慈照寺 銀閣寺

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正式名称としては東山(とうざん)慈照(じしょう)禅寺であるが江戸時代から呼ばれた俗称の銀閣寺が普遍的である、因みに閣とは通常は御殿であるが、四方を展望出来る建築様式を言う事もある。 
金閣寺(北山(ほくざん)鹿苑寺(ろくおんじ))と共に臨済宗相国寺派のドル箱的観光寺院である、銀閣寺は哲学の道に通じ過日は京都を代表する旅情詩を感ずる場所であったが、現在休日に於ける哲学の道は四条通りを川原町から東大路を歩いているかと錯覚するほどの賑いである。
応仁の乱で消滅した天台宗の古刹、東山浄土寺
(3)の跡地に室町幕府八代将軍足利義政が常御所(つねのごしょ)を造りこの山荘に住んだことに始まる、因みに慈照寺の名は義政の法号である「慈照院喜山道」から採られた。

応仁の乱の原因を作るなど政治家としての義政はともかく風流人としては素晴らしいセンスの持ち主であり和様の真髄を極めた東山文化の象徴を山水河原者(せんずいかわらもの)すなわち阿弥衆(あみしゅう)(善阿弥たち)を指揮して此処に「孤愁(こしゅう)の浄土」を築いたと言える、寺の造営は義政の構想の中で進められた、堂宇は浄土宗や禅宗の様式を持ち西芳寺の瑠璃殿や鹿苑寺の金閣を参考にした様式である、銀閣寺と俗称される起源となる観音殿(銀閣)は棟上に鳳凰を頂き、一層を「心空殿」・二層を「潮音殿」と言い、錦鏡池(きんきょうち)を配している、また日本に於ける茶室や書院造の原点と言える日本独自の美意識を完成させた、究極の非対称美を誇る国宝・東求堂(とうぐどう)(持佛堂)は禅寺風庭園を持つ広月台を配置した「銀砂灘(ぎんしゃだん)」は白川砂に混じる雲母が月光に白く光る様子はモノトーン・水墨画の世界であり、まさしく銀閣に相応しい、外部には花頭(かとう)(燈)(まど)疎垂木(まばらたるき)、如意頭文を採用した典型的な禅宗様の名建築である、因みに広月台と銀砂灘は初めて訪れる人や修学旅行生には銀閣寺のシンボル的景観を著わしている、また東求堂の二階にある四畳半の同仁斎と呼ばれる部屋は現存する最古の四畳半書院座敷で和の神髄の間と言える。
慈照寺は風流人義正が卓越したセンスを発揮した月見の為に築いた巧妙な装置を備えた白亜の殿堂であった様である。
2007
年から行われた復旧工事に於いて銀閣の壁などから銀色に輝く部分が発見された、また柱梁から亀甲や唐草紋らしい跡が見つかる。  
白木のままとも思惟された銀閣壁面の銀色はすぐに変色する銀箔ではなく黒漆‐白土‐
明礬(みょうばん)に順に塗装された、これが月光を浴びて銀色に光り輝いたと推定されている。(NHKワンダーより) 

銀閣は東向きに建てられ1489年の暦から、中秋の名月が東の月待山から上る様子、さらに池に移り移動する様が計算されていた。
東山文化が凝結されている慈照寺には義政が望んだ浄土がここにあるのかも知れない、また銀閣に来た五木寛之氏は「銀閣寺には雨が似合う」と言う、因みに義政は完成を待たずに銀閣の施工中1490年生涯を閉じる。

京都には京都五閣とも言われる名建築がある、京都三名閣と言われる鹿苑寺の金閣 ・慈照寺の銀閣 ・本願寺の飛雲閣に ・大徳寺の呑湖閣 ・東福寺の伝衣閣を加えた名閣を言う。
義政の遺言により鹿苑寺(ろくおんじ)すなわち金閣寺を模して禅寺として名称は院号を採用して慈照寺とされた。
完成時は十二棟の堂宇が存在したが十棟は失はれて西芳寺の瑠璃殿を参考にしたとされる国宝の銀閣・東求堂と浄土庭園様の善阿弥一族(泉石の名手)の作とされる名庭園を残している。 




1 、 東求堂(持佛堂)にある同仁斎は床の間・付け書院は非対称美の究極の姿であり茶室(四畳半)の原点とされている。 

2、 東求堂の仏間には
阿弥陀如来立像(65,0cm)が安置され本堂(方丈)には何れも公開されていないが観音菩薩坐像(洞中観音・54,0cm)が置かれている。

3、 浄土寺 
円珍が居宅した天台宗の古刹で第25世天台座主も関連するが応仁の乱で消滅する。

注4、 金閣寺 銀閣寺の本山は足利義満が創建した相国寺であるが、相国とは中国に於いては宰相 太政大臣 左大臣の別称であり足利義満とダブらせている、また相国寺には義満の位牌があり「鹿苑院太上天皇尊」と書かれている。

 

臨済宗 相国寺派        所在地  京都市左京区銀閣寺町2    ℡ 075-771-5725
                         
慈照寺の文化財     表内は国宝        

  名     称

適                   用

 時   代 

 観音堂 (銀 閣) 

  下層・心空殿 上層・潮音閣(観音像)宝形造 柿葺 1489

 室町時代 

 東求堂 (持仏堂)

  住居建築として最古で非対称美を完成した傑作  入母屋造 杮葺き
   1486
  仏間、書斎(同仁斎)

 室町時代

 


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