不動明王は我が国では観音菩薩・地蔵菩薩と共に人気の高さに於いて衆生の間では三大中心尊の一尊である、三尊の共通項は現世利益、生活密着型の尊格である、後述するが acalanātha
と言う梵語はあるが、不動信仰は日本国内に限定された信仰の様でインドや中国に於いて不動信仰は特に観られない、因みにチベットではターラナータ(Tāranātha 1573―1615年頃)と言う、インドへ留学したチベットの僧が「印度佛教史」を著し不動明王に関する記述を残している。
不動尊を招来したのは空海が嚆矢の様で大日如来の代行を務める密教尊の典型であるが真言宗は無論の事、天台宗、禅宗系、日蓮宗等々にも信仰は篤い、浄土宗系(浄土真宗)を除けば、不動明王は宗派の枠を超え日本人の文化的遺伝子の中に浸透している、不動とは本来は釈尊がブッダガヤーに於いて成道に入る時の瞑想中に煩悩を振り払う不動の心から採られている。
不動の尊名を経典から見ると *「不空
大日如来 の不動如来使者(不空訳 大日経)、不動使者(菩提流支訳 不空羂索神変真言経)との位置ずけされる事もあり不動尊は密教に於ける必須の尊格である、護摩修法の本尊に祀られることが多く、修験道の
仏教美術面では不動明王の呼称は正しいが、信仰面に於いては不動尊と呼称すべきであると、密教学の
大日経疏に於いて「既に成仏しているが
すなわち不動明王は
Aが否定詞でありcalaは動きを言うが、英語のuniuckyと同意と言われている、またナータ(nātha)は尊者を意味する、またAcalaには山・岩との意味合いを持つと下泉全暁氏(不動明王・春秋社)は言う、不動明王を説いた経典、「底哩三昧耶不動尊聖者念誦秘密法」(ちりさんまやふどうそんじょうじゃねんじゅひみつほう・不空訳)には不動とは菩提心の大寂定の義なり、と記述される、即ち菩提心が定まり揺らぐことは無いとされる、祈念方法の記述もある、また大日如来の命令で大自在天を調伏する説話もある、また同経には「不動とはこれ菩提心の大寂定の義なり」(菩提心が定まり揺らがない)と記述されている。不動明王の呼称に付いて梵語からチベット語を経由して漢訳された名称との記述が「密教経典・他中村始・東京書籍)」に著されている。
不動は空海が明王を呼称せず「不動尊」と呼び己の護身仏として崇めていた、インドに於いてはヴェーダ聖典に不動に関する記述は無い、不動は土着信仰の一地方以外は殆ど存在せず明王に相当する梵語もない、経典の漢訳とされる典籍は菩提流支(709年)の「不空羂索神変真言経・観音曼荼羅」で阿遮羅嚢他と訳され・無動尊・不動金剛明王・不動尊・不動使者・不動如来使などとも訳され文字通り動かないと言う意味である、”不動とはこれ菩提心の大寂定の義なり”である。
善無畏は大日経疏(息障品)に於いて大日如来の秘密を伝える「教令使」即ち使者(救済の実行者)としている、そして姿形を明確に示した、また不動とは「静寂の義なり」とも言われる、因みにアチャラナータ(acalanātha)系の他は「強烈に怒れる尊」(チャンダマハーローシャナ・caṇḍa mahāroṣaṇa)と言われる、これは大声を発する真言・陀羅尼に影響を与えている様だ、また梵語のアチャラナータとは「山岳の王」「山の守護神」の意味を持つと宮家準氏は言う(不動信仰事典戒光祥出版)、ナータ系の漢訳に「暴悪憤怒尊」もある。
不動信仰の
インド土着信仰の最高神であるアチャラはシバ神(Śiva)
不動明王の関連を説く経典は「不動使者陀羅尼法・金剛智訳」「大毘盧遮那成仏神変加持経(大日経)」を含めて佐和隆研氏は九種類あると言われる、即ち佛教系の不動使者としての像と雑密及びヒンズー系と二系統が存在したとされるがランダムに挙げてみた。
所謂不動明王に関する関連典籍に「金剛手光明灌頂経最勝立印聖無動尊大威怒王念誦儀軌法品・不空訳」「勝軍不動明王四十八使者秘密儀軌・不空遍智訳」「底哩三昧耶経・不空遍智訳」不動尊聖者念誦秘密法「佛説聖不動経」「稽首聖無動尊祕密陀羅尼経 」「不動使者陀羅尼秘密法・金剛智訳」 「聖無動尊安鎮家国等法・(不空遍智訳)」 「倶梨迦羅竜王儀軌・金剛智訳」等があるが概ね大日経を踏襲していると言われる。
修験者と不動明王の関連は緊密で修験者の布教により不動信仰の興隆は否定出来ない、修験者に重用される経典は日本で作られたとされる「
不動尊を日本に於いて初めて招来したのは空海である、空海の密教興隆に於ける戦略尊と思惟され自身も護身仏として信仰していた、空海は「大日経要文記」を著わし清浄菩提の心なりと強調している。
不動明王の源流を敢てさぐれば、正木晃氏に依れば中国に於いて7世紀前半まで存在していた大日経からの「不動如来使」、さらに不空羂索神変真言経の「不動使者」ではないかと思惟されると言う、しかし十三世紀インド佛教最後の拠点でイスラムに破戒されたヴィクラマシーラ(Vikramaśīla)寺院の歴史書には不動明王の記述が二箇所見られる。(下泉全暁・春秋社)
しかし日本では
姿形としては大日経疏に依れば角材を不規則に組んだ瑟瑟座(しつしつざ)と言う盤石な岩の上で、右手に智剣(降魔の利剣とも言う)すなわち大慧刀、左手には羅索を持ち頭髪は左に下げ下歯で右の唇を噛み憤怒相をしている、また眼線は「天地眼」と言い右目は天空を睨み左目は下部を視るか半眼若しくは閉じられている、要するに剣は不動尊の智慧のシンボル(symboi)であり
詳細に観れば火焔光背を背負い肥満体で一面二臂にして頭髪は
観音菩薩・地蔵菩薩と共に庶民信仰のベスト3入る不動明王であるが他国ではあまり見る事が出来ない、日本密教特有の戦略尊である不動尊の人気は如来から天部まで多数あるが最大級の位置を占めている、観音菩薩と共に現世利益を授かる双璧である、不動信仰は大衆に多くの信仰を集めた寺院は多くあり、川崎大師(金剛山 金乗院平間寺) ・成田山新勝寺 ・目黒不動(泰叡山 瀧泉寺) ・大阪市中央区難波にある天龍山法善寺の本尊は阿弥陀如来であるが、水掛不動尊(西向不動尊)等、身代わり不動等が著名である。
不動尊霊場は全国に結成されているが何れも新しく、歴史に留められる霊場は五色不動尊すなわち「東都五眼」程度である、不動信仰は・真言・天台に信仰されたのみでなく修験道にも浸透し普遍化した、さらに江戸時代に成ると江戸城を守護する為に五色不動が配置された、即ち・目青*教学院(東京都世田谷区太子堂)平井の目黄と同じ最勝寺
江戸時代初期に江戸城守護を目的として南光坊天海(1536年~1643年11月13日)が青赤黄白黒の五色不動を江戸に置いた事にも依る、その他「北関東」・「東海」・「東北」、等に不動尊の三十六童子に因んだ三十六不動尊霊場がある、因みに関東地方に於ける不動信仰は平将門の乱に於いて神護寺から降伏に赴いて、そのまま新勝寺に留まり現在に於いてもレンタルが継続している事から関東地歩の庶民に広く浸透した、因みに成田山から神護寺に支払われる不動尊の年間賃料は近年百円から一万円に値上りしたと言う。
他方天台宗に於いても円仁が千日回峰行に不動明王を取り入れた、また黄不動像に儀軌から少し変化を持たせた円珍の不動信仰は篤く、比叡山を「一大円教」(注6参照)思想に導いた、また安然も不動明王の十九の観想法を示す「立印儀軌修行次第胎蔵行法」を著す等不動信仰の隆盛に貢献した。
他方天台宗に於いても円仁が千日回峰行に不動明王を取り入れた、また黄不動像に儀軌から少し変化を持たせた円珍の不動信仰は篤く、比叡山を「一大円教」(注6参照)思想に導いた、また安然も不動明王の十九の観想法を示す「立印儀軌修行次第胎蔵行法」を著す等不動信仰の隆盛に貢献した。
空海撰「唅十九種相観想略頌文」や安然の「不動明王立印儀軌修行次第胎蔵行法」に著される不動明王の十九の観想法をランダムに抜粋すれば「大日如来の化身」「真言中に4文字、阿、路、唅、まん」「卑しく肥満体」「左肩に弁髪を垂らす」「頭頂に七沙髻」「左眼を閉じる」「右臂に剣を持つ」「左臂に羂索を持つ」「迦楼羅炎光背」「二童子を従える」「額に水波の皺」「下歯で右上唇を咬み左下唇を外へ」「口を固く閉じる」「迦楼羅炎光背」などがある。
また絵画にも多くの秀作が残されており・黄不動(園城寺、他) ・青不動(青蓮院、他) ・赤不動(高野山明王院、他)・波切不動(高野山南院) ・倶梨伽羅龍と言う蛇が剣に巻きついた倶梨伽羅不動など多くのバリエーションがある、チベット密教の世界では黒不動や白不動が存在しており三眼を飛び出さんばかりに見開き左膝を落とし、右手で剱を振り上げている。
不動明王は独尊のみならず、五大明王の中尊として制作され、教王護国寺・講堂の像が最も古く、真言密教系寺院のスタンダードとなる、また大日如来の脇侍となる事がある、この場合は不動明王が胎蔵界に於ける大日如来の化身に対して、金剛界は降三世明王や愛染明王が化身として著される、因みに五大明王の場合不動明王は坐像が正統とされる、閑話休題不動明王を八大明王の一尊とした場合除障害菩薩の化身としての記述も見かける。
インドでは八世紀前後の戦国時代にヒンズュー経のシヴァ派が王達に戦勝を祈願する儀礼等を行い興隆する、対抗上密教では五大明王達にシバ神や妃のウマを足で踏みつけた像で対抗した。
姿形的には明王の中で一面二臂は不動明王のみである、大日経疏には姿形は卑しく肥満等信仰の対象とは凡そ無縁な記述があり、インド・ドラビダ人の奴隷がモデルとされており下層民特有の姿である、顔は憤怒相・左肩に弁髪を垂れ・右手に宝剣・左手に羂索・ゾロアスター教(注8)の影響を残した火炎光背を背負う、修験道からは山岳神の伝承もあり岩座か瑟瑟座が多い、光背の火炎は迦楼羅焔とも言われ毒蛇を食す想像上の怪鳥と言われる。
不動尊の変化神とされる尊格に倶利迦羅不動があり倶利迦羅竜王が不動の利剣に巻付いた像で独尊形や不動三尊がある、不動三尊とは不動明王の脇侍として左側に矜羯羅童子(キンカラ・Kiṃkara)、右側に制吒迦童子(チェータカ・Ceṭaka)の配置を言う
「勝無動尊一字出生八大童子秘要法品」別名「不動八大童子儀軌」などに依れば、眷属には八大童子、三十六童子などが知られるが勝無動尊秘密陀羅尼経「勝軍四十八使者軌」「勝軍不動秘密儀軌」「勝軍儀軌」等に依れば倶利迦羅竜王など四十八使者が信者や修行者を保護している。
不動明王は密教の象徴的存在でもあり胎蔵界曼荼羅・持明院に般若菩薩を中尊として降三世明王・勝三世明王・大威徳明王と共にあり、東寺に於ける羯磨曼荼羅では明王部(五大明王)の中尊である。本来の利益は降魔(悪魔を屈服)にあるが旅・交通安全の守護神になっているのは空海が唐から留学の帰路嵐に巻き込まれた時に波切不動に助けられた伝説によるものと言えよう。
密教に於いては、「伝法阿闍梨位灌頂」を受けるためには四度加行がある(注11)、最後四番目の行として不動護摩法が行われ護摩法の本尊である、不動尊は真言僧として一人前の阿闍梨となる為の必須行である四度加行に於ける最後の行すなわち不動護摩(注14)に於いての本尊である、四度加行とは 1、十八道念誦次第 2、金剛界念誦次第 3、胎蔵念誦次第 4、不動護摩の四の行を言う、変わった像に「走り不動」がある、弘安の役に剣を担ぎ二童子を従えて蒙古撃墜を祈願した像である。
因みに真言であるが不動尊の真言が最も人気があり多くに知られている、「ナウマク サンマンダ バサラナン センダ マカロシャナ ソワタヤ ウンタラタ カンマン」 即ち「帰依します 普く全ての金剛へ 暴悪で怒れる者よ 破壊せよ」。
大悲胎蔵生曼荼羅や羯磨曼荼羅の他にも普遍性に乏しいが別尊曼荼羅には仁王経曼荼羅・安鎭曼荼羅・十二天曼荼羅などに中尊として画かれている。
日本では大変な信仰を集めている明王はインドに於いては明王という名称も定かでなく作例も不動明王・降三世明王・大威徳明王が数例存在するのみで軍荼利明王・金剛夜叉明王の二尊は作例も無い、中国に於いては唐時代の寺院跡から、アチャラ系坐像の発掘例がある。
不動尊のセット化は著しく・江戸五色不動 ・三色不動(園城寺(黄)、青蓮院(青)、明王院(赤)) ・津軽三不動(長谷沢神社、中野神社、国上寺)
不動明王の業を納め修験道で秋葉山の火伏神に祀られた(浜松市天竜区春野町)秋葉権現が著名である、正式名称を”秋葉三尺坊大権現”と言い火災避けの神としての信仰は篤い。
諸経の王とまで言われる法華経には膨大な数の如来、菩薩達が登場するが地蔵菩薩の名前は無いと東京工業大学名誉教授・橋爪大三郎氏は言う。
他方天台宗に於いても黄不動像に儀軌から少し変化を持たせた円珍の不動信仰は篤く、比叡山を「一大円教」(注6参照)思想に導いた、また安然も前述の不動明王の十九の観想法を示す「立印儀軌修行次第」を著す等不動信仰の隆盛に貢献した。
また絵画にも多くの秀作が残されており・黄不動(園城寺、他) ・青不動(青蓮院、他) ・赤不動(高野山明王院、他)・波切不動(高野山南院) ・蛇が剣に巻きついた倶梨伽羅不動など多くのバリエーションがある。
不動明王は独尊のみならず、五大明王の中尊として制作され、教王護国寺・講堂の像が最も古く、真言密教系寺院のスタンダードとなる、また大日如来の脇侍となる事がある、この場合は不動明王が胎蔵界に於ける大日如来の化身に対して、金剛界は降三世明王や愛染明王が化身として著される。
姿形的には明王の中で一面二臂は不動明王のみである、また不動明王には一面四臂像もある、大日経疏には姿形は卑しく肥満等信仰の対象とは凡そ無縁な記述があり、インド・ドラビダ人の奴隷がモデルとされており下層民特有の姿である、顔は憤怒相・左肩に弁髪を垂らした辮髪か
不動明王は密教の象徴的存在でもあり胎蔵界曼荼羅・持明院に般若菩薩を中尊として降三世明王・勝三世明王・大威徳明王と共にあり、東寺に於ける羯磨曼荼羅では明王部(五大明王)の中尊である。本来の利益は降魔(悪魔を屈服)にあるが旅・交通安全の守護神になっているのは空海が唐から留学の帰路嵐に巻き込まれた時に波切不動に助けられた伝説によるものと言えよう、閑話休題、不動明王には妃が居たようで金剛界曼荼羅の降三世会の左の最下部に不動明王妃が描かれている、因みに軍荼利明王妃、大威徳明王妃、降三世明王妃も描かれている。
胎蔵生曼荼羅や羯磨曼荼羅の他にも普遍性に乏しいが別尊曼荼羅・仁王経曼荼羅・尊勝曼荼羅などに画かれている。
日本では大変な信仰を集めている明王はインドに於いては明王という名称も定かでなく作例も不動明王・降三世明王・大威徳明王が数例存在するのみで軍荼利明王・金剛夜叉明王の二尊は作例も無い。
近年不動明王を巡拝する霊場は雨後の筍の如く作られている、*近畿三十六不動尊霊場を筆頭に*北海道、*東北、関東、*北関東、*東海、*北陸、*四国 *九州、に三十六不動尊霊場が作られた、何れも三十六ヶ寺で構成されている、これは不動尊の眷属に於ける三十六童子から命名されている、また鹿苑寺(金閣寺)不動堂に「石不動尊」が奉られている、開帳は「五山送り火」の8月16日と「節分」の2月3日の年二回である。
鳥羽天皇勅命の祈願道場とされる波切不動を本尊とする「大聖院」(広島県廿日市市宮島)に「千体不動」と呼ばれる不動明王群が安置されている、秀吉が朝鮮出兵の折に戦勝祈願した寺で本尊は秀吉の奉納とされている。
不動尊には眷族も多く「聖無動尊大威怒王秘密陀羅尼経」や、それを要訳した「聖不動経」更に「勝軍不動明王四十八使者秘密成就儀軌」「聖無動尊一字八大童子秘要法品」等による八大童子や三十六童子(注3)及び三尊(脇侍に矜羯羅童子・制吒(多)迦童子)形式に造像され、滋賀県、奈良県を中心に多数現存する、また前記経典には「我が身を見る者は菩提心を発し、我が名を聞く者は惑を断ちて善を修し、我が説くところを聴く者は大智慧を得、我が心を知る者は即身成仏す」と説かれている。
後白河法皇が編纂した「梁塵秘抄」に不動明王が詠まれている。 「不動明王恐ろしや 怒れる姿に剣を持ち 索を下げ 後ろに火焔燃え上がるとかやな 前には悪魔寄せじとて 降魔の相」。 「般若経をば船として 法華経八巻を帆に上げて 軸をばほばしらに や 夜叉不動尊かぢ取らせ 迎えたまへや罪人を」、不動尊信仰に篤かった主な著名人を挙げると・平清盛・文覚・弁慶・足利尊氏、等々がいた。
江戸時代に制度化された十三仏(注16)に不動明王は「初七日」の本尊とされている、本尊の内訳は如来五尊、菩薩七尊に明王一尊、それが不動尊である。
また絵画の於いても不動明王関係の作品は優れた物が多い。
○園城寺の不動明王像 黄不動 絹本著色 掛幅装 178,2×72,1cm 平安時代 装身具・頭髪・牙などに円珍の独創
○青蓮院の不動明王二童子像 絹本著色 掛幅装 青不動 203,3×148,5cm 平安時代
●明王院(高野山)不動明王二童子像 絹本著色 赤不動
●清浄華院 泣不動縁起絵巻
○●印で日本の三不動とされている。
○曼殊院の不動明王像 絹本著色 掛幅装 168,2×80,3cm 平安時代
3点の国宝を含む36点の指定文化財がある。
○醍醐寺 五大尊像
○東 寺 五大尊像
真言 不動明王の「不動明王立印軌」真言には・慈救呪・一字呪・火界呪の三種の真言(呪)がある。
*「
*「
*「
ナウマク(帰依)、サンマンタ(総て)、バサラダン(金剛部の尊格)、センダマカロシャナ(不動明王の別名)、ソワタヤ(撃破せよ)、ウン(感情)、タラタ カンマン(不動明王の心の中)。
主な不動明王(五大明王含む) 表内は国宝 ●印国指定重文)
寺 名 |
仕 様 |
時 代 |
東 寺(五大明王)講堂 |
木造(草槙)彩色(日本最古の密教像)100,9:201,5cm |
平安時代 |
東 寺 (御影堂) |
坐像 木造彩色 123,0cm |
平安時代 |
金剛峯寺(八大童子) |
立像 木造彩色 玉眼 95,1×103,0 cm |
鎌倉時代 |
願成就院 |
木造玉眼 136.8㎝ 矜羯羅童子77.9㎝(左側)、制吒迦童子81.8㎝ 運慶作 |
鎌倉時代 |
金剛寺 (大阪府河内長野市) | 坐像 木造彩色 行快作? 258,0cm 大日如来の脇侍 313,5cm | 南北朝時代 |
*金剛峯寺―八大童子の内六尊(不動明王の眷属として当欄と八大童子欄に記載) *静岡県伊豆の国市寺家83-1 |
●新勝寺(成田山) 木造彩色 玉眼 三尊(二童子立像) 不動 132.7 矜羯羅童子 116,5cm 制吒迦童子 61,8cm 鎌倉時代 (千葉県成田市成田1-1)
●飯尾寺 坐像 木造彩色 玉眼 83.3cm 鎌倉時代 (千葉県長柄郡山根821)
●楞厳寺 立像 木造漆箔 玉眼 102.2cm 鎌倉時代 (茨城県笠間市片庭) 宋様
●金剛峯寺(護摩堂)坐像 木造彩色 玉眼玉歯 86,5cm 鎌倉時代
●金剛峯寺 立像 木造彩色 87,0cm 平安時代
●浄楽寺(横須賀市芦名2433) 木造彩色 135.5㎝ 鎌倉時代 運慶一門作
●極楽寺 (鎌倉市極楽寺3-6-7)木造 玉眼 91.5㎝ 鎌倉時代
●八剱神社 木造彩色 95.1㎝ 藤原時代 (平塚市下吉沢12) 神奈川県平塚市浅間町9番1号
●法隆寺 護摩堂 三尊(二童子立像) 木造彩色 藤原時代
●法隆寺 木造彩色 不動93,0cm 平安時代 制吒迦童子 ・矜羯羅童子 44,0cm 南北朝時代
●東大寺 三尊(二童子立像) 木造彩色 玉眼 不動 86,5cm 制吒迦童子 88,7cm 矜羯羅童子 78,0cm 南北朝時代
●新薬師寺 三尊(二童子立像) 木造彩色 不動 156,1cm 制吒迦童子 84,2cm 矜羯羅童子 84,2cm 藤原時代
●唐招提寺 木造彩色 玉眼 61,7cm 江戸時代
●長谷寺 坐像 木造 75,2cm 藤原時代
●玄賓庵(三輪)坐像 木造彩色 94,2cm 平安時代
●十輪院(奈良) 木造 不動 98,0cm 制吒迦童子 46,0cm 矜羯羅童子 43,5cm 平安時代
●親王院(和歌山県高野町)坐像 木造素地 89,5cm 平安時代
●聖護院 立像 木造彩色 二体
●同聚院 坐像 木造 彩色 265,1cm 藤原時代 旧法性寺五大堂本尊 文化財指定の内最大の不動像で定朝の父康尚の現存する作品の可能性。
●遍照寺 坐像 木造彩色 72,0cm 平安時代 康尚の現存する作品の可能性。
●醍醐寺 坐像 木造彩色 玉眼 快慶作 59,4cm 鎌倉時代
●醍醐寺 坐像 木造 古色 88,3cm 平安時代
●大覚寺(五大明王)木造彩色 50,9cm 鎌倉時代
●三千院 立像 88,8cm 鎌倉時代
●三千院 立像 木造 平安時代 円珍感得の伝承を持ち元往生極楽院の尊像で黄不動の彫刻像 2008年指定
●高山寺 坐像 木造古色 82,7cm 室町時代
●大徳寺 坐像 木造彩色 275,0cm 平安時代
●広隆寺 木造彩色 74,4cm 平安時代
●浄瑠璃寺 三尊(二童子立像) 木造彩色 玉眼 不動 99,5cm 制吒迦 52,3cm 矜羯羅 50,7cm 鎌倉時代
●聖護院 立像 木造彩色 114,0cm・115,7cm 藤原時代(二尊)
●金閣寺(鹿苑寺) 立像 木造 (不動堂・秘仏)
●円鏡寺(岐阜) 立像 木造彩色 182,7cm 平安時代 (岐阜県本巣郡北方町大字大門1345)
●峰定寺 (二童子立像) 立像 木造彩色 25,8-52,7cm 藤原時代 (京都市左京区花背原地町
●延暦寺 立像 木造 古色 51,5cm 鎌倉時代
●延暦寺(滋賀) 木造彩色 玉眼 不動 36,7cm 制吒迦 61,4cm 矜羯羅 39,7cm 鎌倉時代 無動寺明王堂 (秘仏) 脇侍左右逆配置
●延暦寺 絹本着色 131,5cm×91,5cm 鎌倉時代 不動明王三童子五使者像
●園城寺(黄不動)立像 木造彩色 玉眼 162.4cm 鎌倉時代
●園城寺 立像 木造彩色 39.1cm 鎌倉時代
●園城寺 絹本着色 134,5cm×124,5cm 鎌倉時代 不動明王八大童子像
●石山寺 坐像 木造彩色 86,7cm 藤原時代
●西明寺(滋賀) 木造 古色 不動 85,7cm 制吒迦 84,6cm 矜羯羅 88,0cm 平安時代
●正法寺 木造彩色(二童子立像) 不動97.6cm 制吒迦 64.4cm 矜羯羅 63.4cm 鎌倉時代 (大津市石山内畑町)
●玉蓮院 木造彩色(二童子立像) 不動50.9cm 制吒迦 24.8cm 矜羯羅 24.5cm 鎌倉時代 (大津市坂本町1713)
●大林院 木造古色 51.5cm 鎌倉時代 (大津市坂本町2180)
●橋寺方生院 (京都) 立像 木造古色 平安時代 (宇治市宇治東内)
●神咒寺(兵庫) 木造彩色 88,4cm 平安時代
●圓昭寺 木造 立像 156,7cm 藤原時代
●金剛寺(東京) 木造 不動 282,5cm 制吒迦 230,0cm 矜羯羅 191,0cm 平安時代
●大山寺(神奈川) 三尊(二童子立像) 鉄造 玉眼 不動 97,9cm 制吒迦 95,4cm 矜羯羅 96,1cm 鎌倉時代
●極楽寺(神奈川) 木造 91,5cm 鎌倉時代 (神奈川県鎌倉市極楽寺三丁目6-7)
●大林院(滋賀) 絹本着色 126,4cm×83,0cm 鎌倉時代 不動明王二大童子像
●恵光院(滋賀) 絹本着色 155,8cm×124,8cm 鎌倉時代 不動明王二大童子像
●放光寺(山梨) 木造彩色 146,3cm 藤原時代 (山梨県塩山市藤木)
●法楽寺 絹本著色 119.8㎝×778.4㎝ 鎌倉時代 (大阪市東住吉区山坂)
●
●真木大堂 三尊 木造彩色 不動 2550㎝ 脇侍 128.0㎝ 平安時代 (大分県豊後高田市田染真木1796)
●甚目寺(観音) 絹本著色 157.3㎝×86.1㎝ 鎌倉時代 東博寄託 (愛知県あま市甚目寺町東門前24)
●松岩寺 木造彩色 95.1cm 平安時代 八剣神社所持 (平塚市下吉沢614)
●世田谷山観音寺 木造彩色切金文様 玉眼 中尊109.4cm 童子28.5cm~58.8cm 鎌倉時代 不動明王八大童子像 (東京都世田谷区下馬町3-25)
●勇
● 高幡山明王院 金剛寺 不動明王 坐像 ≒300㎝ 矜羯羅童子 立像≒200㎝ 制吒迦童子 立像≒200㎝ 平安時代 関東三大不動尊 (東京都日野市高幡733)
●
●東京国立博物館 木造彩色 檜一木割矧ぎ造 165.2㎝ 平安時代
●
●弘憲寺 木造 彩色 110.6㎝ 藤原時代 (香川県高松市錦町3丁目)
●正覚院 木造 古色 98.7㎝ 鎌倉時代 (香川県丸亀市本島町泊842)
●金林寺 木造彩色 100.6㎝ 鎌倉時代 (高知県安芸郡馬路村大字馬路4281番地)
●長楽寺 三尊 木造彩色 132,3㎝ 毘沙門天
171.4㎝ 不動明王 169.9㎝ (鳥取県日野郡日野町下榎875)
●新勝寺 不動132.7cm 矜羯羅童子立像116.5cm 制吒迦童子61.4cm (千葉県成田市成田1-1)
●結縁寺 銅像 47.0cm 鎌倉時代 (千葉県印旛郡印西町大字結縁寺516)
*関東三大不動尊 成田山新勝寺 *不動ヶ岡不動尊 総願寺 〒347-0054 (埼玉県加須市不動岡2-9-18)
五大明王
真言系では「仁王経五方諸尊図」を典拠としており上記の不動明王・降三世明王・軍荼利明王・大威徳明王・金剛夜叉明王の五尊を言い水牛に乗る大威徳明王以外は立像である、空海が大極殿に真言院を創設して五大明王の檀を築き後七日御修法の施行に成功し、天皇及び御衣に聖水を注ぐ最大級の修法にした事により平安時代以後には多大な信仰を集めた、後七日御修法は明治維新まで宮中で行われ、現在は東寺で行われている、また天台系では円珍が請来した「五菩薩五憤怒像」が使われ金剛夜叉明王に代わり鳥枢渋摩明王があてられ坐像である、五大明王全尊揃っている寺は東寺 ・大覚寺 ・醍醐寺 ・不退寺 ・宝山寺(奈良) ・定福寺(三重) ・瑞巌寺(宮城県松島)の七寺である。
国宝の絵画に於いては東寺・醍醐寺 ・高野山(有志八幡講十八箇院) ・水無瀬神社(大阪)に存在し、重要文化財も数点存在する、また軍荼利明王は真言系では右手に金剛鈎を持ち天台系は羂索を持つ、また大威徳明王に於いては画かれる位置が真言系は画面側から右上、天台系は左下に画かれている。
新しく絵画で岐阜県大野町の来振寺で(絹本著色 不動 降三世 軍荼利 大威徳 鳥枢沙摩 五幅各140×88cm 平安時代)が2004年6月に国宝指定を受けた、真言宗の古刹に天台系の鳥枢沙摩明王の作品が存在する事は興味をそそる。
円珍様の五大明王で日光・輪王寺の場合は不動明王を欠いている、また京都・法性寺(現在は東福寺の塔頭、同聚院所蔵)の場合は不動明王だけが残っている。
五大明王の特徴の一つとして空海が恵果から示されたとされる秘蔵記に”五憤怒”の項目があり金剛界五如来の憤怒身とされている、因みに五如来を自性輪身、
五菩薩を正法輪身、 五大明王を教令輪身と呼ばれる様にある。
寺 名 |
不動明王 |
備 考 |
||||
● 常福寺(三重) |
172,7cm |
178,8cm |
172,7cm |
150,6cm |
177,7cm |
木造彩色 平安時代 |
● 瑞巌寺 |
64,1cm |
92,1cm |
89,7cm |
67,7cm |
91,1cm |
同上 |
● 醍醐寺 |
86,3cm |
122,3cm |
125,8cm |
80,3cm |
116,7cm |
同上 |
○ 教王護国寺 |
173,3cm |
173,6cm |
201,5cm |
100,9cm |
171,8cm |
同上 明円作 |
● 大覚寺 |
50,9cm |
67,5cm |
69,3cm |
58,1cm |
69,6cm |
同上 |
● 不退寺 |
85,7cm |
154,7cm |
157,0cm |
99,0cm |
150,5cm |
同上 |
● 宝山寺(奈良) |
17、1cm |
18,7cm |
17,5cm |
11,5cm |
18,1cm |
江戸時代 厨子入 |
常福寺は寺院に拠るサイトです。
●延暦寺無寺明王堂 木造 彩色 玉眼 不動67.9cm 制吒迦 36.7cm 矜羯羅 39.7cm 降三世 80.9cm 軍荼利 82.4cm 大威徳47.0cm 金剛夜叉 86.4cm
絵画(五大尊像)
○来振寺 |
絹本著色 掛幅装 不動 降三世 軍荼利 大威徳 鳥枢沙摩 五幅 140,0cm×88、0cm |
平安時代 |
○東 寺 |
絹本著色 掛幅装 不動 降三世 軍荼利 大威徳 金剛夜叉 五幅 153,0cm×128,8cm |
平安時代 |
○醍醐寺 |
絹本著色 掛幅装 不動 降三世 軍荼利 大威徳 金剛夜叉 五幅 193,9cm×126,2cm |
鎌倉時代 |
常福寺は寺院公式サイト (五大明王各編で重複させてあります
来振寺 国宝・不動明王 (岐阜)
注1、日本三不動 青蓮院の青不動・高野山の赤不動・三井寺の黄不動を言い参考に曼殊院・黄不動[国宝]を挙げた、密教の諸尊は5色の色で現される事があり不動明王も青・黄・赤・目黒・目白 がある、五智如来の場合は大日如来--白 ・阿閦如来--青 ・宝生如来--黄 ・阿弥陀如来--赤 ・不空成就如来--黒が使用されている。
注2、不動明王は五智の内に於いて法界体性智の部門で三輪身の経令輪身の化身を務める、三輪身は「摂無礙経」を源流とした哲学で、日本密教特有の教義で不動明王が属する教令輪身の教義が顕著と言える、 三輪身とは自性輪身(如来) 正法輪身(菩薩) 教令輪身(明王)を言い、大日如来-自性輪身 ・金剛波羅蜜菩薩ー正法輪身・不動明王ー教令輪身の姿で現される。
*三輪身に異説がある、春秋社、不動明王、下泉全暁著、に依れば真言宗の要点記とも言える「秘蔵記」に記述される事項に「三輪身」がある、三輪身とは、密教に於いて・如来(自性)・菩薩(正法)・明王(教令)の三種類の仏身観として分類したものである。
注3, 八大童子 矜羯羅童子 ・制吒迦童子 ・慧光童子 ・慧喜童子 ・阿耨達童子 ・持徳童子 ・鳥倶婆伽童子 ・清浄比丘童子を言う。
作例が多いのは「聖不動経」による三十六童子である、尊名を挙げると、無垢光童子、智慧幢童子、因陀羅童子、計子儞童子、伊醯羅童子、質多羅童子、召請光童子、獅子光童子、獅子慧童子、阿婆羅底童子、大光明童子、小光明童子、持堅婆童子、利車毘童子、金剛護童子、虚空護童子、法狭護童子、虚空蔵童子、宝蔵護童子、吉祥妙童子、普香王童子、妙空蔵童子、羅多羅童子、僧守護童子、善儞師童子、戒光童子、鳥婆童子、波利迦童子である、童子達の特徴は短躯で小太りが覆いのは、ヒンズー教のクマーラ7神(Kumāra)、やクリシュナ(Krishna)の人気が高い事から童子達のイメージを採用したとの説がある。
注4, 瑟瑟座 岩をイメージしているが角材を井桁状に組んだ台座。
注5,
二童子を従えた不動明王像の1997年現在重文指定は22組存在し滋賀県7組、奈良県3組の他大分、佐賀、福岡にも存在する。
注6、一大円教 仏の教義は全てが密教であり、他に教えはなく大日如来一佛のみで諸仏も大日如来そのものと言う五大院・安然の教説でユダヤ教・イスラム・プロテスタントの一神教的な要素が加わる、但し偶像崇拝を容認しており前三教との隔たりは大きい。
注7、「不動明王立印儀軌修行次第」安然(841~901)の著作で不動明王を観想する為の19の特徴を示したもので「身卑しく肥満せり」 「左目一眼を閉じ右目一眼を開く」 「下の歯は上の右唇を喫し下の左唇は外へ翻り出す」 「色は醜青黒」 「奮迅憤怒」等を表したもので真言宗にも影響を与えた。 (武覚超氏、最澄と天台の国宝参照)
注8、ゾロアスター教 BC7世紀頃~BC3世紀頃に現在のイランに於ける東北部で発生しペルシャ文明の根幹を形成した宗教で世界最古に属する宗教と言える、経典は「アヴェスター」であるがペルシャ文明は口伝であり記録を残したのは古代ギリシャ人とされる。
神・アフラ・マズダの名からマズダ教・善教・松教とも言われ当寺のイランを席巻した、一神教信仰の嚆矢とも言える教義を持ち現在の世界三大宗教に儀礼や哲学に多大な影響を与えているが後にイスラム教に席巻された。
善意・良心・道理を重要視した行動を示す、火を象徴として宗教儀礼に用いる事から拝火教とも呼ばれる、ただし祭祀や儀式で火は必ず燈るが礼拝の対象ではない、古代から仏教にも大きな影響を与え阿弥陀信仰や不動明王等の火炎光背や、密教で重要視される護摩の火はゾロアスター教が源流とされる。
中国では松教(けんきょう)と呼ばれた。活動期はBC2000年紀ごろからBC7~6世紀など諸説があるが定かではない。
現在インドボンベイを中心に世界に広がり、定かではないが約17万人の信徒を持つ。
注9、修験道には「聖無動尊大威怒王秘密陀羅尼経」を典拠とした滝行が行われ水中で真言を唱える行がある、修験場の多くに不動明王の石像が安置されている。
注10、伝持八祖 真言宗に於いて八祖には「付法八祖」「伝持八祖」が言われている、「付法八祖」は大日如来・金剛薩凱・龍猛 ・龍智・金剛智・不空・恵果・空海 となるが、「伝持八祖」は実在しない大日如来と金剛薩埵を省き、善無畏・一行を加えている。
注11、四度加行とは阿闍梨位を習得する為の伝法灌頂があり内訳は 1、十八道念誦次第 2、金剛界念誦次第 3、胎蔵界念誦次第 4、不動護摩法の修法を言う、十八道は十八種の真言と印、すなわち印明があるが流派により相違がある、・荘厳行者法 ・普賢行願法 ・結界法 ・荘厳道場法 ・勧請法 ・結護法 ・供養法 ・念誦法 ・後供方便法 等と言われる(日本密教 春秋社参照)を言う。
注12、七莎髻とは
注13、 不動明王は二系統に分かれ、1、「聖無動尊大威怒王」ヒンズー教的(Hinduism)な偉大な魔力を持つ神、 2、仏教的な大日如来の不動使者とに分類される,
但し聖無動尊大威怒王秘密陀羅尼経は普源菩薩が説いた経典とされ大日如来系。
チャンダマハーローシャナ系(Candamaharosana 強く怒れる)とアチャラ ナータ系(Acalanātha 不動)の分類される。
注14、 護摩 ゾロアスター教(Dîn-e Zardošt)が嚆矢であるが、主にバラモンの儀礼でBC2000年頃のヴェーダ聖典を嚆矢とする、護摩はバラモンに引き継がれて供物を火中に投ずる事で発生する香煙が神々に届き願望が成就すると言う、ヴェーダの「火祠の法」から来ている、「焚く」「焼く」を意味し梵語のHoma(ホーマ)の音訳である、煩悩を燃やし滅する行でほぼ密教系が踏襲しており上座部及び通常の大乗部に於いては護摩を焚くことは無い、旧約聖書(出エジプト記29:18)等の生贄を火に捧げる貢物との共通項を指摘する説もある、日本に於いては真言宗、天台宗、修験道で焚かれている。
注15、諸相不備之形に付いて 大日経具縁品にーーーー此下位依涅哩底方。畫不動明王。如來使者。作童子形。右持大慧刀印。左持羂索。頂有莎髻。屈髮垂在左肩。細閉左目。以下齒嚙右邊上脣。其左邊下脣。稍翻外出。額有雛文。猶如水波狀。坐於石上。其身卑而充滿肥盛。作奮怒之勢極忿之形。是其密印摽幟相也。此尊於大日花臺。久已成佛。以三昧耶本誓願故。示現初發大心諸相不備之形。為如來僮僕給使執作諸務。所以持利刃以羂索者。承如來忿怒之命。盡欲殺害一切眾生也。羂索是菩提心中四攝方便。以此執繋不降伏者。以利慧刃。斷其業壽無窮之命。令得大空生也。若業壽種除。則戲論語風亦皆息滅。是故緘閉其口。以一目視之意。明如來以等目所觀一切眾生無可宥者。故此尊凡有所為事業。唯為此一事因緣也。鎮其重障盤石。使不復動。成淨菩提心妙高山王。故云安住在盤石也。
注16、十三仏 江戸時代に制度化された
十三仏の尊名を挙げると、*不動明王(初七日
2005年11月29日 注2、6、7、他 2007年3月39日 注8、 2008年12月17日 2009年1月19日修験道の護摩供 2014年10月23日聖不動経、真言関連記述 2015年3月11日 4月12日 2016年1月12日 4月11日 2017年5月16日 7月7日
11月2日 12月8日 2018年1月8日 5月2日 2019年9月29日 2020年3月18日 2021年2月4日 2021年3月5日 4月10日 7月14日 7月22日 2022年4月30日 6月5日 6月8日 10月14日加筆