正信偈(しょうしんげ)

                                    仏像案内   寺院案内     経典    釈尊の教え

正確には「正信念仏偈」と言い、咀嚼すれば”正しく念仏を信ずる(うた)”を意味する、真宗・浄土真宗に於いて「根本聖典」「御本典」等と呼ばれる偈である、教行信証の後部行間末にある一行七文字、六十行、百二十句の偈を言う、経典とは言えないが十三世紀の中頃、親鸞の代表作とされる「教行信証」、六巻の内第二巻に於ける七言律の漢詩部分を七世蓮如が広めた、浄土三部経の精神を解説した偈で、浄土真宗・真宗門徒には最もポピュラーに唱えられている偈である、浄土真宗八世・蓮如の時代に比叡山の末寺的な「六時礼讃(注2」に代わって創められた偈である、「本願に目覚めた透明な心で、ただ念仏、そこに正信がある」とされ真宗の独自性を標榜した、因みに正信念仏偈は六時礼讃を参考として著された偈である、蓮如に付いて脱線するが、キリスト教の場合異端は異教の罪より重いとされる、しかし蓮如は異端に対して否定しながらも広い許容度tolerance・トレランス)を所持していた、そのキーワードは「諸神諸仏菩薩を軽んずべからず」と言えよう
親鸞の思想の真髄とも言えるもので「帰命無量寿如来 南無不可思議光」で始まる、弥陀に帰依を誓う偈を唱え阿弥陀如来の本願を信ずる事にのみ救済される事を漢詩の七言律・六十行・七百二十句で表わした偈であり勤行には必ず
偈頌(げじゅ)、即ち詠まれている、因みに帰命無量寿如来~難中之難無過斯までの四十四句は大無量寿経の依経分である。
「教行信証」とは「顕浄土真実教行証文類」の略称で1224年に成立した和讃(注4)と共に浄土真宗の根幹書である、教・行・信・証・真佛土・化身土の六巻で構成されている。


偈前の文    爾者帰大聖真言 閲大祖解釈 信知佛恩深遠 作正信念仏偈曰 「しかれば大聖の真言に帰し、大祖の解釈に閲して、佛恩の深遠なるを信知して、正信念仏偈をつくりて曰く」
正信偈を語る背景と動機の説明)  「しかればだいしょうのしんごんにきし、だいそのげしゃくにえつして、ぶつとんのじんのんなるをしんちして、しょうしんねんぶつげをつくりていわく、」

正信偈の要諦に「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」がある、すなわち釈尊如来の出現の目的は、 ただ阿弥陀如来の本願の法を説く為にある、因みに本願の梵語記述はプーループラニダーナ(pūrva-praihānaと言い宿願、誓願などと和訳されるが漢訳は「願」であり固いと言う意味を持つ。  
大聖真言とは大無量寿経を言い、仏から示された偈すなわち真実の言葉ある、大祖解釈とは七高僧の解釈(げしゃく)すなわち䟽書で個々の徳を讃えている。
親鸞の言う七高僧とは・大乗仏教を理論化(中論)した龍樹・浄土論の天親(以上インド僧)・浄土論を註釈した曇鸞・観無量寿経を註釈した道綽・観想念仏の善導(以上中国僧)源信法然(以上日本の先達僧)である、親鸞が龍樹を阿弥陀信仰に於いて嚆矢としたのは鳩摩羅什漢訳の「十住毘婆沙論」に於いて菩薩にランクを付けた、即ち行に優れた菩薩と敗壊の菩薩(非力無力の菩薩)とに分け弥陀の本願にすがる「他力易行」を唱えて浄土教の道を開いた事であろう、七高僧注3の中で異色な僧は曇鸞である、曇鸞は元来神仙思想家であり修行を終えた後洛陽で菩提流支と言うインド僧に出合い、不老長寿の秘術を尋ねたところ観無量寿経を示されて浄土信仰に宗旨替えしたとされる僧である。

七高僧の二の内で「天親」と「世親」vasubandhuは同一人物であるが、当初は天親と漢訳され玄奘以後に世親と定着した様である。



1,   偈 梵語のgatha(文字化け)偈陀 伽陀を略して偈と言い仏の言葉・真理の言葉を言う、  正信とは正しい信心

注2、六時礼讃とは、浄土教における法要、念仏三昧行に読経される、善導による「往生礼讃偈」正式には「観一切衆生願生西方極楽世界阿弥陀佛国六時礼讃偈」を参考にして一日を日没から正午まで六分割して、読経、念仏及び礼拝するものである。

3、 親鸞の七高僧に対して法然は浄土五祖を挙げている即ち・曇鸞・道綽・善導・懐感(えかん)少康(しょうこう)の五人である。
道綽(どうしゃく)は観無量寿経を解説して仏法を厳しい煩悩を断つ「聖道門」と自力を諦め誰でも可能な「浄土門」に分類した。


注4、 和讃 親鸞作の仮名交じりの真宗賛歌で
梵語の「梵讃」や漢語の「漢讃」に対して日本語で旋律を用いた賛歌


                    仏像案内   寺院案内     経典  

2014621日 2015年6月26日加筆 2017年6月19日修整 


  
  

inserted by FC2 system