熊野比丘尼と熊野観心十界曼荼羅      

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熊野比丘尼の行動が確認出来るのは15世紀頃の資料である、比丘尼の語源は梵語のbhiksunī(ビクシュニー、注5)である、戒律(具足戒)を受戒した正式な比丘尼では無く熊野三山の本願所に所属する私度的な集団で修験者達と同じ組織に組みこまれていた。 
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比丘尼・絵解き比丘尼とも呼ばれ、ヴェテラン比丘尼と(わらべ)比丘尼がコンビを組み、旗を背負い網代笠をかぶり、鉦を打ち鳴らしながら熊野信仰を日本各地に伝播行脚した、熊野比丘尼は四有輪転を描いた熊野観心十界曼荼羅や六道図などを、街道や屋敷内で「熊野牛玉宝印」の護符を売り奉加を求めたり、熊野権現の勧請に努めた、「蟻の熊野詣」と言われた盛況は彼女達の行脚なしには語れないであろう。 
唄う様に節をつけて絵解き解説を任務とした、比丘尼の絵解きフンは多く、尼将軍と言われた北条政子等にも支持されたと言う、ただし現存する曼荼羅は桃山時代の作品が最古である、江戸時代には幕府の寺檀制度に代表される統制を受けて衰え始め酒席に出る歌比丘尼となり、さらに身を落とす売色比丘尼も現れた、明治初年の神仏習合に於いて消滅した、閑話休題「比丘」「比丘尼」に於ける言語の意味は「食を乞う人」である、
脱線するが、北条政子は源頼朝の正妻であるが源政子では無い、日本には本来の婚姻制度が
無いと小室直樹氏は言う、他には秀吉の正妻・北政所は豊臣おねでは無い、皇女和宮は徳川姓ではない、完全な夫婦別性である、日本に婚姻制度が確立されたのは1890年(明治23年)である。

熊野比丘尼が携帯した「熊野観心十界曼荼羅」は三重県を中心に40点以上の曼荼羅が確認されている、現在発見された熊野観心十界曼荼羅の構成は理解が容易な内容で示されており、天台宗の教義である人間の「心」に内包する「十界互具」すなわち覚り(解脱) の世界と、迷いの世界と解釈できる、因みに観心とは「心を観る」と言う意味を持つ。
十界とは上位四界を四聖道と言い「覚り」の世界を言う。  
菩薩界・縁覚界・声聞界は三乗と言い法華経発生以前の教えである、法華経前半の迹門に於いては、所謂小乗の縁覚、声聞に大乗の菩薩界を含めて一乗を説いている。 

・仏 界  覚者すなわち悟りの世界。  
・菩薩界 
梵語名はbodhisattva(ボーデイサットバ)の音訳で正式には菩提薩埵で覚者の前段階。   
・縁覚界 梵語のpratyekabuddha
(プライエーカプッタ)パーリ語paccekabuddhaの意訳で独覚と言い、辟支仏(びしゃくぶつ)と音訳され師を持たず己のみの覚りを言う。  
・声聞界 梵語の śrāvakayāna (シュラーヴアカ)の訳で聞く人を意味する、すなわち修行中の出家(覚者の佛法を聞き悟る、仏弟子)。  
以下を「迷い」の世界を言い輪廻の六道を転生する。

閑話休題,十界には二乗が入る、仏弟子の乗り物である声聞乗śrāvakayāna縁覚乗pratyekayānaがある、大乗から観れば輪廻sasāraサンサーラ)する六界すなわち地獄に落ちても再び天界や人界に輪廻して成仏がかのうであるが、輪廻の外にある声聞乗縁覚乗に入れば再び仏界に出会うことは無い 、因みに乗とはyāna即ち乗り物である、しかし大乗非佛説側すなわち上座部から観れば大乗とは声聞乗が大乗を自称している教団と言う、因みに旧来の大乗経典で二乗は永不成仏(ようふじょうぶつ)」といって、灰身滅智(けしんめっち)のために永久に成仏できない衆生として法華経迹門方便品では二乗作佛と言い縁覚界、声聞界も成仏出来る言う
・天界 (upper region)   
・人界 Manussya 
・修羅界 (asura)
・餓鬼界 Preta
・畜生界 Tiryagyoni)  
・地獄界 Naraka
を描き、 画面上部に老いの坂と呼ばれ、放物線状の道に人の一生を描く、即ち・誕生・成長・人生の頂点・衰え・老衰の様子を1葉に画がいた変相図である、同時に熊野比丘尼は熊野三山を画がいた「那智参詣曼荼羅」等も携行した様である。
閑話休題、地獄に関する記述は倶舎論・大智度論・顕宗論の他に・往生要集に記述がある。   




1、 熊野三山 三所権現とも言われ「熊野本宮大社」「熊野速玉大社」「熊野那智大社」を言う、三所権現の云われは其々阿弥陀如来、薬師如来、千手観音の垂迹(すいじゃく)尊とされる事にある、法華持経者の拠点と言えた熊野三山も1221年(承久3年)に起きた承久の乱で後鳥羽上皇側に付いた為に多くの荘園を失い、さらに1872年(明治五年)の廃仏毀釈で青岸渡寺を残して総て神社化した

2、 四衆の内で縁覚界・声聞界は成仏出来ないとされていたが法華経迹門に記述される二乗作仏(にじょうさぶつ)により成仏が可能となる、因みに四衆(Catasra  parisadi )とは・縁覚界・声聞界・比丘・比丘尼を言う

3、 熊野観心十界曼荼羅の解説ビデオは三重大学が県と共同して出した「歴史街道GIS」参照をお勧めする。


注4、 十界互具(じつかいごぐ)とは天台宗の教義で、十界にある凡てが互いに十界を有した境界があるとされ、いかなる人間も仏界から地獄界までの心があると言われる、すなわち心の内に十界を観て覚りを目指す教義とされる。
日本天台宗は隋の天台から見れば密教大日経を標榜する遮那業(しゃなごう)と法華経ベースの止観業(しかんごう)(顕教)を両輪としており、異端とも言える哲学を取り入れているが、智顗以来の天台に於ける根幹教義である「一念三千の解心」の理念に相違はない。


5、 比丘・比丘尼の語源は、「食物の喜捨を受ける者」を意味する、「比丘」とは男性僧(出家僧)で、梵語のbhiku、pali語のbhikkuの音訳である、また比丘尼とは尼僧を言い梵語bhikuī、パーリ語bhikkhunīの音訳である、また在家信者の男性は()()(そく) (upāsaka)と言い、在家女性は()()() (upāsikā)と言う。

6、 そのほか十界を扱う曼荼羅で法華経をモチーフにした法華曼荼羅がある、日蓮宗では通称を「髭曼荼羅」本来は「日蓮奠定(てんてい)十界曼荼羅」と言われる髭文字の曼荼羅を葬儀などに於ける本尊とする宗派がある、南無妙法蓮華経の題目を囲む釈尊や多宝如来を中心に菩薩.(.・無辺行菩薩・上行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩)に・四天王十大弟子から・鬼子母神・轉輪聖王・阿修羅王等々の神々が髭文字や梵字で著されている。 



200881日 2011724日十界補足 917日注6 2012年4月12日梵語スペル補足 2013年6月8日注5 2014年11月17日法華持経者他 2019年8月11日 2020年2月16日加筆 

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