海北友松(かいほうゆうしょう)

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          1533-1615年
  

桃山画壇四大家の一人で海北派の祖である、因みに桃山画壇四大家とは狩野永徳(1543-1590) 狩野山楽(1559-1635) 長谷川等伯(1539-1610) ・海北友松(1533-1615)を言う。
近江浅井家重臣の子で幼時に出家し東福寺で修行の傍ら絵を狩野永徳のもとで習得する。
信長の浅井長政攻略により海北家滅亡後は武門の再興を目指して還俗する。
その間連歌師や京都五山の禅僧たちと交流を深める。
のち秀吉に画才を認められて絵画の道に入るが終生芸事を低く見下す武門の気概を持っていたようだ。
画風は狩野派に学んだ巨大樹木など桃山的な様式の他宋・元画に造詣が深く、玉砂風の左墨もまじえた真行草の三体主張した画風である。
作品として建仁寺方丈の琴棋書画図・花鳥図・竹林七賢図、京都国立博物館の飲中八仙図潅風 紙本墨画 六曲屏風 桃山時代、東京国立博物館の琴棋書画図 紙本著色 六曲屏風 桃山時代・山水図、等の他に妙心寺の・花卉(かき)()三聖吸(さんせいきゅう)酸図(さんず)((さん)酸図(さんず))寒山拾得図(かんざんじっとく ) 紙本著色 六曲屏風 桃山時代など金地着色潅風が現存する。
本阿弥光悦の師にもあたる。




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