龍樹とは梵語でナーガールジュナ(nāgārjuna)と言い、般若経典のキーワードと言える「空」や中観派(mādhyamika)の大乗経典を論理的に確立した人物である、要するに縁起の思想を薦め大乗佛教の蘊奥と言える空の論理を完成させた、即ち大乗仏教に於ける最大の
釈尊が興した仏法は哲学(philosophy フィロソフィー)
龍樹の著述は後世の仏教思想に多大な影響を及ぼした事に依り、群雄割拠する仏教各宗派から「八宗の祖」(注3)と仰がれている、即ち龍樹は大乗仏教
中論すなわち根本中頌(Mūlamadhyamaka-kāriā ムーラマディヤマ カーリー)を27章に纏めた書である。
龍樹の思想は釈尊への帰依の心は深かった様で中論頌(根本中頌)の偈に「不滅、不生、不断、不常、不一義、不異義、不来、不去にして、戯論が寂滅し、吉祥なる縁起を、説いた仏陀、かの最高の説法者に私は礼拝する」と述べている。(仏教思想論・松本史朗・大蔵出版)
求道者でありインドに於ける最大の論理学者である、同名の異人で密教に於いては龍猛とも言われる人もいる、龍猛(龍樹)に付いては玄奘が大唐西域記に於いて出会いを記述している(正木晃、春秋社、空海を巡る--日本密教史)。
八宗の祖の龍樹に付いて定かではないが2世紀頃のバラモンの出身の僧とされヴェーダ聖典を総て修得していた、大論師即ち三蔵の内特でも特に論蔵に精通した、説一切有部(部派仏教)を学ぶが雪山に於いて大乗を学ぶ、nāgā=竜 rjuna=英雄の名称とされ樹は音訳である。
般若経により「空」(śunya・シューニヤ)の哲学は存在したが、竜樹は哲学的に体系化した大乗仏教の理論的な創始者で求道者である、その基盤とされる中論のクリエーターである、中論頌は佛教だけでなくヒンズー教にまで踏襲されている、空を仏教用語で記述すると「無生法忍すなわち変化する事の無い不生不滅の真実智慧」といえよう。
龍樹の思想の根底には釈尊の哲学への回帰が有ると石飛道子氏は言う(ブッダと龍樹の論理学、サンガ)。
我・執すなわち衆生は有に固執し上座部の僧達は無に固執して山に籠るが、龍樹は空を言い中道すなわち中頌を理論化して多くの経典を著した、空に付いても実体は一刹那に実在して一刹那に消えるとした。 (
三論の他般若経の創始者であり龍樹の般若経に倣い華厳経・法華経・般若心経等の著名経典が生み出される、また時代に誤差があり同名異人説が強いが、密教の創設者(龍猛)とも言われ南都六宗・天台宗・真言宗を含む、日本に於ける仏教宗派の略すべての宗祖(八宗の祖)と言える、親鸞に於いても三帖和讃の一つ「高僧和讃」(注1)に於いて七高僧の筆頭に挙げている、七高僧とは龍樹・世親・曇鸞・道綽・善導・源信・法然である、親鸞が龍樹を嚆矢とした理由を推測すれば悟りへの道標に難行道と易行道の分類、「正定聚不退転の位」への道標、として「正信念仏偈
菩薩にランクを付けた、即ち智行に優れた菩薩と敗壊の菩薩(非力無力の菩薩)とに分類し、敗壊の菩薩でも弥陀の本願にすがる「他力易行」を唱えて浄土教の道を開いた事であろう、但し十住毘婆沙論は梵語、チベット語等には存在せず羅什訳のみが現存している。
七世紀の密教では系譜に「付法八祖」と「伝持八祖」があり、付法八祖では大日如来、金剛薩埵に次いで第三祖であり、また伝持八祖に於いては初祖に置かれている、因みに龍樹と言えば大智度論等の他に「中論頌」が著名であるが、前述の様に「中に於ける詩頌」であり通常は中論と呼ばれている。
また「十住毘婆沙論」が著名で菩薩にランクを付けた、即ち行に優れた菩薩と敗壊の菩薩(非力無力の菩薩)とに分け弥陀の本願にすがる「他力易行」を唱えて浄土教の道を開いた事であろう、親鸞が高僧和讃に於いて龍樹を挙げた理由が理解できる、但し十住毘婆沙論は梵語やチベット訳は発見されておらず鳩摩羅什の創作も否定できない。
中頌すなわち中論に於いて実在論を否定し総ては仮設であると言い実在論を否定している。
密教の初祖に付いては龍樹の生誕は2~3世紀と言われ密教の興りは7世紀とされ無視出来ない数世紀以上のタイムラグがあり別人説(複数)が確実視されている、玄奘が大唐西域記に同名の僧とであった記述している様であり、南インドに於いて7世紀頃の大塔から出土した仏像の銘文からナーガールジュナと言う人物が実在した可能性は高い。
龍猛には南天の鉄塔伝承が著名である、南天とは南天竺の事で、ここの鉄塔に於いて大日如来ー金剛薩埵ー龍猛を経て金剛頂経すなわち金剛界曼荼羅いわゆる密教が完成されたと言う伝承の塔である、またインドに於いては白大理石を白鉄とも呼ばれた様で白大理石で覆われた卒塔婆を鉄塔と呼ばれた、南天の鉄塔に付いてであるが存在は否定説が定説的である、しかし印度に帰化した佐々井秀嶺師はインド中央部のナグプール近郊のマンセル遺跡の岩山全体が鉄塔であったと主張している。
龍樹の著作に「中論頌」(中道・mūlamadihyanakākurikā)「廻諍論」「大智度論(注2)」「十二門論」「十住毘婆沙論」「廻諍論」「大乗二十頌論」「十二門論」「方便心論」「釈摩訶衍論(注4)」等がある。
内容は総て難解である石飛道子氏のブッダと竜樹の論理学から抜粋した、中論2-1「去ったものは、まったく去らない。いまだ去っていないものもまったく去らない。去ったもの、いまだ去っていないものから離れた、去りつつあるものも去らない。」中論2-2「ふるまいのあるところには動きがある。去りつつあるとき、それ(動き)があるから。去ってしまったときも、いまだ去っていないときも、ふるまいはない。去りつつあるとき、動きがあるから」。 大智度論に「微塵 積もって山を為す」の記述があるが”塵も積もって山となる”の起源と言えよう。
特に龍樹の哲学に心酔したのは道元であり、正法眼蔵(卷、仏性)にも引用している様である、また西欧特にギリシャ哲学者達にも高い評価を受けている。
大乗仏教の根幹と言える空論の理解解釈は龍樹が嚆矢と言えるが難解極まりない、正木晃氏曰く「空論」を *インド即ち龍樹の説く空、*密教的解釈の空、*チベット流の理解解釈、*中国流の理解解釈、*日本流の解釈では180度近い相違があるが、何処の解釈が正確化は判定不能的に言われる。(空論 春秋社 正木晃)
竜樹は修行の方法をも述べており、阿弥陀如来を中心にした念佛を唱える「易行道」と過酷な修行を科す「難行道」とに分類している。
竜樹の像は四国八十八所の26番札所の「金剛頂寺」に重文指定を受け●真言八祖像の初尊として存在している、木造板彫り 彩色 88,6cm、ちなみに金剛頂寺は空海の創建と伝えられ嵯峨天皇と清和天皇の勅願所であった。
金剛頂寺の龍樹像は ●真言八祖像として・龍樹(龍猛)88,6cm ・龍智86,4cm ・金剛智85,8cm ・不空87,4cm ・善無畏85,5cm ・一行87,4cm ・恵果87,2cm ・空海87,3cm、がありその他に●阿弥陀如来坐像 ●観音菩薩立像
その他●奈良博に地蔵菩薩とセットで存在している(木造 檜材 寄木造 古色彫眼 坐像 平安時代)。
龍樹の著作は鳩摩羅什の漢訳により広められた、大智度論は無論のこと中論を例にとれば龍樹の梵語原典は失われているが、7世紀に「浄明句論」と言う注釈書が書かれており、鳩摩羅什が更に咀嚼書を中論と題して広めている、また真言宗が重要視している「釈摩訶衍論」も龍樹の作とされている、釈摩訶衍論とは「大乗起信論」の咀嚼書で大乗とは衆生心と言い、如来蔵や阿頼耶識を解く難解な唯心論を言う、因みに中論の二十四章を一言に云えば「縁起を空性と呼ぶ、それは仮説であり、中道である」と立川武蔵氏は言う、因みに拙サイトでは仮設と記述している。
鳩摩羅什(Kumārajīva ・クマーラジーバ)とは344~413年の人でシルクロード天山南路の要衝亀慈国の王子の一人、7歳で出家しキジルの石窟寺院で仏教を学ぶ、少年時代中国の侵略を受け17年間の捕虜生活の後、401年長安に呼ばれ経典の翻訳を皇帝から命じられる、父がインドの僧侶(母は国王の妹)の為梵語に精通しており、翻訳した経典は294巻(35部)に及ぶ、三論・成実論・般若経典・法華経・維摩経など多義にわたる。
鳩摩羅什の漢訳は古来より中国文化に馴染み弟子たちに依る三論宗や成実宗の礎が構築された。
主な訳経に「大品般若経」(二万五千頌般若経)を注釈した「大智度論」、「十地経」を咀嚼した「十住毘婆沙論」、「中論頌」、「十二門論」、「廻諍論」「大乗二十頌論」「坐禅三昧経」、「阿弥陀経」、「般若波羅蜜経」、「妙法蓮華経」、「維摩経」、「龍樹菩薩伝」等の他に禅宗の源流となった「十誦律」「座禅三昧経」があるが、大智度論・十二門論・十住毘婆沙論などは羅什以外に梵語経典や漢訳は存在しない為に羅什に依る創作の可能性や龍樹と別人説を指摘する声もある。
余談になるが法華経の訳に付いて中村元氏は「法華経・東京書籍」の中で鳩摩羅什訳を翻訳と言うより創作と言えるほどの名文と言われている。
竜樹は「阿弥陀五尊」像すなわち阿弥陀・観音・勢至の三尊に・地蔵菩薩・竜樹菩薩が組み込まれている、根拠は「覚禅抄」(注5)に五尊曼荼羅心覚説が記述されている事に依るのかも知れない。
日本人でインド佛教徒の頂点に君臨している佐々井秀嶺師はインド第九代首相、ラジーヴ・ラトナ・ガンディー(Rajiv Ratna
Gandhi)から、インド名・
注1、高僧和讃とは親鸞の三帖和讃すなわち「浄土和讃」「正像末和讃」「高僧和讃」の三部の著作を言う、高田派では「皇太子聖徳奉讃」を加え四帖和讃としている。
注2、大智度論とは二万五千頌般若経に対する解説書である、中国大乗佛教に於ける各宗派は無論のこと、日本の八宗の依拠と成っている書籍である、マハー・プラジュニャーパーラミター・シャーストラ(Mahā-prajñāpāramitā-śāstra)と言い、大智度論を大辞林で引くと「大品般若経」の注釈書100巻。竜樹に著作と伝えられ鳩摩羅什訳。仏教の百科全書的な書。智度論、大論の記述がある、また月と指、即ち月を教える指の価値に関する比喩は著名である(尊者、また坐上に自在身を現ずること、満月輪の如し)とある。
「智度」とは波羅蜜の意訳である、六波羅蜜の内の智慧波羅蜜すなわち、「般若波羅蜜」(prajñāpāramitā)を言う、智とは智慧(般若)、度は渡と同意で彼岸に渡る事である、「摩訶般若波羅蜜経」「摩訶般若釈論」とも呼称される。
法楽寺様HPには大智度論とは「摩訶般若波羅蜜経」のサン梵語原典名Mahāprajñāpāramitā Sūtra「マハープラジュニャーパーラミター スートラ」語、摩訶(mahā)を「大」、般若(prajñā)を「智」、波羅蜜(pāramitā)を「度」としたもので、注釈書であるから「論」としたとある。 法楽寺HP
「摩訶般若波羅蜜経」は二万五千頌般若経(Pañcaviṃśatisāhasrikā-prajñāpāramitā Sūtra, パンチャヴィムシャティサーハスリカー・プラジュニャーパーラミター・スートラ)とも言い、通常は略して「
龍樹の大智度論は摩訶般若波羅蜜経の注釈書としが著名である。(90品30巻の大品般若経に対して小品般若経は29品10巻)
注3、八宗の祖とは平安時代までに招来された南都六宗に天台宗と真言宗を加えた宗派が言われる、但しWikipediaに依れば呼称は複数あり中国の場合は法相宗・禅宗・密宗・法華宗・天台宗・三論宗・律宗・華厳宗が言われていた、また竜樹とは直接関係は無いが日本八宗と呼ばれる宗派に・天台宗 ・真言宗 ・浄土宗 ・浄土真宗本願寺派(通称西本願寺)・真宗大谷派(通称東本願寺) ・臨済宗 ・曹洞宗 ・日蓮宗が言われている。
注4、 釈摩訶衍論 “大乗起信論”の注釈書で竜樹の作と言われるが、中国若しくは朝鮮で八世紀初頭に華厳経を典拠に登場した哲学で竜樹とは時代が合わない、空海が密教と顕教の相違の説明に引用した様で、宇宙一切を包み込む「不二
注5、真言僧覚禅が1217年(建保5年頃)に記述した128巻に及ぶ図像抄、対する天台には阿娑縛抄がある。
覚禅抄 五尊曼荼羅心覚説
右印相等可見別図
問、観音勢至加地蔵龍樹四、爲弥陀五仏、出何文乎
答、未見本説、但大唐并州一国人皆念弥陀、其国人命終時、阿弥陀仏観音勢至地蔵龍樹皆来引攝云々
随聞記ニ云弥陀五仏、中尊阿弥陀観音勢至地蔵龍樹也、地蔵同於過去爲大誓願、当於晡時此土申時也指極楽国供養問辞又龍樹菩薩生仏滅後、現身證歓喜地、修往生業、説種々伽陀妙偈、勧極楽土、遂自生彼、又令他人生彼仏国云々。
釈迦の教え 仏像案内 寺院案内 如来
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