大日如来

              説明: C:\Users\Owner\katada202\kyoto\button1.gif               仏像案内    寺院案内     佛師     

大日如来(毘盧遮那仏)密教世界の頂点に君臨する如来である、梵語名はmahāvairocana (マハーヴァイローチャナ)と言い燦然(さんぜん)と光り輝く」を意味する、大乗仏教の教義に於いて言われるMahāyāna buddhism(マハー、偉大な ・ヤーナ、乗り物)即ち衆生を導く為に大きな乗り物の必要性から密教の興りと共に多くの如来や菩薩達が顕れる、 mahāを「摩訶」と音訳されているが”多含不翻(たごんふほん)(注19すなわち大があまりにも多義に亘る為に意訳の困難さから摩訶とされたとの説がある、因みに密教は仏教とヒンズー教との習合から成立した
大日如来はインド神話に伝わる太陽神スーリヤが
surya嚆矢であろう、大乗仏教から密教へ移行する中で如来の種類が増えれば統合の必要性が起こる、もう一つ釈尊を人間から法華経等で久遠の絶対仏に祀り上げた為にその象徴仏の必要に迫られて偉大な太陽を仏としたとも言える、一言に要約すれば大日如来(毘盧遮那仏)は中期密教に於ける宇宙真理を擬人化した最高位の尊格を持つ如来である、これを東密に於いては「普門総徳(ふもんそうとく)の尊(注9」と言う、但し大日如来像は日本以外では極めて稀である様だ。    
宇宙の実態・本質とされる大日如来は如来に対する本質論、すなわち
仏身観trikāya  仏の三身に於いても特別である、大日如来は宇宙の根幹であり密教では縁起と言う、六大無礙であるが顕教では五大即ち地、水、火、風、空は存在するが、識を加えて密教即ち六大縁起になる、宇宙は「体」「相」「(ゆう)」から成り立ちこれを体大と言う様である。 
他の尊格は大日如来が出世
(注15即ち変化(影向(ようごう)した姿であり一門別徳の尊である、如何なる如来菩薩明王に対する信仰でも普門総徳の尊である大日如来に行き着くとされる、これを一門普門(注9と言う、但し大日如来の教えは深密(しんみつ)秘奥(ひおう)である為に顕示されない、信仰は如来の教理が宇宙真理そのものである為に普遍性に乏しく、僅かに関西地方に牛の守護神としての信仰や十三仏信仰の一尊や京都に於いて地蔵盆と習合した天道大日如来、すなわち大日盆や名古屋市天白区八事天道の高照寺臨済宗等限られた地域に於いて信仰されている。 
ヒンドウー教では象徴仏から変化して救済に現れる尊格達への思想を「交替神教」katheno-theisrmと呼んでいる。
華厳経(東大寺の毘盧舎那佛) ・梵網経唐招提寺の毘盧遮那佛・注16などに毘盧遮(舎)那佛が説かれる、これ等の経典が触媒となり密教名に適う意訳の大日如来が善無畏の訳による「大毘盧遮那成仏神変加持経」(大日経)により生まれた,因みに大日如来の典拠となる両部の大経の内、[大日経」には大日如来の呼称は数回であり多くは毘盧遮那とか意訳である遍照(へんじぃう)如来と記述されている、「金剛頂経」に於いては全てが毘盧遮那如来の呼称が使われていると言うしかし日本に於いての密教は大日如来の呼称が一般的に使用されているが、中国に於いては毘盧遮那如来及び遍照如来と呼称されていた(金剛頂経入門・頼富本宏著・大法輪閣 他)、因みに遍照(へんじょう)とは(あまね)く光輝く事を意味する、また大日経には摩訶(大)毘盧遮那仏と毘盧遮那仏の区別に付いての記述があり、毘盧遮那仏は経典の主であり曼荼羅の中核に座す如来(大日如来)である、摩訶毘盧遮那仏とは曼荼羅の総てを意味するとされる、従って摩訶毘盧遮那仏を一切如来sarva tathāgataとも言われている、また金剛頂経には大日如来(毘盧遮那の起りは、修行中の釈尊をモデルとした「一切義成就菩薩」と解釈できる記述も多く見られる、因みにチベットに於いては密教が主流であり大日如来は多いが、胎蔵大日如来・金剛界大日如来よりも総ての智を完備した「一切智大日如来(毘盧遮那仏)」が多い、但し如何なる尊名を使用するも梵語はmahāvairocana である
大日如来の呼称に付いて気鋭の研究者達による「曼荼羅図典・大法輪閣
(注12」に依れば金剛界曼荼羅の解説に大日如来の尊名は使用されず毘盧遮那如来が呼称されている、因みに大日如来の智拳印は大日如来と衆生は本来不二一体である、即ち「生仏不二(しようぶつふに)」を著している。
大日如来(毘盧遮那仏)はインド密教、曼荼羅の歴史の中で中尊として扱われた時期は比較的短期間である、毘盧舎那の主尊は中期密教(行・瑜伽タントラ)の時代に限られる様で後期密教(無上瑜伽タントラ)の曼荼羅には報身仏すなわち、その他大勢(東尊)に扱われている(大日如来の世界・頼富本広編著・春秋社)

梵語名に諸説あり「源泉は諸説交錯する、古代イランに於けるゾロアスター教や、荘厳化された菩薩形即ち転輪聖王を源流とする説もあるが転輪王を意識している事に相違はない、大別すると恵果・空海の流れとインド哲学研究者とで解釈は異なるようだ、ここではMahavairocana(マハ-バイローチャナ)(偉大な太陽)とする説を記述する、密教は顕教の華厳宗を源流としている様で華厳宗の本尊が音訳では「毘盧遮那佛」であり、善無畏と弟子の一行による意訳が大日如来で密教の本尊である、「偉大なる太陽の子」と言う意味であり闇の中でも遍く光明に輝く仏陀である、密教の中では如来の中で最高位の佛で根本本尊すなわち一切諸佛(如来・菩薩・明王・天)の本地佛であり大日如来の応化(おうげ)は全ての仏に及ぶ、即ちコスモロジーcosmology宇宙哲学分野の如来である。
因みに
(てん)(りん)(じょう)(おう)転輪王 注20)(cakravartiraajan、チャクラヴァルティラージャンはヴェーダ時代からインドの象徴的かつ伝統の王を言う。

輪宝を転じて武器or戦車の車輪にもなると言うが、定かではないが、無限の統治権を示すと言う。 
天台宗に於いては教義に制約は少ないが真言密教に於いては教義即ち宇宙真理そのものである、「仏身の教え―――法身所説(そのままの姿)―――自性法身」と言えるかもしれない、大日如来の智慧の光明は総てに及び慈悲は不滅とされる、密教に於いては諸如来・諸菩薩明王はこの大日如来(本地佛)より派生し、佛教を興した釈迦如来でさえ曼荼羅の中では胎蔵界曼荼羅の釈迦院に存在するのみである、また大日如来の装着する冠は”五智宝冠”が普遍的であるが胎蔵界の場合は禅定印を結んだ髪髻冠(ほつけいかん)(注11や”五仏宝冠”の大日如来が存在する、大日経・具縁品に於いて髪髻をもって冠と為しと記述があり初期の大日如来は附けていなかったとも言われる、胎蔵大日如来の嚆矢とも言えるラリタギリ遺跡(オリッサ地方)では禅定印の髪髻冠の如来が存在している、しかし金剛智の時代になると「略出念誦経」には「頭に宝冠を具え、髪を垂れ」となる、また大日経疏に依れば大日如来の身は閻浮檀の紫磨金色の如く、菩薩像の如く、首に髪髻を戴き、猶ほ冠形の如し、の記述があるようだ、上記の記述から金剛界の如来を五智如来、胎蔵界を胎蔵界五仏と呼称を分割している。
大日如来の呼称に付いては「両部の大経」の内、金剛頂経に於いて主に毘盧遮那佛と呼ばれており、大日経では大日如来と毘盧遮那佛が併用されている、梵語名はvairocanaであるが大日経の中で毘盧遮那の一部分を大日如来と翻訳したのは善無畏637735年)と一行673727年)であり、大毘盧遮那成仏神変加持経疏・から大日経義疏が出されて大日が普遍化する、またチベット佛教に於いては両部の大経以外に悪趣清浄儀軌による「普明大日如来」が存在すると言う。
大日如来は躯体等から多くの諸仏を生み出しており「仏眼仏母」すなわち覚りを生む母、正式には「一切仏眼金剛吉祥一切仏母」や三十二相の内最重要の頭部からの「仏頂尊」等々の尊格があり胎蔵生曼荼羅の遍智院
(佛心院)に存在している、仏頂尊(注14で著名な尊格に中尊寺外の「一()金輪(きんりん)仏頂」や青蓮院の本尊「織盛光(しじょうこう)仏頂」等がある。(三十二相八十種好は仏像12参照)大日如来から分身や変化尊が多いのはヒンドウ―教には三神一体(Trimurti・トリムールティ)思想があり、総てが大日如来に通じるのかも知れない。
諸仏の王者・大日如来は本来坐像であるが少数立像が存在する、弘前市・最勝院五智如来堂の五智如来や當麻寺中之坊宝物館の十三佛来迎図は智拳印を結ぶ立像である。
密教教義の中核である両部曼荼羅の内 胎蔵(界)曼荼羅
は中台八葉院の中尊として金剛界曼荼羅の各会の中尊として君臨している。
摩訶(偉大)毘盧遮那佛を密教の世界では大日如来(善無畏による漢訳名)と呼ぶが漢訳と和訳の相違と解釈が相応しい、また密号を遍照金剛と言い空海恵果から同じ密号を与えられている。
大日如来の存在に付いて空海は「弁顕密二教論」で「金剛頂一切瑜衹経」から引用して大日如来を中心とした諸仏の活動の永遠継続を図示したものが曼荼羅と言う意味合いを述べている。
経典
、訳者により相違もあるが大日如来は他の如来と違い頭に宝冠をかぶり首には瓔珞(ようらく)・腕には臂釧(ひせん)腕釧(わんせん)等を付け菩薩と同型をしている、現在この形態の如来は大日如来の他に我が国では鎌倉時代の絵画、紅玻璃(ぐはり)色阿弥陀如来・で存在するが極めて少数である、しかし中国に於ける遺尊は菩薩形で占めており釈迦如来と解釈の分かれる尊像も見られる。
大日如来が菩薩形である理由として佛の王者としての風格を示すと解説する説明書が多いが佛の王者が格下の菩薩と同型では説明が難しいがインド等に於いては菩薩の位置に置かれた盧遮那があると言う、仏像散策(東京書籍)に於いて津田真一氏は菩薩形の典拠に付いて大日経・住心品の「菩薩の身を師子座と為す」に求め善無畏訳の経疏にも触れて「大日経の宗教理念が大乗佛教の正統を継いで菩薩思想にあることを示しており、金剛界はそれを踏襲している」と言う意味を述べておられるが、要するに日本に於いては大日如来及び菩薩・明王達は大乗佛教の仏であり、応身佛である釈迦如来や阿羅漢は上座部の描いた覚者であり、他の如来はその形態を踏襲した姿と言える。

経典や曼荼羅に大日如来を始として多くの如来が登場するが、総ての如来は大釈同異とされるが、釈尊の尊格を求心力、遠心力的に変換した姿であろう。    *大釈同異とは大日如来と釈迦如来の同異論。


インドでは佛教の最盛期に純粋に佛陀の像として制作された時代のものと、土着信仰のヒンズー教に圧倒されて対抗上考え出された密教にはヒンズー色が強く取り込まれており、仏像もヒンズー色を採り入れたものと解釈した方が良いのではないか。 
密教
(密教では梵天帝釈天などヒンズーの神々を取り込んで佛弟子に取り込んだ形態にしている)が誕生する事によりインドではヒンズー教との教義の違いが曖昧になり佛教は土着宗教に取り込まれ13世紀には一部少数民族の佛教徒を除いて表面上は消滅に近い状態である。
大日如来が仏教の仏としてオーソライズされているのが「一切義成就菩薩」である、金剛頂経に於いて一切義成就菩薩は釈迦如来がモデルであり修行により大日如来と成った様な記述がある、
因みに一切義成就菩薩とは総ての目的を達成する菩薩を意味する
大日如来の造例として恵果から受け継いだ一環にも係わらず中国に於いては、ほとんど見られず、インドに於いても存在は否定的であったが1960年代に入り佐和隆研・頼富本宏の両氏等に指摘されたオリッサ地方・ビハール地方や西チベットに於いて石像をメインに金胎佛が存在する、但し成立が1世紀にわたりタイムラグのある両界
(部)曼荼羅に大日如来は本尊で取り扱われている事には注目の必要がある。   
日本には多くの大日如来が現存している、空海が在住していた頃と推定される神護寺の紫綾地金銀泥曼荼羅( こんあやじきんぎんでいえりょうがいまんだら)(高雄曼荼羅)を嚆矢として、彫刻では京都・安祥寺の五智如来の中尊を最古として空海のグランドデザインによる金剛峯寺には多宝塔に金剛界・大塔に胎蔵
(界)を配置した、しかし日本でも大日如来を単独で信仰された例は京都市内や名古屋市の一部などを除いて少ないが平安時代には密教を取り入れた宮廷儀礼や貴族社会の密呪が取り上げられて五大明王等と共に密教の中心として造像される様になる。
「金剛頂経一字頂輪王瑜伽一切時処念誦成仏儀軌」に依れば大日如来は念誦に対する秘奥修法を重要視する密教の象徴であり、「仏菩薩を現証す」と言われ多くの修法の本尊である、中尊寺、寺外の十七箇院には
一字金輪仏頂(Ekākaroṣṇiackraエーカークシャラ-ウシュニーシャチャクラ)を本尊とする極秘修法が行われている、一字金輪仏頂(いちじこんりんぶっちょう)とは仏の中に於いて「無見頂相」すなわち空の究竟至上棄の尊格が最上位の如来、すなわち仏頂(最勝最尊)を言う、凡ての仏格の功徳は金輪仏頂に帰するとされる、金輪仏頂は二系列があり大日金輪・釈迦金輪の分類される、姿形は菩薩形で宝冠・瓔珞・腕釧などで装飾している、中でも大日金輪は智拳印を結び日輪の中に現れると言う、智拳印すなわち印相が出たので合掌印の説明を、合掌印の起源は五千年以上の歴史を有する、インドの風習で最古に属する印相でアンジャリAñjali 梵語( saṃskṛtaと言い、降伏帰順・武器を所持しない証、から挨拶になった、現在でも印度での挨拶は合掌からである

因みに金輪とはインドに於ける伝説的聖王とされる「(てん)(りん)(しょう)(おう)あらゆる駆逐武器であ釈尊象徴涅槃足跡てい
特に真言宗に於いて大日如来は「普門総徳(ふもんそうとく)の尊」(注9であり言うまでもなく最重要佛である、伝法阿闍梨の資格を取得の為の行即ち四度加行で広沢流では前行の礼拝行の本尊である、但し小野流系に於いては如意輪観音が本尊とされる。
一方天台宗に於いては円仁の弟子安然は「一大円教」を主張する、即ち仏の教義は全てが密教であると言う、他に教えはなく大日如来一佛のみで諸仏も大日如来そのものであると言う教説を称えている、大日如来は色々な佛に化現(けげん)して現れるがこれを如来・菩薩明王の三輪身
(明王の表参照)に変化して金剛界に於いては五智を示している、因みに化現は巷間使われている怪訝と語源は同一である。  怪訝(けげん)
形姿としてはインドやチベットでは四面大日如来・逆智拳印大日如来が存在するが、日本では愛媛県大三島町大山祇神社など少数存在するだけである、我が国では空海が唐より持ち帰った両界曼荼羅に倣った像が大多数で一面二臂である、金剛界曼荼羅では顕教には存在しない密教特有の智拳印を結び衣は偏袒右肩である、胎蔵界では大日経に於いて「定に住す」と記述され法界定印を結び衣は通肩である、梅原猛氏はこれを智拳印は男性のシンボル的・法界定印を女性のシンボル的な表現とされる、しかし法界常印
(禅定印)はスタンダードとして、智拳印は転法輪印(説法印)の発展形であり仏と衆生とを結ぶ「不二、双入」論(両界曼荼羅の誕生・田中公明・春秋社)に説得力が感じられる、因みに智拳印は上に被せられる右手の五本の指が五智に視られている、最上菩提印とも呼ばれ最高の覚りを象徴している。
密教が請来された後、仏像の印形
(梵 mudrā ムドラー)は著しく増加したが大日如来の二つの印は印形の代表的な存在である、大日如来と言えば日本では高野山龍光院以外は一面二臂であるがインドやチベットに於いては四面や六臂の像が普通に存在している。
日本に於いては胎蔵曼荼羅と金剛界曼荼羅からの配置で
(いん)(げい)は智拳印(覚勝印)と定印に限られるが、ナーランダ寺院跡から発見された大日如来は智拳印の中に金剛杵が包み込まれていたりする、ウダヤギリ佛塔では大日如来は北側に文殊菩薩と幢幡を両脇に置いて、東面に阿閦如来弥勒菩薩と宝殊を南面に宝生如来観音菩薩と剣を西面は阿弥陀如来が金剛手菩薩と華を従えるなど多様性がある、また中期密教を請来した日本には存在しないが後期密教(無上瑜伽密教)を受容した国に於いて智拳印をそのまま放す転法輪印(説法印)を結ぶ大日如来が存在している、釈尊の出生地に近いネパール仏教では金剛界五仏の場合の大日如来は説法印と言われる、一説には智拳印は説法印の発展形とも言われている。
梅原猛氏は胎蔵界曼荼羅の大日如来の法界定印を女性器に、金剛界曼荼羅の智拳印(覚勝印)を男性器に例えているが、ヨニ(女性性器、yoniの上にリンガ(男根、lingam立ち一体化した仏塔がインド社会には古くからに存在している。
オリッサ・ラトナギリで生まれた8世紀~12世紀まで続いたパーラ朝では五智如来(五仏)がある、胎蔵の大日如来も独尊で散見出来るが多くはが金剛界五仏で占められており触地印の阿閦如来・与願印の宝生如来・禅定印の阿弥陀如来・施無畏印の不空成就如来で構成されている。
稀有な例としてチベットやインドのラダック地方で智拳印を結ぶ大日如来
(毘盧遮那佛として)の女性尊が存在している、近年大日如来に対する調査研究はチベットやインドネシア等で進行しており、さらに新しい発見が期待される、また朝鮮半島に於いては智拳印の大日如来が多い様である、閑話休題、秘仏の為観られるのは精緻な模彫像(東京国立博物館)であるが中尊寺の旧金輪閣の一字金輪仏頂(智拳印)は「人肌の大日」「生身の大日」とも呼ばれ少女の風貌である。 
密教の場合の印契
(印相 mudrā ムドラーは教理を表現したのみでなく誓願や呪術的にも使われている。 
中国と日本に於いては密教では大日如来
(毘盧遮那仏)は智慧の光が一切に及び慈悲は不滅であると解釈されている、現在中国に於いても毘盧遮那仏を本尊とする寺は多いと言う、但しチベット等に於いて見られるタントラ(後期密教)すなわち無上瑜伽密教Anuttarayoga Tantra金剛頂十八会の第十五会「秘密集会タントラ」の如来が女陰で説いたとする事(喩師婆伽処)に伴い、五仏の最高尊で法身佛すなわち宇宙佛・遍満佛であった大日如来は阿閦如来に主尊を譲り東尊に格下げになる、後期密教では阿閦如来の他に以下の尊格が主尊を勤める、それは・密集金剛(グヒヤサマージャ Guhyasamāja) ・大幻化金剛(マハマーヤ) ・喜金剛(呼金剛、ヘーヴァジュラ Hevajra ・勝楽金剛(チャクラサンヴァラ) ・時輪金剛(カーラチャクラ Kalacakra達である。

金剛界の五智如来
(阿閦如来の項参照)をセットで設定してあるのが 大日寺(吉野) 東寺 編明院(岡山県邑久郡)等である。

1997年現在国宝・重要文化財指定の像は71尊あり印相mudraa・ムドラー)は金剛界を表わす智拳印像50尊・胎蔵界を表わす法界定印像21尊で、各県別に見ると以下のようになる。
和歌山県が金剛峯寺を中心に11尊
(智拳印10尊)
・滋賀県は法界定印像(7尊)を中心に10尊
・奈良県6尊
(智拳印5尊)
・京都府5尊(智拳印3尊)
・大阪府5尊(智拳印4尊)
・兵庫県5尊(智拳印3尊)
・高知県4(智拳印2尊)と続き、時代別では平安時代の像が80%を占める。

親鸞の旧跡に相当する竹之内草庵がある「越後五智国分寺」(新潟県上越市五智3-2021には金剛界でも胎蔵でもない所謂「五智如来像」が本尊として安置されている、大日如来を中尊に阿弥陀如来、薬師如来、宝生如来、釈迦如来の五尊でサイズは半丈六、1562年に上杉謙信が移築した折の尊像と推定される。

大きく脱線するが日本にキリスト教を招来したのはフランシスコ ザビエル ( Francisco de Xavier 1506年4月7日頃~1552年123日)であるが、聖書に於ける唯一の神・ヤハウエ(Yhwh)を大日と和訳していたと言う、やがて誤訳と気付きラテン語のゼウス(Ζεύς, Zeus)に変更したという記述がある。

 



真言 オン アビラウンケン  



當麻寺     醍醐寺(岐阜市石原)        (岐阜県 関市 善光寺、正しくは宗休寺 ) 
        智拳印
                          法界定印    大日如来は略二印に限定     五郎丸ポーズ 大日拳印に近いが類例が見られない印相、  2015年5月撮影


主な大日如来像    表内は国宝   ●印国指定重文 (智)智拳印  (法)法界定印       佛師

寺     名

仕              様

 時  代

 円成寺(奈良)   

 木造、漆箔、玉眼 (運慶作) 智拳印 98,8cm     

 平安時代   

 金剛寺(大阪府河内長野市天野町)

 坐像 木造漆箔 智拳印  313,5cm  三尊 不動明王 258.0cm 降三世明王 201.0cm 

 平安時代

臼杵市

 磨崖佛(まがいぶつ)     智拳印  

平安時代

 安祥寺(京都)  京博寄託  木造漆箔 161,2cm  智拳印  五智如来107.3㎝~161.2㎝  彫刻では日本最古の大日如来  平安時代

 *安祥寺 京都市山科区御陵平林町22

向源寺(滋賀・高月町)木造、桧一木造(法界定印) 148,5cm 平安時代
横蔵寺(岐阜谷汲(たにぐみ))木造、玉眼(智拳印) 70,1cm 平安時代
石山寺  木造   (智拳印) 1017cm 鎌倉時代 多宝塔本尊 快慶作  
●石山寺  木造 古色  (智拳印) 96.4cm 藤原時代  
●正福寺  木造漆箔 (法界定印) 92,5cm 藤原時代         (滋賀県甲賀郡甲西町正福寺
●小田神社  木造漆箔 榧一木造 (法界定印) 92,8cm 藤原時代         (滋賀県近江八幡市小田町但し 飛石境内の大日堂近江八幡市十王町) 
長松(ちょうしょう)
 木造彩色 (法界定印) 158,5cm 鎌倉時代  (滋賀県甲賀郡土山町黒川882)

金剛峯寺(観学院)(和歌山)坐像 木造(智拳印)97,6cm 藤原時代

●金剛峯寺(大会堂 三尊・脇侍に釈迦87,3cmと阿弥陀88,4cm)坐像 木造漆箔(智拳印) 139,0cm 藤原時代  

●金剛峯寺(西塔)(智拳印)木造漆箔 98,5cm 藤原時代  
●安養院 (高野山) (智拳印)   木造漆箔 55,0cm 藤原時代

●金剛三昧院 木造(和歌山)(智拳印) 82,4cm 平安時代 五智如来

●釈迦文院(和歌山県高野町)座像 木造漆箔(智拳印) 58,5cm 藤原時代

●西南院(和歌山県高野町)木造漆箔(智拳印) 坐像 100,0cm 鎌倉時代 

唐招提寺 木造(智拳印) 352,7cm 平安時代

東寺(京都)木造(智拳印) 284,0cm 室町時代       五智如来

●安祥寺(京都)(智拳印) 木造漆箔 161,2cm 平安時代   五智如来  彫刻では日本最古の大日如来、
●安祥寺(京都山科) 坐像 (法界定印) 木造漆箔 103,7cm 平安時代

●大日寺 木造(奈良) (智拳印)977cm 平安時代 初期      五智如来  

●遍明院 木造(岡山)(智拳印) 91,cm 平安時代      五智如来

石山寺 一木造(智拳印)木造彩色 96,4cm 平安時代  

広隆寺(霊宝舘) 木造漆箔 (法界定印) 95,5cm 74,5cm 平安時代  

清水寺 坐像 木造漆箔(智拳印) 233,0cm 平安時代

●大日寺 木造(高知県香美市野市町母代寺)(智拳印) 144,5cm 平安時代 法界山 大日寺 高照院 智山派  四国霊場二十八番札所派

●円照寺(福井小浜市尾崎) 坐像 木造漆箔(法界定印) 251,5cmcm 平安時代 法界定印の代表作 定朝様  伝春日仏師作

●観音寺 坐像 木造漆箔(智拳印) 147,6cm 平安時代 (大阪府河内長野市日野)  
●興善寺(大阪)(法界定印) 木造漆箔彩色 288,0cm 平安時代
(泉南群岬町

●正福寺(滋賀)(法界定印) 木造漆箔 92,5cm 平安時代     (甲賀郡甲西町)

●勝楽寺(滋賀)(法界定印) 木造 91,8cm 平安時代       (犬上郡甲良町)  

●大善寺(滋賀)(法界定印) 木造 74,5cm 平安時代        (高島郡新旭町新庄(湖西)
●放光寺  木造漆箔 (智拳印) 95,45cm 鎌倉時代        (山梨県塩山市藤木2438) 
●佐野美術館  木造漆箔 (智拳印) 92,8cm 藤原時代      (静岡県三島市中田町143) 
●天神神社 坐像木造漆箔 (智拳印) 115.0cm 鎌倉時代      (静岡県下田市立野14-6) 

●修禅寺     木造漆箔 (智拳印) 103.00㎝    鎌倉時代  (静岡県田方郡修善寺町修禅寺964
) 実慶作

●妙楽寺 (法界定印)  木造 278,1cm 藤原時代   法界定印 の代表的1尊  (千葉県長生郡陸沢妙楽寺500)
●正蓮寺  木造漆箔 (智拳印) 148,8cm 鎌倉時代   (奈良県橿原市小綱町311)

向源寺(滋賀・高月町)木造、桧一木造(法界定印) 148,5cm 平安時代

横蔵寺(岐阜谷汲(たにぐみ))木造、玉眼(智拳印) 70,1cm 平安時代
石山寺  木造 古色  (智拳印) 96,4cm 藤原時代
●正福寺  木造漆箔 (法界定印) 92,5cm 藤原時代         (滋賀県甲西町正福寺409)  
長松(ちょうしょう)
 木造彩色 (法界定印) 158,5cm 鎌倉時代  (滋賀県甲賀郡土山町黒川882
●光信寺  木造漆箔 (印)    147.9cm   藤原時代         (滋賀県甲賀郡甲西町) 
●大善寺  木造漆箔 (法界定印)   74.5cm   藤原時代         (滋賀県高島郡新旭町新庄597)
金剛峯寺(観学院)(和歌山)坐像 木造(智拳印)97,6cm 藤原時代
●金剛峯寺(大会堂 三尊・脇侍に釈迦87,3cmと阿弥陀88,4cm)坐像 木造漆箔(智拳印) 139,0cm 藤原時代  
●金剛峯寺(西塔)(智拳印)木造漆箔 98,5cm 藤原時代  金剛峯寺中最古に属する 
●安養院 (高野山) (智拳印)   木造漆箔 55,0cm 藤原時代
●金剛三昧院 木造(和歌山)(智拳印) 82,4cm 平安時代 五智如来

●釈迦文院(和歌山県高野町)座像 木造漆箔(智拳印) 58,5cm 藤原時代 
●西南院(和歌山県高野町)木造漆箔(智拳印) 坐像 100,0cm 鎌倉時代 
●浄教寺(和歌山県有田郡吉備町) 木造漆箔(法界定印) 坐像 86,4cm 鎌倉時代
 快慶様 
●吉祥寺(和歌山県有田郡清水町) 木造漆箔  坐像 97,9cm 鎌倉時代

唐招提寺 木造(智拳印) 352,7cm 平安時代

東寺(京都)木造(智拳印) 284,0cm 室町時代       五智如来

●大日寺 木造(奈良) (智拳印)977cm 平安時代 初期      五智如来  

●遍明院 木造(岡山)(智拳印) 91,cm 平安時代      五智如来

石山寺 一木造(智拳印)木造彩色 96,4cm 平安時代  
●圓昭寺 木造漆箔 (法界定印) 251.5cm 平安時代  福井県小浜市尾崎22-15  

●真如苑  木造 坐像 (智拳印) 木造 61.6cm  鎌倉時代 運慶作(推定) 2008年オークション14億円落札の話題像、消失部分もあろうが大日如来としては装飾品が異常に少ない。 (東京都立川市柴崎町1-2-13)
●蓮光院初馬寺 坐像 (智拳印) 木造古色 89.4cm  平安時代  真言宗御室派  (三重県津市栄町3-4)  
●高野寺 坐像 (智拳印) 木造漆箔 彩色 158.0cm 定朝様  平安時代  (
函館市住吉町12-23)  明治初年高野山大日堂から移設

●蓮光院 坐像 (智拳印) 木造古色  89.4cm  藤原時代   (津市栄町3-4)  宝髷は古色の模倣か
●放光寺 坐像 (智拳印) 木造漆箔  95.4cm  藤原時代   (山梨県塩山市)
岩殿寺(がんでんじ) 坐像 (法界定印)木造 彩色玉眼 104.0㎝ 鎌倉時代 (長野県東筑摩郡筑北村)(仁熊大日堂)

●妙福寺  坐像 (智拳印) 木造彩色  174.0cm  平安時代 (鈴鹿市徳居町2040)
●五智国分寺  坐像(智拳印) 木造 古色 144.0㎝ 藤原時代 明静院 (新潟県上越市五智3-20-21)
●根津美術館 絹本著色 一幅 (智拳印) H150.0cm87.0cm 平安時代 
●竹林寺   坐像 木造 古色 (法界定印)  63、2㎝ 鎌倉時代   (高知市五台山)
●慧日寺  木造古色 52.7㎝  藤原時代  (智拳印) (高知県香南市香我美町山北4475)
●慧日寺  木造古色 52.5㎝  藤原時代  (法界定印) (高知県香南市香我美町山北4475)
●大日寺  木造古色 144.5㎝  藤原時代  (智拳印) (高知県香南市野市町母代寺476)
中山寺 (地蔵堂) 木造 漆箔 60.1㎝    藤原時代  (兵庫県宝塚市中山寺2-11-1) 
清澄(せいちょう)寺  木造 古色 118.7㎝    藤南北朝時代  (兵庫県宝塚市米谷字清シ1番地)
●高野寺 木造漆箔 彩色 坐像(智拳印) 158.0cm  平安時代 高野山金剛峰寺から移入 
 (函館市住吉町12-23)
●天神神社 木造漆箔 115.0cm   鎌倉時代   (静岡県下田市立野14-6)
宝金剛寺 坐像 銅像鍍金 38.5cm 鎌倉時代   (小田原市国府津2038

 光得寺(栃木県)坐像 木造 66,1cm 鎌倉時代 運慶作 厨子入

 

注1、 梵語名では毘盧舎那仏(Vairocana)の前に摩訶・偉大な(Mahā)を付けた佛を大日如来という。(梵語スペルは文字化けで不正確)

注2、 大日如来の灌頂号すなわち密号を「遍照金剛」と言い,空海が唐に於いて恵果から受けた密号と同じである、密号とは密教に於ける結縁灌頂に使用される呼称を言い金剛号・灌頂号等と呼ばれる。 

3、 五智とは金剛界五如来の智慧すなわち大日如来の五の智徳示すものである、 唯識では総てを超越した覚りの智慧を出世間智(しゅっせけんち)と呼び修行の段階を四智と言い 1、
大円鏡智 2、平等性智 3、妙観察智 4 成所作智としているが、密教に於いては最上位に法界体性智を置き五智として優位性を示している、大日如来を中尊とした五仏をすべて五智如来と説明される事があるが胎蔵界曼荼羅は「理」を金剛界曼荼羅では「智」を表している、金剛頂経に於いては大日如来を中心に各如来が仏智を担当している、大日経に於いて大日如来は独尊であり必ずしも五仏は強調されない、日本では胎蔵界も五仏で顕わされるが「胎蔵界五仏」と呼ぶべきである、インド密教を直接請来したチベット等では独尊で顕わされる事が多い、またインドを含めて他国では意訳を含めて金剛界も金剛界五仏と呼ばれるが、日本では概ね五智如来と呼ばれているが種智という表現も使用される、即ち空海の開いた綜芸種智院の例がある。
但しインドに於いて最後に登場した後期密教すなわち金剛頂経の十五会「秘密集会タントラ」を取り入れている、チベットやブータン仏教に於いては金剛界五仏の内大日如来の多くは、毘盧遮那となり東に下がり阿如来が中尊として君臨している、チベットに於いては「秘密集合会聖者流三十二尊マンダラ」や三面六臂の主尊「阿閦金剛」は憤怒形で同じく三面六臂の「明妃触金剛女」を抱きしめる彫刻や絵画(チベットハンビッツ文化財団所蔵等)が存在している,因みにタントラとは、この場合インドに成立した後期密教聖典の呼称を言う、また密教経典に於ける総称を言うこともある。。 
1、大日如来         法界体性智(ほっかいたしょうち)  無垢・清浄識(阿摩羅識)を言い、以下の四智の統括で宇宙の真理を著す知慧  ・普門総徳の智識   
2、如来       ・大円鏡智(だいえんきょうち)  総ての森羅万象を鏡す知慧(阿頼耶識) ・一門別徳の智識 
3、宝生如来         平等性智(びょうどうしょうち)  あらゆる機会平等の知慧(無我)      ・一門別徳の智識 
4、無量寿如来      妙観察智(みょうかんさつち) 正しい観察の知慧(妙観察智)        ・一門別徳の智識 
5、不空成就如来  成所作智(じょうしょさち)  必要な事を行う知恵                ・一門別徳の智識  
 

五智とは金剛界五如来の智慧である、 唯識では総てを超越した覚りの智慧を出世間智(しゅっせけんち)と呼び修行の段階を四智と言い 1、大円鏡智 2、平等性智 3、妙観察智 4、 成所作智としているが、密教に於いては最上位に法界体性智を置き五智として優位性を示している。 

金剛界五仏

  如  来

位置

印  形

  部  署

    

  属 性

適    用

梵語名

 大日如来

中尊

智拳印

白色

佛 部

 法界体性智

 総徳 
 獅子座  

法界体性智(ほっかいたしょうち)

宇宙の真理を現す知慧

Mahāvairocana

(マハーヴァイローチャナ)

 阿如来 

東尊

触地印

青色

金剛部

 大円鏡智

  
 象座 

大円鏡智(だいえんきょうち) 

森羅万象を鏡す知慧

akobhya

(アクショーブヤ)

 宝生如来

南尊

与願印

黄色

宝 部

 平等性智

 財宝・幸運
 馬座

平等性智(びょうどうしょうち) 

あらゆる機会平等の知慧

ratnasabhava

(ラトナサンヴァ) 

 無量寿如来

西尊

常 印

赤色

蓮華部

 妙観察智

 慈悲・智慧
 孔雀座 

妙観察智(みょうかんさつち)

正しい観察の知慧

amitāyus Buddha

(アミターユス ブッダ)

 不空成就如来

北尊

施無畏印

黒色

羯磨部

 成所作智

 作用・迦楼羅(ガルダ)鳥座

成所作智(じょうしょさち)   

必要な事を行う知恵

Amoghasiddhi

アモーガシッデイ

*印形は金剛界。

4、大日如来の眷属では金剛界曼茶羅の成身会では金剛波羅蜜・宝波羅蜜・法波羅蜜・羯磨波羅蜜菩薩を四印会では金剛薩埵・金剛宝・金剛法・金剛業菩薩を従える、因みに摂無礙経とは印の解説及び祈願法(息災、増益、降伏、敬愛、鉤召(こうしょう))等が記述されている。 


5、三輪身とは  日本密教の特徴である三輪身は略称「摂無礙経」を源流とした哲学で、自性輪身(如来) 正法輪身(菩薩) 教令輪身(明王)を言い、不空成就如来-自性輪身  ・金剛利菩薩ー正法輪身 ・金剛夜叉明王ー教令輪身の姿で現される、摂無礙経とは正式には「摂無礙大悲(しょうむげだいひ)心陀羅尼経計一法中出無量義南方満願補陀落海会五部諸尊等弘誓(しんだらにきょうけいいっぽうちゅうしゅつむりょうぎなんぽうま) と長い、但し前述の様に三輪身は摂無礙経を典拠としている、摂無礙経は空海没後百年以上後に奝然が請来した経典で、三輪身と言うタームを空海は使用していない
 
  

6、胎蔵界の印契は釈迦如来・阿弥陀如来などの如来が結ぶ定印と同型であるが大日如来にかぎり法界定印と呼ばれる。 

7、五智如来の揃う寺院に教王護国寺 ・安祥寺(京都) ・金剛三昧院 木造(和歌山 ・大日寺 木造(奈良) ・遍明院 木造(岡山)等がある、文化財指定外ではあるが異形に菩薩形に近い山梨県の宝殊寺・僧形の弘前の最勝院があるり、多くは真言宗寺院で占められるが京都市の臨済宗、建仁寺派で八坂の塔で著名な法観寺(創建時は天台宗)の五重塔には五智如来像が安置されている。
教王護国寺 ●大日如来坐像 木造漆箔 玉眼 284,0cm 江戸時代 如来 木造漆箔 136,7cm 宝生如来 木造漆箔 140,0cm 無量寿如来 木造漆箔  不空成就如来 木造漆箔 53,2cm 江戸時代
安祥寺(京都山科) ●坐像 木造漆箔 107,3cm161,2cm
大日寺(奈良県吉野)●木造漆箔52,cm~97,cm 藤原時代 
金剛三昧院(高野山)●木造彩色 玉眼 51,cm82,cm 鎌倉時代 
遍明院(岡山県邑久郡牛窓町)●木造漆箔 大日如来91.2cm 
如来51.8cm 宝生如来53.5cm 阿弥陀如来51.4cm 不空成就如来52.0cm

8、 法身佛とは 宇宙の真理そのもので悠久の過去から未来まで仏の王者とも言え、毘盧舎那仏・大日如来を言う。
     報身佛とは 修行の結果成道し永遠の仏となる、阿弥陀如来薬師如来などを言う。
     応身佛とは  衆生を導く為に顕した佛身で成道と入滅を行い、釈迦如来をさす、以上を三身論と言う
     「十地経論巻3」で仏の三身説(
trikaya

9、 真言宗に於いては大日如来の変化や実動部隊として各尊が存在するが、大日如来を「普門総徳の尊」と言いその他の尊格すなわち釈迦如来・阿弥陀如来や観音菩薩等を「一門別徳の尊」と言う、また一門普門とは通常には一つの教義に精通は、凡ての教義に精通出来る意味に使われるが、上記の凡ての如来・菩薩は大日如来に通じる意味於いても用いられる。 

10 転輪聖王 CakraVartiraajan(チャクラヴァルティラージャン)インドに於ける伝説上理想とされる王で思想の起りは定かでない。

11、 髪髻冠(ほつけいかん)は冠型に高く編んだ髪型や高く編んだ髪型に飾を装着した冠状。

12、チベット密教(後期密教)に於いては大日は毘盧遮那如来と呼称されている、さらに日本とは大日如来の世界の位置付けに隔たりが大きい、日本では宇宙に於ける根本仏であるがチベットでは曼荼羅は多く存在するが大日如来の尊像数は少なく、三身論に於いては報身仏として拝されている、また転生ラマ制度(活仏制度)が盛んでゲルグ派・ダライラマの観音菩薩やパンチェンラマの阿弥陀如来など輪廻転生が浸透している為かも知れない。チベット仏教では根本仏すなわち法身仏は姿を顕す事はない、因みに「活仏」と言うタームは漢字訳でブータンでは
ルクと言い「化身」と訳すべきと言う、これは輪廻転生から来ておりブータンでは高僧等の化身は百人は下らないと言う。

13、「曼荼羅図典・大法輪閣」の図像は染川英輔氏、作成による慈雲山観蔵院の曼荼羅の下図が掲載されている、この図典で金剛界曼荼羅の解説に於いて主尊は経典にならい毘盧遮那如来とされている。

14、 仏頂尊には・如来(ぜつ) ・如来(びん)(哀れみ) ・如来()(悲しみ) ・如来()(慈悲) ・如来毫相(ごうそう) ・如来(しょう) ・如来()(歯) ・如来(しゃ)(悦) ・金剛薩た 等が挙げられる。

15、出世とは仏が衆生救済の為に仮の姿に変えて現れる事であり、現在使用されている高い地位が上がる出世とは意味が違う、また
影向(ようごう))とも権化(ごんげ)とも言われる、インドに於ける土着信仰である婆羅門、ヒンズー教では多神教でなく、一神が案件により多様に変化する様でありヒンズーと佛教の混成教である密教では大日如来の変化を踏襲しているのかも知れない、随って沈黙の宇宙仏であるはずの法身仏(大日如来・毘盧遮那仏)が「法身説法」を行う。 

16、 毘盧那仏と盧那仏であるが華厳経に於いては毘を除きを併用され大日経に於いては毘盧遮那仏すなわちが使用されている、宗派により呼称に相違があるが同尊である


17
密教に於いては・自性(じしょう)身・受用(じゅゆう)身・変化(へんげ)身・等流(とうる)身の四身をすべて法身と解釈し四種法身を説く、大日如来は多様な姿とり「等流身」即ち天、人、畜生、などの救済の為にそれぞれに応じた姿をとって顕れる。

法身とは 真理そのものとしてのブッダの本体、色も形もない真実そのものの体をいう。

18、 釈摩訶衍論(しゃくまかえんろん) “大乗起信論”の注釈書で竜樹の作と言われるが、中国若しくは朝鮮で八世紀初頭に華厳経を典拠に登場した哲学で竜樹とは時代が合わない、空海が密教と顕教の相違の説明に引用した様で、宇宙一切を包み込む「不二訶衍」で大日如来の法身を重複させ、如来蔵と阿頼耶識の結合を理論化したとされ本覚思想と密教おも一元化している。

19、 経典を翻訳する時に漢文に訳さないで、音訳すなわち梵語の音を漢字に写した訳がある、玄奘が嚆矢の様で「五種不翻(ごしゅふほん)」と言い以下の様に五種の不翻がある

*(じゅん)古故(ここ) 阿耨多羅三藐三菩提が順古故に相当する。 
*秘密(ひみつ)()般若心経のクライマックス「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」が相当する。
*多含(たごん)() 自在・熾盛・端厳・名称・吉祥・尊貴という六義(6つの義・意味)という複数の意味を含む婆伽婆・薄伽梵 ・魔訶など。
*此方(しほう)(むこ) (えん)浮樹(ぶじゅ) 乾闥婆(けんだつば) 迦楼(かる)()など。
*尊重(そんちょう)() 般若 佛陀の様に意訳すると耽美さに欠ける場合に使われる。 


注⒛、 (てん)(りん)(じょう)(おう)は梵語でチャクラヴァルティラージャンcakravartiraajanと言い、インドに於いて理想とする英雄的な王を言う、因みにチャクラは輪を意味し、ヴァルティは動かすものを言う。



注 21、 六大縁起 縁起と言うタームは仏教、特に密教にには重大で 体(物体即ち本質)相(ゆう)から成立しており六大即ち*地 *水 *火 *風 *空 *識を言う。


注22  チベット仏教ではこの地位を阿閦等が引き受けて、明妃を抱きしめている。明妃モーハヤマーリ。

  

最終加筆日 200411月13日  2005427 1018日    2007730 普門総徳の尊 200874日注12  2009313日仏眼仏母他 7月10日如来の呼称 2012年1月写真 3月3日 4月13日ネパール五仏 5月25日大日タントラ 6月26日最上菩提印修正  2013年11月14日surya 2014年1月23日瑜伽関連 2014年4月19日 2015年3月5日 6月30日 7月30日弁顕密二教論 2018年3月21日 2019年7月15日 2020年4月8日 4月30日 6月12日 2021年3月20日 12月21日 2022年3月22日 4月17日加筆 2023年4月18日 


      説明: C:\Users\Owner\katada202\kyoto\button1.gif       仏像案内   寺院案内  

      

inserted by FC2 system