弁才天 (辯才天) 

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梵語名 Sarasvatī (サラスバティ―)はバラモン神話の河の名前を言う、元来はヒンズー教Hindu) の女神であるディーネイラーヒーDīn-i Ilāhī等と共にインド神話リグ・ヴェーダ聖典(注1Ṛgvedaに於ける最高の女神、すなわち三女神(注2 の一尊である、妙音天(妙音楽天)・美音天(大日経)・大辯(弁)才天・弁財天などとも呼ばれている、元来はヒンズー教の女神であるが仏教に取り込まれて通常は辯天様と呼ばれ親しまれている。  
サラスバティ-とはインド神話の「聖なる河」を意味しており蛇の化身とも言われる、出自を同じくするであろうバラモンの女神に「ジャーングリー
Jāṅgulī)と言い、琵琶を持ち毒蛇を瓔珞とする童女がおり漢訳を穰麌梨(じょうくり)童女Jāṅgulī)と言う、豊饒・農業神と習合して信仰を広め水の恵み・河の怒りを持って民衆を戒めるとされている、また後年日本では偽経が編纂された、即ち「仏説最勝護国(ぶっせつさいしょうごこく)宇賀耶頓得(うがやとんとく)如意宝珠陀羅尼経(にょいほうじゅだらにきょう)」である、この経典には眷属の十五童子や蓄財神としてのご利益が喧伝された事から江戸時代には「弁天」とも呼ばれて吉祥天(きちじょうてん)を凌ぐ信仰を集めた、また女天であるが戦を司る戦闘神的な性格を持ち八臂に剣・弓矢等の武器を持ち阿修羅を破ったとも言われる、密教に於いては妙音天として芸能面の利益を担当する場合が多い、また弁天は財に繋がる信仰から栄えて弁天堂等と言う屋号の商店が各地に出来た、因みにの文字を使う漢訳は日本に限られる。 
またヒンズー教Hinduに於ける最高神で世界を創造した梵天 Brahmā ブラフマー)の妻である、・技芸(音楽)・弁舌・学芸・学問・水及び農業の神として衆生に徳を施すとされ胎蔵界曼荼羅の最外院(外金剛部院)に於いて西方で琵琶を奏でている。
辯才天の典拠としてインドに於いては古来より「リグベーダ聖典」や「叙事詩(じょじし)」に著わされる、ヒンズー教に於いて三神一体と言われる最高の神格を持つヴィシンヌViṣṇu)の脇侍や三尊形式でヴィシンヌの妻とも言われる吉祥天と共に納まることがある。
護国三部経の一典である「金光明最勝王経
」の巻78「大辯才天女品第15」巻10「大辯才天女讃歎品第30」に護法善神として陀羅尼の称誦など丁寧に説かれている、因みに弁才天を我が国最初に伝えられた経典は金光明経である、これにより弁才天は吉祥天と共に著名な天となった、しかし金光明最勝王経には弁才天讃歎の偈では恐ろしい女神として記述されている。
弁才天は「常に八臂を以って自ら荘厳し、各弓・()・刀・(ほこ)・斧・長杵・鐡輪・羂索を持し、端正にして見んとねがうこと満月の如し」また戦闘神として「勇猛にして大精進し----軍陣の処において戦い常に勝つ」と記述される、また密教に於いては「大日経」では妙音天とか美音天などと漢訳し二臂で説かれているが、独尊で祀られた弁天は財福信仰となり当初の経典からは性格を異にしている、また裸像が多いのはインドのSarasvatīの影響である。 
神道との習合しており神社にも安置されている、特に日本に於ける固有の穀物神である宇賀神との結びつきは強く頭部に人顔を持つ白蛇に鳥居を頂く「宇賀弁才天」が造像され五穀豊穣を祈願された,奈良は弁才天信仰に篤く興福寺三重塔内の宇賀弁才天
(窪弁財天)の開扉は年一日(77日頃)であるが存在を知られている、宇賀弁才天は花町の女性達の信仰も篤く伏見の長建寺弁天祭りが七月最終日曜日に行われている、因みに蛇は宇賀神の象徴とされている。
日本に於ける弁天信仰は聖武天皇、光明子夫妻が金光明経の信仰からから吉祥天と共に東大寺の修生会
(正月に行う五穀豊穣祈願)や吉祥悔過に発展して貴族間を中心に古く奈良時代からあり空海も信仰があったと言われる、特に近世以降は、ご利益の範囲も広く伎楽の神・天災の除去と福徳の利益があるとされることから、女性では唯一当初から日本独自の信仰である七福神に加えられている、江戸時代以前から七福神信仰は蓄財の神として大いに崇められ鎌倉の「銭洗い弁天」など現世利益信仰は庶民の生活に密着していた。
重複するが金光明経の巻78「大辯(弁)才天女品第15」、巻10「大辯才天女讃歎品第30」には陀羅尼を唱える事や賢者の沐浴法等を推奨している、すなわち
金光明経には「身を沐浴し、鮮潔の衣をまとい、草座の上に坐し」とあり、河や湖水に於ける沐浴法が説かれており水の神である事から海など水辺に多く祭られ・江ノ島
(妙音弁財天) ・厳島(安芸・大願寺) ・竹生島(宝厳寺・琵琶湖)を日本三弁天とされその他にも上野不忍池等もある、また「論書、経蔵、美文芸に於いて我が智を成就せしめよ」と記述され学問の神としての性格が言われている。
鎮護国家の経である「金剛明経」などの儀軌には二・六・八臂が説かれるが、日本に存在する像は二・八臂で中国の貴婦人の姿である、密教系の姿形としては「金光明経」に左肩は衣で覆い右膝を地に付けて合掌に記述がある、二臂で琵琶を持つ像が多いが仏典吉祥天と共に初めて女性を登場させたが吉祥天信仰は鎌倉時代を境に衰える、代わって勢いを増したのが弁才天である、八臂像は護国三部経の一経である金光明最勝王経の大弁才天女品によるものである、因みに日本最古の弁才天とされる東大寺法華堂の尊像は八臂である。
戦闘の為に持つ武器の内訳は弓、矢、刀、矛、斧、長杵、輪、羂索である、二臂像は琵琶とバチを持ち調べを奏する音楽神の形をとっている。
元来は密教尊であり、如意輪観音の応化身とも言われている様だ、大日経では妙音天、美音天等との記述がある、それに伴う胎蔵界曼荼羅では菩薩で表されている。
頭上に翁面蛇体の宇賀神をいただく姿の、宇賀弁才天
(宇賀神将・宇賀神王)が信仰され眷属の十五童子を従える場合が出来る。
千手観音が脇侍を置く場合、右側に功徳天(吉祥天)で左側が婆藪仙が普通であるが、フランスのギメ美術館にあるペリオコレクションには大弁才天との記述があり、同一視されている可能性の指摘がある、また敦煌の千手観音にも同様の配置が観られる。
金光明最勝王経を基に造像された東大寺法華堂
(三月堂)の像は日本最古の弁才天で軍神的性格を持ち八臂で弓・矢・刀・斧・金剛杵・輪・羂索を持った像がある、また成島毘沙門(岩手)の様に頭上に2頭の象を戴いた像もある、また中世に作られた経典に「弁天五部経」がある,名古屋市には曹洞宗の古刹で近年は名古屋大仏で知られる()巌寺(がんじ)がある、ここには八臂で弁才天の標準タイプや、大日経に説かれる裸身二臂で琵琶を弾き艶麗な美しさを持つ弁才天の他に、裸身で仰臥し厚い化粧で下半身は鮮潔の衣をまとう像がある、因みに八臂像は金光明最勝王経に記述されている。
下述するが日本で独自に考え出された様式が絵画で鎌倉末期に八臂像・「十五(十六)童子」が描かれ始めた、十五童子には禄・命・身の分担があるとされ夫々本地仏がある。因みに童子数の相違は最後の善財童子(乙護(おとご)童子)をカウントするかである、日本の神と習合した宇賀弁才天(宇賀神将・宇賀神王)が信仰され眷属の十五童子を従える場合がある、また奈良では修験道と習合した弁財天信仰が盛んで役行者の命日とされる六月七日には祭礼がある。
弁才天には「十五(十六)童子」が眷属している寺院があるが、宇賀弁才天の創作的な童子たちである、因みに童子数の相違は最後の善財童子(乙護童子)をカウントするかである。
奈良地方には弁才天信仰は盛んである、1740年(元文五年)の記録で弁才天を奉る寺院は二十ヶ寺、祠は八十ヵ所存在したと言われている。(仏像歳時記・關信子) 
最大級の弁才天像に朝鮮総連本部ビルの買取で話題になった、池口恵観率いる烏帽子山、最福寺(鹿児島市平川町)の大仏殿には大仏師・松本明慶の工房で造顕されたH 18.5mの木造(ヒバ材・坐像)・弁才天像がある、比較対象として東大寺・南大門の金剛力士の阿形像H 8,363m、 吽形像 H 8,423 mである。

余談になるが弁才天に関連すると言う宗派に「辯天宗」がある、高野山真言宗の流れを汲み1952(昭和27年)に智辯宗として独立する、大森智辯(智辯尊女を呼称大森清子)が大辯才天女尊より天啓を受けたと言う、高校野球に力点を置き智辯和歌山と智辯奈良は甲子園の強豪常連校である。 
辯天宗は総本山を宇賀山妙音院如意寺と言い、奈良県五條市野原西4-6-25にあり、大阪府茨木市西の飛龍山冥應寺を辯天宗宗務庁としている。   ...


 1印鑰(いんやく)童子ー釈迦如来  2、官帯(かんたい)童子ー普賢菩薩  3筆硯(ひっけん)童子ー金剛手菩薩  4金財(こんたい)童子ー薬師如来  5稲籾(とうちゅう)童子ー文殊菩薩  6計升(けいしょう)童子ー地蔵菩薩  7飯櫃(はんき)童子ー栴檀香(せんだんこう)仏  8衣装(えしょう)童子ー摩利支天  9蚕養(さんよう)童子ー勢至菩薩   10酒泉(しゅせん)童子ー阿弥陀如来  11愛敬(あいきょう)童子ー観音菩薩  12生命(しょうみょう)童子ー弥勒菩薩  13従者(じゅうしゃ)童子ー菩薩  14牛馬(ぎゅうば)童子ー薬王菩薩  15船車(せんしゃ)童子ー薬上菩薩となる、16番目は・善財童子(乙護童子)

      

桃巌寺(名古屋市千種区四谷通) 桃巌寺は曹洞宗の古刹であるが、総高十五mの名古屋大仏、上半身裸体のねむり辨天、や八臂辨天等妖艶な像が安置されている。   これは琵琶を弾く裸辨天です。   


1 ヴェーダ聖典   Rgveda BC2000500年ころのインドに於ける最古の経典の一つでバラモン教に於ける神々を讃える賛歌を主体とする経典である、 リグ・ヴェーダ、 サーマ・ヴェーダsāmaveda、 ヤジュル・ヴェーダyajurveda、 アタルヴァ・ヴェーダatharvedaがある、因みにヴェーダとは漢訳経典では明呪とか智識と訳されている、表現を変えれば、「神々への賛歌、祭祀の集合」したものである。 
リグとは讃歌を意味しヴェーダはバラモン聖典をさす、゙サンヒター Samhiā 讃歌 ・呪文 ・祭詞を集成した本集、 ブラーフマナ Brāhmanā サンヒター補助部門、 当初は口伝で伝承されたが文字の発達に伴い文書化された、また中国では「梨倶吠陀」と記述される、サンヒターとはヴェーダの本体部分を言うブラーフマナ、アーラニヤカ、ウパニシャッドは注釈・解説、思想哲学部分を言う

リグ・ヴェーダ聖典 Rgveda BC2000500年ころのインドに於ける最古の経典の一つでバラモン教に於ける神々を讃える賛歌を主体とする経典である、 リグ・ヴェーダ、 サーマ・ヴェーダsāmaveda、 ヤジュル・ヴェーダyajurveda、 アタルヴァ・ヴェーダatharvedaがある、因みにヴェーダとは漢訳経典では明呪とか智識と訳されている、表現を変えれば、「神々への賛歌、祭祀の集合」したものである。 
リグとは讃歌を意味しヴェーダはバラモン聖典をさす、
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゙サンヒター Samhiā 讃歌 ・呪文 ・祭詞を集成した本集、
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゙ブラーフマナ Brāhmanā サンヒー補助部門、 
当初は口伝で伝承されたが文字の発達に伴い文書化された、また中国では「梨倶吠陀」と記述される。 
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゙アーラニヤカ Aranyaka 森林書 呪文、祭義の解説

   ヴェーダ聖典に於いて最も熟成したのが、
*ウパニシャッド(梵語 奥義書)である、その思想は汎神論(はんしんろん)の発端を示している、梵我一如 (中村始仏教入門 春秋社)汎神論とはブリタニカ国際大百科事典に依れば神と存在全体 (宇宙、世界、自然) とを同一視する思想体系。両者を一元的に理解し、両者の質的対立を認めない点で有神論pantheism)とは異なる。歴史的諸宗教において、その神秘的側面を理論化する際に表われる体系化の一つの型である、たんてきに言えば総ての存在は神である、神と世界とは一体と観る宗教観、思想観と言える。
ヴェーダ聖典を読むことを許されている階層は婆羅門brāhmaaだけに限られる様である。 



2、ベーダ聖典に登場する三女神

*ラクシュミーLakshmi, Laxmi)美・富・豊穣・幸運を司る、日本仏教では「吉祥天」を充ている。

*ドゥルガーdurgā)近づき難い者を意味する、アスラ神族と戦った。シヴァ神の神妃とされ、シヴァの恐ろしい側面と対応する魔討の女神。

*サラスヴァティーSarasvatī)は、芸術・学問などの知を司る女神で仏教では「弁財天」が相当する。


 真言 オン ソラソバテイエイ ソワカ 
      

主な弁財天     

東大寺(法華堂)立像 塑像彩色 219.0㎝  天平時代  今光明最勝王経を依経とした日本最古、八臂、

秋篠寺 立像 頭部脱乾漆 体部木造彩色 鎌倉時代  

●考恩寺 立像 木造彩色 木造彩色 117,6cm 平安時代 

●高貴寺 坐像 木造彩色玉眼 44,2cm 鎌倉時代 

●鶴岡八幡宮 坐像 木造彩色 玉眼 95,7cm 鎌倉時代(1266年) 裸身であるが衣装を付て実物の琵琶が持てる写実性を特徴とされる。  神奈川県鎌倉市雪ノ下2   

唐招提寺  当麻寺  浄瑠璃寺  興福寺(宇賀弁才天)   長建寺(京都)  桃巌寺(名古屋市千種区四谷通)  

寺院外 ●江ノ島 裸形弁天座像  
        近江 竹生島弁天相模  江ノ島 弁天安芸  厳島 弁天陸前  金華山 弁天
 

*朝鮮総連本部ビルの買取問題で賑いを見せた鹿児島県平川町の最福寺の弁才天像はH18.5mW15tで世界最大の弁財天座像である、造顕は大仏師・松本明慶師による。


最終加筆日2004115日 12月29日 200828日 2011625日 2013年11月17日写真+補筆 2014年11月3日奉る寺院祠 12月16日天女品 2016年9月29日偽経の件 2017年1月28日 5月25日 11月12日 29日 2019年9月29日 2020年1月29日 2月19日加筆  


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