訶梨帝母 鬼子母神

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訶梨帝母(かりていも)、梵語名をハーリティーhāritī鬼子母神(きしもじん)とも言い、後述するがヒンドー教女神(じょしん)devī デーヴィー)である、すなわち明妃信仰に篤いインドに於いて伝承されている、但しヒンズー教に於いて広い信仰を集めた形跡は観られない。
義浄訳の「根本説一切
有部毘奈耶雑事(うぶびなやぞうじ)」では五百人の子沢山であるが、他所の子供を食す鬼女であった、悪行を釈尊に諌められ改心し子供の守護神となる、この物語は「雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)」「仏本行集(ぶつほんきょじつ)」「摩訶摩耶(まかまや)経」等にも記述されている、因みに鬼子母神は梵語の意訳で訶梨帝母は音訳である。
元来はバラモン即ちブラーフマナ
brāhmaṇa)のアイドルidol)神的存在であった、・安産・子授け・多産等に信仰されてきた、奈良時代には日本に請来され「訶梨帝母法」が安産祈願などに修法された。  
日蓮宗に於いて鬼子母神は重要な存在である、各会の本尊とされる十界曼荼羅(日蓮奠定十界曼荼羅・宗祖奠定十界曼荼羅)等に髭文字で登場している、法華経・陀羅尼品に法華信仰者を庇護する神とされる事から法華経を信仰する宗派や日蓮宗と関係が深く日蓮の文字曼荼羅にも表わされている。
江戸時代に太田蜀山人による「恐れ入谷の鬼子母神、どうで有馬の水天宮 志やれの内のお祖師さま」で知られる東京入谷の真源寺
(法華宗本門流)や千葉県市川市の中山法華経寺、東京雑司谷の法明寺(日蓮宗)の像が知られている。 
姿形は唐の貴婦人や天女形で多産を象徴する意味でザクロ等の吉祥果を持ち子供を抱く姿が多い、依経とされる「訶梨帝母経」「訶梨帝母真言経」には・天女形・純金色・天衣・頭冠瓔珞・複数の子供孩子(がいし)を抱くとの記述がある、また日蓮宗の寺院に於いて法華経陀羅尼品に記述がある十人の女性鬼神である十羅刹女を従える場合がある。
安産子授け修法の本尊として訶梨帝母があり、鬼子母神として特異な忿怒形の場合もある。鬼子母とは五百とも一万人とも言われる実子を持ちながら、他人の子供を奪い食していた、そこで釈尊が実子の一人を隠し、狼狽した鬼子母を説諭し善神となった。
円珍自彫とされる訶梨帝母のある園城寺・護法善神堂に於いて毎年516日から3日間、千団子祭りが行われ安産や幼児の健やかな成長が祈願されている。
スワヤンブナートと言うネパール仏教の中で最も重要な寺院のマハ・チャイテャと呼ばれる西北側に鬼子母神堂hāritīがある。
天台宗寺門宗では円珍の信仰が篤かった様で護法善神堂の本尊として祀られている、因みに護法善神像は法金剛院阿弥陀如来を造像した院派の巨匠、院覚の可能性が高い、恐れ入り屋の鬼子母神で知られる真源寺(東京都台東区下谷1-12-16)、や法明寺(東京都豊島区南池袋3-18-18)が著名である、更に千葉県市川市の遠寿院を加え「江戸三大鬼子母神」とされていた



園城寺 訶梨帝母 倚像(いぞう) 木造彩色 43.9㎝  鎌倉時代
園城寺 護法善神 木造彩色 159.1㎝ 鎌倉時代
 羽島円空資料館  木造    103㎝  12万体彫ったと言われる内、円空唯一の作 鬼子母神像


2008111 スワヤンブナート201383日  20141030日 201534日 2016年9月29日 2017年12月6日 2019年5月20日 2020年3月6日加筆   

 

 

 

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