康 助

(こうじょ)  生没年不詳
                       仏像案内     寺院案内      佛師

平安後期慶派の仏師で頼助(らいじょ)の子と伝え定朝4代目とされる。
頼助と共に興福寺大仏師を務め晩年には法眼を受ける。
康助の時代には京都での像佛も出来る様になり、・白河・鳥羽などの禁裏関連の造像を多く手がけている、蓮華王院の創建時に於ける造像を指揮した記録も存在する、二十八部衆・124尊の千手観音の中に康助の作品が存在する可能性が高い。
康助の作風は
定朝様から更に飛躍、発展し寄木造に新しい工法を採用する等の実積を残し古像の調査研究にも功績があった。
その他康助の作品で確定出来るものは無いが金剛峯寺大日如来像は康助の作である可能性が言われている。
  



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