菩 薩

                    説明: C:\Users\Owner\katada202\kyoto\button1.gif           仏像案内     寺院案内     如来    明王    天部    仏師     仏像名称



大乗佛教が新たに取り入れた概念に菩薩の進展がある、菩薩の特徴は慈悲中心とした「利他行(りたぎょう)」即ち”自未度先度他(じみとくど せんどた)”にある、己はまだ彼岸に渡らないのに他人を先に渡すことである、因みに慈(maitrī マイトリー 真の友情)、悲(karuā カルナー 悲の共有)となる、さらに密教の広がりからライバル関係にあるバラモン(Brahmanism、ヒンズー教(ヒンディー・Hindi)等の神達が仏教に帰依した形態を採用して尊数を著しく増やす。 
菩薩には概ね二種類の解釈がある、南伝佛教の上座部すなわちtheravād
(テーラーバーダ)に於いては成道以前の釈尊を意味する、菩薩の梵語saskta bodhi sattva(i  Bodhi satta)とは「求道者(きゅうどうしゃ)」とか釈尊一個人が「覚りに対して勇気を持って向かう者」を意味する、(Bodhiは覚り即ち菩提であり、sattva は衆生とか勇気をも意味する。 
もう一つ北伝の佛教すなわち大乗佛教に於いて衆生を含む多くが覚りの境地に入る事を目的として修行努力する衆生総てを菩薩と言う二種の状態をと言われる、因みに菩薩は大乗仏教の興隆を境に成道以前の釈尊すなわち悉達太子(しつたたいし)の姿から神格化される。   (しつ)()(るた)
因みに大乗仏教のキーワードは菩薩の広大無辺の慈悲すなわち「大慈 大悲(だいじだいひ)」と言っても過言ではない、因みに bodhi = 菩提すなわち覚りを意味し、sattva 薩埵(さつた)=衆生とも訳せる。 

菩薩は大乗仏教の興起と共に上座部(部派)に於ける十大弟子等の阿羅漢に変わって登場した大乗仏教の申し子とも言える象徴的な存在である、要するに大乗仏教とは菩薩の仏教と言える、法華経的解釈をすれば釈迦牟尼仏から六波羅蜜を教示された者と言える、表現を変えれば波羅蜜は正等覚(しょうとうがく)(如来)に成る為の必須条件である、因みに菩薩には四阿僧祇1056×4、十万劫と言う時間を掛けて波羅蜜行を完成するとされる。
大乗仏教
Mahāyāna buddhismの発生は、一部に於いて在家信者が関連している為に観音菩薩 地蔵菩薩文殊菩薩など出家した菩薩と維摩居士の様な在家の居士とが有るが共通項としては衆生救済である、大乗仏教を端的に言えば「釈尊の教え(上座部)の核心部分と矛盾しない範囲内と定義して視野を拡大した教義」である。

鎌倉時代に八宗に秀でた()(じゅう)(どう)(ぎょう)1227年1月17日(嘉禄2年)1312年11月9日(正和元年)と言う僧侶が編纂した(しゃ)(せき)(しゅう)”に依れば地蔵菩薩を衆生に縁の深い菩薩と讃嘆した、即ち釈迦如来は霊山浄土で説法しており、阿弥陀如来は極楽浄土で説法しているが娑婆では間に合わない、しかし地蔵菩薩は能力、臨終の際に限らず六道の巷に在り、衆生の救済に努めている。(観音・地蔵・不動  速水侑吉川弘文館より抜粋)


異説もあるが正式名称は菩提薩埵(ぼだいさった)、と記されており菩薩はその略称である、梵語名はbodhisattva
(ボーデイサットバ・覚)の音訳とされている、即ちbodhi(覚・悟りを目指す人)sattva(勇気・衆生)の合成語と言われる、またbodhi(ブウ)buddhaBudhの流れで語源は同じ、すなわち覚者及び菩薩とも語源は同一である、当初は釈尊の修行時代を著した呼称である、因みに覚り即ち菩提(bodhi ボーデイ)の対極にあるのが煩悩(kleśa クレーシャ)とされる、煩悩と菩提は初期佛教では対極にあるが、大乗仏教に於いては煩悩即菩提となる、閑話休題、菩薩の梵語名は bodhi sattvaであるが男性名詞である。
意訳は「覚有情」 「菩提薩埵」で本来は覚りを求め修行する者と言う意味で次のような解釈がなされている、覚を目ざす人を言い仏陀になる前段階の修行者を言い覚有情の意訳が理解し易い、生み出された菩薩の尊像は大乗仏教の理想とする信仰対象で、菩薩信仰の源流はガンダーラ周辺が有力視されている、菩薩には前述の如来になる前段階の姿と如来の化身として衆生の救済に亘る場合がある、菩薩信仰は広まるに従いインドの土着信仰と習合して、その数を増やす。

閑話休題、菩薩が仏国土を行脚するのも往生である、また浄土から衆生救済に穢土へ出世するのも往生と言う。
四無量心(しむりょうしん)caturapramana チャトゥル-アプラマーナ四等四梵行)と言うタームがあり、菩薩の必須事項である、*慈無量心、 *悲無量心 *喜無量心 *捨無量心があり総ての菩薩がこれを持たなければならない、無量apramana アプラマーナとは計測できない規模、時間を言う。  
仏陀の物語ジャータカ(jātakaに於いては善行(bodhisattva-caryā)を積んでいた前世及び修行中の釈迦を言われていたが大乗仏教が興ると覚りを目標に励む修行者を指すようになった。 
釈迦の仏陀となる以前の姿が菩薩の基本形と言われる。
(上座部)
大乗仏教を目指す在家信者達も範疇、上座部仏教のSangh(サンガ・僧伽)に対しても菩薩と呼ばれていた。
大乗経典即ち「法華経(注16)般若心経「華厳経」「浄土三部経」などの経典を製作したのも上座部教派の修行・哲学等が精緻化し過ぎたのと制度疲労を起こした事に対する仏教の復興運動を行った菩薩達の手によるもので釈尊に対する反命題との説もある。

全ての修行僧が菩薩であるとする解釈。

のグループからは菩薩行と言われる「上求菩提、下化衆生(じょうぐぼだいげけしゅじょう)(1)自未得度(じみとくど)先度他(せんどた)(注14の考えが進み菩薩は慈悲の心で現世利益即ち身近で直接的な願いを聞き届ける仏として信仰を集めた、また菩薩は如来が衆生救済の為に出世した姿でもある、因みに出世とは通常使用されている高い地位を求めるのではなく衆生救済のための変化である、般若心経に以下の記述がある「菩提薩埵は般若波羅蜜多に依るが故に心に(けい)()無し」 既に覚りを開いている
しかし金光明最勝王経に依れば罪業は人間のみが背負うものではなく菩薩や阿羅漢でも過去には罪を犯していると言う、空の世界に生きる存在であり罪を持ちながら別様の聖なる世界に住めると言う。 
菩薩としての必須条件として陀羅尼
dhāra
iダラニー)と三昧samādhi‐サマーディ)があり、完全な精神統一を陀羅尼とすれば三昧は総持すなわち無念無想と完全な記憶にある、更なる必修条件として四弘誓願(注3を誓はなければ為らない、報身仏すなわち阿弥陀如来薬師如来は菩薩時代に夫々誓願を成就した如来となった、凡て菩薩には誓願があり夫々に異なる、従って菩薩にはランクがあるとされる、菩薩の覚者に成る為の修行を10段階に示した十地及び修行のレベル5段階に分類した五位とがるとされる(注2。  
誓願には総願と別願があり、菩薩の共通項としての四弘誓願は総願の範疇に入る、また別願は菩薩達が個々に建てた誓願を言う、菩薩を代表として見ても佛教は分類狂と言う人がいる。 
全ての修行を完成させた菩薩を一生補処(いっしょうふしょ)(注18)といい、弥勒菩薩の場合は次期如来のポストが約束されている、一生補処の菩薩とは輪廻転生の枠内に居るのは現在に於ける一生涯一生補処の菩薩と言えるのは釈尊の菩薩時代(悉達太子)と弥勒菩薩のみである、また如来の脇侍を務める観音菩薩勢至菩薩普賢菩薩文殊菩薩地蔵菩薩日光菩薩・月光菩薩などの菩薩のランクも高い、因みに菩薩から如来と成るまでの過程を因位(いんに)と言う。
閑話休題、輪廻転生の枠からの離脱を涅槃すなわち解脱であり解脱と涅槃は同意語である、因みに涅槃には二種類ある、「有余涅槃」即ち生きた肉体を所持したままの覚り、と「無余涅槃」肉体も煩悩も無くした絶対安心(あんじん)の境地とがある
法華経には
恒河沙(ごうがしゃ)すなわちガンジス川の砂の数程の菩薩が登場するが、久遠の釈尊は菩薩道は「最高の覚り」すなわち「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)」に至るとの記述がある、因みに阿耨多羅三藐三菩提とは般若心経の一フレーズが著名である
多くの菩薩の内で、特に観音菩薩は顕密を問わず仏教圏内に於いて最も広範囲に信仰された菩薩であり、一部は土着信仰と融合して多様な形態及び信仰を生み出したと言える、また菩薩は密教の請来以来著しく数を増す、中でも観音菩薩は六~八世紀にかけてヒンズー教の台頭を意識して多くの変化観音を生み出した。
日本に於いては覚りを開いた釈迦 、阿弥陀、毘盧遮那等の完成された仏よりも菩薩や明王等の尊格に信仰が集まる様だ、観音菩薩、地蔵菩薩、不動明王等々未完の尊格に信仰が集中している。
菩薩の姿形は成道以前の釈尊すなわち悉達太子の姿が基本でありインド貴族の姿をあらわしている、大乗仏教の起こりと共に夫々の菩薩の姿に表わされるようになる、しかし菩薩は成仏以前の姿であるため姿形は一定ではない、彫刻として表現された菩薩は古代インドの貴人を表現している、また個々菩薩はのカテゴリーを強調する様になる、即ち観音菩薩は慈悲を、文殊菩薩は仏智をと言う様に個性化される。
多くの姿形は僧形の地蔵菩薩を除けば、頭に髻を結い宝冠をかぶり、首にはようらく瓔珞(ようらく)・腕には臂釧(ひせん)腕釧(わんせん)・足釧等に豪華な衣装を身につけている、一部(馬頭観音など)を除くと覚りを目指す厳しさと慈悲を表す温和な表情を兼ね備えており、手は印相
(ムドラー mudrāを示し持物でその性格を示す。
菩薩の着ける宝冠の特徴としては観音菩薩が阿弥陀如来の化仏・弥勒菩薩が五輪塔・勢至菩薩が水瓶・虚空蔵菩薩が五仏冠を着けている。
菩薩の姿形は絢爛豪華であり糞掃衣と言う粗末な衣装を着ける上座部の阿羅漢・十大弟子像と対照的である、しかし貴賎の差別を否定した釈迦の教団内に於ける弟子のカーストはバラモン・クシャトリアで占められており目連の様にビアイシャの出身でも祇園精舎が寄進できるほど富豪出身者が多い、菩薩を発生させた大乗仏教から阿羅漢は自己の覚りのみを目指す声聞扱いをしておりランクは低い、因みに大乗仏教から・菩薩・縁覚・声聞の順にランク付けされるが、縁覚とは梵語のプライエーカ プッタpratyeka buddhaの音訳で独覚
(辟支仏)(びゃくしぶつ)とも訳され師を持たず己のみの覚りを言う、声聞とは梵語のシュラーヴアカの訳で聞く人を意味し修行中の出家すなわち仏弟子を言う,因みに独覚即ち
辟支仏とは縁覚とも言い、梵語pratyekabuddha、パーリ語paccekabuddha(注17)の音訳で辟支仏(びゃくしぶつ)と呼ばれる
如来の彫刻や絵画など初期の時代には周囲に空中を舞う天女や阿羅漢たちが描かれていたが浄土信仰が広まるにつれて菩薩群が配置されるようになった。
大乗仏教に於いて菩薩は多く存在するが、ランクがあり妙覚を最上位に等覚、次いで・十地・十回向と五十二の階層に分類する説がある、因みに護国三部経の一経である「仁王般若経」(略称 仁王経 注19)には階位が五十一の段階があると言われる、将来は如来と成ることが約束された弥勒菩薩や如来の脇に居り補佐役を勤める菩薩を「一生補処」と言われる場合もあるハイクラスの存在である、菩薩の最上位にある弥勒菩薩でさえも如来、すなわち成仏するまでに五十七億六千万年と言う膨大な時間を必要とする。
代表的な菩薩に
文殊菩薩
普賢菩薩
地蔵菩薩
勢至菩薩
日光菩薩・月光菩薩
虚空蔵菩薩 などの他に
金剛薩埵 を初めとする密教系菩薩
(注11がある、
また観音等の菩薩に
・聖観音菩薩
千手観音菩薩
十一面観音菩薩
如意輪観音菩薩
准胝観音菩薩
馬頭観音菩薩
般若菩薩
多羅菩薩
大随求菩薩 などカテゴリー別に案内する、通常仏像は性別は存在しないとされるが、インドでは女性尊が存在し、菩薩信仰に篤い中国に於いては特に菩薩像に於いて唐時代以降は高貴な女性的イメージの菩薩像が現れる。
観音菩薩でもインド、ネパール、チベット等では信仰されているが、日本には馴染のうすい観音を挙げると*獅子吼観音、*青頸観音、*ハリハリヴァーハナ生起(しょうき)観音、*六字観音、*獅子吼(ししく)観音、*蓮華網観音などがある(佐久間瑠理子・観音菩薩・春秋社)。 
観音菩薩
に従う二十五菩薩や平等院の雲中供養菩薩などがありその他の菩薩に記述した。
中国は古来より菩薩信仰に篤い、仏教四大名山と呼ばれる聖地があり説法道場の本尊は総て菩薩で占められる、即ち・五台山
(山西省)~文殊菩薩 ・峨眉山(がびざん)(四川省)~普賢菩薩 ・普陀山(浙江省)~観音菩薩 九華山(きゅうかざん) 安徽(あんき))~地蔵菩薩である、また中国仏教三大霊山と言う分類もあり前述の三山が言われる

四菩薩と言われる事があるが、複数の四菩薩や四親近菩薩がある。 

法華経見宝塔品・従地湧出十五章に登場する、二尊四士すなわち多宝如来、釈迦如来に上行菩薩、無辺行菩薩、浄行菩薩、安立行菩薩の四菩薩(四士)を言う。

如来神力品第二十一には従地涌出品十五に登場した、上行菩薩を代表に四菩薩を中心とした地湧の菩薩が再度登場してくる、上行菩薩は菩薩行を完了した如来とも言える尊格であるが、日蓮宗に於いては日蓮が上行菩薩の再来と位置付している、法華経を広める為の「如来の神力の顕現」である、但し法華経を依経とする宗派でも日蓮宗以外は上行菩薩と認知していない。

また華厳経の場合は法慧菩薩功徳林菩薩金剛幢菩薩金剛蔵菩薩を四菩薩と呼ばれる。

密教系では阿弥陀如来の脇侍として金剛法菩薩金剛利菩薩金剛因菩薩金剛語菩薩の四菩薩を安置することがある、これは金剛界曼荼羅に於いて五智如来の一尊である阿弥陀如来の東・南・北・西に四菩薩が配されている、この四菩薩を従えた阿弥陀五尊像は延暦寺東塔常行三昧堂に安置されていた、現存する尊像では日光輪王寺の常行堂の尊像が知られている、因みに東寺講堂の四親近菩薩は金剛法菩薩、金剛利菩薩、金剛因菩薩、金剛語菩薩である。


密教経典の金剛頂経理趣経に八大菩薩の存在が記述されている、八大菩薩(注8)とは・転法輪菩薩・金剛手菩薩・観世音菩薩・文殊師利童真菩薩・虚空蔵菩薩・金剛拳菩薩・虚空庫菩薩・摧一差切魔力菩薩を言う、因みに転法輪菩薩とは弥勒菩薩の別姿と言われ正式には「纔発心(ざいはっしん)転法輪菩薩」と言う。
玄侑宗久氏に依れば、もう一つ菩薩と解釈できる事例に”大丈夫”がある様だ、梵語で「堅固さ」をマハ-プルシャ(mahā purua)すなわち偉大な人(菩薩)との解釈がある。

菩薩の必須条件に六波羅蜜がある、波羅蜜とは梵語名pāramitā(パーラミータ)の音訳で到彼岸すなわち完成された行・彼岸への到達・正しい行いを意味する、pāramitā パーラミータはpāḷi語すなわち俗語であり、梵語saṃskṛtaではprajñā(プラジュニャー)と言う。

菩薩道に於ける修行方法の完全なあり方を波羅蜜と言い、大乗仏教に於いて正等覚(しょうとうがく)者すなわち如来となる為、菩薩の必修条件でもある、六波羅蜜の起りは、初期の大乗経典で現存はしていないが「六波羅蜜経」が諸経典に引用されている様である、六波羅蜜との関連のある供養に「六種供養」があり・水――布施 ・塗香――持戒 ・花――忍辱 ・焼香――精進 ・燈明――智慧の行に相当する、因みにお彼岸に先祖の墓参をする風習は日本独自のものでインドや中国には存在しない。  
・布施波羅蜜 
(施し)          余談 布施を施す事をdānaダーナと言うが旦那の語源になる。    
持戒(じかい)波羅蜜 (道徳・法律)  
忍辱(にんにく)波羅蜜 (耐え忍ぶ)   
・精進波羅蜜
(努力)  
・禅定波羅蜜 
(徳を行う行動) 
・般若波羅蜜 
(単に知恵ではなく慧に裏付けられて完成される、悟りに向けた智慧)さらに十波羅蜜もあり、六波羅蜜に方便・願・力・智が加えられる、重ねて言えば六波羅蜜の完成者を”正等覚者”すなわち如来の境地と呼ばれる。 

因みに大乗起信論に於いては1^4を 施門、誡門、忍門、進門、とした上に5^6を止観門としている。
華厳経に於いては(7)方便波羅蜜、烏波野upāya ウパーヤ 方便  (8) 願波羅蜜、波羅尼陀那pranidāna プラニダーナ 願 (9) 力波羅蜜、波羅bala  バラ力 (10) 智波羅蜜、智jñāna ジュニャーナ 智、の十波羅蜜(じっぱらみつ)daśa pāramitāḥ)を説いている。 
因みに六道とはgati、(ガティー)道の意訳で *天道 deva-gati  *人間道 manushya-gati *修羅道 asura-gati  *畜生道 tiryagyoni-gati *餓鬼道 preta-gati *地獄道 naraka-gati を言う、関連経典に「六波羅蜜経」正しくは「大乗理趣六波羅蜜多経」がある。
六に因んで六念・六念法・六随念と言われ心の安定を得て涅槃へ、向かう為に仏教徒が繰り返して念じる必要条件を挙げると以下の様になる、 *念仏 *念法 *念僧 *念戒 *念施
(念捨) *念天がある。
また六根清浄が著名なタームで法華経⒛品・常不軽菩薩品から、衆生の眼、耳、鼻、舌、身、意の六根には垢は堆積しており、「懺悔して清浄」の意味を込めて唱和する事を言う。



五智如来――五大菩薩――五大明王の流れを図に示した(上司と部下の関係) 

  

 

如来部(金剛界)

如来部(胎蔵界)

  菩 薩 部

 明 王 部  

  

 五  智

 自性輪身

 自性輪身

 正法輪身

 教令輪身  

 中 尊

 法界体性智

 大日如来

 大日如来

金剛波羅蜜多菩薩

 不動明王  

 東 尊

 大円鏡智

 阿閦如来

 宝幢如来

 金剛薩菩薩

 降三世明王  

 南 尊

 平等智

 宝生如来

 開敷華王如来

 金剛宝菩薩

 軍荼利明王  

 西 尊

 妙観察智

 無量寿如来

 無量寿如来

 金剛法菩薩(観音菩薩 

 大威徳明王  

 北 尊

 成所作智

 不空成就如来

 天鼓雷音如来

 金剛利菩薩(文殊菩薩  

 金剛夜叉明王  

                 
 表 情      柔和相  慈悲相  憤怒相 

自性輪身・正法輪身・教令輪身、密教に於いては「仏身説」があり如来が法輪を輪身(転ずる)に姿を三身に分類される、即ち如来(自性輪身)菩薩(正法輪身)明王(教令輪身)となる。
その他に仁王念誦儀軌に五大力菩薩
があり、注11に尊名を挙げた、この画像は金剛峯寺(八幡講十八箇院)に三尊がある、絹本著色 掛幅装 金剛吼237,6cm、竜王吼179,5cm、無畏十力吼179,5cm が国宝指定を受けている。 

         

鶏足寺 観音菩薩          鶏足寺 魚籃観音菩薩         中宮寺を模刻した菩薩像(當麻寺中之坊所蔵H約40cm)


 
                                                                                                    当麻寺
 

注1、「上求(じょうぐ)菩提(ぼだい) 下化(げけ)衆生(しゅじょう)」菩薩行と呼び大乗仏教の起こりと共に言われた、上求、自分は修行して覚りの境地に達しようとしているが如来に成るのを猶予して下化して衆生を救済する、「()未得度先度(みとくどせんど)()」とは己が覚る以前に衆生を先に覚りに導く、上求菩提下化衆生は菩薩行の必須事項となるこれを大悲闡提(せんだい)とも言う、大悲闡提とは一斉衆生を救済の為に、己の成仏を中止した闡提の道を取った菩薩(地蔵菩薩や十一面観音)を言う。
自受法楽の為の読経に於いて上求菩提下化衆生のうち上求菩提は聴経に相当し、読経の姿は下化衆生に当たると今井幹雄氏は言う、因みに自受法楽とはブリタニカに依れば「仏が自らの悟りの内容を深く味わい楽しむこと。転じて、法悦にひたること」


2、菩薩の位には五位がある。  1、資糧(しりょうい)()・(聞思段階)  2加行位(けぎょうい)(修める) 3通達位(つうだつい) 4修習位(しゅじゅい) 5究竟位(くきょうい)と進む、また10段階に分類する十地(じゅうじ)は初地(歓喜地)から 九地(仏地)・十地(法運地)までに分類されている。
また「菩薩瓔珞本業経」に拠る分類法があり52段階に分類される、即ち覚者もしくは近い順から「妙覚」「等覚」とありその下に各10段階を「十地」「十廻向」「十行」「十住」「十信」に分類される、また護国三部経の一典「仁王般若経」にも51段階の記述がある様だ。
また菩薩の十地がある、華厳経に於いて・歓喜地(かんきじ) ・発光地(はっこうじ) ・離垢地(りくじ) ・焔光地(えんこうじ) ・難勝地(なんしょうじ) ・現前地(げんぜんじ)遠行地(おんぎょうじ) ・不動地(ふどうじ) ・善想地(ぜんそうじ) ・法相地(ほううんじ)があり52の修行段階の後半の十地を言う。その他 声門 縁覚などにも十地は存在する。 
関連経典に「仏地(ぶつじ)経」がある、覚者即ち如来の前段階、すなわち菩薩にあり多くのランクがある、その最終段階に、じゅうがり、その内の第十地を「仏地」と言う、この詳細を「仏地経」と言う。
 

3
四弘誓願(しぐせいがん) (梵語sāmānya-praidhā) 釈迦の前世に於ける善行動を物語化した本生譚(ジャータカ)が嚆矢とされるが、インドには四弘誓願はなく、中国に於いて起こり日本の浄土教で重要視されている、本願(pūrva-praṇidhāna)とは総ての菩薩が上を目指す必須科目で目的を誓願する事である。   
誓願には総願と別願がある、四弘誓願とは総願とも言い菩薩が覚者となる為の必須科目で以下の様になる
、菩薩の共通項としての四弘誓願は総願の範疇に入る、また別願とは如来が菩薩時代に個々に建てた誓願を言う。  
四弘誓願は以下の様になる、総願とも言う。
衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど) 一切衆生の救済 
煩悩無尽誓願断(ぼんのうむじんせいがんど) 煩悩を絶つ 
法門無量誓願学(ほうもんむりょうせいがんがく) 法門(仏法)を学ぶ  
仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう) 修行し成道を誓う、 とされる。

別願の例を挙げれば 阿弥陀如来の四十八誓願  薬師如来の十二誓願  普賢菩薩の十大願などを言う。

       
三十三観音(注411)等、散見される菩薩など数尊を挙げる。  

4、白衣観音 パーンダラヴァーシニー(pandara vasini)と言う、白処・大衣・服白衣観音などとも呼ばれ常に白蓮華の中に住み、阿弥陀如来の妻で観音達を生んだ母とも言われる、除病・安産・求子・育児祈願に霊験が信じられている、白は密教に於いては水の色であり、白()とは白浄の徳、純白の衣を纏うのは清らかな(清浄)菩提心の生じる処を意味する、インドに於いては出家者は黄色の衣を纏う、白い衣は在家者のものであり白衣観音菩薩は在家の姿で救済に当たった様である。  

5楊柳(ようりゅう)観音 薬王観音とも呼ばれ右手に柳枝・左手を乳の上におき病難の排除を信仰される、よく似た姿に水月観音があり水中の月を見る姿をしている。  

6魚籃(ぎょらん)観音また北斗七星を菩薩に見立てた妙見菩薩等々多くの菩薩も存在するが作例は極めて少ない。  

7、般若菩薩  胎蔵曼荼羅・持明院の中尊で五尊中明王に混じる唯一の菩薩である、また三世諸仏能生智母・般若仏母とも言い虚空蔵院にも存在する。仏法の知慧をシンボライズされた菩薩で般若経典の中尊的存在にある。  

8、密教の八大菩薩とは経典により微差はある様子だが金剛頂経や理趣経などに顕れている、・聖観音菩薩・文殊菩薩(妙吉祥菩薩)・弥勒菩薩(転法輪菩薩、慈氏菩薩)・金剛手菩薩・普賢菩薩・地蔵菩薩・虚空蔵菩薩・除蓋障菩薩を言う、これ等はインドのオリッサやエローラ石窟に於いて如来の眷属としての役割を担っている、また下泉全暁著、地蔵菩薩、春秋社には八大菩薩曼荼羅経に依れば、・観世音佛教・弥勒菩薩・虚空蔵菩薩・普賢菩薩・文殊菩薩・除蓋障菩薩・地蔵菩薩の記述がある。 
また大砂金剛経に於いては八大菩薩から八大明王が現れると言い菩薩との関係は以下のようになるが普遍化していない。
明王は菩薩の化身であり、下表の正法輪身尊の部下的存在である、大輪明王は障害を除去のご利益を持ち弥勒菩薩の化身であり、無能勝明王は煩悩の除去のご利益を持つ。薬師八大菩薩は注10。 

金剛手菩薩 

虚空蔵菩薩 

観音菩薩 

除障害菩薩 

妙吉祥菩薩 

慈氏菩薩 

地蔵菩薩 

普賢菩薩 

振三世明王 

大笑明王 

馬頭明王 

不動明王 

大威徳明王 

大輪明王 

無能明王 

歩擲明王 

 
9 薬上菩薩・薬王菩薩  法隆寺のシンボルとも言える金堂の釈迦三尊の脇持を務めているが、日光菩薩・月光菩薩と共に薬師八大菩薩として薬師本願経に存在し、薬王菩薩は薬草と薬壺を持ち薬上菩薩は薬壺を持つが事がある。

10、薬師八大菩薩とは薬王菩薩 ・薬上菩薩 ・弥勒菩薩 ・文殊菩薩 ・観音菩薩 ・得大勢至菩薩 ・無盡意菩薩 ・宝檀華菩薩を言う。

11
五大力菩薩は金剛峯寺(八幡講十八箇院)に仁王般若派等蜜経(仁王経)の旧訳(鳩摩羅什)を依経とした三尊・絹本著色 掛幅装 (金剛吼237,6cm、竜王吼179,5cm、無畏十力吼179,5cm)が国宝指定を受けている、また秋篠寺(無指定)にも安置されている。
前述の尊挌は姚秦、鳩摩羅什訳とされる「仁王般若波羅蜜経」の旧訳の尊名であるが、不空(705774年)訳の新しい「仁王護国般若波羅蜜多経」の尊名は中尊・金剛波羅蜜多菩薩(不動明王)、東尊・金剛手菩薩(降三世明王)、南尊・金剛宝菩薩(軍荼利明王)、西尊・金剛利菩薩(大威徳明王)、北尊・金剛夜叉菩薩(金剛夜叉明王)である、因みに()内は関連の明王である、閑話休題、仁王般若経(鳩摩羅什訳・不空訳)は法華経、金光明経と共に護国三部経の一典である。
真言宗に於いて五大力菩薩に対する供養を仁王般若経からの仁王会は著名である、鎮護国家、国家護持を祈願して重要視された。


12、阿弥陀如来に従う菩薩に阿弥陀二五菩薩がある、観音菩薩 ・大勢至菩薩 ・薬上菩薩 ・薬王菩薩 ・普賢菩薩 ・法自在菩薩 ・獅子吼菩薩 ・陀羅尼菩薩 ・虚空蔵菩薩 ・徳蔵菩薩 ・法蔵菩薩 ・金蔵菩薩 ・金剛蔵菩薩 ・光明王菩薩 ・山海慧菩薩 ・花厳王菩薩 ・珠宝王菩薩 ・月光王菩薩 ・日照王菩薩 ・三昧王菩薩 ・定自在王菩薩 ・大自在王菩薩 ・白象王菩薩 ・大威徳王菩薩 ・無辺身菩薩。阿弥陀如来による二十五菩薩の来迎図は多く存在するが、重要文化財指定を受けた彫刻像の阿弥陀聖衆来迎尊が揃うのは造像年代に相違はあるが即成院のみに存在している。

13カーストとはラテン語のカストゥス(castus)を語源として純粋なもの、混在は許されない、を意味する。
基本的には四階級と言われるが、事実上は五階級に分類され、さらに夫々が細かく分類される。 (バラモンに付いては仏教の注2参照。 
1 ブラーフマナ・バラモン(婆羅門)司祭と訳され聖職に付き式典の祭主を勤める。 
2 クシャトリアと呼ばれ王族・貴族・武士などを指す。 
3 ビアイシャと言い平民、商人、労働者を指す。 
4 シュードラと言い賎民を言い卑しいとされる職業に就き13に奉仕する。 
5 アチュートと言いカーストの枠内に入れない不可蝕賎民(ふかしょくせんみん)を言う、戦に敗れ奴隷にされた先住民等を言い非人間扱い即ち家畜以下の扱いを受けておりヒンズー教徒でありながら寺院や公共施設に入る事が出来ない、インド人口の25%近い数を占めると言う。  

14自未得度先度他(じみどせんどた)  自分も覚りに至らず苦しんでいるが、他人も同様である、他人を先に覚り即ち彼岸の道に渡す事、また慈悲を分解すると慈(maitrī ,マイトリー)は慈しみ、真実の友情をいう、悲(karuā,カルナー)憐み、悲しみの共有をいう。

15輪廻転生の六道に他に五趣がある、五趣とは六道から阿修羅を除外した状態を言う、即ち地獄、餓鬼、畜生、人間、天の五種の空間を言う、六道絵の原形はインドであるが、それを五輻の車輪形の中に五道(地獄、餓鬼、畜生、人間、天上)の相を描き,輪廻の思想を示したものを「五趣生死輪」と言う。

注16、
法華経には膨大な数の如来、菩薩が登場するが、代表例として15章にある従地(じゅうじ)涌出品( ゆじゅっぽん)の四菩薩(しぼさつ)」すなわち地湧(じゆ)の菩薩」として釈尊から法華経を広める為の「結要付嘱(けっちょうふぞく)」を受けた上行菩薩(ヴィシシユタ、チャーリトラ、Visista-caritra)を初めとして、無辺行菩薩(アナンタ、チャーリトラ、Ananta-caritra、浄行菩薩(ヴィシュッダ、チャーリトラ、Visuddha-caritra、 安立行(あんりゅうぎょう)菩薩(スプラティシュティタ、チャーリトラ、Supratisthita-caritraが挙げられる、その他法華経に顕れるガンジス川の砂の数ほどの菩薩では文殊や弥勒菩薩の他に*大楽説菩薩、*智積菩薩、*不軽菩薩、*得大勢菩薩、*常精進菩薩、*宿王華菩薩、*妙音菩薩、*無尽意菩薩等々の尊格の記述がある。
第二十二品、嘱累品や第二品、方便品等々には菩薩道を行けば「無上の覚り」すなわち「 阿耨多羅三藐三菩提」に到達し、その法門は無量義(偉大な教説)であると言う。

阿耨多羅三藐三(あのくたらさんみゃくさん)菩提(ぼだい)(梵語のanuttara-samyak-sambodhi・アヌッタラー・サンミャク・サンボーデー)」が記述されている、阿耨多羅三藐三菩提とは「無上正等覚Samyak sabuddha」とも言い、総ての真理を正しく理解する最高の仏智を言う、般若心経に記述があり観無量寿経に頻発する。


注17、
pāli語と sasktaについて、経典の主な文字は上座部がpāli語(パーリ)で大衆部に於いてsaskta語(梵語)が使われる、要するにpāli語は梵語の派生言語と言われる様に共通点が多い、十八世紀以前には梵語とpāli語の区別は為されていなかった可能性がある、一例を挙げると下表の様になる。   
パーリ語(pāli) 上座部仏教に於ける聖語で大蔵経があり、南伝仏教の地域ではpāli 語から根本経典は翻訳された、pāliは線を意味するが聖典語をも意味するとされる、梵語(サンスクリット)の公用語に対して俗語であるが、釈尊が常用した言語であり仏教経典としてオーソライズされている、タイ・ミャンマー・カンボジヤ・スリランカ等に仏典として伝播された、従って根本経典の多くは梵語であるが、釈尊の入滅直後の言語はパーリ語が日常用語であったとされる。

 語彙

   法

   行為

   涅槃境地

   仏陀

   僧集団

 saskta

ダルマ dharma

 カルマンkarman

 ニルバーナ nirvāa

 ブツダ buddha

 サンガ  sangha

i

 ダンマ dharmma

 カンマ  kamma 

ニッバーナ nibbana   

 ブツダ buddha

 サンガ  sangha


18一生補処(いっしょうふしょ) (梵語eka-jāti-pratibaddha・異本eka-jāti-pratibaddha)とは略して「補処の菩薩」とも言い、菩薩の最高位の等覚(とうがく)にあり現在は因位にあるが、次回に娑婆に下生(げしょう)したら如来(覚者)となる事が約束されている菩薩、即ち弥勒菩薩を言う、因みに仏の位置を「仏処」「果位」とも言う。   因位(いん)(菩薩)⇔果位(かい)(如来) 


上記以外の菩薩像 

法隆寺   薬王菩薩・薬上菩薩 銅像鍍金 90,7cm  92,4cm 飛鳥時代  金堂 釈迦三尊の脇持

東寺 五大菩薩(金剛薩
・金剛法・金剛宝・金剛業・中尊の金剛波羅蜜多は除く) 坐像 木造(くさ槙)一部乾漆 平安時代  

平等院  雲中供養菩薩  浮彫漆箔 彩色 52躯(国宝指定後に堂外から発見され20081尊指定)  藤原時代  

中宮寺    伝如意輪観音    木造彩色 87,0cm 飛鳥時代   如意輪観音と重複 

宝菩提院  伝如意輪観音    木造    88,2cm 平安時代   如意輪観音と重複 

唐招提寺   衆宝王菩薩     木造   173,2cm 奈良時代 

●唐招提寺   伝獅子吼菩薩    木造   171,8cm 奈良時代 

●唐招提寺   伝大自在菩薩       木造    169,3cm 奈良時代 

東大寺                  菩薩立像  木造漆箔 玉眼       102,7cm  鎌倉時代 

●東京国立博物館    菩薩立像   木造金泥彩色 玉眼    103,4cm  鎌倉時代 

●読売新聞社     妙見菩薩        木造漆箔 玉眼       155,1cm   鎌倉時代 

三千院       救世観音坐像  木造漆箔 玉眼        38,8cm    鎌倉時代 

大安寺       揚柳観音立像  木造彩色               168,2cm    鎌倉時代 

●竹林寺     白衣観音立像   木造漆箔 玉眼      100,8cm    室町時代  (高知県高知市五台山3577)


注19、仁王経の漢訳には鳩摩羅什の「仁王般若波羅蜜経」と不空の「仁王護国般若波羅蜜多経」が現存している、偽経説が強いが真言系は不空訳を用い、天台系は羅什訳が用いられている、詳細は経典を参照。



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最終加筆日 200411 29 日  2005426日 2007219日二五菩薩・密教八大菩薩   2008730日 四弘誓願(注3) 2009115日注11 201188日 注1自未得度先度他 2012314日注1320131214日菩薩の個性化 2014413日 pūrva-praidhāna 426日法華経の菩薩  510kleśabodhi 525日阿耨多羅三藐三菩提、無量義 831日注17 20141119日 四菩薩 127日罣礙無し 201527日 注16 37日ルビ 414日菩薩の罪業 2016129bodhisattva-caryā 211日 423 925日ムドラー 2017128日 28日大丈夫 224日  613日 10月16日 2018年4月26日 12月22日 2019年6月13日 2020年3月17日 6月16日 2022年3月4日 3月16日 加筆    

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