法華経     総ての人間に仏性が存在する「悉有仏性(しつうぶっしょう)二乗作佛(にじょうさぶつ)悉皆(しっかい)成仏)
               法華経を聞いて喜びを生じる者は無上の覚り阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)(方便品、嘱累品 法師品等)を得る。(注13

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法華経は釈尊が覚りを説いてきた法を霊鷲山に於いて総括した教えと言う設定で”諸経の王”とも言われる経典である。 
「法華経は人類が生み出した宗教と言う営みの最上の宝石のひとつである」と植木氏は言う(ほんとうの法華経・植木雅俊・ちくま新書)、大乗佛教運動の最初期の頃、異説もあるが釈尊の入滅後凡そ千年後に著された神話的装飾の強い経典である、法華経の位置付けは晩年の釈尊が法の神髄をオーソライズする為に霊鷲山に一万二千人の阿羅漢資格を持つ弟子達を集めて説いたという設定である、文字数で六万九千三百八十四文字、八巻二十八品で構成されている。
天台智顗(ちぎ)の教相判釈で釈尊の真意の説法と位置付け、既存の教え
部派佛教善巧方便(ぜんぎょうほうべん)(注⒛)ではなく(ごん)方便として軽視した、今まで説示される事の無かった甚深な教えが「妙法蓮華経」略して「法華経」とされる。
原題は梵語でSaddharmapuṇḍararikasūtra  サッダルマ・プンダリーカ・スートラ) 、白蓮華の如き正しい教典という意味であるが正法・妙法などの和訳もある、「大乗妙法蓮華経」「大乗妙経」との漢訳もある、因みに 正法・妙法とは泥中から発生して泥に塗れない蓮華であるという、インドでは白蓮華は花と実が同時に成る至上の華で漢字で「分陀利華(ふんだりけ)」と記述され、梵語ではpuņđarīka(プンダリーカ)と呼ばれ蓮の花の中で最も高貴とされている、因みに法華経の説法開始の設定は植木雅俊氏に依れば釈尊72歳すなわち成道後37年後とされている、そこには女性出家第一号の魔訶波闍波提(まかはじゃはだい)(マハー ブラジャーパイー 
Mahā-prajāpatīが六千人、耶輪陀羅(やしゅだら)(ヤショーダラー Yasodharāが四千人の女性の出家者を伴い参加していた。   sad=正しい・妙(羅什訳)  dharma=真理・法    puṇḍararika=因果、無垢な白蓮華中村元氏に依れば現在に残る最古の梵語原典は56世紀の書写しであり、法華経成立当時すなわち三世紀前半の経典はパーリ語pāḷiでも梵語sasktaでも無いインド北西地方の土着言語で書かれていた様である、また一度に著述されたのではなく大乗を奉ずるグループに於いて段階的に著された様である、従って後半部になる程、おとぎ話的な内容や二律背反的な思想が多く占める様になると言う、本稿後半の法華経の案内印でも扱うが、植木雅俊氏に依れば「法華経の原型部分が成立した後、世間の人々の陀羅尼信仰、普賢信仰、観音信仰、阿弥陀信仰が流行した為に取り込んだ----」と言われる。
法華経をオーソライズ
authorize化されるタームは「三乗方便・一乗真実・三権一実(さんごんいちじつ)」と三文字熟語であると言え様、即ち三乗とは総てが仏になれる、・声聞乗 ・縁覚乗 ・菩薩乗である、三乗も一つの真理ということかも知れない。
世界の仏教国の内で一時期の中国と
日本に於いては法華経の存在感は著しく高い、特に日本では仏教界は無論のこと文学、美術、政治等々に与えた影響は計り知れない、中村氏は古来から存在する「勅撰和歌集」の内で「釈教和歌」の部には浄土三部経と法華経を題材にした作品が大勢を占めると言われる、また大正(しん)(しゅう)(だい)(ぞう)(きょう)にも多く採用されている、因みに大正(大正一切経刊行会)とは日本に於いて四川省等から、1924年(大正13年)1934年(昭和9年)の間に編纂された日本語訳大蔵経である、日本の各宗派の人気経典を集合したものである。
梅原猛氏の観方に依れば、釈迦の教えとされる哲学即ち四諦、八正道等は論理的で知性を有するが、宗教と言えるか疑問点を有する、氏は宗教とは超歴史性、即ち歴史的人格を離れ、超人格性を持ち、衆生に帰依の感情持たせなければならない、
(仏像 こころとかたち NHKブックス)と言う。
これを補正したのが、法華経などの大乗経典であり、以後の経典には思想に法華経が忍でいるとの記述が観られる。

但し法華経重視は一時の中国と日本の二国のみでインドやチベット等々では普通の経典で存在価値は高くない
脱線するが第二‐方便品にある方便とは梵語の upāya (ウパーヤ)の意訳であり、「手段」「方策」「接近」「到達」等々が元来の意味である、日本発祥のインスタントラーメンは中国に於いてはupāyaを方便と漢訳(意訳)した、便利な麺すなわち「方便麺」と記述されている、脱線ついでに合掌印の原語はアンシャリanjaleで武器を「所持しない証」から「降伏」「挨拶」等を意味する。
法華経の中でも最重要と言われる四品があり *方便品第二 *安楽行品第十四 *見宝塔品第十一 *如来寿量品第十六 *観世音菩薩普門品第二十五、を「四要品」(四品)と称されている。
異論があると思惟されるが法華経の神髄は本文よりも先に懸れた偈頌(げじゅ)=偈陀(げだ)=伽陀(かだ)、すなわちガーター(gā詩が該当するとも言われる。
梵語原典は“六訳三存”と言い、チベット語、漢訳三種が現存するが引用された三典とも原典に相違がある、最古の断筒(だんかん)2~3世紀頃現在の北パキスタン辺りの在家信者の作とする説もあるが、現在使用されている漢訳経典は11世紀以降と言われている、経典としては比較的新しく釈迦入滅後おおよそ千年後に西北インドに於いて成仏否定論に反対の僧達や女性達により大乗仏教の一環として成立しており、ほとんどが六万九千三百八十四文字で構成される鳩摩羅什(3の訳が使われている、竺法護(じくほうご)訳「正法華経」239316年)など鳩摩羅什以前にも漢訳は数点存在したが、中国天台宗が採用した鳩摩羅什訳「妙法蓮華経」が出された事により法華経は隆盛を見る、但し日本で読まれている法華経は梵語(saṃskṛta)原典とは相違があり「鳩摩羅什の法華経」と言う人もいる程である、要するに羅什の漢訳が依経の国に限り影響力が著しいと言える、もう一典「添品妙法蓮華経」(601年訳) 闍那崛多・達摩笈多訳がある
中村元氏は「法華経・東京書籍」の中で鳩摩羅什訳を翻訳(注16)と言うより創作と言えるほどの名文と言われている、一例を挙げれば観世音菩薩普門品では観音の普門示現(ふもんじげん)すなわち化身数が原典の十六観音よりも多く三十三観音に化身している、さらに原典にない優婆夷や長者婦女等の女性を登場させている、般若心経に付いても大崎正瑠東京経済大学教授の 「般若心経」梵語原文と漢訳文で読む、に依れば漢訳経典は梵語原文にある語句や文章がもれていたり、原文に無い字句がある、また順序が逆にされたりしていると言う、中国文化と言うフィルターを通した漢訳の共通点かもしれない。
因みに七世紀の漢訳に
闍那崛多(じやなくつた)達摩蓉多(だつまぎゆうた)の共訳による「添品妙法蓮華経」がある、法華経の興隆には音韻(おんいん)に素晴らしい効果を組み込んだ鳩摩羅什の訳にあるのかも知れない、これには鳩摩羅什や天台智顗の関与していないインドやチベットでは法華経が、さほど興隆していない理由と言える、チベットが出たので脱線するが、チベットやブーダンの僧侶が日本で驚くのが墓塔の異常な多さであると言う、日本人の墓や塔崇拝は道教等の影響もあるが、起塔の功徳を強調する法華経を最重要視した事にも関係が観られる、羅什訳に付いて正木晃氏は法華経が興隆したのは観世音菩薩普門品第二十五の難解な思想、哲学が無い為に受け入れ易かったと言う。 
日本では法華経は「諸経の王」と言われる様に多くの宗派の法会
(法華会)で詠まれている、即ち・東大寺では「法華義疏」・興福寺の「法華玄賛」・比叡山の「法華文句」等々で利用されている、但し諸経の王と言われるのは中国での一時期と日本限られている、上座部佛教国では勿論、依経とされていない、インドやチベットでは「諸経部ndosna tshogs」で処理されている、独立した部処が存在しない平凡な経典である、法華経が諸経の王との評価は鳩摩羅什の漢訳を依経とする国に限られる様である。
上座部佛教の中で成仏を否定された修行者や女性、外道扱いされた出家者達により成立した経典である、日本に於ける佛教の根幹を為す経典である、法華経とは会三(えさん)帰一(きいつ)すなわち声聞乗、縁覚乗、菩薩乗が仏乗に帰一する、三乗を会して一乗に帰す、咀嚼すれば「悉有仏性」(注14誰でも仏に成れる事を唱える経典である、衆生を平等に救済を目指した経典で従来からの教義の統括を目論む経典と言える、要するに法華経を一途に信ずれば素晴らしい境地に安住出来ると強調されている。
但し経典の言う安住の地に到達するまでには膨大な時間と修行を必要とされる十大弟子の№2、とも言える魔訶迦葉を例にとれば、未来世に於いて三百万憶の如来に仕えて修行の後に授記されると言う。

六典が漢訳されたとされるが、現存するのは三典である、初期大乗佛教の時代で、三世紀竺法護
232309年頃)による「正法華経」が嚆矢で、五世紀鳩摩羅什訳の「妙法蓮華経」、闍那崛多(じゃなくった)達摩笈多(たつまぎゅった)の「添品(てんほん)妙法蓮華経」と続くが、鳩摩羅什訳を「妙法蓮華経」略して「法華経」と言い、日本に於いては鳩摩羅什訳が創作と言える程の名作で興隆し一般的に詠まれている。

法華経は漢訳だけでなく、ウィグル語訳、西夏語訳、蒙古語訳、満州語訳、ハングル訳などの訳がある。

 漢訳者名  漢訳名
 竺法護(じくほうご) 正法華経 
鳩摩羅什 妙法蓮華経 
 闍那崛多(ジャナクッタ) 添品妙法蓮華経 
 達摩笈多(だつまぎゅった)  添品妙法蓮華経


天台智顗(ちぎ)の教判
(中国では判教と記述)、即ち教相判釈に拠れば、釈尊が弟子達に説いた最後の八年間の集大成とされる、要するに以前に説かれた教義は法華経を理解する為の方便即ち準備期間であると言う、経典の成立は三世紀頃と恣意されるが、作成者達は仏説に依拠(いきょ)し、真意を咀嚼・再解釈して成立した経典である。
法華経は真髄とされる「如来寿量品十六」に説かれている久遠実成(くおんじつじょう)
久成正覚(くじょうしょうがく)釈尊が霊鷲山耆闍崛山(ぎじゃくっせん)に於いて・弥勒菩薩文殊菩薩観音菩薩・十大弟子阿羅漢など多勢の内、対告衆(たいごうしゅう)を代表して十大弟子の最長老である舎利弗
śāriputraシャーリプトラ)に語りかけるように説いたとされる経典である、但し法華経には恒河沙即ちガンジス川の砂の数程の菩薩達が集まるが、観音霊場の本尊を努め、最も人気が高い十一面観音千手観音が登場することは無い、また法華経には膨大な数の如来、菩薩達が登場するが地蔵菩薩の名前は無いと東京工業大学名誉教授・橋爪大三郎氏は言う、また釈迦如来 の説法を聞く菩薩たちの数は、現代のパブリック ビューイング(public viewing)を無限に近い数を集めても及ばない
脱線するが恒河沙(こうがしゃ)とは10521056即ち∞を言いう、梵語の gagānadīvālikāsamānās(ガンガー・ナディー・ヴァーリカー・サマーナース)の漢訳とされる。
十大弟子の扱いに於いて、法華経では第六授記品には四大声聞の記述があり将来成仏出来る四人を挙げている、*摩訶迦葉 *須菩提 *迦旋施 *目連の四人である。
羅什訳に加え南斉時代
479~502年)に「提婆達多品(だいばだったほん)」、隋時代に「観世音菩薩普門品」の偈文が加わり現在の形に成る。 
大乗経典の内で般若経典群や維摩経に次いで顕れた、最も広く知られた経典で日本に於ける護国三部経
(1の一典で般若心経玄奘訳)と共に最も普遍的とされる経典であり「諸経の王」と言われている、部派仏教theravāda)で説いた釈尊の教えに甚深さを加味した経典である、後述するがインドやチベットに於いては一般的な経典である、久遠実成と言えば古代インド哲学に「不二(ふに)一元論advaitavāda・アドヴァイタヴァーダ」即ち「梵我一如」であるが、釈尊はこれを否定して佛教を興したと言える。 
法華経は三法印や空、無等々「釈尊の教え」とされてきた哲学の否定とも言える、「諸法実相」である、即ち総ての存在は真実を著していると言えよう、正木晃氏に依れば仏法は東漸いわゆるインド~中国~日本へ伝播するに従い現世などの否定要因が希薄になったと言う、また氏は日本に於ける法華経の隆盛に付いて日本人の篤い精霊崇拝・霊魂信仰と諸法実相(注15)の融合を挙げている。 
”六番神呪”と言う呪文が法華経にあり、これは釈尊が否定した呪文である、第二十六陀羅尼品の5番は無論の事第二十八‐普賢菩薩観発品にある、これは法華経信仰者を守護する為の呪文とオーソライズ(authorize)されている。 
法華経には塔の崇拝が繰り返し記述されているが、寺院建立が為された当初は卒塔婆が寺院の中心であったのは法華経の影響があったと考える、因みに聖書・創世記十一章ではバビロンの人々は塔を建てて神の怒りを受けている、イザヤ書にも二度とバベルの塔は建てられないとしている。
日本には勅撰和歌集があり釈教(しゃっきょう)和歌の部立では法華経と浄土三部経観無量寿経大無量寿経阿弥陀経をテーマとした歌で占められていると言う、日本仏教に於いてはトーラー五書(注4に匹敵する経典である、606年聖徳太子が岡本宮に於いて講義した
三経義疏 のうちの法華義疏(法華経)が嚆矢とされるが聖武天皇・皇后や藤原家の信仰も篤かった、さらに最澄天台法華宗が根本経典としていることから経典としての知名度は最高位にあり、比叡山で学んだ日蓮の興した日蓮宗(日蓮宗は如来寿量品第十六を最重要視している。)は唯一の経典にしている。 
また女性にも授記(じゅき)即ち成仏が授与されるとあり、女性信仰者も多い、後の時代に補間されたと言われる第十二品「提婆達多品(だいばだったほん) Devadatta」に文殊菩薩と智積菩薩の問答に於いて竜女成仏すなわちサーガラ竜王の娘である八歳の童女の生殖器が男子に変成した成仏が記述される女人救済が説かれている理由と言えよう、ただし同じ十二品「提婆達多品」には悪人成仏と女人は成仏することが出来ないとされる、即ち女人五障も記述されている、「(しん)解品(げほん)第四」には女性は仏道修行が不可能な理由として五障(注9が挙げられている、すなわち・欺・怠・瞋・恨・怨を言う、欺―信じる事を知らない・怠―仏教徒としての怠け・瞋―怨む・恨―嫉妬・怨―死後も恨みを継続する、また救済法も女人成仏でなく性転換した変成男子(へんじょうなんし)(注10、転女成仏として記述されている、女性の容姿で成仏できない事は基本的に仏教は男性宗教と言えよう、但しインドに於いてヒンズー教に影響されてか密教が興隆すると明妃すなわち女神信仰が起る、近年の研究で女性のままの身で成仏したサーガラ龍王(娑伽羅の娘(八才)の例を挙げる説もある、即ち変成男子は頭の固い人をなだめる方便と言う様である。

提婆(だいば)(だっ)多品(たほん)は鳩摩羅什の漢訳には無かった様子で、釈尊のサンガを提婆達多の悪人成仏と共に、他の経典には皆無の”女人成仏”がキ―ワードである、これを「女人五障」とも言い女性は仏陀、梵天王、帝釈天、魔王、転輪聖王には成(成仏)る事が出来ないという説である、また大智度論では、五礙(ごげ)と呼称され五障三従につながる、これらは釈尊ではなくヒンズー教の影響が考えられる、因みに同様の侮蔑用語に「女身垢穢(じょしんえく)」「変成(へんじょう)男子(なんし)」があり、救済する経典に「血盆経」がある。

「法華経十二提婆達多品」以外の女人差別に記述は不浄・悪口・嫉妬等、九の悪法を説く「増一阿含経」や「仏本行集経・捨官出家品」「相応部経典」等に説かれている、また義疏の「薬王菩薩本事品」にも女人往生が説かれている、閑話休題、勧持品第十三には釈尊のかっての妻・耶輸陀羅尼(やしゅだらに)に対して修行に努め「具足千万光如来」と成る、また育ての母、魔訶波闍波提尼(まかはじゃはだいに)には「一切衆生喜(いっさいしゅじょうき)(けん)如来(にょらい)」に成ると説いている。
大乗仏教に於ける根本概念と言われている法華経・方便品第二で言われる「唯仏与仏及能究尽(ゆいぶつようぶつ ないのうくうじん )諸法(しょほう)実相(じっそう)」、の諸法実相に付いてであるが、概ね真理を白蓮華に置き換えた説で・空の理法・三諦即ち中道第一義諦の理法・森羅万象の面目等々解釈が各宗派で異なる。

法華経は天台宗の根本経典となったのは中国天台宗の第二祖である慧思による法華三昧の覚りから始まる、慧思は法華三昧の行には有相行と無相行に在ると説く、有相行とは普賢菩薩観発品に説かれる経典を通読して普賢菩薩を感得する行法を云う、無相行は安楽行品第15に依る空を願ずる行を言う、これを第三祖である天台智顗(ちぎ)が発展させた。
天台宗など法華経を依経としている経論には八宗綱要の「以 法華為 所依本経、 以判 一代諸経」
(法華経を以って所依の本経とし、一代の諸経とする)がある。 
法華経には善巧(ぜんぎょう)(巧妙な手段を講じて人を導く)な方便(注20)が駆使されている、経典を構成する根幹となる教義は三脚に支えられている、即ち超越した一筋の道・一乗妙法、 ・久遠の釈尊、下化衆生(げけしゅじょう)の・菩薩行が言われるが、思想的両輪に方便品の一乗と寿量品の久遠実情の釈迦で構成されている、迹門すなわち方便品はインドが嚆矢である方便を駆使して多様な教えの体系を記述している、菩(大乗)・縁聞(小乗)・声聞(小乗)の三乗の法は方便であり本来は一乗真実の法すなわち法華経にあると言う。                filter
他方本門・寿量品十六は唯一実在したことが確実な釈迦族の聖者は仮の姿である、すなわち久遠実成即ち神格化をデフォルメ(déformer)した釈迦如来である、6年間の修行ではなく無量無辺百千満億那由他劫すなわち無限に限りなく近い過去より覚者であったと言う、さらに現実の大乗佛教の実践道を示していると言えよう、また「諸法実相」
(注11すなわち仏の偉大さを強調した教えを天台宗等は重要視している。
法華経のもう一つのセールスポイントは(よう)()成仏と言われた二乗作仏である、因みに二乗作仏とは成仏不能とされる声聞・縁覚が成仏出来る事を言う。
しかし法華経の真髄は薬草喩品第五「現世(げんせ)安穏(あんのん) 後生(ごしょう)善処(ぜんしょ) (なんじ)等所行(らしょぎょう) (これ)菩薩道(ぼさつどう)」に在る様な気がする。
 
法華経は真理に於いて仏と仏のみが理解できると言う「唯仏与仏(ゆいぶつよぶつ)」の為なのか釈迦如来の最終的な教えで他の経典は全て法華経に到達するまでの方便と言う解釈がなされている、経典や解説書類を通読後の印象は最高の経典あることを強調されているが、法華経中(方便品第二)の釈尊は仏弟子の最高位すなわち十大弟子の上足にある舎利弗の再三の懇願に対して、なんと真理の出し惜しみをして対告者(たいごうしゃ)(説法を聞く人々)を焦らす人との印象を持った、「一乗真実の法」すなわち総ての人間に仏性があり覚りが開けるとされるが方法論の記述は見られない、ただし法華経の要諦は即ち仏性は総ての人間が所持しているに尽きよう、ここで「一大事因縁」即ち仏の智慧で誰でも成仏出来るが出てくる。
しかし「一闡提(いっせんだい)」と言う用語があり成仏不可能な外道信仰の人を言う、涅槃経に説く「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶつしょう)」に一闡提(梵語・Icchantika(イッチャンティカ)も含まれるのだろうか、法華経は最高の経典と言う研究者は現代にも活躍しており、橋爪大三郎氏は何人(なんぴと)でも成仏出来る乗り物すなわち「一仏乗」は法華経だけに説かれている言う。
法華経のクライマックスは「地涌(じゆ)の菩薩」達にある、即ち第十五章にある従地(じゅうじゆじ)涌出品(ゅじゅぽん)第十五には釈尊の説法中に上行(じょうぎょう)菩薩、無辺(むへん)(ぎょう)菩薩、(じょう)(ぎょう)菩薩、安立(あんりゅう)(ぎょう)菩薩の四菩薩(四士)と共に 六万恒河沙の菩薩が湧き出て末法に於いて仏法を守護すると言う、因みに恒河とはガンジス川の砂の数程と言う天文学的数値を言う。      
法華経に於けるもう一つのハイライトに11見宝塔品と15従地湧出品がある、釈尊の説法中に多宝如来(プラブータ・ラトナ Prabhūta-ratnaが上行、無辺行、浄行、安立行菩薩等々を従えて湧出する、日蓮は湧出した菩薩の最上席の上のトップに置きながら天台は上行菩薩の再来=日蓮の関連を認めない点にある、驚くのは出現した塔のサイズである、六か所のガンジス河の砂の数よりも多くの菩薩たちの前で、高さ五百()(じゅん)(3500㎞)、一遍が二百五十由旬(1750㎞)に宝玉の瓔珞などが取り付けられた塔が空中に停止するのである。
多宝如来の菩薩時代の請願は宇宙の内における仏国土に於いて法華経が説かれる時に塔と共に訪れて賛美する事である、また多宝如来に従う四人の指導的菩薩は上行菩薩(優れた修行の実践者)無遍行菩薩(∞修行の実践者)浄行菩薩(清浄修行の実践者)、 安立行菩薩(確立された修行の実践者)である。()内説明は法華経 春秋社 正木晃
序品第一から普賢菩薩観発品第二十八品までの内、方便品第二
(方便として①声聞乗・②縁覚乗・③菩醍乗説いたが完成された教義は一乗である、即ち真理はただ一つである)・化城喩品第七・従地涌出品第十五(説法中に多宝如来が智積菩薩等を従え宝塔と共に涌出釈迦の説法を肯定する)・如来寿量品第十六で久遠実成(くおんじつじよう)の釈迦如来を説いている、即ち如来寿量品第十六巻八に拠れば釈尊は曰くBC56世紀に生を受けたのではなく「無量無辺百千万億那由他阿僧祇劫(なゆたあそうぎこう) asakhyeyaasakhya」と言う、限りなく無限に近い過去に成仏していると言う、因みに無量無辺とは果てしない事を言い、那由他とは10601072程の数字を言う、阿僧祇とは107×2103乗程の数字を言うとされる。 

閑話休題、地球の海に於いて最初の生物が誕生したのが、35億年前、生物が陸に上陸して5億年、針葉樹林の発生は2.5億年、広葉樹林は1.5億年前との説がある。
その後半部分の中心は菩提樹下で成仏した釈迦は仮の姿すなわち影向(ようごう)である、さらに如来寿量品一六の本来は五百(ごひゃく)塵点劫(じんてんごう)という無限大と言える過去に成仏していると説いている,無限の過去の時間を五百塵点劫と表現している、但し正規には五百億塵点劫と言いう、因みに影向とは仏・菩薩が仮の姿で来臨する姿を言う。
方便に付いて言えば強化救済の巧みな手段とされるが、法華文句に依れば三種方便と言い、衆生の能力に応じた法を説く①、法用方便、 真の仏法を説く②、能通方便、 方便即真実を説く③、秘妙方便だ有ると言う、また摩訶止観には二十五方便がある。 
また最も新しい部分に中国で加えられた観世音菩薩普門品第二五
(観音の功徳を説き、独立した経典でもある)等が知られている、観世音菩薩普門品は多くの観音経典の嚆矢とも言える経典である。
また法華経の特徴としては彼岸即ち来世ではなく此岸・常寂光浄土(この世の浄土)や女人救済が説かれている、また十界互具(じっかいごぐ)があり縁覚界・声聞界は
永不(ようふ)成仏と言い成仏出来ないとされていたが法華経迹門に記述される二乗作仏(にじょうさぶつ)により成仏が可能となる、十界互具とは天台宗の教義で、十界にある凡てが互いに十界を有した境界があるとされ、いかなる人間も仏界から地獄界までの心があると言われる、すなわち心の内に十界を観て覚りを目指す教義とされる。十界互具の論拠は法華経・方便品第二に説かれる、在るがままの姿「諸法十相(しょほうじっそう)」の教え、真実を知り空観の会得、即ち十如是(注6の文からと視られる、十界を示すと上位四界を「覚り」の世界すなわち ・仏界 ・菩薩界 ・縁覚界(個人のみで悟りを開く、独覚)  ・声聞界(覚者の教えを聞き悟る)、以下を「迷い」の世界を言い輪廻の六道を転生する、 ・天界 ・人界 ・修羅界 ・餓鬼界 ・畜生界 ・地獄界を言う、これを解説して全国を行脚したのが熊野比丘尼であり、テキストが「熊野観心十界曼荼羅」である、因みに輪廻転生から解脱した覚り即ち、灰見滅(けしんめっ)()身体は焼かれて灰となり智が滅した状態が言われる、因みに二乗作仏とは、十界互具中の声聞・縁覚でも成仏が可能を意味する。


法華経に対する中村始説を引用すれば、梵語原典すなわちsaddharma pundarika sutrnでは一章~十章に一致宥和精神が説かれる、因みに久遠の釈尊に付いては十一章~二十二章に記述されている、また以下二十八章までは後世の加筆と言われている。

法華経は悉階成仏(しっかいじょうぶつ)を看板としながらカースト制度から抜け出していない、即ち十大弟子の一人である優波離の出自がシュードラ即ち奴隷階層である為か、経典に名前の記述がない、インド人のカーストに対する執着はここにもにも現れている、因みにマハトマ・ガンジーもカースト支持者であった。
十大弟子の出自を挙げると以下のようになる、 *バラモン 舎利弗、摩訶目犍連、摩訶迦葉、摩訶迦旃延、富楼那弥多羅尼子  *クシャトリア 阿難、羅睺羅、阿那律  *ヴァイシャ 須菩提  *シュードラ 優波離。
法華経には十大弟子の将来就く如来の名前が優波離を除いて記述されている、即ち
・舎利弗は「華光如来」(譬喩品 第三)・目犍蓮は「多摩(たま)()栴檀(ばっせんだ)(こう)如来(授記品第六)・摩訶迦葉は「光明如来」(授記品第六)・須菩提は「名相如来」(授記品第六)・迦旃延は「閻浮那提(えんぶなだい)金光如来」(授記品第六)・富楼那弥多羅尼子は「法名如来」(五百弟子受記品第八)・羅睺羅は「(とう)七宝(しっぽう)()如来」(無学人記品第九)・阿難は「山海慧自在通王如来」(無学人記品第九)となる。
法華経を基にした平安文学や佛教美術に影響を与え法華曼荼羅・釈迦説相図などがあげられる、特に平安時代末には貴族社会に浸透し白河上皇・後白河院等に加え平清盛も熱心な信仰者で平家納経などの傑作が残される。
著名な法華経の持経者として、エピソー(pisode)に事欠かない後白河院を代表に挙げねばならない、母の待賢門院(たいけんもんいん)(鳥羽天皇の皇后)や姉の上西門院(じょうさいもんいん)の影響か法華経に対する信仰は篤かった、「法華経読誦する人は、天諸童子具足せり 遊び歩くに畏れなし 獅子や王の如くなり」。

法華経に説かれる比喩(ひゆ)(たとえ話)*法華七(ほっけしち)()と言い三車火宅を初めとして、以下の様になるが、三周説法からも外れる凡庸な知恵では荒唐無稽な譬え話物語に聞こえる。

*三車(さんしゃ)火宅(かたく)(譬喩品)  
*長者窮子(ちょうじゃきゅうし)(信解品)  
*三
(さん)
(そう)二木(にもく)
(薬草喩品)  
*化
()
(じょう)宝処(ほうしょ)
(化城喩品)  
*衣裏繋(えりけい)(じゅ)(五百弟子受記品)  
*髻中(けいちゅう)明珠(みょうしゅ)(安楽行品)  
*良医病子(ろういびょうし)(如来寿量品) 

法華経を最高経典とした宗教家に最澄・日蓮等が挙げられるがいずれも政治にコミットいている、僧侶以外の法華経心酔者に戦闘的な野心的人物は多く
戦国武将、斎藤道三 ・2.26事件を煽り現世に幻の化城の実現を目指し、法華経を完璧に読み尽した北一輝 ・法華経による世界制覇(八紘一宇)の実現を目指し、国柱会を興した田中智学に心酔し満州事変を企画した関東軍の石原莞爾・血盟団の井上日召、石原慎太郎
(霊友会)、稲田朋美(成長の家)、等々法華経を利用する排他的とも言える野心家が多い、但し同じ国柱会でも総ての生き物に共感する宮沢賢治の様な人もいる。
「農民芸術概論綱要」に於いて賢治曰く「そこには芸術も宗教もあった、いまわれらにはただ労働が 生存があるばかりである、宗教は疲れて近代科学に置換され然も科学は冷く暗い、芸術はいまわれらを離れ然もわびしく堕落した。」
法華経と宮沢賢治の関係であるが「雨ニモマケズーーーーーーソウイウモノニワタシワナリタイ」は経典の根幹である第二十・「常不軽菩薩品」に仏が得大勢菩薩魔訶薩(とくたいせいぼさつまかさつ)
(大勢至菩薩)に説く形態で記述されている常不軽(じょうふきょう)菩薩がモデルである、また常不軽菩薩が釈尊の成道以前即ち前世に於ける姿であると説かれている、中村始氏依れば常不軽とは”常に他人を軽んじない”の意、但し梵語ではsādsparibhūtadで常時他人から軽んじられていた、と言う意味合いである、最も詠まれている法華経の漢訳者・鳩摩羅什に寄れば、”常に相手を軽んじなかった菩薩”とされているが、梵語を直に訳せば”相手から常に軽んじられた菩薩となる様だ。
閑話休題、宮沢賢治18968月~19339盧溝橋(ろこうきょう)事件の立案者と言われる關東軍の石原莞爾(かんじ)1889119498とは・同郷・同世代・国柱会会員で共に2.26事件の心理的指導者・田中智学の信奉者であり、共に満州国に活路を見ていたと言われる、常不軽菩薩に心酔しながら政治に無関係な僧侶に良寛を忘れてはならない、良寛は漢詩、和歌、俳句等に優れ書は空海と共に日本の二大書家とも言われている、また日本最初のインド哲学を東京帝国大学で教鞭を執った原担山(はらだんざん)曰く「永平高祖以来の巨匠」「我朝、仏学の蘊奥を究めしもの、空海以下、唯この人あるのみ」と言う。
法華経と宮沢賢治に付いて第二十三‐「薬王菩薩本事品」賢治に重要視されている、内容的に
法隆寺の玉虫厨子に描かれている本生譚(ほんしょうたん)(ジャータカ jātaka 捨身飼(しゃしんし)()内容酷似ている、熊を射て生計を立てて居る猟師の物語で宿王華しゅくおうけ菩薩の問いに仏が答える形式の品である。
因みに仏教は因果律が総てであり「善因楽果(ぜんいんらくか) 悪因苦果(あくいんくか)」即ち良い行動には良い報いがあり、悪事を行えば悪の酬いがあると言う、しかしジャータカと言う経典に依れば何回も六道を体験し善道を繰り返した事により現世では僅か六年の修行で覚ることが出来たと言う。

法華経の守護神に
訶梨帝母(かりていも) hāritī ハーリティーの音訳別名、鬼子母神(きしもじん)が知られており、江戸末期に太田蜀山人の狂歌「恐れ入谷の鬼子母神‐‐‐‐、と唄われていた。    
よく耳にする仏教用語に「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」があるが主に法華経の常不軽菩薩品から採用れている、因みに六根とは人間の持つ知覚器官すなわち五感眼、耳、鼻、舌、身、意 に認識作用を加えた事を言う。 
威音王仏(いおんのうぶつ)に教えを受けたとされるサダーパブータ
sadāparibhūta、すなわち常不軽菩薩(第二十品)に関して鳩摩羅什は常不軽菩薩と漢訳しているが、竺法護は「常被軽慢(じょうひきょうまん)菩薩」と訳している。
法華経は観無量寿経と共に世界最古に属する小説と思える部分は多い、特に譬喩品(ひゆぼん)第三・信解品(しんげほん)第四などは荒唐無稽に思える、ここは譬喩であり例え話であるが
法華経とは「法華経と言う物語を繰り返し賛美する経典」と言えよう、加上説の典型的経典とも言える、しかし法華経には「真理、定理」云々の記述無い、
江戸時代の国学者で思想家である富永仲基1715年~17461012日)平田篤胤1776106日~1843112日)出定笑語に於いて「法華経は最高であると言う効能書だけで薬の無い薬箱」「法華経は終始仏を讃するの言にして、全く教説の実なく‐‐‐‐」とまで言う、対して臨済宗中興の祖・白隠慧鶴(はくいんえかく)(1886年1月19日・貞享21225日~ 1769118日)は当初には同様の批判をしながら、後年には最高の経典と訂正したとの事である、出定笑語に付いて植木雅俊氏は富永仲基達は法華経の深淵な思想を読み取る事が出来なかった、即ち「木を読み、森を読んでいない」と言う
法華経を最高の経典と定義付けることは、「深智(しんち)」に至る最澄・日蓮・白隠などの天才や田中智学等秀才には理解できても、真理の道を閉ざされた「智慧から遠い」すなわち一切種智(しゅち)では理解できない、要するに「浅識(せんしき)」の管理人には疑惑にとらわれる経典である
 
法華経を生み出したインド人の環境すなわちインド亜大陸が持つスケールの一望千里、気宇壮大さに対して、自然を微小な石庭に納め込む日本人が受容できたのが不思議である、時間や距離のサイズのみでなく第十六章如来壽量品の多宝如来が湧き出た七宝の塔の広大さや、譬喩品の火宅の人に記述される長者の大邸宅に比べれば、日本では帝の住む御所など草庵はおろか箱庭にも値しないであろう、閑話休題、日蓮宗では多宝如来を「証明佛」と位置付けされている様だ。  
法華経法師品第十では塔に対する功徳が説かれ崇拝が強調される、著名な
見宝塔品 (けんほうとうほん)第十一を要約すると、霊鷲山(りょうじゅせん)に於いて釈尊がガンジス川の砂の数ほどの菩薩達に法華経を説法中に大音響が響き(善哉善哉、ザッツライト)の声と共に高さ五百由旬、床面積にして縦横二百五十由旬と言う巨大で七宝で装飾された塔と共に無量の遠方にある宝浄(ほうじょう)国に住む多宝如来が現れた、釈尊が宝塔の中に入り多宝如来と並び座り二仏並坐が為された、法華経を信仰し実践するものは、”心の制御が完璧と言う住淳善地(じゅうじゅんぜんじ)”すなわい安住できると言う、この読み方は「(じゅん)(ぜん)()(じゅう)す」だそうだ。
因みにガンジスに於ける砂の数を恒河沙(ごうがしゃ)と言い、数字に置き換えると10( 56)乗と言う気の遠くなる数になる、ガンジス川の砂の数程の菩薩が集まる法華経には観音霊場の多くで本尊を努める千手観音と十一面観音が登場することは無い、閑話休題日本にはチベットやブータン人達が驚くほど墓が多いが墓は塔のミニュチュアであり法華経の影響は否定出来ない。 
因みに()(じゅん)とは梵語yojana(ヨージャナ)の音訳で古代インドの距離の単位を言い多様な説があるが、概ね79マイル若しくは6町を1里として、30~40里を1由旬とされる、いずれにしても塔の高さは5600kmを超える事になる、数字が出た序でに法華経の文字数は6万9千3百84字で構成され、通常の速度で読み終えるに四時間以上を要すると言われる、また第七化城唯品の「大通智勝如来」は阿僧祇劫1059乗劫)asakhyaの昔に居られた如来である、法華経は巨大数字のオンパレードで如来寿量品第十六にも五百億塵点劫(ごひゃくじんてんごう)無量無辺千万億百那由他(なゆた)nayutaと言う数字が出てくる。
法華経に現れる仏は多数に及び五仏や多宝如来、錠光如来の他に*日月燈明仏、*燃燈仏、*大通智勝仏、*威音王仏、*雲自在燈王仏、*日月浄明徳仏、*浄華宿王仏、*雲雷音王仏、*雲雷音王宿王花仏、等々に無数の菩薩達の代表に「地湧の菩薩」
(四大菩薩)即ち上行菩薩、無辺行菩薩、浄行菩薩、安立行菩薩等々の記述がある、正木晃氏は(法華経、春秋社)に於いて多宝如来の起源、正体が判らないと言う、また序品に登場する日月燈明仏は悠久の昔に法華経を説いた如来で二万回に亘り法華経を説いたと言われている

法華経には六番神呪と言い”普賢菩薩勧発品”と言う呪文の記述がある、あとの五番は第二十六‐陀羅尼品が存在する、これ等は法華経の信奉者を擁護する為の呪と正木氏は言う。
日蓮宗に於ける祈祷の奥義秘法を修得された教師、すなわち修法師になる為の荒行は壮絶である、これは天台宗比叡山で行われる千日回峰行と相壁を為している、この二つの行とインドに於けるヨーガを含めて世界三大荒行と言う記述がある、但し在家信者は法華経をただ(しょう)(だい)する事を教えられる。
また日蓮宗では法華三部経と言われる妙法蓮華経八巻、開経に詠まれる無量義経一巻、結経として観普賢菩薩行法経があり、合わせて法華経十巻を
蓮華経並開結(みょうほうれんげきょうならびにかいけつ)とも言われる。
経典には千部会と言い経典を千回読む法会が奈良時代から行われ、現在でも日蓮宗で行われている寺がある、法華経に例を採れば、序品~普賢菩薩観発品まで六萬九千参百八拾四文字を読み一部読破したことになる、一部読むのに数時間が必要で多くの僧侶を必要とする、七百三十四年
(天平六年)には僧侶になる条件として法華経と金光明経の暗誦が義務付けされている。

法華経は三部の構成で「法華三部経」と言い、開経に「無量義経曇摩伽陀耶舎(どんまかだやしゃ)一巻」を置き、本経に「法華経、八巻」、結経に「観普賢菩薩行法、一巻」が置かれている、これを「妙法蓮華経並びに開結」(法華三部経・計十巻)とも言う。  
法華経は
経法 法門(dharma-paryāya)に於ける無上道anuttarā samyaksabodhi)(注18・最高の悟り)を言うが、対する評価として、江戸時代の儒学者で大乗非仏論の先駆、富永仲基(なかもと)17151746年)、や平田篤胤(あつたね)1776~1843年)は痛烈である、「法華経と言うのは効能書きだけて薬の無い薬箱だ、ー――法華経は最高、最高と言いながら内容は何も無い」、しかし逆に何もないから万能の経典と思い込むと言う、これと同根としてキリスト教に於ける最後の審判でイエスから「神の国」と言われるが、神の国の内容の記述は全く無い、むしろ自由に神の国を想像できて有難いと言われる。(日本人の為の宗教原論・小室直樹・徳間書店) 

閑話休題、21世紀に入り自前では薬の研究開発を行わず、自信ありと誇大宣伝、毒にも薬にもならない商品を外注して強引な販売をする組織が存在している。
道元は比叡山で学ぶ内に「法華経は総ての人が仏性を備えている」と言うが、仏性を持つ釈尊や先駆の高僧達が覚りを求めて苦行したのか疑問を持ったのが山を降りた一因との説もある。
天台宗の仏滅後五百年以上も後に書かれた法華経に対する拠所は、釈尊の最晩年八年の説法と解釈する事にある、「無量義経の説法品」のなかに「四十余年未顕真実」、方便品には仏像を造像し祈れと説かれているが、釈尊が久遠実情なら仏像を制作する必要はない、実像に祈れば良い事になる。
如来神力品(第二十一)の「諸仏救世者 住於大神通 為悦衆生故 現無量神力」すなわち偉大な神通力を強調するが、実在した釈尊なら必ず否定したであろう。
書写された著名な納経に金字や銀寺で華麗に化粧した「装飾経」が多い、厳島神社に納められた「平家納経」、四天王寺の「
扇面(せんめん)法華経(ほけきょう)冊子(さっし)」、清衡発願の紺紙金銀泥一切経(中尊寺)・久能寺経(鉄船寺)京都市左京区の真如堂即ち真正極楽寺などの「運慶願経」などがあり国宝指定を受けている。

 法華経との対比される大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)は、中国佛教界の歴史からは法華経に匹敵するステイタスstatusを有していた様であり日本仏教に於いても全宗派に与えた影響は多きい、しかし法華経を依経とする天台宗や日蓮宗では法華経より劣る「捃拾(くんじゅう)(きょう)」の扱いを受けている、因みに捃拾とは拾い集めると言う意味合いである。
法華経のキーポイントと言えるか不詳であるが、提婆達多品をベースに「女人成仏抄」を著し女性救済に努めた日蓮の功績として挙げておこう。 

余談かも知れないが、釈尊の眉間から出される光は無間地獄~色究竟天まで照らすと言う、色究竟天(しきくきょうてん)Akanistha、とは、有頂天とも言い、仏教の世界観すなわち三界(無色界、色界、欲界)の最上界を言う「雑阿毘(ぞうあび)(どん)心論(しんろん)」「彰所(しょうしょ)知論(ちろん)」では寿命は一万六千劫年と言われる。
2011年(平成23年)3月11日に起った東日本大震災で東京電力、福島第一原発の故吉田昌郎(1955年2月17日~2013年7月9日)所長の話である、原子炉の建屋が水素爆発を起こした折、不眠不休の状態で危険を無視して現場に飛び込む部下たちを見て、法華経従地湧出品に出てくる、上行(じょうぎょう)菩薩達地涌の菩薩達を重ね合わせて合掌したと言う。



経典の内部構成
 (品) 

天台智顗が行った内部構成の分類に依れば法華経二八品の前半部分十四品(序品~安楽行品)までを迹門(しやくもん)、後半部一四品(従地湧出品~普賢菩薩勧発品)までを本門と呼ばれている、但し智顗は本門を・序分(仏の本意を解くための準備・導入部) ・正宗分(中心部・仏の本意) ・流通分(ご利益と流布部分)に細分しているが、原典には分類はされていない、但し分類方法は多説存在する様で、鳩摩羅什の弟子・道生(どうしょう)説を挙げれば・序品安楽行品十四 ・湧出品十五~嘱累品二十二 後発の・薬王品二十三~普賢菩薩観発品二十八に三分類している(主に植木雅俊 ほんとうの法華経) 
因みに迹門は釈尊が衆生を説くための方便を使い仮の姿で法を説く、本門は久遠の過去に成道していた釈尊が真の姿で法を説いているとされる。

法華本経の通常の構成は二門六段、すなわち目次は以下の様に分類。 前半十四品を迹門(しゃくもん)
(釈迦如来(実在した釈迦)が仮の姿で衆生を導く)


第一
‐序品(序分)  第二‐方便品  第三譬喩品(ひゆほん)  第四信解品(しんげほん)  第五‐薬草品  第六‐授記品  第七化城喩品( けじょうゆほん )  第八‐五百弟子受記品  第九‐受学入記品(~正宗分)  第十法師品(ほっしほん)  第十一見宝塔品(けんほうとうほん)  第十二堤婆達多品(だいばだったほん)  第十三勘持品(かんじほん)  第十四安楽行品(あんらくぎょうほん)(~流通分) 
後半十四品を本門
(久遠実成の姿で真実の法を説く)
第十五従地涌出品(じゅうじゆじゅっぽん)(序分)   第十六如来寿量品(にょらいじゅりょうぼん)   第十七分別功徳品(ふんべつくどくほん)(~正宗分)   第十八‐随喜功徳品(ずいきくどくほん)   第十九法師功徳品(ほっしくどくほん)  第二十常不軽菩薩品(じょうふきょうぼさつほん)  第二十一如来神力品(にょらいじゅりょうほん)  第二十二嘱累品(ぞくるいほん )  第二十三薬王菩薩本事品(やくおうぼさつほんじほん)  第二十四‐妙音菩薩品  第二十五‐観世音菩薩普門品(普門の意味 注25)  第二十六‐陀羅尼品  第二十七妙荘厳王本事品(みょうしょうごんのうほんじほん)  第二十八‐普賢菩薩観発品(~流通分) 、また序品に依れば法華三部経と言われる「無量義経・三品」「法華経」「普賢観経」がある、大名行列に例えれば法華経(大名)を中心に無量義経は開経と言い先導を務める経典で普賢観経は最後尾を務め結経と言う、普賢菩薩観発品に付いて漢訳では「善男子、善女子」に対して説かれているが梵語原文ではmātgrāma即ち「女人達」に付いて説かれているだけである、印六品は後日に付加された品とされており哲学も文体にも相違が観られると言う、付加された六品はインドで興隆するヒンドー教の影響を加味している様子である、諸経の王とも言われる法華経の人気は第二十五‐観世音菩薩普門品を初めとする後付加された六品の思想からと言えよう。
梵語サンスクリットsaskta、経典は複数存在したとされ鳩摩羅什は初期の経典を漢訳したと推定されている、因みにケルン・南条本とは品の順序に相違があるとされる。
また「ほんとうの法華経」の著者、植木雅俊氏曰く”
諸写本間の異同は複雑を極め、体系的に分類することは不可能に近い”と言う。

端的に言えば迹門(実在し80歳で入滅した釈迦の教え 迹とは跡、足跡を意味)では総てに人は仏になれると説き、本門(久遠実成の釈迦の教え)では釈迦の命は久遠実状、すなわち昔から永遠であり80歳で死亡したのは方便であると説いている、閑話休題、迹門、本門の区分は梵語原典には存在しない、区分したのは天台智顗による。
宗派により解釈に相違はあるが、*方便品 *安楽行品 *如来寿量品 *観世音菩薩普門品が四品として重要視されている。
法華経は二十八品まであるが、品とはパリヴルタ(parivarta)の漢訳で章、回転を意味する。

経典に記述されている説法を聞く参加者数であるが、初期大乗仏教の八千頌般若経では参列者は1,250人の男性出家者であったのが、大無量寿経では32000人の弥勒等々の菩薩を初めとする出家者、観無量寿経では12,000(出家)+32,000(菩薩)、であるが法華経の場合は更にヒートアップしてガンジスの砂の数ほど膨大な数の参列者になる。

 

法華経に於いて釈尊はこの世の霊鷲山において法華経を説いたとされている、その説法の場所を霊山浄土と呼ぶ組織もある、この浄土は娑婆世界の内にある、即ち娑婆は釈尊の仏国土と解している、禅宗に於いては娑婆(しゃば)(そく)寂光土(じゃっこうど)言い迷界のほかに仏界なしと説く。



1、護国三部経 法華経・金光明経・仁王般若経を言い、特に金光明経は鎮護国家に対する思想を強調したもので陳の文帝が取り入れたとされる。日本に於いては天武天皇が律令制国家建設の為に仁王般若経と共に重要視したと思はれる。
仁王般若経 とは正式名称を「仁王護国般若波羅密経」といい、不空と鳩摩羅什の訳とされる経典がある、国の安泰・隆昌を佛教的に説く教典であるが中国に於いて作られた経典の可能性が高く経緯は定かではない、七福神信仰の嚆矢と言える経典で「七難さって七福来る」の記述がある。
他に法華三部経と言われる経典群がある、
 因みに法華三部経とは「妙法蓮華経」「無量義経」「仏説観普賢菩薩行法経」の三経を言う。


2 久遠実成の釈迦 法華経如来寿量品第十六に説かれており久遠の過去に釈尊は覚りを得ており実在の釈迦如来は仮の姿と言う、法華経では久遠の釈尊も部派経典即ち「大般涅槃経」「スッタニパータ(Sutta Nipata・縦糸の集まり)」では「のどが乾いた水を」「背中が痛む布を敷いてくれ」等極めて普通人的である。
Mgadāva(鹿野苑ムリガダーバ)で初説法した実在の釈迦ではなく法華経を論拠とし方便を駆使し神格化された釈迦で、本来の姿(本地)を具体的(迹)な姿すなわち釈迦如来を言う,表現を変えれば宇宙の真理を実在した事のある釈迦如来に投影(変換)された。

3,
 鳩摩羅什(クマーラジーバ kumāraīva)344413年     

4, トーラー五書 旧約聖書の根幹を成す書で39巻の内 1、創世記   2、出エヂプト記   3、レビ記 4、民数記   5、申命記までを言う。

5、法華経見宝塔品第十一には仏法の真理を会得する困難さを指摘している、六神通(ろくじんずう)を持ち八万四千の法門を解き明かしても難しいと言う、因みに六神通とは以下の様な驚異的な超能力を言う、1、天眼通(てんげんつう)、総てを見通す眼、 2天耳(てんに)通、聞こえない音を聴く耳、 3、他心通、読心術、 4宿命(しゅくみょう)通、前世を知る力、 5、神足通、変化に応じて身を著わし空中を飛べる、 6漏尽(ろじん)通、仏の持つ力、を言う。
同じく見宝塔
品に於いて空中に浮かぶ塔は、七宝で装飾されており、宝塔のH五百由旬(3500㎞)W一篇が二百五十由旬(1750㎞)と言うサイズである。因みに⒈由旬(yojana)とは多説があるが、約11.3km14.5km前後とか、約7㎞とか言われる。 

6、十如是とは方便品第2に説かれる因果律を指す、 「諸法実相」「如是(かくのごとく)」 、十如是すなわち10の相があるとされ「如是姓」特性、「如是体」本質、「如是力」能力、「如是作」作用、「如是因」原因、「如是縁」条件、「如是果」結果、「如是報」報い、「本末究竟等」で鳩摩羅什の訳のみに存在する。

佛教のキーワードとも言える因果律であるが、一神教では因果律を否定する、一神教は予定説でありサルベージを与えるか苦難を架すかは予め決められている、聖書の記述ではアブラハムやヨブは神を敬い従順な信徒に過酷な苦難を架されている。

7、 通常は浄土に生まれる事を往生と言が法華経に於いては往詣(おうけい)と言う、しかし釈尊は自土佛であり浄土は存在しない。 


8、 多宝如来( prabhūta-ratna  東方宝浄国の教主 過去仏すなわち釈尊以前に覚者となった無数の如来の一尊とされている、東方の宝浄世界の教主とされる、法華経見宝塔品・従地湧出品15章に登場する法華経を肯定する如来で、無限のかなた即ち東方の無量千万億阿僧祇(あそうぎ)宝城国に君臨する如来で智積菩薩等々が従う、因みに智積菩薩とは提婆達多品12章に多く登場する。
日蓮宗の本尊「三宝尊」に於いて題目(南無妙法蓮華経)の左右に釈迦如来(二仏並座)と共に登場する。(下部に日蓮像が置かれる) 二仏並座の例として鑑真による日本最初の受戒道場である東大寺戒壇院に安置されていたと言う(12世紀、大江親通著・他からの引用説はあるが七大寺巡礼私記)、金銅塔の中の銅像で 釈迦如来25,0cm、多宝如来24,2cm が現在は奈良国立博物館に寄託されている、日蓮宗の寺院にも散見でき日立市の宝塔寺にも江戸時代の作とされる像がある。
多宝如来は独尊で造像された例は見られず釈迦如来と並坐形式がとられている、日蓮宗寺院以外には根津美術館の釈尊との並坐像が重文指定を受けている。

9、 五障三従のもう一つの障害として、ヒンズー教の影響を受けた蔑視思想で女性は五種類の王に成れない、即ち①梵天王 ②帝釈天 ③魔王 ④転輪聖王 ⑤佛身 に成れない。
また三従と言われ女性の守るべきものとされた三項目を挙げると、1、幼児期は父(親)に従い、 2、嫁しては夫に従い、 3、老いては子に従う、を言う。

10、 鳩摩羅什による五障に関して「法華経提婆達多品」には、「又女人身猶有五障。一者不得作梵天王。二者帝釋。三者魔王。四者轉輪聖王。五者佛身。云何女身速得成佛」とあり、男子に転換しなければ成仏出来ないとされる。 
他の経典に五障の記述があるが目的に相違がある、「大集法門経」に於ける五障とは、楽欲障、瞋恚障、睡眠障、悪作障、疑惑障を言い、「雑阿含経」に於いては五障五蓋とあり、貪欲蓋、瞋蓋、睡眠蓋、掉悔蓋、疑蓋と記されている、因みに女性には煩悩が多くあり、女人五障とも言われ性転換(変成男子)しなければ成仏できないとされている、変成男(へんじょうなんし)子は転女成仏とも言う。

11、法華三部経とは「法華経」「無量義経」「観普賢菩薩行法経」を言う。

注12、()(ぜん)無得道論(むとくみちろん)とは
日蓮は一乗思想から法華経以外の仏教宗派を謗法すなわち誹謗正法と批判した、要するに法華経以前の釈尊の教義は方便の為に成道は不可能と言う。

注13、 
阿耨多羅三藐三菩提 法華経第二十二品、嘱累品や阿弥陀経や観無量寿経に浄土信仰の極地とも言える「阿耨多羅三藐三(あのくたらさんみゃくさん)菩提(ぼだい)」が記述されている、阿多羅三三菩提(梵語のanuttara-samyak-sambodhi・アヌッタラー・サンミャク・サンボーデーとは「無上正等覚(むじょうしょうとうがく)」とも言い、総ての真理を正しく理解する最高の仏智を言う、因みに阿耨多羅三藐三菩提は阿弥陀経や観無量寿経に言われ、般若心経の一フレーズでもある。

注14、悉有仏性(しつうぶっしょう)、総ての衆生が仏になれる可能性すなわち「一切衆生 悉有仏性 如来常住 無有変易」は、「大涅槃経」の獅子吼菩薩品に説かれている

注15、 諸法実相とは難解であるが、法華経方便品の「唯仏与仏及能究尽諸法実相」と言う記述で「如来こそ、あらゆる現象を熟知している」と言う意味合いである。


16、 翻訳すなわち漢訳に付いて述べれば、正木晃氏に依れば原典を忠実に翻訳するのではなく恣意的に変更されていると言う、玄奘の般若心経・康僧鎧の無量寿経、鳩摩羅什の法華経、等々漢訳のおかげで広まった著名経典に多くある、極端な例は経典の改変おも行った不空である、不空は「仁王護国般若波羅蜜多経」「文殊師利菩薩根本儀軌経」「葉衣(ようえ)観自在菩薩経」などで原典にない護国、国王守護を創作している.


注17、 
御濁悪世に関する記述は迹門のクライマックスとも言える法華経”方便品第二”にある、五濁とは、劫濁(こうじょく)(ぼんのう)(じょく)衆生(しゅじょう)(じょく)見濁(けんじょく)命濁(みょうじょく)項目を言う。


注18
 経法 法門(dharma-paryāya)とは仏法や仏の教えの事を言う、無上道(anuttarā samyaksabodhi)とは最高に優れた道、すなわち仏道、最高の覚りを意味する、また正しい教法を像法(saddharma pratirūpakaと言う。 

注19、 
大通(だいつう)()(しょう)如来(にょらい)と言う如来は法華経、化城喩品に出てくる仏で三千塵点劫と言う無限の過去、在家時代に十六人の子供がいた、阿閦(東)、阿弥陀(西)、釈迦(娑婆)達で釈迦如来は十六番目の子供と言われる、四国霊場、五十五番札所別宮山金剛院光明寺南光坊に仏格が置かれて、通常の智拳印とは逆手で結ばれている。

注⒛、方便とは仏が衆生救済の為の手段を言う、方便には真実と(ごん)()があり、善功(ぜんぎょう)方便すなわち真実の方便とは、仏の本意(ずい)自意(じい)の法門をいう一方権仮方便は未熟仏の随自意真実の法門途中にあり、方便化身土(けしんど)

巷間「嘘も方便」がよく使われる、真実でないが自己に都合のよい説明等に使う場合があるが、佛教用語では覚りに至る道筋等に使われる、但し仏説即ち解釈の相違を「釈尊一代の所説」の建前を守る為に方便を使う事は佛教史学上発展を阻害していたとの指摘がある。

21、 法華経では個々のレベルに適合した三の説き方があるとされる、即ち①法説、②譬喩、③因縁の三周説法がある、舎利弗は①で魔訶迦葉 須菩提 大迦旃延 目犍連の四名は②で授記されている、③因縁の範疇か五百弟子受記品では富楼那を初めとした阿羅漢達である。

注22、 四無畏 
  如来・菩薩が説法で「造一阿含経」「倶舎論」に説かれるが、法華経、方便品、比喩品に説かれている、法を説く際に抱かれる不安に躊躇する事なく四種の揺るぎない自信を言う。

如来の場合は、一切智無畏・漏永尽無畏(ろえいじんむい)説障道無畏(せっしょうほうむい)説尽苦道無畏(せつしゅつどうむい)

菩薩の場合は、能持(のうじ)無畏・知根無畏・決疑無畏・答報無畏 大日如来と阿弥陀如来を除く、如来の印相は右手、施無畏(不安除去)、左手、与願(願いを叶える)印が多い。

注23、
法華経序品には多くの仏達が登場する、菩薩では*文殊師利菩薩 *観世音菩薩 *(とく)大勢(だいせい)菩薩 *(じょう)精進(しょうじん)菩薩 *不休息(ふくそく)菩薩 *(ほう)(しょう)菩薩 *薬王菩薩 *勇施(ゆうぜ)菩薩 *(ほう)(がつ)菩薩 *月光菩薩 *満月(まんがつ)菩薩 *大力菩薩 *無量力(むりょうりき)菩薩 *(おつ)三界(さんかい)菩薩 *跋陀婆(ばつだば)()菩薩 *弥勒菩薩 *宝積(ほうしゃく)菩薩 *導師菩薩 。

他に十大弟子と共に以下の阿羅漢の記述がある、 *阿若憍(あにゃくきょう)陳如(じんにょ)(アージュニャータ カウンデニュア) *優楼頻螺(うるびんら)迦葉(ウルヴィルバ カシャーバ) *伽耶(がや)迦葉(ガヤー カシャーバ) *那提迦葉(ナデイー カシャーバ) *阿泥樓駄(あぬるだ)(アニルッダ) *劫賓那(こうひんな)(カッピナ) *憍梵(きょうぼん)波提(はだい)(ガバーン パテイ) *離婆(りは)()(レーバタ) *畢陵伽婆蹉(ひつりょうかばしゃ)(ビリンダ ヴァッチャ) *薄拘(はく)()(バックラ) *魔訶拘絺(まかくち)()(マハー カウシュテラ) *孫陀羅難陀(そんだらなんだ)(スンダラナンダ)達の記述がある。

注24、法華経二十品常不軽菩薩品も注目しなければならない、但行礼拝(たんぎょうらいはい)である、「われ深く汝等を敬う 敢えて軽め慢らず 所以は何ん 汝等は皆菩薩の道を行じて 当に仏と作ることを得べければなり」、経も読まず総ての仏教徒に崇拝礼拝する 。


注25、法華経二十五品普門品の不門とはあらゆる方向に目を向ける、事を意味する。

注26、 千部会、同じ経典を一部として千回獨授する事を千部会と言う、法華経の場合一部を普通に読めばy時間程を要するので、宗派に依れば50人ほどの僧侶が分担す路用である。




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