浄土宗

                                        仏像案内        寺院案内     仏教宗派   

法然を開祖とする念仏系の宗派で阿弥陀如来を本尊とする、日本の浄土信仰は浄土五祖の三祖・善導(注14 中国浄土教の僧)が著した「観経疏(観無量寿経疏・注13」と法然との出会いから浄土宗は本格化する。
浄土宗は「
選択(せんちゃく)本願念仏集」を聖典とし、 法然の言う浄土教祖師の一人である唐の道綽 (562645注15) による「安楽集」の”聖浄二門”を先頭に教相判釈し、浄土三部経(後述)と曇鸞の「往生論」(注11の三経一論を依経とする宗派で、南無阿弥陀仏の六字名号を標榜する一仏信仰、すなわち日本に於ける一神教的な教義を持っている、他力本願による救済、すなわち阿弥陀如来の本願力(本願、特に十八番)にすがり極楽往生を目指し信仰の道標として「目的(往生)」「対象(阿弥陀如来)」「手法(念仏)」を示し、声を出して同唱十念(どうしょうじゅうねん)に始まり同唱十念に終わる宗派である、因みに浄土教五祖とは曇鸞・道綽・善導・懐感・少康を言う、藤本浄彦氏(佛教大学教授・西連寺住職)は浄土宗の三要素として浄土への往生、阿弥陀如来への信仰、口称(くしょう)念仏を挙げている。
易行(いぎょう)の門、南無阿弥陀仏すなわち他力本願”である、対して難行の門、法華経、安楽品による天台の「四安楽の行」、即身成仏を看板とする密教の「三密の行」等々の難行を凡人には不可能視した教えである、因みに四安楽の行とは・身安楽行・口安楽行・意安楽行・請願安楽行を言う、また三密とは・身密・口密・意密を言う、即身成仏であるが1930年頃、東京大学教授で曹洞宗・東漸寺34代住職の宇井伯寿は即身成仏者の実例は無いと言う、密教の象徴的なキーワードである即身成仏と言う熟語は多数ある密教経典に記述が無く、空海の即身上部義が嚆矢の様である、簡易な念仏と言える南無阿弥陀仏の六字名号には碩学の人である法然の詳細な思想的哲学が内包されている。
浄土教の簡易な定義に「念仏を称え阿弥陀仏の本願力に乗じて、死後には善人も悪人も平等に西方の極楽浄土に往生する」と説く教えと言える(浄土思想入門 平岡聡著 角川選書)

浄土宗は鎌倉新佛教の旗手的な宗派であるが、正確には1175
(承安五年)の開宗であり平安末期に当たり凡庸な衆生の救済を目指しての旗揚げである。
宗祖は法然で思想よりも装飾性と国家儀礼・呪術・祈祷に偏り制度疲労を起こしている聖行道(しょうぎょうどう)(難行道)仏教から平安仏教から易行道(いぎょうどう)、すなわち大衆にまでもが救済的要素の強い法然の浄土宗が生まれる、法然の没後第二祖・弁長、第三祖・良忠と経過する中で弟子達により一回の念仏で往生可能とする「一念義論」即ち一念往生と、十念往生と言い多い回数の念仏を良とする「多念義論」が起こり知恩院等を頂点とする鎮西派・禅林寺などの西山派・長楽寺派等に分裂する、さらに他力による本願を薦め純粋化・単純化した親鸞浄土真宗が生まれたと言われるが、親鸞は生涯法然の弟子として行動したと考えられる、両者の基本的な相違を敢えて言えば多念義論vs一念義論かも知れない、いずれにしても浄土門に於ける「王三昧」は念仏三昧である。
親鸞が生涯に於いて師を仰いだ法然の浄土宗との相違を挙げると、「五種正行」念仏を唱え微小な自力行を必要とする浄土宗の「即得往生」と、信仰のみで救済される真宗の「往生即成仏」に尽きるかもしれない、五種正行とは善導の観無量寿経義疏
(観経疏・四帖疏)には・読誦供養・観察供養・礼拝供養・称名供養・讃歎供養が言われ称名供養を「正常(しょうじょう)(ごう)」第一としている、善導の著作の中安心起行(あんじんきぎょう)が言われるが、至誠心(しじょうしん)深心(じんしん)・回向発願(ほつがん)心の三心を言う。  

()(がん)門」と言われるが、阿弥陀如来の誓願を弘願と言い、十劫の昔に弥陀が成仏された時点で衆生の往生が成立している、無量寿経に四十八願ある内で浄土宗系では四十八願全体を言い、真宗系では第十八願を強調する様である。 
閑話休題、供養とは梵語に於けるプージャナーpūjanāの訳で、二種供養、三種供養、四事供養、五供養(密教)、六供養、十種供養、等があり、その他具体的には針供養、印章供養、経典供養、鏡供養、鋏供養、等々がある、閑話休題 upatiheran も供養と訳される。
法然の高弟である証空は西山上人とも呼ばれ、師の臨終までの二十一年間師の許で修学し教学に西山義を確立し洛内で布教する、、継承する宗派は三派あり、「西山浄土宗」「浄土宗西山深草派」「西山禅林寺派」がある、鎮西派は六派に別れ関東に勢力を伸ばすが知恩院など洛内に残る寺を吸収する。
観無量寿経の心すなわち「安心起行(あんじんきぎょう)」の解説に証空の「了解の念仏」すなわち「離三業の念仏」が著名である、衆生は身、口、意の三業、即ち自力では無く弥陀の願力成就(48願)で他力による得生、歓喜して称名すると言う、また皇太后のために著した仮名法語の「女院御書」は三心に付いて煩悩を破棄して真実の心を起こす事を「至誠心」とされるが、凡夫には不可能であり法然の言う易業ではなくなると言う。
金戒光明寺
には後小松天皇
137781日~1433121日)の勅額があり『浄土真宗最初門』と書かれている、浄土真宗と言えば宗派名であり親鸞の真宗十派(真宗教団連合)であるが、元来は宗派名と言うよりも大無量寿経を源とした法然の教えと言える、法然の伝記「拾遺古徳伝巻七」等に聖人(法然)浄土真宗の興行ますます繁盛し‐‐‐の記述があるし、但し浄土宗と言う宗派名は法然のオリジナルではなく既に中国や朝鮮に存在していた。
禅定を修める能力の無い者でも弥陀の本願を信じ名号を唱える事に依り不退転の境地に入る事が出来る、即ち修行によって不可能な成仏(覚り・解脱)する事を諦めて「捨閉閣抛(しゃへいかくほう)」、要するに浄土三部経以外を捨て念仏する事による専修念仏(せんしゅねんぶつ)即ち、南無阿弥陀仏の六文字を唱えることにより極楽浄土へ往生出来る(一向専修)、平安中期以後、空也・源信等によって広められた浄土信仰で求められた厳しい修業・観想も不要と言う、やさしく信仰できる宗派の事実上の出発点と言える、この浄土信仰は大衆の爆発的な支持を集める。千百七十五年、開祖法然(源空)43歳の時である、因みに司馬遼太郎氏は浄土思想が広まる事に依り徐々に輪廻転生や土着に依る民俗信仰は希薄になる傾向を指摘している。 
ここで注意すべき事として念仏は「南無阿弥陀仏」
(声明念仏)に代表されているが念仏とは仏・仏世界を念ずる事にあり、その解釈は多様である、因みに南無とは梵語の音訳でナマスnamas,ナモnamo,が源語であり帰依(きえ)帰命(きみょう)を意味する、因みに声明(しょうみょう)(注16)には霊力が存在するとバラモンでは信じられていた。
南無阿弥陀仏であるが「法然の編集力、松岡正剛著、NHK出版」に依れば浄土三部経に於いても観無量寿経に二ヶ所記述があるのみで、
Sanskrit語やpāliの文献や史料には無いとの記述がある。 
初期法然の布教活動は京都吉水において南都教団延暦寺を意識してか控えめな活動であったが天台僧、顕真に招かれた勝林院に於ける大原談義
(注1に於いて一躍有名になった。   
在家信者・一般大衆など容易に信仰出来る様になり後に
専修念仏信仰は大いに振興した、関白・九条兼実と実弟の青蓮院・第三代法主の慈円は法然を擁護した、因みに弟子の親鸞は慈円のもとで得度したとされる、さらに貴族・武家(九条兼実・熊谷直実等)の入信者も出始め宗派としての存在感が世間に広がった。   
千百九十八年前の関白である九条兼実(くじょうかねざね)の依頼により発表した選択(せんちゃく)本願念仏集(注4により更に大きな広がりを見せた。
選択本願念仏集の要諦としてとは既存仏教の自力で覚りを目指す「聖道門(しょうどうもん)」に対して、阿弥陀如来の請願を信じる他力本願を「浄土門」とする、更に正行(しょうぎょう)雑行(ぞうぎょう)に分類して正行を選択する、更に五項目の正行すなわち読誦・観察・礼拝・讃嘆・称名の内、称名即ち「称名念仏」を選択した、称名念仏即ち「南無阿弥陀仏」は仏を観想する為の一種であり
Sanskrit語やpāli語の経典類には存在せず、疑経とされる観無量寿経に二か所の記述が有るのみと言う。  
しかし天台衆徒や南都の旧主派が見逃すはずは無く厳しい迫害・非難を浴びせた、さらに千九百六年住蓮、安楽事件
承元(じょうげん)の法難)が起こり二人は処刑、法然も土佐に流罪、弟子親鸞も同時に流罪、僧籍剥奪となり還俗させられた、ときに法然は七十五歳の高齢であった。
十ヶ月程度で流罪は解けたが、直ぐには帰京を許されず八十歳で没する一年前の千二百十一年帰京を許された。
法然の死後その弟子達にも法難は続いた、法然は教範の誤解を避ける為、最後まで付き従った
勢観房・源智に「一枚起請文」を与えたが、後教団は法然のとった「念仏の解釈は自由」とした為に混乱の時代が続き、弁長の鎮西派・証空の西山派など多くの宗派に分かれたが、徳川家が浄土宗徒であっ事もあるが権力を上手く付き合い、日本仏教の教義上に於ける中核となり今日に到る。
教義上の中核と成った理論は「十住毘婆沙論」の龍樹と「往生論」の天親
(七高僧の2)を嚆矢とし中国に於いて曇鸞の「往生論註」等を基に漢訳又は新たに作られた、阿弥陀如来関連の経典は二百七十典におよび大乗経の三割を占めている、特に「十住毘婆沙論」は他力易行道が有り浄土思想の源流とも言える。
因みにインドに於いては自力vs他力本願の論争は矛盾対立的として二律背反と見ない、猿猫の親子関係論があり相互信頼と努力が語られている。
修学研鑽を義務付けした幕府の影響があり
檀林(だんりん)という修行道場が各宗派に置いて盛んになる。
阿弥陀如来の十八願に因む「関東十八檀林」が著名である、即ち・増上寺・霊山寺・伝通院・幡随院・霊巌寺・光明寺・勝願寺・蓮馨寺・大善寺・浄国寺・常福寺・大念寺・飯沼弘経寺・東漸寺・大巌寺・弘経寺(結城)・善導寺・大光院を言う、西山派に於いても禅林寺や光明寺(山城粟生)等の七檀林があった、因みに檀林とは栴檀林(せんだんりん)の略名で僧侶や信徒の修行道場であるが寺院の異称でもある。
法然の核となる教えに観無量寿経の心すなわち「安心起行(あんじんきぎょう)」がある、安心には三心があり・至誠心(しじょうしん)(誠実な心)深心(じんしん)(深く信ずる心)回向発願(えこうほつがん)(願往生の心)を言う、三心を一言で言えば浄土への往生を信じて疑わない心を言う。 

勢観房源智11831238年)が著した「三心料簡事」であるが、1917(大正六年)醍醐寺三宝院で発見された「法然上人伝記」すなわち醍醐本の三心料簡事に聖道門と浄土門の相違の記述が存在する様である。

他力本願とは誤解されやすい熟語であるが他力即本願であり、法蔵菩薩(阿弥陀如来)が覚者(成仏)に成る為に懸けた本願を頼り往生する事である。
浄土宗ては徳川宗家すなわち松平家が檀家で家康以前に一門から知恩院の住職も出した関係から江戸時代以降には知恩院金戒光明寺が徳川幕府の京都に於ける拠点になり優遇された。
これは京都に限定された事ではない、善光寺(長野)に於いては宗派が無いとされるが、政治権力が勝った江戸時代以降、徳川幕府の影響力が働いた事は疑いの余地は無い、浄土宗は徳川家康と芝の増上寺の法主(ほっす)であった「存応(ぞんのう)(1544~1620年)との関係、天台宗は寛永寺の「天海」と家康、家光(第三代)に対する影響力が多大であった。
浄土宗の場合に本尊は阿弥陀如来であるが、真宗の独尊立像と違い三尊形式が採られている。

成仏と往生を強いて比較すると下表になる。 

往生   

浄土門 

易行   

他力本願  自然法爾(じねんほうに) 

成仏  

聖道門     

難行   

菩薩から本願を誓願し自力で覚者を目指す   


信徒数約六百五十万人  寺院数6,932ヶ寺       本尊 阿弥陀如来    

基軸経典とされる浄土三部経 即ち 観無量寿経 ・阿弥陀経 ・大無量寿経 選択本願念仏集に於いて「弥陀三部者是浄土正依経也」法然は三経を依経(えきょう)すなわち「正しく往生浄土を明かす教え」としたが観無量寿経を特に重要視した, 前述三経に加え一論即ち、浄土論(無量寿優婆提舎願生偈(ゆうばばつつみしゃがんきげ)世親著が聖典視されている。
経典ではないが、六時礼讃は重要な偈である、六時礼讃とは日没から正午まで四時間毎に読経、念仏、礼拝を行う浄土教の偈である、善導が著した「往生礼讃偈」を礎としている。

浄土三部経であるが 「観無量寿経」は機の真実を説き「無量寿経」は法の本願を説く、更に「阿弥陀経」は機+法を合わせ説くとされている、阿弥陀経や観無量寿経に浄土信仰の極地とも言える「阿耨多羅三藐三(あのくたらさんみゃくさん)菩提(ぼだい)(梵語のanuttara-samyak-sambodhi・アヌッタラー・サンミャク・サンボーデー)」が記述されている、阿耨多羅三藐三菩提とは「無上正等覚」とも言い、総ての真理を正しく理解する最高の仏智を言う、阿耨多羅三藐三は阿弥陀経や観無量寿経に頻発し般若心経にも記述される、これは(注12)五種不翻(ごしゅふぼん)順古故(じゅんここ)に相当する。
浄土三部経関連で総回向の一部を記述する、総回向偈(そうえこうげ)、「願以(がんに)此功徳(しくどく)、平等()一切(いっさい)同発(どうほつ)菩提心、往生安楽国」願わくば功徳を一切平等に施し、菩提心を起こして安楽国に住める事を。 
法然は自著「選択本願念仏集」にお於いて正しく浄土に往生する方法として「三経・一論これなり」と言う、三経とは浄土三部経であり、一論とはインド僧天親(七高僧の2)の浄土論の事である、因みに浄土三部経を挙げると①仏説無量寿経 二巻 曹魏(そうぎ)の康僧鎧(こう そうがい)(大経) ②仏説観無量寿経 一巻 劉宋(りゅうそう)・畺良耶舎(きょうりょうやしゃ)(観経) ③仏説阿弥陀経 一巻 姚秦(ようしん)・鳩摩羅什訳(小経)である、但し優先順位は宗派によりずれがある。
無量寿経は勤行に用いられる部分に「四誓偈(しせいげ)」があり浄土宗で重用されている、「五言十一偈」の詩形を成している、因みに浄土真宗では「重誓偈」「三誓偈」として用いられる、四十八願の後に四の誓いを経てた。(四誓偈は無量寿経6参照)  

浄土宗と真宗の相違は極論すれば浄土宗には「三心四修」ある事であろう、三心とは念仏を唱える為の三の心を言い・至誠(しじょう)(しん)(誠実で偽りのない心)(じん)(しん)(深く信ずる心)回向(えこう)発願(ほつがんしん)(弥陀の本願を願う心)を言う、四修とは念仏を称える四つの態度で・()(ぎょうしゅう)(尊敬し慕う) ・無余(むよ)(しゅう)(集中) ・無間(むげん)(しゅう)(積み重ね) ・長時(ちょうじ)(しゅう)(学習継続)と言える、法然の辿り付き親鸞に受け継がれた道の一つに信仰と学問は別物である、「一文不知」すなわち一向に念仏であろう。 

浄土宗寺院に於ける階級制すなわちヒエラルキー(独 Hierarchie、英 hierarchy、ハイァラーキ)は難解な部分があるが、概ね以下の様になる。 日本仏教は浄土系宗派など一部分を除いて深く影響を受けていると言われるが、南無阿弥陀仏、南妙法蓮華経っと唱えるだけで誓願が叶えられると言うが、行は密教が先駆であると言う人が居る、念仏、題目、呪文とも真言と言えるかもしれない、dhāraīの意味は「仏の教えを正確に聴き記憶し保つ」、即ち無明煩悩を滅ぼす功徳を言うが呪文に変化する、陀羅尼とは音訳であり意訳すれば「総持」が近いと考えられる、また功徳の言葉とか・・を所持するものを意味する、呪文の中に無量の徳を有し降伏、治病、護法等を含む、即ち陀羅尼は無量の功徳を持つとされ密教誕生の導火線となった、空海は般若心経秘鍵に於いて真言、陀羅尼は如来の秘密語と言った。   


浄土宗の主な寺院
  
 

総本山・知恩院―京都市東山区林下町  

増上寺(大本山)東京都港区芝公園            七大本山

善導寺(大本山)-福岡県久留米市善導寺町飯田  七大本山

百万遍知恩寺(大本山)―京都市左京区百万編    七大本山 

金戒光明寺(大本山)―京都市左京区黒谷町     七大本山 

光明寺― (大本山) ー神奈川県鎌倉市材木座    七大本山

善光寺本願(大本山)―長野市長野字元善町(天台宗の勧進も有る)  七大本山 

清浄華院(大本山)  京都市上京区寺町通北ノ辺町       七大本山 


西山浄土宗総本山・光明寺―京都府長岡京市粟生    

浄土宗西山禅林寺派 (総本山)禅林寺-京都市左京区永観堂町 

浄土宗西山深草派(総本山)   誓願寺-京都市中京区新京極通り   

真言・浄土宗 当麻寺(奥院) 奈良県北葛城郡当麻村大字当麻  

高徳院清浄泉寺(しょうじょうせんじ)(別当寺院・注9  鎌倉大仏(阿弥陀如来)所有寺院    鎌倉市長谷   

 

1, 大原談義―京都大原の勝林院で行われた法論で、多くの高僧達(明遍、三論宗・貞慶、華厳宗・重源、法相宗・智海、天台宗等)に対し無智破壊でも往生出来る等、浄土の法門の最優秀性を論証したもの。
 

2, 九条(かね)(ざね) ―平安末期の公卿、藤原忠通の三男、天台座主・慈円の実兄、千百六十年非参議・六十四年内大臣・六十六年右大臣・源頼朝に接近九十一年関白となる、千二百二年出家し円証と名乗る、念仏信者で法然の最大の理解者、五摂家の内、直系の子孫が二条家・一条家を起こす。
 

3, 住蓮・安楽事件―後鳥羽上皇の留守中に上皇の女御と住蓮・安楽との密通疑惑により上皇の怒りを買い二人は死罪、法然・親鸞等は流罪となった「承元の法難」とされる事件の原因の一つされる。
 

4, 選択本願念仏集―法然作、中国に於ける高僧達の言葉、浄土三部教等の主な部分を抽出して専修念仏・往生の為の教義を確立した、選択(せんちゃく)とは本願念仏を選択した事を言う、因みに日蓮宗はお題目を選択したと言える、観無量寿経の十六観からか十六章で構成されている、各章には経典、義疏、高僧達の説を記述し法然自身の解釈を加えた浄土宗の中でも秘密的な書で特定の弟子のみが閲覧を許可された、因みに浄土真宗に於いては「せんじゃくほんがんねんぶつしゅう」と発音する 。

5, 一枚起請文  法然が逝去する2日前に弟子の源智の与えたもので、一枚消息とも言い、念仏の真髄を易しく記述した請文で法然の遺書的な作、浄土宗に於いては最優先の名文書である、法然直筆とされる文書(法然上人真筆御遺訓)が金戒光明寺に存在する。
唐土我朝もろもろの智者達の沙汰し申さるる観念の念にもあらず。又学問をして念のこころを覚りて申す念仏にもあざず。ただ往生極楽のためには、南無阿弥陀仏と申して、うたがいなく往生するぞと思い取りて申す外には別の仔細候わず。ただし三心四修と申すことの候うは、皆決定して南無阿弥陀仏にて往生するぞと思ううちにこもり候うなり。この外に奥ふかき事を存ぜば、二尊のあわれみにはずれ、本願にもれ候うべし。 

念仏を信ぜん人は、たとひ一代の法を能く能く学すとも、一文不知の愚鈍の身になして、尼入道の無知のともがらに同うして、智者のふるまひをせずして、ただ一向に念仏すべし。
証の為に両手印をもってす。浄土宗の安心起行この一紙に至極せり。源空が所存、この外に全く別義を存ぜず、滅後の邪儀をふせんがために所存をしるし畢んぬ。 

建暦二年正月二十三日 」           
唐土(もろこし)  (わが)(ちょう)  (さん)(じん)  ()(しゅ)  決定(けつじょう)  (がく)                
 

6、寺院のランクは通常、・総本山 ・大本山 ・本山 ・別格本山 ・中本山 ・(じき)末寺 ・末寺の順になる。(別当寺注9参照)


7、一念義論と多念義論  声明念仏の意義、解釈の相違で一度の念仏で浄土へ往生できるのが一念義論であり、普段から多く念仏を唱えるとするのが多念義論である、この解釈の相違から鎮西派・西山派・長楽寺派・真宗などに分裂する。

8、南無阿弥陀仏の南無とは梵語のナマスnamas、ナモーnamo)の音訳で帰依を意味する。

9、別当寺 神仏習合が行われていた時代に神社を維持管理する ために置かれた寺を言う。

10、浄土宗では四修を尊ぶ、倶舎論、選択集(法然)往生礼讃(善導)等で重要視された修行態度を易しく咀嚼したもので、①長時修(命の限り継続) ②慇重修(おんじゅうしゅ)(継続) ③無余修(念仏オンリー) ④無間修(絶え間なく念仏) がある。(浄土教の辞典・頼住光子)

11、曇鸞の「往生論」とは正式には「無量寿経優婆提舎願生偈註(むりょうじゅきょう うばだいしゃ がんしょうげ)」と言い、天親の浄土論の注釈書を言う。

12、 経典を翻訳する時に漢文に訳さないで、音訳すなわち梵語の音を漢字に写した訳がある、玄奘が嚆矢の様で「五種不翻(ごしゅふほん)」と言い以下の様に五種の不翻がある

*(じゅん)古故(ここ) 阿耨多羅三藐三菩提が順古故に相当する。 
*秘密(ひみつ)()般若心経のクライマックス「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」が相当する。
*多含(たごん)() 自在・熾盛・端厳・名称・吉祥・尊貴という六義(6つの義・意味)という複数の意味を含む婆伽婆・薄伽梵 ・魔訶など。
*此方(しほう)無故(むこ) (えん)浮樹(ぶじゅ) 乾闥婆(けんだつば) 迦楼(かる)()など。
*尊重(そんちょう)() 般若 佛陀の様に意訳すると耽美さに欠ける場合に使われる。

13一心専念弥陀名号、行往坐臥不問時節久近、念々不捨者、是名正定之業、順彼仏願故‐‐の大筋は、常時南無阿弥陀仏の名号を称え続けるのが修行者の任務だ、これが弥陀の本願に叶う道だ。
一心の弥陀の名号を専念して、行住坐臥(ぎょうじゅうざが)に、時節の久遠を問わず、念々に捨てざる者は、是を正定の業と名ずく、彼の仏願に順ずるが故にーーーーーーーーー」、これが専修念仏を唄道するきっかけになったとされる(さすらいの仏教語・玄侑宗久・中公新書)。

14、善導613年~681年)とは中国浄土教の僧である、称名念仏を主張、口称念仏を強調する、当初は三論を学び法華経、維摩経を誦すが浄土曼荼羅を観て浄土思想を確立する。姓は朱氏。終南大師、光明寺の和尚等とも呼ばれる、法然に大きな影響を与えた僧で日本の浄土宗では浄土五祖の第三祖とされる、親鸞の浄土真宗では七高僧の第五祖とされ善導大師との尊称がある、同世代の僧侶に玄奘がいる。
善導の「散善義」に説かれている浄土への往生の行業(ぎょうごう)は以下のようになる。

1, 読誦(どくじゅ)正行ー浄土の経典を読誦。
2,
観察(かんざつ)正行ー心をしずめて阿弥陀如来と浄土の様子を観察。
3,
礼拝(らいはい)正行ー阿弥陀如来を礼拝。

4, 称名(しょうみょう)正行ー阿弥陀如来の名号(みょうごう)ー南無阿弥陀仏を称える。

5, 讃嘆供養(さんだんくよう)正行ー阿弥陀如来の功徳(くどく)をほめたたえ、衣食香華(えじきこうげ)などをささげて供養。以上の五正行をさらに正定業と助業に分類される、善導は4、声明正行をメイン即ち正定業とし、残りを正定業(しょうじょうごう)を助ける助業(じょごう)とした。
以上の五正行をさらに正定業と助業に分類される、善導は4、声明正行をメイン即ち正定業とし、残りを(しょう)(じょう)(ごう)を助ける(じょ)(ごう)とした。

注15、道綽(どうしゃく)は観無量寿経を解説して仏法を厳しい煩悩を断つ「聖道門」と自力を諦め誰でも可能な「浄土門」に分類した。

注16、 
声明とは円仁が招来したもので、インドのバラモンが学修すべき五明の一つで、経典を詠む為に節をつけるものである。声明の聖地は大原であるが、三千院の天台宗のほかにも、真言宗など多くの宗派が採用している、内容的には経典の偈頌(げじゅ)すなわち内容を詩で表し、節を付けて称えるもので、仏の徳を称えるもの偈が多い、声明には呂律(ろれつ)が重要で、巷間では「ろれつがまわるらない」等に使われる、呂律の語源は聖地である大原の里に流れる()(りつ)川から採られている。

 

        
金戒光明寺には「浄土真宗最初門」と言う勅使、扁額が挙げられている。
浄土真宗と言えば東西本願寺、仏光寺など真宗連合の宗派名であるが、大無量寿経の教え即ち「真実の教え」を意味する。

 

浄土宗各派の系図 
法然──┬浄土宗(鎮西派)  ─┬───  名越流(なごえ)
      │             ├─ 藤田流
      │             ├─ 白旗流 ───── 知恩院 ────  弁長・聖冏(しょうげい) 
      │             ├─ 一条流     ├─ 黒谷浄土宗       
      │             ├─ 木幡流     └─ 捨世派・一心院             
      │             ├─ 三条流                    
      │             └─ 一 向  ──────────   一遍 ・時宗                 
      ├浄土宗西山派    ┌─ 西山禅林寺派 ───────    禅林寺(永観堂)
      │     証空      ├─ 西山浄土宗 ────────     光明寺           
      │             └─ 西山深草派 ─────────   誓願寺 ── 立信
      └───────────────────────────   親鸞・浄土真宗
   

浄土宗と言えば通常は鎮西派を浄土宗と呼ぶ、また西山派があり、西山浄土宗、浄土宗西山禅林寺派、浄土宗西山深草派で構成されている。


系列大学 
佛教大学    京都市北区紫野北 
京都文教大学  京都府宇治市槙島町千足80
大正大学    東京都豊島区西巣鴨  
(真言宗・天台宗・共)   
埼玉工業大学  埼玉県深谷市  


2004616日 加筆 2005122日  84 119日念仏 2012417日 201527日 2016918日 2017年10月30日 12月16日 2018年2月8日 9月18日加筆

 


 

 



                仏像案内        寺院案内

inserted by FC2 system