仏像

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仏像の名称と種類、その特徴  

仏像とは本来は佛教の礼拝対象として釈尊の姿形を著したものである、しかし実際は*菩薩 *明王 **禅宗系頂相(ちんぞう)を含めて仏教像の総てを言われている、仏教の舞台装置をより荘厳(しょうごん)化する手段として仏像は誕生したと言える、荘厳とは仏教用語で信仰対象を耽美(たんび)かつ華麗に装飾する事を意味する。
日本に大乗佛教
流伝(りゅうでん)したのは、釈尊の時代から概ね千年あまり経過の後である、インドに於ける土着信仰に加えて中国・朝鮮の文化的フィルターを通して受容される間に、顕教(けんぎょう)及び密教像など多様な仏像が造像された、仏教徒の礼拝対象として発生した仏像とは狭義解釈では釈尊のみであったが、広義解釈では・如来は無論の事・菩薩・明王・天など多くがカウントされている。 
インドの場合は多神教と言われるが、ギリシャ神話や日本に於ける八百万(やおよろず)の神とは意味合いが異なる、ドイツのマックスミューラー18231900年)に依ればインドの土着信仰を「交替神教」katheno-theisrmと呼ぶように司祭毎に呼称が違うが同一神との解釈が為されている、因みに内容的にヒンドー教の影響が高い中期密教(日本には後期密教は流伝していない)では大日如来の化身として如来、菩薩、明王、天等が活躍している、宗教学者(チベット・日本密教)の正木晃氏に依れば日本では密教系の仏像数が八割を超えると言う。

仏像は12世紀頃にインドで造像され始めアジアの各方面に流布し、地域固有の文化伝統を受容しながら変化して広がりを見せてきた、中国では366年頃の敦煌に於ける石窟造営の頃と言われる、日本の仏像は「日本書記」「法王帝説」「元興寺資財帳」等に依れば百済の聖明王(せいめいおう)から通過儀礼に用いる灌佛具(かんぶつぐ)と共に伝えられ七世紀頃に造顕され始めた様である、因みに通過儀礼(イニシエーション・initiation)とは出生、成人、結婚、葬儀などの儀式を言い人生儀礼とも言う。
古来よりインドでは聖なる人物の姿を現す事を避ける風習、すなわち偶像崇拝を否定して、かわりに仏足跡、菩提樹、輪宝などで「金剛宝座(こんごうほうざ)
(金剛座 仏座)を形成していたが、佛教は修行から信仰対象が上座部から大乗に変化するに従い象徴的な姿が必要とされる様になった、拙い例を挙げれば日蓮宗の寺で南無阿弥陀仏を唱えて合掌(アンジャリー añjale)する人々に偶像崇拝すなわち仏像は信仰に誘う方便として有効であった、釈尊の前世に於ける因縁物語、ジャータカJātaka即ち本生譚が制作された時代を境に偶像崇拝ユダヤ教イスラム教から見れば偶像崇拝)に変化していった、また法華経方便品第二に於いて卒塔婆stupa塔)や仏像の製作を勧めている影響もある、また方便品には仏像の材質が・七宝・真鍮・銅+ニッケル・錫+鉛・銅+金・木材・粘土等々、かなり詳しく記述されっているが、インドに多い石像の記述は無い、閑話休題、初期仏教では「()()(きょう) Apadāna アパターナ)」では仏姿の具体的な描写に寛容な経典と言えた。 
法華経(第二節 方便貧等)に多く使われる”方便”と言うタームが出たので脱線する、方便とは梵語の upāya
(ウパーヤ)の意訳であり、「手段」「方策」「接近」「到達」等々が元来の意味である、日本発祥のインスタントラーメンの呼称であるが、ウパーヤを方便と漢訳した中国では「方便麺」と記述されている。
脱線して印祖に付いて触れる、印相とはバラモンをルーツとした表示である、梵語ムドラー
mudraaの漢訳で「印」「印契」等とも言う、長期に渡り熟成された印相の数は数千とも数万とも言われる。
印を最初に示した経典は「()()曼荼羅(じゅ)経」と言い十六種の印相が説かれている。
合掌印の起源は五千年以上の歴史を有する、インドの風習で最古に属する印相でアンジャリ プラーナヤマAñjali Pra
āyamaと言い、降伏帰順・武器を所持しない証、帰依崇拝から挨拶になった、現在でも印度での挨拶は合掌からである
初期には偶像を避ける例として仏像は安置せずに覚りを開く処すなわち「金剛宝座」が彫られている、紀元前二世紀頃にバールフット
(Bhārhutで出土した過去七仏(後述)の五番目に相当する「倶那含牟尼仏(くなあごんむにぶつ)(梵語、Kanakamuni カナカムニ)の場合、三尊の内で菩薩像等は人物で彫られているが倶那含牟尼仏自身は菩提樹で象徴されている。
仏像が造顕された目的は肉眼では見ることが出来ない仏の法身、即ち宇宙に於ける聖なるパワーを受容した姿と言える、このサイトでは偶像崇拝を積極的に容認する、空海の御請来目録には「密蔵は深淵にして、翰墨(かんぼく)に載せ難し。更に図画(とが)を仮て悟らざるに開示す」と言えよう。
像の造り方を述べる経典として「仏説造像量度経解」清代の翻訳に存在すると、仏典の読み方・金岡秀友著・大法輪閣に紹介されている。
仏像の鑑賞及び拝観には二通りがある、鑑賞は美術作品として自由詳細に鑑賞する方法と、仏像を信仰に求めた本来の意味合いで拝観する道とがある。


仏像のパンテオンPantheon 仏像の組織)


  名    称 

         適           用   

          主  な  印  相   

如 来     

    

    

釈迦如来  

唯一実在した如来 ・仏陀  賢劫の過去仏 

施無畏・与願印、降魔印・定印、転法印、禅定印禅宗・鎌倉以後)  

薬師如来  

浄瑠璃浄土  (薬壷を持つのは概ね平安時代以後) 

施無畏・与願・薬壺 

阿弥陀如来  

極楽浄土 

九品印・来迎印・転法輪(飛鳥天平頃まで)上印(九端定印とも) 

大日如来  

両界曼荼羅の主尊 菩薩形、毘盧舎那仏と同体 密教統括仏

智拳印・法界定印 

毘盧遮那仏  

華厳経による三千大千世界(注15を統括する、  密教経典にも毘盧遮那仏

施無畏・与願印 

弥勒如来(菩薩)

現在兜率天、56億7千万年後に如来となる  

右手・施無畏・左手・膝の上で伏せるケースが 

阿閦如来  

金剛界曼荼羅の東尊          密教仏 

右手・触地印・左手・衲衣の端を持つ 

宝生如来  

金剛界曼荼羅の南尊          密教仏 

右手・与願印・左手拳を腹部 

無量寿如来  

両部曼荼羅の西尊で阿弥陀如来の別称 

九品印の内上品上生 

不空成就如来  

金剛界曼荼羅の北尊          密教仏 

右手・施無畏印・左手は膝 

宝幢如来  

胎蔵(界)曼荼羅の東尊        密教仏 

右手・与願印・左手・袈裟を持って胸に 

開華王如来  

胎蔵(界)曼荼羅の南尊        密教仏 

右手指先を垂れて胸 手の平は外・左手に袈裟 

天鼓雷音如来   

胎蔵(界)曼荼羅の北尊        密教仏 

右手・触地印(降摩印)左手・拳にして臍まえ 

三尊形・その他の如来

   

  

多宝如来(三尊形13)  

法華経(見宝塔品第11に現れる如来 主に日蓮宗 崇拝物に一塔両尊、南無妙法蓮華 経の文字を中心に釈迦如来・多宝如来を墨書したものが多い、二仏併坐像の仏像は南北朝時代の作が稀 に存在(千葉県・中山法華経寺) 

釈迦と同じ印相もあるが様々

長谷寺の・法華説法図(国宝)唐招提寺に仏像がある

   

菩 薩 

弥勒菩薩は如来欄にも記述 

  

 

 

聖観音菩薩

十一面観音菩薩 

不空羂索観音菩薩 

千手観音菩薩 

如意輪観音菩薩  

准胝観音菩薩 

馬頭観音菩薩 

 

 

勢至菩薩 

普賢菩薩 

金剛薩埵 

文殊菩薩 

虚空蔵菩薩 

地蔵菩薩 

日光(月光)菩薩

般若菩薩 

大随求菩薩 

多羅菩薩  

他の菩薩 

明 王

 

 

 

 

不動明王

降三世明王

軍荼利明王

大威徳明王

金剛夜叉明王

孔雀明王

愛染明王 

鳥枢沙摩明王

大元帥明王 

 

天部他

 

 

 

 

四天王

毘沙門天

帝釈天

梵天

弁才天

吉祥天

大黒天

歓喜天 聖天

韋駄天

訶梨帝母(鬼子母神)

金剛力士

二神将

羅漢

八大童子

十大弟子

技芸天 他

本地垂迹仏 他

八部衆 

蔵王権現

二十八部衆

阿修羅

 

 

七福神

荼枳尼天と稲荷


仏像の発生  

大乗仏教の興りと時代を同じくして礼拝の対象として製作されるようになる、仏像とは二世紀初め頃にクシャーン王朝に於いてマトゥラー地方に赤色のインド砂岩に彫られた、因みにマトゥラーでは仏像だけでなくジャイナ教やヒンズー教の諸尊も多く作られている。
仏像彫刻の源流でインド独自の美意識を持ち発展したマトゥラー
Mathura)と、ほぼ時を同じくして発生したガンダーラ(Gandhara)の仏像は緑片岩に彫られた、因みに仏像の口火を切ったのはガンダーラとの記述を見かける。
仏像は侵攻したアレキサンダー大王の文化融合政策から送り込まれたギリシャ文化の芸術家によるものである、シルクロード交易で活躍しゾロアスター教
から仏教徒に改宗したソグド人やガンダーラを支配し大乗仏教の帰依した騎馬民族クシャン人に拠るものであり、ヘレニズム(Hellenism)文化を取り入れているがアレキサンダー大王の遠征でガンダーラに入り仏教に帰依したギリシャ人の存在は文化・宗教・経済等に大きな影響を受けている、更にBC2世紀後半頃に200年に亘り西北インドを支配したギリシャ人のミリンダ王Milinda達の統治時代の影響も考えられる、因みにBCとはBefore Christの略である 
因みにクシャーン王朝では金貨が現れ仏像が彫られている、但し金貨には他にバラモンのシバ神像・アフラマスダー像
(ahura-mazdāhアヴェスター語 ゾロアスター教の最高神)・や王の肖像も彫られている、因みにカニシカ王朝に於ける金貨の基準は純度及びサイズもギリシャと同一に製造された。 
仏教
発生時には偶像崇拝を否定していたインドは別として、中国や朝鮮及び日本では仏教を招来した時点から仏教と仏像は一体化していた、空海は御請来目録に於いて恵果の言葉として「‐‐‐図画に仮らずんば相伝することあたわず」と言っている、仏教はセム的一神教すなわちユダヤ教キリスト教イスラム教から偶像崇拝と批判される仏像や祖像を大切に崇拝する、但し対象とされる仏の持つ教義、理念を理解しなければ信仰や拝観は浅略になる、特に仏画は彫刻よりも著しい、仏教以外の世界宗教においては偶像崇拝を否定しながら例外的に三位一体や、カテキズム
Catechism公教要理202でモーセの十戒から第二戒の「汝は己の為に像を刻んではならない」を除外する巨大宗派もあるが、基本的には偶像崇拝を否定している、青木前文化庁長官の言葉を要約すれば、主に仏教だけが礼拝の対象とする美術作品が発達した、仏教は神があり神の僕となる事を想定しないで人間が覚者となる事を最終目的とする、その覚者を敬うことから仏教は美術的な尊像を作るのが信仰の証となる。
ひろさちや氏は古寺巡礼
(小学館)の中で和辻哲郎氏の「われわれが巡礼しようとするのは、美術に対してであって、衆生救済のみ仏に対してはないのである」に反論して「寺は祈りの場である、真剣に祈れば仏は祈りに応えて下さる」と言う、しかし「寺は祈りの場である」には、まったく異存はないが仏像は真摯に祈る衆生と仏との結縁を満たす観想の対象像と考える、私は仏像に対して真摯に合掌するがサルベージを求めての祈りは行わない、従って秘仏に対しては否定的に考える、但し氏は別項に於いて神仏に救いを求める「請求書的信仰」を否定し「領収書的信仰」を言われる、時宗の「名号札(みょうごうふだ)」的であるが拙サイトでは「感謝状的信仰」と表現したい。    
仏像とは仏教の祖である釈尊を後世の仏弟子達が釈迦如来を慕いその姿を観想して生まれた、即ち本来は覚者(覚れる者)を造形化したもので
礼拝の対象となる彫刻や絵画を言うが、彫刻を仏像・絵画を仏画と区分されている。
釈尊が覚りを開き直接説いたとされる仏教は現世救済の哲学(宗教全て哲学とが言えなくも無い)であり、初期の仏教には偶像崇拝は存在しなかった、即ち仏教の要諦は覚者(釈尊)の姿形すなわち肉体には関係無く、釈尊が覚った仏法にあると解釈されたからとも考えられる。
釈尊の教えは人々の生きる悩みを解決する事にありバラモン・ヒンヅウー教の形骸化した儀式至上主義や偶像崇拝的な行動も否定している。
   
また教えも嫡嫡(てきてき)相承すなわち口伝、即ち師子相承(ししそうじょう)・(師から弟子へ)であり釈迦が存命ならば仏像・経典も承認しなかったのではないかと思われる、但し当時は文字の使用はごく一部分の階層に限られ識字率は低率であった事も考慮しなければならない、時代が進むに従い相承も口伝だけでなく切紙相承が行われる様になる、切紙相承とは要点をメモ的に記述した紙を意味する
仏教に於ける偶像崇拝の対象、即ち仏像は大乗仏教思想の興りと共に教義を経典の他に理解の容易な形で示す必要から始まったと言える、当初は仏伝が語られそれが仏伝図として釈尊の存在を空白にして彫刻された、それが後に釈尊を蓮華(誕生)菩提樹(覚り)宝輪(説教)(涅槃)等をシンボリック的に偶像化される様になる。 宝輪に付いては「転輪聖王獅子吼経」 cakkavattisiihanaada-suttantaチャッカバアッライシーハナーダスカンダ)に効用が書かれている。
世界的規模の宗教では偶像崇拝を否定する教派は多いが偶像の背後にある神仏を感得して礼拝するものであり、偶像本体を拝する為ではなく一概に否定すべきでは無いと考える。
仏教は仏像や宗派に依るが祖師などの肖像を重要視する、三位一体で十字架のイエス像やマリア崇拝を言うカトリックのような例外はあるが、基本的には仏教圏が主に礼拝の対象とする芸術性の高い図像学や美術品が発達した、本来の仏教は一神教
(ユダヤ・キリスト・イスラム)と違い神が存在し神の(しもべ)となる事は念頭にない、人間が覚者(如来・成仏)となる事を最終目的とする、その覚者を敬うことから仏教は美術的な尊像を作るのが信仰の証明となる、青木前文化庁長官の言を借りれば『苦諦の除去(悟り)後にある事例は「無」であり、そこに見出せるものは美』であると言う、但し留意しなければならない点は、宗教に優劣は無く個別宗派を称賛や批判するものでは無い。  
仏教が民衆に受け入れられる為には救済を具体的に表現する必要に迫られた、仏像は人々の信仰的要求にこたえて発生したと言える。
大きな乗り物即ち大乗仏教
(Maha-yana)は「上求菩提下化衆生」がポイントであるが特に下化衆生を行う行為が求められる、衆生をサルベージする為に「他方多仏」すなわち如来菩薩明王等の仏像を登場させた、阿弥陀如来には安寧を、薬師如来には医療行為を弥勒菩薩には次世代の救済が約束される。 
他に救済を目的とせず宇宙真理を表わし、如来の統括する毘盧舎那仏と同尊で密教に於ける大日如来を挙げる事が出来る。

大乗仏教の起こりと共に釈尊を思慕する所から「他土仏(たどぶつ)信仰」が生まれて阿閦如来や阿弥陀如来が登場する、他土仏信仰とは我々の住む世界即ち釈迦如来の住む浄土では無く、異なる空間即ち別世界に釈迦と同様に覚りを開いた仏が存在すると言うインド哲学から生まれた信仰である、他土仏は法華経金光明経阿弥陀経など多くの経典に記述されているが共通する如来名は
阿閦(あしゅく)如来(にょらい)と阿弥陀如来のみで異なる尊名が多数を占める、因みに後述する過去七仏は釈尊と同じ娑婆の世界の仏と考えられ応身仏である、いわゆる報身仏が他土仏に相当するとも言えよう
一世紀頃にクシャーナ王朝でストーバが作られ初め、二世紀頃仏教を信仰する阿育(あしょか)Sanskrit語、AśokapāliAsoka BC268年頃~BC232年頃、マウリア朝の王)の建てた記念碑(石柱・インド砂岩223㎝)の中に千幅輪があるのが仏足跡・菩提樹・台座・宝輪等(上座部仏教時代)と共に最初の崇拝された偶像物と言える、この時代はローマとの交易が盛んで大量の金等がインドに流入し金貨の鋳造や彫刻の起る触媒にもなった、特に宝輪はインドに於ける伝説上無敵の転輪聖王が武器に使用した金の輪を釈迦の説法にリンクさせた品で古代インドでは説得力の大さは測り知れない。17参照 
また偶像崇拝(久遠実状の釈迦如来)のもう一つの起こりとしてBC一世紀頃即ちギリシャ人のミリンダ王が支配していた近い時期に火葬された仏舎利śarīra を埋葬する為の「卒塔婆」ストーバ(Stupa)が建設されたが多くは侵攻したイスラムに 破壊された。 現存しているストーバにパールハットBharhut)ボト・ガヤ(Bodh-gaya)サンチーSanchi)第一塔、第二塔、アジャンター
Ajantā)の室内塔等があり現在日本に多数存在する五重塔,三重塔、多宝塔等の原流となっている、因みに卒塔婆の周囲は塔門と欄楯(らんじゅん)でガードされている、因みに欄楯とは聖界と俗界の境界を記すフェンスである。                              
これらインドの塔は土を碗型に盛り上げた中
(伏鉢)に仏舎利を納めこれを参拝したのが始まりである、これら卒塔婆にはインド古来の神々は顕わさされているが釈尊の姿は表わされていない、原始仏教に於いては仏法が崇拝されるもので釈尊の姿ではないとの思想からの偶像崇拝否定とも言える。
我が国に現存する塔の「相輪」即ち塔の屋根の上に建っている突出部分の内、下部より 1,露盤(ろばん) 2,伏鉢(ふくばち) 3,請花(うけばな) 4,九輪(くりん) 5,水煙 (すいえん) 6,竜車(りゅうしゃ) 7,宝珠(ほうじゅ)とあり、この部分がインドのストーバに相等する、これが中国を経て卒塔婆(そとうば)になり塔と変化していった、塔の文字は土の集体には生えたと言う文字訳である、余談であるが相輪の重量は法隆寺の場合約3屯あり塔本体を押さえる構造物としての役割も持っている、九輪であるが、原型は傘蓋(さんがい)である、傘蓋とは貴人や高僧などに従者が挿しかける傘の事で、卒塔婆にスポンサーが幾重にも挿し掛けた名残との説が言われている。
したがって寺院の伽藍配置も初期のものは、信仰対象である塔(仏舎利の保管場所で主に伏鉢の中)を中心に金堂(東金堂・中金堂・西金堂―飛鳥寺跡)を始め諸堂が取り囲んでいたが、信仰の対象が仏舎利から仏像に変化するに及んで伽藍の中心は塔と金堂の並立時代四天王寺法隆寺・他)を経て金堂中心になり後には講堂に移る、塔は次第に伽藍の脇興福寺東寺他多数)に移動することになる。   
インドではBC二世紀頃から釈迦の前世の行動すなわち宿業(しゅくごう)等が語られる様になる、インドに於いては五百余りの物語がありその姿を描く本生譚(ほんしょうたん)が盛んになる。しかし日本では神格化された久遠実状(大乗仏教)の釈迦が信仰されている関係から現存しているのは法隆寺の玉虫厨子に描き語られるのは捨身飼虎本生図・涅槃経聖行品のみである。   
       
土着信仰が盛んであったマトゥラーの仏像はインド独自の伝統芸術が表現されていると言えるがガンダーラの像と融合し中国に亘り中国文化と溶け合い日本に齎された、日本では仏教伝来以前は神祇信仰(じんぎしんこう)いわゆる山河草木を敬い、偶像崇拝を知らない貴族達に教理・理論よりも視覚に訴え芸術性を持った彫刻像や建築に大きなカルチャーショックを与えた事であろう。
初期の仏像はStupaの従的な存在として発生したとの説もあるが、時代を経て釈尊の神格化が求められたと言える、自由な様式・表現の像が制作されたが、やがて三十二相・八十種好(注1の規則が出来た、一般論としてこの規制のおかげで信仰の対象としては規格化されたが今日の視線で彫刻作品として観れば規制に呪縛されており、芸術作品として迫力に欠けるのではないだろうか、しかし日本の仏師達は仏の種類・装備・儀軌など多くの制約を課せられた中で優れた像を生み出している、この特性は「折り紙」等に観られる様に世界に冠たるに値する日本人の特技の一つであろう、この場合仏教美術の研究と教理の研究に乖離がある事を念頭に置かねばならない、これは茶道具と陶工との関連にも見る事が出来る、儀軌とは像を祀る儀式を述べた典籍を言う。

また概論で述べたように仏教は悠久の昔から存在する宇宙の真理を釈迦牟尼が覚ったものとされており、釈迦以前にも覚者が存在したと考えられる、過去仏や未来仏も作り出された、これを過去七仏と言う、但しセム的一神教の聖書に於ける創造主の様に天地や人間、動物を作り出したものではない。
下述する毘婆尸仏から毘舎浮仏までを、過去の住劫(じゅうごう)すなわち荘厳劫の覚者であり、拘留孫仏以後の釈迦牟尼仏までは、現在の住劫、即ち賢劫(けんごう)の覚者とされる、因みにパールハットには西暦1世紀頃の七仏の浮彫が有ると言う。

過去七仏とは                             (劫に付いては注13を参照願います)
毘婆尸仏(びばしぶつ)―――vipśyin
―――ヴイオアシュイン―――荘厳劫の仏(過去の劫)――― 寿命(āyu-pramāa) 84千歳(阿含経) 
尸棄仏(しきぶつ)
――― śikhin――― シキン―――荘厳劫の仏(過去の劫)―――寿命(āyu-pramāa) 7万歳
毘舎浮仏(びしゃふぶつ)
―――viśvabhū――― ブイシュアブー―――荘厳劫の仏(過去の劫―――寿命  6万歳
倶留孫仏(くるそんぶつ)
―――krakucchanda―――クラクッチャンダ―――賢劫の仏(現在の劫)―――寿命 4万歳           
倶那含牟尼仏(くなごんむにぶつ)
――― kanakamuni――― カナカニム―――賢劫の仏 (現在の劫)―――寿命 3 万歳
迦葉仏(かしょうぶつ)
―――kāśyapa ―――カーシュヤパ―――賢劫の仏 (現在の劫)寿命  2万歳 に至る六仏になる更に
・釈迦牟尼仏―――śākyamuni
(シャーキャムニ)を加えた 過去七仏に対して弥勒菩薩の様な未来仏も考え出された、これ等をベースにしてインド哲学は法華経を例にとれば阿僧祇(asaṃkhya)即ちガンジス河の砂の数ほどの如来・菩薩を生むが、密教の起こりと共に更に著しくその数を増やすことになる,因みに過去七仏は毘舎浮仏までを過去の劫(注13すなわち荘厳劫の仏であり、拘留孫仏~釈迦如来までを現在すなわち賢劫の仏となる。 
上記過去七仏に於ける共通の教義を纏めた偈に『七仏通誡偈』があり法句経などに記述がある、禅宗系上座部佛教に於いて重要視されている、内容は以下の四項目である。

*諸悪莫作(しょあくまくさ)・ もろもろの悪を作すこと莫く、 

*(しゅう)(ぜん)奉行(ぶぎょう)・ もろもろの善を行い、 

*自浄(じじょう)()()・ 自ら其の意(こころ)を浄くす、 

*(ぜん)(しょ)仏教・是がもろもろの仏の教えなり。


大無量寿経に依れば阿弥陀如来の場合には54番目の覚者である、無限と言える過去乃往(ないおう)過去久遠無量不可思議無央数劫(むおうしゅこう)に「錠光(じょうこう)如来」が出現する、その後錠光如来に次いで各如来が長い年月の間に現れる、錠光如来から53番目に「世自在王如来」が現れると「法蔵菩薩」は世自在王如来の弟子となり、師から210億の仏の世界を示され五劫の間思惟した後に極楽浄土を完成して阿弥陀如来となった。
日本教の歴史文化的DNAのなかで熟成された日本の場合一神教徒から見れば異質に写る、日本に於いては神官や僧侶を含めて教義を軽視する人が多く存在している、仏像は本来仏教の持つ哲学や救済の目的を考慮して僧侶や衆生に対して尊像との結縁を発生させて拝ませる為に製作されるはずであるが、薬師如来や密教に於ける観音菩薩には多くの秘仏が存在する、これには2点の原因が考えられる1点は呪術が目的であり霊験・荘厳さを演出する為と思惟される、もう1点は山河草木に宿る神を崇拝して偶像が無い古代神道に馴染み御神体を覗く事による穢れや祟りに恐怖感を持つ事にあるかも知れない、しかし偶像崇拝は仏像の請来から始まり8世紀すなわち奈良時代に神宮寺・神願寺などに神像が取り入れられて神仏習合が起り次第に恐怖感は希薄になる。
また教義面に於いても徳川幕府の行った檀家制度、明治政府が出した聖職者の婚姻制度に、日本人のエトス
(行動様式)が加わり教義に関心を示さない人が多い。
寺院の創建からの歴史、沿革が在るにしろ所属宗派には無用なはずの教義からは異端像が多く存在する、真言律宗の寺に阿弥陀如来が本尊であったり、浄土真宗系の寺に大日如来が奉られても不思議に感じない、キリスト教社会で言えばマリア崇拝を否定するプロテスタント及びイエスの神性の否定するアリウス派・ネストリウス派の教会にマリア像を安置した様なものではないか。
河口慧海、日高彪氏の著述を要約すると現在多くの人々が寺院に仏像や庭園の魅力に導かれて拝観に訪れている、しかしそこに真摯な仏教徒は少ない、責任は巡礼者にあるのではなく仏教者側にある、即ち寺院側が世俗に染まり過ぎ仏教的でないと言える、衆生が信仰に入る魅力に乏しからである、信仰に向かう衆生はむしろカルト的な教団に足を向けている、これは著名な僧侶が瀟洒な暮らしの中で豪華な僧衣を纏い仏教用語を駆使するだけの説法しか為されないという指摘が両氏以外にも随所にあ見られる。 

日本においては20103月1日現在に於ける文化財保存法に指定されている彫刻像は2639
(国宝126件)あるが1件で複数の指定がある、例えば蓮華王院千手観音は1件で1001尊ありトータルでは5300尊を超える数にのぼる、ちなみに絵画に於いては宗教画以外を含めて1952(国宝157件)である。

    1      2       3

    

   1, 観音寺 十一面観音 (国宝)                 2,蟹満寺  釈迦如来  (国宝)               3,當麻寺中之坊本尊 導き観音(十一面観音)
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仏像の種類 

初めに明治大正期の仏教史学者・村上専精(せんしょう)(注16の「仏教統一論」の最後尾を紹介する「‐‐‐‐密教家にありて、釈迦・大日の同体論あれば、大日といえども釈迦に外ならずというべく、又浄土教家にありて弥陀・釈迦の同体論有れば、弥陀といえども釈迦に外ならずというべし。然れば仏陀の名号その数極めて多しといえども、釈迦一仏以外に出でずというも、敢えて何の不可これあらんや。蓋し密教家にありて釈迦・大日の同体説を唄うるや、大日中心の一仏説を立せんが為なり、又浄土教家にありて弥陀・釈迦同体説を唄うるや、弥陀中心の一仏説を立せんが為なり。然るに今や密教家としてこれを論ぜんとするにあらず、‐‐‐‐‐」と総ての仏は釈迦如来一仏と記述している。

初期の仏教は宗教と言うより哲学であり無神論的要素を含んでいたが、イランのゾロアスター教・インドのヒンズー教・中国の土着宗教や更にはギリシャ・ローマ文化等に出会い、多神教共言える大乗仏教に変貌を遂げる。
大乗仏教の時代になり優塡王思慕像を契機として信仰の対象としての仏像が生まれるが、インドに於いて土着の神々を仏教に包括する様になる、仏像の整理が必需となり仏身論
(仏の三身・注10さらに密教の興りからその数は飛躍的に増大する。
仏像は四つの基本形すなわち種類が形成される、1、如来 2、菩薩 3、明王 4、天部とが信仰されているが、本来の意味の仏像は如来のみを意味する、如来とは冒頭に挙げた様に覚者の造形化であるが、梅原猛氏の言葉を借りれば「仏教のさとりの境地に到達した、仏教における最高の理想的境地に居住している仏」である、菩薩は現在も慈悲心から菩薩活動を行う「自利利他行(じりりたぎょう)」「上求菩提、下化衆生」等と言われ弥勒菩薩観音菩薩勢至菩薩文殊菩薩普賢菩薩等は既に覚者に成っていると解釈される場合が多い、さらに時代の推移と共に菩薩だけでなく明王・天部までも信仰の対象となっている為、広義に解釈して仏像に加えられている場合が多い、そこで現在日本に於いて信仰されてきた仏像を如来から取り上げていくことにする。 

上求菩提、下化衆生を「大悲闡提(せんだい)」とも言う、大悲闡提とは一斉衆生を救済の為に、己の成仏を中止した大悲闡提の道を取った菩薩(地蔵菩薩や十一面観音)を言う。 
密教は仏像の種類を飛躍的に増加させたが、密教の仏達の終着点は成仏であるが、財や寿命等の「願望成就」を目的とした呪術を併せ持っている。
如来とは梵語の
tathāgataタターガタ) の意訳語であり、ほぼ仏陀の同義語として用いられるtathā (そのように) gata (来たれる者)合成語と世界大百科事典には記述されている。
仏教(仏像)には顕教の釈迦如来と密教の大日如来が頂上仏として存在するが、これを関係付ける事に意義があるかも知れない、すなわち大日如来と釈迦如来は同尊か異尊かである、これには大釈別体説と大釈同体説がある、別体説には真言宗があり空海の十住心論に於いては・真言宗(大日如来)華厳宗毘盧遮那仏天台宗(釈迦如来)の順にランクされている同体説には天台宗が法華経を最高経典とする為に久遠実成の釈尊と台密の大日如来と同列に置く必要がある。 

真理を会得した世界からのた者()即ち覚りを開いた覚者、「正しく目覚めた人」のことを言い、如とは真理を覚得したことに通ずる。
造像は大乗仏教の起こりから始まるが教義を大衆に受け入れさせる為には救いを具体的に表わす必要に迫られた事による、従って仏像は人々の宗教的要求をかなえた産物でもある。
「仏説造像量度経解」等造像法を記述した経典は存在する様であるが、仏像の姿形として如来は大日如来を除いて上座部仏教と大乗仏教と同じ形で顕れているが菩薩・明王は大乗仏教・密教の像であり豪華な在家貴族の姿形が多い、
上座部仏教に於いて菩薩に相当する像は阿羅漢であるが糞帰衣(ふんぞうえ)と言う粗末な衣装である、通常仏像のは性別は存在しないとされるが、インドでは女性尊が存在し、菩薩信仰に篤い中国に於いては特に菩薩像に於いて唐時代以降は高貴な女性的イメージの菩薩像が現れる、表情も如来や菩薩の持つ優しい「柔和相」から明王等の「憤怒相」が現れてくる、また密教が招来されてから(いん)(げい)Mudraすなわち印相も多様化する。
密教の印契には大日経の密印品に記述される六種拳と十二合掌の組み合わせがある、基本とされる六種類の印相を六種(ろくしゅ)(けん)と言う、 六種拳には1、金剛(こんごう)(けん)、2、蓮華拳 、3内縛(ないばく)拳 、4、外縛拳 、5、如来拳、6、忿怒拳 がある、14が本来の印母で56は類印とされる。

十二合掌とは*堅実(けんじつ)(しん)合掌(がっしょう) *虚心(こしん)合掌 *未敷(みふ)蓮華(れんげ)合掌 *初割(しょかつ)(れん)合掌 *(けん)()合掌 *()(すい)合掌 *帰命(きみょう)合掌  *(はん)(しゃ)合掌 *反背互相著(はんはいごそうちゃく)合掌 *反背互相著(はんはいごそうちゃく)合掌 *横柱指(おうしゅし)合掌 *覆手(ふしゅ)向下(こうげ)合掌 *()(しゅ)合掌が挙げられる、因みに印はインド舞踊の手振り言語が嚆矢である。
大乗仏教に於いて阿羅漢など十大弟子は声門に扱われ軽視されているだけであろうか、これ等釈迦の高弟達は高いカーストの出身者であり
目犍連(もっけんれん)の様にビアイシャ(平民)の出身でも富豪出身者が多い。
また如来の識別方法は簡単な様で複雑な面があり、特に飛鳥・白鳳時代の作品は解釈の難しい仏像もある、鎌倉・高徳院大異山(だいいさん)高徳院(こうとくいん)清浄泉寺(しょうじょうせんじ)の観月堂脇の歌碑には大仏は阿弥陀如来であるのに「鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな」と読んでいる、閨秀歌人、与謝野晶子ですら「みだれ髪」の中で間違いを犯している、これは鎌倉幕府の歴史書とも言える吾妻鏡の建長四年八月十七日1252年)「深沢の里に金銅八丈の釈迦如来像を鋳はじめ奉る」の記述がある為に、これを読んだ影響かも知れないが鎌倉大仏は紛れもなく阿弥陀如来像である、また1238年~1244年に木造の大仏が造像されたと言う記述もあり、この像が釈迦如来であった可能性は否定できない、また()(てい)四年三月二十三日1238)の吾妻鏡には木造阿弥陀仏造像開始云々の記述がある、脱線するが如来の多くは「施無畏 与願印」を結ぶが、右手の施無畏は不安の除去を意味する、四無畏注18)と言うタームが・法華経・造一阿含経・倶舎論等で言われる。    
また室生薬師如来は近年まで釈迦如来として拝まれていた(室生寺の薬師如来は文化財指定は国宝・釈迦如来で受けている)大安寺の伝馬頭観音千手観音菩薩で文化財指定を受けている。 
古い仏像名は後世に命名された仏像は多くある、一例を挙げれば大安寺の楊柳観音は造像当初の尊名は不詳である、また継承されて来た尊名を意図的に変更
2002年)された例として薬師寺講堂の三尊像がある、即ち大講堂建立を契機に薬師三尊像を弥勒菩薩が法相宗の初祖との説から弥勒如来を中尊に (ほう) (おう)(りん)菩薩(ぼさつ)(参拝者から右側)大妙相菩薩(だいみょうそうぼさつ)に変更された。
仏像観賞に於いて「仏像のこころ」(岩波書店)で新しいジャンルを開かれた梅原猛氏は仏像の心を知るには形からは入れと言はれる、印相(印契)(日本舞踊もこれにはいる)等は言語が発達以前の意思の表示方法であり仏像の印もその流れの中にあると言える、印相を梵語では身振りを意味するが特に密教に於いては印が教理そのものを具現している。

印相に付いて述べれば、印相の原型は言語以前からの可能性があるが、形態化したのはバラモンが嚆矢と言える、神と人との交流の手段として祭祀に利用される音曲や舞踏に於いて手が重要な役割を担っている、印相は仏教に於いては釈迦五印が古い。
材質面に於いては非鉄金すなわちはブロンズ(銅像)に鍍金を施す金銅仏、粘土で成形する塑像、土と木枠で躯体を作り麻布と漆を重ねる乾漆像、脱乾漆像、白檀、楠、欅、檜などの木造(漆箔(しっぱく)・素地檀像様)の他、石を斫り出す石造がある、特殊な例として経典の古紙や冊子を張り合わせた紙張貫(しちょうかんぞう) がある、これは像内に物品が納められるようになっており、茶道具の一閑張細工(いっかんばりざいく)の嚆矢とされる。
造仏は11世紀中盤から百年程の間に、材質の変化に加え定朝による寄木造や慶派による玉眼の開発により完成を観たと言える。
また製作年代及び場所は概ね特定されているが飛鳥時代の仏像は請来されたか、渡来人の作品か確定は困難とされる。

古仏すなわち文化財の像容は時代を経て変化していくが、通常諸外国に於いては古くなると造顕時の状態、すなわち金色に塗りかえられる、日本にでは古仏・仏画を復元する場合に於いて造顕時の金色に輝き、煌びやかな状態まで戻す事は無く、在るがままに近い状態に復元している、ここに日本人の美意識に対する真髄が見られる、徒然草を引用すれば「羅は上下(かみしも)はずれ、螺鈿の軸は貝落ちて後こそいみじけれ」と言れている、其処には作品の中から時の経過を読み取る文化が存在する。 

大仏の像高に付いて、大仏に関する定義は確定していない、日本に於いては丈六仏(立像で約48000 cmを上回る背丈の尊像を大仏と呼称されている、しかし大仏とは東大寺盧舎那仏の坐像(創建時1620.0 cm現在1486,8cmや鎌倉、高徳院の阿弥陀如来の坐像1138,7cm)を連想されている、前述の大仏の他に日本三大仏と言われた大仏に岐阜大仏(金鳳山正法寺・岐阜市大仏町・天保3年)がある、像高13.7mの釈迦如来で木竹芯乾漆像がある。 
仏教
の発祥地インドに於いてはカニシカ王等の例外を除きサンガ
(教団)を中心に檀那衆からの寄進に依り造像された為に巨大な仏像は少ない。 
仏教が東漸(とうぜん)と共に仏教徒の王が支配する国家仏教が成立すると巨大な仏像が造像される様になる。 
インドに於ける少ない巨像の内で著名な尊像はナーランダにあった立像は20mを越えていたとされる、大仏で世界的に知られたのはアフガン、バーミヤンの二大仏であるがタリバンに破壊された事は痛恨の極みである、因みにバーミヤンの東大仏は38m、西大仏が55mであったとされる。 
中国に於いて多くの大仏が造像されたが敦煌北大仏
96窟33m倚像(いぞう)・南大仏130窟26m倚像がある、最大の大仏は四河省楽山・凌雲寺71m倚像、弥勒像とされている(宮路昭著東大寺の歴史と教学・法蔵館参照)、因みに倚像とは台座に腰掛け両足を下に揃えた尊像を言う、また世界遺産・凌雲寺の倚像サイズは8世紀初頭の造像で頭部14.7m、首3、0m、耳7m、指8.3m、足11、0mと言う。
日本での巨像の造像は洛陽郊外にある龍門最大の寺院・奉先寺の影響を受けたと言われている、因みに奉先寺の尊像は肉髻から仏座までの高さが17.14m、後背まで含めると約20m大盧舎那像とされる。
因みに豊臣秀吉が発願した方広寺は慶長大地震で崩壊した、造像された本尊は巨大な木造で東山大仏と言われ像高は約19mとされている、現在に於ける日本最大の仏像は牛久大仏と呼ばれる阿弥陀如来像で、総高120m、総重量4000t、螺髪のサイズ1m200㎏ 鉄骨銅板化粧で平成411月完成した
(茨城県牛久市久野町2083。 
牛久大仏は
浄土真宗東本願寺派の本山での造仏である、親鸞の子孫と称する宗派に於いて最高の高さの塔仏像を築いている、親鸞の意志すなわち改邪鈔(かいじゃしょう)の言う「造像、起塔等は弥陀の本願にあらざる所業なり」をなんと解釈すべきか。  

参考までに東大寺毘盧遮那仏1498m
*鎌倉大仏11.387m、阿弥陀如来  *岐阜大仏13.7m、釈迦如来・1832年作である、米国の自由の女神像40mである 

仏像の高さは概ね丈六、等身、一手半があり、丈六≒5.4m  等身≒1.8m  一搩手半(いっちゃくしゅはん)36cmで坐像は凡そ半分とされている、因みに搩とは「手でものをはかる」意味である。
東大寺廬舎那仏の螺髪(らほつ)に付いて東大寺は2015123日、それまで螺髪数965個の発表を東京大生産技術研究所、大石岳史准教授グループがレーザー照射で調査したところ492個であったと発表した、因みに鎌倉大仏の螺髪数は656個、飛鳥大仏は700個である。
仏像の掌と指に付いて愛知県立芸術大学名誉教授、山崎隆之氏は赤子をイメージした像が多いと言われている。
通常は釈迦如来像の場合は施無畏印・与願印が多いが、禅宗系に於いては瞑想の為か定印を結ぶ像が多い。

秘仏に付いて、 秘仏とは通常公開されない仏像を言う、本来仏像は衆生が尊像に対面し礼拝、祈願する対象であり常に開示されるべきである、秘仏に関連する経典に「七倶胝仏母(しちぐていぶつも)所説准提(しょせつじゅんでい)陀羅尼経」「虚空蔵菩薩(のう)満諸願(まんしょがん)最勝心(さいしょうしん)陀羅尼(だらに)求聞持(ぐもんじ)(ほう)」等々挙げられるが、呪術祈祷を強調する為の雑密経典群である。
秘仏をオーソライズ化する記述に「如来の絶対性」即ち生命の絶対性の象徴と言う記述を見るが凡夫には全く理解不可能である、曼荼羅に絶対性は‐‐‐‐

これらは山岳修験信仰に関る処で観音菩薩が多く、次いで薬師如来、地蔵菩薩、不動明王、天部の諸尊が挙げられるが、常に拝観出来なければならない如来すなわち臨終の際に顕れて極楽浄土へ導く阿弥陀如来にまで多義に存在する。
東大寺二月堂の様に何らかの事情で絶対秘仏とされる寺院もあるが、概ね個々の縁日8日、18日等々)や十二支に関連して12年毎、観音菩薩の変化数に関して33年毎、阿弥陀仏の誓願の48年毎、干支関連の60年毎など多様である。


仏像の時代別特徴(見分け方)

  時   代

             特                                 徴

飛鳥 時代  

眼は杏仁形(きょうにんけい) ・唇は仰月形(ぎょうげつけい) ・顔は長い ・アルカイックスマイルArchaic smile)・古拙の微笑み ・正面は左右対称像が多い  ・印形以外はシンメトリー 裳懸坐(もかけざ)  ・銅像(法隆寺文化圏には木造も) ・正面観照性重視

白鳳 時代 

顔は丸く表情に明るさ ・肉付きが良い ・眉と目の間隔が広い ・側面、背後に細工の像がでる ・飛鳥寺代の面影を残した像が残る ・彫りの深さ ・立体感 ・写実性の始まり ・楠木材に檜が混じる ・丈六仏 ・優美 ・繊細 ・みずみずしさ ・正面観照性に左右相称性 

この時代に百済、高句麗が滅び渡来系工人が各地に分散し仏像・工芸品を多く広め絢爛たる天平文化に引き継ぐ ・衣文等がシンメトリーから抜け出し皴に自然さ。 法隆寺文化圏に木造(楠)が多い。

天平 時代 

均整が取れ写実性に富む ・多眼多臂の密教像が出始める ・観音像、変化像など種類が多様化 ・材質が多様化し奥行きがでる(銅像・塑像・乾漆・木心乾漆造) ・造仏所が出来て流れ作業化する  ・ダイナミズム  ・檜材 如来以外の像造  ・変化観音の興隆 
仏教美術の爛熟期を迎える   ・木屎漆で衣文などテクスチャーに(texture奥深さ  量感 

貞観 時代  

檀像様(注7や密教像が増える ・木像は80%以上を占める ・檜の一木造が多い  ・翻波式  ・力感が増し表現の多様化  銅像・塑像姿を消す   材質もあり地方に広がる  神像(神仏習合)の広まり 

藤原 時代 

静の美学  優美なラインを持つ和様彫刻の起こり ・寄木造の始まり・ 彩色像の増加 ・顔が大きく伏目勝ちで貴族好みの優雅さを持つ ・浄土信仰による阿弥陀像が増える ・浪漫主義 ・後半玉眼の起こり ・地方への広がり  ・装飾性 ・典雅

鎌倉 時代 

 動の美学  銅像・塑像の復活    ・武家好みの豪快さ躍動感  ・玉眼の浸透  ・造形、写実性の完成 ・勇猛 ・躍動感   
康慶と息子、運慶を先導に慶派の台頭 ・法衣の裾が長くなる、襞も複雑に ・顔が卵型で細い切れ眼 ・塑像、鉄像 ・半跏像 

南北朝時代 

装飾性 ・禅宗様 肖像が多くなる ・為政者による注文が激減  
南都仏師や鎌倉に於いて宋時代の様式を踏襲した臨済宗の注文を受けた作品が残る(東慶寺水月観音など)


江戸 時代
 

後半期には需要も減少し財政困窮により三尺以上の造像は許可制になり小技は維持されるが活力を失う 


*我が国の仏像の特徴として半眼の尊像が多い事にあろう、統計的に調査していないが外国の仏像は両眼を見開いている像が多く閉眼も存在する。

*朝日新聞2012921日夕刊からー早稲田大学大橋一章教授の「飛鳥大仏はほぼ飛鳥時代のまま残されていた」が発表された、事実なら大発見であろう、但し久野健氏の説との差は山の峰を挟んだ対極の位置にある、法隆寺釈迦三尊と比較すると通肩と言う大衣の着衣法、即ち先に完成したとされる飛鳥寺の通肩が正しく、後に造像された法隆寺の装着は間違いである、手ひらの関節(皺の数に相違)、指の形状に於いて貴人と労働者の指程の相違がある、耳などの形状等々同一の作者の作とは考えにくい相違点が観られる、大橋説の根拠とされた銅の成分の一致に対しては溶解落下した銅で鋳直せば同一成分になる為に理由として説得力に乏しい。
飛鳥寺の場合は(くら)部首名(つくりのおびとな)加羅(から)()などの記述が見られるが、法隆寺か飛鳥寺何れかが
止利の作ではない可能性がある。現在に於いては久野説を支持したい。  仏像の歴史 久野健 山川出版社 参照


*日本最大級の仏像に朝鮮総連のビルを落札したが資金調達が不調になった、池口恵観率いる烏帽子山、最福寺(鹿児島市平川町)の大仏殿には大仏師・松本明慶の工房で造顕されたH 18.5mの木造(坐像・ヒバ材)・弁才天像がある、比較対象として東大寺・南大門の金剛力士の阿形像 H8,363m、吽形像 H 8,423 mである。
*仏像は当然台座の上にある、ところが堂宇の火災等々の災難で本体は避難出来たが台座は焼失した場合「台座無し」となる、巷間言われる”○○がだいなし”語源は台座無しからきている


1, 三十二相の要点説明を大智度論(巻4)から引用された、如来の躯体が持つ特徴三十二相と、その相が持つ微細な状態を示す八十種好(注5)が言われる、佐和隆研/編・仏像図典、(吉河弘文舘)参照、但し32相の内、 .10 (いん)蔵相(ぞうそう).13一一孔一毛生相(いちいちこういちこうしょうそう).22四十歯相(しじゅうしそう)人間は32本 .24牙白相(げはくそう).27大舌相(だいぜつそう)等、彫刻にも絵画にも使用出来ない項目がある。  

1、足下安平立相(そくかあんぺいりつそう)―――足の裏が扁平で大地に立つと、地面と足の間が密着する、 慈悲の平等。
2、足下二輪相(そっかにりんそう)―――足の裏に千幅輪が現れている、 衆生の迷いを静める。 
3
長指相(ちょうしそう)―――手足の指が長い、 長寿命と敬愛。
4
足跟広平相(そくごんこうびようそう)―――踵は広く平ら、 未来の衆生の救済。
5
、 手足指縵網相(しゅそくまんもうそう)―――手足の指の間に水掻きの様な膜がある、 総ての衆生救済。  
6
、 手足(てあし)柔軟相(じゅうなんそう)――――手足柔軟で高貴の相、 誰とでも等しく接する。 
7
、 足趺高満相(そくふこうまんもうそう)―――足の甲が高く亀の甲のように盛り上がっている、 衆生に幸せを。  
8
、 ()()延膝相(えんしつそう)――――鹿の膝の様に繊く円い、 喜びを与え。 
9
、 正立手摩膝相(そうりつしゅまそくそう)―――直立した時の手は膝をなでるくらいの長さ、 哀れみの思いが深い。  
10. (いん)蔵相(ぞうそう) ―――陰相が隠されている、 多くの弟子をもつ。
11
身広長等相(しんこうちょうとうそう)―――身長は手を横に広げた長さに等しい、 無上の法王。 
12
毛上(もうじょう)向相(こうそう)―――体毛はすべて上を向いている、 喜びの心を起こさせる。
13
一一孔(いちいちこう)一毛生相(いちこうしょうそう)―――毛穴は一本宛の毛がはえている、 成仏の妨げを防御。 
14
金色相(こんじきそう)―――全身が金色に輝いている、 衆生を喜ばせた姿。  
15
丈光相(じょうこうそう)―――全身の周囲一丈の範囲光り輝いている、 丈光相から光背が出来た、 迷いを除去、願いを成就。 
16
(さい)薄皮相(はくしそう)―――身の皮は細薄で一切の塵や汚れは無い、 慈悲とご利益。 
17
七処(しちしょ)(りゅう)満相(まんそう)――――身の肉が円満で柔軟微妙である、 七聖戒 (信・戒・慚・愧・多開・智慧・捨離)を満たす 。
18
両腋下(りょうえきか)(りゅう)満相(まんそう)―――腋の下も肉が付き凹。みがない、 看病。 
19
上身(じょうしん)獅子相―――上半身の威容姿端巌で獅子の如く、 高徳の相。 
20
大直身相(だいちょうしんそう)―――体が大きく端直無比、 安心感。
21
(かた)(えん)好相(ごうそう)―――両肩が円満でなだらか、 柔軟の徳。
22
四十歯相(しじゅうしそう)――――40の歯が美しく並び鮮白で清潔、 悪口を言わない。 
23
()斉相(せいそう)―――歯の大きさが同じで隙間がない
、 清浄の相 。
24
牙白相(げはくそう)―――牙は鮮白で鋭利、 三毒である(とん)(じん)()を切る。 
25
獅子(けう)相――――両頬が膨らみ獅子のよう、 正しい生活方法。 
26
味中(みちゅう)(とく)上味相(じょうみそう)―――仏の口は何を食しても最上に味わう、 願いを満足。
27
大舌相(だいぜつそう)―――舌は軟薄で広長、 嘘をいわないこと。
28
梵声(ぼんじょう)相―――大きな声で美しい、 傍聴の喜びを与える。
29
真青眼相(しんせいがんそう)―――眼晴は青蓮華の如く紺青色である、 良く見通す。
30
牛眼睫相(ごげんしょうそう)―――牛王の如く睫毛がながい、 眼が清浄。  
31
頂髻相(ちょうけいそう)―――頭上の肉が隆起しており、その形は髷のよう、 覚者の証、智恵を象徴、明晰。  
32
白毫相(びゃくごうそう)―――眉間の白い毛が右回りにねじれて、光を発している、  生死の災いを消す。


注2, 八十種好とは八十随形好とも言い、三十二相を詳細化され外見、内面、及び頭上から足下に及ぶ。   

1、無見頂相―――仏の頂上の肉髻が高く、見上げようとしても愈々高くなって見ることができない。
2
、鼻高不現孔―――鼻が高く、孔が正面からは見えない。
3
、眉如初月―――眉が細く三日月のよう。
4
、耳輪垂―――耳の外輪の部分が長く垂れている。
5
、身堅実如那羅延―――身体が筋肉質で、天上の力士のように隆々としている。
6
、骨際如鉤鎖―――骨が鎖のように際立っている。
7、身一時廻旋如象王―――身体を廻らすとき象が旋回するように一体となってする。
8、行時足去地四寸而現印文―――歩くとき足が地面を離れてから足跡が現れる。
9
、爪如赤銅色―――爪が赤銅色。
10
、膝骨堅而円好―――膝の骨が堅く円い。
11
、身清潔―――身体が清潔で汚れない。
12
、身柔軟―――身体が柔軟。
13
 身不曲―――背筋が伸びて、猫背にならない。
14
、指円而繊細―――が骨ばっていず、細い。
15
、指文蔵覆―――指紋が隠れていて見えない。
16
、脈深不現―――脈が深いところで打つので、外から見えない。
17
、踝不現―――踝が骨ばっていない。
18
、身潤沢―――身体が乾いていず光沢がある。
19
、身自持不逶―――身体がしゃんとして曲がっていない。
20
、身満足―――身体に欠けた所がない。
21
、容儀備足―――容貌と立ち居振る舞いが美しい。
22
、容儀満足―――容貌と立ち居振る舞いに欠点がない。
23
、住処安無能動者―――立ち姿が安定していて、動かすことが出来ない。
24
、威振一切―――威厳があり身振り一つであらゆる者を動かす。
25
、一切衆生見之而楽―――誰でも見れば楽しくなる。
26
、面不長大―――顔は長くも幅が広くもない。
27
、正容貌而―――色不撓右対称で歪みがない。
28
面具満足―――顔のすべての部分が満足である。
29
、唇如頻婆果之色―――唇が頻婆樹の果実のように赤い。
30
、言音深遠―――話すときの声が深くて遠くまで届く。
31
、臍深而円好―――臍の穴が深く、円くて好ましい。
32
、毛右旋―――身体中の毛が右に旋回している。
33
、手足満足―――:手足に欠けた部分がない。
34
、手足如意―――:手足が意のままに動く。
35
、手文明直―――手のひらの印文が明快で真っ直ぐ。
36
、手文長―――手のひらの印文が長い。
37
、手文不断―――手のひらの印文が途切れていない。
38
、一切悪心之衆生見者和悦―――どんな悪者も見れば和やかになる。
39
、面広而殊好―――顔は広々として好ましい。
40
、面淨満如月―――顔は満月のように浄らか。
41
、隨衆生之意和悦与語―――衆生の意のままに和やかに共に語る。
42
、自毛孔出香気―――毛孔より香気が出る。
43
、自口出無上香―――口より無上の香気が出る。
44
、儀容如師子―――立ち居振る舞いの威厳あること師子のよう。
45
、進止如象王―――歩くことも立ち止まることも象王のよう。
46
、行相如鵞王―――歩くときとは片足づつ交互に運び、鵞鳥のよう。
47
、頭如摩陀那果―――頭は摩陀那果のよう。
48
、一切之声分具足―――声にはあらゆる音が備わっている。
49
、四白利―――四本の牙が白く鋭い。
50
、舌色赤―――舌の色は赤い 。
51
、舌薄―――舌は薄い。
52
、毛紅色―――毛髪の色は紅色。
53
、毛軟淨―――毛髪は軟らかく浄らか。
54
、眼広長―――眼は広くて長い。
55
、死門之相具―――死門の相が具わる。死はこの世からあの世へ行く門、不死の相ではないということ。
56
、手足赤白如蓮華之色―――手足の色があるときは赤く、あるときは白い蓮華のようで濁っていない。
57
、臍不出―――出臍ではない。
58
、腹不現―――腹は常に隠されている。
59
、細腹―――腹は脹れていない。
60
、身不傾動―――身体は傾いていなくて、揺ぎない。
61
、身持重:身体に重量感がある。
62
、其身大―――身体が大きい。
63
、身長―――背が高い。
64
、四手足軟淨滑沢―――手足は柔軟で浄らか、滑らかで光沢がある。
65
、四辺光長一丈―――身体から放たれる光は長さが一丈ある。
66
、光照身而行―――光は身を照らして遠くに届く。
67
、等視衆生―――衆生を等しく視る。
68
、不軽衆生―――衆生を軽くみない。
69
、隨衆生之音声不増不減―――衆生の音声に随うも、声の大きさが増したり減ったりしない。
70
、説法不著―――法を説いても、執著することがない。
71
、隨衆生之語言而説法―――衆生の話す言葉の種類に随って、法を説く。
72
、発音応衆声―――声を発すれば、衆生を同じ声を出す。
73
、次第以因縁説法―――順に因縁を明らかにして説法する。
74
、一切衆生観相不能尽―――誰も相を観て、明らかにし尽くすことがない。
75
、観不厭足―――観相しても厭きることがない。
76
、髪長好―――毛髪が長く好ましい。
77
、髪不乱―――毛髪はまとまって乱れない。
78
、髪旋好―――毛髪は好ましく渦巻いている。
79
、髪色如青珠―――毛髪の色はサファイアのような青色。
80
、手足為有徳之相―――手足は力に満ちている。
 

*光背には頭部にあるものを頭光(ずこう)、身体にあるものを身光(しんこう)があり、これを合わせたものを(きょ)身光(しんこう)すなわち二重光背という、起源はゾロアスター教のミスラ神の頭部からであろう。



3、如来十号 如来には多くの呼称があり
如来十号と言う。 
1、如来―――覚りを開いた人  
2、応供(おうぐ)―――供応を受ける適格者  
3、正等覚(しょうとうがく)または正遍知―――如来供応正等覚者とも言い正しい覚りを開いた人  
4、明行足(みょうぎょうそく)―――明は智慧 行は、おこないを言い明行を兼ね備えた人 
5、善逝(ぜんぜい)―――迷いを断ち切り静寂心を会得した人 
6、世間解(せけんげ)―――世間の事の理解者
7、無上仕(むじょうし)―――最も秀でた人 
8、調御丈夫(ちょうごじょうぶ)―――指導救済者 
9、天人師(てんにんし)―――天界人と人間を導く  


4、 釈迦の真物とされるピプラワー(piprahwa)遺跡発掘の仏舎利(śarīra)は1900年タイ国のチュラロンコン国王から贈呈され名古屋市の覚王山・日泰寺の奉安塔(舎利塔)に安置されている、覚王とは覚者の王即ち釈迦如来のことで、日泰寺は日本・タイ国から命名された。 
ピプラワー遺跡発掘の仏舎利が本物説は定説化されているが、碑文の解釈に異説があり釈尊の身内の舎利説がある、1071年再発掘され疑問点が倍増した様である。 

5、四方仏 四方に仏国土があると言う考えがあり、東方の浄瑠璃世界に薬師如来  西方極楽浄土に阿弥陀如来  南方娑婆に釈迦如来  北方弥勒浄土に弥勒如来 があり、興福寺の五重塔を初めとして多く存在する。

6、偶像崇拝を一神教は否定するがカトリックは建前として偶像崇拝を否定するが十字架のイエスやマリア崇拝が存在する、仏教は仏像を拝するが偶像崇拝は礼賛しても否定すべきくではないと考える。

7、檀像 ・白檀(びゃくだん)紫檀(したん)・等の木材で彫られた像を檀像と呼ばれる、優填王(うてんおう)が造像させた最初の釈迦如来像が檀像であるとされる、木目が微密で薫香を発し珍重された、インドや東南アジアに於いて産出される白檀で造像された檀像は5世紀後半中国に請来されるが中国に於いては白檀など香木は産出されず、清凉寺に請来された釈迦如来像の様に中国桜で代用された、さらに日本に於いては(かや)や檜材が使用され小像が多かった檀像様は比較的大きく造像出来る様になる、因みに仏像彫刻の世界では白檀を栴檀とも言う。
日本に請来された檀像の代表として法隆寺国宝・九面観音と同じく金剛峯寺の諸尊仏龕がある。
白檀はH10m、幹は60㎝程度に成長しその中心部の赤味部分のみが仏像などに使用される、硬質で光沢に優れ薬効成分も含む、最高質の栴檀を牛頭(ごす)栴檀と言い牛頭山(インドのマラヤ山)産出の栴檀の下部(根に近い)が特に珍重される、因みに阿含経を基に最初に彫られた釈迦如来像が檀像(牛頭栴檀)と言う。 

8、仏像の表情にアルカイクスマイル(archaik smile 古式微笑)と呼ばれる事があるが古代ギリシャに於いてはBC 600480年をアルカイク期と呼ばれた、この時期に於ける彫刻の微笑をその後の仏教美術品に受け継がれたと言われるが、日本の仏像との関連は定かではない、わが国の仏像では法隆寺の百済観音・救世観音や中宮寺の如意輪観音、広隆寺の弥勒菩薩の口元をアルカイクスマイルと言われる事がある、因みに請来された時代もあるが密教像には生身すなわちリアルな尊像が一般的とされる。  

9、国宝に指定された仏教関連の彫刻は祖師像を含めて126尊に東京都の西新井大師総持寺所蔵の蔵王権現鋳銅彫像(銅鏡)があり、地域別には 奈良県70余・京都府余37尊 ・和歌山県5尊 ・大阪府、滋賀県 各4尊 ・東京都2尊  ・岩手県・福島県・神奈川県・兵庫県・大分県が各1尊となる。 

10、仏の三身trikayaとは大乗佛教と共に仏の種類が増えた為に整理上行われた理論で「十地経論巻3」で仏身論として言われた 「法身・報身・応身」を言う、しかし「大釈同異」と言われるように大日如来と釈迦如来別体説と大釈同体説がある様に解釈は分かれる、
但し仏の三身と言う解釈は日本独自のもので、インドに於いては、総てが釈迦如来であり毘遮那も大日如来等は別尊には扱われていない、要するに大日も阿弥陀も釈尊と同一の尊格である。 
    法身仏とは―――覚りであり本来は姿形を持たない、宇宙の真理そのもので悠久の過去から未来まで仏の王者とも言える、毘盧舎那仏大日如来を言う。
    報身仏とは―――菩薩が修行と善行の報いにより到達する姿を仏身で顕したもので阿弥陀如来薬師如来などを言う。 
    応身仏とは―――衆生を導く為に仏国土を離れて娑婆に自土仏として、顕した仏身で成道と入滅を行う如来で、釈迦如来をさす。 

11ゾロアスター教   

12、頂相 禅宗寺院に仏像はあるが、本来は「頂相」即ち祖師の像を重要視して拝する。

13、  劫(こう) 劫波の略語で梵語kalpaの意訳で佛教の言う非常に長い期間を言う、盤石(ばんじゃく)劫の一劫とは四十立方里の岩に天人が百年に一度舞い降りて衣の袖で岩面を一度なでる、その岩が磨耗するまでを一劫と言う。
また「大智度論」に依れば芥子劫も有り芥子の実を百年に一度160㌔平方㍍の城都に一粒ずつ落とし満杯になって一劫とする数え方もある、またヒンズー教に於いては一劫は432千万年とする記述もある、「三千仏名経」には今現在の劫を賢劫(けんごう)と言い過去の劫を荘厳劫(そうごんこう)・未来劫を星宿(せいしゅく)劫と呼びこれを三世三千佛と言う、曼荼羅に登場する賢劫の千佛はここから由来している。阿弥陀如来は法蔵菩薩時代に五劫の間修行して如来と成った、ちなみに阿弥陀五劫思惟像は東大寺(木造・漆箔・106,0cm 室町時代)に合掌姿で存在している。
劫の分類は複雑で宇宙形成から繰り返す壊滅、空劫、成劫、住劫までの劫を一大劫、器世間と言う時間を単位とする物を歳敷劫という。
阿弥陀如来が
四十八誓願をかなえて覚りを開いてから十劫が経過していると言う、人間が成仏出来るまでの時間軸に三阿僧祇劫(さんあそうぎこう)の間に積功累徳(しゃっくるいとく)を必要とされる、三阿僧祇劫,無数101403×1056乗×1劫となる、但し乗数は52-56等の説がある。     
因みに劫の対極にある時間を表す極少時間は仏教用語で刹那(k
aa1/75秒)と言う、因みに劫の対極にある時間を表す極少時間は仏教用語で刹那(1/75秒)と言う、また「一弾指(いちだんし)」すなわち指を一度弾くと65刹那とも言われる。
無限大と言える過去に「錠光如来」が出現し、その後も如来が現れ53番目に「世自在王如来」が現れる、「宝蔵菩薩」は世自在王如来の弟子で師から210億の佛の世界を示され五劫の間思惟した後に極楽浄土を完成して阿弥陀如来となった、インド仏教世界には「一大劫」と呼ばれる思想があり成住壊空すなわち成(世界の創造)、住(維持)、壊(破壊)空(無)を反復すると言う、因みにヒンズー教に於いては一劫を43億2千万年とされている。

四劫(一大劫)とは世界が成立から消滅までの間を四分割したもの、し1、成劫 世界が成立生物などが出現するまで、 2、住劫 世界が存続し人間が住んでいる、 3、壊劫(えこう) 世界が崩壊する、 4、空劫(くうこう) 崩壊して空無の状態、四劫の総ての合計を一大劫と言う、四劫は其々二十劫の期間がある、四劫で八十劫になり、これを一大劫と言い永遠に繰り返すと言う。

海に於いて最初の生物が誕生したのが、35億年前、生物が陸に上陸して5億年、針葉樹林の発生は2.5億年、広葉樹林は1.5億年前との説が言われている。

ヒンズー教の場合216千万年毎に破壊され、梵天により創造を繰り替えされている、因みに梵天の一日は娑婆に於いては216千万年と言われている。


14阿弥陀如来の九品印とは上品上生~中品中生~下品下生までの九の上中下、品、生、の印を言う、経典や儀毅に記述は見られないが生前に積んだ功徳の相違から決められるとされる。

15
三千大千世界 大辞泉に依れば、仏教の世界観による広大無辺の世界。
須弥山(しゅみせん)を中心に日・月・四大州(四ヶ所の大陸)・六欲天・梵天などを含む世界を一世界として、これが千集まったものを小千世界、それが千集まったものを中千世界、さらにそれが千集まったものを大千世界といい、これらを総括して三千世界という。 

16、村上専精(せんしょう) (18511929年) 仏教史学者、近代仏教学の草分け的存在で東京帝国大学インド哲学の初代教授、「仏教統一論」を著し富永仲基(1715年~1746年)の大乗秘仏説を事実上肯定し真宗大谷派の僧籍を剥奪された、その他の著作に「大乗仏説論批判」「仏教三大宗摘要」「日本佛教一貫論」「日本仏教史綱」等々。

17、輪宝 全ての悪敵を葬る武器で古代インドに於ける飛翔武器で土着信仰から生まれた転輪聖王を象徴化された八角等の金輪で密教では灌頂等
にも使用される。


18、四無畏   如来・菩薩が説法で「造一阿含経」「倶舎論」に説かれるが、法華経、方便品、比喩品に説かれている、法を説く際に抱かれる不安に躊躇する事なく四種の揺るぎない自信を言う。 如来の場合は、一切智無畏・漏永尽無畏(ろえいじんむい)説障道無畏(せっしょうほうむい)説尽苦道無畏(せつしゅつどうむい)  菩薩の場合は、能持(のうじ)無畏・知根無畏・決疑無畏・答報無畏

大日如来と阿弥陀如来を除く、如来の印相は右手、施無畏(不安除去)、左手、与願(願いを叶える)印が多い


2005226日調整  42671日。106日。1127 転輪聖王 2007327日仏像の種類序文 725日注7 200847日 66日大安寺馬頭観音 2008710日偶像崇拝の一部 2008年9月1日 劫の一部 他土仏2009年12月31日 古仏の時の経過 2010727日 注14他 1019日造像の起源  201143日大佛 10月26日法華経の影響など2012年2月写真掲載 2012年4月2日仏身論加筆 2013年1月20日吾妻鏡 5月10日 国宝写真二枚 9月1日 2015年1月11日大悲闡提 7月6日傘蓋、欄楯10月10日  2016年1月15日 5月1日 切紙相承2016年5月28日 6月7日 12月3日 2017年1月19日 3月19日補筆    

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