不動明王

       説明: C:\Users\Owner\katada202\kyoto\button1.gif              仏像案内      寺院案内     明王      

不動明王は我が国では観音菩薩地蔵菩薩と共に人気の高さに於いて衆生の間では三大中心尊の一尊である、三尊の共通項は現世利益、生活密着型の尊格である、後述するが acalanātha と言う梵語はあるが、不動信仰は日本国内に限定された信仰の様でインドや中国に於いて不動信仰は特に観られない、因みにチベットではターラナータTāranātha 1573―1615年頃)と言う、インドへ留学したチベットの僧が「印度佛教史」を著し不動明王に関する記述を残している。   
不動尊を招来したのは空海が嚆矢の様で大日如来の代行を務める密教尊の典型であるが真言宗は無論の事、天台宗禅宗系日蓮宗等々にも信仰は篤い、浄土宗系
浄土真宗を除けば、不動明王は宗派の枠を超え日本人の文化的遺伝子の中に浸透している、不動とは本来は釈尊がブッダガヤーに於いて成道に入る時の瞑想中に煩悩を振り払う不動の心から採られている。
不動の尊名を経典から見ると *「不空羂索神変(けんじゃくじんぺん)真言経」菩提流支訳では不動使者である、*「大日経即ち大毘盧遮那成仏神変加持経(だいびるしゃなじょうぶつじんべんかじきょう)」、善無畏(ぜんむい)一行訳では不動如来使である、経典ではないが *空海は不動尊と呼んでいたとされる(人気の仏達ーーーー、大法輪閣編集部より)
大日如来
の不動如来使者(不空訳 大日経)、不動使者(菩提流支訳 不空羂索神変真言経)との位置ずけされる事もあり不動尊は密教に於ける必須の尊格である、護摩修法の本尊に祀られることが多く、修験道の柴燈護摩(さいとうごま)では護摩の燈火が印象的と言えよう、因みに柴燈護摩とは野外で行う大規模な護摩法要では空海の孫弟子である理源大師聖宝が嚆矢の様で当山流をはじめ各宗派で独自性がある。
仏教美術面では不動明王の呼称は正しいが、信仰面に於いては不動尊と呼称すべきであると、密教学の泰山北斗(たいざんほくと)、略して泰斗(たいと)・頼富本宏氏は言う、但しこのサイトでは主に不動明王で記述する、不動明王が経典に顕れるのは八世紀初頭に北インド出身の菩提流支
bodhiruc訳「不空羅索神変真言経」が嚆矢で剣、羅索を持ち不動使者と記述されている、因みに不動明王の姿形のモデルとなった大日経が著されるのは十五年ほど後である、因みに大日経の記述は「具縁品」「息障品」「真言蔵品」等に弁髪、片目を閉じる、火焔、憤怒身、肥満形、等々が記述されている。 
大日経疏に於いて「既に成仏しているが三昧耶(さまや)
(衆生を悟りへ導く為)の本願ゆえに諸相(しょそう)不備(ふび)(注15な姿で大日如来の僕(権化の姿)、大悲、大定、大智慧を以って(とん)(じん)()を凌駕する。
すなわち不動明王は教令輪身(きょうりょうりんしん)
(三輪身、自性輪身(じしょうりんしん)(如来)、正法(しょうぼう)輪身(菩薩)、教令輪身(明王))となる」の意味合いが記述される、密号を「常住金剛」と言い、不動尊は二系統(注13が言われるが、日本では梵語名
Acalanātha(アチャラナータ)系列に相当する、ただしインドにAcalanāthaに対する信仰は無い、中国に於いては音訳の「阿遮羅嚢他(あしゃらなーた)」や一部で不動明王とされていた様である、また大日経には無動明王との記述もある様だ。

Aが否定詞でありcalaは動きを言うが、英語のuniuckyと同意と言われている、またナータnāthaは尊者を意味する、またAcalaには山・岩との意味合いを持つと下泉全暁氏(不動明王・春秋社)は言う、不動明王を説いた経典、「底哩三昧耶不動尊聖者念誦秘密法」(ちりさんまやふどうそんじょうじゃねんじゅひみつほう・不空訳)には不動とは菩提心の大寂定の義なり、と記述される、即ち菩提心が定まり揺らぐことは無いとされる、祈念方法の記述もある、また大日如来の命令で大自在天を調伏する説話もある、また同経には「不動とはこれ菩提心の大寂定の義なり」(菩提心が定まり揺らがない)と記述されている。不動明王の呼称に付いて梵語からチベット語を経由して漢訳された名称との記述が「密教経典・他中村始・東京書籍)」に著されている。
不動は空海が明王を呼称せず「不動尊」と呼び己の護身仏として崇めていた、インドに於いてはヴェーダ聖典に不動に関する記述は無い、不動は土着信仰の一地方以外は殆ど存在せず明王に相当する梵語もない、経典の漢訳とされる典籍は菩提流支709年)の「不空羂索神変真言経・観音曼荼羅」で阿遮(あた)()(のうた)他と訳され・無動尊・不動金剛明王・不動尊・不動使者・不動如来使などとも訳され文字通り動かないと言う意味である、”不動とはこれ菩提心の大寂定の義なり”である。 
善無畏
大日(息障品)に於いて大日如来の秘密を伝える「教令使」即ち使者(救済の実行者)としている、そして姿形を明確に示した、また不動とは「静寂の義なり」とも言われる、因みにアチャラナータacalanātha系の他は「強烈に怒れる尊」(チャンダマハーローシャナ・ca
ṇḍa mahāroaaと言われる、これは大声を発する真言・陀羅尼に影響を与えている様だ、また梵語のアチャラナータとは「山岳の王」「山の守護神」の意味を持つと宮家準氏は言う(不動信仰事典戒光祥出版)、ナータ系の漢訳に「暴悪憤怒尊」もある。
不動信仰の弘通(ぐずう)には魅了する三要素が有ろう、即ち畏怖と魅惑・護摩から神威(numen・ヌーメン)を与えている、不動明王と言えば護摩は必須であるが堂内の護摩だけでなく戸外に於いて螺貝を吹き弓矢を使う結界法要が修される柴燈護摩(さいとうごま)が知られている。  
インド土着信仰の最高神であるアチャラはシバ神Śivaの別名との説があるがヴェーダ聖典gveda) 等に記述されていないし確定出来ない説と言える、因みに千手観音の梵語名sahasrabhuja(サハスラブジャ)にもシヴァ神の別名説がある、但しシバ神自体はヒンズー教の最高神でありインドに於ける信仰は絶大である、インドの土着信仰に於ける山の神とか、古くから現地在住のドラヴィダ人(達羅毗荼人、Dravidianの奴隷説もあるがインドに於いては殆ど見られず、長安の寺院跡から不動尊らしい尊像が発掘された事はある、但し中国での信仰も唐時代に微細な跡が見られる程度である、但しチベットやネパール等には日本には見られないシタ・アチャラ(白不動)や不動三尊(三尊とも不動)などが信仰されている、因みにインドに於いてシヴァ神はモンスーンmonsoonの威力を象徴した尊格との説もある。

不動明王の関連を説く経典は「不動使者陀羅尼法・金剛智訳」「大毘盧遮那成仏神変加持経(大日経)」を含めて佐和隆研氏は九種類あると言われる、即ち佛教系の不動使者としての像と雑密及びヒンズー系と二系統が存在したとされるがランダムに挙げてみた。

所謂不動明王に関する関連典籍に「金剛手光明灌頂経最勝立印聖無動尊大威怒王念誦儀軌法品・不空訳」「勝軍不動明王四十八使者秘密儀軌・不空遍智訳」「底哩(ちり)三昧耶経・不空遍智訳」不動尊聖者念誦秘密法「佛説聖不動経」「稽首聖無動尊祕密陀羅尼経(けいしゅしょうむどうそんひみつだらにきょう) 」「不動使者陀羅尼秘密法・金剛智訳」 「聖無動尊安鎮家国等法・(不空遍智訳)」 「倶梨迦羅竜王儀軌・金剛智訳」等があるが概ね大日経を踏襲していると言われる。
修験者と不動明王の関連は緊密で修験者の布教により不動信仰の興隆は否定出来ない、修験者に重用される経典は日本で作られたとされる「聖不動尊大威怒王秘密陀羅尼経(しょうむどうそん だいゐぬおう ひみつだらにきょう)」「聖無動尊秘密陀羅尼経」「聖不動経」などがある。
不動尊を日本に於いて初めて招来したのは空海である、空海の密教興隆に於ける戦略尊と思惟され自身も護身仏として信仰していた、空海は「大日経要文記」を著わし清浄菩提の心なりと強調している。
不動明王の源流を敢てさぐれば、正木晃氏に依れば中国に於いて7世紀前半まで存在していた大日経からの「不動如来使」、さらに不空羂索神変真言経の「不動使者」ではないかと思惟されると言う、しかし十三世紀インド佛教最後の拠点でイスラムに破戒されたヴィクラマシーラ(Vikramaśīla)寺院の歴史書には不動明王の記述が二箇所見られる。下泉全暁・春秋社
しかし日本では迦楼羅炎(かるらえん)と言う火焔の光背を背負う事から修験道の護摩による加持祈祷対象の主尊とされたこともあり、五大明王信仰から独尊の信仰に発展して行く、密教に於ける伝持八祖
(注10の六祖である不空が重要視し事もあり空海の戦略の中に於いて天台宗を凌ぐ教義として真言密教を為政者に認知させる方針として密授と共に、胎蔵界曼荼羅の持明院の一尊に過ぎない不動明王を主役の位置に採用した影響は絶大であり広く民衆にも広めることに成功した、但し空海の御請来目録に不動明王像は無い、しかし五大明王を描いた「仁王経五方諸尊図」を請来している、要するに不動明王は大悲胎蔵生(だいひたいぞうしょう)曼荼羅(胎蔵界曼荼羅)の象徴尊である、対して金剛界の象徴尊は愛染明王である、因みに護摩とは「焚く」「焼く」を意味する梵語のホーマhomaを音訳である。 
姿形としては大日経疏に依れば角材を不規則に組んだ瑟瑟座(しつしつざ)と言う盤石な岩の上で、右手に()(けん)(降魔の利剣とも言う)すなわち大慧刀(だいえとう)、左手には羅索(けんさく)を持ち頭髪は左に下げ下歯で右の唇を噛み憤怒相をしている、また眼線は「天地(てんち)(げん)」と言い右目は天空を睨み左目は下部を視るか半眼若しくは閉じられている、要するに剣は不動尊の智慧のシンボル
symboi)であり慧刀(えとう)と呼ぶ、また利剣(りけん)と記述される場合は利は鋭利を強調する場合に使われる。
詳細に観れば火焔(かえん)光背を背負い肥満体で一面二臂にして頭髪は沙髻(しゃけ)と呼ぶ巻髪や総髪に蓮華頂蓮(ちょうれん)を付ける、即ち(しち)莎髻(しゃけ)(注12に結い弁髪(べんぱつ)を左に下げ、右手に利剣、左手に羂索を持ち瑟瑟座(しつしつざ)若しくは盤石(ばんじゃく)座に座す像を標準と考えられるが不動十九観が定められている、因みに十九観とは前述の他に火生三昧・額の皺・色は青黒で、眷族として八大童子や二童子(矜羯羅童子と制吒迦童子)を従える・大盤石に座すなどがある、火焔光背はゾロアスター教を源とし煩悩を焼き尽くす護摩と意味を同じくする、但し不動明王に八大童子を配する事は梵語の経典には無く中国での発案とされる、いる、中国では他に「聖無動尊一字出生八大童子秘要法品」に依る八大童子、「将軍不動明王四十八使者秘密成就儀軌」による四十八使者、や三十六童子、呼ばれる形態がある様だ。

観音菩薩・地蔵菩薩と共に庶民信仰のベスト3入る不動明王であるが他国ではあまり見る事が出来ない、日本密教特有の戦略尊である不動尊の人気は如来から天部まで多数あるが最大級の位置を占めている、観音菩薩と共に現世利益を授かる双璧である、不動信仰は大衆に多くの信仰を集めた寺院は多くあり、川崎大師(金剛山 金乗院平間寺) ・成田山新勝寺 ・目黒不動(泰叡山 瀧泉寺) ・大阪市中央区難波にある天龍山法善寺の本尊は阿弥陀如来であるが、水掛不動尊(西向不動尊)等、身代わり不動等が著名である。
不動尊霊場は全国に結成されているが何れも新しく、歴史に留められる霊場は五色不動尊すなわち「東都五眼」程度である、不動信仰は・真言・天台に信仰されたのみでなく修験道にも浸透し普遍化した、さらに江戸時代に成ると江戸城を守護する為に五色不動が配置された、即ち・目青
*教学院(東京都世田谷区太子堂)平井の目黄と同じ最勝寺・目赤*南谷寺(文京区本駒込)・目白*金乗院(豊島区高田)・目黒*瀧泉寺(目黒区下目黒)・目黄(永久寺台東区三ノ輪2-14-5*永久寺、江戸川区平井1-25-32*最勝寺)を加えられ地名として現在も残る地域もある、不動尊を本尊とする寺の巡礼も行われており著名な組織に二十八日の縁日に因んだ「武相不動尊二十八所」「近畿三十六不動尊霊場」や「関東三十六不動霊場」があり、特に関東には・平間寺(川崎大師)・成田山新勝寺 ・高尾山薬王院 ・日野高幡不動金剛寺 日野市高幡) ・目黒不動(泰叡山 瀧泉寺) ・等々力不動(明王院・世田谷区等々力)等がある、関西では・法善寺(浪花の水掛不動)、清浄華院(京都市上京区寺町通広小路上ル北之辺町395)の「泣き不動」「大阪・法楽寺の「田辺の不動」等の著名な寺院がある。
江戸時代初期に江戸城守護を目的として南光坊天海
1536年~16431113日)が青赤黄白黒の五色不動を江戸に置いた事にも依る、その他「北関東」・「東海」・「東北」、等に不動尊の三十六童子に因んだ三十六不動尊霊場がある、因みに関東地方に於ける不動信仰は平将門の乱に於いて神護寺から降伏に赴いて、そのまま新勝寺に留まり現在に於いてもレンタルが継続している事から関東地歩の庶民に広く浸透した、因みに成田山から神護寺に支払われる不動尊の年間賃料は近年百円から一万円に値上りしたと言う。 
他方天台宗に於いても円仁が千日回峰行に不動明王を取り入れた、また黄不動像に儀軌から少し変化を持たせた円珍の不動信仰は篤く、比叡山を「一大円教」
(6参照)思想に導いた、また安然も不動明王の十九の観想法を示す「立印儀軌修行次第胎蔵行法」を著す等不動信仰の隆盛に貢献した。 
他方天台宗に於いても円仁が千日回峰行に不動明王を取り入れた、また黄不動像に儀軌から少し変化を持たせた円珍の不動信仰は篤く、比叡山を「一大円教」
(6参照)思想に導いた、また安然も不動明王の十九の観想法を示す「立印儀軌修行次第胎蔵行法」を著す等不動信仰の隆盛に貢献した。
空海撰「唅十九種相観想略頌(かんじゅうきゅうしゅそうかんそうりゃくしょう)文」や安然の「不動明王立印儀軌修行次第胎蔵行法」に著される不動明王の十九の観想法をランダムに抜粋すれば「大日如来の化身」「真言中に4文字、阿、()(かん)、まん」「卑しく肥満体」「左肩に弁髪を垂らす」「頭頂に七沙髻」「左眼を閉じる」「右臂に剣を持つ」「左臂に羂索を持つ」「迦楼羅炎光背」「二童子を従える」「額に水波の皺」「下歯で右上唇を咬み左下唇を外へ」「口を固く閉じる」「迦楼羅炎光背」などがある。
また絵画にも多くの秀作が残されており・黄不動園城寺、他) ・青不動青蓮院、他) ・赤不動高野山明王院、他)・波切不動(高野山南院) ・倶梨伽羅龍と言う蛇が剣に巻きついた倶梨伽羅不動など多くのバリエーションがある、チベット密教の世界では黒不動や白不動が存在しており三眼を飛び出さんばかりに見開き左膝を落とし、右手で剱を振り上げている。  
不動明王は独尊のみならず、五大明王の中尊として制作され、教王護国寺・講堂の像が最も古く、真言密教系寺院のスタンダードとなる、また大日如来の脇侍となる事がある、この場合は不動明王が胎蔵界に於ける大日如来の化身に対して、金剛界は降三世明王や愛染明王が化身として著される、因みに五大明王の場合不動明王は坐像が正統とされる、閑話休題不動明王を八大明王の一尊とした場合除障害菩薩の化身としての記述も見かける。
インドでは八世紀前後の戦国時代にヒンズュー経のシヴァ派が王達に戦勝を祈願する儀礼等を行い興隆する、対抗上密教では五大明王達にシバ神や妃のウマを足で踏みつけた像で対抗した。
姿形的には明王の中で一面二臂は不動明王のみである、大日経疏には姿形は卑しく肥満等信仰の対象とは凡そ無縁な記述があり、インド・ドラビダ人の奴隷がモデルとされており下層民特有の姿である、顔は憤怒相・左肩に弁髪を垂れ・右手に宝剣・左手に羂索・ゾロアスター教
(注8の影響を残した火炎光背を背負う、修験道からは山岳神の伝承もあり岩座か瑟瑟座(しつしつざ)が多い、光背の火炎は迦楼羅焔(かるらえん)とも言われ毒蛇を食す想像上の怪鳥と言われる。
不動尊の変化神とされる尊格に倶利迦羅不動があり倶利迦羅(くりから)竜王が不動の利剣に巻付いた像で独尊形や不動三尊がある、不動三尊とは不動明王の脇侍として左側に矜羯羅童子(キンカラ・Kikara)、右側に制迦童子(チェータカ・Ceaka)の配置を言う 
「勝無動尊一字出生八大童子秘要法品」別名「不動八大童子儀軌」などに依れば、眷属には八大童子、三十六童子などが知られるが勝無動尊秘密陀羅尼経「勝軍四十八使者軌」「勝軍不動秘密儀軌」「勝軍儀軌」等に依れば倶利迦羅竜王など四十八使者が信者や修行者を保護している。 
不動明王の眷属を挙げると 矜羪羅童子(こんがらどうじ)、 制吨迦(せいたか)童子を初めとして恵光(えこう)童子 恵喜(えき)童子 阿耨達(あのくた)童子 指徳(しとく)童子  鳥倶婆誐(うぐばか)童子  清浄(しょうじょう)比丘童子の八大童子また三十六童子に矜迦羅童子、制叱迦童子、不動恵(ふどうえ)童子、光網勝(こうもうしょう)童子、無垢光(むくこう)童子、計子爾(けいしに)童子、智慧憧(ちえどう)童子、質多羅(しちたら)童子、召請光(ちょうしょうこう)童子、不思議童子、羅多羅(らたら)童子、波羅波羅(はらはら)童子、伊醯羅(いけいら)童子、獅子光(ししこう)童子、獅子慧(ししえ)童子、阿婆羅底(あばらち)童子、持堅婆(じけんば)童子、利車毘(りしゃび)童子、法挟護(ほうきょうご)童子、因陀羅(いんだら)童子、大光明(だいこうみょう)童子、小光明(しょうこうみょう)童子、仏守護(ぶつしゅご)童子、法守護(ほうしゅご)童子、僧守護(そうしゅご)童子、金剛護(こんごうご)童子、虚空護(こくうご)童子、虚空蔵(こくうぞう)童子、宝蔵護(ほうぞうご)童子、吉祥妙(きちしょうみょう)童子、戒光慧(かいこうえ)童子、妙空蔵(みょうくうぞう)童子、普香王(ふこうおう)童子、善爾師(ぜんにし)童子、波利迦(はりか)童子、烏婆計(うばけい)童子が挙げられる。


不動明王は密教の象徴的存在でもあり胎蔵界曼荼羅・持明院に般若菩薩を中尊として降三世明王・勝三世明王・大威徳明王と共にあり、東寺に於ける羯磨曼荼羅では明王部
五大明王)の中尊である。本来の利益は降魔(悪魔を屈服)にあるが旅・交通安全の守護神になっているのは空海が唐から留学の帰路嵐に巻き込まれた時に波切不動に助けられた伝説によるものと言えよう。
密教に於いては、「
伝法阿闍梨位灌頂」を受けるためには四度加行がある(注11、最後四番目の行として不動護摩法が行われ護摩法の本尊である、不動尊は真言僧として一人前の阿闍梨となる為の必須行である四度加行に於ける最後の行すなわち不動護摩(注14に於いての本尊である、四度加行とは 1、十八道念誦次第 2、金剛界念誦次第 3、胎蔵念誦次第 4、不動護摩の四の行を言う、変わった像に「走り不動」がある、弘安の役に剣を担ぎ二童子を従えて蒙古撃墜を祈願した像である。
因みに真言であるが不動尊の真言が最も人気があり多くに知られている、「
ナウマク サンマンダ バサラナン センダ マカロシャナ ソワタヤ ウンタラタ カンマン 即ち「帰依します 普く全ての金剛へ 暴悪で怒れる者よ 破壊せよ」。
大悲胎蔵生曼荼羅や羯磨曼荼羅の他にも普遍性に乏しいが別尊曼荼羅には仁王経曼荼羅・安鎭曼荼羅・十二天曼荼羅などに中尊として画かれている。
日本では大変な信仰を集めている明王はインドに於いては明王という名称も定かでなく作例も不動明王・降三世明王・大威徳明王が数例存在するのみで軍荼利明王・金剛夜叉明王の二尊は作例も無い、中国に於いては唐時代の寺院跡から、アチャラ系坐像の発掘例がある。
不動尊のセット化は著しく・江戸五色不動 ・三色不動園城寺(黄)、青蓮院(青)、明王院(赤) ・津軽三不動
(長谷沢神社、中野神社、国上寺) ・江戸七不動 ・三河三不動霊場(神路山総持寺、西浦山無量寺、転法輪山養学院) ・遠州八大不動明王 ・美濃三不動等々が出来た、江戸時代になり不動信仰が興隆した原因の一つに前述の如く「五色不動」が江戸の町に設けられたことがある、五行思想に鑑み天海僧正の進言により江戸幕府の守護神に充てられる、因みに天海の諡号である「慈眼大師」の眼から採られたとの説もある、不動の色は当初は四色であったが黄色が加えられ五色不動となったと言う、即ち目青(教学院・世田谷区太子堂)、目赤(南谷寺・文京区本駒込)、目白(金乗院・豊島区高田)、目黄(最勝寺・江戸川区平井、永久寺・台東区三ノ輪)、目黒(龍泉寺・下目黒)であり、目黒や目白は目黒区、豊島区目白として地名が存続しており、江戸五色不動等と呼ばれる。
不動明王の業を納め修験道で秋葉山の火伏神に祀られた(浜松市天竜区春野町)秋葉権現が著名である、正式名称を”秋葉三尺坊大権現”と言い火災避けの神としての信仰は篤い。 
諸経の王とまで言われる法華経には膨大な数の如来、菩薩達が登場するが地蔵菩薩の名前は無いと東京工業大学名誉教授・橋爪大三郎氏は言う
他方天台宗に於いても黄不動像に儀軌から少し変化を持たせた円珍の不動信仰は篤く、比叡山を「一大円教」
(6参照)思想に導いた、また安然も前述の不動明王の十九の観想法を示す「立印儀軌修行次第」を著す等不動信仰の隆盛に貢献した。
また絵画にも多くの秀作が残されており・黄不動園城寺、他) ・青不動青蓮院、他) ・赤不動高野山明王院、他)・波切不動(高野山南院) ・蛇が剣に巻きついた倶梨伽羅不動など多くのバリエーションがある。  
不動明王は独尊のみならず、五大明王の中尊として制作され、教王護国寺・講堂の像が最も古く、真言密教系寺院のスタンダードとなる、また大日如来の脇侍となる事がある、この場合は不動明王が胎蔵界に於ける大日如来の化身に対して、金剛界は降三世明王や愛染明王が化身として著される。
姿形的には明王の中で一面二臂は不動明王のみである、また不動明王には一面四臂像もある、大日経疏には姿形は卑しく肥満等信仰の対象とは凡そ無縁な記述があり、インド・ドラビダ人の奴隷がモデルとされており下層民特有の姿である、顔は憤怒相・左肩に弁髪を垂らした辮髪か沙髻(しゃけ)と言う巻髪及び総髪で・右手に宝剣・左手に羂索・ゾロアスター教
(注8の影響を残した火炎光背を背負い・大盤石石(だいばんじゃくいし)すなわち岩座か瑟瑟座(しつしつざ)が多い、光背の火炎は迦楼羅焔(かるらえん)とも言われ毒蛇を食す想像上の怪鳥と言われる。
不動明王は密教の象徴的存在でもあり胎蔵界曼荼羅・持明院に般若菩薩を中尊として降三世明王・勝三世明王・大威徳明王と共にあり、東寺に於ける羯磨曼荼羅では明王部(五大明王)の中尊である。本来の利益は降魔(悪魔を屈服)にあるが旅・交通安全の守護神になっているのは空海が唐から留学の帰路嵐に巻き込まれた時に波切不動に助けられた伝説によるものと言えよう、閑話休題、不動明王には妃が居たようで金剛界曼荼羅の降三世会の左の最下部に不動明王妃が描かれている、因みに軍荼利明王妃、大威徳明王妃、降三世明王妃も描かれている。 
胎蔵生曼荼羅や羯磨曼荼羅の他にも普遍性に乏しいが別尊曼荼羅・仁王経曼荼羅・尊勝曼荼羅などに画かれている。
日本では大変な信仰を集めている明王はインドに於いては明王という名称も定かでなく作例も不動明王・降三世明王・大威徳明王が数例存在するのみで軍荼利明王・金剛夜叉明王の二尊は作例も無い。
近年不動明王を巡拝する霊場は雨後の筍の如く作られている、*近畿三十六不動尊霊場を筆頭に*北海道、*東北、関東、*北関東、*東海、*北陸、*四国 *九州、に三十六不動尊霊場が作られた、何れも三十六ヶ寺で構成されている、これは不動尊の眷属に於ける三十六童子から命名されている、また
鹿苑寺(金閣寺)不動堂に「石不動尊」が奉られている、開帳は「五山送り火」の816日と「節分」の23日の年二回である。

鳥羽天皇勅命の祈願道場とされる波切不動を本尊とする「大聖院」(広島県廿日市市宮島)に「千体不動」と呼ばれる不動明王群が安置されている、秀吉が朝鮮出兵の折に戦勝祈願した寺で本尊は秀吉の奉納とされている。
不動尊には眷族も多く「聖無動尊大威怒王秘密陀羅尼経」や、それを要訳した「聖不動経」更に「勝軍不動明王四十八使者秘密成就儀軌」「聖無動尊一字八大童子秘要法品」等による八大童子や三十六童子(注3及び三尊(脇侍に矜羯羅童子・吒(多)童子)形式に造像され、滋賀県、奈良県を中心に多数現存する、また前記経典には「我が身を見る者は菩提心を発し、我が名を聞く者は惑を断ちて善を修し、我が説くところを聴く者は大智慧を得、我が心を知る者は即身成仏す」と説かれている。

後白河法皇が編纂した「梁塵秘抄」に不動明王が詠まれている。  「不動明王恐ろしや 怒れる姿に剣を持ち 索を下げ 後ろに火焔燃え上がるとかやな 前には悪魔寄せじとて 降魔(がま)の相」。  「般若経をば船として 法華経八巻を帆に上げて 軸をばほばしらに や 夜叉不動尊かぢ取らせ 迎えたまへや罪人を」、不動尊信仰に篤かった主な著名人を挙げると・平清盛・文覚・弁慶・足利尊氏、等々がいた。 
江戸時代に制度化された十三仏(注16)に不動明王は「初七日」の本尊とされている、本尊の内訳は如来五尊、菩薩七尊に明王一尊、それが不動尊である。

また絵画の於いても不動明王関係の作品は優れた物が多い。
園城寺の不動明王像  黄不動   絹本著色 掛幅装 178,2×72,1cm 平安時代  装身具・頭髪・牙などに円珍の独創 
青蓮の不動明王二童子像 絹本著色  掛幅装 青不動 203,3×148,5cm 平安時代                      
明王院
(高野山)不動明王二童子像 絹本著色  赤不動

清浄華院     泣不動縁起絵巻


    ○●印で日本の三不動とされている。
曼殊院の不動明王像 絹本著色 掛幅装 168,2×80,3cm 平安時代                             
    3点の国宝を含む36点の指定文化財がある。

醍醐寺     五大尊像  
東 寺     五大尊像  

真言 
不動明王の「不動明王立印軌」真言には・慈救呪・一字呪・火界呪の三種の真言(呪)がある。
    *
慈救呪(じくじゅ)」 ナウマクサンマンダ バサラダン センダマカロシャダ ソワタヤ ウン タラタ  カンマン、 大日経、真言蔵品に説かれる。  
    
*一字呪(いちじしゅ) ナウマクサンマンダ バサラダン  カン        大日経、真言蔵品に説かれる、 あまり使われない。 
    *火界呪(かかいじゅ)」 
ナウマクサバタタギャテイビャク  サラバボッケイビャク 、サラバタタラダ、 センダマカロシャダ、 ケン、 ギャキギャキ、 サラバビキナン、 ウン、 タラタ、カンマン     
         
ナウマク(帰依)サンマンタ(総て)バサラダン(金剛部の尊格)センダマカロシャナ(不動明王の別名)、ソワタヤ(撃破せよ)、ウン(感情)タラタ カンマン(不動明王の心の中)。  

    

主な不動明王(五大明王含む)  表内は国宝   ●印国指定重文)

寺      名

仕             様

 時   代 

 東 寺(五大明王)講堂 

 木造(草槙)彩色(日本最古の密教像)100,9201,5cm 

 平安時代

 東 寺  (御影堂) 

 坐像 木造彩色      123,0cm 

 平安時代

 金剛峯寺(八大童子)  

 立像 木造彩色 玉眼  95,1×103,0 cm 

 鎌倉時代

 願成就院

 木造玉眼 136.8㎝ 矜羯羅童子77.9㎝(左側)、制吒迦童子81.8㎝ 運慶作 

  鎌倉時代

  金剛寺 (大阪府河内長野市)   坐像 木造彩色   行快作?   258,0cm 大日如来の脇侍 313,5cm  南北朝時代

 *金剛峯寺―八大童子の内六尊(不動明王の眷属として当欄と八大童子欄に記載)  *静岡県伊豆の国市寺家83-1

 *願成就院の不動明王は後白河院の逆鱗に触れ伊豆に流された文覚が関連していると言う説もある、因みに文覚は不動信仰に篤かった。

●新勝寺(成田山) 木造彩色 玉眼 三尊(二童子立像) 不動 132.7  矜羯羅童子 116,5cm  童子 61,8cm 鎌倉時代   (千葉県成田市成田11)
●飯尾寺  坐像  木造彩色 玉眼  83.3cm   鎌倉時代   (千葉県長柄郡山根821)
●楞厳寺  立像  木造漆箔 玉眼  102.2cm   鎌倉時代   (茨城県笠間市片庭) 宋様 
金剛峯寺(護摩堂)坐像 木造彩色 玉眼玉歯 86,5cm 鎌倉時代        

●金剛峯寺 立像 木造彩色 87,0cm 平安時代   
●浄楽寺
(横須賀市芦名2433)  木造彩色 135.5㎝  鎌倉時代 運慶一門作 
●極楽寺 (鎌倉市極楽寺3-6-7)木造 玉眼 91.5㎝ 鎌倉時代 
八剱神社 木造彩色 95.1㎝ 藤原時代      (平塚市下吉沢12) 神奈川県平塚市浅間町9番1号 
法隆寺  護摩堂 三尊(二童子立像) 木造彩色 藤原時代 

法隆寺 木造彩色 不動93,0cm 平安時代 童子 ・矜羯羅童子 44,0cm 南北朝時代 

東大寺 三尊(二童子立像) 木造彩色 玉眼  不動 86,5cm  童子 88,7cm  矜羯羅童子 78,0cm  南北朝時代 

新薬師寺 三尊(二童子立像) 木造彩色  不動 156,1cm  童子 84,2cm  矜羯羅童子 84,2cm  藤原時代  

唐招提寺  木造彩色 玉眼 61,7cm 江戸時代  

長谷寺 坐像 木造 75,2cm 藤原時代  

●玄賓庵(三輪)坐像 木造彩色 94,2cm 平安時代 

十輪院(奈良) 木造  不動 98,0cm  童子 46,0cm   矜羯羅童子 43,5cm  平安時代  

●親王院(和歌山県高野町)坐像 木造素地 89,5cm 平安時代   

●聖護院 立像 木造彩色 二体   
同聚院 坐像 木造 彩色  265,1cm 藤原時代   旧法性寺五大堂本尊 文化財指定の内最大の不動像で定朝の父康尚の現存する作品の可能性。 

●遍照寺   坐像 木造彩色 72,0cm 平安時代    康尚の現存する作品の可能性。 (京都市右京区嵯峨広沢西裏町)

醍醐寺 坐像 木造彩色 玉眼 快慶作 59,4cm 鎌倉時代  

醍醐寺 坐像 木造 古色  88,3cm 平安時代  

大覚寺(五大明王)木造彩色 50,9cm 鎌倉時代 

三千院 立像 88,8cm 鎌倉時代 
三千院  立像   木造     平安時代    円珍感得の伝承を持ち元往生極楽院の尊像で黄不動の彫刻像  2008年指定 

高山寺  坐像 木造古色  82,7cm 室町時代 

大徳寺  坐像 木造彩色 275,0cm 平安時代  

広隆寺 木造彩色 74,4cm 平安時代 

浄瑠璃寺 三尊(二童子立像)  木造彩色 玉眼  不動 99,5cm   52,3cm  矜羯羅 50,7cm   鎌倉時代 

●聖護院 立像 木造彩色 114,0cm115,7cm 藤原時代(二尊)
●金閣寺
(鹿苑寺) 立像   木造           (不動堂・秘仏

正寿院 木造  45.0㎝  鎌倉時代 快慶作と推定  醍醐寺の不動明王に近い  (京都府綴喜郡宇治田原町奥山田川上149
観心寺  立像 木造 素地 93,9cm 南北朝時代 

円鏡寺(岐阜)  立像 木造彩色 182,7cm 平安時代    (岐阜県本巣郡北方町大字大門1345)         

峰定寺(ぶじょうじ) (二童子立像) 立像 木造彩色 25,8-52,7cm 藤原時代    (京都市左京区花背原地町772)

延暦寺 立像 木造 古色 51,5cm 鎌倉時代  

延暦寺(滋賀) 木造彩色 玉眼  不動 36,7cm   61,4cm  矜羯羅 39,7cm    鎌倉時代 無動寺明王堂  (秘仏) 脇侍左右逆配置  
延暦寺  絹本着色 131,5cm×91,5cm 鎌倉時代   不動明王三童子五使者像 

園城寺(黄不動)立像 木造彩色 玉眼 162.4cm     鎌倉時代                

園城寺 立像 木造彩色 39.1cm 鎌倉時代
園城寺 絹本着色 134,5cm×124,5cm 鎌倉時代  不動明王八大童子像 

石山寺 坐像 木造彩色 86,7cm 藤原時代                       

西明寺(滋賀) 木造 古色  不動 85,7cm  吒迦 84,6cm  矜羯羅 88,0cm   平安時代 
●正法寺 木造彩色(二童子立像)   不動97.6cm 
 64.4cm  矜羯羅 63.4cm  鎌倉時代  (大津市石山内畑町)
●玉蓮院 木造彩色(二童子立像)   不動50.9cm 
 24.8cm  矜羯羅 24.5cm  鎌倉時代  (大津市坂本町1713) 
●大林院 木造古色     51.5cm  鎌倉時代   (大津市坂本町2180) 
●橋寺方生院 (京都) 立像 木造古色     平安時代  (宇治市宇治東内) 

神咒寺(かんのうじ)(兵庫) 木造彩色 88,4cm 平安時代 

●圓昭寺 木造 立像  156,7cm  藤原時代   小浜市尾崎22-15

●金剛寺(東京) 木造  不動 282,5cm   230,0cm   矜羯羅 191,0cm   平安時代 

●大山寺(神奈川) 三尊(二童子立像)  鉄造 玉眼 不動 97,9cm   95,4cm  矜羯羅 96,1cm   鎌倉時代
●極楽寺(神奈川) 木造 91,5cm 鎌倉時代        (神奈川県鎌倉市極楽寺三丁目6-7)
●大林院(滋賀) 絹本着色  126,4cm×83,0cm  鎌倉時代  不動明王二大童子像
●恵光院(滋賀) 絹本着色  155,8cm×124,8cm 鎌倉時代  不動明王二大童子像
●放光寺(山梨) 木造彩色   146,3cm  藤原時代       (山梨県塩山市藤木)  
●法楽寺  絹本著色   119.8㎝×778.4㎝    鎌倉時代  (大阪市東住吉区山坂) 
勇山寺(いさやまじ)(岡山県真庭市鹿田482) 木造  不動 183.5cm   150.7cm   矜羯羅 142.7cm 鎌倉時代
●真木大堂 三尊 木造彩色 不動 2550㎝ 脇侍 128.0㎝ 平安時代  (大分県豊後高田市田染真木1796
●甚目寺(観音)    絹本著色  157.3㎝×86.1㎝    鎌倉時代  東博寄託   (愛知県あま市甚目寺町東門前24)

●松岩寺 木造彩色 95.1cm  平安時代 八剣神社所持 (平塚市下吉沢614)  
●世田谷山観音寺 木造彩色切金文様 玉眼 中尊109.4cm 童子28.5cm~58.8cm 鎌倉時代 不動明王八大童子像
  (東京都世田谷区下馬町3-25)
(いさ)
(やま)寺 童子 木像 古色 不動183.2cm
 衿羯羅142.7cm 制た迦150.7cm 藤原時代     (岡山県真庭郡落合町鹿田482) 

● 高幡山明王院 金剛寺  不動明王 坐像 ≒300㎝  矜羯羅童子 立像≒200㎝ 制吒迦童子 立像≒200㎝ 平安時代  関東三大不動尊 東京都日野市高幡733)
摩訶耶(まかや)   木造彩色  96.3㎝  鎌倉時代  (静岡県浜松市北区三ヶ日町摩訶耶421)
●東京国立博物館     木造彩色 檜一木割矧ぎ造  165.2㎝   平安時代 
宗安寺(そうあんじ)(川上不動) 木造古色 142.7㎝ 鎌倉時代 不動堂本尊
●弘憲寺 木造 彩色 110.6㎝ 藤原時代  (香川県高松市錦町3丁目) 
正覚院 木造 古色 98.7㎝ 鎌倉時代      (香川県丸亀市本島町泊842)
●金林寺 木造彩色 100.6㎝  鎌倉時代   (高知県安芸郡馬路村大字馬路4281番地)
長楽寺 三尊  木造彩色 132,3㎝  毘沙門天 171.4㎝  不動明王 169.9㎝  鳥取県日野郡日野町下榎875) 
●新勝寺 不動132.7cm 矜羯羅童子立像116.5cm 制吒迦童子61.4cm (千葉県成田市成田1-1)
●結縁寺 銅像 47.0cm 鎌倉時代                       (千葉県印旛郡印西町大字結縁寺516)
    *関東三大不動尊 成田山新勝寺  *不動ヶ岡不動尊 総願寺 〒347-0054 (埼玉県加須市不動岡2-9-18)

 

五大明王

真言系では「仁王経五方諸尊図」を典拠としており上記の不動明王・降三世明王・軍荼利明王・大威徳明王・金剛夜叉明王の五尊を言い水牛に乗る大威徳明王以外は立像である、空海が大極殿に真言院を創設して五大明王の檀を築き後七日御修法の施行に成功し、天皇及び御衣に聖水を注ぐ最大級の修法にした事により平安時代以後には多大な信仰を集めた、後七日御修法は明治維新まで宮中で行われ、現在は東寺で行われている、また天台系では円珍が請来した「五菩薩五憤怒像」が使われ金剛夜叉明王に代わり鳥枢渋摩明王があてられ坐像である、五大明王全尊揃っている寺は東寺 ・大覚寺 ・醍醐寺 ・不退寺 ・宝山寺(奈良) ・定福寺(三重) ・瑞巌寺(宮城県松島)の七寺である
国宝の絵画に於いては東寺・醍醐寺 ・高野山
(有志八幡講十八箇院) ・水無瀬神社(大阪)に存在し、重要文化財も数点存在する、また軍荼利明王は真言系では右手に金剛鈎を持ち天台系は羂索を持つ、また大威徳明王に於いては画かれる位置が真言系は画面側から右上、天台系は左下に画かれている。
新しく絵画で岐阜県大野町の来振寺(きぶりじ)
(絹本著色 不動 降三世 軍荼利 大威徳 鳥枢沙摩 五幅各140×88cm 平安時代)20046月に国宝指定を受けた、真言宗の古刹に天台系の鳥枢沙摩明王の作品が存在する事は興味をそそる。
円珍様の五大明王で日光・輪王寺の場合は不動明王を欠いている、また京都・法性寺
(現在は東福寺の塔頭、同聚院所蔵)の場合は不動明王だけが残っている。
五大明王の特徴の一つとして空海が恵果から示されたとされる秘蔵記に”五憤怒”の項目があり金剛界五如来の憤怒身とされている、因みに五如来を自性輪身、 五菩薩を正法輪身、 五大明王を教令輪身と呼ばれる様にある。

 寺      名

  不動明王

  降三世明王

  軍荼利明王

 大威徳明王

 金剛夜叉明王

   備       考

 常福寺(三重)

  172,7cm

  178,8cm

  172,7cm

  150,6cm

  177,7cm

 木造彩色 平安時代

 瑞巌寺

   64,1cm

  92,1cm

  89,7cm

  67,7cm

  91,1cm

 同上

 醍醐寺

   86,3cm

  122,3cm

  125,8cm

   80,3cm

  116,7cm

 同上

○ 教王護国寺

  173,3cm

  173,6cm

  201,5cm

  100,9cm

  171,8cm

 同上   明円作

 大覚寺

   50,9cm

   67,5cm

   69,3cm

   58,1cm

   69,6cm

 同上

 不退寺

   85,7cm

  154,7cm

  157,0cm

   99,0cm

  150,5cm

 同上

 宝山寺(奈良)

   17、1cm

   18,cm

   17,cm 

    11,5cm

   18,cm 

 江戸時代 厨子入 

 常福寺は寺院に拠るサイトです。
延暦寺無寺明王堂  木造 彩色 玉眼 不動67.9cm  36.7cm 矜羯羅 39.7cm   降三世 80.9cm 軍荼利  82.4cm 大威徳47.0cm 金剛夜叉 86.4cm


絵画(五大尊像) 

来振寺 

絹本著色 掛幅装 不動 降三世 軍荼利 大威徳 鳥枢沙摩 五幅  140,0cm×880cm

 平安時代    

東 寺 

絹本著色 掛幅装 不動 降三世 軍荼利 大威徳 金剛夜叉 五幅  153,0cm×128,8cm

 平安時代  

醍醐寺 

絹本著色 掛幅装 不動 降三世 軍荼利 大威徳 金剛夜叉 五幅  193,9cm×126,2cm

 鎌倉時代  

   常福寺は寺院公式サイト   (五大明王各編で重複させてあります


         
       来振寺 国宝・不動明王  (岐阜)  

1日本三不動 青蓮院の青不動・高野山の赤不動・三井寺の黄不動を言い参考に曼殊院・黄不動[国宝]を挙げた、密教の諸尊は5色の色で現される事があり不動明王も青・黄・赤・目黒・目白 がある、五智如来の場合は大日如来--白  ・阿閦如来--青  ・宝生如来--黄  ・阿弥陀如来--赤  ・不空成就如来--黒が使用されている。

2、不動明王は五智の内に於いて法界体性智の部門で三輪身の経令輪身の化身を務める、三輪身は「摂無礙経」を源流とした哲学で、日本密教特有の教義で不動明王が属する教令輪身の教義が顕著と言える、 三輪身とは自性輪身(如来) 正法輪身(菩薩) 教令輪身(明王)を言い、大日如来-自性輪身 ・金剛波羅蜜菩薩ー正法輪身・不動明王ー教令輪身の姿で現される。
 
三輪身に異説がある、春秋社、不動明王、下泉全暁著、に依れば真言宗の要点記とも言える「秘蔵記」に記述される事項に「
三輪身」がある、三輪身とは、密教に於いて・如来(自性)・菩薩(正法)・明王(教令)の三種類の仏身観として分類したものである


3, 八大童子  矜羯羅(こんがら)童子制吒迦(せいたか)童子慧光(えこう)童子慧喜(えき)童子阿耨達(あくのた)童子持徳(しとく)童子鳥倶婆伽(うぐばか)童子清浄比丘(しょうじょうびく)童子を言う。
作例が多いのは「聖不動経」による三十六童子である、尊名を挙げると、無垢光童子、智慧幢童子、因陀羅童子、計子儞童子、伊醯羅童子、質多羅童子、召請光童子、獅子光童子、獅子慧童子、阿婆羅底童子、大光明童子、小光明童子、持堅婆童子、利車毘童子、金剛護童子、虚空護童子、法狭護童子、虚空蔵童子、宝蔵護童子、吉祥妙童子、普香王童子、妙空蔵童子、羅多羅童子、僧守護童子、善儞師童子、戒光童子、鳥婆童子、波利迦童子である、童子達の特徴は短躯で小太りが覆いのは、ヒンズー教のクマーラ7神(Kumāra)、やクリシュナ(Krishna)の人気が高い事から童子達のイメージを採用したとの説がある。 


4, 瑟瑟(しつしつ) 岩をイメージしているが角材を井桁状に組んだ台座。 


5, 二童子を従えた不動明王像の1997年現在重文指定は22組存在し滋賀県7組、奈良県3組の他大分、佐賀、福岡にも存在する。

6一大円教  仏の教義は全てが密教であり、他に教えはなく大日如来一佛のみで諸仏も大日如来そのものと言う五大院・安然の教説でユダヤ教・イスラム・プロテスタントの一神教的な要素が加わる、但し偶像崇拝を容認しており前三教との隔たりは大きい。

注7、「不動明王立印儀軌修行次第」安然(841901)の著作で不動明王を観想する為の19の特徴を示したもので「身卑しく肥満せり」 「左目一眼を閉じ右目一眼を開く」 「下の歯は上の右唇を喫し下の左唇は外へ翻り出す」 「色は醜青黒」 「奮迅憤怒(ふんじんふんぬ)」等を表したもので真言宗にも影響を与えた。  (武覚超氏、最澄と天台の国宝参照)

8、ゾロアスター教  BC7世紀頃~BC3世紀頃に現在のイランに於ける東北部で発生しペルシャ文明の根幹を形成した宗教で世界最古に属する宗教と言える、経典は「アヴェスター」であるがペルシャ文明は口伝であり記録を残したのは古代ギリシャ人とされる。
神・アフラ・マズダの名からマズダ教・善教・松教とも言われ当寺のイランを席巻した、一神教信仰の嚆矢とも言える教義を持ち現在の世界三大宗教に儀礼や哲学に多大な影響を与えているが後にイスラム教に席巻された。
善意・良心・道理を重要視した行動を示す、火を象徴として宗教儀礼に用いる事から拝火教とも呼ばれる、ただし祭祀や儀式で火は必ず燈るが礼拝の対象ではない、古代から仏教にも大きな影響を与え阿弥陀信仰や不動明王等の火炎光背や、密教で重要視される護摩の火はゾロアスター教が源流とされる。
中国では松教(けんきょう)と呼ばれた。活動期はBC2000年紀ごろからBC76世紀など諸説があるが定かではない。
現在インドボンベイを中心に世界に広がり、定かではないが約17万人の信徒を持つ。

9、修験道には「聖無動尊大威怒王秘密陀羅尼経」を典拠とした滝行が行われ水中で真言を唱える行がある、修験場の多くに不動明王の石像が安置されている。

10
伝持八祖  真言宗に於いて八祖には「付法八祖」「伝持八祖」が言われている、「付法八祖」は大日如来・金剛薩龍猛 龍智・金剛智・不空・恵果・空海 となるが、「伝持八祖」は実在しない大日如来と金剛薩埵を省き、善無畏・一行を加えている。

11、四度加行とは阿闍梨位を習得する為の伝法灌頂があり内訳は
 1、十八道念誦次第 2、金剛界念誦次第 3、胎蔵界念誦次第 4、不動護摩法の修法を言う、十八道は十八種の真言と印、すなわち印明があるが流派により相違がある、・荘厳行者法 ・普賢行願法 ・結界法 ・荘厳道場法 ・勧請法 ・結護法 ・供養法 ・念誦法 ・後供方便法 等と言われる(日本密教 春秋社参照)を言う。

12七莎髻(しっしゃけい)とは(みの)等を作るしなやかな草の名前で、髻とは髪を頭上で束ねるところで髪を頭上に於いて七枚の莎の葉と共に束ねたもの。

13、 不動明王は二系統に分かれ、1、「聖無動尊大威怒王(しょうむどうそんだいいぬおう)」ヒンズー教的Hinduism)な偉大な魔力を持つ神、 2、仏教的な大日如来の不動使者とに分類される,
但し聖無動尊大威怒王秘密陀羅尼経は普源菩薩が説いた経典とされ大日如来系。
チャンダマハーローシャナ系(Candamaharosana 強く怒れる)とアチャラ ナータ系Acalanātha 不動の分類される


14、 護摩 ゾロアスター教Dîn-e Zardošt)が嚆矢であるが、主にバラモンの儀礼でBC2000年頃のヴェーダ聖典を嚆矢とする、護摩はバラモンに引き継がれて供物を火中に投ずる事で発生する香煙が神々に届き願望が成就すると言う、ヴェーダの「火祠の法」から来ている、「焚く」「焼く」を意味し梵語のHoma(ホーマ)の音訳である、煩悩を燃やし滅する行でほぼ密教系が踏襲しており上座部及び通常の大乗部に於いては護摩を焚くことは無い、旧約聖書(出エジプト記29:18)等の生贄を火に捧げる貢物との共通項を指摘する説もある、日本に於いては真言宗、天台宗、修験道で焚かれている。 

15諸相不備之形に付いて 大日経具縁品にーーーー此下位依涅哩底方。畫不動明王。如來使者。作童子形。右持大慧刀印。左持羂索。頂有莎髻。屈髮垂在左肩。細閉左目。以下齒嚙右邊上脣。其左邊下脣。稍翻外出。額有雛文。猶如水波狀。坐於石上。其身卑而充滿肥盛。作奮怒之勢極忿之形。是其密印摽幟相也。此尊於大日花臺。久已成佛。以三昧耶本誓願故。示現初發大心諸相不備之形。為如來僮僕給使執作諸務。所以持利刃以羂索者。承如來忿怒之命。盡欲殺害一切眾生也。羂索是菩提心中四攝方便。以此執繋不降伏者。以利慧刃。斷其業壽無窮之命。令得大空生也。若業壽種除。則戲論語風亦皆息滅。是故緘閉其口。以一目視之意。明如來以等目所觀一切眾生無可宥者。故此尊凡有所為事業。唯為此一事因緣也。鎮其重障盤石。使不復動。成淨菩提心妙高山王。故云安住在盤石也。

16、十三仏 江戸時代に制度化された中陰(ちゅういん)法要の儀礼である、十三仏とは中国の冥界信仰を参考にしているが日本独自の制度である、地獄に於ける亡者の審判を行う10尊、これを十王と言う、但し「十王経」から引用しているが、十三仏は経典に記述は無い、裁判官は()内。

十三仏の尊名を挙げると、*不動明王(初七日 (しんこう)(おう))、*釈迦如来(二十七日 初江(しょこうおう))、*文殊菩薩(三十七日 帝王(そうていおう))、*普賢菩薩(四十七日 五官(ごかんおう))、*偽造菩薩(五十七日 閻魔(えんまおう))、*弥勒菩薩(六十七日 変成(へんじょうおう))、*薬師如来(七十七日 泰山(たいざんおう))、*観音菩薩(百日 平等(びょうどうおう))、*勢至菩薩(一周忌 都市(としおう))、*阿弥陀如来(三回忌 五道転(ごどうてんりん)(おう))、*阿閦如来(七回忌 蓮華(れんげおう))、*大日如来(十三回忌 祇園(ぎおんおう))、*虚空蔵菩薩(三十三回忌 法界(ほうかいおう))、となる。





20051129日 注26、7、他  2007339日 注8、 20081217日 2009119日修験道の護摩供 2014年10月23日聖不動経、真言関連記述 2015年3月11日 4月12日 2016年1月12日 4月11日 2017年5月16日 7月7日 11月2日 12月8日 2018年1月8日 5月2日 2019年9月29日 2020年3月18日 2021年2月4日 2021年3月5日 4月10日 7月14日 7月22日 2022年4月30日 6月5日 6月8日 10月14日加筆 

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