真言宗

  

                            説明: C:\Users\Owner\katada202\kyoto\button1.gif                空海     仏像案内     寺院案内     大日如来    仏教宗派     密教

真言の語意は真実の言葉である、すなわち呪文である梵語sasktamantra(マントラ)と言い バラモン、ヒンズー教Hinduのヴェーダ聖典Vedaによる神々への賛歌に由来する、インドでは仏教の興る以前から”真実の言葉”即ちsatyaサテは霊験があると信じられていた、因みにマントラを分類して訳すとマン=思惟、トラ=手段、方法で併せて思考手段となる、これ等のタームにパリッタ(Pāḷi語 Paritta)を加えても好いと思惟する。 
真言宗に於いては空海に依る教相判釈で「辯顕密二(べんけんみつに)教論(きょうろん)」「十住心論」を携え両部の大経を最高経典としている、宇宙に於ける真理を示す法身(ほっしん)仏すなわち大日如来の教えを根本として起った宗派である、言い換えれば密教とは毘盧遮那仏(大日如来)に対する崇拝儀礼であると中村始氏は言う。
真言宗と言う呼称は依経(えきょう)とする次の二経典から由来している、中期
密教の根幹を為す両部の大経の内で大日経に「真言法経」・金剛頂経に「真言陀羅尼」の記述がある為に命名されたとされる、また前述の関連から真言陀羅尼(だらに)宗とも言う、因みに依経とは宗派の依り所とする経典を言う,依経としている経典は真言三部経(大日三部経)すなわち・大日経大毘盧遮那成佛神変加持経)・金剛頂経金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経)・蘇悉地経蘇悉地(そしつち)羯羅経(からきょう)を言う、因みに真言と陀羅尼は基を辿ればマントラであり同義語である、密教後発の天台宗台密(たいみつ))蘇悉地経を重要視している蘇悉地経とは正式には「蘇悉地羯羅(そしつじきゃら)経」善無畏(ぜんむい)訳)と言い台密三部秘経に挙げられている、因みに円仁は自著の蘇悉地羯羅経略疏に於いて「三部ノ経王」として最重要視している、空海も蘇悉地経を請来していたが、密教儀礼、作法を主に説いた経典である為に律部に配置してあり重要度は低く観ていた様である。
高野山真言宗の大
阿闍梨・大栗道榮師(密教入門、すすき出版)に依れば、空海が留学した804年当時の唐は道教が国教であり、道教経典に「太上-乗海空智蔵経」略して「海空智蔵経(かいくうちぞうきょう)」と言う経典がある、道教の奥義を極めた荘子を真人と呼んだと言う、荘子の言に「真人の言」と言う伝承があり、空海の名前も、真言も源は海空智蔵経にあるのではないかと言われている、但し空海は蘇悉地経(スシッデカラ・susiddhikraを律に分類し重要度は低かった
真言宗は後述するが中期密教を掲げる宗派である、密教と顕教の相違としては、行は別として顕教すなわち露顕(ろけん)された教義の場合は経典を読み教義を理解する事は「浅略釈(せんりゃくしゃく)」とされる、密教に於いては本質を体感する「深秘釈(じんぴさく)」にあると言う、密教(真言)の本質は経典の内容を合理的分析や理解する事だけでは無く、「師資相承(ししそうじょう)による灌頂(梵 abhieka アビシェーク)」、即ち経典等から理解する筆授よりも、師から弟子への伝授・面授を体感する事にあり深秘釈を修める必要があるとされる、故に秘密仏教とされる、真言の教えは顕教と違い大日如来の所説は(しん)(みつ)秘奥(ひおう)である、深秘釈は「密勝顕劣」を強調している、密教以前に釈迦如来が説いた顕教は方便であると言い、法華経の言う小乗の佛教を顕教(大乗)に変換している事と同根である、顕教の浄土と区別して真言宗では「密厳浄土」と言う、密教では浅略と深秘は相にも適用される、すなわち無相を仏教の正しい在り方で空、無我を意味し、有相は浅略で凡夫に知られる色心諸法難解な解釈としている、”うぞうむぞう”の語源かも知れない。 「密蔵は深玄にして翰墨に載せ難し」
密教と顕教鼎立に付いては密教側の主張で密教の優位性を主張すなわち「顕劣密優(けんれつみつゆう)」を言う為の密教側の造語であり密教以前の宗派に於いては顕教とは言わない。 

真言宗に於いては他宗とは違い相承の形態すなわち師と弟子の関係は「付法」と言い個人ではなく、大日如来から金剛薩埵への伝授と同根で新元にしてあり通常の師弟関係を超越している、但し付法の呼称は他宗派にも存在し密教の寡占ではない。
真言密教のキーワードは即身成仏と言えよう、経典には即身成仏の記述は無いが、空海の即身成仏義には「六大無礙にして常に瑜伽なり 四種曼荼各々離れず 三密加持すれば速疾に顕る 重々帝網なるを即身と名ずく」と説かれている、六大とは地、水、火、風、空、識を言う、四種曼荼は曼荼羅参照、三密加持とは密教修行、修法実践に必須条件で、身(密)、空(密)、意(密)すなわち人間の活動を三つに分類し、大日如来の心が行者に宿る事を言う。

菩提心論とは真言宗の必須事項で正式名称を「金剛頂瑜伽中発阿耨多羅三藐三菩提心論」と言い、醗菩提心論とも言い即身成仏が少し説かれている、著作は龍樹で漢訳は不空とされている、これが「即身成仏儀」に繋がる様である、但しインド哲学の権威・宇井伯寿氏1882年~1963年は「即身成仏の実例は挙げられない」と言う。
更に語彙を変えて密教と顕教の相違を挙げると密教と言う名称の意味は法の真髄が経典に明示してある顕教とは違い、法の根幹部分が経典に於いて著す事が不可能として面授等を重要視している為と、灌頂abhielkaを受けた者のみ教義が開示される為に秘密仏教と言う解釈が大勢を占めるが、インドに於ける大乗仏教では密教は「真言乗」mantra-naya yāna または「金剛乗」に近い意味を持つ、顕教は「波羅蜜乗」pāramitā-naya yānaと言われ密教と言う呼称は不空三蔵により中国で言われ初めたとされる。
密教と言う熟語を定着させたのは不空であるが、密教と顕教の相違を理論化したのが9世紀の初め青龍寺の海雲が「両部大法相承師付記」で瑜伽の五部すなわち・仏・蓮・金・宝・羯の曼荼羅を密教とし、顕教を三乗すなわち・経・律・論としている。
密教と言う用語は中国を経て日本で始められた熟語であるがインドでは秘密guhyaの用語が随所で使用されている。
顕教とは密教側からの侮蔑を含んだ解釈の用語であり、密教以外の宗派では使用されない、露顕された教え即ち浅薄の意味を持ち二項対立を煽り「顕劣密勝」を誇張し侮蔑的である、因みに顕劣密勝も密教側の用語である、これは大乗仏教側が上座部仏教を小乗仏教と揶揄した事と同根である。

閑話休題、真言宗と密教は同義語とも言える、真言門=密教である、現在では真言宗は東密、天台宗は台密と分類されているが、歴史的には台密も真言門に加えられていた、天台随一の碩学、安然の理論は「仏の所説乃至(ないし)その法門は悉く真言教」と言い、五教判即ち「円劣密勝」を言う、すなわち安然の主張は一大円教にある、仏法の教義は全てが密教であると言う、他に教えはなく毘盧遮那如来(大日如来)一佛のみで、諸仏も大日如来そのものであると言う教説で一神教的な要素が加わる。


越智淳仁著・「マンダラの基礎知識」大法輪閣には「両部大法相承師資付法記」からとして顕教は三乗すなわち経・律・論であり、密教は瑜伽(ゆが)すなわち仏・蓮・金・宝・羯の五部曼荼羅にあると言う、因みに瑜伽とは梵語yoga(ヨーガ)の音訳で静寂の境地に入り大日如来廬遮那成仏)との融合を目指す事。
仏身観も特殊である、一門別徳の尊すなわち如何なる如来菩薩明王に対する信仰でも普門総徳の尊である大日如来に行き着くとされる、これを一門普門と言う。

密教は6~7世紀頃に龍猛により創められたとされ「龍智」「金剛智」「不空」「善無畏」「一行」「恵果」「空海」までを言いこれを「伝持(でんじ)八祖」(注6参照)と言う、但し密教(秘密仏教)はインドに於いては「ストーラ・sutra」「秘密集会タントラ・tantra」などと呼ばれ漢訳では「金剛乗」「真言乗」とされ密教と言う呼称は日本独自のものである、因みにtantraとはヒンドー教の秘儀聖典を言うが後期密教に於いては呪術・占星・祭式・医術・薬学などが加わる。
中国に於いては善無畏が716法華経を凌ぐ教えとしての経典「大日経」の解釈書として「大日経疏」を洛陽に於いて著した時を嚆矢とする、さらに720年金剛智により「金剛頂経」が海路長安にもたらされ、異なる宗派であったが恵果により両部の大経として一体化された正純密教
(注13を伝える教団である、即ち即身成仏が理論的に可能な哲学である、従って真言宗に於いては極楽等の浄土に対する信仰は説かれていない。
瞑想から仏を観相し呪文
(真言)を唱え、印契を結び大日如来の境地を目指す信仰である。
インドに於いて発生した密教は前・中・後期に大別出来る、恵果・空海の密教は中期に相当する、特徴として「本尊は大日如来」究極は「即身成仏」
(注1行の過程に「三密」(注2)「曼荼羅」の感得がある、因みに密教の時代分類は密教の組織化以前すなわち六世紀以前を初期(雑密)とし、中期(純密)は大日経・金剛頂経成立頃に体系が確立された時代を言い、八世紀以降に初会金剛頂経真実摂経(しんじつしょうきょう)ベース、及びチベットに移入されたタントラ仏教の時代を後期とされる、因みに
純密の呼称は略称で正式には「正純密教」と言い、雑密は「雑部密教」の略称である
密教とは呪術・印相(ムドラー ・ mudrā・法具・曼荼羅陀羅尼・真言を集合した宗教であるが空海はさらに声明を加えて完成されたのが真言宗である、真言密教の教義の根幹は三本柱で「即身成仏」と世の救済・衆生の利益の「済世利人」及び理想の国土「密巌仏国」であるが即身成仏
(注1が最優先である、他の仏教宗派に於いて成仏する時間軸は三劫成仏(17)を要すると言い、法蔵菩薩は阿弥陀如来になるまで五劫を要しているが真言宗に於いては即身である、但し即身成仏(注1を成した人の事例は空海を含めて無い。

閑話休題、密教と顕教の相違に付いて言えば、密教と言う熟語を定着させたのは付法六祖の不空であるが、密教と顕教の相違を理論化したのが9世紀の初め青龍寺の海雲が「両部大法相承師付記」で瑜伽の五部すなわち・仏・蓮・金・宝・羯の曼荼羅を密教とし、顕教を三乗すなわち・経・律・論としている。
即身成仏とは顕教に於いては無限大の劫35劫を要するが密教に於いては人間の生涯の間に成仏が叶うと言う、日本では空海の著した「即身成仏義」が嚆矢の様であるが、伝持(でんじ)八祖の三祖である不空説が強い、また即身成仏にはランクがあり、「理具成仏」「加持成仏」「顕得成仏」と進む、また主に東密では四字熟語が多く著される、「我即大日」「凡聖不二」「入我我入」「即身成仏」等々が言われている。

密教では悉地(しつじ)Siddhiと言う言葉が言われ修行の完成を悉地と言われる、成就を意味し、真言の秘法を修めて成就した覚りで最高の悉地を無上悉地と言う。
一体無二無別を観得、己の体内に大日如来の真理が宿る、我即是大日すなわち己も大日如来の中に入り、大日如来も己の中に入る事を「入我我入(にゅうががにゅう)」と言い加持とも言う、因みに入我我入の仕様書に入我我入観(身密・印を結び姿形で仏になりきる) 正念誦(口密・真言を称え仏を真似る) 字輪観(意密・心で仏を真似る)がある、現世に於いての成仏すなわち大日如来のレベルへの到達する事であるが、現在に至るまで「即身成仏の実例は挙げられない」とインド哲学の権威・宇井伯寿氏(18)は言う。
ただし真言密教に於いては即身成仏を為す仕様書として金剛界曼荼羅があり、内容は「五相成身観」(ごそうじょうしんがん)がある、五相成身観金剛界曼荼羅・注7に概説)とは ・通達菩提心(つうだつぼだいしん) ・修菩提心(しゅぼだいしん) ・成金剛心(じょうこんごうしん) ・証金剛心(しょうこんごうしん) ・仏心円満(ぶっしんえんまん) を言う。(五相成身観の詳細解説は金剛頂経入門・大法輪閣・頼富本宏著の88頁を参照ください)
即身成仏には三種あり「理具成仏」「加持成仏」「顕得成仏」がある(注1即身成仏を参照ください) 

九世紀始め中国長安の青竜寺においてインドから来た不空の弟子の阿闍梨(あじゃり)恵果より「伝法阿闍梨位灌頂」を受けた弘法大師空海に依って日本にもたらされた、因みに伝法阿闍梨位灌頂を恵果から授かった僧は空海を含めて六名のみ言われている、因みに恵果の高弟に義操(ぎそう)がおり、その高弟に義真・法全(はっせん)が居り、中国に於いて二人に教えを受けた弟子が円仁円珍である、日本では真言宗を東密、天台宗を台密と言うが、東密は東寺から採られた呼称で台蜜は天台からである、また東密・台密の呼称は虎関師錬(こかんしれん)12781346年)著の(げん)亨釈書(こうしゃくしょ)巻27の諸宗志が嚆矢の様である。
不空に付いて言えば中国密教は個人救済ではなく護国鎮護の集団救済仏教になり、インド密教とは著しく変節した、特に密教は不空等により著しく変質した、国家権力に迎合して「仁王護国般若波羅蜜多経」「文殊師利菩薩根本儀軌経」「葉衣観自在菩薩経」等、梵語原典に無い国王守護・護国等が記述されている、密教を国家に奉仕させた不空の孫弟子が空海である。
密教Buddhist-tantrism)とは秘密仏教を大看板とした宗派で教義が露顕されず、業・面授を重要視する、空海の場合留学の目的は明快であり国内で読んだ経典の内容は理解できた為に面授(真言)を体験する為であった。

漢訳に・ダ-ラニ-dhāraṇī陀羅尼 ・フリダヤhrdaya 心呪・ヴィディヤーVidyā明呪、と言われるが、大乗仏教の登場で呪文の役割が非常に大きくなる
真言も陀羅尼
(注19と言う言葉も呪文の一種で、呪文・加持祈祷・により即身成仏を目指す純密教である、インドでは二世紀頃古来より信仰されたバラモンの流れを汲むヒンドウー教の台頭に対抗する必要性に迫られた事と、従来の顕教の余りにも教理哲学が精緻化し過ぎ民衆から遊離した事に対する対策として、インド古来の呪術宗教と華厳教学(16を基本としてナーランダ寺周辺で考え出され7世紀に栄えた仏教と言える、加持祈祷であるが加持と祈祷は概念が違う、加持とは加は仏からの働きかけであり、持は僧侶がこれを受け止める事を言う、加持祈祷は・信者の繁栄 ・出世 ・安産 ・治病 ・災厄除去等々を言う。
空海
が帰国後中国の密教は衰退の道を歩む事に成る、原因として儒教に敵視された事もあるが後期密教の教義に官能的な要素が強まり、性的快楽が覚りに至る信仰が中国では普遍化しなかった事と、看板の呪術が道教と類似していたとの指摘がある。
真言について密教に於いて重要な曼荼羅には阿弥陀如来の扱いは小さいが、皆無ではなく「無量壽如来根本陀羅尼」や非常に短い「心真言」など来迎や、成仏の過程としての往生を示す「別時念仏等がある。 
(心真言―‐オン アミリタ テイゼイ カラ ウン)
密教の源流を辿れば土着信仰のバラモン、ヒンズー教、更にはゾロアスター教まで行き着き現世利益を重要視するヒンドウー教やジャナ教の教義であり、性力を崇拝するタントラ等を多く取り入れた結果、教義の違いが土着信仰と曖昧になり、インドでは13世紀にはタントラ密教的な要素をもつヒンドウー教に吸収される、さらにイスラムにも凌駕される。
従って釈迦も多神教であるヒンドウー教神の一人に数えられている、古代インドでは密呪(みつじゅ)(陀羅尼印相を修行に利用する者が多かったが釈迦はこれを否定した、しかし釈迦の死後、土俗的環境と現世利益願望に妥協するように般若心経法華経華厳経など大乗経典で密呪が説かれ始めると仏説としてオーソライズ(大乗の場合)される事になる。
日本は古来より稲作が主要産業であり水は不可欠な物であり雨乞いの祈願が必要条件として起る、密教に於いては師資相承の密咒が伝えられ真言宗は存在感を示し・空海・真雅・聖宝・仁海達が行ったとされる、因みに伝持八祖胎蔵系)の初祖である龍猛の名前は水を呼ぶ龍との関連を梅原氏は言う。

空海の留学以前から密教経典や呪術は私度僧
(注20などにより断片的に信仰されていたが、空海によって密教として形態化された、但し真言宗の広まりには単に空海のみではなく日本古来の山岳信仰に密教と言うローブを着用した信仰と複合したとも言える。
真言とは仏の教理
(正覚)を体験する行動でも有り、仏を模倣して手印を結び仏と一体化を目指すものでこれを有相の三密と言う(口密・身密・意密 注30)
空海が恵果から密教の奥義と共に受けた主な物品に大日経・金剛頂経・大悲胎蔵法曼荼羅・大悲胎蔵三昧耶略曼荼羅・金剛界九会曼荼羅・金剛界八十一尊大曼荼羅・白緤大曼荼羅尊四百四十七尊・白緤金剛界三昧耶曼荼羅尊百二十尊・愛染王曼荼羅・大毘盧遮那大悲胎蔵大曼荼羅・密教法具・蘇悉地経を含む多数の経典等が在り、これを持ち帰り後に弟子たちに「勘縁疏(かんえんそ)」すなわち密教趣意書を配布させて布教に努めた、816年高野山金剛峯寺を修禅道場に、又823年には東寺を根本道場として勢力を拡大、更に鎌倉時代には関東にも広がり最盛期を迎える、年分度者(注22の認定は天台宗より遅れるが835年三名が認められる、
因みに三昧耶とは梵語samayaの音訳で一般的には約束、、誓約を意味するが、真言密教に於いては誓願、本誓、本願を意味すると言われる
空海以前すなわち南都六宗は学派であり、天台宗最澄の時代は四宗兼学であり宗派ではなく学派である、空海が密教を請来して初めて宗派が形成されたと言える、それにしても空海の日本の仏教界に与えた影響は偉大な功績がある、空海以前の仏教界は中国等の仏教を直訳した程度のレベルから、日本の文化及び哲学を形成した仏教の芽を注入した事が挙げられる、即ち中国に於いては梵語経典を熟知して漢字文化に消化吸収する文化哲学が形成されていたのに対して、日本には梵語、パーリ語(p
āli)・漢語を充分に理解できないまま翻訳する程度の学識水準にあった、所謂経典などを自国語で著す義疏 を作成する能力が備わっていなかった、空海は未発達ではあるが日本に於ける仏教文化形成の礎と成ったと言われている。  
真言密教の隆盛には空海に帰依した嵯峨天皇の御世になった幸運もあった、空海以前に法相僧・玄肪や道鏡の影響すなわち雑密は無視できないが、この時期南都寺院でも真言密教化現象が広まった、因みに空海以後の場合は純粋密教いわゆる純密(中期密教)と呼ばれている。


空海と最澄の相違は信仰に生きる最澄が南都の高僧と対立したのに対して、卓越した戦略家である空海は密教のPR書である「観縁疏」を送り密教興隆の手伝いを願う等南都の高僧懐柔策を心得ていた、822年東大寺真言院が建立されこれを拠点として更に広まり南都等の古寺を訪れてみても浄土系、禅宗を除いて密教の影響を否定できる宗派・寺院はない。      
空海の入定後に真言宗の重要拠点は主な弟子達により開かれた三か所があり、金剛峯寺(真然)教王護国寺実恵(じちえ)神護寺真済(しんぜい)となるが、他にも観心寺等があり孫弟子の時代には多くの派閥を形成する事になる。
一時期停滞して俊英が現れた台密に凌駕されていたが、・仁和寺を創建した宇多天皇が弟子入りした益信
828906聖宝823909年)・空海の大師号拝命に尽力した観賢854925年)随心院を興した仁海9511046年)覚鑁10951143年)達が登場して復興する。
観賢は金剛峯寺座主と教王護国寺長者を務めていた折に主導権争いをしていた真言宗内に本末制度を定めた、すなわち教王護国寺を本寺とし、金剛峯寺を末寺とした。
その後真言宗は口伝を重要視する小野
(山科)曼荼羅寺仁海や聖宝(注7の小野流と義軌・経典を重要視する益信を頂点とする広沢(嵯峨)遍照寺の広沢流に別れ更に多くの流派に分派して行く、明算10211106年)を祖とする高野山中院流も存在した。
醍醐寺
、随心院を拠点とした小野流と、仁和寺を拠点とした益信
(注8の広沢流に別れこれが更に分裂を起こし野沢(やたく)根本十二流となる、内訳は小野流(地名から銘々された)が安祥寺、観修寺流、随心院流、三宝院流、理性院流、金剛王院流を言い、広沢流(遍照寺は広沢池南)のは仁和御流、西院流、保寿院流、華蔵院流、
忍辱山流、伝法院流を言う、しかしこの確執による分派は真言宗を俯瞰すれば活力を持ち興隆する事に成り、やがて観賢(注21が教王護国寺を拠点に統括に向かう、但し野沢根本十二流に加入していない明算の中院流等々が存在している、平安時代特すなわち9世紀後半鳥羽、白川上皇に時代に真言修法を重用して興隆期を迎えた。
しかし国家の庇護を失った事を含めて、浄土教が台頭し始めた頃の真言宗は教学を蔑ろにして加持祈祷(注24に専念し他宗に後れを見せていた、真言密教を改革する必要に迫られた頃に、興教大師・覚鑁が現れ真言教学の再構築を行う、戒律を復興した事もあるが死者供養を重視する等密教の簡易化に努める、これにより真言宗は教義を含めて勢いを盛り返すが大伝法院(密教教学の研究所)建立や天台に比べ遅れていた教理研究の推進など改革を急進過ぎた為と、既得権を持つ規制勢力の反発を呼び根来山の円明寺に身を引き浄土教思想を取り込んだ新義真言宗を興すことになる、従って覚鑁(かくばん)以前を古儀真言宗と分類されている、ちなみに現在に於いては新義真言宗を呼称するのは根来寺のみである、但し真言宗を新義と古儀に分類して呼称するのは明治時代以降の事である。
以上の小野流・広沢流と系統を異にする立川流がある、鎌倉時代に仁寛(蓮念)より興された流派で19世紀頃まで信仰されていたが淫祀(いんし)邪教として阻害された、立川流とは左道密教と揶揄された後期密教、すなわちチベット仏教に近い教義で理趣経を重要視し荼枳尼天を崇拝、性交と即身成仏を関連付ける、因みに左道とは「邪」と解釈されている。

真言宗には多くの流派が存在するが教義上の相違は些末(さまつ)であり支援者の相違等が原因と考えられる、戦国時代に弱体化した折に木食応其(もくじきおうご)(注8が広沢・小野派掌握して豊臣秀吉の庇護・帰依を受ける、また新義真言宗も根来寺を逃れた玄宥は智積院において徳川家康に、専誉の長谷寺は五代将軍綱吉の庇護を受けて栄えた。
これとは別に十三世紀、叡尊(えいそん)が真言の教義に戒律を強調し具足戒、すなわち小乗色的な思想(分通大乗)を加えて荒廃していた大和・西大寺を拠点に真言律宗を起こす、この宗派には古寺巡礼者には大変魅力ある寺が多い。
真言密教が日本に入る事により・四天王梵天帝釈天弁才天吉祥天十一面観音千手観音如意輪観音不動明王をはじめ各明王や曼荼羅・真言祖師画など密教彫刻・絵画等が普遍化する、要するに真言宗系には優れた文化財が存在し教義だけでなく仏教美術に残した空海の功績が偉大とも言える。
空海のスケールの大きさは既存の教えを手中に取り込んだ教義の完成にある、宮坂宥勝氏は言う、著書のうち十住心論と秘蔵宝鑰にはインドの初期仏教や中国の天台・華厳は無い。      

空海入唐以前の密教仏に東大寺・三月堂の虚空蔵菩薩 ・唐招提寺千手観音安寺馬頭観音等々が挙げられる。
空海が阿闍梨恵果より授かった「伝法阿闍梨位灌頂」は日本に於いての修行は俗界と離れた厳しい修行を終えなければ成らず「
四度加行(しどけぎょう)」と呼ばれ四段階が課せられる、因みに伝法灌頂(注23は四度加行を終えた後に授けられる、これは密教僧の必須科目で現在は簡素化され受戒作法の一つである白四羯磨(びゃくしこんま)等も簡略化している様だ、 1、十八道念誦次第 2、金剛界念誦次第 3、胎蔵界念誦次第 4、不動護摩法の修法を言うが、日本特有の行らしく空海がこの様な修行を行い授かった形跡は無い、因みに阿闍梨とは本来は師範を意味する。  
また密教とは秘密仏教の略称でもあり
(abhieka アビシンチャ)灌頂を受けない者には深密な秘奥を顕示される事はない。
真言僧が得度した後に伝法灌頂に入壇(にゅうだん)する為の事相(じそう)四度加行(しどけぎょう)がある、四度加行とは阿闍梨の認可を受ける為の訓練を言うが、修行中に於いて最初に出会う仏、即ち前行で出会う礼拝行の本尊は聖宝の影響の強い小野流系は如意輪観音である、しかし広沢流・中院流など(やく)(しん)を開祖とする流派に於いては大日如来を本尊とされている、また四度加行には・十八道法(注22・金剛界法・胎蔵法・護摩の潅頂儀礼があり両部の次第のクリアーを必要とする、前述した各派の本尊が異なるのは、加行と正行がある四度加行の基本である十八道には18種の手印を結び、18種の真言を唱えたりする「十八契印」「十八頸」「十八道念誦次第」の他に多くあり、流派毎に採用する十八道により本尊に相違が出る、因みに「度」とは未熟から練達pāramitāパーラミータ)る事を意味する、また加行とはprayoga(プラヨーガ)の訳である。阿闍梨10参照)  
また根本の教理に六大縁起があり総ての事例は地・水・火・風・空・識を言い「六大無碍にして常に瑜伽なり」と言われる。
真言宗の本尊は天台宗ほどではないが多様で大日如来が多いのは当然として・如意輪観音 ・不動明王 ・文殊菩薩などが本尊を務める、また川崎大師
(金剛山金乗院平間寺) の様に空海を本尊とする寺も存在する。
これら諸尊を「一門別徳の尊」と言い大日如来本尊を「普門総徳の尊」と言う、ちなみに本尊と言う用語は曼荼羅の中尊を呼ばれたのが嚆矢とされる。
この時代に於ける律令制度は政務を司る「太政官」と儀典を行う「神祇官」が存在したが、真言宗と言うよりも空海の壮大な企みが、太政官と神祇官を超えた加持祈祷
(蜜咒)を朝廷に持ち込んだ、真言宗のパワーの実例として、平安時代の律令政治は政務を司る「太政官」と神会を司る「神祇官」の二部並立であったが、真言密教の加持が加えられた、即ち宮中真言院に於いて、毎年1月8日~14日まで真言宗に於ける”一宗最高の厳義”すなわち真言宗最高秘奥とされる大法「後七日御修法(ごしちにちみしほ)」が行われた、現在は教王護国寺・灌頂院の西隅に護摩壇を置いて行われている、真言宗各派の管長などの高僧が東寺の潅頂院に集まり国家鎮護などの祈願が行われる、これは天皇家が真言宗の門徒になった事を意味した、後七日御修法は明治維新までは禁裏に於いて行はれていた、空海は御所内に政務の太政官と神道の神祇官との両輪の処へ密教儀礼を取り込んだ、潅頂院では宇多・円融法王などが伝法潅頂を受けており密接な関係が窺い知れる、因みに後七日御修法(注31)とは護摩壇と増益壇の二壇を置き、七日間に二十一座(回)の護摩修法が修せられる、宮中に於いて国家鎮護を祈願する真言院の創設は恵果の師であるインドから唐に移住した不空付法八祖の六を踏襲した行動である。 
多くの真言宗系の寺院には御影堂とか大師堂などの堂宇があり空海が奉られているが、豊山派や智山派など新義真言宗の系列には真言宗中興の祖である覚鑁(注4が奉られている、真言宗寺院の本尊は多様である、教義上は大日如来であるが川崎大師(平間寺)を初めとして宗祖である弘法大師を本尊と崇める寺院も存在する
空海の有名な著述を挙げると

1、 聾瞽指帰(ろうこしいき)  我が国初の「比較思想論」と言える書である、797年空海24歳の作品とされ佛教・道教・儒教を比較して佛教の優秀性を説き佛法に無知(聾瞽者)な人間に対する指導書であると共に仏門に生きる宣言書でもある、内容は放蕩な蛭芽(しつが)公子に儒教・道教の個々の教師が説法するが効果は上らず佛教の仮名乞食(かめいこつじ)(空海自身)の説法に公子は得心して佛教に帰依すると言う内容になっている、三教論は中国がルーツであり登場人物は中国三教論による、因みに三教とは北周の時代に言われ創め・儒経・仏教・道教をさす、武帝は廃仏を行う折に三教論談すなわち儒者、僧侶、道士を集め議論させた。
因みに聾瞽とは真実を知らない無知の闇の中に住む愚者を言い、指帰は示す意味を持つ、愚者に真理を示すとなる。
鼈毛(べつもう)先生論」「虚亡隠士論」「仮名乞児(かめいこつじ)論」「観無常論」「生死海賦(しょうじかいのふ)」「十韻詩」で構成され、空海は日本に請来されていた諸経典・南都六宗の教義や中国の思想哲学などに精通していた、また指帰は玄奘と共に仏典翻訳事業に参加した当時の佛教界の最高指導者で南山律宗の祖である道宣596667年)の著述や白氏文集(はくしもんじゅう)文選(もんぜん)を参考にしたとも言われる。


2、 三教指帰(さんごうしいき) 聾瞽指帰の改訂版と言える著作で、その相違は序文と末部十韻詩(じゅういんし)が異なり、本文も一部変更され三巻上中下に纏めた著述である、空海が仏門に入る宣言書で儒教の亀毛(ぎもう)先生・道教の虚亡隠士(きょうぶいんじ)・空海自身をモデルとした仏教の仮名乞児(かめいこつじ)を登場させて、儒教・道教・仏教を比較し仏教の優秀性を示した著作である、但し聾瞽指帰が原本であり空海とは別人の著作説がある、また三教とは儒教・道教・仏教を言う。  
四六駢儷(べんれい)調で物語風に書かれている、兎角(とかく)先生が主役で儒教の亀毛(きもう)先生・道教の虚亡隠士・仏教の仮名乞児を登場させて、儒教・道教・佛教を比較し佛教の優秀性を示した日本最初の比較宗教論である、但し聾瞽指帰が原本であり空海とは別人の著作説がある、聾瞽指帰との相違は序文と末部の十韻詩(じゅういんし)が異なり、本文も一部変更されている、また三教とは儒教・道教・佛教を言う。
四六駢儷体に付いて、儒教の亀毛先生論の一部を挙げると「筆謝除痾 詞非殺将 欲披彼趣 悱悱口裏 黙而欲罷 憤憤胸中」、筆は()を除くことを謝し、()(しょう)を殺すに(あら)ず。彼の趣を(ひら)かんと欲すれば、口裏(こうり)悱悱(ひひ)たり。黙して()めんと欲すれば、胸中に憤憤(ふんぷん)たり。 (空海と中国文化、岸田知子著、大修館書店より。 

  


3十住心論(じゅうじゅうしんろん) 大日経大日経疏を熟読して著された著述で空海晩年の作で日本宗論史上の最高傑作と言える比較思想論である、日本に於ける真言宗成立の根本理論書で正式には「秘密曼荼羅十住心論」(広本)と言い,全十巻を簡略化して秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)として三巻から成り巻上で世俗・儒教や道教等、巻二は声聞、縁覚、巻三に法相、三論、天台、華厳を取り上げ十番目に秘密荘厳心すなわち真言を表わし人間の修行・精神の発展段階を十段階に説き世間道・小乗・大乗・と進み密教で完成される説き、胎蔵界曼荼羅は十住心論を視覚に訴え図形化したものである。 
日本教と言う造語の創設者・山本七平氏をして十住心論は日本教の知られざるバイブルと言う。

十住心論は日本宗教史上最大の傑作と評価される比較思想論である、830(天長7年)淳和天皇は日本仏教界の権威者達に要請した宗派の教義書の真言密教部分である。
天皇からの要請であり天台宗の義真、三論宗から玄叡、法相宗から護命、律宗から豊安、真言宗から空海が提出しがた、十住心論に反論出来る宗派は無かった、密教と顕教の位置付けを著した著作で空海最大の力作と言える、詳しくは「秘密曼荼羅十住心論」と言い、後に要約された書を「秘蔵宝鑰」と言う、これに反論出来る論客は僅かに会津からの
徳一のみで、約一世紀後の安然による「胎蔵金剛菩提心義略問答抄」を待たねばならなかった。
十住心論の咀嚼(そしゃく)書すなわち略本として「秘蔵宝鑰」三巻があるが、これも嵯峨上皇・淳和天皇の求めに応じた著わした書である、信仰の段階を既存仏教に置き換え批判を加えた普及書で、4
唯蘊無我住心に加筆部分がある。

 

   十住心論  

   十段階の内訳  

1、異生羝羊住心 (いしょうていようじゅうしん) 

一向行悪行     異生(取り柄にない凡人) 羝羊(迷える羊)食欲・性欲以外に無い人間 

2、愚童持斎住心 (ぐどうじさい) 

儒教          愚童(馬鹿な子供並みの倫理は持つ 

3、嬰童無畏住心 (ようどうむい) 

道教、バラモンヒンズー 日本神道    嬰童(幼児が母に抱かれて安心な状態)宗教への目覚め 

4、唯蘊無我住心 (ゆいうんむが) 

声聞乗   小乗仏教 五蘊でなく一蘊仏教入門、無我の心 

5、抜業因種住心 (ばごういんじゅ) 

縁覚乗  小乗仏教  釈尊の説教をあまり聞かず一人で覚りを目指す、自己の無知は除外する 

6、他縁大乗住心 (たえんだいじょう)  

法相宗  大乗仏教  衆生の救済を目指す 

7、覚心不生住心 (かくしんふしょう) 

三論宗  大乗仏教  空・中観を目指す 

8、一道無為住心 (いちどうむい) 

天台宗  大乗仏教  一道(一実中道すなわち天台の教え) 

9、極無自性住心 (ごくむじしょう) 

華厳宗  大乗仏教  究極の真理であるが自性が欠ける、顕教では最高の教え まだ浅略釈 

10、秘密荘厳住心(ひみつしょうごん) 

真言宗  大乗仏教  秘密の真理を会得の心、無限無量即ち曼荼羅の世界 深秘釈

上図の十住心を一から九までが顕教で十を密教とする「九顕一密」(秘蔵宝鑰)、総てが密教と言う「九顕十密」(十住心論)と区別される事がある。
即身成仏・密厳国土を置く、顕教との比較に教判すなわち横軸に「弁顕密二教論」の素怛纜(そたんらん)(経) 2毘奈那(びなや)(律) 3阿毘達磨(あびだつま)(論) 4般若(はんにゃ)波羅蜜多(はらみた)(大乗) 5、陀羅尼総持(そうじ))(注19があり、13を小乗仏教、4を大乗仏教、5、が密教としている。

*「弁顕密二教論」に於いて空海は「衆生秘密」と「如来秘密」と言う二秘密があると言う、衆生秘密とは露顕された真実に凡夫は気がつかない為に秘密に見える状態である、対して如来秘密は低レベルの凡夫に教授すると害が大きい為に意図的に秘密とされた教えである。
          
真言宗を語るには両界
()曼荼羅を除いては語れない、曼荼羅とは最高の覚りを言い、大日如来を中心とした構成をもち「金胎理智不二」(両部不二)と言い、製作された年代等も違う両部曼荼羅に一体制を持たせている。 

両部不二すなわち金胎理智不二の論理化は恵果以降の中国の密教の主張である、インド密教を直接請来したチベット仏教には両部不二の思想は無い為に、密教の時代分析には所作タントラ~無上瑜伽タントラと分類されている。
、大日経を元に描かれた胎蔵曼荼羅   大日経・金剛頂経は両部大経参照
、金剛頂経による十住心論金剛界曼荼羅 
曼荼羅とは真髄の所有
(世界大百科事典・日立システム・&・サービス)と記されているが、梅原猛氏が集合と本質(仏像・心とかたち・NHKブックス)と訳されている、仏の集まりを示すと共に覚りの本質を示すと解説されている。 
両界()曼荼羅は恵果より伝授されたが東寺の羯磨曼荼羅
(立体曼荼羅)は空海の独自解釈がなされている。 
1,
五大明王
(正面西側)は胎蔵界曼荼羅の持明院から転用しているが配置等が違う、(曼荼羅の項最後の表参照)
2,
如来群と菩薩群は東面如来金剛薩埵菩薩を講堂東北角に配置しているが明王群と四天王は東面(降三世明王・持国天)を東南角に配置されている(仏像遍・明王群の表参照)羯磨曼荼羅仁王経(にんのうきょう)を基に製作されていると言うが超人空海の考えは独創的な表現を実現しており大変難解であるが、最澄が仏教界を支配し始めた時期に空海の最澄凌駕を目指す戦略がうかがえる.
真言宗の目標は*即身成仏に世の中を救い人に利をもたらす*済世利人と秘密荘厳心をもつ仏の国*密厳仏国であるが、この様な浄土の完成は可能か。
尚空海が遣唐船で辿り着いた中国福建省・赤岸村には空海記念館があり、現在に於いても村民の信仰を集めている、21世紀に入り中国と空海
(真言密教)に関する密教を中心とした文化交流は高野山大学や真言宗各派と中国上海の復旦(ふくたん)国立大学を中心に活況を呈している。
空海の三大霊跡とされる寺院に高野山(金剛峯寺)
教王護国寺善通寺がある。
高野山には多くの塔が存在しており、紀伊高野山大塔・東塔・西塔・金剛三昧院多宝塔・金輪塔・峯楼閣瑜祇(ゆぎ)塔・光台院多宝塔・成福院三層塔等であるが、金剛三昧院多宝塔は国宝指定を受けている。  
経典の読誦する場合多くの宗派は呉音で詠まれるが真言宗の場合は漢音で発音される。
真言宗は下表の様に多くの派が存在するが、何れも「真言」の文字が入れられている、これは空海のカリスマ性に影響があろう、因みに天台宗に於いては寺門宗、真盛宗以外は天台
(注25の文字を入れていない。   

密教の修行は経典を読破するだけで得られるものでは無い、密教の修行には行動を必要とされる、三密行すなわち、手に、心に真言の繰り返し唱える事にある、真言を唱えて精神統一して「没我」状態になる事を三摩地(さんまじ)と言う、三摩地から即身成仏に至るとされる、但し宇井伯寿説では即身成仏に至った人はまだいない様だ。

浄土教の六字名号、南無阿弥陀仏の興隆に対抗したのが「光明真言」
(注26である、大日如来の真言で正式には「不空大灌頂光真言」略して「光言」「光明真言」と言い、真言宗の内で多く唱えられている。
光明真言は因幡堂
(平等寺)の収蔵庫に毛髪を束ねて書にした真言があり重要文化財指定を受けている。 
この真言は不空訳「不空羂索毘盧遮那仏大灌頂光真言」等を典拠とした真言で、これを237回聞けば一切の罪障を滅ずる事が出来ると言う。

「おんあぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん」
 阿謨伽 尾盧左曩 摩訶母捺囉 麽抳 鉢納麽 入嚩攞 鉢囉韈哆野 吽」

あぼきゃ=不空成就如来 べいろしゃのう=大日如来    まかぼだら=阿閦如来   まに=宝生如来   はんどま=無量寿如来(阿弥陀) 入嚩攞 鉢囉韈哆野≒光明を放ちたまへ

基軸経典 ・蘇悉地経(そしつじきょう) 善無畏訳 ・瑜祇経(ゆぎきょう)  金剛智訳 要略念誦経(ようやくねんじゅきょう) 金剛智訳 ・大日経 善無畏訳、 ・金剛頂経、不空訳(以上を五部秘経と言う)理趣経・法華文句・摩訶止観 とされ中でも大日経と金剛頂経は両部大経と言い、教範の最高位にある。  

また 蘇悉地経Susiddhikāra Sūtra, スシッディカラ・スートラ」とは善無畏敬(真言八祖の一人637年~735年)訳で、祈祷儀礼が主体で行動(羯磨)金剛杵・五鈷杵などを用い障害難・恐怖などを除去し蘇悉地羯羅経とも言う。
瑜祗経の正式名称は「金剛峯楼閣一切瑜祗経」と言い高野山金剛峯寺の命名の基経となる教典で空海は「顕密二教論」に利用しており真言密教に於いて覚り境地に至る為の方法を記述した経典ある、因みに峯楼閣瑜祇塔はこの経典から銘々された。
密教と言うタームとしてマントラ(mantra)、金剛乗vajrayāna、ヴァジュラヤーナ)真言乗mantrayāna、マントラヤーナ)等々いわれる、また空海以降の後期密教をタントラ仏教(Tantric Buddhism) と呼称されている、また中国に於いては通常は密宗(みいぞん)と呼ばれる、また唐代栄えた中期密教を唐密宗(たん)(みい)または漢伝密教(漢密)等とも言われている


信徒数約 千三百万人    本尊 大日如来    寺院数12,411ヶ寺   座主 松長有慶師(第412世)~中西啓寶師、(第413世座主)201411月14-15日)


1、 即身成仏 密教に於ける専売教義で無限大とも言える修行・精進を重ねるのではなく、現世に於いて現在の身体を持って仏になれるという、即身成仏を具体的に挙げれば・理具成仏・加持成仏・顕得成仏の三義がある、定説ではないが即身成仏とは大日経や虚空蔵求聞持法を漢訳した善無畏(śubhakrasiha、シュバカラシンハ)の着想で劫(Kalpa)を妄分別(vikaipa)と解釈した事に始まると言われる。 ・理具成仏とは理念を言い真言密教の修行をして大日如来と同一の境地に到達する事を言う、即ち己は大日如来と信ずる、人には成仏できる条件が具備されている。  ・加持成仏とは実践を言い三密加持修行により大日如来と境地を同じくする事。
三密加持(かじ)であるが、三密とは身、口、意の三業を言う、加持とは梵語のadhisthana(アディシュターナ)で如来・菩薩が呪力によりパワーが衆生に伝えられる事を言う、また入我我入(にゅうががにゅう)」(仏と一体になる)を同意と考えられる。

因みに正木晃氏に依れば”即身成仏“と言う熟語は密教のキーワードとも言えるが、密教経典に即身成仏のタームは観られないと言う、因みに空海著述の「即身成仏義」は経典ではないのでカウントされない、日本では空海以来ひろく言われる様になった。

・顕得成仏とは結果を言い修行が完成した状態即ち究極の覚りを言う、全てが身口意、(注2)大日如来の三密具現とされる、空海の著述「即身成仏義」があり「両部の大経」と「菩提心論」をベースにして著された著作で、これを「二経一論八個(はっか)の証文」と言う。三密とは即ち ***意を用いれば *身体に相当を「印契を結ぶ」、*口で真言を唱える、*仏と一体即ち三摩地となる。
即身成仏義とは世界を構成する六大無礙(むげ)すなわち地・水・火・風・空に識を加える六大無礙をもって一切諸法の原理とする、六大は仏すなわち大日如来と衆生と同根、共通云々と言う難解な書で関連する著作に「声字実相義(しょうじじっそうぎ)」「吽字義(うんじぎ)」がある。
即身成仏を感得する方法に「五相成身観」がある、①通達本心(菩提を根に) ②修菩提心(2の発展形) ③成金剛心(堅固な菩提心) ④証金剛心(佛性の会得) ⑤仏身円満(一切如来)がある。 

高野山、奥の院は空海のカリスマ(独・Charisma所持を示す”空海の恩寵(おんちょう)”の場所として重要視されている、空海が信仰対象として本尊を凌駕している、末木文美士(ふみひこ)氏の解釈に依れば、空海は即身成仏した事とされており、死亡したのではなく「永遠の弘法大師」として存在していると言う解釈とされている、要するに法華経の久遠実成の釈尊をコピーした様である。
入我我入を繰り返すことにより「顕得成仏(けんとくじょうぶつ)が為されると言うが、インド哲学の権威・宇井伯寿氏は即身成仏の実例は挙げられない」と言う。
脱線するが薬師寺再興の先鞭をつけた唯識の碩学・橋本凝胤vs梅原猛の対談を抜粋した薬師寺再興、草思社の記述によれば「弘法大師と言う人が唐から伝えたものは佛教ではありません、あれは新興宗教で空海はその開祖です」と述べている。
覚りには言語も姿形も存在しない、覚ったと認知できない処に覚はあるのかも知れない。
覚者に成る為には三障すなわち以下の障害を克服しなければならない、・煩悩障(貧欲、瞋、痴漢) ・業障害(法に反する) ・報障(法に従えない)がある。

宇井伯寿  本名茂七と言い曹洞宗・東漸寺(とうぜんじ)第34代住職 愛知県宝飯郡小坂井町大字伊奈  
1930
年 東京帝国大学教授  1941年 駒沢大学学長  1953年 文化勲章を受章  
196381歳で逝去。  


2大日如来の世界の働きを示した用大 三密 身密(kāya-guhya)―印を結ぶ  口密(vāg-guhya)―真言を唱える  意密(citta-guhya)―念・心を言いう、即身成仏義に手に印を結び、口に真言を唱え、心三摩地に住す」真言宗の如何なる加行も三密の為にある、因みに三摩地とは心に曼荼羅をもち仏と一体の境地を言う,この一体の境地を目指す行を「三密加持」という。
身、口、意とは密教の行動を三分類する、即ち・身体的行動(身)、原語的行動(口)、精神的行動(意)に分類して三密業と言う。 

3、大日如来の世界の実体を示した六大は精神の原理として識(心)に実体の原理として五大と言い 空(無限) 風(動き・影響力) 火(浄化力・成熟) 水(清浄) 地(磐石不変)を言う。
     

4覚鑁(かくばん)   10951143年 

正覚坊覚鑁と言い諡号は興教大師と言う、13歳のころ上洛して広沢流の流れをくむ仁和寺の成就院寛助に師事する、真言宗各派・興福寺東大寺にも勉学したと言はれる、マンネリ化していた真言宗中興の祖であり新義真言宗の開祖で佐賀県の出身。
浄土教の台頭に対してこれに対抗する為の再構築が必要とされた、覚鑁が大日如来の蜜厳浄土を目指して「五輪九字明秘密釈」著し浄土教を取り込む教義として鳥羽上皇の信頼を受け後ろ盾もあり活躍する、天台宗などに比べて教義研究の遅れを指摘し、真言教学の再構築を目指して全密教法流の統一を目指す事により、真言宗は勢いを盛り返すが改革が急進過ぎた事と、真言僧として傍流の出身であることが守旧派(東寺金剛峯寺の既得権者)や鎌倉幕府の庇護にある金剛三昧院からの反発に遭い根来寺に移る、十六世紀後半根来寺は羽柴秀吉に攻撃(天正兵火)されるが、最盛期には仏僧が八千人~一万人存在したと言われる。 

覚鑁が金剛峯寺を追われた原因の一つに鳥羽上皇から下賜された大伝法院とその荘園の関係から覚鑁が灌頂を受けた御室御所の圧力を嫌った一団の仕業との説がある。

1114年高野山に於いて往生院青蓮や最禅院明寂に学び1121年に寛助僧正より伝法灌頂を受ける。  

公家貴族等と広く交流し伝法会の再興に尽力する、1132年鳥羽上皇の御幸を受けて高野山に院御願寺大伝法院を完成し、同院と金剛峯寺の座主に就任するが、守旧派の抵抗から大伝法院と密厳院を根来に移し移住する、1143年大円明寺を完成後に没する。
新義真言宗が成立する事により従来の系統を古義真言宗と呼ばれる、覚鑁は空海が説いた「自心仏」を進めて真言密教と念仏浄土信仰を融合させた「五輪九字明秘密釈」を説いた。
新義真言宗の系列に豊山派(長谷寺)・室生寺派(室生寺)・智山派(智積院)があるが現在は根来寺のみが新義真言宗と呼ばれている、ここでは館長即ち住職の名称を「化主(けしゅ)」と尊称している、但し真言宗に於ける多くの派では太鼓などの囃子を禁じているが、豊山派・智山派など旧新義真言宗では囃子による祈祷が盛大である
著書に密厳諸秘釈・五輪九字明秘密釈がある。

呪術に頼る真言宗に戒律の復興・下民族層の救済・社会基盤の整備等々日本仏教に於ける最高峰の業績を挙げた、 作家の永井路子氏は覚盛や叡尊による改革を「宗教ルネッサンス」とまで言っている。
覚鑁と言えば新義真言宗とされるが当寺疲弊した真言宗を再構築したのは覚鑁と弟子の忍性である、著作の「密厳院発露懺悔文」などは総ての流派に於ける真言僧の多くが聖典化するほど多く読まれている。  


5
真言律宗    

宗祖は空海で派祖を叡尊とされる、本覚思想を持ち念仏を拡大解釈した退廃僧の増加を諫め奈良仏教に再興した、空海の真言宗の教義は踏襲して四分律・梵網戒(大乗戒)を加えて腐敗した奈良の仏教界を活性化させた。
叡尊は真言律宗の派祖で諡号を興正菩醍叡尊と言う、鑑真和上により請来された戒律・真言宗の精神とも言える三昧耶戒など戒律の遵守を称え西大寺において西大寺版の版経を広めるなど光明真言会を興す等、寺院と戒律の確立を目指した、三昧耶とは梵語 samaya(サマヤ)の音訳で誓約・約束を意味し、仏教では「仏の覚りと融合した境地」とされる、因みに叡尊や唐招提寺を再興した覚盛(かくじょう)などの戒律復興を目指す僧達は、師からではなく仏から授戒する自誓受戒を受けたとされる、真言律宗の特徴としてか、叡尊像の僧祇支(そうぎし)左袵(さじん)につけられている。 (褊衫左袵(へんざんさじん) 左袵とは和服が左前の事 
但し真言宗からの完全独立は明治時代に入ってからである、密教と戒律の関連に於いて叡尊は「戒律と密教とは一心において日月(にちがつ)のごとき」と言い双方の一体性を強調している。叡尊は源氏の出身で字を思円と言う、興福寺の学僧・慶玄を父として17歳で剃髪する、1225長岳寺で霊山院・阿闍梨静慶から密教の行法を学ぶが後に戒律を重要視し西大寺に入る。亀山・後深草・後宇多上皇の帰依を受け信空・忍性等多くの弟子を養成する。  

1895年(明治28年)真言宗から分離独立し西大寺を総本山として真言律宗となる。    

著書に「自叙伝・感身学正記」 「旅行記・関東往還記」  「梵網経古迹記輔行文集」 「菩薩戒古迹文集」 「表無表章文集」 など。


6真言八祖  「付法八祖」(金剛界系)と「伝持八祖」(胎蔵系)が言われている。 
八祖の本流として空海の広付法伝から金剛界系の「付法八祖」があり、毘盧那仏から密教の説法を受けた金剛薩埵が伝えたと言う伝承があり毘盧那仏(大日如来)金剛薩埵 ・龍猛・龍智・金剛智・不空・恵果・空海が言われる。   「秘密曼荼羅教付法伝」(広付法伝)
またこれも空海の「略付法伝」からとされ胎蔵系の
「伝持八祖」は実在しない大日如来と金剛薩埵を省き、善無畏・一行を加えている、伝持八祖の制定は御室派が嚆矢で金剛頂経を意識した付法八祖に対して大日経と恵果の位置付けを加味して設けられた、善無畏・一行を加えた事は付法八祖の場合は金剛頂系を表しており中期密教すなわち金胎不二の観点から疑問を生じており大日経系を加えたと言われている
「伝持八祖」の名前と持物は通常諸説あるが 「龍猛」(龍樹)三鈷杵 ・「竜智」梵経 ・「金剛智」念珠 ・「不空」印形 ・「善無畏」印形 ・「一行」印形 ・「恵果」童子・「空海」五鈷杵とされ真言祖師とも言う、また「住持の八祖」とも言われる
中でも龍樹(竜猛)は大乗仏教の祖であり中国八宗の祖・日本八宗の祖とされている、著作に中論・一二門論・大智度論大乗二〇頌論などがある、ちなみに八祖の宗派は法相宗・抑舎宗 ・三論宗 ・成実宗 ・律宗・華厳宗・天台宗・真言宗を言う。
空海の著作「秘密曼荼羅教不法伝」の意図に「道は自ら(ひろま)ず、(ひろむ)よる。()()(じゃ)()()ろ。上、高祖法身毘盧如来より、下、清龍の阿闍梨に至るまで絶えず」記述がある(仏画の読み方、高橋尚夫、大法輪閣)

真言八祖像は四国八十八所26番札所の「金剛頂寺」に於いて重文指定を受けて存在している、木造板彫りで彩色が施されている、ちなみに金剛頂寺は空海の創建と伝えられ嵯峨天皇と清和天皇の勅願所であった。   ●金剛頂寺の真言八祖像 龍樹88,6cm ・龍智86,4cm ・金剛智85,8cm ・不空87,4cm ・善無畏85,5cm ・一行87,4cm ・恵果87,2cm ・空海87,3cm 鎌倉時代。


7聖宝 (しょうぼう) (832909年)と観賢  
小野派の源流とも言える人で諡号は理源大師、修験道に於ける中興の祖、天智天皇の血を引き恒蔭王と呼ばれた、空海の実弟の真雅を師として16歳で東大寺に入る、唯識・三論・華厳・真言を学び山岳修験の道に入り笠取山に如意輪観音准胝観音を奉り真言道場を作り醍醐寺の基礎を確立する。 

東寺や東大寺の要職も勤め皇室の信頼も厚く1707年理源大師の称号を東山帝より授かる。 

醍醐派系の奈良県吉野郡黒滝村にある真言宗鳳閣寺派の鳳閣寺には聖宝が刻んだとされる如意輪観音がある。師は益信と同じ源仁である。
聖宝の門下に観賢(かんげん)(835925年)が居り、三十帖冊子問題で高野山と東寺の確執を解消する、また高野山に空海の入定信仰を構築した、観賢は金剛峯寺・東寺・醍醐寺のトップを兼任した唯一の僧である空海の大師号取得を上奏した、また高野山に空海の入定信仰を構築した、また観賢は東寺長者 教王護国寺と高野山の確執・小野流・広沢流など分裂状態の真言宗を統括に努めた功労者で真言宗は東寺を頂点とした、921年弘法大師の諡号は観賢の奏上による。 

また聖宝を派祖とする当山派・修験道の教団が存在し金峰山・大峰山・葛城山を拠点として活動したが変遷を経て明治の廃仏毀釈のときに姿を消したとされる。

8益信(やくしん)827906年)   真言宗広沢派の開祖で本覚大師(1308)の称号を受ける、備前の出身で姓は紀、大安寺に於いて得度、元興寺に於いて法相宗を修め887仁和寺で密教の灌頂を受ける、891教王護国寺の長者・894東大寺別当に就任。 

更に899年には仁和寺に於いて宇多上皇に受戒する等帰依を深める、900年には伝法灌頂を教王護国寺に於いて授ける、これにより真言宗は繁栄の道を歩む。 

その後東山・円成寺忍辱山の前身)を与えられる。密教の師は聖宝と同じ源仁である。


9 木食応其  (15361608年) 木食上人  興山上人 

武家の出身で六角氏などに仕官していたが1572年高野山で出家する、後に小野・広沢を継承する仁和寺に於いて阿闍梨位を受領する。

豊臣秀吉の信任は厚く1585年高野山を攻める秀吉と金剛峯寺との間を仲介して高野山を安泰にする、秀吉をして「高野の木食にあらず、木食の高野なり」とまで言わしめる、高野山金堂・大塔の再建等修復など政治・経営手腕に富むが関が原の戦いの終戦処理で徳川幕府に疑念を持たれ、故郷の近江・飯導寺に隠棲生活を送る。 

木食上人とは魚畜はおろか穀物も食せず木の実や野草を食す行者を言う。

10阿闍梨とは阿舎梨・阿闍梨耶とも書き、梵語のācārya (アーチャリー)の音訳で意訳をすれば師・規範となる、教団の高位の指導者を指し空海も唐に於いて師の阿闍梨恵果より伝法阿闍梨位灌頂を受けている。
阿闍梨の種類は特に選ばれた大阿闍梨、法を指導する教授阿闍梨、灌頂を受けた伝法阿闍梨、高貴な身分の者がなる一身阿闍梨、勅命による七高山阿闍梨などが在る。

伝法阿闍梨位灌頂とは密教の秘儀で、灌頂の最高位にあたり空海が阿闍梨恵果より授かる、日本に於いてはこの灌頂を受けるには四度加行と言う難行があり 1、護身法・十八道 2、金剛界法 3、胎蔵界法 4、護摩法がある。
灌頂には結縁・受明・伝法・学習灌頂などの段階がある。 

11日本の三筆 書の部門に於いて嵯峨天皇と空海は二聖とされる、橘逸勢(はやなり)を加え日本の三筆とされる。
嵯峨天皇との信頼関係は書家同士で実力を認め尊敬し合う関係が存在したのではないか。
空海の筆とされる書の内,真筆とされる書は「聾瞽指帰」「真言七祖像賛」「風信帖」「大日経開題」「灌頂歴名」「金剛般若経開題」「三十帖冊子」がある。
 

12 , 密教には顕教に比べ多くの儀礼法式があり灌頂・大元帥法・不動法・五壇法・七仏薬師法・如意輪法・孔雀経法・愛染王法・大威徳法・北斗法等があり、平安時代には国の儀礼や貴族達の私的儀礼に採用された。(顕教では仁王会・御斎会・季御読経など)    

13、真言宗を東密と呼ばれる事があるが東寺から呼称されている、の場合は台密と言い宗派名の台からとられている,また純密・雑密(ぞうみつ)・タントラ等の分類法があり、純密とは両部の大経を典拠として整備された主に中期密教の教義で東密はこの範疇に入る、ま雑密は初期に相当する呪文・明呪・マントラ(真言)・陀羅尼などを強調し主に体系化される以前の密教を言う、最澄は唐に於いて大素から雑密法を受けているが天台宗は円仁・円珍・安然により確立された密教は純部も掌握している。
但し空海は両部と言い純密と言うタームは使用していない、しかし空海が請来した経典群の整理に於いて大日経系を「胎蔵部」、金剛頂系を「金剛部」とし、何れにも属さない密教系経典を雑部と分類したことに始まる。


14入唐八家 唐に留学した高僧を言い 最澄(天台宗) ・空海 ・円仁(天台宗) ・円珍(天台宗) ・円行(真言宗) ・常暁(真言宗) ・恵運(真言宗) ・宗叡(真言宗)を言う。

15真言・陀羅尼(注19) 梵語マントラの意訳で「真実の言葉」と言い一字で表す事を言う、長文を「陀羅尼」と言い呪文の範疇に入る。

16 華厳宗の本尊である毘盧遮那仏は梵語名Ⅴairocana(バイローチャナ・光り輝く)音訳であり密教の大日如来は意訳で意味は同一である。

17 (こう) 梵語kalpaの意訳で仏教の言う非常に長い期間を言う、盤石劫(ばんじゃくこう)の一劫とは四十立方里の岩に天人が百年に一度舞い降りて衣の袖で岩面を一度なでる、その岩が磨耗するまでを一劫と言う。また芥子劫も有り芥子の実を百年に一度大きな城都に一粒ずつ落とし満杯になって一劫とする数え方もある、また一劫は432千万年とする記述もある、今現在の劫を賢劫と言い過去の劫を荘厳(そうごん)劫 ・未来劫を星宿劫と呼びこれを三世三千仏と言う、曼荼羅に登場する賢劫の千仏はここから由来している。阿弥陀如来は法蔵菩薩時代に五劫の間修行して如来と成った。
劫の分類は複雑で宇宙形成から壊滅までの劫を器世間と言い時間を単位とする物を歳敷劫という。
無限大と言える過去に「錠光如来」が出現し、その後も如来が現れ53番目に「世自在王如来」が現れる、「法蔵菩薩」は世自在王如来の弟子で師から210億の仏の世界を示され五劫の間思惟した後に極楽浄土を完成して阿弥陀如来となった。

18  宇井伯寿  本名茂七  
曹洞宗・東漸寺(とうぜんじ) 第34住職 愛知県宝飯郡小坂井町大字伊奈
1930
年 東京帝国大学教授  1941年 駒沢大学学長  1953年 文化勲章を受章  1963年 死去 81


19
陀羅尼 梵語のdhāraī(ダーラニー)の音訳で仏の教えを正確に理解し保持する意味合いを持つ明呪である、「総持(そうじ)」「憶持(おくじ)」「(のうしゃ)」等と意訳される。
真言と陀羅尼は共に呪文であるが数文字の短い呪を真言と言い、比較的長文の呪を陀羅尼と言う。

仏の教えを理解するのみでなく衆生のサルベージも陀羅尼の範疇とされ多くの大乗経典即ち般若経・法華経の陀羅尼品26などに顕れる、やがて密教的要素が加わると呪術と同和して真言と同義語となる。
要するに真言も陀羅尼と言う言葉も呪文の一つで、呪詛・加持祈祷・により即身成仏を目指す純密教である。
無念無想の境地に置き繰り返し称える事により
聞持陀羅尼(もんじだらに)が完成する。
陀羅尼は女性尊との関連も深く大随求(だいずいぐ)明妃・大孔雀明妃・大寒林明妃・密呪随持明妃・大千砕明(だいせんざいは)妃があり日本では大孔雀明妃が孔雀明王として知られている。

20私度僧 別称を優婆塞・聖などと言い国の年分度の許可を受けていない僧侶を言う、対極に官度僧があり年間10人程度に得度が許され課税免除などの優遇を受けた、私度僧は僧尼令で禁止されていた。


21年分度者(ねんぶんどしゃ)  得度を受けられる僧侶の数を朝廷が統括するもので全27条からなる僧尼令(そうにりょう)は、718年(養老2年)に始まり当初は10名、当初は10名、即ち三論・法相各5名から、806年には三論・法相各3人・華厳、天台、律各2名となり835年には真言3名が加わる、年度分者も律令制度が崩れると形骸化する。
また得度とは仏門に入る、救いの道に入る、娑婆から彼岸に行く、などにも使われる。

22、四度加行の十八道は正式には十八道念誦次第と言い、18種の真言を唱え18種の印を結ぶ、すなわち印明があるが流派により相違があるが、・荘厳行者法 ・普賢行願法 ・結界法 ・荘厳道場法 ・勧請法 ・結護法 ・供養法 ・念誦法 ・後供方便法 等と言われる(日本密教 春秋社参照)、因みに天台宗では比叡山行院で行われている。

23、 灌頂儀礼 インドに於いて古代からおこなわれた成人儀礼や王族の立太子儀礼に於いて頭に水を灌ぎ権威を示す儀式で現在もヒンズー教や密教で行われている、灌頂には在家信者に対する結縁灌頂 ・密教僧を目指す学法灌頂(弟子灌頂) ・師の位に付く伝法灌頂などがある。伝法灌頂とは頭に水を灌ぐ意味合いを持つ、灌頂を受けた証明書には許可(こか)と言う證書が与えられる、因みに伝法灌頂に於いて曼荼羅の内で行われる伝法灌頂を入壇灌頂と言い、空海は神護寺に於いて最澄に授けている。 

24、 加持 行者の行為と仏が混然一体と為る事を言う、梵語でadhihna の意訳で立場、住所が変じて仏からの加護を言い密教では仏の慈悲が衆生に乗り移り一体となる、行者が手で印形を結び、口で真言を言い、瞑想で仏の境地と為る事を三密加持と言う、国語辞典に依れば通常は神仏の加護を受けて災いをはらうことで祈祷と同意である。山折哲雄氏は空海の解釈として如来の大悲を加とし、衆生の信心を持と説明している。

25、 ・聖観音宗 浅草寺 台東区浅草  ・本山修験宗総本山 聖護院 京都市左京区聖護院中町 ・金峯山(きんぶせん)修験本宗 総本山 金峯山寺 奈良県吉野郡吉野 ・和宗総本山(戦後独立) 四天王寺 大阪市天王寺区四天王寺 ・鞍馬弘教総本山 鞍馬寺 左京区鞍馬本町 ・粉河観音宗 総本山粉河寺 和歌山県那賀郡粉河町 ・寂光院 京都市大原草生町。


26、光明真言とは正式には「不空大灌頂光真言」と言い、梵字23文字から成る呪文で、智慧・慈悲・光明を願う真言(陀羅尼)で真言宗の必須アイテムである、これは不空訳「不空羂索毘盧遮那仏大灌頂光真言」、菩提流志訳「不空羂索神変真言経巻二十八、灌頂真言成就品第六十八」、「毘盧遮那仏説金剛頂経光明真言儀軌」等を典拠とした真言で、これを237回聞けば一切の罪障を滅ずる事が出来ると言う。
漢字に変換した真言が 「唵 阿謨伽 尾盧左曩 訶母捺囉 麽抳 鉢納麽 入嚩攞 鉢囉韈哆野 吽」。 
              「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん」。
あぼきゃ=不空成就如来 べいろしゃのう=大日如来    まかぼだら=阿閦如来   まに=宝生如来   はんどま=阿弥陀如来

27
密教に於いては・自性(じしょう)身・受用(じゅゆう)身・変化(へんげ)身・等流(とうる)身の四身をすべて法身と解釈し四種法身を説く、大日如来は多様な姿とり「等流身」即ち天、人、畜生、などの救済の為にそれぞれに応じた姿をとって顕れる。
法身とは 真理そのものとしてのブッダの本体、色も形もない真実そのものの体をいう。


281963年(昭和38年)に教王護国寺と真言宗東寺派が分裂したが、正法寺(京都市西京区大原野南春日町1102)など数ヶ寺を残して、教王護国寺を中心に多くの寺院が東寺真言宗に移動独立した、現在は正法寺・弥勒寺・法寿寺など小規模の寺院が真言宗東寺派を呼称している

注29、 高野山金剛峯寺に於ける全体の総門で聖域と下界との結界を示す大門は・総高25.1mで知恩院の24mを凌ぎ東大寺南大門の25.46mと略肩を並べる、金剛力士(約5.500cm)は阿形は康意、吽形が運長と言う京仏師の作である、また大門の柱聯(ちゅうれん)には「不闕日日之影向」(日日の影向を(かか)さずして)「検知處々之遺跡」(処々の遺跡を検知す)があり空海の入定信仰が生きていると言えよう。

注30、
 有相の三密、 密教で有相の三密によって修行をする行者の三業に仏の三密が相応し融合すること。不思議な力が現れ、即身成仏の悟りを得るといわれる、有相の三密とは密教に於いて身密、口密、意密の総称。

注31、後七日御修法 平安時代の律令政治は政務を司る「太政官」と神会を司る「神祇官」の二部並立であったが、真言密教の加持会が加えられた、宮中真言院に於いて勅修(ちょくしゅう)の大典”即ち最大の国家的儀礼”が行われていた、毎年18日~14日まで「真言宗に於ける最高の厳義」すなわち最高秘奥とされる大法「後七日御修法(ごしちにちみしゆほう)」が行われた、現在は教王護国寺・灌頂院に於いて行われ、真言宗十八本山会の管長レベルの高僧が集まり国家鎮護などの祈願が行われる、因みに後七日御修法とは護摩壇と増益壇の二壇を置き、七日間に二十一座の護摩修法が修せられる、これは従来から行われていた金光明経を講説する御斎会に変わる儀式で835年(承和2)に創められ天皇家が真言宗に帰依した証とも言える真言宗の最高厳儀である、御所の真言院で始められ後に紫宸殿に移された、834年以降明治維新までは歴代天皇臨席のうえ行われていた国家的儀礼で、両部曼荼羅五大明王・十二天画像・孔雀明王などを祀り行われる最高の修法である、因みに後七日御修法の本尊は金剛界法と胎蔵界法を年毎、交互に修められる、両部曼荼羅であるが灌頂等に於いて「瞑想を行う為の装置」として使用される度に損傷する為に100400年と言う不定期であるが更新され現在の曼荼羅は五代目である、参考として空海の最勝王経開題には「宝生を主と為す」(密教 正木晃)

32、 空海が入ったと言う大学とは、正式には「大学寮」と言い、国家が天皇に仕える官僚機構すなわち律令(りつりょう)制のもとで作られた式部省で官僚を育成の為に創めた機構である、儒教、法律、算道等々を学び成績優秀者は高級官僚への道が開かれていた。入学資格は八位以上の官僚の子弟が中心であった。




真言宗の各本山
と著名寺院 
真言宗は空海以降にガバナンスgovernanceが働きにくくなり、現在三十六門流に分かれ各々に総本山が置かれている。

宗 派 名 

山 号 

寺    名 

所      在      地 

高野山真言宗    

高野山 

金剛峯寺 

和歌山県伊都郡高野町高野山 

善通寺派 

五岳山 

善通寺 

香川県善通寺町 615 

東寺派

法寿山

正法寺

京都府京都市西京区大原野南春日町1102  

東寺真言宗     

八幡山 

教王護国寺 

京都市南区九条町  1963年(昭和38年)に真言宗東寺派から分派   

智山派(ちさんは) 

五百仏山 

智積院 

京都市東山区東瓦町 964 

泉涌寺派 

月輪山 

泉涌寺

京都市東山区泉涌寺山内 27 

大覚寺派 

嵯峨御所 

大覚寺 

京都市右京区嵯峨大沢町 

御室派 

御室御所 

仁和寺 

京都市右京区御室大内 

醍醐派 

深雪山 

醍醐寺 

京都市伏見区醍醐東大路町 

山階派 

亀甲山 

勧修寺 

京都市山科区勧修寺仁王堂町 27 

善通寺派 

牛皮山  

随心院  

京都市山科区小野御霊町35  

豊山派 (ぶざんは) 

豊山 

長谷寺 

奈良県櫻井市初瀬町 731 

 室生寺派 

宀一山(べんいち)  

 室生寺 

 奈良県宇陀郡室生村字室生 

真言律宗 

四王院 

西大寺 

奈良県奈良市西大寺町 

真言律宗 

生駒山 

宝山寺 

奈良県生駒市門前町 1 

信貴山真言宗 

信貴山 

朝護孫子寺

奈良県生駒郡平郡町信貴山2280-1 0745-72-227 

新義真言宗 

一乗山 

根来寺 

和歌山県岩出町根来 

中山寺派 

紫雲山 

中山寺 

兵庫県宝塚市中山寺 2 

須磨寺派  

上野山 

須磨寺 

兵庫県神戸市須磨区須磨寺町 4-6-8 

真言三宝宗 

蓬莱山 

清澄寺(清荒神) 

兵庫県宝塚市米谷字清 

大日派 

金剛山 

仁王院ばん阿寺 

栃木県足利市家富町 


 岡寺(豊山派、ぶざんは)奈良県高市郡明日香村 
 當麻寺(高野山)奈良県葛城市当麻1263 
 大安寺(山階派)奈良市大安寺町二丁目   
 神護寺(高野山)京都市右京区梅が畑高雄町    
 高山寺(御室派)・京都市右京区梅が畑   
 広隆寺(御室派) 京都市右京区太秦   
 蟹満寺(智山派、ちさんは)京都府設楽郡山代町    
 円成寺(御室派)奈良市忍辱山(にんにくせん)町  
 法界寺(醍醐派) 伏見区醍醐日野西大道町 
 観心寺(高野山)  大阪府河内長野市寺元 
 十輪院(醍醐派)奈良市十輪院町   
 秋篠寺(真言・浄土宗系)奈良市秋篠町秋篠    
 飛鳥寺(豊山派) 武市郡明日香村     
 長岳寺(高野山)天理市柳本町    
 六波羅蜜寺(智山派)京都市東山区松原 
 石山(東寺真言宗) 滋賀県大津市石山寺辺町576 
 観音寺(智山派)京都府綴田郡田辺町普賢寺   
 最勝院(智山派) 青森県弘前市大字銅屋町63番地
 成田山新勝寺(智山派) 千葉県成田市成田1番地
 川崎大師(智山派)(金剛山金乗院平間寺)  川崎市川崎区大師町
  
 
真福寺宝生院(智山派) 名古屋市中区大須  北野山    通称 大須観音


真言律宗の著名寺院 
総本山西大寺 奈良市西大寺芝町    
    浄瑠璃寺 京都府相楽郡加茂町   
    岩船寺 京都府設楽郡(したら)加茂町   
    般若寺 奈良市般若寺町   
    元興寺・極楽坊 奈良市中院町   
    不退寺 奈良市法蓮町
    法華寺 奈良市法華寺町 等 
  ?

   空海 ─┬  高野山・真言宗・金剛峰寺 ─ 大覚寺派・大覚寺 ─―――-------  空海   
     ├  東 寺・真言宗・教王護国寺(東寺) ───-------------------------  空海                     
     ├  真言宗・醍醐派・醍醐寺 ───----------------------------------  聖宝
(しょうぼう)               
     ├  真言宗・善通寺派・善通寺  ───-------------------------------  仁海
(にんかい)               
     ├  真言宗・御室派
(おむろは)  ---------------------------------------   仁和寺  広隆寺(別格本山)    宇多天皇                    
     ├  真言宗・山階派
(やましな) ---------------------------------------   勧修寺  承俊(しょうしゅん)                       
     │             └─ 観音宗・大聖観音寺                   
     ├  真言宗・泉涌寺派 ────-------------------------------------  泉涌寺  俊篠
(しゅんじょう)               
     ├  新義真言宗 ─ 覚鑁(かくばん) ─ 真言宗・豊山派(ぶざん)          専誉
(せんよ) 
     │     │根来寺                │        └─ 真言宗・豊山派  長谷寺                   
     │     │                     └――---------- 真言宗・ 室生寺派    室生寺     
     │     └ーーーーーーーーーーーーーーーー            真言宗・智山派・智積院 六波羅蜜寺
(末寺)       玄宥(げんゆう)
     └  真言律宗 ──ーーーーーーーーーーーー   西大寺  ・浄瑠璃寺 岩船寺(末寺)      叡尊(えいそん) 
 他全五十派の多数に上る、比較的有名寺院のみ掲載した。 


  

系列大学 
高野山大学 和歌山県伊那郡高野町
種智院大学 京都市南区八条下る東 伏見区向島西請
京都嵯峨芸術大学 京都市右京区嵯峨五島町一番地 
大正大学   東京都豊島区西巣鴨  (天台・浄土共)
 

 


20041030日加筆  1227日 200516日 129日本山表他挿入  71日 11月10日 12月7日注10、 200697日三教指帰後半部 四度加行 200716  26日陀羅尼 630日陀羅尼2008612日潅頂院一部 1010日入我我入 1213日 2009125日 心真言他 129日密教と顕教  密教の初中後期他 720日 201053日海空智蔵経 201236日五相成身観 39日得度から入壇まで 524日真言三部経 20141225日2015年11月19日 2016年8月27日 11月17日三昧耶解説 2017年3月6日 5月11日  7月20日 12月5日 2018年1月16日 1月29日 7月1日 11月26日 2019年3月11日 2020年2月29日加筆 



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