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山号を大悲山と言い、寺伝によれば1154年西念・観空が石窟に堂を建立して千手観音を安置したのが創建とされる。 当初は大悲山寺と言い、鳥羽法皇の勅願で不動明王像と毘沙門天像が施入されたとされる。
また平清盛にも帰依を受け仏舎利と十六羅漢画像を納入した記録もある。西念は修験道者で鳥羽法皇の帰依を受けており、当寺の造営も法皇の援助で行はれた。創建以来修験の霊場として信仰を集めたが延暦寺と園城寺が当寺の支配件争い寺運は衰退した。
江戸時代にはいり聖護院に属し復興し本堂は観音閣とも言い懸(舞台)造。
修験宗単立 所在地 京都市左京区花脊原地町772
主な文化財
●千手観音坐像 木造 31,5cm 藤原時代
●不動明王(二童子)立像 木造彩色 25,8-52,7cm 藤原時代
●毘沙門天立像 木造彩色 玉眼 藤原時代
●釈迦如来立像 木造彩色 玉眼 50,6cm 藤原時代
●金剛力士立像 木造彩色 阿形272,3cm 吽形275,2cm藤原時代
●本堂 桁行5間 梁間5間 懸造 寄棟造 柿葺 室町時代
●阿伽井屋 桁行梁間1間 唐破風 板葺 室町時代
●仁王門 桁行3間梁間1戸 八脚門 入母屋造 柿葺 室町時代
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