平安時代に於ける佛師集団の最大勢力で初代は院助と言う。
子孫弟子達の名に院の文字を付けた事から院派と呼ばれる。
作行は優雅で穏やかな貴族的なもので、当時皇室や貴族の注文での像造が多く、荘園の知行権を与えられており裕福な集団であった。
鎌倉時代には慶派に圧倒されていたが室町時代には将軍家や鎌倉方面の禅宗寺院等で活路を開いた。
院派の代表的佛師として院覚・院朝・院尊達が活躍した。
院覚(法眼)は法金剛院の阿弥陀如来や法成寺・白川殿などの仏像を担当し仏師としての地位を不動とする。
院朝(法眼)には現存する作品は散見しない。
院尊(1120〜1198年法印)も確定できる作品は無いが当時は仏師界の第一人者であったと思われる。
後白河院の信頼が厚く鎌倉幕府成立前後には南都復興の造仏活躍しており、僧綱補任では慶派や円派の仏師を凌ぎ最高位である法印を得ている。
注1、 僧綱位 法印・法眼・法橋
864年僧に与えられた位階で1‐
俗官の位階と同様に
佛師