建長寺

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山号は巨福山(こふくさん)と言い、正式名称を建長興国禅寺と言う、執権・北条時頼の招きで来日した蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)による創建で鎌倉五山第一位の名刹である。

道隆は我が国初の本格的宋朝風の純粋禅の道場を設立する、創建時の堂宇は失っているが創建当初の文化財は国宝の梵鐘を残している。
中国の径山万寿寺(きんざんまんじゅじ)禅宗様式の伽藍を持ち後深草天皇の宸筆とされる扁額を掲げた三門は江戸時代の再建であるが三門から「前裁列樹」と呼ばれる前庭を通り柏槇(びゃくしん)の巨木と「心字池」(蘸碧池(さんぺきち))をみながら仏殿・法堂・方丈を直線上に配置し左右に庫・僧坊を持つ。
当寺には
無学祖元(円覚寺開山)・一山一寧(いちざんいちねい) 清拙正澄(せいせつしょうちょう) 等に人材を輩出、また五山文学のメッカでもあり中巌円月・絶海中津・義堂周信・玉隠英若 等の俊英が住持を勤めた。  

永享の乱や1414年・1426年の火災で衰退するが江戸時代に入り白隠(びゃくいん)(妙心寺)派の禅を採用し参禅に徹して復興した。
通常禅宗寺院の本尊は釈迦如来が多いが建長寺の本尊は地蔵菩薩である、これは創建以前の地獄谷の地に心平寺と言う地蔵堂が存在していた為とされている。  

建長寺は蘭渓道隆の命日とされる724日に行われる開山忌が著名で「巡堂」と呼ばれるお渡りがある。
鎌倉幕府の執権・北条氏が臨済宗に帰依した事から近くには・円覚寺 ・浄智寺 ・東慶寺、等の禅刹が多い、また円応寺には運慶の作とされる重文・閻魔大王像(木造 坐像 190.3㎝ 鎌倉時代)がある。  

 

  梵鐘 高さ207,3㎝ 経124,0㎝ 2,7屯 鎌倉時代 1255 物部重光作 蘭渓道隆銘文  

● 開山卵塔(らんとう)    

● 西来庵昭堂   

● 仏殿      

● 唐門 

 

臨済宗建長寺派 大本山  所在地  鎌倉市山ノ内 

 

1、蘭渓道隆 12131278   

中国四川省の生まれ成都・大慈寺に於いて臨済宗・松源派を学ぶ。南宋で留学中の泉涌寺(京都)の(げっ)(とう)(ちよう)(きょう)と知己を得て30歳で来日し京都から鎌倉に移り時頼の信頼を得る。 1279年歿後に大覚禅師の勅旨を受ける。 

 

2、三門 (山門)  

禅宗伽藍の門を言い、空・無相・無作の三解脱門の略称とされる。 

禅宗寺院の正門を意味し他宗寺院の中門にあたり南大門にあたる門は総門と呼ばれる。 

東福寺・大徳寺等禅宗寺院の三門が著名であるが、様式を踏襲した知恩院浄土宗)などの例外もある。 

 

3五山文学     

奈良時代からの貴族に始まり禅僧・江戸時代には林羅山等儒学者に愛用された文学で、当時は日本に於ける漢文学の中核をなしていた。 

七言詩・五言詩・律詩が好んで用いられた。 

主な文学者に・一山一寧 ・雪村友梅(せっそんゆうばい) ・虎関師練(こかんしれん)  ・竜山徳見・石室善玖 ・竺仙梵卵(じくせんぼんせん)     義堂周信(ぎどうしゅうしん)  などである。 

最終加筆日200496 

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