奈良県當麻郷の生まれで
天台宗の法華八講の講師に選ばれるなど、俊英の集まる良源門下で才能は若年時代から高く評価された、横川の恵心院で迎講を初め念仏信者が多く集まり権少僧都の地位に付くが翌年には辞退し、比叡山の摩訶止観(注5)の説く四種三昧の内、常行三昧からの念佛行に形式だけで浄、土観を欠く事と腐敗体質に失望して隠棲する。
通称を横川僧都とも呼ばれ、その呼称からも源氏物語のモデルとの説がある、また阿弥陀来迎図の創始者とも言われている。
日本に於ける浄土信仰の嚆矢と言える業績と多くの著作を残し、作品は宋国にも届けられ天台山・国清寺や慈恩寺から高い評価を受けた。
著作に三乗を方便とした「一乗要決」・「因明論疏四相違略蔦釈」・「六即義私記」・「大乗対抑舎鈔」・「阿弥陀経略記」・「六即義私記」など70部以上150巻に及ぶが代表作で知られるのは、985年の念仏による極楽浄土信仰興隆の起爆剤となり、かつ浄土教体系書である「往生要集」である、往生要集とは十章で構成され六道(地獄・餓鬼・
「
総序に「それ往生極楽の教行は獨世末代の目足なり、道俗貴賎、たれか帰せざる者あらん。ただし顕密の教法は、その文、一にあらず。事理の業因、その行これ多し。理智精進の人は、いまだ難しと為さざらんも、予が如き頑魯のもの、あに敢てせんや。この故に、念仏の一門に依りて、いささか経論の要文を進む。これを披いてこれを修るに、覚り易く行い易からん。惣べて十問あり。‐‐‐‐‐‐‐。これを座右に置いて廃忘に備えん」と記述される。
源信の往生要集は浄土念仏に於ける道標または百科事典とも言える著作である、内容は地獄模写すなわち厭離穢土から始まり極楽を語り往生すなわち 往生諸行から念仏に進んでいる、地獄に関する記述は「倶舎論」の他に・「大智度論」・「顕宗論」に記述がある。
地獄が詳しく説かれる経典即ち「正法念処経地獄品」「倶舎論」「長阿含経」等を参考に往生要集は著されている様である。
また源信の教学を恵心流と言い多くの優れた門下に覚超・良暹・明豪等の優れた門下生を有していたが1000年法橋に任ぜられ1017年没した。
源信の浄土信仰の影響は法然・親鸞にも受け継がれている、要するに浄土宗及び真宗の成立には往生要集が触媒の役割を果たしている、親鸞は「高僧和讃」に於いて七高僧を挙げており内二人は日本人である、、ちなみに七高僧とは龍樹・世親・曇鸞・道綽・善導・源信・法然である。
源信の晩年の著作「一乗要決」は唯識
源信の思想は仏法は真の教えは唯一とする哲学で、法華経に強調される、一乗(Ekayāna)仏教の教説は意義があるが、釈尊が愚衆を導く方便(upāya・ウパーヤ)として説かれた思想である、因みに方便とは到達するまでの手段と解釈しよう。
三乗すなわち声聞乗、縁覚乗、菩薩乗、総てが一乗に帰するとされる。
源信の一乗要決は1006年(寛弘3年)の著述で法華一乗(天台一乗)の思想から唯識に反論した著作である、源信は浄土教を勧めたが独り善がりの「
因みに源氏物語に於ける横川の僧都は源信がモデルとされている、源信を境に阿弥陀来迎図や浄土曼荼羅・仏像彫刻など佛教芸術の最盛期を迎る事になる。
因みに源氏物語に於いて三角関係に苦慮し自殺を試みる浮舟を助けた「横川の僧都」は源信がモデルとされている、因みに浮舟は浄土教の尼になっている。
源信を境に阿弥陀来迎図や浄土曼荼羅・仏像彫刻など佛教芸術の最盛期を迎る事になる。
源信の浄土観想信仰は浄土をイメージする事にある、「往生要集」とは浄土信仰・往生を経論から体系化した書で極楽往生への仕様書であり往生の業は念仏一門と説き念仏の正しい手法を説いている、「それ往生極楽の教行は、濁世末代の目足なり、道俗貴賤、誰か帰せざる者あらん」から始まる、浄土をイメージに付いて今出川行雲氏は「横川の光」の中で「いちばん描き難いのは極楽の絵である、源信は極楽を避けたのであり往生要集は未完ではないか」と言われている、閑話休題、源信に対して山折哲雄氏は”イメージ往生”と言うターム(term)を銘々している、が”観経往生”も面白いかもしれない。
10章に構成されている、往生要集の要は4の「正修念仏」である、即ち往生の為の案内として、五種の念仏門が説かれっている、①礼拝門、②賛嘆門、③作願門、④観察門、⑤回向門、があるが、ここでは 往生要集の構成のみを挙げる。(注6)
1、厭離穢土 穢れた世界を表し衆生の業を自覚させる、輪廻苦を著す六道絵や地獄変相図等で著される、特に八大地獄が著名、地獄絵は倶舎論、大智度論などが参考。
2、欣求浄土 浄土世界を表現している。
3、極楽証拠 阿弥陀如来の極楽浄土と他の浄土との比較。
4、正修念仏 阿弥陀浄土への案内、往生要集の根幹部分で観察門が主流であるが五種の念仏を示している(注2)。
5、助念方法 観想の必要条件が示される、修行の方法論即ち方位・場所・供え物・心構え。
6、別時念仏 臨終時の行い。
7、念仏利益 念仏の功徳最優先を述べている。
8、念仏証拠 貴賎別なく衆生への平等に念仏の利益を言われる。善業
9、往生諸業 念仏以外の諸行の重要性を言い異宗派を否定しない。
10、問答料簡 問答形式で念仏の最優秀を説く。
注1、三一権実論争 「三乗一乗権実諍論」「法華権実論争」とも言う、唐の天台宗と法相宗の間において繰り返し行はれた論議を日本に持ち込まれたもので、どちらが「真実か権(仮の姿・方便)」であるかを論議するもので、一乗とは(一つの乗り物)対三乗(声門乗・縁覚乗・菩薩乗)で、徳一が仏性抄を唱えて最澄を批判、最澄は照権実鏡をもって反論、この大論争は最澄が延暦寺へ帰山後も長期間続いた。
因みに菩薩乗とは如来に近い修行者、縁覚乗とは
徳一とは(生没年不詳、749~824)平安時代初頭の法相宗のエリート学問僧で藤原仲麻呂の子とされている、興隆する天台宗・真言宗に対抗する南都佛教側の尖兵で、筑波に中善寺・会津の恵日寺(慧日寺)等を創建する。
興福寺の修円に学んだと言う説もあるが推定年齢で徳一は20歳近く年長と考えられ20代前半に会津方面に居を構えている、修円は空海や最澄と並ぶ秀才とも言われ室生寺の形態を整えた法相学者であるが密教に造詣が深く、むしろ空海や最澄と懇意であり疑問視される。
最澄が会津滞在中の徳一を訪れ、三一権実論争を行う、徳一の言う、五性各別とは要約すれば人間が成仏出来るか否かはその人の素質により五段に分類し1、菩薩定性、2、緑覚定性、3、声門定性、4、不定性、5、無定性とされる、これと逆の解釈が悉皆成仏・一切偕成で全ての人が成仏できるとする天台宗(最澄)と論争することになる。
三一権実論争は817年~838年まで継続したが徳一は弟子を持たず一応終止符がうたれる、しかし最澄・徳一の死後一世紀半の後、即ち963年村上天皇の要請で行われた「応和宗論」に於いて法華経の解釈論を交えて再燃した。
後日源信は「一乗要決」に於いて三一権実論争に於いて三乗説を方便即ち権と論破し一乗説を真実の教えとした。
徳一は三乗論のフォローを空海に依頼したと言う説もあるが真言宗未決を著しており、空海としても「秘密曼荼羅十住心論・秘蔵宝鑰」(空海注2、解説)で解決しており三一権実論争に加わるのを避けたのではないか。
徳一の著書に三乗真実、五性各別を説明する「仏性抄」「中辺義鏡」「慧日羽足」等を著してとされるが、現存するのは「真言宗未決」のみである。
注2、 正修念仏 ①礼拝門 阿弥陀如来を礼拝、 ②賛嘆門 阿弥陀如来を賛嘆する、 ③作願門 菩提心すなわち覚りを目指す、 ④観察門 観無量寿経の世界を観想すえう、 ⑤回向門 善根に精進。
注3、往生要集第四に説かれる「正修念仏」とは世親の浄土論で説かれる浄土を目指す五念門を言い、・礼拝門(阿弥陀仏を礼拝)・
注4、
注5、摩訶止観とは天台宗の円頓止観、漸次止観、不定止観の三種と四種三昧の常行三昧、常坐三昧、半行半坐三昧、非行非坐三昧がある。
注6、
要するに
1、礼拝門。身に阿弥陀仏を敬い拝むこと。
2、讃嘆門。光明と名号のいわれを信じ、口に仏名を称えて阿弥陀仏の功徳をたたえること。
3、作願門。一心に専ら阿弥陀仏の浄土に生れたいと願うこと。
4、観察門。阿弥陀仏・菩薩の姿、浄土の荘厳を思いうかべること。
5、回向門。自己の功徳をすべての衆生にふりむけて共に浄土に生れたいと願うこと。またこの五念門行を修する結果として得られる徳を五功徳門として示されている。
親鸞は五種の行が総て法蔵菩薩
所修の功徳として名号にそなわって衆生に回向されるとみられた。
2008年3月30日 2013年9月21日 2016年3月30日 2017年9月5日 2018年4月30日更新