経典の興り
経典とは建前として釈尊の生前の教え(Buddhavacana ブッダヴァチャナ
分類は三蔵と言い、*経 *律 *論に分類される、経蔵は釈尊の教え、律蔵はサンガ(samgha・教団)運営の規則、論蔵は経蔵に対する高僧達による解釈を言う、覚りの内容を様々なかたち(暗誦が主体の言葉)で説いたものである、またの五分類もある。
しかし経典は釈尊の没後三世紀以上経過した後に創作された書で釈尊の関与は事実上皆無と言える、また儒教や道教も聖典を経と呼ばれ交錯している部分がある、当然の事であるが一神教の様に絶体的な聖典が存在しない為、仏教の場合は法華経の普門品が始まりと考えられるが、天台智顗を嚆矢として大乗仏教も教相判釈でpriority(プライオリテー)即ち,優先順位が決められた、大乗に例を取れば *法相宗ー唯識論、*華厳宗ー華厳経、*天台宗ー法華経、*日蓮宗ー法華経、*真言宗ー金剛頂経、大日経、*浄土宗、*真宗浄土真宗ー浄土三部経等である。
Bc三世紀頃にはインドを統一したアショーカ王(梵 Aśokaḥ、Pāḷi Asoka、 無憂〈むう〉、在位bc約268年~232頃)は、マウリヤ朝三代の王)の碑文があり、インドに文字は存在した証明になるが行政や商用など世俗間に於いて使用された、文字を書くことは己から離れる事を意味する為、聖なるサンガ(samgha・教団)に於いては経典(仏典・聖典)には使用されなかった、文字の意味や言葉は実態を持たず多様に解釈されて変化する事に加えて文盲率の高さが原因の一つかも知れない、また経文の文字化は教義の形骸化を危惧したとの説もある。文字の無い時代は無論の事、文字が使われ出してからも経典に文字を使わなかった事は、記録として保管する事でなく、言葉を記憶する事が重要な責務であった、この伝統はヴェーダ聖典だけでなくタルムード等にも存在した様である、仏教の伝統は陀羅尼、真言に受け継がれている。
法は経蔵すなわちSutta‐piṭakaに、規律は 律蔵Vinaya‐piṭaka に個々集大成された。
このうち* 経蔵は長、中、相応、増支の阿含あるいはニカーヤnikāya(部)に分けられていて全体を総称して阿含,阿含経という。スリランカ,ミャンマー,タイなどの南方仏教圏で根本聖典として伝承され,上座分別説部という一派が伝えた、Pāḷi
語で書かれた5ニカーヤ(長部、中部、相応部、増支部、小部)が今日まで保存されている小部(しょうぶ、Pāḷi語 Khuddaka Nikāya, クッダカ ニカーヤ)とは、仏教のPāḷi 仏典の経蔵を構成する「五部」(Pāḷi語 Pañca Nikāya, パンチャ・ニカーヤ)の内の、第5番目の「部」(nikāya, ニカーヤ)のこと。 KNと略称する。
他の「部」(nikāya, ニカーヤ)に振り分けることができない、特異な経典をまとめた「残余」の領域である。冒頭の「
「
紀元前三世紀頃アショカ王の時代には師から弟子へ口伝で伝えられ、
佛教界に文字が使用される様になり、紀元前一世紀上座部(部派佛教・アビダルマ佛教 theravāda)に於いてアーリヤ系の言語であるPāḷi語の経典等が著され比較的長文な典籍となる、凡そ数百年後に
「如是我聞(梵語・エーヴァム・マヤー・シュルタム・evaṃ
mayā śrutaṃ)」(注5)即ち、私は仏(釈尊)からこの様に聞いた、と作られた経典(仏典)の数は膨大な量になる、スートラ(sūtra)で語源は縦糸の意味であり
閑話休題、梵語(Sanskrit
サンスクリット)とパーリ語(Pāḷi
)の関係であるが、梵語はインド古典の公用語でBC12世紀に於けるヴェーダ聖典も梵語で記述されている、但し日常会話には使われていない、日常は釈尊も使用したとも言われるタミル語やヒンディー語等々が使用されていた、パーリ語は上座部仏教の古典語でBC3世紀頃の北インドの言葉が聖典用語として定着されたもので梵語と同じ系譜である、因みに釈尊が説法に用いたのは古代インドに於けるアーリア語の一種であるマーガディー(Māgadhī マガダ語)語との説がある、系列的にはバーリ語(Pāḷi)に近い。
タントラ(Tantra)
現在の仏教に対して懐疑派ではないが因襲仏教と言う人達で、経典に対して教義の内容を教えるのではなく、呪文でもない、呪術的儀礼の用具に過ぎないと言う事を言う人もある
大変難解で呼吸法を説いたと思惟される後漢時代の訳経僧
律蔵を求めてインドへ求法の旅の先駆者とも言える法顕(339~420年)などは経典を眼にする機会は多くはなかったと言われている、因みに「釈迦牟尼 世尊」の略語が釈尊、釈迦牟尼、世尊、等々と呼ばれる、因みに玄奘以前は「佛・bud」と記述されたが梵語に精通した玄奘以降にはダ即ちdhaを加えて「佛陀」と記述される様になった。
法華経は二十八品まであるが、品とはパリヴアルタ(parivarta)の漢訳で章、回転を意味する。
経典に記述されている説法を聞く参加者数であるが、初期大乗仏教の八千頌般若経では参列者は1,250人の男性出家者であったのが、大無量寿経では32,000人の弥勒等々の菩薩を初めとする出家者、観無量寿経では12,000人(出家)+32,000(菩薩)、であるが法華経の場合は更にヒートアップしてガンジスの砂の数ほど膨大な数の参列者になる。
経典を翻訳する時に漢文に訳さないで、音訳すなわち梵語の音を漢字に写した訳がある、玄奘が嚆矢の様で「五種不翻」と言い以下の様に五種の不翻がある。
重複するが、
・此方無故 閻浮樹 乾闥婆 迦楼羅など。順古故 阿耨多羅三藐三菩提が
・此方無故 閻浮樹 乾闥婆 迦楼羅など。多含故 自在・熾盛・端厳・名称・吉祥・尊貴という六義(6つの義・意味)という複数の意味を含む婆伽婆・薄伽梵 ・魔訶など。
・此方無故 閻浮樹 乾闥婆 迦楼羅など。
多含故の箇所、薄伽梵(バガヴァット・bhagavat、婆伽婆 注18)は佛を呼ぶ時に使う尊称、すなわち世尊と同意であるが更に威厳を加味した言葉である。
日本人の経典に対するスタンスは中国伝来の
典籍で文化財に認定された作品は多く存在する、箕輪顕量に依れば、国宝に指定されている典籍は八十点以上存在し、注釈書、祖師の書籍等々に、曼荼羅等を加えると、膨大な数になる
仏教に於ける総ての経典の事を一切経と言うが、現在までに日本に伝わった代表的な経典の内十数典を挙げて見た。
経典名 |
saṃskṛta Pāḷi 語 |
ルビ |
備 考 |
saddharmapuṇḍ arariika sūtra |
サッダルマプンダリーカ・スートラ |
護国三部経 |
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Prajñā-pāramitā-hṛdaya |
プラジュニャーパーラミター・フリダヤ・スートラ |
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Suvarlaprabhāsa |
スバルナ・プラバーサ |
護国三部経 |
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華巖経 | Buddhāvataksaka‐nama‐mahavai‐pulya‐sūtra | ブッダーヴァタンサカ・ナーマ・マハーヴァイプリヤ・スートラ | |
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Sukhāvatīvyūha |
スクハーバティービューハ |
浄土三部経(注14) |
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Sukhāvatīvyūha |
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浄土三部経(注14) |
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Sukhāvatīvyūha |
スクハーバティービューハ |
浄土三部経(注14) |
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Dhammapada |
ダンマパダ |
上座部 原始仏典 |
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āgama |
アガーマ |
原始仏典 |
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prajñāpāramitā adhyardhaśatikā |
プラジュニャーパーラミターナヤ・シャタパンチャシャティカー |
密教 |
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vimalakiirti-nireṣa-sūtra |
ビマラキールティ・ニルデーシャ・スートラ |
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śrīmālādevī -siṃhanāda-sūtra |
シュリーマーラーデービー・シンハナーダ・スートラ |
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金剛頂経vajraśekara 大日経 |
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密教 |
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Laṅkāvatāra‐sūtra |
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真言宗、禅宗等 |
・大日経 Mahāvairocanābhisaṃbodhivikurvitādhiṣṭhānavaipulyasūtrendrarāja nāma dharmaparyāya
・大日経上表の内大乗経典以外と密教は印をつけた。
・大日経大無量寿経
・曹洞宗宗務庁では式典に利用するために、道元のメイン著作は”正法眼蔵”であるが一部を”修証義”として1
*仁王般若経 正式名称は不空訳(705~774年)が「仁王護国般若波羅密多経」、鳩摩羅什(344~413年)訳が「仁王般若波羅蜜経」と言い、梵語経典は発見されていない、インドで作られた経典ではなく、中国に於いて成立した可能性の高い経典である、従って経典の起源・時期は定かではなく疑経説が確定的とされている。
鳩摩羅什と不空の訳とされる経典があるが、真言宗が付法八祖の第五の不空訳を使い、天台宗が鳩摩羅什訳を用いている様だ。
天台智顗が護国経典として重要視しており、中国天台宗を中心として日本では「護国三部経」の一経に数えられている、法華経、金光明経の三部経は僧侶達には暗唱が求められた。
特に玄宗皇帝に帰依された不空による仁王護国般若波羅密多経陀羅念誦儀軌に密教化された護国思想や五大力菩薩、五大金剛、五大明王の哲学が説かれ空海や円珍により請来された、因みに五大明王はインドで信仰された形跡はなく軍荼利明王、金剛夜叉明王、鳥枢沙摩明王の尊挌は発見されていない。
疑経説はともかく中国・朝鮮半島で重用され、日本に於いても奈良~平安時代にかけて大極殿、紫宸殿、等に於いて仁王般若会が天皇の即位儀礼等々、直接帝の下で行われた、現在でも五大力菩薩を供養する仁王会は真言宗、天台宗等で行われている。
護国思想は多くは「護国品」「受持品」「嘱累品」に説かれている、また七福神信仰の起こりとも言える経典であり「七難さって七福来る」と記述がある。
因みに五大力菩薩とは
当時の中国の翻訳とは原本を忠実に訳すのでなく、極端な恣意が多い様だ、正木晃氏に依れば玄奘の般若心経や康僧鎧の無量寿経等々に原文に無い箇所が多いと言う、不空の仁王護国般若波羅蜜多経では国王守護と護国等が加えられている、また「悪魔から大衆を守護」が「国王の守護」となれば、氏曰く捏造とまで言う。
*金剛般若経(金剛般若波羅蜜多経) 般若経系で般若心経に次いでポピュラーな経典で密教以外で金剛の文字を用いる経典がある、梵語から六典の漢訳があるが、鳩摩羅什の漢訳すなわち「金剛般若波羅蜜経」が多用されている,因みに玄奘の訳では金剛般若波羅蜜多経も様である。
経典名”金剛般若経”と呼ばれるが、中国禅宗が依経として愛用した、また天台・真言・三論・法相宗等でも愛用された、金剛般若経とは羅什の漢訳が正式名称化されている「金剛般若波羅蜜多経」(Vajracchedikā-prajñāpāramitā
Sūtra,
ヴァジュラッチェーディカー・プラジュニャーパーラミター・スートラ)と言い、更に省略して金剛経とも言う。
空の哲学を色濃く有しながら空と言うタームは使われていない、仏と十大弟子の一人である須菩提との問答が登場している。 (梵語名Vajracchedikā-prajñāpāramitā Sūtra, ヴァジュラッチェーディカー・プラジュニャーパーラミター・スートラ)
*蘇悉地経 善無畏敬(真言八祖の一人637年~735年)訳の祈祷儀礼が主体で行動(羯磨)金剛杵・五鈷杵などを用い障害難・恐怖などを除去する、正式には蘇悉地羯羅経(スシッデイカラ/susiddhikra)と言い、特に天台宗の重要経典でもある。
両部の大経に蘇悉地経を加え”胎金蘇”即ち「大日三部経」「真言三部経」「台密三部経」と言う呼称がある、但し真言宗は即ち両部の大経を”
*
*瑜祗経 正式名称は「金剛峯楼閣一切瑜祗経」と言い高野山金剛峯寺の銘々の基経で真言密教に於いて覚りを開く為の方法を記述した経典ある。
*梵網経 唐招提寺の毘盧舎那仏は梵網経を典拠としている、華厳経の毘盧舎那仏と対比されるが、梵網経は「梵網経毘盧舎那佛説菩薩心地戒品」と言い、大乗菩薩戒を説いている、梵網経の説く蓮華蔵世界を天皇中心とした統一国家のシンボル的経典である、最澄が自著の「顕戒論」の参考文献とした経典で、「十発趣心」「十長養心」「十金剛心」「十地」など菩薩の階級の他に「十重禁戒」「四十八軽戒」などで構成され華巖経 と密接な関係にある。
*大集経 大方等大集経と言い、法華経や般若心経の様な知名度はない、また大集経を依経とした宗派が存在する事もない、但し大乗経典としての必須度が高い経典である、因みに
経論と如来・菩薩の大集合とを集議された経典で隋の時代に中国に於いて編纂された、十七分六十巻の大経典で密教色が強く「空」論を中心に膨大な数の如来・菩薩を集合させて法を説いたとされる、仏法が廃れゆく末法思想の論拠とされた経典である、多方から集合された経典の為に一貫制に乏しく通常詠まれる事は無い、日蓮が立正安国論に一部分取り入れている、因みに方等とはvaipulyaの意訳で方広とも訳されて広く衆生をサルベージすると言う大乗経典の別称である、因みに方とは広く衆生が救われ、等は等しく法を説くとの意味を持つ。
”大乗仏教五部経”と言う分類方法があった様だ、*
初期仏教から大乗仏教に至るまでに多くの経典がある、著名な経典は鳩摩羅什の漢訳で弟子達に対して遺言の収録で持戒と徳行を強調しており、特に曹洞宗に於いて重用している、同様の経典に「
後期になると久遠不変すなわち法身の釈迦が強調される、涅槃経性格を咀嚼すれば釈尊の入滅状況を語る経典の総称である、従って総ての「釈迦涅槃図」は大般涅槃経を拠所に日本独自の解釈を加えて描かれている。
天台宗や日蓮宗では法華経より劣る「
阿弥陀信仰、すなわち悪人正機の先駆け的な一面を持ち、中国佛教界の歴史からは法華経に匹敵する影響力を有していた様である。
涅槃経には初期の涅槃経と大乗の涅槃経があるが、趣旨に相違があり別の経典と解釈する必要性を説く説がある。
大般涅槃経には釈迦の晩年、入滅、入滅後の様子が記述されている、釈尊の教えとして「七不衰退法」があり、七ヶ条を守っている社会は、
衰退せずに安定的に繁栄すると言う、①頻繁に集会を行う。②議事は和合して行う事。③定めを破らない。④経験豊かな先輩を尊敬し、意見に耳を傾ける。⑤女性を強引に口説かない。⑥伝統的な儀礼祭典信仰を行う事。⑦覚者の面倒をよく見る事。等が記述されている。 涅槃経には「一切の衆生は悉く仏性を有す」の記述が観られる。
阿難陀達に対しての言葉に、
パリ(pari)とは完全、 涅槃とはニルヴァーナ(nirvāṇa)と言いニルは「外へ」、ヴァーナは「吹き消す」を意味する、随って大般涅槃とは釈尊の入滅を言う、釈尊の生前中は煩悩だけが消えており涅槃である、生命が消えた時すなわち生命と煩悩の消滅で大涅槃となる、因みに玄侑宗久氏は涅槃には二つの意味がある、即ち”煩悩の火を吹き消す安らかな状態”と”
大般涅槃経
諸行無常が出たので蛇足する、平家物語の冒頭にある「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色
問答形式を用い甚深な教えの解析とされる経典で・序品、・勝義諦相品、・心意識相品、・一切法相品、・無自性品、・分別瑜伽品、・地波羅蜜多品、・如来成所作事品の八品で構成されている。
空にも唯識は存在すると言う、唯識論の基本ソフト的経典で「摂大乗論」「成唯識論」や無著による「瑜伽師地論」等に影響を与えている、即ち「阿頼耶識」「五姓格別」「三無性説」等を説いている。
日本に於いて徳一と最澄の三一権実論争は、法相が依経とする解深密経と天台が依経とする法華経との優劣論議であり、何れが仮説「権」か真実「実」か結論が出ない。
*大雲輪請雨経と言う請雨経典がある、これは空海が請来した経典で雨乞い祈願の最盛期を迎えた、空海の神泉苑での祈祷が著名であるが大雲輪請雨経を典拠としていた様である。
*スッタ ニパータ(Sutta nipāta)
スッタニパータはPāḷi語で(Sutta Nipāta)で書かれた経典である、十大弟子の上足、舎利弗(Śāriputra)も経典制作に参加しているらしい、主に南伝仏教圏に於ける経典である、Pāḷi語でスッタ(Sutta)は経を言い、ニパータ」(Nipāta)は集合を意味し和訳で教集となる、日本等の北伝仏教圏では義足経等の例外を除いて用いられない。
因みに原始仏教であるスッタニパータに空の嚆矢とも言える、記述が第5、第慧1119偈に記述がある様だ。
*悲華経 悲華経とは曇無讖に依る430年頃の訳、釈尊の穢土成仏を賛美する経典である、大無量寿経と共通点の多い経典でもある、但し発願は無量寿経の法蔵菩薩でなく、無諍念王(転輪聖王)の発願である。
釈尊が自土で成仏した事で浄土に行かないで五濁悪世の娑婆に於いて衆生を救済すると言う経典とされる。
西大寺を再興した叡尊は悲華経を信仰し自身は浄土に入らないで五濁の娑婆に留まる誓いをたてた、西大寺の釈迦如来は悲華経と水晶の舎利容器を内包していた,、叡尊は浄土入りを回避して衆生救済に努めた。
*楞伽経
*賢劫の千仏名経(Bhadrakalpikasūtra)
茶 経 拼音pīnyīn(ビンイン)でchájīng 経典とは言えないかも知れないが、中国に於ける茶に関する聖書的存在で
茶経は次に挙げる10章で構成されている、上巻――一 一之源(茶樹)、二之具(製茶器具)、三之造(製茶の注意)、四之器(飲茶器具)、五之煮(茶をたてる)、六之飲(飲み方)、七之事(史料)、八之出(産地)、九之略(器具)、十之図(掛軸)、である。
*父母恩重経 正式には「
*金剛寿命陀羅尼経 金剛智三蔵の訳出であり、死に対する怖れを除く経典、若死にや不慮の死に対する不安の除去。
*
仏説
*入菩薩行論 経典とは言えないがチベット仏教の聖書とも言える論疏で著者はナーランダ僧院大学のシャンテイデーヴァ(śāntideva・七世紀後半)即ち寂天(中国名)である、非常に難解な著作であるが、チベット仏教の真髄と言える教義に六波羅蜜から利他などを説いた菩薩行必須思考が記述されている。
・菩提心・忍辱波羅密・精進波羅密・禅定波羅密・智慧波羅密などが説かれている、中国や日本の宗派では重要視されていない様である.。
*大智度論 大智度論とは
二万五千頌般若経に対する解説書である
竜樹に著作と伝えられ鳩摩羅什訳、仏教の百科全書的な書。智度論、大論の記述がある、また月と指、即ち月を教える指の価値に関する比喩は著名である(尊者、また坐上に自在身を現ずること、満月輪の如し)とある。
巻五に記述されているカルパ(kalpa)即ち劫とは大変な単位である、約十四㌔㎡に岩に百年に一度天女が舞い降りて衣で岩を撫でる、その摩擦で岩が消滅する時で一劫と言う、忙しい人が計算した様で一劫=約四十億年と言われる、単位に
*億劫 *那由他劫(1060~1072) *阿僧祇劫(107×2103)等∞の単位がある、巷間言われる”おっくう”は
(法楽寺様HP には大智度論とは「摩訶般若波羅蜜経」のサン梵語原典名Mahāprajñāpāramitā Sūtra[マハープラジュニャーパーラミター スートラ]語、摩訶(mahā)を「大」、般若(prajñā)を「智」、波羅蜜(pāramitā)を「度」としたもので、注釈書であるから「論」としたとある。)
*
1、眼施‐‐‐‐‐やさしい慈しみの眼差しをもって他人と接する(常以好眼 視父母師長沙門婆羅門不以惡眼 名爲眼施 捨身受身 得清淨眼 未來成佛 得天眼佛眼 是名第一果報)。
2、和眼悦色施‐‐‐‐‐柔和な微笑み、喜びの顔、希望に満ちた顔をもって他人と接する(於父母師長沙門婆羅門 不顰蹙惡色 捨身受身 得端正色 未來成佛 得眞金色 是名第二果報)。
3、言辞施‐‐‐‐‐思いやりのこもった丁寧な言葉で他人と接する(於父母師長沙門婆羅門出柔軟語 非?惡言 捨身受身 得言語辯了 所可言説 爲人信受 未來成佛 得四辯才 是名第三果報)。
4、身施‐‐‐‐‐身をもって思いやりを示す、骨身を惜しまず、真心をこめて奉仕(於父母師長沙門婆羅門 起迎禮拜 是名身施 捨身受身 得端政身 長大之身 人所敬身 未來成佛 身如尼拘陀樹 無見頂者 是名第四果報)。
5、床座施‐‐‐‐‐他人に座る席を気持ちよく譲る(雖以上事供養 心不和善 不名爲施 善心和善 深生供養 是名心施 捨身受身 得明了心 不癡狂心 未來成佛 得一切種智心 是名心施第五果報)。
6、房舎施‐‐‐‐‐宿舎や休息の場所を気持ちよく自宅等を提供する。(若見父母師長沙門婆羅門 爲敷床座令坐 乃至自以已所自坐 請使令坐 捨身受身 常得尊貴七寶床座 未來成佛 得師子法座 是名第六果報)。
7、房舎施‐‐‐‐‐家の中に迎えて過ごしてもらう、温かく自分の家に迎えたり、雨宿りの場所を提供する(前父母師長沙門婆羅門 使屋舍之中得行來坐臥 即名房舍施 捨身受身 得自然宮殿舍宅 未來成佛 得諸禪屋宅 是名第七果報)。
*沙門 (梵語śramaṇa シュラマナ、 pāḷi語samaṇa サマナ)
*シンガーラ経(Siṅgāla-sutta, シンガーラ・スッタ)と言う経典がある、人間関係に即して人道を守り実践を説く経典、pāḷi仏典経蔵長部、「
*大荘厳法門経 女性の説いた経典と言えば
稲荷心経 稲荷神社では経典も詠まれる、伏見稲荷等では祝詞と共に「稲荷心経」が唱えられる、稲荷心経は神仏習合が普通であった日本に於いて編纂された経典である。
*
*
*ナーティア・シャストラ 経典と言えるか不詳だが、バラモンが祭祀に使用した舞踏書に Natya-Shastra がある、印相を体系化した文献で仏教も踏襲している、Natya(演劇)のShastra(科学)に相当する。
経典では釈尊の現世での教えと記述したが例外もある、理趣経が例外と言える、理趣経(Prajñāpāramitā-naya-śatapañcaśatikā プラジュニャーパーラミター・ナヤ・シャタパンチャシャティカー・不空訳)
経典の登場には結集(注9)が最低4回行われ釈尊入滅の後、十大弟子の中でも大迦葉・優婆離・阿難陀が中心となり500人の僧侶が集まった、第2回は約100年後にバイジャーリーに於いて700人、第3回はその100年後アショカ王時代に1000人が結集し第4回は2世紀頃カシミールに於いて約500人でおこなわれた、結集とは梵語名 saṃkgīti (サンギーテイ)と言い弟子たちが釈尊の教えの暗記した事項の記憶の確認業務が行われた。
経典原語に付いてpāli語とsaṃskṛta(梵語)語が使われているが、釈尊に時代に使用されたのがインドに於ける俗語であるpāli語とされている、4世紀前半にバラモンの用語である梵語が使用される様になった、Pāli語とは源語では「保護」あるいは「防護」を意味するが、「聖典語」と言う意味を持ち上座部で帰敬偈や三帰依文に称えられるParittā(パリッター)と語源を同じくする様である、saṃskṛtaは「完成された」を意味し梵天が創り上げた言語との伝承から梵語と漢訳された、経典はインドでは暗誦を前提として編纂されている、また印欧語族に入る梵語(saṃskṛta)
その後原始仏教は部派に分裂するが各部派とも内容的には三蔵(経蔵・律蔵・論蔵)に集約される、経蔵(Sutta‐pipaka)は法(梵語ダルマdhárma、 pāli語dhamma、ダンマ)とも言い釈迦の教説を集大成したものとされる、律蔵(Vinaya‐pipaka)(伝承の教え、āgama四阿含・ 部、nikāya五ニカーヤ)は教団の規則の集成で修行者が守らなければならない戒律であり,論蔵は教説の解釈及び研究書。
これらは口伝によって語り継がれた為に教派や言語の相違により異なる経典が出来た、ちなみに経典と言えるものに経・律・論・疏がある、これ等を総称して一切経または大蔵経と言う。
1、経は釈迦如来の説く教義を言う、
2、律は教団運営の為に釈迦が定めた規則とされる、
3、論は弟子たちの解釈書であり、
4、疏前1~3の解説書と言う。
閑話休題、密教と言う熟語を定着させたのは付法六祖不空であるが、密教と顕教の相違を理論化したのが9世紀の初め青龍寺の海雲が「両部大法相承師付記」で瑜伽の五部すなわち・仏・蓮・金・宝・羯の曼荼羅を密教とし、顕教を三乗すなわち・経・律・論としている、経典はハンチャニカーヤ(Pañca- nikāya)と言い五っの部に分類される事がある、内訳は長部、中部、相応部、増支部、小部である、密教と顕教であるが一方からは外道と決め付けても不思議ではない対立軸にある、後発の密教が優位性の主張の為に、誹謗の意味合いで顕教を呼称したものであり、既存仏教では顕教とは呼称しない。
初期の仏教経典で現存する経典は婆羅門の公用語とされる梵語(サンスクリット・sanskrit) (注13)や地方方言とされるパーリ語(pāli)(注10)聖典等であるが、釈迦はパーリ語かマガタ語系で説法したと考えられ部派に分裂した後に梵語・バーリ語・ガンダーラ語に翻訳されている、部派共通の経典は存在しない、因みに中村元・前田専學両氏による岩波書店の「仏典を読む」に依れば大乗仏教を初・中・後期に分類しており、初期としてAD150年頃の中観派の祖・龍樹を嚆矢として以下の経典が成立している、また中期は3.5-5世紀に於ける唯識派(瑜伽行)、無着・世親の時代とし、後期は7世紀密教中心の時代に分類されている、初期に於ける主な大乗経典に阿弥陀経・大無量壽経・般若心経・華厳経・法華経等で中期には金光明経が挙げられている、佛教には八万四千の経典が存在すると言われるが竜樹は経典数を増やす先鞭を果したとの説がある。
現在経典と呼ばれる典籍はインドで生まれ中国で翻訳または創作されたものと、所属宗派の祖師の著述の抜粋が詠まれている書に分類される、初期の仏教聖典で「ブッダ直接の教え」即ち釈尊の言行録の経典を、梵語でāgama (アマーガ)と言いう、阿含と音訳されており意訳すると「伝承」を意味する、因みに阿含経は長・中・雑・増一と形式や内容により分類されている、是に反して大乗経典は宗教的パッツション(passion)はともかく文学書又は小説的性格を有する。
もう一つ最古と言われるpāli語経典にスッタニパータ(Suttanipāta)があり経集と訳される、南伝すなわち上座部の経典で法句経と共に最も初期の経典とされBC3世紀にもさかのぼる、但しスッタニパーダには漢訳経典は存在しない様で詩集や弟子との対話が中心の様である、因みにスッタは縦糸でニパータは集合を意味する、また釈尊は通常pāli語を使用していたとされる、閑話休題イギリスのwillam jones (1746~1794年)に依れば梵語と英語の語源は同じであると言う。
著名な詩に「実にこの世に於いては、恨みに報いるために恨みを用いたならば、いつまでも恨みが止むことはない。恨みを捨ててこそ鎮まる。これは永遠の真理である」(池上彰と考える・飛鳥新社)。
インドに於いて発生した経典は中国に渡り翻訳された、中国に於いては古来からの哲学思想すなわち老荘思想が普遍性を持つ為に老荘関連の語彙で翻訳された、一例を挙げれば覚りをbodhiと言うが菩提と音訳されたが、意訳は「無」「道」等は老荘哲学用語と言える、因みに老荘とは道教の碩学である老子と荘子の合成語で、ここから「格義の仏教」といわれる。
佛教の東漸により中国では新しい漢字が作られたと中村元氏は言う、一例として佛は玄奘以降の様である、弗は○○であり○○の非ずを意味する、否定の意味を持つ、即ち人であり人に非ずが佛であると言う、また梵、魔も佛教の為に新しく作られた文字である、因みに仏陀の陀も梵語の意味合いから釈迦の為に加えられた文字である、閑話休題、漢訳は使用する文字により印象の相違が著しい、一例を挙げれば、卑弥呼ーーー日巫女、邪馬台国ーーー大和の国、インド身毒、チベットーーー吐蕃、等々侮蔑的な文字が並ぶ。
翻訳は概ね三段階に分類され古訳(鳩摩羅什以前、竺法護の時代)・旧訳(鳩摩羅什~玄奘まで)・新訳(玄奘以後)とされている、この分類方法は旧訳が原典から相違があり忠実さに欠けて乖離していると批判した玄奘の主張であり自身の翻訳をアピールするものである。 竺法護232頃~309年頃 鳩摩羅什344~413年(注4) 玄奘602~664年
中国の経典に於ける四大翻訳家と言われる三蔵に ・鳩摩羅什(注4)(344-413年・35部294巻) ・摂大乗論、倶舍論等の真諦(499-569・64部278巻)パラマールタ(Paramārtha) 、波羅末陀(拘那羅陀) ・玄奘 (602-664年頃 ・75部1335巻) ・不空(705-774 210部143巻)が言われている、その他中国初期の翻訳家として竺法護が挙げられる、彼は部派と大乗が明確に理解されていない中国に於いて三世紀には「正法華経」「維摩詰経」等150部以上の大乗経典を訳出している、但し鳩摩羅什以前の翻訳は中国の慣例や通念すなわち老壮思想に適合しない事例は恣意的に削除されていたと考えられる、漢訳経典の分類に付いては仏書解説大辞典(宇井伯壽監修)には古訳、旧訳、新訳に分類が為され、古訳に竺法護、旧訳に鳩摩羅什、新訳に玄奘達が挙げられている。
中国では多くの学僧が翻訳に携わっていた様である、730年唐に於ける律宗の僧、智昇編纂の「開元釈経目録(開元録)」に拠れば密教関連だけでも、呉の支謙、西普の竺法護、東普の帛戸梨蜜多羅、曇無蘭、仏陀跋陀羅、難提、に姚泰の鳩摩羅什、さらに涼の法衆、西秦の聖堅、劉宋、求那跋陀羅、功徳直、玄暢、畺良耶舎、曇曜、に梁の僧伽婆羅、元魏の菩提流支、仏陀扇多、北斉の万天懿、北周の闍那耶舎、耶舎崛多、隋の那連提耶舎、闍那崛多、唐の玄奘、智通、伽梵達磨、阿地瞿多、杜行凱、仏陀波利、実又難陀、弥陀山、義浄、菩提流支等々膨大な人数となる。(初期密教・春秋社・苫米地誠より)
佛教は輪廻転生からの開放を目指す宗教である、経典は要約すれば戒律、禅定、智慧の三学に包括される、経典は概ね大乗と小乗(上座部)に別れており、上座部は比較的短編で具体例が占めされている、大乗経典は長編で哲学思想をふんだんに盛り込んだ典である、日本に伝わったのは漢訳の大乗経典が大勢を占める、各教団では経典の核心を根本経典というが国及び宗派により異なる場合が多い。
大乗経典は三期に分類されている、第一期(60年~250年)・般若諸経典 ・維摩経 ・華厳経 ・法華経 ・浄土系があり、第二期(250年~480年)・如来蔵経 ・大般涅槃経 ・勝鬘経 ・解深密経、第三期(600年代)・両部の大経が成立する。
、閑話休題翻訳であるが大変なのが集合的(アッセンブリー、Assembly)業務の様であった、①経典言語の誦出者、②誦出された内容を漢語にする訳語者、③書き留める筆受者、④正誤を調べる証義、⑤訳文を俯瞰する潤文者の多義にわたる。
天台智顗(ちぎ)により「一切経」と呼ばれる数千部をしのぐ経典の格付け即ち、教相判釈(注8)が行われ五段階に分類したが法華経を最上位にランクした、これを最澄が学び経典の集蔵である一切経・
インドに於いて紀元前一世紀頃仏塔を中心に仏陀を信仰する弟子達が集まり参拝する、集団が大きくなるに従い修行者中心から在家信者を中心とする仏教に変質し始めた。
在家信者を救済する為には民衆を覚りに運ぶ手段として大乗を自称し旧来の上座部(部派)を小乗と貶称して侮蔑した。
経典の漢訳は特異な面がある、原典を自国語に忠実に訳したものは少なく、中国の価値観に迎合するように恣意的に翻訳された経典が多い、例えば天息災訳の「文殊師利菩薩根本儀軌経」にある国家守護や父母忠孝などは原典にない、不空訳の「仁王護国般若派羅蜜多経」国王、国家守護が加えられている、また康僧鎧の「無量寿経」、玄奘の「般若心経」も創作に近い部分がある。
この流れは急速に発展し、新しく考案された哲学や方便を駆使した多くの大乗経典が生み出された。
しかし上座部仏教以外は釈迦の教えとは言えない面があり、江戸中期の思想史家、富永仲基は釈迦の教えと大乗経典とは何等関係ないと「出定後語」に於いて論破した、また明治後半東京帝国大学の村上専精教授も大乗非仏説でこれを肯定しておりこれは現在も覆されていない、他の大乗非仏説には服部天游の「赤裸々」、平田篤胤の「出定笑語」などに大乗非仏説等がある。
大乗とは釈尊の中核を占める教義から大きく逸脱しない範疇で解釈を拡大した教義といえる、しかし大乗側はインド人が発明した方便を使って釈迦がまだ弟子たちに説いていない真意・真理・を顕わした教えと説明している。
大乗経典を仏典と認める為には「真理を説いている理論は全て仏説である」 「真理とは言語表現を超越したものである」の二点を容認しなければ大乗経典は仏教の経典ではなくなると言われている。
初期の仏典は仏陀の言行録が比較的反映されている、それが時代と共に中核から大きく逸脱しない範囲で教説は拡大され続けられた、高い格調の文学性に粉飾された法身論、六波羅蜜等々菩薩行の誓願的になる。
上座部(Theravāda)では釈尊は最後に覚りを開いた聖者(真理の発見者)であるが生身の人間である、大乗佛教(Mahāyāna) の言う様な神格や久遠実成の尊格はない、要するに仏像に於いては阿弥陀如来や観音菩薩、諸々の明王等々、及び経典では法華経、般若経典、浄土三部経等々、即ち大乗仏教関連は認知されていない。
本来は仏教とは釈尊の教え(説法)である、それ以外であってはならない、但し大乗・上座部、部派(小乗)を問わず経典中で釈迦の言葉と証明できる経典は存在しない、特に中国で行われた漢訳経典は梵語の原典を従順に直訳する事は許されず、自国文化、すなわち儒教、道教の思想、老荘思想をベースに理解する必要があった、例えば国民感情や皇帝の意思を考慮して大無量寿経は弥陀の誓願を四八願に増やしている、その他・玄奘の「般若心経」・不空の「仁王護国般若波羅蜜多経」善無畏の「大日経」等々、創作を加え恣意的に改訳された著名な経典がある。
釈迦の教えとされる教義は中国の訳者が訳した教義は難解である、しかし梵語やパーリ語は理解が比較的単純であると言われる、一例として源経は存在しないが釈迦が説いたとされるパーリ語(pāli)
中国に於いては「真経」(注11)すなわち釈尊直伝とされる経典と、「疑経」すなわち中国製との疑いを持つ経典や「偽経」いわゆる偽物と断定される経典があるが、偽経とされる経典の内、護国三部経の一経に数えられている「仁王般若経」を初めとして「延命十句観音経」「盂蘭盆経」「父母恩重経」等は現在も詠まれている、因みに「般若心経」も欧米の研究者の間で偽経説が強い、要するに儒教等に迎合する目的もあるが、偽経と言え秀作を生み出す高い文化を中国は所持していた、法華経を例にとれば中村元氏は「法華経・東京書籍」の中で鳩摩羅什(注4)訳を翻訳と言うより創作と言えるほどの名文と言われている、日本に於いては白隠慧鶴は「十句観音経」を偽経と承知しながら自ら「延命」の二文字を付け加えて採用するなどの改革を為し臨済宗中興の祖と慕われた、白隠は著わされた経典がインドか中国か、すなわち真経・偽経に拘る必要はない、方便或は真理を説いている理論は全て仏説であるに該当するかもしれない。
翻訳すなわち漢訳に付いて述べれば、正木晃氏に依れば原典を忠実に翻訳するのではなく恣意的に変更されていると言う、玄奘の般若心経・康僧鎧の無量寿経、鳩摩羅什の法華経、等々漢訳のおかげで広まった著名経典に多くある、極端な例は経典の改変おも行った不空である、不空は「仁王護国般若波羅蜜多経」「文殊師利菩薩根本儀軌経」「
偽経に付いて稲葉幹雄氏は中国に於いて大乗仏教の成立は鳩摩羅什の大乗起信論が不可欠である、偽経は「中国撰述の経典」と呼称変更すべきと言う。
偽経については六世紀初頭の「出三蔵記集」には639の経典があり、偽経は二十六典が挙げられているが、世紀末の「衆経目録」には2257典の内196典を偽経との記述がある(弥勒信仰のアジア・菊池章太・大修館書店)。
如是我聞を冠に使用し釈尊の名を騙り佛法と異質な内容や背馳な翻訳で発表された偽経も相当数存在するかもしれない。
現在我が国に於いて仏教経典は般若心経・法華経・浄土三部経の五経の影響は大きく日本人の行動様式や歌舞伎や落語等の芸能、さらに文学に大きな指針を与えており、その真髄を小説のテーマにした作品は多くわれわれに与える影響は計り知れない、
仏教をテーマにした作品を著す作家をランダムに挙げても・幸田露伴(楞伽経)・幸 ・夏目漱石(禅) ・谷崎潤一郎(浄土教等) ・川端康成(唯識等) ・宮沢賢治(法華経) ・岡本かの子(浄土真宗等) ・三島由紀夫(唯識等) ・瀬戸内寂聴(天台) ・水上勉(臨済宗等) ・永井路子(天台等) ・五木寛之(親鸞等) ・山田智彦(日蓮等)等々時代を超えて群雄割拠である。
しかし明治政府からは国家神道に偏り、現在の教育制度に於いては公教育から宗教は排除されている、即ち文部省は教育体系に宗教の基本的常識を無視している、僅かに教科書に採用されても経典の内容や小説の真髄を説明される事は無い、したがって仏教の知識を持たずに、文学作品を理解することは困難な場合が多い、同様の事例は欧米の絵画、彫刻などにも言える、キリスト教 聖書に無知で *ウイリアム
ブレイク(William Blake, 1757年11月28日 ~1827年8月12日)の「世界の起源」、*ジュスト デ メナブオイ( Giustode Menabuoi 1375~1376 年)の「天地創造」、等は無論のことルネサンスの巨匠たち、すなわち *ラファエロ サンツオ (Raffaello Santi、 1483年4月6日 ~1520年4月6日) の「聖母の結婚」、 *レオナルド ダビンチ1452年4月15日 ~1519年5 月2日(Leonardo di ser Piero da Vinci.ogg ) の「受胎告知」「最後の晩餐」、 *ミケランジェロ(ミケランジェロ・ブオナローティ Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni、1475年3月6日 ~1564年2月18日)のアダムの創造、等々の理解は不可能と言える。
更に日本人は実学すなわち工学、法学、会計学等は多くが理解しているが、根幹にある哲学などは宗教を軽視したり欧米のコピー学が多い。
仏教は外来の宗教であるが日本に於いては哲学・文化・日常生活に於いて根幹を為す思想である、日本語には経典から由来する熟語が多く仏教用語を削除しては日本語とした成立しないとされる、また古典文学は無論のこと小説に於いても仏教の知識が無くては理解不可能な作品が多い、特に日本の教科書は宗教の教義や哲学・歴史に関する精神性を伝えようとするビジョンに欠けている。
古来より日本に於ける文化、思想哲学は仏教を根幹に形成されていた、日本人は無意識の内に仏教徒になっている、日本人の文化的遺伝子に仏教の占める位置は空気か水の様な存在と言える、注目すべきは日常使用されており経典にも使われる仏教用語と熟語の意味が全く異なる場合が多くある、我々が日常無意識に使う用語をランダムに挙げてみると、・娑婆(sahā・大地)・奈落(naraka・地獄)・・刹那(kṣaṇa・瞬間)・我慢・世界・過去・未来・現在・恍惚・縁起・安心・愛嬌・挨拶・融通・悪口・無惨(無慚)・無念・馬鹿・不思議・道具・道場・相続・大衆・真空・乞食・以心伝心・一大事・有頂天・会釈・改心・観察・観念・看病・行儀・機嫌・玄関・降伏・正直・実際・平等・工夫、などなど仏教に無関係と思える仏教用語が膨大な数にのぼる。
注意すべきは日常使用されており経典にも使われる仏教用語と熟語の意味が全く異なる場合が多くある、 ・我慢(我に執着し慢心状態) ・無学(asśikṣa・学び尽し最早学ぶ事は無い状態) ・分別(妄想に囚われる状態) ・無分別(真理を知る) ・非行(仏道を知る境地) ・無所得(仏教の教え) ・差別(syabetu,総てが千差万別)・平等(差別も真理からすれば平等)・出世(如来が菩薩や明王などに変化して衆生救済に向かう姿)等々意味が逆と解釈できる、因みに有学(śaikṣa)はまだ学ぶことが多いを意味する、更に特異な例として「我他彼比」(ガタピシ)、我と彼との対立を言い、建具等の建て付けの悪さに使われる、また「有漏有漏」(ウロウロ)も仏教用語と言える。
また経の発音は殆どが呉音で読まれる、但し留学僧が請来した経典で理趣経の様に漢音で読まれる経典もある、閑話休題従って日常用語でも呉音が使われる事がある、例を挙げれば舎利、曼荼羅等の他に後生、金輪際、有頂天、極道、根性、世界、人間、弟子、誕生などがある、他に禅僧が持ち込んだ唐宋音と呼ばれる混淆語がある、行燈、行脚、椅子、喫茶、庫裏、炬燵、布団、饅頭等々がある。
因みに呉音発音の代表例を挙げれば、開眼、救世、西方、山水、食堂、思惟、荘厳、聖人、白衣、上品なと多義にわたる。
次に経典の種類を表に挙げるが下表以外の経典として楞伽経・大集経・解深密経等々がある、楞伽経は唯識の立場から如来蔵と阿頼耶識を融合させ禅も説いている大乗経典である、解深密経は法相宗の重要経典で修行などが説かれ唯識の諸経典に影響を与えている、大集経は空を解き密教的であり如来・菩薩・明王・天などが多く登場する。
経典の叙述様式は大智度論に於いて確立された様でこれを「六事成就」と言う、1、如是――成就 2、我聞――聞成就 3、一時――時成就 4、佛――主成就 5、在某処――処成就 6、与某衆倶――衆成就となる。 (仏典の読み方・金岡秀友・大法輪閣)
因みに経典と呼ばれる典籍は佛教だけではない、儒教の聖典すなわち四書五経の内、五経(・詩経・書経・易経・春秋・礼記)があり、中国に於いて混淆した部分は否定できない、また四書(経書)は「大学」「中庸」「論語」「孟子」を言う、儒家は十三種(十三経)の経書を重要視する、即ち・易・書・詩・周礼・儀礼・論語・孝経・爾雅・孟子等を言い、歴代皇帝が「孝経」を講説する伝統を有していた。
膨大な数の経典の内で共通の趣旨を有する経典を集合して三部経と命名された経典に「護国三部経」(法華経、金光明経、仁王経)、「浄土三部経」(阿弥陀経、観無量寿経、大無量寿経)、「法華三部経」等がある、護国三部経、と浄土三部経、には順序は無いが、法華三部経は開経に「無量義経(曇摩伽陀耶舎)」を置き、本経に「法華経」、結経に「観普賢菩薩行法」が置かれている。
女人が説いた特異な経典に勝鬘経が著名であるが、同じく女人の説いたとされ中国や日本では省みられない「大荘厳法門経」(Manjushrivikriditasutra)がある、勝金色光明徳と言う婬女が森の中で男に法を説く経典がでる、大般涅槃経に於ける釈尊が最後の旅の物語?には、ヴェーサリーと言う所にある遊女アンバパーリーが所有するマンゴー林に於いて食事をふるまわれる故事がある様に、インドに於いては娼婦の社会的地位は中国や日本ほど卑しい職業ではなかった可能性がある。
日本で行われた最大の仏典の集大成として「大正新脩大蔵経」がある、(仏典の読み方・金岡秀友・大法輪閣)。
経典の主な文字は上座部がpāli語(パーリ)で大衆部がsaṃskṛta語(梵語)が使われる、要するにpāli 語は梵語の派生言語と言われる様に共通点が多い、十八世紀以前には梵語とpāli 語の区別は為されていなかった可能性がある。
法 |
行為 |
涅槃境地 |
仏陀 |
僧集団 |
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saṃskṛta 語 |
ダルマ dharma |
カルマン karman |
ニルバーナ nirvāṇa |
ブツダ buddha |
サンガ
sangha |
pāli 語 |
ダンマ dharmma |
カンマ kamma |
ニッバーナ nibbana |
ブツダ buddha |
サンガ
sangha |
|
|
|
|
共通 |
共通 |
各宗派で法要や勤行などで経典の読経前に読まれる偈がある、開経偈(かいきょうげ)(開経文)と言い、を言い日蓮宗以外は以下の如くである。
各宗派の主な経典と本尊・宗祖
宗 派 |
経 典 名 |
日本の宗祖 |
本 尊 |
華厳宗(南都六宗) |
華厳経 他 |
良 弁 |
|
法相宗(南都六宗) |
般若経 般若心経 金光明最勝王経 成唯識論 解深密経 他 |
法相六祖 |
|
律 宗 (南都六宗) |
大乗経典全てを律蔵に加える、四分律蔵 法華経 梵網経 他 |
鑑 真 |
|
法華経 阿弥陀経 法華文句 摩訶止観 蘇悉地経 大日経他 |
|||
金剛頂経 大日経 蘇悉地経 瑜祇経 理趣経 要略念誦経 法華文句、摩訶止観 |
|||
真言律宗 |
同上 |
||
観無量寿経 阿弥陀経 無量寿経 浄土論(無量寿経優婆提舎願生偈世)親著 |
|||
無量寿経 阿弥陀経 観無量寿経 正信偈 他 |
|||
般若心経 観音経 金剛般若経 楞伽経 |
栄 西 |
||
法華経 金剛般若経 正法眼蔵(修証義) 楞伽経 |
道 元 |
||
法華経 観音経 |
日 蓮 |
||
華厳経 法華経 浄土三部教 他 |
良 忍 |
||
阿弥陀経 観無量寿経 無量寿経 他 |
一 遍 |
主な漢訳者
時 代 |
氏 名 |
経 典 名 |
古訳 (三世紀) |
竺法護(231~308年) |
正法華経、維摩詰経、大宝積経、 光讃般若経 他 |
(四世紀) |
釈道安(312~385年) |
|
旧訳 (四世紀) |
鳩摩羅什(344~413年) |
坐禅三昧経、阿弥陀経、般若波羅蜜経、妙法蓮華経、維摩経、龍樹菩薩伝、佛垂般涅槃略説教戒経、十誦律、座禅三昧経、大智度論・十二門論・十住毘婆沙論 金剛頂一切如来真実捷大乗言現証大教王教等 |
新訳(七世紀) |
玄奘 (602~664』年) |
大般若波羅蜜多経、瑜梼師地論、成唯識論等、75部、1235巻 |
(六世紀) |
真諦 (499~569年) |
十七地論、中辺分別論、摂大乗論、倶舎釈論 等 |
・鳩摩羅什・玄奘・不空(中国密教を定着した705~774)・真諦加えて四大訳経家と言われている。
経典を読誦及び「
・経典と聖典に付いて、アルラーからムハンマドが受けた啓示即ちコーランが聖典であり、第二聖典とも言える書籍にハディース(al-ḥadith)がある、ムハンマドの言動を文字化し纏めた重要な本であるが、神(アルラー)からの掲示でない為に聖典と言うには疑問がある、教祖すなわち釈迦如来から聞いたという経典は佛教の如是我聞‐‐‐‐に相当する、即ち佛教には聖典は存在しないと言える。
注1,初期経典の五分類、
a.[ディーガ・ニカーヤ] [長部[[]部]、[中阿含経]
c.[サンユッタ・ニカーヤ] ([相応部]、[雑阿含経]
d.[アングッタラ・ニカーヤ]([増支部]、[増壱阿含経])
長部経典三四経:比較的長い、物語も含む経典。
[ディーガ・ニカーヤ] [長部[[]部]、[中阿含経]
c.[サンユッタ・ニカーヤ] ([相応部]、[雑阿含経]
d.[アングッタラ・ニカーヤ]([増支部]、[増壱阿含経])
e, 仏教の説話を基にした小
他の「部」(nikāya, ニカーヤ)に振り分けることができない特異な経典をまとめた「残余」の領域である。冒頭の『小誦経』(しょうじゅきょう、Khuddaka-pāṭha, クッダカ・パータ)に因んで、「小部」(しょうぶ、Khuddaka Nikāya, クッダカ・ニカーヤ)と名付けられている。名前とは裏腹に、文量は決して小さいわけではなく、むしろ『本生経』(ジャータカ)や『譬喩経』(Apadāna, アパダーナ)を中心に、膨大な文量を誇り、「五部」(Pañca Nikāya, パンチャ・ニカーヤ)の中でも圧倒的に多い。例えば、大蔵出版の『南伝大蔵経』では、「長部」が全3巻、「中部」が全4巻、「相応部」が全6巻、「増支部」が全7巻なのに対して、「小部」には全22巻[1]を費やしている。
注2、法相六祖とは神叡・玄肪・善珠・行賀・玄賓・常騰を言う。
注3、富永仲基(1715年~1746年)大阪商家の出身、三宅石庵に儒学を学び中国古代思想の研究から仏教史想を成立し歴史的に解明する「出定後語」は1745年の著作で仏教哲学者が方便を駆使して自説を拡大したもので大乗仏教は釈迦の説では無いとした、他の著作に「翁の文」がある。
*村上専精 (1851~1929年) 仏教史学者、近代仏教学の草分け的存在で東京帝国大学インド哲学の初代教授、「佛教統一論」を著して富永仲基の大乗秘仏説を事実上肯定し真宗大谷派の僧籍を剥奪された。
注4、鳩摩羅什(クマーラジーバ・くまらじゅう)344~413年
注5、如是我聞(梵語・エーヴァム・マヤー・シュルタム・evaṃ mayā śrutaṃ)
経題であるがインドに於いては最初に「如是我聞」が入り最後に記述されたが、中国に於いて表題として最初に記述されるようになった。
注6、教相判釈 天台智顗の言う、釈尊の説いた時代を五段階に分類し五時八教説を称えた 1、華厳時21日 2、阿含時12年 3、方等時16年 4、般若時14年 5、法華涅槃時8年(涅槃一昼夜)に分類し法華涅槃を最高とした。
注7、結集 仏滅後に弟子たちで釈迦の教えの確認作業として結集(梵語 saſgīti サンギーテイ)・合誦即ち、釈尊の遺言を纏める会議が行はれた、第一回は十大弟子の一人優婆離を中心として五百人の結集でラージャグリハ郊外の七葉窟で行はれた他、インドに於いて四度開かれた。さらに仏滅後200年頃はマウリア朝のアショカ王の元で千人結集。更に仏滅後五百年にクシャン朝のカニシュカ王の元で五百人結集が行はれて経・律・論の論議がなされ経典作成が行われた。
注8、三蔵 経蔵・律蔵・論蔵 経 Sutta‐pipaka 律 vinaya ビナヤ 論 abhidhamma アビダンマ 戒 śīla シーラ 。
注9、経典には真経・疑経・偽経があり、疑経には「観無量寿経」や「弥勒上生経」・「盂蘭盆経」に護国三部経の1典「仁王般若経」などの著名経典がこの範疇に入り、「仏説父母恩重経」「地蔵菩薩発心因縁十王経」「延命十句観音経」などが偽経に入る、さらに「般若心経」にも疑経説がある、但し大乗経典に釈尊の教えと証明される経典は存在せず優劣には関係は無い、従ってインド発以外の経典を「中国撰述経典」と言う呼称も用いられている、但し盂蘭盆経の偽経説に付いてインド哲学の池田澄達(1876~1950年)氏等から異論もある。
注10、パーリ語(pāli) 上座部仏教に於ける聖語で大蔵経があり、南伝仏教の地域ではpāli 語から根本経典は翻訳された、pāliは線を意味するが聖典語をも意味するとされる、梵語(サンスクリット)の公用語に対して俗語であるが、釈尊が常用した言語であり仏教経典としてオーソライズされている、タイ・ミャンマー・カンボジヤ・スリランカ等に仏典として伝播された、従って根本経典の多くは梵語であるが、釈尊の入滅直後の言語はパーリ語が日常用語であったとされる。
注11、八万四千の法門 八万とは数の多さを表現する形容詞であると言われる、但し「佛書解説大辞典」宇井伯寿監修大東出版社があり、新しい解説もあるが八万六千部におよぶと言う。
法すなわち経蔵Sutta‐piṭakaに、規律は律蔵Vinaya‐piṭakaに分けられ、さらに経蔵は長部、中部、相応部、増支部の阿含あるいはニカーヤ nikāya (部)に分けられていて,全体を総称して阿含経という。
注12、タントリズム(Tantrism)と言う用語は中国を経て日本で始められた熟語であるがインドでは秘密(guhya)の用語が随所で使用されている。
顕教とは密教側からの侮蔑を含んだ解釈の用語であり、密教以外の宗派では使用されない、露顕された教え即ち浅薄の意味を持ち二項対立を煽り「顕劣密勝」を誇張し侮蔑的である、因みに顕劣密勝も密教側の用語である、これは大乗仏教側が上座部仏教を小乗仏教と揶揄した事と同根である。
注13、 古代インドに於いては、梵語即ちサンスクリット (sanskrit)は完成されたと言う意味を持ち最も権威ある言語とされている、これは梵天が創造したとされる事から梵語と漢訳された、パーリ語(pāli)は古代マガタ語に他の方言が加わった地域言語で主に南伝すなわちThera‐vāda(テーラーバーダ)佛教で使われた。
注14、 浄土三部経 法然は自著「選択本願念仏集」にお於いて正しく浄土に往生する方法として「三経・一論これなり」と言う、三経とは浄土三部経であり、一論とはインド僧天親の浄土論(無量寿経
①仏説無量寿経 二巻 曹魏康僧鎧訳(大経) *阿弥陀如来誕生の由来
②仏説観無量寿経 一巻 劉宋畺良耶舎訳(観経) *極楽に生まれる方法・念仏往生
③仏説阿弥陀経 一巻 姚秦鳩摩羅什訳(小経)である、但し優先順位は宗派によりずれがある。 *極楽浄土の情景を示す
「仏説無量寿経 曹魏康僧鎧訳 「仏説観無量寿経」 劉宋畺良耶舎訳 「仏説阿弥陀経」姚秦鳩摩羅什訳
浄土三部経の特徴として「観無量寿経」は機の真実を説き「無量寿経」は法の本願を説く、更に「阿弥陀経」は機+法を合わせ説くとされている、阿弥陀経や観無量寿経に浄土信仰の極地とも言える「
浄土三部経の精神は後白河法皇の編んだ「
因みに十悪五逆の内で十悪とは、身口意(からだ・言葉・心)で犯す十悪を言う。
十悪とは、1殺生、2偸盗、3邪婬、4妄語、5両舌、6悪口、7綺語、8貧欲、9瞋恚、10愚痴。
五逆とは、1殺母、2殺父、3殺阿羅漢(聖者を殺す)、4出仏身血(仏身を傷つけ出血さす)、5破和合僧(教団を破壊する)となる。
注15、佛教経典には膨大な桁数の数字が使用されている、因みに「無量寿経」の法蔵修行段「不可思議 兆載永劫 積植菩薩 無量徳行」とある、膨大な数字に記述があるが数の単位を挙げると。
一 十 百 千 万 億 兆
注16、十二部経(dvādaśāṅgadharmapravacana)とは十二分教とか十二分聖教とも言われ、仏所説、如来所説の教法を内容・形式により分類したものであるが伝承により相違がある。
注17、 地蔵菩薩関連の経典を挙げると”地蔵三経”と「地蔵菩薩本願経」「大乗
注18、世尊を意味する婆伽梵(薄迦梵)と言う熟語がある、梵語のバガバーン(bhagavat)の事でリグ・ベーダ聖典にも表れる、因みに佛教的解釈では世は人々を言い、尊は師及び尊いを意味する、また立川武蔵氏はバガは祭礼後お供えの御下がり、を言う、従ってバーンは所持する者で「恵みを与えるもの」即ち神を意味すると言う、こるがバガバテーとすれば女神になると言う、漫画の天才バカボンはバガバーンがモデルと言われている。
音訳の為に漢字の相違もある、bhagavat バガヴァットすなわち「
注19、三界とは *欲界(carnal world 婬、食)、*色界(ethereal world 物欲、最上位に*無色界(spiritual world 禅定世界)がある。
流転する世界には
通常使用される世間と言うタームはラウキカ (laukika)と言い、宇宙を意味する仏教用語である、一般に迷いの世界を意味し対極に出世間がある、出世間とは通常仏門に入る事を言われる。
世間は生命の世界即ち *有情世間と物理的な *器世間があり、有情世間には「欲界」「色界」「無色界」の三界がある、輪廻転生はこの三界でなる。
2005年5月24日 加筆 2006年11月19日 27日如是我聞 12月17日注5,6、 2007年4月16日 仁王般若経 2007年9月15日注8 10月5日注9 2008年3月7日真経・疑経・偽経 2012年3月3日 2013年6月5日注13 2014年2月23日仁王般若経 2014年3月10日老荘哲学 4月25日三部経 2015年2月28日注14の内十悪五逆 2016年1月29日諷誦 2月11日文質論議 2017年2月17日 5月11日 9月23日 11月7日 27日 12月6日 2018年5月3日 8月9日 2019年10月20日 2020年5月11日 6月30日 7月11日 9月28日 12月13日
2021年1月23日 3月27日 2022年2月5日 3月11日 7月3日
2023年4月22日 2023年4月28日 2024年3月19日 加筆
「摂大乗論」(Mah 窕竏黌 amgraha,Thegpachenpobsduspa)は無着1)(Asanga)の代表作
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