観音寺

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観音寺と言う寺名を呼称する寺は日本国内に九十寺はあろう、古代〜中世にかけて普賢寺と呼よばれた、奈良時代には知名度の高かった寺で山号を息長山と言う、寺伝では天武天皇の勅願があり開基は744年良弁と弟子の実忠とされる。
元の名称は普賢教法寺である、興福寺別院普賢教寺四至内之図に描かれる最盛期の観音寺には七堂伽藍すなわち・釈迦堂
(桁行8間梁間5間)・大御堂(桁行9間半・梁間6間半)・地蔵堂(桁行5間・梁間3間)・普賢堂・講堂(桁行8間・梁間5間)・五重塔(五智如来安置)・南大門等々があり、20宇を超える僧坊を有していた記述がある、天平時代に五重塔創建の記録と心礎があり隆盛を見たようであるが火災に何度も遭う、寺宝として国宝指定の十一面観音のみを残す、これは良弁が関係している様で普賢教法寺から移されたとされる、
聖林寺
十一面観音と相壁を為し対比される見事な秀像である、製法が同じ一木造の心木に木屎(こくそ)(うるし)を盛り上げて造形した木心乾漆造である、この技法は奈良時代から平安時代初期に多用された、後補 (注1の跡が随所に見られるが、天平時代の特徴を著わす見事な十一面観音が著名で観音様の寺として知られ現在の寺銘となったと推察される。
現在は1986年に移転してきた同志社大学京田辺キャンパスの建つ丘の下に佇む。  

  
真言宗智山派(ちさんは)

          所在地    京都府京田辺市普賢寺下大門13     п@0774-62-0668     

観音寺の文化財     表内は国宝    ●印重要文化財

名    称

適                  用

時   代

十一面観音立像

木心乾漆 漆箔 172,7cm 制作年代・仕様とも聖林寺 の十一面観音と共通しており貴重な作品である。

天平時代


1、・頂上化仏(7面)・右耳たぶ・右手(第五指を除く)・天衣・持物は後補である


          
  十一面観音の著作権は観音寺様に帰属します、複製はご遠慮ください。




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