など総て一木造であり精緻を極めた傑作と言えよう。
観音菩薩には担当の救済業務があり、六観音には救済に赴く六道に夫々の場所がある、十一面観音は下記の様に修羅道のサルベージ担当である、戦争などの争い事は修羅道に当たると言い古戦場跡には十一面観音を祭る習慣が存在したと言う。
・地獄道――聖観音菩薩   
・餓鬼道――千手観音菩薩   
・畜生道――馬頭観音菩薩   
・修羅道――十一面観音菩薩  
・人間界――准胝観音菩薩  
・天上界――如意輪観音菩薩とされている。


仏説十一面観世音神呪経(耶舎崛多訳)には十一面観音の御利益には現世利益を司る十種勝利に死後の救済にあたる四種果報(功徳)が説かれている。
十種勝利 

*()離諸疾病(りしょえきびょう)(病気にかからない) 

*一切如來(いっさいにょらい)攝受(しょうじゅ)(一切の如来に受け入れられる) 

*()任運獲得(にんぬんかくとく)金銀財寶(しょ)穀麥(こくばく)(金銀財宝や食物などに不自由しない) 

*一切怨敵不能沮壞(しょかい)(一切の怨敵から害を受けない) 

*國王王子在於王宮先言慰問(国王や王子が王宮で慰労してくれる) 

*不被毒藥蠱毒(こどく)。寒熱等病皆不著身(毒薬や虫の毒に当たらず、悪寒や発熱等の病状がひどく出ない) 

*一切刀杖所不能害(一切の凶器によって害を受けない) 

*水不能(でき)(溺死しない)

 *火不能燒(焼死しない)

*()不非命中夭(ひめいようちゅうにあらず)(不慮の事故で死なない) 

四種功徳

*臨命終時得見如來(臨終の際に如来とまみえる) 

*不生於惡趣(地獄・餓鬼・畜生に生まれ変わらない) 

*不非命終(早死にしない) 

*從此世界得生極樂國土(今生のあとに極楽浄土に生まれ変わる)



文化庁による「国宝・重要文化財綜合目録」によれば20082月現在、222尊を超える指定を受け全国に分布しているが平安時代174尊)以降天台宗の信仰は篤くなる、奈良県43尊、さらに中国・朝鮮から渡来系の佛師が多く住み、天台の牙城で観音信仰が盛んな滋賀県が39尊、京都府が22尊、大阪府10尊、広島県9尊と続き多くの秀像が国内に散在している、また立像がほとんどであるが坐像も大分県菅尾磨崖仏・法金剛院(厨子入り、四臂)・現光寺(京都)櫟野寺・岐阜の日吉神社など10余尊が重文指定を受けている、但し懸け仏は存在しており因幡堂には神仏習合で移された坐像(青銅製・無指定・約50㎝)が二尊安置されている、中でも櫟野寺の本尊は坐像で312.0cmの巨像で、奈良長谷寺(立像)1018.0cmと共に我が国最大級のサイズを誇る。
また脇持を従えた十一面観音もある、注2で記述してある様に不動明王毘沙門天を従えた像が多い、文化財指定では無いが東大寺二月堂の本尊で公式に人々の前に姿を現した事が無い絶対秘仏の尊像がある, これは東大寺で行われる懺法(せんぼう)に於ける最大のイベントである十一面観音を拝み悔過(けか)する行事(法要)で、通称を「お水取り」と呼ばれている「修二会(しゅにえ)」の本尊である。

絶対秘仏の二月堂本尊は一説には銅製の後背が90片に拡散したと言う(仏教発見・講談社現代新書・西山厚著)、但し2013年の文化庁月報に依れば二月堂の本尊十一面観音像大観音(おおがんのん)の光背は江戸時代の火災の時に搬出されたが、大きく破損した、光背の断片には精緻な刻線で多くの仏像が描かれている、と書かれている。
信仰面から東大寺二月堂と長谷寺の十一面観音が双璧とも言えるが、両尊の共通点として岩盤に上に安置されており、堂宇の床の上ではなく、本尊の十一面観音を囲んで堂宇が建立されている。
また十一面観音像の異形として白檀で造像された請来尊に法隆寺の九面観音がある。           
信仰上、十一面観音は鞘佛に関連した尊像も多くあり秘仏とされていた像が多い、信仰の対象が同じ
(病平癒・現世利益)である薬師如来と同様国宝像が多い、多臂の十一面観音は法金剛院(坐像)新長谷寺は四臂(立像 岐阜県関市)、盛安寺(立像 大津市 四で観音提寺(三重県伊賀市島ヶ原)の像(立像)は六臂である。 
また絵画に於いて秀作は以外に少なく、奈良国立博物館所蔵で十一面(じゅういちめん)神咒心経(しんじゅしんきょう)に忠実な絹本著色 掛幅装 168,8×89,6cm 平安時代が国宝指定を受けている。
江戸時代初期に於ける遊行造像僧で十二万尊を造像したと言われる、円空に代表される鉈彫りの仏像には十一面観音像が非常に多く残されている。 
京都西住寺所蔵で京都国立博物館に寄託されている面妖な像がある、中国で実在したとされる宝誌(ほうし)和尚の顔面が脱皮して十一面観音に出世する像で顔の中央が割れて十一面観音の尊顔が現る像である。

奈良県に著名な十一面観音を安置する西大寺 ・海龍王寺 ・法華寺 ・聖林寺 ・大安寺 ・法輪寺  ・長谷寺 ・室生寺の八寺が参加した大和寺秀麗八十八面観音巡礼と題したHPが発表された。
閑話休題、田村麻呂の開山が伝えられる寺の本尊は十一面観音や毘沙門天が多いと言う指摘がある。

十一面観音を本地仏とする権現に「白山妙理大権現」がある、曹洞宗の寺院に安置され僧侶の修行中に於ける守護尊として重要な仏である、道元が帰国前日に「碧巌録」をコピー中に白山妙理大権現が現れて助勢したと言う伝承がある、日本三名山の一山である白山は奈良時代の修験僧・泰澄に依って開山された修験道場で泰澄が感得した白山妙理大権現が安置されている。
十一面観音も聖観音菩薩の様に変化する様で多くは秘仏で、代表例として歓喜天
(聖天)すなわち象頭人身の男女抱擁像の女尊がある。
十一面観音の真言陀羅尼(オン・マカキャロニキャ・ソワカ)の功徳を記述された日本製の偽経がある、「十一面観世音菩薩随願即得陀羅尼経」略して十一面観世音菩薩陀羅尼経と呼ばれる。
秘仏であるが十一面観音を多く安置される寺に四国霊場五十二番札所に龍雲山、太山寺、護持院(愛媛県松山市大山寺町1730 真言宗智山派)がある、行基伝承や歴代天皇の奉納説等賑やかであるが7尊の十一面観音が置かれている。


真言 オン ロケイジンバラ キリク ソワカ  


主な十一面観音像
   表内は国宝   ●印国指定重文   

寺    名 

仕             様

時    代

法華寺 

木造素地 檀像様 立像     100,0cm 

平安時代 

聖林寺 

木心乾漆漆箔 立像        209,1cm 

天平時代 

室生寺 

木造彩色    立像        195,2cm 

平安時代 

観音寺 

木心乾漆    立像        172,7cm 

天平時代 

道明寺 

木造 カヤ材  立像        99,4cm 

藤原時代 

向源寺 

木造 立像  頂上佛に五如来  177,3cm   頭髪一部乾漆  持物・臂の一部後補

平安時代 

六波羅蜜寺 

木造漆箔    立像(秘仏、拝観否) 258,0cm   

  藤原時代 

     

     

    

奈良国立博物館

 絹本著色 掛幅装 168,8cm×89,6cm  

  平安時代 

     

     

     

   

 九面観音 木造素地 37,6cm  白檀像 九面観音は十一面観音の異形とされている。   招来された檀像彫刻として金剛峯寺の諸尊仏龕と共に代表作。 

  唐 時代 

東大寺 

 金剛力士に於ける吽形像の胎内仏7.00cm)が付属品として指定 (参考)  

  鎌倉時

新薬師寺 立像 木造彩色 197,0cm 藤原時代   
大安寺 立像 木造彩色 天平時代  
秘仏  101日~1130日開扉       

東大寺 立像 木造漆箔 175,2cm 鎌倉時代  

元興寺 立像 木造漆箔 190,9cm 鎌倉時代             

唐招提寺 立像 木造漆箔 179,6cm 鎌倉時代 
海龍王寺 立像 木造彩色 玉眼 92,7cm  鎌倉時代                         

長谷寺 立像 銅像鍍金  70,9cm 鎌倉時代              

長谷寺 立像 木造漆箔 1018,cm 室町時代
清水寺 立像 木造彩色 166,7cm  藤原時代  
●置恩寺 立像 木造古色 172.0㎝  藤原時代  (奈良県葛城市寺口706) 無住寺 拝観希望は0745-48-2811へ架電 
●大福寺 立像 木造素地 183.2㎝ 三尊 竜王77.3㎝ 雨宝童子76.2㎝ 桃山時代 (奈良県北葛城郡広陵町大字的場80) 
●遍照寺 立像 木造漆箔 123.6㎝  平安時代           京都市右京区嵯峨広沢西裏町 
●海住山寺 立像 木造 素地 45.5㎝  平安時代        京都府木津川市加茂町    檀像風彫刻の傑作 
●海住山寺 立像 木造 素地 167.9㎝  平安時代   本堂  京都府木津川市加茂町
●大智寺  半跏像 木造彩色  108.7cm 藤原時代         京都府木津川市雲村42-1
●現光寺   坐像 木造漆箔 74,0cm  鎌倉時代         木津川市加茂町山之上9 拝観は予約が必要 ℡0744762256
●禅定寺 立像  木造彩色 286.3cm  藤原時代         京都府綴喜郡宇治田原町禅定寺庄地100  貴族好みの風貌 
●福祥寺 坐像  木造素地 玉眼 854.0cm  鎌倉時代     兵庫県神戸市須磨区須磨寺町
中山寺      木造 古色 149.8㎝    平安時代       兵庫県宝塚市中山寺2-11-1

●美江寺観音(岐阜)   観昌院   脱乾漆  立像 176,6cm  奈良時代     山号 大日山・観昌院    岐阜市美江寺町2-3 
観心寺(大阪) 木造彩色 169.0㎝ 藤原時代
●高田寺(北名古屋市)  木造 漆箔 古色 75.6㎝ 藤原時代  秘仏 2020年3月14~15日 50年ぶりに開扉 特別開扉 11月19日~23日 醫王山 高田寺(いおうぜんこうでんじ
勝常寺(福島県河沼郡)木造立像(桂)225,7cm 

●松尾寺(奈良) 木造漆箔 103,5cm 藤原時代       

観世音寺 (福岡県筑紫郡大宰府町)木造漆箔 立像 三尊 498,0cm 103,3cm  藤原時代 
観世音寺 (福岡県筑紫郡大宰府町)木造古色 立像 三尊 303,0cm  藤原時代 

●遍照寺(右京区嵯峨広沢西)立像 木造漆箔  立像 木造漆箔 123.6cm  平安時代    大佛師・定朝の父康尚の現存する作品とされる                      

月輪寺(右京区嵯峨)立像 木造彩色  

大報恩寺 立像 木造玉眼  六観音の内肥後別当法眼・定慶の作    鎌倉時代                     

法輪寺 立像 木造彩色 藤原時代                                        

秋篠寺 立像 木造彩色 166,0cm 平安時代(東博寄託)  

西大寺 立像 木造漆箔 484,8cm 藤原時代                             

薬師寺 立像 木造 天平時代・平安時代・鎌倉時代 (三尊)  

当麻寺(本堂)立像 木造彩色 藤原時代                    

法金剛院(花園扇野町) 坐像 四臂 木造粉溜 70,0cm 木造玉眼 70,0cm 厨子共 鎌倉時代  院派佛師の作風

●寂光院 立像 木造漆箔 鎌倉時代                             

清水寺 立像 木造彩色 166,7cm 藤原時代       

平等院 立像 木造漆箔 167,6cm 藤原時代                              

園城寺 立像 木造彩色 81,8cm 藤原時代  
盛安寺(せいあんじ) 立像 木造漆箔 179.1㎝ 藤原時代 四臂 翻波式  (大津市坂本1丁目17-1  井上靖 ”星と祭り”で著名  
石道寺(伊香郡木ノ本町)木造彩色(欅)173,2cm 藤原時代      

●医王寺(伊香郡木ノ本町) 木造漆箔 145,4cm 藤原時代  
●長命寺  木造漆箔   53.8cm   藤原時代       (滋賀県近江長岡市長命寺町157 

●充萬寺(伊香郡高月町)木造漆箔 166,7cm 藤原時代    

鶏足寺(滋賀)木造彩色 172,1cmcm 藤原時代 
知善院 観音堂 木造漆洦 玉眼 43.9cm  鎌倉時代 (滋賀県長浜市元浜町29-10  

櫟野寺 坐像 木造彩色漆箔 312,0cm 藤原時代 滋賀県甲賀市甲賀町櫟野1377
(いち)(いの)寺 立像三尊 木造彩色漆箔 167,4cm97,9cm95,4cm 藤原時代
光明寺滋賀県甲賀市甲賀町五反田899.)立像 木造彩色 檜一木造 鎌倉時代 
●弥勒寺  立像 木造 174.6cm   平安時代 (三重県名張市西田原2888)
●観菩提寺 木像彩色 205.1㎝ 六臂 秘仏 平安時代 (三重県伊賀市島ヶ原1349) 
寶厳寺(ほうごんじ)  木造彩色 169.3㎝ 藤原時代 (三重県伊賀市寺脇803)
●田宮寺 立像 木漆箔造 170.6cm   平安時代   (三重県度会郡玉城町田宮寺322)
●田宮寺 立像 木漆箔造 160.8cm   平安時代   (度会郡玉城町田宮寺322
●正法寺 立像 木漆彩色 101.5cm   平安時代   (度会郡度会町字注連指 
●近長谷寺 立像 木漆古色 658.0cm   平安時代 (多気郡多気町大字長谷202
宝厳寺(ほうごんじ) 立像 木漆 箔造 169.3cm (しい)一木造  平安時代   (三重県名賀郡青山町大字寺脇803)  
●石馬寺  木造素地  179.7cm  167.8cm  平安時代   (滋賀県神崎郡五個荘町石馬寺823) 
●慈恩寺  木造古色 檜一木造 171.2cm    藤原時代   (滋賀県神崎郡五個荘町清水鼻272)
●志度寺 木造 146,0cm 平安時代 86番札所 秘仏 716日 17日 一日二回開扉 (香川県大川郡志度町) 

●多田寺(福井小浜) 木造 154,0cm 平安時代  

●羽賀寺(福井小浜)木造彩色 146,0cm 平安時代  
与楽(よらく)寺 檀像様 マユミ材  31,0cm  奈良時代  鞘仏 1233年の文書   (奈良県北葛城郡広陵町広瀬) マユミとは硬質で柔軟性に富み、荼毘紙の原材料や古代の弓の材に使用。  
弘明寺(ぐみょうじ) 立像  (けやき)一木造 鉈彫 180.6㎝ 平安時代   (横浜市南区弘明寺町267)    鉈彫りの跡が鮮明    
●温泉寺   木造素地一木造 213.5cm  鑿跡を残す未完成尊 (兵庫県豊岡市城崎町湯島985-2)  
●弘明寺  木造素地 欅一木造 鉈彫り   180.6cm   鎌倉時代      (横浜市南区弘明寺町267)
●称名寺  木造彩色玉眼  193.0cm   鎌倉時代      (横浜市金沢区金沢町) 
●杉本寺  木造彩色 168.8cm   鎌倉時代  伝円仁作   (鎌倉市二階堂903)  
喜春庵(きしゅんあん)   木造素地欅一木造 100.4cm   平安時代  翻波式衣文 京都市西亰区大原野上里南ノ町240 
●杉本寺  木造玉眼 138.8cm   鎌倉時代  伝円源信作
●日吉神社 二尊  坐像  木造彩色   22.00.0㎝㎝  平安時代  (岐阜県神戸町)     
●壇特山小松寺  四臂 坐像 60.4cm 銅像 (真言宗智山派、千葉県南房総市千倉町大貫1057東京国立博物館寄託
奈良国立博物館  檀像 木造(白檀)  42.8cm 奈良時代  
華厳宗元興寺    立像 木造漆箔 190.3cm 鎌倉時代   
 

●太山寺 六尊 木造古色147.3cm 152.4cm 144.5cm 143.8cm 156.3cm 150.7cm 平安時代 (愛媛県松山市太山寺町17 30
●太山寺 本堂 木造古色 154.5cm 平安時代  (龍雲山 護持院 
太山寺(たいさんじ) 四国霊場五十二番札所 本尊 本堂安置
龍華寺 木造(桜材、彩色)立像190.6cm 左手の肘先以下と両の足先は別材 平安時代 (広島県世羅郡甲山町大字甲山) 1935年の修理の折に胎内から10枚の延喜通宝が発見された。 
龍華寺 木造(欅材、彩色)立像 172.1cm    平安時代        (広島県世羅郡甲山町大字甲山) 
●広利寺 木造、金泥、玉眼、 切金文様  立像  四臂 119.5㎝    (和歌山県有田市宮原町畑329) 
●摩訶衍寺 木造 素地 181.2㎝ 藤原時代 

●宝伝寺   桂一木造 素地 154.8㎝ 鉈彫り 藤原時代 (新潟県糸魚川市清崎1-5) 
達身寺 木造漆箔 158.3㎝ 藤原時代 木彫仏の原郷 (兵庫県丹波市清住259
●弘明寺 木造欅 素地 180.6㎝ 藤原時代 鉈彫り  神奈川県最古の寺 (横浜市南区弘明寺町267)  
●称名寺 木造彩色 玉眼 立像 193.0㎝ 南北朝時代  (横浜市金沢区金沢町212-1) 
●不門院 木造漆箔 立像 169.7㎝ 藤原時代      (福岡県朝倉市杷木志波5376)
長谷寺(ちょうこくじ) 木造彩色 立像 183.6㎝ 藤原時代   (福岡県鞍手郡鞍手町長谷552)  

●竹林寺    木造 素地   88.5㎝ 鎌倉時代    (高知市五台山
●慧日寺  木造古色 175.7㎝   藤原時代       (高知県香南市香我美町山北4475)
宝積(ほうしゃく)院  木造 素地 52.0cm 櫟一木造 平安時代 (山形市旨洗(すしあらい)136) 
●勝福寺    木造 素地 101.0cm (小田原市飯泉1161)
●牡鹿町  木造素地   288cm 室町時代 (宮城県牡鹿郡牡鹿町大字給分浜)  
●宝積寺 木造素地 52.0cm  平安時代  櫟檀像の傑作 (山形県山形市大字鮨洗)  
荘厳寺 木造漆箔 324.8cm  平安時代     (千葉県香取市佐原イ1110) 
 藤原時代      福岡県朝倉市杷木志波5376

1, 湖国十一面観音霊場 滋賀県に於いては十一面観音の故郷とも言える程多くの寺院に安置されており、湖南東方面・大津・守山市を中心に11寺で構成されている。  

1、 園城寺       大津市園城寺町246 

2、 盛安寺       大津市坂本1-17-1 

3、 聖衆来迎(しょうじゅらいごう)    大津市比叡辻2-4-17 

4、 福林寺       守山市木浜町2011 

5、 東門院       守山市守山町1091 

6、 正福寺       甲賀郡甲南町杉谷2928 

7、 伊勢廻(いせば)寺      甲賀郡甲南町野川708 

8、 櫟野寺       甲賀郡甲賀町櫟野1359 

9、 石馬寺       東近江市五個荘石馬寺町823 

10百済寺       愛知郡愛東町百済寺丁323 

11金剛輪寺     愛知郡秦荘町松尾872  

  

その他湖北地方には向源寺石道寺鶏足寺・医王寺・充満寺・知善院(長浜市)・善隆寺(西浅井)等に優れた十一面観音が安置されている。  


2、 変化観音 ヒンズー教の影響を受け、聖観音から変化した観音菩薩で、十一面神呪経を初めとする諸経典が六世紀後半から七世紀に懸けて中国で翻訳され信仰が広まったもので、十一面観音・如意輪観音・千手観音・准胝観音・馬頭観音・不空羂索観音などを言う。
変化観音のインドに於ける作例は八難救済観音・青頸観音・六字観音・獅子吼観音などがあるが日本の六観音との関連は考えられない、インドで十一面観音像は一尊確認できるが千手観音像の存在は確認できない。

3、十一面観音は六観音の一尊であり説明は・聖観音如意輪観音編に記述。


4、シバ神   梵語名(śiva)で大自在天(maha śvara)とも言いヒンズウー教で最も古い経典リグ(賛歌)ベーダ(聖典)に於いて梵天やビシュヌ(Violu)と共に主神にあげられている。 

インドに於ける土着信仰では世界が創造と破壊を繰り返す中で梵天が創造を担当するのに対してシバは破壊を担当する、また韋駄天や聖天の父親とも言われる。 

5坐像十一面観音(重文指定)の分布は 
・京都府二尊 ●法金剛院70,0cm ・●現光寺74,0cm、木津川市加茂町山之上  
・岐阜県三尊 ●清水寺84,2cm  ・●日吉神社二尊27,7cm 22,6cm  
・滋賀県三尊 ●櫟野寺312,0cm ・●宗正寺86,1cm ・●知善院43,9cm 
・千葉県  ●小松寺60,4cm 銅像  
・兵庫県  ●達身寺158,3cm  
・大分県  ●菅尾)各一尊  


6, 脇持を従えた十一面観音  

牛伏寺(ごふくじ)(長野県松本市内田)木造彩色    毘沙門天 107、0cm 十一面観音 151,2cm 不動明王 98,5cm 平安時代 
●志度寺(香川県さぬき市志度1102番地) 木造彩色  毘沙門天  79,4cm 十一面観音 147,0cm 不動明王 78,2cm 平安時代 
伊勢廻(いせえ)(滋賀県甲賀市甲南町野川木造      毘沙門天 185,0cm 十一面観音 147,5cm 不動明王 163,5cm 南北朝時代 
●弘安寺(福島県大沼郡会津美里町米田堂ノ後甲147)銅像鍍金  地蔵菩薩 94,5cm  十一面観音 197,0cm 不動明王 94,5cm  鎌倉時代

 

7、鞘佛 仏像の胎内に小規模の仏像を施入された外の仏像を言い現在も厨子に納め秘仏とされる像が多く、薬師如来や十一面観音等がある。

8、カンヘーリー石窟(Kanheri)  インド・ボンベイ郊外にありBC2世紀から8世紀にかけて彫られた石窟で総数は100を超える。

9、 兵庫県宝塚市中山寺に勝鬘観音と呼ばれる特異な十一面観音がある、三国伝来とされる勝鬘経に於いて女人往生を説いたとされる勝鬘夫人がモデルと言う像が真言宗中山寺派の本山に安置されている。

注10、 
十一面観音関連の漢訳経典群(チベット訳を含む)

*仏説十一面観世音神呪経 耶舎崛(やしゃくつ)()

*十一面神呪心経     玄奘訳

*仏説陀羅尼集経 観四  阿地瞿(あじく)()

*十一面観自在菩薩心密言念誦儀軌経上中下巻  不空訳 

*聖十一面観自在となずけられる陀羅尼  チベット訳

*聖十一面観自在の明呪心臓となずけられる陀羅尼  チベット訳、 佐久間瑠理子著 変化観音経典 春秋社

 


                        写真の著作権は寺院様に帰属します、許可無く転載はご遠慮ください。
              
  当麻寺 中之坊導き観音    観音寺 十一面観音(国宝)
     鶏足寺 十一面観音(重文)   岐阜県羽島市 中観音堂 十一面観音(円空作)
                                                                     羽島円空資料館  羽島市上中町中526
                                                                     円空と言うより木喰(1718年~1810年7月6日)
を連想させる。

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最終加筆日 20041113 日  2005年3月17日  524??? 716日 2007年2月25日法華経からの解釈変化観音 200847日与楽寺 2008515日注8 2014年4月22日義疏 5月17日法華経との関連 2016年4 月12日 5月18日 2016年6月19日 7月3日十一心呪 9月1日 12月29日 2017年3月23日 2018年10月9日 2020年3月15日 6月13日 10月11日 12月5日 2021年3月26日 4月11日 7月14日 2022年4月14日 9月26日加筆  

   

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