観音菩薩はインドにおいて興隆するヒンズー教に対抗するために作られた菩薩である、概ね大乗仏教の初期(2~3世紀)に登場した菩薩で、・大乗仏教・密教等に於いて最重要かつ普遍性の高い菩薩である、日本に於ける経典のベストセラーと言える般若心経や法華経(観世音菩薩普門品)等に
観音菩薩は深遠な智慧を持つ主要な尊格として登場する、「観音
観音菩薩のパワーは観世音菩薩普門品二十五を、薬師寺の元館主の
観音菩薩は浄土系に於いて無量寿経に登場する、華厳経二十七章では
元来は古くからバラモンに信仰された神であるが、梵語名は明確とは言えない、ただし通常は「アバローキテーシュバラ(avalokiteśvara bodhisattva)
観音経の関連としてあらゆる方向に顔を向けた、すなわち「普門」と漢訳されたサマンタ・ムカ(samanta mukha)がある、漢訳に付いて玄奘は「大般若波羅蜜多経」に於いて観自在菩薩と訳したが、鳩摩羅什は「法華経普門品」に於いて観世音菩薩or観音菩薩と訳している。
大正七年に発表以来超ロングセラー(long seller)となり日本最初ともいえる古寺巡礼者に対する啓蒙の書である和辻哲郎氏の古寺巡礼(岩波書店)に於いて「世界に比類の無い偉大な観音菩薩」と絶賛されているのが・薬師寺
聖観音菩薩は大乗仏教(mahāsāṃghika マハーサンギカ
)の興りと共に現れた尊格と言える、因みに聖観音菩薩の「観る」であるが、薬師寺の元管主は都合よく説く、即ち「・見る・看る・診・観」があり眼ではなく「心」でみるのが観であると言う、即ち
観音菩薩は仏教と基盤を同じくするヒンドウー教(Hindu)の最高神の一尊であるヴィシュヌ(Viṣṇu)
インドの古銭に刻まれている梵語のイーシャ(īśa)像で主を意味する、これがイーシュバラ (īśvara)とも呼ばれ漢字で自在と訳された、これにavalokikāと言う修飾語を付けてアバローキテーシュバラ(Avalokiteśvara)とされた、西遊記のモデルで正統な梵語を熟知していた玄奘三蔵が般若心経の翻訳に使用した「観自在」がabalakita(観)とśvara(自在)とに分類している事等で支持されているが自著の「大唐西域記」には「阿縛盧柷低濕伐羅」と音訳している、一方法華経を漢訳した鳩摩羅什(注13)は観世音・観音と訳している為に結論を出すのは難しい、ほかに聖観自在菩薩を正式名称と言う説もある、光り輝く(ruc)・響く・音(svara)を見るなどの解釈もあり光世音(竺法護・Dharmaraksa)と訳した経典もあるが旧訳に属する、因みにヒンドウー教のシヴア神の影響に付いてはイーシュバラ (īśvara)がシヴァ神(Śiva)の別名である事から来ている、観音・観世音(鳩摩羅什)・観自在(玄奘)と時代及び訳者により記述は違うが全て同尊である、閑話休題、日本に於いては般若心経は玄奘の訳が読まれている、また鳩摩羅什は般若心経を「大明呪経」と訳している、観音菩薩に観が選ばれた理由としてカンには観、勧、見、視等々あるが「己の心と他人の心を同一に診る姿勢」からとされる。
頼富元宏氏は観音菩薩を三分割にする。
1 独尊で諸難義からのサルベージ(salvage)。
2 阿弥陀如来の脇侍(勢至菩薩と共に随侍として)としての存在。
3 密教尊即ち十一面観音、千手千眼観音、如意輪観音等々に有ると言う.
佐久間瑠璃子氏は観音菩薩を三系統に分類し 1、観音経に記述される大乗仏教特有の菩薩、 2、密教的すなわち多面多臂の変化観音、 3、中国で興隆した・楊柳観音、・龍頭観音、
・白衣観音(パーンダラヴァーシニー pandara vasini)、・魚籃観音等々に分類している。 (観音菩薩 春秋社)
2、に付いて密教系変化観音すなわち十一面観音、千手観音、等々は陀羅尼信仰の興隆に寄与している。
観音像の造像は2~3世紀頃にガンダーラ(パキスタン北西部にあった王国Pāḷi語gadhara 梵語gandarah)に於いて一面二臂で登場したが冠飾はターバンの様で化仏を付け、蓮華か花網を所持していた、但し観音信仰に対する依経は紀元二世紀後半の「法華経第二十五、観世音菩醍普門品」が嚆矢とする説が多数である、依経としては後に成立した「大無量寿経」では勢至菩薩と共に阿弥陀如来の脇侍として扱われる、更に「華厳経入法界品」(第27章)では補陀落山の教主として説法していると記述されている。
もう一つの分類方法では、概ね二系統に分類すると一面二臂像が顕教系で、多面多臂像が密教系と言う分類法もある。
普段使用されていないが音訳も為されている、「阿縛廬枳低湿伐羅」「阿縛廬吉低舎婆羅」「阿縛廬枳帝湿馬嚩囉」(あばろきていしゅばら)などがある。
元来は正法妙如来という覚者であったが、衆生救済の目的で自土すなわち娑婆(saṃskṛta サハーの音訳 大地の意味も)
呼称に「観音菩薩」とか「聖観音」「微妙円通大士」等と称されるが聖観音菩薩は独尊像として祀られる場合にほぼ限られている、但し正式名称は「観音菩薩」である。
観音菩薩の分類には別の見解がある、佐久間瑠理子氏説の概観(観音菩薩・春秋社)
1、観音経、大乗仏教により菩薩が神格化された。
2、密教仏すなわち変化観音など。
3、源流がインドにはない中国で生まれた
現世に於いての慈悲を標榜している菩薩である、大乗仏教の尊格の中で最も信仰(支持)を集めた菩薩で日本では法華経・普門品(観音経)に説かれる独尊、または観無量寿経などの浄土教系経典の言う阿弥陀如来の脇侍として勢至菩薩と共に来迎してくれる菩薩や八大菩薩などの集合尊として信仰される、因みに観音菩薩の功徳は「仏説大乗荘厳宝王経」には災害や病だけでなく、
多面多臂の変化観音であるが、佐久間瑠理子氏に依ればヒンドウー教の興隆から密教尊に取り入れられた、また多羅菩薩を始め吉祥天、弁才天等々の女性的性格の尊格は総てヒンズー教からの移入と観て過言ではない。
閑話休題ヒンドウ―教は婆羅門を基盤としながら土着信仰を取り入れた哲学で、ヴェーダ聖典(Veda)
空華の萬行(注16)を修すると言う観音の行は「坐水月道場 修空華萬行(水月の道場に坐し)」即ち観音の無限の慈悲を行い、跡を留めない水月・空華にあるとされる、因みに空華とは煩悩に囚われた状態で実在しない事の存在を信ずる事を言う。
観音菩薩は後には密教の仏として多様に変化して六観音や曼荼羅等々にも現れる、従って観音信仰は密教の隆盛と共に大きく発展する、所持品も綱、剣、数珠等々多彩になる。
観音菩薩は独尊の場合は衆生の難儀を救済するが三十三の姿に応現身(注3)即ち変化もする、因みに金剛界曼荼羅に金剛法菩薩が登場するが観音菩薩が勧請を受けた密教名である、密教と言えば真言宗系の寺に観音、勢至の両菩薩が逆配置の寺がある、「阿唎多羅陀羅尼阿嚕力経」「観自在最勝心明経第九品」「陀羅尼集経」などの密教系経典を依経としており、多く右観自在・左大勢至の記述が観られる為に仁和寺・浄土寺などで採用している様である。
聖観音(正観音)から変化した変化観音菩薩(注1)はインドにはあまり見られないが中国で七世紀頃から広く信仰された様である、信仰される仏像は国により相違はあるが、観音菩薩は中国では仏教三大聖地(・峨眉山・五台山・普陀山)の一山・普陀山の本尊が観音菩薩であり、道教寺院にまでも祀られ朝鮮や日本等に於いて篤い信仰をうけている、因みに「聖」・「正」ともに「しょうかんのん」と発音され記述は分かれるが同尊である、通常は阿弥陀如来に従う三尊の場合は観音菩薩と呼称され独尊の場合は聖観音菩薩と呼称されている事が多い、これは平安時代以降に現れた変化観音との区分上使用されている、密教の請来を受けて日本では平安時代より視覚的インパクトの強い十一面観音・千手観音・如意輪観音等の変化観音、即ち六観音(注2)が信仰を生み出す、因みに観音菩薩の聖、正、を付けて呼ばれるのは変化観音の登場いらいである。
佐和隆研・仏像図典に依れば旧訳に観世音菩薩・光世音菩薩と訳され、玄奘以降の新訳は観自在菩薩と訳されていると言う、しかし他に伝播のルートにもよるとの主張もある。またAryaは正しいと言う意味もあり正観音とも言う、また普門品は梵語でsamanta mukha (サマンタ・ムッカ))の別名をも持ち総ての方向に顔向けると言う意味があり六観音(注2)や三十三観音(注3)、等の変化観音が誕生する、密教の普及と共に著された変化観音は初めに仏像ありきではなく、ご利益を求めて呪術や陀羅尼が出来た末に、そのパワーをイメージして尊像化された、印相は複数あるが、聖観音を念ずるには慈悲と救いを象徴する *八葉印、 覚りへ導く *蓮華部心印等がある。
「法華経・観世音菩薩普門品」通称「観音経」が嚆矢と考えられる、造像は二世紀頃ガンダーラ周辺で発生したと言う、当初は一面二臂であるが、ヒンドウー教の影響を摂取して多数の姿形が説かれて変化観音の始まりとなる多面多臂が顕わされる、普門品二十五には観音の銘々理由が記述される、即ち「衆生の苦難が聞こえるとき救済に向かう」と言う、ちなみに「普門品」の普門とは総ての方向に開かれた門を意味する。
観音菩薩の源流はシヴア神(Śiva)
顕教・密教双方に於ける経典の多くに現れている観音菩薩は、阿弥陀如来の来世に於ける救済ではなく
中でも実利的現世利益を称え、信仰面でも仏像観賞の面でも最高の支持を集めているのが薬師如来と共に観音菩薩ではなかろうか。
平安時代には浄土信仰の興隆から臨終時に来迎を受けられると言われたが、先頭に現れるのが観音菩薩である、因みに来迎とは臨終者を彼岸(あの世)から仏が此岸(現世)へ迎えに来てくれる事を言う。
五木寛之著・百寺巡礼(講談社)に拠れば「観音信仰」は「浄土」ではなく現世の利益を祈願する事に結びついていると言う。
観音信仰の興隆は祈願すれば望みが叶う様に
観音菩薩の性別に付いて中村元氏に依ればインドでは梵語でのAvalokiteśvara、すなわち観音から発信されるイメージは明らかに男性名詞である、貴族・勇者を意味すると言う、華厳経には「勇猛なる男子(丈夫)、観世音菩薩」の記述がある、さらに正木晃氏は法華経(春就社)に中で菩薩の梵語名は
bodhi sattvaであるが紛れもなく男性名詞であると言う、佐久間瑠理子氏は観音経の梵語原典で観音菩薩の変化身は十六尊で総て男性であるが、鳩摩羅什の漢訳では十七尊多い三十三尊で女性が多く加わる、比丘尼、優婆夷、、婆羅門婦女、長者婦女、童女等が加えられている、観音菩薩は中国に渡り女性化する事により母性本能をくすぐる観音信仰が興隆したのではないか、これはカトリック等のノートルダム(Notre-Dame―我らの貴婦人―マリア)
ただし観音の前系としてアナヒター(anāitā)即ち水、豊穣の女神としての信仰もみられるとの記述もある。
中村説に対して観音菩薩研究者、後藤
性別に変化を見せ始めたのは大乗仏教の中国に於いてオリエントの母神信仰を受容した為に六世紀後半頃から髭が無くなり、ふくよかな女性を連想させる菩薩像に変化を見せると言う説がある、また一説には鳩摩羅什の漢訳が女尊形の観音を生む触媒の役割を持った様にも言われる、即ち法華経普門品には比丘尼、
女尊インド説ではマーラテイー(mālatī)はヒンドウー教左派では女性神格であり中国や日本に対する影響が思惟される、これ等の尊挌が准胝観音・多羅観音菩薩・馬郎婦観音菩薩などの誕生に繋がる、余談になるがイーシュバラ (īśvara)は男性の最高神であるのに対して、ビシュヌ神(vaiolava)は女性の最高神とされる、観音菩薩が女尊扱いとなる原因は則天武后(623年~705年)が関係しているかも知れない、彼女は弥勒菩薩の生まれ変わりを自称し女性の菩薩を造像させた可能性は否定出来ない、特異な説かも知れないが、前述した古代ペルシャで信じられ輝きを放つ女神「アナヒーター、anahita」の影響を言う説もある、鈴木大拙は観音菩薩やマリアに付いて裁く神ではなく、総てを包み込む母性神を持つ哲学が「本物の宗教」的な主張をしている。
インドの観音菩薩は中国や日本に於いて女性的に感じられる観音像とは大きく異なる,但し観音菩薩は通性(両性)すなわち超性を言う解説書も存在する、但しインドに於いてもヒンドウー教左道派に於いては女尊であると言われる、具体例として象頭人身で抱擁し合う歓喜天(聖天)の女尊は観音菩薩の変化神である。
中国に於いて女尊の観音菩薩が生まれたもう一つの要素として法華経第二十五品の変化観音に女性に変化する様な記述からかも知れない、理智的な親鸞からは本来考えられないが、聖徳太子が六角堂に籠った折に観音菩薩が女性に変化云々のアネクドートも浄土真宗などで言われている。
女性神格的解釈に鈴木大拙氏の「日本的霊性」「東洋的見方」等々を自己流に見れば、世界最高の信者を擁するキリスト教・カトリックには聖書に記述はないがマリア崇拝がある、観音菩薩は男性であるが女尊的霊性があると言うべきか仏教では観音菩薩を女性に変換して母性信仰を作り出している、裁きを与える男性神に対して、総てを受け入れてくれる女性神である観音信仰やマリア崇拝は宗教には不可欠かもしれない。
中国に於いて観音菩薩信仰はオリエントの母神信仰の影響を受けた様で興隆し偽経である「高王観世音経」が作られる程である、観音菩薩だけでなく菩薩信仰が篤く、文殊菩薩の聖地である五台山を始め、仏教聖地として四大名山があり総てが菩薩の聖地とされた、因みに四大名山とは山西省の五台山(文殊菩薩) 四川省の峨眉山(普賢菩薩) 浙江省の普陀山(観音菩薩) 安徽省の九華山(地蔵菩薩)が言われている。
また観音菩薩の貴に対して弥勒菩薩が行者と捉えられて釈迦如来に遵っている。
一般的に呼称としては観世音菩薩と呼ばれる事が多く、補陀落山に於いて多くの菩薩達を従えているとされる、因みに華厳経に於いて観音菩薩の浄土として補陀落山が説かれている、「不空羅索神変真言経」に観世音菩薩の大宮殿が
補陀落山とは梵語名をPotalaka(ポータラカ)と言い経典により相違はあるが観音菩薩の浄土すなわち霊場で「須弥山」によく似た九山を有し付近は大海がある、中央の山の広大な広場には樹木が宝で出来ており楼閣が並び眷属に傅かれた観音菩薩が座していると言う、観音菩薩を扱った経典は多くある・法華経・観無量寿経・無量寿経・首楞巌経・華厳経・陀羅尼集経・不空羂索神変真言経等に描かれており玄奘三蔵の大唐西域記にも記述されている、特に華厳経の入法界品にはPotalakaすなわち補陀落山の所在が説かれている為、「本尊巡礼」いわゆる観音霊場発生の要因になっている、ちなみに日本に於いては那智山が補陀落浄土の東門と考えられ、嚆矢となったのが西国新十三ヶ所霊場である、因みに須弥山とはスメール(sumeru)の音訳で、インドに於いては世界の中心に位置する架空の山を言い、佛教に於ける宇宙論の中核の場所を言う、七つの山脈と 八大海に囲まれ高さは八億㍍とも言う
補陀落浄土に対する信仰はチベットでも顕著である、最大宗派のゲルグ派の転生活仏であるダライラマ五世創建のポタラ宮は世界最大級の建造物として知られている、ポタラとはポータラカ即ち補陀落山を意味する。
観音信仰は顕教に於いては法華経普門品で密教では六観音信仰(注2)を中心として広がりを見せた、儀軌としては華厳経(入法界品)・大無量寿経・観無量寿経・観世音菩薩授記経・「法華経の観世音菩醍普門品、第二十五」(注3)等の中に観音力が述べられている、また普門品には変化の姿が説かれており如来・菩薩・独覚・声門に姿を変えサルベージに務めるが密教経典の「摂無礙経」等と混在して三十三身に置かれる様になる。
観音は大乗佛教の中心的存在でありその要諦とも言える般若心経に於いても観音の般若、即ち大きな智慧、波羅蜜多を行う時五蘊(注8)全て空であると説いている、また観音経で著名な言葉に「遊於娑婆世界」が言われ浄土から娑婆に遊びに来て三十三(三十三応身)の姿に変化するという、これを
三十三と言う数字の源はインドの土着信仰(リグヴェーダ聖典Ṛgveda)に於ける三十三天(trāyastriṃśad deva-sthāne)即ち須弥山の最上階に住む神々の数から引き継がれている様である、因みに漢訳本では三十五身に増えているが、チベット等に伝わる梵語では十六身だけが記述されていると中村元氏は言う、因みにネパールに於いては108種類もの観音が存在する。
観音信仰は複数の起源を持つ、観音菩薩のサルベージは釈迦如来の教義とはコンフリクト(conflict)即ち二律背反の関係にあり本来は仏教的とは言えない、観音の起源の一つは楊柳観音系で阿弥陀如来の脇侍としての系統とゾロアスター教・バラモンの流れにある白衣観音からの変化観音の系統がある、佐和隆研氏に依れば観音の変化の源流はシヴァ神の妃ウマーの変化とも言われている、ウマーは千の姿に変化して衆生の危機を救済すると言われ、利益が観音菩薩と類似している。
繰り返すが特に顕教に於いては法華経の観世音菩醍普門品の教義からが嚆矢とされる、この信仰は一・二世紀頃には始まっておりヒンドウー教のシバ神が起源とされている、観音菩薩とは阿弥陀如来の脇持として西方浄土で活躍する一面一臂の聖観音(正)を除けばヒンドウー教の影響を受けた多面多臂の像が多い、観音の種類は変化観音を含めると十一面観音・千手千眼観音など多義にわたり胎蔵界曼荼羅の蓮華部院の中だけでも聖観音を中心に如意輪観音・馬頭観音など二十一尊にも及ぶ、因みに密号を正法金剛と言い大日経疏には蓮華部の主尊として大精進観自在菩薩の名で記述がある。またチベットやネパール佛教では百八観音(108観音)・日本でも六観音・三十三観音など呼ばれる。
観音菩薩の像高であるが観無量寿経に記述があり、80万億
観音信仰には難しい教義は無く極めて現世利益的であり、観音経すなわち「法華経観世音菩薩普門品」に拠れば観音菩薩の名を唱えれば三十三の姿{応現身(化身)・注3}に変えてあらゆる災難を取り除いてくれるとあり大衆に広く浸透していった、また帰依を受ける階層が広大で禁裏から貧しい庶民まで篤い信仰を集めた、絵画として国宝・粉河寺縁起に見られる様に千手観音に多様な階層の人々が合掌している。
煩悩の根本と言える
観音菩薩の行とは「坐水月道場 修空華萬行(水月の道場に宴坐し、空華の萬行を修す)」即ち観音の無限の慈悲を行い跡を留めない水月・空華にあるとされる、「所以修習空花萬行・宴坐水月道場」因みに空華とは煩悩から起る妄想、萬行とは細行で数は8万4千と言う、水月道場とは現世に於ける真である。
法華経普門品の言う観音菩薩の持つ現世利益的な信仰はヒンドウー教を色濃く取り入れており、成仏を目的とする上座部佛教とは二律背反と言っても過言ではない、さらに無量寿経に於いて阿弥陀如来の脇侍として大乗の菩薩の典型とも言える宝冠など装いを凝らしして顕れることは方便そのものと言えよう。
観音菩薩の造像の広がりはインド古来の独尊以降は中国仏教の爛熟期すなわち唐時代の前期に起こった浄土信仰と連動して阿弥陀如来の脇侍としての構成になるが、後半期には密教の流入があり再度独尊で造像され、変化観音の発生を促した。
観音菩薩は大乗仏教圏に於いて普遍的に篤い信仰を受けているが、チベットに於いての観音信仰は強烈である、すなわち有縁の本尊であり自国が観音浄土との信仰が厚い、ちなみにダライラマ達は観音菩薩の化身である、またチベットでは一面四臂の観音菩薩と千手観音像が多い。
日本には多くの観音霊場が有り・西国三十三ヶ所 ・坂東三十三所
また中国の六観音信仰を変化させた日本の六観音がこれらの霊場に分布している。
浄土信仰の興隆と共に勢至菩薩と共に阿弥陀如来の脇持となって多くの優れた三尊像が現存している、三尊形式の場合勢至菩薩の智慧に対して慈悲を表す菩薩と説明している案内書が多い。
阿弥陀三尊に付いて山折哲雄著”法然と親鸞”(中央公論社)から引用する、法然の幼名勢至丸と華頂山の勢至堂の関連から勢至菩薩の生まれ変わりと観る、弟子の親鸞には恵信尼の夢を観音菩薩として「観音、勢至の二菩薩が揃踏みをして、阿弥陀如来の両脇をかためる、------法然像と親鸞像を軸とする阿弥陀三尊信仰の誕生---」との記述がある。
形姿として観音経すなわち法華経・普門品には記述はなく観無量寿経に言われている、一例を言えば第十巻「天冠の中に一の化仏が立つ」、他に特徴として阿弥陀如来の脇侍としての姿や頭部の肉髷・紫金色・白毫相・足に千幅輪相・宝冠に小さな化佛(阿弥陀如来)つけている、化佛の無い場合は一般的に菩薩像とされている、持物は水瓶もしくは蓮華・楊枝とされる、従って飛鳥時代の観音像に宝冠に化佛の装備した尊像は無く観音菩薩と確定する事は難しい、因みに泉涌寺の塔頭寺院である即成院の様に来迎の為の蓮台を持つ尊像もある、こんにちインドに現存する観音菩薩は8~12世紀の作品が多い様で、己の頭髪で結んだ冠(ジャタームクタ Jatamukuta)すなわち髪髻冠に右手に与願印を結び左手には蓮華を持つ像が多い。
以上のように阿弥陀信仰とともに発達した観音とは別に「陀羅尼集経」による観音がある、従って浄土は複数る事になる、前述は「極楽浄土」であり、華厳経入法界品の補陀落山である。
白衣に高い髷を結い護摩を焚くヒンドウー教的かつ密教的な観音がありこの観音が前述の普門品(総ての方向に顔を向ける)と共に変化観音発生の源の一つと言える、因みに変化観音は初期密教から中期密教に移らんとする頃に登場したとも言える。
観音菩薩は密教に於いても重要視されており密教の八大菩薩の一尊である、ちなみに密教修法の「白衣法」による白衣観音は八大菩薩とは・観音菩薩・文殊菩薩・弥勒菩薩・金剛手菩薩・普賢菩薩・地蔵菩薩・虚空蔵菩薩・除蓋障菩薩を言う、八大明王と言う群像もあり、その一尊に観音菩薩の化身として馬頭明王がある(八大明王は明王参照)、因みにインドに於ける出家者の衣は黄色であり白色の衣は在家者が着ると言う記述もある、白衣観音は在家者の姿で救済に当たったとも言える。
その他の観音菩薩に六字観音と言う観音菩薩がある、六時とはインドに於いて一日を・農朝・日中・日没・初夜・中夜・後夜の六時に分類した習慣がある、常時衆生を守護してくれる意味があり、梵篋を持つことから梵篋観音とも言われる、チベットやネパール等の後期密教圏に於いてはサーダナマーラ(sādhanamālā・観想法の花環・Sādhana成就、mālā集)に記述されるヒンヅー教のシヴアの化身から取られた獅子吼観音や六字観音、青頸観音、生起観音等々が存在している。(佐久間瑠理子・観音菩薩・春秋社)、その他シヴァ神からの変化及び同尊と言われる菩薩に
京都では京都七観音と言われる七ヶ寺があった、*行願寺 *清和井院 *吉田寺 *清水寺 *六波羅蜜寺 *六角堂 *妙法院(三十三間堂)である、因みに七観音とは真言宗と天台宗の六観音菩薩の集計であるが五観音は共通であり異尊は准胝観音菩薩(真言)と不空羂索観音(天台)の二尊を加えた七尊である。
また初期の観音像には請観世音授記経にある楊枝浄水即ち七宝の池からの八功徳水と言う無尽蔵に水を供給できる水瓶を手にした楊柳観音などが多かったがインドと違い日本では白山信仰や稲作とは矛盾するが、元来水源は豊富にあり功徳水は救いの対象にはならなかった、そこで日本では瓶に挿した蓮華や直接未開敷の蓮華を持つ像が増えた、因みに功徳水とは梵語のアルガ(argha)で閼伽とも言う。
中期密教の日本では観音菩薩は二世紀前後の登場した観音信仰が多いが、八世紀後期密教の時代には陀羅尼を象徴化した六字観音、転輪聖王獅子吼経の獅子吼観音などが登場している。
また主に七月十日の観音菩薩との結縁の日には「千日参り」(詣で)と呼ばれ清水寺など観音霊場では一度の参詣で千日分のご利益があると言う、また浅草寺などは四万六千日分の結縁を謳い「観音縁日七月十日向四万六千日」に記述も見られる、因みに向とは「相当する」を意味する(仏像歳時記・關信子)、因みに縁日とは結縁の日を略したタームである。
観音菩薩の造像された年代を見ると1997年現在国宝重文指定189尊のうち飛鳥時代35尊・平安時代110尊・鎌倉時代13尊と平安時代を境に変化観音の造像に変わってゆく、県別に見ると滋賀県36尊・奈良県27尊・東京都は国立博物館所蔵(法隆寺献納佛21尊)を中心に27尊・京都府10尊となる。
真言 オン アロリキャ ソワカ 浄土 補陀落 Potalaka
桃巌寺(聖観音菩薩) 泉湧寺(楊貴妃観音) 写真は泉涌寺
注1、 観音霊場 通常「本尊巡礼」と言い、・西国三十三所 ・坂東三十三所 ・秩父三十四所 ・美濃西国三十三所の案内リストは霊場編に記述、江戸時代の歌川広重による「観音霊験記」には西国・坂東・秩父を合わせ百箇所が扱われている。
観音霊場の他に「祖師巡礼」があり四国八十八ヶ所(真言系) ・法然上人二五霊場 ・洛内二十一本山(日蓮系)などがある。
またご利益が観音菩薩と共通点が多い薬師如来を巡礼する西国薬師霊場も作られている。
観音霊場の本尊の多くは六観音で占められている、観音菩薩には担当の救済業務があり、六観音には救済に赴く為に赴く六道に夫々の場所がある、重複するが三十三と言う数字の源はインドのリグヴェーダ聖典に於ける三十三天(trāyastriṃśad deva-sthāne)即ち須弥山の最上階に住む神々の数から引き継がれている様である。
・地獄道――聖観音菩薩
・餓鬼道――千手観音菩薩
・畜生道――馬頭観音菩薩
・修羅道――十一面観音菩薩
・人間界――准胝観音菩薩 (女尊)
・天上界――如意輪観音菩薩とされている。
観音菩薩でもインド、ネパール、チベット等では信仰されているが、日本には馴染のうすい観音を挙げると *獅子吼観音、*青頸観音、*ハリハリヴァーハナ
注2、 六観音とは中国で生まれたもので天台智顗が講義した「摩訶止観」から引用したり、竺難提訳の請観音経(請観世音菩薩消伏毒陀羅尼経)に記述される六字章句陀羅尼から著した六道すなわち六観音システムである、中国では初期密教から中期密教への移行期に・大悲観音(千手観音)・大慈観音・獅子無畏観音・大光普照観音・天人丈夫観音・大梵深遠観音に説かれるが日本では馴染みのある注1の観音菩薩に置きかえられた制度である。
中国の制度を真言宗小野流の祖で随心院を開いた・仁海(951年~1046年)が日本流に変化させて取り入れた制度である、これを密教宗派が観音信仰に変化させて取り入れたシステムで以下の様になる。
真言系では
・聖観音 ・十一面観音菩薩 ・千手観音菩薩 ・如意輪観音菩薩 ・馬頭観音菩薩 ・准胝観音菩薩を言い、天台系や真言宗・広沢派に於いて准胝観音を仏(仏母)に分類して代わりに不空羂索観音が入る、頼富本宏氏はこれ等の観音菩薩は呪句すなわち陀羅尼を説く経典と共に伝来したと言われる(石山寺の信仰と歴史・思文閣)。
日本に現存する六観音像としては大報恩寺に肥後の別当・定慶作の六観音像が揃う。
音・大梵深遠観音に説かれるが日本では馴染みのある注1の観音菩薩に置きかえられた制度である。
注3、 主な三十三応現身とは 示現(inner wish インナーウイシュ)すなわち観音菩薩一切の衆生を救済する手段として状況に応じて出世(変化)する、主な出世を挙げると以下の様に成る、因みに出世とは仏が衆生救済の為に仮の姿に変えて現れる事であり、現在使用されている高い地位が上がる出世とは意味が違う、因みに三十三と言う数字は法華経観世音菩薩普門品、即ち観音経に記述がある、
三聖身 ・佛身(如来の姿) ・声聞身(若者の比丘) ・辟支佛身(独覚身)(壮年の比丘)
六天身 ・帝釈天 ・梵天 ・自在天 ・毘沙門天 ・優婆塞身 ・在家信者 ・優婆夷身(在家信者女性)
五人身 ・小王身・長者身・居士身・宰官身・婆羅門身
四部衆身 ・比丘身・比丘尼身・優婆塞身(upāsaka)・優婆夷身(upāsikā)
四婦女身 ・長者の妻・居士の妻・宰官の妻・バラモンの妻
二童身 ・童男・童女
八部身 ・天身・龍身・夜叉身・乾闥婆身・摩睺羅迦身・執金剛身・阿修羅身 ・迦楼羅身 ・緊那羅身 などに姿を変え救済すると言う、33と言う数は無限の数を意味する。
日本に於いては三十三応現身であるが梵語原本では十二身であり、漢訳では民間信仰を取り入れて三十五身である、但し三十三の神々とはリグヴェーダ聖典の数を仏教が引き継いだとも言われる、リグヴェーダ聖典とは紀元前千年以上以前のバラモン教に於ける神々を讃える賛歌を主体とする経典4種の内の一典である、聖典(ヴェーダ)でありリグとは(賛歌)を意味する、但し佐久間瑠理子著、観音菩薩には、観音の
注4、 主な三十三観音、即ち
この内白衣観音であるが、インドにおいては白衣は白い布であり、在家の色彩であり。出家者は黄色で表されている。
*変化観音であるが、佐久間瑠理子氏に依れば二グループに分類できると言う、第一グループ(前期変化観音グループ)は六観音を中心とした、十一面観音、千手観音、不空羂索観音などで、第二グループ(後期変化観音グループ)には六字観音(シャダクシャリー)、獅子吼観音(シンハナーダ
siṃhanāda )、
注5、 聖観音菩薩 最も標準的(人間に近い)プロポーションで正観音とも呼ばれている、形姿は頭部を除けば十一面観音との共通項は多い、観音経(法華経・観世音菩薩普門品第二五)によると南無観世音菩薩を唱えると七難を排除してくれると言う、
(1)大火の難・
(2)大水の難・
(3)羅刹の難(空中で人を食う鬼の国、非常な恐怖の意)
(4)刀杖の難・
(5)悪鬼の難・
(6)怨賊の難・
(7)忸械枷鎖(罪の有無に関らず手枷足枷をされる)の難である。
観音菩薩の七難に関しては「
注6、聖観音(指定文化財の内)の内水瓶を持つのは飛鳥時代から平安時代初期に懸けての19尊。
注7、 国宝指定の絵画に竜光院の(和歌山)伝船中涌現観音像 絹本著色 掛幅装 平安時代がある。
注8,
1、 色 (身体を構成する5の感覚器官・5根)ルーパ
rûpakkhandha 感覚的物質的 視覚に移る形造られたもの
因みに「蘊」とは集合体を意味する。 認識作用に五根があり眼識・耳識・鼻識・舌識・身識がある。
巷間で言われている「薀蓄がある」「うん(沢山)とある」等に使われる。
五蘊Pañca=5、 khandha=集合の意味である、pañca‐skandha(パンチャ・スカンダ)、六根とは人の所持する六つの器官すなわち*色(rûpakkhandha)、*受(vedanâkkhandh)、*想(saññâkkhandha)、*行(sankhârakkhandha)、*識(viññânakkhandha)を言う、また六内入処とも言う、六識とは眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識、 十二処(十二入)
とは六根と六境を+したもの、十八界とは 十二処+六識を言われる。
五蘊無我説とは、般若心経に於いて「五蘊皆空」と「無色無受想行識」を言う。
雑阿含経の範疇にある「相応部経典(Saṃyutta
Nikāya SN サンユッタ・ニカーヤ)
注9、チベット仏教に於いては観音菩薩は解脱する事なく何度の娑婆に生まれ変る「転生活仏(トウルク)」信仰がある、ダライラマは観音菩薩の生まれ変わりと信じられている、ダライラマの宮殿をポタラ宮と言いポータラカ(普陀落)に由来する、ちなみに補陀落山とは観音菩薩の住む浄土(仏国土)である。補陀落山 観音菩薩の浄土であり補陀洛山と記述される事もある。
梵語名の potalaka(ポータラカ)の音訳で観音菩薩の霊場を指す事もある、観音菩薩霊場でもある為にインド以外にも広がり浙江省の補陀落山・チベットのポタラ宮等がある、華厳経に記述があり善財童子が訪れたとされている。
注10、観音菩薩の性について、本来は如来と同じく性を超越しており男性(勇者)の固有名詞であるが、ご利益がインドの女性神と性格の共通点が多い事からヒンドウー教の影響を受け7世紀中盤頃から女性とも考えられる観音が現れ始める。
注11、梵語 Arya、アーリア 「聖」は「正」の意味も併せ持つ、従って正観音菩薩の呼称も正しい聖・正ともに「しょうかんのん」と発音され記述は分かれるが同尊であり、後に現れた変化観音との区分上使用されている。
注12、 本尊巡礼 巡礼には二種類あり観音菩薩を本尊とする寺院を行脚する西国三十三ヵ所・板東三十三箇所などの巡礼を「本尊巡礼」と言い、空海の四国八十八カ所・法然上人二十五霊場の巡礼を「祖師巡礼」と言う。
注13、鳩摩羅什(クマーラジーバKumārajīva )344~413年
大乗仏教の理論を広めた第一人者である。シルクロード天山南路の要衝亀慈国の王子の一人、7歳で出家しキジルの石窟寺院で佛教を学ぶ、当初は上座部仏教を学が大乗仏教に移り中間派を学ぶ、少年時代中国の侵略を受け17年間の捕虜生活の後、401年長安に呼ばれ経典の翻訳を皇帝から命じられる、父がインドの僧侶(母は国王の妹)の為に梵語に精通しており、竜樹哲学(中間派)を中心に翻訳した経典は294巻(35部)に及ぶ、梵語に精通していた鳩摩羅什は竜樹哲学を中心に翻訳した経典は294巻(35部)に及ぶ、・大智度論・中論・坐禅三昧経・大品般若経・般若心経(般若経典)・法華経・阿弥陀経・維摩経など現在読まれている著作、経典は多義にわたる。
特に法華経は竺法護訳(239~316)など鳩摩羅什以前にも漢訳は数点存在したが鳩摩羅什訳が出されて法華経は隆盛を見る。
漢訳経典の分類に付いては仏書解説大辞典(宇井伯壽監修)には古訳、旧訳、新訳に分類が為され、古訳に竺法護、旧訳に鳩摩羅什、新訳に玄奘達が挙げられている。
注14、主な阿弥陀三尊像 *法隆寺(伝橘夫人念持仏) 阿弥陀坐像・観音勢至立像 飛鳥時代 *三千院(往生極楽院阿弥陀堂) 阿弥陀坐像・観音勢至跪坐 平安時代 *仁和寺(金堂) 阿弥陀坐像・観音勢至立像 平安時代 *清凉寺(霊宝館) 三尊坐像 平安時代 *中尊寺(金色堂)阿弥陀坐像・観音勢至立像 平安時代 *浄土寺(浄土堂) 三尊立像 鎌倉時代 この内浄土寺と仁和寺は脇侍の配置が観無量寿経と左右逆の配置である。
注15、Avalokiteśvaraアバローキテーシュバラの漢訳(音写)は複数ある、「阿縛盧枳低湿伐羅」「阿婆盧吉低舎婆羅」「阿嚩路枳帝湿嚩囉」等々がある。
注16、空華の萬行を修すと言う観音の行は「坐水月道場 修空華萬行(水月の道場に坐し)」即ち観音の無限の慈悲を行い、跡を留めない水月・空華にあるとされる。 空華とは煩悩からの妄想をいう、即ち濁り眼で空を見ると華のように見える。 萬行とは84000の細行。 水月道場とは現世が仏法の道場である。
注17、 聖観自在菩薩心真言瑜伽観行儀軌に依れば、「聖観自在菩薩。結跏趺坐身如金色。円光熾盛。身披軽縠繒綵衣著赤色裙。左手当臍執未敷蓮華。右手当胸作開華葉勢。具頭冠瓔珞。首載無量寿仏住於定相」とある、また聖観自在菩薩心真言瑜伽観行儀軌では聖観音は左手に蓮華、右手でその花を開く手つきをし、頭に冠をかぶるとある。
注18、シヴァ(Śiva)とはヒンドゥー教に於ける、ヒンドウ―教の三最高神の一尊である、三最高神とは・ブラフマン(創造・Brahmā
注19、補陀落山(ポータラカ・Potalaka) 観音菩薩の住む処であるが、玄奘は大唐西域記巻10「
注20、観無量寿経には観音菩薩の具体的特徴が記述してあり、八十万憶百万
注21、
1、燃えさかる火の穴に落とされても観音菩薩の力を念じれば火の穴はたちまち池に変わる。
2、大海を漂流して龍や鬼に襲われても観音菩薩の力を念じれば波に溺れることはない。
3、悪人に山の頂から落とされても観音菩薩の力を念じれば太陽のように空中にとどまる。
4、悪人に追われて山から落ちても観音菩薩の力を念じれば傷一つ負わない。
5、強盗たちに殺されそうになっても観音菩薩の力を念じれば彼らの心は優しくなる。
6、刑場で処刑されそうになっても観音菩薩おを念じれば刀はばらばらに折れてしまう。
7、鎖につながれても観音菩薩の力を念じればたちまち鎖は解けて自由になる。
8、呪いのため命が危険にあっても観音菩薩の力を念じれば、その人に呪いが戻っていく。
9、悪鬼毒龍の怪物に出会っても観音菩薩の力を念じれば、怪物は毒を与えないようになる。
10、猛獣に囲まれて殺されそうになっても観音菩薩の力を念じれば猛獣は去ってしまう。
11、マムシやサソリが毒を吐いても観音菩薩の力を念じればたちまちいなくなってしまう。
12、稲妻が光り大雨が降っても観音菩薩の力を念じればそれらはたちまち消散してしまう。
13、戦場で死の危険にさらされても観音菩薩の力を念じれば敵たちは逃げ去ってしまう。
寺 名 |
仕 様 |
時 代 |
薬師寺 (東院堂) |
銅像立像 聖観音 188,5cm |
白鳳時代 |
法隆寺 救世観音 |
木造立像 178,8cm |
飛鳥時代
|
法隆寺 夢違観音 |
銅像立像 87,0cm |
白鳳時代
|
法隆寺 九面観音 |
立像 木造(白檀) 37,6cm |
唐 時代
|
法隆寺 百済観音 |
木造立像 209,4cm |
飛鳥時代
|
中尊寺 金色院 |
木造立像 74.3cm |
平安時代 |
参考 |
|
|
東 寺 金剛法菩薩 |
木造漆箔 95,8cm 密教では金剛法と同尊とされる |
平安時代 |
高野山龍光院 観音菩薩 |
絹本著色 伝船中湧現観音像 |
平安時代 |
*法隆寺百済観音菩薩は1997年シラク大統領の要請でルーブル美術館に於いて特別展示され「東洋のヴィーナス」と言われた。
*法隆寺救世観音は聖徳太子がモデルとされるが、上宮王院建立の経緯から長屋王の可能性が指摘されている。
●法隆寺 大宝蔵殿 銅像・鍍金・立像
●三千院 半跏 木造漆箔 玉眼 藤原時代
●法輪寺 木造・彩色・立像 藤原時代
●興福寺(国宝舘)立像 木造 粉溜彩色 87,0cm 鎌倉時代
●勝常寺(福島県河沼郡)木造立像(欅) 167,1cm 平安時代
●観世音寺(福岡県筑紫郡大宰府町) 座像 木造漆箔 321,3cm 藤原時代
●南禅寺 立像 木造漆箔 148,5cm 藤原時代
●大安寺 立像 木造彩色 天平時代
●不退寺 立像 木造彩色 191,0cm 藤原時代 花文装飾
●清水寺(勢至菩薩と一対)坐像木造漆箔 玉眼 鎌倉時代
●鞍馬寺 立像 木造金泥彩色玉眼 176,7cm,cm 鎌倉時代 定慶作
●広隆寺(霊宝舘)立像 木造彩色 147,9cm 平安時代
●延暦寺 立像 木造 170,cm 平安時代
●醍醐寺 立像 木造 51,5,cm 平安時代 *1909年観音菩薩として重文指定、2015年3月文化財審議会より虚空蔵菩薩として国宝答申
●南禅寺 立像 木造漆箔 148,5cm 平安時代
●円鏡寺(岐阜) 立像 木造漆箔 166,7cm 平安時代
●櫟野寺 立像7躯 木造彩色漆箔 97,0―180,0cm 藤原時代 楊柳観音 立像 木造彩色 天平時代
●長命寺 木造素地 91.8cm 藤原時代 切金文様 (滋賀県近江長岡市長命寺町157)
●観心寺 立像 木造彩色 170,2cm 平安時代
●石山寺 立像 銅像 天平時代 六観音
●大報恩寺 木造 玉眼 室町時代
●醍醐寺 立像 木造 平安時代
●観世音寺 坐像 木造漆箔 321,3cm 平安時代
●
●鶴林寺 立像 銅像 82,4cm 白鳳時代 兵庫県加古川町北在家424 鶴林寺は播磨の法隆寺と呼ばれている。
●滝山寺 立像 木造彩色 174,4cm 鎌倉時代 三尊形式の中尊 運慶、湛慶共作 脇侍帝釈天立像 104.9cm、 梵天立像106.5cm(愛知県岡崎市滝町山籠107)
●国分寺 立像 木造 204,0cm 平安時代 岐阜県高山市総和町1丁目83
●円鏡寺 木造 漆箔 彩色 166.7㎝ 藤原時代 (岐阜県本巣郡北方町大字大門1345)
●円興寺 立像 木造漆箔 140,7cm 平安時代 (岐阜県大垣市青墓町880)
●永泉寺 立像 木造彩色 63.3cm 室町時代 (岐阜県多治見市池田町7-3)
●弥勒寺 立像 木造170.5cm 平安時代 (三重県名張市西田原2888)
●勝久寺 立像 木造90.5cm 藤原時代 (三重県一身田上津部田)
●融念寺(斑鳩町)木造 彩色 藤原時代
●泉湧寺 楊柳観音 木像 130,5cm 南宋(鎌倉時代) 楊貴妃観音
●三千院 救世観音 木像漆箔 38.8cm 鎌倉時代 飛鳥様式の模刻
●東慶寺(鎌倉市山ノ内1367) 木像 彩色 切金文様 玉眼 134.5cm 鎌倉時代
●満願寺 木造 224.7㎝ 鎌倉時代 運慶 (横須賀市岩戸)
●東慶寺 木像 彩色 切金文様 玉眼 134.5cm 鎌倉時代 (鎌倉市山ノ内1367)
●東慶寺 木像 彩色 坐像 41.7cm 南北朝時代 (鎌倉市山ノ内1367)
●満願寺 木造 224.7㎝ 鎌倉時代 運慶 (横須賀市岩戸)
●万福寺(大寺薬師 出雲市東材木町416) 二尊 木造彩色 檜一木造 148.0㎝ 161.5㎝ 平安時代
●勝久寺 立像 木造古色 90.5cm 鎌倉時代 天台真盛宗 (津市一身田町)
●
●達身寺 木造漆箔 172.7㎝ 藤原時代 木彫仏の原郷 (兵庫県丹波市清住259)
●梵釈寺 木像 漆箔 坐像 115.4㎝ 藤原時代 宝髻頭部は菩薩 身は衲衣弥陀定印で阿弥陀如来 判別困難 (滋賀県東近江市蒲生岡本町185)
●金剛頂寺 銅像 22.0㎝ 白鳳時代 (高知県室戸市室戸町元乙523) 四国八十八か所26番札所
●妙山寺 木造素地 105.9㎝ 鎌倉時代 (高知県安芸市本町1-1-21)
●妙山寺 木造素地 105.9㎝ 鎌倉時代 (高知県安芸市本町1-1-21)
●正覚院 木造 古色 99.3㎝ 鎌倉時代 (香川県丸亀市本島町泊842)
●大日寺 木造素地 170.5㎝ 藤原時代 (高知県香南市野市町母代寺476)
●東川院 木造漆箔 114.3㎝ 平安時代 (岩手県一関市大東町渋民小林35)
●楽法寺(雨引観音) 木造彩色 156㎝ 藤原時代 八臂 (茨城県桜川市本木1)
●moa美術館 聖観音 木造 漆押し 88.8cm 平安時代 (熱海市桃山町26-1)
●moa美術館 銅造 鍍金 36.2cm 平安時代 (熱海市桃山町26-1)
●永泉寺 木造 彩色 漆箔 63.3cm 室町時代 (多治見市池田町7-3)
●観音寺 木造古色 彫眼 102.2cm 鎌倉時代 (茨城県下館市大字中館)
西インド地方の石窟寺院では三尊形式の中尊を務める場合もあり女性尊(ターラー・プリクテー)を従えている。
●教王護国寺 帝釈天立像 21,7cm 観音菩薩立像 24,9cm 梵天立像 21,7cm 木造 鎌倉時代
●正覚院(香川) 毘沙門天立像 106,4cm 観音菩薩坐像 99,3cm 不動明王立像 98,7cm 木造 鎌倉時代
●瀧山寺(愛知) 帝釈天立像 104,9cm 観音菩薩立像 174,4cm 梵天立像 106,5cm 木造彩色 鎌倉時代 運慶、湛慶
●正伝寺 銅像 29.8cm 白鳳時代 秋田県横手市大屋新町鬼風26)
主な変化観音
●救世観音 三千院 木造漆箔 玉眼 38,8cm 鎌倉時代
●白衣観音(高知) 竹林寺 木造 100,8cm 室町時代
●揚柳観音 大安寺 木造彩色 168,8cm 天平時代
洛陽観音菩薩霊場
西国三十三所は範囲が広い為、参詣が困難な場所がある為、後白河上皇が洛内に定めたもにである。
|
寺 名 |
所 在 地 |
本 尊 |
1 |
六角堂頂法寺 |
京都市中京区六角通東洞院西入堂之前町248 単立 |
如意輪観音 |
2 |
誓願寺 |
京都市中京区新京極桜之町453 浄土宗西山深草派 |
十一面観音 |
3 |
清荒神護浄院 |
京都市上京区荒神口通寺町東入荒神町122 天台宗 |
准胝観音 |
4 |
革堂行願寺 |
京都市中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町1 天台宗 |
千手観音 |
5 |
真新長谷寺 如堂 |
京都市左京区浄土寺真如町82 |
十一面観音 |
6 |
金戒光明寺 |
京都京都市左京区黒谷町121 浄土宗 |
千手観音 |
7 |
長楽寺 |
京都市東山区円山町626 時宗 |
准胝観音 |
8 |
大蓮寺 |
京都市左京区東山二条西入ル一筋目下ル457 浄土宗 |
十一面観音 |
9 |
青龍寺 |
京都市東山区河原町通八坂鳥居前下ル南町411 浄土宗 |
聖観音 |
10 |
清水寺善光寺堂 |
京都市東山区清水一丁目2 北法相宗 |
聖観音 |
11 |
清水寺奥の院 |
京都市東山区清水一丁目2 北法相宗 |
如意輪観音 |
12 |
清水寺本堂 |
京都市東山区清水一丁目2 北法相宗 |
三面千手観音 |
13 |
清水寺朝倉堂 |
京都市東山区清水一丁目2 北法相宗 |
千手観音 |
14 |
清水寺泰産寺 |
京都市東山区清水一丁目2 北法相宗 |
千手観音 |
15 |
六波羅蜜寺 |
京都市東山区五条通大和大路上ル東入 真言宗智山派 |
千手観音 |
16 |
仲源寺 |
京都市東山区四条通大和大路東入ル祇園町南側585 浄土宗 |
千手観音 |
17 |
蓮華王院 |
京都市東山区三十三間堂廻り町657 天台宗 |
千手観音 |
18 |
善能寺 |
京都市東山区泉涌寺山内町34 真言宗泉涌寺派 |
聖観音 |
19 |
今熊野観音寺 |
京都市東山区泉涌寺山内町32 真言宗泉涌寺派 |
千手観音 |
20 |
泉涌寺 |
京都市東山区泉涌寺山内町27 真言宗泉涌寺派 |
楊貴妃観音 |
21 |
法性寺 |
京都市東山区本町一六丁目307 西山禅林寺派 |
千手観音 |
22 |
城興寺 |
京都市南区東九条烏丸町7 真言宗泉涌寺派 |
千手観音 |
23 |
教王護国寺 |
京都市南区九条町1 東寺真言宗 |
十一面観音 |
24 |
長圓寺 |
京都市下京区松原通大宮西入中堂寺西寺町33 浄土宗 |
聖観音 |
25 |
法音院 |
京都市東山区泉涌寺山内町30 真言宗泉涌寺派 |
不空羂索観音 |
26 |
正運寺 |
京都市中京区蛸薬師通大宮西入因幡町112 浄土宗 |
十一面観音 |
27 |
因幡堂平等寺 |
京都市下京区松原通烏丸東入因幡堂町728 智山派 |
十一面観音 |
28 |
壬生寺中院 |
京都市中京区壬生椰ノ宮町31壬生寺内 律宗 |
十一面観音 |
29 |
福勝寺 |
京都市上京区出水通千本西入ル七番町323-1 善通寺派 |
聖観音 |
30 |
椿寺地蔵院 |
京都市北区一条通り西大路東入る大将軍川端町2 浄土宗 |
十一面観音 |
31 |
東向観音寺 |
上京区今小路通御前通西入上る観音寺門前町863 涌寺派 |
十一面観音 |
32 |
廬山寺 |
京都市上京区寺町通広小路上る 天台圓淨宗 |
如意輪観音 |
33 |
清和院 |
京都市上京区七本松通一条上る一観音町428-1 真言宗智山派 |
聖観音 |
最終加筆日 2004年11月28日 2005年6月1日 2007年2月25日密教の八大菩薩 変化観音の起こり 4月26日 7月12日起源 変化の起こり 2008年1月7日注13 5月20日 2009年11月3日チベット関連 2010年2月16日 2011年6月24日 一部 2012年5月22日三尊逆配置 9月2日īśa他 9月24日空華の萬行他12月23日Av ī ci-naraka 2013年12月14日観音の依経2013年12月26日大乗との時期関連 12月31日注13後尾 2014年3月18日天冠の中、4月14日注18 6月19日マリア崇拝 7月8日 9月9日 12月6日 2015年1月7日村上太胤の観 3月15日上宮王院と長屋王関連 2016年4月8日 5月3日 7月15日 10月13日 2017年2月10日 3月14日 4月11日 6月8日 7月13日 11月16日 2018年2月24日 5月5日 2019年2月14日 3月20日 5月15日
2020年1月9日 3月4日 5月3日 6月12日 2021年3月29日 4月10日 5月27日 6月13日 6月22日 6月29日 6月30日 10月14日 2022年4月4日 4月6日 5月31日 8月16日 2023年5月3日 5月28日 10月27日
10月31日 11月19日加筆