釈尊の教え

                                       釈迦如来    仏像案内     寺院案内      如来 

釈迦如来の教えbuddha-śāsana・教説)即ち釈尊の説いた教義を佛教と言う、お釈迦様のイメージは4月8日の花祭り即ち「灌仏会(かんぶつえ)」、毎年12月8日の「成道会」、2月15日の「涅槃会」で知られている。 
佛教は原始仏教を含めて厳密に言えば釈尊の教えとは言えないと言われている、曹洞宗の僧侶でインド哲学の研究者であった宇井(はく)(じゅ)(1882年(明治15年)6月1日 ~1963年)に依れば大乗、上座部を問わず釈迦の教えと証明出来る経典は存在しないと言う、最古の経典と言われる阿含経ですら伝承の教えであり疑問視されている、歴史上実在したとされる釈尊は古代マガタ語(マーガディー Māgadhī)で法を説いていたが、説法が文書化された頃はパーリ語(pāḷi)の経典であった、極論であるが、原始仏教では釈迦如来は「挨拶に於ける合掌は別として拝むものではなく、覚者である釈尊のレベルを目指す宗教である、従って仏像すなわち偶像崇拝は存在しなかった、サヴタイトルの”釈尊の教え”と書き込めば宗教音痴と罵倒されるかも知れない、釈明しておくがキリスト教は主(創造主)の教えなら一応正解と言えるが、釈尊は真理を発見しただけで創造したわけではない、後述するが同例を挙げればニュートンは万有引力を発見したが法則を創造していない、従って釈尊の教説が正しいかも知れない。
梅原猛氏の観方に依れば、釈迦の教えとされる哲学即ち四諦、八正道等は論理的で知性を有するが、宗教と言えるか疑問点を有する、氏は宗教とは超歴史性、即ち歴史的人格を離れ、超人格性を持ち、衆生に帰依の感情持たせなければならない、(仏像 こころとかたち NHKブックス)と言う。
これを補正したのが、法華経などの大乗経典であり、以後の経典には思想に法華経が忍でいるとの記述が観られる。

閑話休題、梵語Sanskrit サンスクリットとパーリ語i の関係であるが、梵語はインド古典の公用語でBC12世紀に於けるヴェーダ聖典も梵語で記述されている、但し日常会話には使われていない、日常は釈尊も使用したとも言われるタミル語やヒンディー語等々が使用されていた、パーリ語は上座部仏教の古典語でBC3世紀頃の北インドの言葉が聖典用語として定着されたもので梵語と同じ系譜である。
”仏教”特に大乗佛教budhismと訳すのは誤訳とする説もある、即ち教義の範囲が広義である為である、中村始氏は「大乗仏教に於ける釈尊は歴史的と言うよりも神話的・理想的な存在として讃えられている」と言う。
ユダヤ教キリスト教を初めとする一神教の(しゅ)The Creator・クリエーターは全知全能omnipotent オムニポテンの主である、「光あれ」の一言で天地を創り、人類、空を飛ぶ鳥、地上の動物まで創造している、しかし釈尊は自然法則、法すなわち真理を発見したが覚りの内訳を創造した訳ではない、別件で例を挙げれば、万有引力の法則はニュートンの発見であるが、彼により作り出された法則ではない、ピタゴラスの定理Pythagorean theoremは学派が法則を発見したが創造したのではない、因みに一神教の神は人格神で「ヘブライズムの神Hebraism」とも言い古来パレスチナ住んだヘブライ人に信仰されたと正木晃氏は言う、佛陀は人格神を否定した、これは一神教の神は無論の事 *阿弥陀 *薬師 *毘盧遮那等の如来も人格神であり、大乗仏教とは二律背反(独、Antinomie・アンチノミー)になる(あなたの知らない仏教入門  春秋社)
釈尊教えは仏教と言うよりも哲学の範疇という人も多い、呪術に対して厳しく厳禁し神通力の使用も制限した、但し釈尊は超能力を持ち呪法にも精通している様な解釈される伝記、伝説に事欠かない。
下述するが初期仏教のキーワードは四諦即ち四の真理である、これは高い倫理性と知性を備えた哲学である、「宗教というものを、絶対者の実在を信じ、その絶対者に帰依し、信仰する事と考えるなら、釈迦の教えは宗教ではない」と言う、(仏像 心とかたち nhkブックス)
大乗佛教は釈尊の教説に限定されること無く教理、儀礼等々を任意に採用すると言う共通項を許に構築された、宗教に於ける共通項として宗祖は時間の経過と共に超人化されていく、・上座部仏教 ・部派佛教 ・大乗仏教を問わず覚者となった原始佛教の釈尊と、法華経の説く久遠実成(くおんじつじょう)の釈尊とを峻別が必要かもしれない、閑話休題、法華経を最初に説いた如来は釈迦牟尼が最初ではなく無限に近い昔から”日月燈明如来(にちがつとうみょうにょらい)”から二万回も説き続けられている経典と法華経序品第一に記述されている、但し 法華経が成立した時期は三世紀前半頃であり、最古の 原典は56世紀の書写しが存在している程度である。次復有仏 亦名日月燈明 次復有仏 亦名日月燈明 如是二万仏皆同一字 号日月燈明 又同一姓 姓腹頗羅堕

江戸時代以降大乗非仏説が言われるが、日本仏教は更に大乗仏教の大乗と言われている、日本佛教は釈尊の説いた教えとは遠い存在と言える、仏陀の直接の教えとされる阿含āgama アガーマ)すら「伝承の教へ」であり同様である、しかし基本となる哲学は「真理と一体化」を目指した教理であり教えは踏襲されていると言えよう、端的に言えば釈尊が定めた「浄戒」即ち正しい戒律を無視されている、即ち多様な宗派を擁する仏教総ての源流が釈尊にある、因みに梵語śāsanaの訳語は教説である、もう一つ仏陀すなわちブッダBuddhaはブド(budh)動詞「めざめる」が変化して名詞「めざめた人」になった、また仏陀の別称にタターガタtathāgatatathā真実、真如でありgata行動、向かった、の合成語と言われている、またジョークとしてブド(budh)が言われる事がある、インド人で私は「毎朝必ず仏陀Buddhaになる」と言うジョークがある、即ち毎朝必ず眼を覚ますと言う。 
大乗非仏説とは日本に於いては富永仲基(とみながなかもと)
1715年~1746年)が嚆矢で大乗非仏説を事実上肯定した村上専精に依れば「大小権実顕密教禅聖浄」の十文字に纏められている、富永は代表作の1745年に刊行された出定後語(しゅつじょうごご)に於いて加上説(かじょうせつ)(異部加上)と言う法則の提言した、即ち歴史的に経典を精査すれば、新来経典は先行経典の教説に異なる教説を加上しながら発展して来たと言う、因みに出定とは瞑想から生じる幻覚から抜け出す事をいう、閑話休題、仏教原理主義的な思想は日本では馴染まない。途中脱線するが、佛陀の非実在論を言われた、時期が存在した、即ちフランスの佛教学者・スナールSenart  Émile Charles Marie 18471928年)は仏伝は太陽神話の発展を言い、1875年に「佛陀伝論」Essai sur la légende du Buddha仏陀非実在説を唱えた、因みに出定後語とは「禅定から出て後に語る」を意味する、閑話休題、信仰は教義を学ぶ事から始まるものではない、即ち出自に於ける環境や、師に相当する人の人柄に帰依する事が多い。
他に大乗非仏説には服部天游(てんゆう)の「赤裸々」、平田(あつ)(たね)の「出定笑語(しゅつじょうしょうご)」などに大乗非仏説が言われている、大乗非仏論に対する精緻な反論は日本に於いては見られない様であるが竜樹の「宝行王正論」は存在している、平田篤胤の出定笑語では「法華経は終始仏を讃するの言にして、全く教説の実なく‐‐‐‐」とある,因みに大小権実顕密教禅聖浄とは大小=大乗、小乗、 権実=仮説、実説、 顕密=顕教と密教、 教禅=禅宗と  聖浄=聖道門と浄土門、を挿す、因みに出定後語(1745年)とは禅定から出て後に語る意味と言われる
富永の出定後語に付いて語意は「三昧すなわち禅定から出て後を語る」である、加上説(かじょうせつ)とは、神話や宗教に仮設を加味した解釈を言う。
「全く教説の実なく‐‐‐」にも言えるが駒澤大学の松本史朗氏は「仏教そのものは特定の教義と言うものがない」とする中村始説では佛教の縁起説pratītyasamutpādaは否定されるが中村説は「道」であると言う、因みに梵語の bodhi ボーデイ、即ち覚りであるが初期佛教では「無」「道」等と訳されたが後に菩提と訳される様になった。
釈迦の覚りとは「縁起の理法」即ち因縁生を言う、諸々の条件や原因により生じ、その条件や原因が終了した時に消滅する。
不変なもの即ち無条件成立、永遠のものは存在しない、これを覚り四諦を消滅して安寧すなわち涅槃に至る。
これが三法印すなわち・諸行無常・諸法無我・涅槃寂静になる、因みに涅槃とは梵語
sanskritnirvānaパーリ語(pāli)では nibbanaと言い煩悩の火を般若prajñāで吹き消す意味である、因みに玄侑宗久氏は涅槃には二つの意味がある、即ち”煩悩の火を吹き消す安らかな状態”と”般涅槃(はつねはん)すなわち釈尊の入滅”を言う。
仏法abhidharmaアビダルマ・dharmaśāstraダルマ シャーストラ)即ち釈尊の教えは悠久の昔から宇宙真理として存在している法dhármaである、釈尊は真理の発見者すなわち「法前仏後」である、重ねて言うが仏法は聖書に記述される一神教の神の様に人間や天地を創造したものではない、要するに万有引力の法則もニュートンが、ピタゴラスの定理もピタゴラス学派の人達が発見した定理であり神により創造された法則ではない、因みに一神教は神が総てを創造している、即ち造物主Creatorである、創世記第一章二十六節に「我々のかたちに似せて、人を造ろう、そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう」の記述がある。 
仏教は覚りを開き成仏する事である、即ち「成道」にあり釈迦如来の覚りのレルに到達する事を最終目的とする、インド佛教の興りは釈尊の説法を聞き同じ覚者の道を目指した弟子たちのサンガ
(僧伽(そうぎや))形成を嚆矢とする、これは他力本願の浄土宗真宗、浄土真を除けば初期仏教はもとより密教禅宗などに於いても変わる事はない、対して天地を創造し人間も一人の神の手により創られた世界のセム的一神教ユダヤ教キリスト教イスラム教では神と人間とは主従関係は絶対であり天使まで昇格しても変化はありえない、但し成仏を目指す仏教も変化が見られる、大乗仏教が興り阿弥陀如来による浄土信仰が興ると修行では成仏が限りなく不可能な為、往生を阿弥陀如来の本願に救いを求める事により主従らしき関係が成立する。      
阿弥陀如来を信仰する事により、サルベージ
salvageを受けるのに求められるものは念仏と信仰のみとなり、キリスト教、特にプロテスタントと類似性の多い信仰になる,過日清水寺の元館主・故大西良慶師が生前「往生」は可能であるが「成仏」は難しいと言われたがインド哲学の碩学・宇井伯寿氏(注4に拠れば『即身成仏の実例は挙げられない』と言う、また曹洞の祖・道元は正法眼蔵に於いて諸悪莫作(じょあくまくさ)、すなわち釈迦如来の教えと実践の難易差を述べている。

仏教すなわち釈尊の教えは一神教と異なり、信仰勢力の拡大に軍事力を行使しない唯一の世界宗教である、また基本的に信仰面に於ける義務を強制される事は無い、以上を抽象化して言えば、釈尊が覚った時の伝承では「自受法楽(じじゅほうらく)」の無言語仏教であったが、梵天勧請の物語で転法輪すなわち説法、布教を始めたとされる、梵天勧請に付いては法華経、方便品第二や阿含経、梵天勧請品に記述がある様だが、三明経Tevijja-sutta テーヴィッジャ・スッタ)では否定している
釈尊の時代文字は存在したが、教えを文字に記録する事は無かった、釈尊が説法に用いた言語は定かでないが、pāḷiに近い方言説が強いようだ、四世紀前半頃に梵語(サンスクリット、 saṃskṛta)が用いられる様になった
仏滅後に弟子たちで釈尊の教えの確認作業として結集
(梵語 sa
gīti サンギーテイ合誦(ごうじゅ)即ち、釈尊の遺言を纏める会議が行はれた、第一回は十大弟子の一人である大迦葉の主宰で教理を阿難陀、律蔵は優婆離を中心として五百人の結集でラージャグリハ郊外の七葉窟で行はれた他、インドに於いて四度開かれた。                     
さらに仏滅後200年頃はマウリア朝のアショカ王の元で千人結集。更に仏滅後五百年にクシャン朝のカニシュカ王の元で五百人結集が行はれて経・律・論の論議がなされ経典作成が行われた。
そこで釈迦の教えに最も近い経典即ち阿含経が作られた、梵語名 
āgama(アガーマ)と言い『伝承による教え』という意味を持ちSuttapiaka(経蔵)Vinayapiaka(律蔵)とに区分され阿含経は経蔵の総称と言える、伝承と言えば釈尊の誕生仏すなわち「天上天下唯我独尊」と言う誕生偈は長阿含経等に記述されている。

一口に佛教と言つても八万四千の法門が存在すると言われており、宗派と言うよりも潮流と言えるほど各宗派実に多様である、繰り返すが釈迦牟尼の教えとされる以外は全く違う宗教と考えたほうが正しいかも知れない。

釈尊の教えは対機説法である、中村元氏は言う「仏教には特定された教義がない、仏陀自身は覚りの内容を定式化して説くことを欲せず、機縁に応じ、相手に応じた説きかたをした」と強調される、因みに中村元とは漢字の国が請来した、中国独自とも言える漢字仏教をそのまま請来して土着文化と融合した日本仏教に梵語文化すなわちインド哲学を取り込んだ人である。
釈尊の教えの参考資料として信者でない人に接した事例を馬場紀壽氏(初期仏教 岩波新書)は「シンガーラ教誡経 (Siṅgāla sutta  シンガーラ スッタ)(六方礼経とも)を挙げている。

応身仏である釈迦の教えは瞑想から会得した思弁的・抽象的な教義が多い、また覚りの後四十年以上の間に総ての教義が終始一貫していたとは考えられない、釈尊自身は覚りすなわち教義内容を定式化して説くことを欲せず、機敏に応じて、相手に応じて異なる説きかたをした「対機説法(たいきせっぽう)」である、思想変遷に近い変化があった可能性もある、釈尊の説法は相手のレベルに応じた法を説く「対機説法」表現を変えれば「時機相応(じきそうおう)時処相応」であった為に内容が同じでも解釈が異なる事になる、但し釈尊が菩提樹の下で覚った真理の説法すなわち初転法輪は中道(注2)madhyamā  pratipad マドヤマー・プラティパドである、従来は二系統があった、一つはバラモン特有の現世利益・動物を供犠即ち生贄にした会(快楽の道)に盲信、もう一つは激しい苦行から輪廻脱出を願う沙門信仰(経苦行道)の中道を述べたものである、因みに中道は両道の中間でなく「超越道」と位置付られている。
隋の天台宗は智顗が最初に行った教相判釈に於いて五時の教判
(中国では判教と記述)すなわち五時八教が言われている、五時に依れば釈尊が生涯に説いた法を五期に分類されている、これを元に天台宗では法華経を最高経典と位置付ける、八教は釈尊の教えと内容を分類した「化法(けほう)」と、衆生の化導方法を分類した「化儀(けぎ)」の各四教となる、因みに法華経如来寿量品第十六巻八に拠れば釈尊は曰く BC56世紀に生を受けたのではなく「無量無辺百千万億那由他阿僧祇劫(なゆたあそうぎこう)」と言う、限りなく∞に近い過去に成仏していると言う、因みに無量無辺とは果てしない事を言い、那由他とは10601072程を言う、阿僧祇asakhyaとは107×2103乗程の日時を言うとされる。 

天台の解釈では釈尊の覚りから涅槃までの50年間に於ける「五時八教」に分類した。

五時とは

*華厳時 最初の21日間を言いう(異説があり27日・37日説等がある、華厳経の六十華厳に記述)

*阿含時 初歩的な阿含経を説いた時期で鹿苑時とも言う12年間。

*(ほう)(どう)() 解深密経 楞伽経 勝鬘経 阿弥陀経 大無量寿経 観無量寿経 両部の大経 蘇悉地経 維摩経 金光明経等が説かれた16年間で、・浄土宗浄土真宗真言宗法相宗禅宗が依経としている、8年間。

*般若時 大智度論 中論 等が説かれた14年間(22年間)法華経に導く為の権大乗の時期、因みに釈尊が法華経を説き始めた時期は成道から37年後、すなわち72歳の時からであると言う。

*法華・涅槃時 最後の8年間で法華経 涅槃経が説かれた(1日半は涅槃経を説いてから入滅までの間)

八教とは 化法の四教として*蔵教、 *通教、 *別教、*円教、 化儀の四教として*頓教、 *漸教、 *秘密教、 *不定教が言われている、 一代諸経の勝劣浅深を明確にした。

阿含経の「相応部」によると、法は縁起pratītyasamutpanna-dharmaによって作られると言い「縁已生法」paiccasamuppāda パティッチャサムッパーダ)を説いている、縁已生法とは「縁起から生まれた法」であり、ダルマが縁起(パティッチャサムッパーダ paiccasamuppādaから作られると言う。


仏教
の基本的な教え即ち根本教説は以下の様になる。 ダンマパダDhammapada)即ち法句経第二十章の道(Magga-vaggo)より。
釈尊が人の於かれた状況を分析し説いたとされる基本ソフトに三法印等がある、即ち覚りすなわち菩提(ぼだい)であり以下の様に纏める事が出来る。


三法印   法印とは釈尊の教えで各宗派共通項である、 (1)諸行無常 (2)諸法無我 (3涅槃(ねはん)寂静(じゃくじょう) に+ 一切皆苦(いっさいかいく)を加えて四法印とも言うまた、他に涅槃には無余涅槃、有余涅槃がある、無余涅槃は煩悩+生理的欲求共に残さない場合即ち「永遠の死」を言い、有余涅槃は生きながらの覚り即ち生きた肉体を持った状態の涅槃(悟り)で小乗の覚りとも言われる、因みに
三法印は大乗仏教に於いてバラモン・ヒンドジャイナ教の様な外道と一線を隔す為に言われた 基本理念であり、阿含経などに兆候は見られるが小乗、部派に於いては三法印と言うタームは使われない、但し無常(無常=pāli語・アニッチャ・anicca)と無我は異音同意との指摘がある(釈迦、福島正光、清水書院)


四聖諦
(catu-satya)    下表に示す、 その解決方法として八正道(はっしょうどう)がある、因みに諦とは不変の真理、真実を意味する
   (法句経すなわちパーリ語i のダンマ(dhamma 真理法)パダ(pada 言葉)。 


八正道   下表に示すが要約すると人間の心の悩みを解決することにある。
釈尊の教えを要約すると、四聖諦を理解し下表にある八正道を行えと言う事にある、八正道と六波羅蜜との関連を注12に記述した。

三法印とは仏教に於ける基本原理すなわち仏教総ての宗派が依拠とする共通項である、。 
(1)諸行無常
(注8とは全ての現象は無常であり永遠絶対なものは無く流転する、すなわち仮の姿でしかない。
(2)諸法無我(しょほうむが)とは全ての現象は原因と条件からなり実態が無く仮説であり空である。
(五蘊無我とは注6  
(3)涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)は執着、欲望、を克服した静寂な状態を言う、四つの真理で説明が四諦(四聖諦)である。
1
3「一切皆苦」(いっさいかいく)すなわち現世に於いては凡て苦である加わり四法印とも言われる、その他、因縁すなわち生起と滅の関係を言う十二縁起(注3がある、要するに前世を含む因縁や業を断ち切り涅槃寂静(瑜伽師地論)の境地を目指す事にある、因みに「雑阿含経」では涅槃寂滅、大智度論では涅槃実法印と記述されている様である。 

因みに法華経の解釈では爾前の経典には凡人の住む裟婆「穢土」覚者に成れない二乗の「方便土」菩薩の住む「実報土」如来の住む「寂光土」に分類している、覚者となった前半四十二年を()(ぜん)(方便権教)として後半の八年を法華経(真実の実教)としている。    
「転法輪経」の律藏・大品・相応部・諦相応の四聖諦、八正道などが説かれる、また大般涅槃経Mahāparinirvāa Sūtra・マハ-パリニルヴァ-ナ・ス-トラ)中阿含経āgamaに依れば三十七菩提分法bodhipakkhiyā dhammā, ボーディパッキヤー・ダンマー)すなわち修行法(道品)があり、*四念処、*四正勤、*四如意足、*五根、*五力、*七覚支、*八正道と続く。

 

人間としていかに生きるかの共通項として、真理を求めるか価値観か等々を迷う不充足からの脱却法が「苦」であると釈尊は解釈した様である、短編の経集すなわち「増一阿含経aguttara-nikāya, アングッタラ・ニカーヤ」に記述されている

釈尊が鹿野苑に於いて初転法輪を説いたとされる仏教の「基本教説」、すなわち四聖諦(注1とは下図の四(諦)の最高真理を言う、通常は略して四諦(梵語:catvāri āryasatyāni チャトヴァーリ・アーリヤ・サティヤーニ、 palicattāri ariyasaccāniと言う、苦集滅道(くじゅうめつどう)を表に表すと下表の様になる、因みに諦すなわち真理、真実を意味する、因みに般若心経の中に空に於いては四諦を消滅させる意味合いか?「無苦集滅道」の記述がる、これは四諦の苦集滅道がないという意味である、苦しみも、その原因も、それをなくすことも、そしてその方法もないという意味になる様だ。
因みに三法印
(四法印)は四諦の内の八正道の範疇にはいる、奇異に感じられるが、法華経に於いては声聞が四聖諦の教えを受けており、独覚のはずの縁覚が十二因縁(注3)の教えを受けている、因みに「」とは明かされた真理を意味する、また四聖諦は釈尊が成道の後に説いた最初の法である、但し近年の研究で釈尊が説いたのは以下の様に組織化された苦集滅道等ではなく断片的な説法であったと言われる、
バウッダ仏教(Bauddha ブッダを信奉する人)即ち仏陀の教えの真偽は不祥と言える。



苦集滅道(く じゅう めつ どう) (梵語 catvāri āryasatyāni   pāḷicattāri ariyasaccāni

 苦諦(くたい)  (苦聖諦)

    集諦(じったい) (苦集聖諦)

 滅諦(めったい)  (苦滅聖諦)

   道諦(どうたい) (苦滅道聖諦)

 sanskrit

dukha satya , ドゥッカ・サティヤ  

 samudaya satya , サムダヤ・サティヤ、

nirodha satya , ニローダ・サティヤ

mārga satya , マールガ・サティヤ

 Pāl

dukkha sacca, ドゥッカ・サッチャ)

  dukkha sacca, ドゥッカ・サッチャ)

 nirodha sacca, ニローダ・サッチャ、

 magga sacca, マッガ・サッチャ

 生は苦である

 苦の原因は愛欲である

 渇愛を滅せ(愛欲)

 正しい滅しかた(コントロール)

生 ((あい)別離(べつり)())

 老(怨憎(おんぞう)会苦(えく))       

 病 (()不得(ふとく)())  

 死 (()(おん)(じょう)())    

 愛する人との別れの苦

 敵と遭遇の苦

 欲しいものが得られぬ苦

 五感から受ける苦 

(以上の上段を四諦(四聖諦(ししょうたい))と言い下段と併せて(あわせて)四苦八苦(しくはっく)となる) (集諦と滅諦とは縁起の道理を簡潔に著したと言える)(梵語 satyaサティヤ 、 Pālsacca サッチャ生、苦、病、死を「身の四種」と言う。

釈尊の教えは解脱、覚りであり現世利益すなわち救済では決してない、十二支縁起(注3・中道(注2を根幹として四諦(注1からの脱出即ち解脱である、宗教と言うよりむしろ哲学である、ついで釈迦は僅かに覚りの方法を伝えている、それが八正道である、しかし釈尊は羅漢と巷の衆生に同一の教化・説法したのでは無く「対機説法(たいきせっぽう)」すなわち対象者のレベルや状況に合わせた説法をした筈であり、これが八万四千とも言われる経典を生み出す触媒とも言える。 


八正道pāḷi語 ariya-aṭṭhagika-magga,  梵語 ārya-aṣṭāgika-mārgaとは釈迦の根幹と言える中道を貫く方法で覚りの手段と言える。

 正身(しょうしん) 

 正思(しょうし)() 

 正語(しょうご) 

 正業(しょうごう) 

 正しい見方

 正しい心のもち方

 正しい言葉

 正しい行い

 精進(しょうじん) 

 (しょう)(みょう) 

 正念(しょうねん) 

 正定(しょうじょう) 

 正しい努力

 正しい生活

 正しい教えを理解する

 瞑想  座禅


釈尊の教えは解脱、覚りであり現世利益すなわち救済では決してない、十二支縁起(注3・中道(注2を根幹として四諦(注1)・輪廻Sasāra・サンサーラからの脱出即ち解脱である、宗教と言うよりむしろ哲学である、ついで釈迦は僅かに覚りの方法を伝えている、それが八正道である、しかし釈尊は羅漢と巷の衆生に同一の教化・説法したのでは無く「対機説法(たいきせっぽう)」すなわち対象者のレベルや状況に合わせた説法をした筈であり、これが八万四千とも言われる経典を生み出す触媒とも言える。 

釈迦の教えとされる教義は後世の学者が説いた教義に比べれば難解な教義ではない、源経は存在しないが釈迦が説き、阿難陀(あなんだ)を経て伝えられたとされる、パーリ語iの「アーナ-パーナ・サティ・スートラ ānāpāna smti sati stra」の漢訳「大安般守意(だいあんばんしゅい)経」に付いて玄侑宗久(福聚寺住職・妙心寺派現代宗学委員)氏に依れば「安息経」すなわち「息をする為とは、どういうことか」とも和訳出来ると言う,また初転法輪で自身の出家時が説かれたとされる「聖求経」等も難解な経ではない、釈尊の”降魔成道物語”と言える「過去現在因果経」等も同様である、但し予言や占い等の讖緯(しんい)思想とは無縁の哲学である。
仏教は因果律が総てであり「善因楽果(ぜんいんらくか) 悪因苦果(あくいんくか)」即ち良い行動には良い報いがあり、悪事を行えば悪の酬いがあると言う。
釈尊の教え、即ち覚りを端的に言えば *
解脱(輪廻、六道世界からの離脱) *涅槃 (煩悩の火が消えた状態) *菩提(悟り) を挙げられる

佛教とは釈尊の教えとされているが、日本が継承している禅宗の六祖・慧能は釈尊から逸脱したと思惟される革命的な発言をしている、すなわち「解脱を論ぜず、見性を論ず」である(見性とは己を見据える事)、五祖・弘忍から六祖への衣鉢(えはつ)移譲の話は著名であるが、福永光司(老荘思想・道教の碩学)を引用した五木寛之は中国では二つの文化があり、北は儒教的(シンメトリック・symmetricで合理性を持ち神秀の「漸悟禅」「漸修禅」即ち北宗禅につながる、南は道教的で本能生を重視すると言い慧能の「頓悟禅」「頓禅」即ち南宗禅となる、所謂「南船北馬」の説を言われる、閑話休題、現代の日本の於けるキャリヤ官僚なら採用するのは北宗禅であろう。
釈尊の遺言と言うべき経典に「遺教経」正式には「佛垂般涅槃略説教戒経(ぶっしはつねはんりゃくせつきょうかいきょう)」がある、鳩摩羅什の訳で弟子達に対して遺言の収録で持戒と徳行を強調しており、特に曹洞宗に於いて重用している、同様の経典に「大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)」「仏般泥洹経(ぶつはつないおんきょう)」「長阿含経」等がある。

釈尊は入滅前の遺言に「自燈明」「法燈明」を阿難などの弟子達に教えた、「自らを燈明とし自らを依処として、他人を依処とせず法を燈明とし、法を依処として、他の事を依処とすることなかれ」。  *自身を燈明とすることを「自燈明」といい、仏の教えを燈明とすることを「法燈明」と言う。
釈尊の教えた仏教に恨は存在しない、釈尊は鍛冶工チュンダの用意したスーカラ・マッダバと言う料理で中毒を起こしこれが素で死期を速めた、これがセム的一神教であればチュンダは殺害され永遠に近い恨みを残したであろう、しかし仏教に恨みは無いチュンダが恨まれる等、殺害された記録は見つからない、最古の経典と言われるスッタニパータ
Suttanipātaの世界である。  
釈尊が弟子達に最後に説いた教えは、自分と法を拠り所に生きよ,即ち「自灯明法灯明」とされている。
釈尊は娑羅双樹の下で生涯を終えるが、平家物語の冒頭にある「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 娑羅双樹の花の色 盛者必衰の理を著す」と書かれた娑羅双樹の木はインドやミャンマー等に育つ樹木で日本では温室でしか維持出来ない、また釈尊の涅槃時の沙羅双樹が白い鶴に似ていた事から鶴林(かくりん)とも呼ばれている、通常日本では「夏椿」を娑羅双樹と呼んでいるが釈尊入滅時に咲いていた佛教本来の娑羅双樹は「ふたばがき科」(二葉柿科・Dipterocarpaceaeの植物である、因みに祇園精舎とは祇樹給(ぎじゅぎっ)孤独(こどく)園精舎の略称である。
中村元氏に依れば古来から存在する「勅撰和歌集」の内で「釈教和歌」の部には浄土三部経と法華経を題材にした作品が大勢を占めると言われる。
現在の仏教に対して懐疑派ではないと思惟するが、現在の仏教を因襲仏教と言う人達で、経典に対して教義の内容を教えるのではなく、呪文でもない、呪術的儀礼の用具に過ぎないと言う事を言う人達もいる(知的唯仏論 サンガ 宮崎哲也 呉智英)

釈尊の父は釈迦族の王で漢訳は(じょう)(ぼん)(おう)と言い、稲作地帯の王であったとされている、同じ稲作地帯の日本とは共通のエトスがある様だ。(中村始 仏教入門 春秋社より)

因みに釈尊の姓はゴータマgotama、個人名をシッダッタsaddhatthaと言う、シッダsiddhiは成就を意味し、アッタattahaは目的である、漢訳は(しつ)(だつ)()太子と言う。


沙羅双樹 スリランカ 仏歯寺(ダラダー・マーリガーワ寺院)
 
Sri Dalada Maligawa)(英 Temple of the Tooth



注1、 四諦(四聖諦(ししょうたい)) 法句経(ダンマパダ)の20章(Magga-vaggo)に八正道・三法印(無常 苦 無我)などと共に説かれている、釈尊が覚りを開いた後に説いた設定である、最初の教えで上座部仏教(小乗)於ける教義の根源は四つの真理に説かれる、諦イコール「不変の真理」「真実 諦め」に繋がる。 (生・老・病・死) 
苦が生じるのは万物全てが諸行無常であるのに永遠絶対のものであると誤解するからでる。  上座部仏教theravāda) 
小乗仏教(ヒーナヤーナ hinayāna)。           
以上で釈迦牟尼の教えを簡単に羅列してみた、要するに諸行無常以下それ程難解な哲学を説いている訳ではない、但し凡夫が実行は出来るものではない、小室直樹氏は(日本人の為の宗教原論,徳間書店)オウム真理教は絶対に出来ない解脱を看板にしたと言はれた。
また山本七平氏は宗教に良い宗教と悪い宗教との区別は無いといわれる、オウム真理教の場合、金剛乗すなわち後期密教をベースにしてチベット仏教・ヒンズー教・キリスト教・などから摘み食いして出来上がった教義の様であるが、ここで仮説を一つ・松本智津男教祖が数百年以前に生まれオウム真理教を起こし誰かに殺害されたと仮定すると、教団内でマイトレイヤー(弥勒菩薩・Maitreya)の名を持つ上祐幹部がキリスト教のパウロ・浄土真宗の蓮如の様な役割を果たして洗練された宗教集団に成長していたかも知れない、山折哲夫氏は宗教というものは長い年月を経てソフトになると言われる。
但し倫理から外れた場所に覚りは存在しない、教義の良否は別としてオウム真理教の行動を絶対に肯定するものでは無い、オウムが100%否定されるのは法を犯すことである。

閑話休題、オウム真理教が出たついでに、拠点(例ー第7サテイアン)を表していたサティアン(Satyam)に付いて一言述べよう、サティアンとは梵語(saskta,語)で真理を意味する、またオウム真理教に付いて山本七平氏の造語を借りて言えば「臨済心」を持たない教団は宗教ではない。
但しオウムの呼称はヒンズー教では「聖音」でありマントラ(mantra)即ち真言を唱える前後の必ず唱えられる、因みにタントラ(密教)の世界では「オン」と発音されており、オウムとオンは同意である
宗教とは神秘主義的哲学すなわちスーフィズムSufism)と言えば非難を受けるかもしれないが、神秘的哲学に幻惑され「燈火に飛び込んで燃え死ぬ蛾」であってはならない、但しオウムの呼称はヒンズー教では「聖音」でありマントラ(mantra)即ち真言を唱える前後の必ず唱えられる、因みにタントラ(密教)の世界では「オン」と発音されている、例を挙げれば阿弥陀如来(オン アミリタテイゼイカラウン) ・薬師如来(オン コロコロサンダリマトウギソワカ) ・大日如来(毘盧遮那仏)(オン アビラウンケン) ・弥勒仏(オン マイタレイヤ ソワカ)・観音菩薩(オン アロリキャ ソワカ)・梵天(オン ハラジャ ハタエイ ソワカ)等、釈尊、不動明王を除く殆どの如来、菩薩、明王の枕は「オン‐‐‐」となる。    


2、中道 梵語でmadhyamā  pratipad(マドヤマー・プラティパド)と言い苦楽中道すなわち苦行と欲楽に偏よる事を否定し、初転法輪に於いて八正道を行う事で覚りを完成させる事であるが、有無・断常・一異に極度の対立概念を止めることにある、即ち超越道である、竜樹は「中論」に於いて縁起と空を中道とした、また空・無も無得正観と言い中道と言われる、不偏中正の道であり二論の中間ではなく超越を意味する。
要するに釈尊は苦行・精進を極限まで求めるのではなく、奔放恣意な快楽的思想でもない中間から覚者になる道標と洞察力を見出したと言える。
  
中国天台宗に於ける中論は三諦円融と言い空・仮・中、を言い日本の法相宗は空=実と誤認  仮=因縁  中=空・仮にとらわれず実をありのままに観察すると言う唯識宗の三性論を言う、また儒教にも同様の言語が存在する。  


3十二因縁(じゅうにいんねん)(dvādaśāga-pratītyasamutpāda)過去・現在・未来の三世の輪廻を示す因果を言い、十二縁起とも言われる釈迦が覚ったとされる因果法則で、無明(むみょう)から老死に至るまでの順観すなわち苦悩を滅ぼす為の条件を系列化・四諦からの解脱方法を言う。
因縁と縁起の区分であるが、因みに鳩摩羅什訳に於いては十二因縁と訳され、玄奘訳では十二縁起と訳されている。
釈尊が生きる為の苦に対して十二の原因に集約したものである、
十二支縁起とも言われ釈迦が覚ったとされる因果法則で、生存のさまを十二の因果に集約された、無明(むみょう)から老死に至るまでの順観すなわち苦悩を滅ぼす為の条件を系列化・四諦からの解脱方法を言う。
1、無明―――凡て無智 何も解らない状態 
2、(ぎょう)――― 行動、活動、潜在的形成力 
3、(しき)――― 認識する能力、 
4、名色(みょうしき)―――名称と形態、精神の物質、心身 行と識即ち物質と精神の分類が出来る状態 
5、六処―――目耳鼻舌身意の感覚から心の中へ 
6、(そく)――― 触覚
7、受――― 感受作用   特に触覚からの感受作用 
8、愛――― 衝動、妄執、渇きに捉えられる
9、取――― 執着 渇愛は執着を生む 
10
()――― 生存 煩悩から輪廻の中へ
11
(しょう)――― 誕生
12
、老死―――無常形態 必ず死期は来る 
釈迦はバラモン・ヒンドウーの言う梵我一如(ぼんがいちにょ)すなわち有我説、に対して実態は存在しないすなわち諸法無我を主張した、根拠は十二因縁(十二支縁起)であり、無明すなわち生・老・死の連続を唱えており、自我を否定している、因みにヒンドウー教とはインド教と言う意味を持つ、因みにゴータマブッタはヒンドウー教の神の一人であるがランクは低い、即ち・ブラフマー ・シヴァ ・ヴィシユヌの三神が最高神であるが、ゴータマブッタはヴィシユヌの10の化神の9番目の神で、ヴェーダ聖典をアスラから隔離する為に偽教(仏教)を広めた事になっている。
釈迦の入滅状況を最後まで看取った十大弟子の最後尾、阿難陀の口伝に大パリニッパリーナ経(Mahāparinībbaanā-sūttantā大般涅槃経(だいはつねはんぎょう))がある、ここで阿難陀が「自帰依自燈明、法帰依法燈明」略して「自燈明、法燈明」を教えられたのかも知れない、要するに「他に惑わされず、己と法を拠り所として生きよ」であろう。     
                                               
4、  宇井伯寿(はくじゅ)  本名茂七   1882年~1963年(昭和38年)愛知県生まれ、 曹洞宗・東漸寺(とうぜんじ)第34代住職 愛知県宝飯郡小坂井町大字伊奈  1930年 東京帝国大学教授  1941年 駒沢大学学長  1953年 文化勲章を受章   1963年死去  享年81 
理具成仏とは理念を言い真言密教の修行をして大日如来と同一の境地に到達する事を言う、・加持成仏とは実践を言い修行により仏と境地を同じくする事、・顕得成仏とは結果を言い修行が完成した状態を言う、但しインド哲学の権威・宇井伯寿氏は「即身成仏の実例は挙げられない」と言う。
正しい智慧の保持者すなわち正遍(しょうへん)()(samyak sambudda サンヤク サンブッダ)の保持者である”即身成仏への到達者”の例は見られないと言う、即身成仏と言う熟語であるが空海の著作「即身成仏義」が嚆矢らしく密教経典に記述は無い様である。

5大般涅槃経(だいはつねはんぎょう) 大パリニッバーナ経 (Mahāparinirvā
a Sūtra マハ-パリニルヴァ-ナ ス-トラ) には阿難陀に記憶によるであろう仏陀の最晩年から、入滅後の様子が赤裸々に記述されている、但し初期の涅槃経涅槃経、同様の経典に「仏垂般涅槃略説教誡経」略して「遺教経」がある。

6、五蘊無我説、般若心経に於いて
「五蘊皆空」と「無色無受想行識」を言う。 五蘊(ごうん)とはpañcaskandha(パンチャ・スカンダ)佛教に於ける宇宙観を分析する時に使われ釈尊の思想哲学の根幹といえる、 ・色蘊(rūpa) ・受蘊(vedanā)感受作用 ・想蘊(sajñā)表象作用 ・行蘊(saskāra)意志作用 ・識蘊(vijñāna)認識作用を言う、五の蘊が世界を構成していると言う解釈がある、閑話休題、巷間で言われている「薀蓄がある」「うん(沢山)とある」等に使われる、蘊とは樹木の枝を意味すると言う解説書もある(般若心経の基礎知識、大法輪閣)。
雑阿含経の範疇にある「相応部経典
Sayutta Nikāya SN サンユッタ・ニカーヤ」と言う古いPāli語経典には釈尊は”重き荷物”とされている「五蘊は重き荷物にして これを担うものは人である 重きを担うは苦しくて これを捨つれば安楽なり すでに重荷を捨てたらば さらに重荷を取るなかれ かの渇愛を滅すれば 欲なく自由となりぬべし」。 五蘊の蘊は巷間、蘊蓄とか蘊と(たくさん)ある、等々に使われている。

五蘊(ごうん)とはpañcaskandha(パンチャ・スカンダ)佛教に於ける宇宙観を分析する時に使われ釈尊の思想哲学の根幹といえる、菩薩が深遠な智慧の完成させる為の五つの構成要因で蘊とは集まりを言う、蘊とは樹木の枝を意味すると言う解説書もある(般若心経の基礎知識、大法輪閣)。(Pañca5を意味し、khandhaは集合を言う)     
1
、 色 (身体を構成する5の感覚器官・5根)ルーパ       
rûpakkhandha       感覚的物質的  視覚に移る形造られたもの 

2、 受 (苦・楽・不苦不楽を受ける作用)   ベーダナー    vedanâkkhandh       感受        感覚と感情を含めた作用  3、 想 (知覚作用)                サンジュニャー  saññâkkhandha      表象        心の内に像を構成する 
4、 行 (意思・真理作用)             サンスカーラ   sankhârakkhandh     意志        潜在的形成力 
5、 識 (眼・耳・鼻・舌・身・意の認識)     ビジュニャーナ  viññânakkhandha    感覚・知覚・思考作用を含み対象を区別しての認識作用    
   因みに「蘊」とは集合体を意味する。  認識作用に五根があり眼識・耳識・鼻識・舌識・身識がある。
   巷間で言われている「薀蓄(うんちく)がある」「うん
(沢山)とある」等に使われる。
五蘊Pañca=5、 khandha=集合の意味である、六根とは人の所持する六つの器官すなわち*色(rûpakkhandha)、*受(vedanâkkhandh)、*想(saññâkkhandha)、*行(sankhârakkhandha)、*識(viññânakkhandha)を言う、また六内入処とも言う、六識とは眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識、 十二処(十二入) とは六根と六境を+したもの、十八界とは 十二処+六識を言われる。
「摩訶般若波羅蜜経」略して大品(だいぼん)般若経(はんにゃきょう)では陰界入があるが五陰、十八界、十二入の略称
五蘊無我説、般若心経に於いて「五蘊皆空」と「無色無受想行識」を言う。 五蘊(ごうん)とはpañcaskandha(パンチャ・スカンダ)佛教に於ける宇宙観を分析する時に使われ釈尊の思想哲学の根幹といえる、 ・色蘊(rūpa) ・受蘊(vedanā)感受作用 ・想蘊(sajñā)表象作用 ・行蘊(saskāra)意志作用 ・識蘊(vijñāna)認識作用を言う、五の蘊が世界を構成していると言う解釈がある、閑話休題、巷間で言われている「薀蓄がある」「うん(沢山)とある」等に使われる、蘊とは樹木の枝を意味すると言う解説書もある(般若心経の基礎知識、大法輪閣)。
雑阿含経の範疇にある「相応部経典
Sayutta Nikāya SN サンユッタ・ニカーヤ」と言う古いPāli語経典には釈尊は”重き荷物”とされている「五蘊は重き荷物にして これを担うものは人である 重きを担うは苦しくて これを捨つれば安楽なり すでに重荷を捨てたらば さらに重荷を取るなかれ かの渇愛を滅すれば 欲なく自由となりぬべし」。 五蘊の蘊は巷間、蘊蓄とか蘊と(たくさん)ある、等々に使われている。 

 

7本生譚(ほんしょうたん)
(ジャータカātaka ) 
釈迦族の皇子が覚者となった原因は前世すなわち宿世(しゅくせ)からの行動すなわち宿業(しゅくごう)に有るとして、その行動即ち六波羅蜜行をインド説話とした仏伝でフィクションであるが釈尊の哲学即ち仏教の神髄が述べられている、梵語のジャータカ(jātaka)と言う、パーリ語聖典(pāḷi)の前世物語として二十二篇五百四十七話が纏められている、己を犠牲にして生物を助けた内容に統一されている、仏伝とは釈尊の生涯を著した事例などを言う、因みに瑞応経等に依れば釈尊の前世は儒童梵士(じゅどうぼんし)と呼ばれたという、ジャータカは下術のabに他に象本生や猿本生等がある、本生譚の物語には共通点がある、①仏陀は概ね祇園精舎に滞在して仏陀は事件の当事者と会話している、④仏陀は過去に於ける事件との類似性を示している、等々である、()(詩歌)とその解説、等に限定される。
(こう) 僧会(そうえ)? 280年)の漢訳と言われる「六度集経」「金光明経」「修行本起賞経」「菩薩本行経」等に記述されている様で、主に釈迦の宿世(前世)に於ける行動を物語化したもので、「過去現在因果経」を典拠として玉虫厨子の両面に描かれている。  
a捨身飼(しゃしんし)()図・飢えた虎の親子を救う為に前世の釈迦(摩訶薩た王子)が崖から飛び込んで虎の餌になる。 b、施身聞偈図(せしんぶんげず)・釈迦の修行中羅刹に変身した帝釈天が「諸行無常」と囁く、釈迦は羅刹に続偈の教授を願い出たところ「汝を食わせれば教える」と言う、承知した釈迦は聞いた偈(仏の言葉)を岩に刻んで身を投げたところ羅刹は帝釈天に戻って釈迦を空中で受け止めた。玉虫厨子には他に天王図・菩薩図・須弥山図・草木図等が描かれている、因みに諸行無常とは仏教の基本理念である三法印(諸行無常、諸法無我、涅槃寂静)の一つで世間に存在する一切は変化したり、生滅を繰り返し不変はあり得ない事を言う。

また玉虫厨子は飛鳥時代の建築様式を正確に再現されており、太子一族の怨霊を鎮める願いを込めて制作された飛鳥芸術を代表する文化財である。 
日本語訳として「南伝大蔵経」がある、ちなみに玉虫厨子は推古天皇の念持仏として作られた厨子と言う伝承を持つ。
前述の「過去現在因果経」とは劉宋時代(5世紀初中頃)・求那跋陀(ぐなばつだ)()、漢訳・四巻がある、この経典に絵を付けた「絵過去現在因果経」があり ・根津美術館に国宝 紙本著色 27.6×1139.4  ・上品蓮台寺(京都市北区紫野十二坊町33-1)、さらに重要文化財に・奈良国立博物館に紙本著色 巻子 断簡 H26.41 W15.9cm 奈良時代 ・MOA美術館 紙本著色 1巻 26.7cm×154.5cm 等に存在する。 
  



8、 無常とは仏教に於ける基本的なあり方を言う、「常」無き事で常に変化する姿、プロセスを示す世界観である、通常言われる「生命や栄枯盛衰のはかななさ」を総て無視する訳ではない。 諸行無常が出たついでに蛇足する、平家物語の冒頭にある「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者(じょうしゃ)必衰(ひっすい)の断りを表す」が著名であるが、典拠は大般涅槃経(大パリニッパーナ経Mahāparinirvāa Sūtraからの釈迦涅槃図の情景を述べたものである。


9 部派佛教   

10牟尼(むに)とは「聖者」「寂黙(じゃくもく)の聖者」すなわち修行をする聖者に対する尊称である、またカピラヴァストウは征服民族のアーリヤ系(英aryan,arier)と征服された非アーリヤ系とが旨く混淆した地域と言われている、因みにインドśākya族等では「ゴータマ(姓)とは最上の牛、シッダールタ(名)は目的成就を意味する」(Gotama Siddhattha)と云う意味合いとされる、またシッダ(siddha)=成就、ーアッタ(attha=目的、即ち目的を適えたとなる
釈迦とは種族の名称で釈迦属(śākya・梵語)の聖者を釈迦牟尼と言う、別姓としてゴーダマ(gotama)個人名をシッダ(siddhattha) siddha=成就した、attha=目的を合成し、願いを叶えたとなり漢訳で悉達多(しつだった)太子となる、ゴータマ、Pāl語で(Gautama Siddhārtha)はゴー(gau)=牛、タマ(tama)=最も優れたを意味する。


注11、
俗二諦とは真諦 paramārtha-satya俗諦 saṃvṛti-satya)のことを言う、倶舎論など通常は、一般常識とみられる真実を俗諦といい、仏法があると説くことを真諦としている、真宗系では仏法を真諦と言い、王法いわゆる世間的道徳を俗諦と区別している、また総てが空と説く事を知ることを真諦とし、言語や思想で表すことを俗諦と大乗仏教ではいう。

注12、
六波羅蜜  波羅蜜とは梵語名pāramitā(パーラミータ)の音訳で到彼岸すなわち完成された行・彼岸への到達・正しい行いを意味する、pāramitā パーラミータはi語すなわち俗語であり、梵語(saskta)ではprajñā(プラジュニャー)と言う

菩薩道に於ける修行方法の完全なあり方を波羅蜜と言い、大乗仏教に於いて正等覚(しょうとうがく)者(如来)となる為、菩薩の必修条件でもある、六波羅蜜の起りは、初期の大乗経典で現存はしていないが「六波羅蜜経」が諸経典に引用されている様である、六波羅蜜との関連のある供養に「六種供養」があり・水――布施 ・塗香――持戒 ・花――忍辱 ・焼香――精進 ・燈明――智慧の行に相当する、因みにお彼岸に先祖の墓参をする風習は日本独自のものでインドや中国には存在しない。  
・布施波羅蜜 (施し)          余談 布施を施す事をdānaダーナと言うが旦那の語源になる。    
持戒(じかい)波羅蜜 (道徳・法律)  
忍辱(にんにく)波羅蜜 (耐え忍ぶ)   
・精進波羅蜜(努力)  
・禅定波羅蜜 (徳を行う行動) 
・般若波羅蜜 (単に知恵ではなく慧に裏付けられて完成される、悟りに向けた智慧)
さらに十波羅蜜もあり、六波羅蜜に方便・願・力・智が加えられる。
六波羅蜜の完成者を”正等覚者”すなわち如来の境地と呼ばれる、因みに大乗起信論に於いては1^4を 施門、誡門、忍門、進門、とした上に5^6を止観門としている。


13、 スッタ ニパータ Pāḷia語で Sutta Nipāta)スッタ ニパータ(経集 ) スッタは縦糸を意味しニパータは集成を言う、阿含経(小部)に含まれており釈尊の説いた最も古い伝承で、語彙が最も近い言葉で現された詩集・散文、(解説書に中村始著・岩波書店がある) 十大弟子の上足である舎利弗の著作との説もある。 
とは南伝仏教の
pāḷi語経典を言う、Suttaとはパーリ語で経を意味し、Nipātaは集合と言う。
スリランカに伝えられ広がりを見せた、すなわち経集意味するが漢訳は”南伝大蔵経”と呼ばれている。




2011
1222日安息経  201234日遺教経他  201312日祇園精舎、沙羅双樹 627日中村元 2014412日大乗非仏論加上論 719日注8 2015年1月26日 2015年5月7日注10 10月28日 ⒒月2日五時八教2016年4月26日 6月16日 10月27日 11月11日  2017年2月17日 3月9日  9月20日 10月26日 2018年4月17日  5月31日 8月10日 9月20日 2019年1月23日 2月12日 2月23日 9月14日 12月20日加筆   

 


     
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